「スーパークロスワード」誌の次の次の号の、
"なごむ亭元楽"名義のネコパズル完了。
パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、
そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く、
のだけれど、
今回はそれは休んでちょっと違う話を。
上の ネコパズル。
そこまではなかなか気づかないかもしれないけれど、
今回は今までよりもネコとネコの間隔を広めにとってます。
もう少し詳しく言うと、
ちょっと前に雑誌のサイズが少し変わったときに、
「間隔を今までより少し広めにお願いします」と指示があって、
その時に一度、間隔を広めに変更しました。
で、その後OKが出て、
それ以降、
原稿依頼のFAXにも「間隔は広めに 前回くらいでオッケー」
と書いてあるので、
ずっとその時の間隔で作って編集部に送っていました。
しかし、
いつも発行されてから届いた実際の雑誌のそのページを見てみると、
僕が作って送ったものよりもさらに間隔が広くとってある。
たぶん、担当のデザイナーさんが触って広げているのだろう。
だけどそれは「全体からみたら二度手間だなぁ」と思い、
「どうしようかなー」とずっと思ってました。
聴いてみてもいいのだけれど、
しかし依頼のFAXには「前回くらいでオッケー」とあるし、
ここはちょっとあえて時期を見て、
最初から僕の方で、
実際の発売後の誌面の間隔の方に合わせて作ってみようか、
と、考えていました。
で、今回、
発売後に載っている誌面の間隔の方に合わせて、
これまでより広めにとったものを作って、
上の写真のパズルの様にして編集部に送りました。
そして、
原稿を送る際に一緒に以下の様なメールを書いたのです。
--------------------------------------
From: 佐野元 [mailto:○○○@xxxxx.or.jp]
Sent: Wednesday, November 26, 2014 4:57 PM
To: YOSHI▲.T
Subject: 吉▲さんへ14.11/26-ネコパズル送りまする。
吉▲どの
先日は質問した事の確認ありがとうでござった。
いやいや、
アタマをあげてくだされ。
グイッとぐいっとあげてくだされ、
…それは上げすぎでござる。
さて、
では、
ネコパズル送りまする。
えー、実は、
今回はもしかしたら勝手が過ぎたかもしれぬのでござるが。
毎回ネコパズルのFAXに、
「左右の間隔はやや開け気味に この前くらいでオッケー」
と書いてあるでござるな?
が、毎号、誌面になったのを見てみると、
拙者が作ったものよりもかなりグーンと開いている。
これは、誰かが「開けている」わけである。
なのに、
毎回FAXには「この前くらいでオッケー」と書いてある。
だから今まで通りで送っているのだけれど、
やっばり届いた誌面を見てみると作ったものより開いている。
キャーーーッ!
誰があけてるのーーー?!
そりゃきっとデザイナーさんがあけているのだ。
で、デザイナーさんは、
「何よこの佐野さん、いつもいつもワタシにこんなに開けさせて、
そりゃワタシもプロよ、開けろと言われたらサバ缶だってあけるわー。
開脚だってするわー。来週の日曜の予定だってあけるわー。
けど、ワタシだってヒマじゃないのよー。えーん」
と泣いているかもしれない。
そうだったら、タイヘン申し訳ない。
だったら、こちらでちゃんと開けておいてあげたい。
「ねぇ、ちょっと、あけてくれない? うふっ」と言われなくても、
気づいたワタシからジジジーとあけてあげたい。
が、ここでワタシは悩む。
もし、これが、
わざと詰まったものをデザイナーにわたして、
「さぁ、ちゃんと誌面にあわせて開けなさい」
というマカンジンマガジン社の社員教育の一環であったのならば、
ワタシはとんでもない余計なお世話をしたことになる。
また、
もしかしたら編集部にはマガジンマガジンオリジナルの、
「レイアウトマシーン 自動つめつめくん」というのがあって、
僕がいつも出しているあのつまり方でマシンに入れると、自動で誌面に合わせて自由自在にレイアウトする便利なものがあるのかもしれない。
そうなると「ああ、あのつまり方の原稿じゃじゃないとダメなんですよぉ、触られるとこまるなぁ」
かもしれない。
ワタシは悩んだ。
晩ご飯の時に日本酒の絞りたてを飲んで「うまーっ」と舌鼓を打つくらいに悩んだ。
で、
結果、
とりあえず一度、
最近の誌面上のパズルと同じ感じに開けてみました。
どうでしょうか?
もし、余計なことでしたらば、
締め切りまでまだ一日あるので、
前回までの感じに戻しますので言ってくだされ。
え?
長々とこんなにメールを打っているヒマがあったら未だ終わっていないイラストを描きなさい?
はーい。
では。
○「ラッキー!」イラスト--スミ (11/16日 ヤマト便送り)
○「クロスワードOn!」イラスト--スミ (11/16日 ヤマト便送り)
○「コンビニーヒーローパズル」--スミ (11/19 データ送り)
○「スーパークロスワード」イラスト--スミ (11/24日 ヤマト便送り)
○「スパクロ ネコパズル」-- スミ (11/26 データ送り)
●「コンビニ限定クロスワード」イラスト--未 (11/30日 ヤマト便送り予定)
●「はっぴい アロー&スケルトン」イラスト--未 (11/30日 ヤマト便送り予定)
———
佐野 元 (Hajime Sano)
2014.11/26
From KOBE City
--------------------------------------
こんなメールでした。
すると、
しばらくして、
このような返事がきました。
-------------------------------------
爆笑!
おもしろすぎ。
このままブログにアップしてください(笑)。
引き続き、よろしくお願いいたします。
*****************
株式会社マガジン・マガジン
吉▲ ▲▲
(▲▲ YOSHI▲)
▲▲▲▲@▲▲▲▲▲.co.jp
*****************
--------------------------------------
だから、
こうやって、
ブログに載せることにしたのです。
あ、
いつもいつも、そして、誰でも彼でも、
仕事関係にこんなメール送ってる訳ではないからねー。
「吉▲どの」という呼び方は昔から時々、
吉▲さんとメールでやりとりする時にお互い使う呼び方でね。
心配なくね。
そんなこんなです。
2014年11 月27日 23:11 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
「まちがいさがしメイト」誌の仕事完了。
まずは、
「なごむ亭元楽」名義のペンギンイラストパズル。
そして、
チュンチュンの間違い探しも完了。
パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、
そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く、
を今回も。
「ミキサー」<作り話>
彼女と暮らして2年半になる。
友人がやっているブックカフェに入り浸っているうちに、
そこへ土曜日の夕方に必ずやってくる彼女と知り合った。
つきあい始めて3ヶ月くらいしてから、
彼女は少ない荷物を持って僕の部屋に移ってきた。
彼女の荷物は衣装ケース4個分の洋服と幾つかの化粧品と、
僕の嫌いな村上春樹の単行本が詰まった段ボール箱と、
がっしりとしたミキサーが1つだった。
彼女はそのミキサーで毎日朝と夜にジュースを作った。
どんな日でも彼女はちゃんとジュースを作った。
いろんな野菜や果物を組み合わせて、
いろんなバリエーションのジュースを作り、
そして、僕は毎日それを飲んだ。
僕はいわゆる「フリーのライター」をしている。
そう言うと何だか格好はいいが、
もともと働いていた小さな代理店が倒産をして、
その会社が中堅の代理店から孫受けとして受注していた仕事を、
そのまま担当の僕が成り行きで引き受けて始めたにすぎない。
仕事の時間は不規則で生活もすぐに乱れがちになる。
おまけに、
フリーになってすぐに受注先の担当者が代わり、
彼とは馬が合わずストレスがたまり体調も不安定になり、
不規則な暮らしと合わさって一時期は気力を失っていた。
決まった仕事以外には何もする気が起きない時期が来て、
その頃に友達が部屋の近くでブックカフェをオーブンしたので、
時間があると店でぼんやりと過ごすようになった。
そしてそこで彼女と出会って、
一緒に暮らすことになり、
僕は毎日彼女の手作りのジュースを飲むようになった。
1年ぐらいで効果が現れた。
体調が少しづつ良くなったのだ。
体調が良くなると不思議なもので気力も少し上向きになってくる。
僕は馬の合わない担当者をなんとか上手にやり過ごしながらも、
テキパキと仕事をこなし空いた時間を彼女と楽しく過ごした。
2年目になるとますます体調は良くなり、
おまけに受注先の馬の合わない担当者が辞めて、
ちゃんと話しの通じる担当者に替わりストレスが無くなった。
そして、3年目の今、
少し仕事の幅を広げてみようと思い始めている。
今までの受注先の仕事以外の文筆の仕事も、
何かやってみたいなぁという意気が少し出始めている。
それがすぐに仕事に繋がるかは解らないが、
今、昔よく一緒に仕事をしたデザイナーに依頼をして、
自分のウェブサイトを作ってもらっている。
僕は彼女に聴いたことがある。
どうして僕と付き合う気になったのか?
なぜなら、あの頃の僕はかなりどんよりとしていた筈で、
何か魅力があったとは思えないからだ。
彼女は笑って、
「だって、死にそうな顔していて放っておけなかったんだもん」
と言った。
彼女は化学薬品の会社に勤めている。
文系の僕は聴いてもさっぱり解らないが、
毎日何かを分離して1つの物質を取り出しているんだという。
そして、
「会社で分離しているから、家では混ぜるの」
と言ってニコニコしながら今日も、
彼女はミキサーのスイッチを押す。
もうすぐ彼女が帰ってくる。
そんなこんなです。
2014年11 月25日 20:17 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
「スーパークロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「白くて美しいだけじゃないけど! 冬の香りをたっぷりと…」
↓
編集部からのお題は、
「厳しい連想ゲームを乗り切れ スリーヒントで勝負だ!」
↓
編集部からのお題は、
「体にいい習慣で 今年も元気に!」
↓
編集部からのお題は、
「厳しい寒さもガマンして!? 美しい日本の冬景色」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
さて、例によって、
パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、
そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。
「スリーヒント」<小芝居>
司会者「さぁ! 次の問題はスリーヒントクイズです。いいですか? 回答者の曽田峰さん」
曽田峰「はい。お願いします」
司会者「まずは一発で正解しますと、30点を獲得。ではいきますよ。曽田峰さんへの、スリーヒーントクイーズ、ファーストトライ!」
♪ダ ダ ダッ♪
司会者「シカ・観覧車・屋台、さあ、何でしょう?!」
チッチッチッチッチッチッチッチッチッチッ
♪ジャララン♪
司会者「ではっ、曽田峰さん!」
曽田峰「うーーん、えーっ、んー、遊園地…?」
ブーーッ!
司会者「あーっ残念でした曽田峰さん! しかしまだまだ大丈夫。次の解答チャンスで正解ならば15点を獲得。充分トップの島渡さんを逆転できます。頑張ってください曽田峰さん」
曽田峰「はい。がんばります」
司会者「では、曽田峰さんへの2回目のチャンス、スリーヒーントクイーズ、セカンドトライ!」
♪ダ ダ ダッ♪
司会者「シカ・観覧車・屋台、さあ、何でしょう?!」
チッチッチッチッチッチッチッチッチッチッ
♪ジャララン♪
司会者「どうぞっ、曽田峰さん!」
曽田峰「んー、あーっ…、奈良の公園…」
ブーーッ!
司会者「うーん曽田峰さん。残念〜。しかし、曽田峰さん、まだ最後のチャンスが残ってます。3回目で正解されますと2点獲得。トップの島渡さんとは1点差ですから、ここで正解が出ますと僅差で曽田峰さんがトップです。いよいよ最後のチャンスですよ。あきらめないで曽田峰さん」
曽田峰「はい。わかりました、よしっ!」
司会者「気合いが入ったところで、いよいよ曽田峰さん最後のチャンス、スリーヒーントクイーズ、ラーストトラーイ!」
♪ダ ダ ダッ♪
司会者「シカ・観覧車・屋台、さあ、何でしょう?!」
チッチッチッチッチッチッチッチッチッチッ
♪ジャララン♪
司会者「さあっ、曽田峰さん!」
曽田峰「えーっと、うろうろ…くるくる…あつあつ…えーっうーーー、…わかりません!」
♪ポワッポワッポワッポワッポワ〜〜〜ン♪
司会者「あーー、曽田峰さん! ざんねーん。逆転ならずー。いやいやぁ、どうでしたか?曽田峰さん」
曽田峰「うーーん、難しかったですっ」
司会者「そうでしたかぁ」
曽田峰「はい〜」
司会者「では、正解をお教えしましょうか?」
曽田峰「はい」
司会者「"シカ・観覧車・屋台、さあ、何でしょう"、の答えは」
曽田峰「はい」
司会者「しりとりです!!」
曽田峰「…は?」
司会者「しか、かんらんしや、やたい」
曽田峰「へ?」
司会者「ほら、しりとり! いやいやいやぁ! ざんねーん」
曽田峰「はぁぁぁ〜?」
そんなこんなです。
2014年11 月23日 23:09 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [面白] エンタテーメンタル・ジャーニー | 個別ページ
「ラッキー! クロスワード」誌の、
ヒーローパズル完了。
さて、
パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、
そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く、
のだけれど、醤油かラップか、かぁ。
「醤油」<あれこれつらつらと>
醤油は最近いいものを買うようになった。
別に贅沢したいとかリッチなキモチだとか、
そういうのではなく。
健康的なことも考えできるだけ自然な作り方のものを、
と思ったり、
日本人だからできるだけ「蔵で作った醤油」を使いたいというような、
ほんの軽い日本人的ココロを思ったり。
当然、そういった醤油はちょっと高いけど。
「醤油は毎日、ビンをパカッと開けてグビグビッと一本飲みきりまっすす!!」
なんてクハーッと大量に飲むものでもないので、
逆に、ちょっとづつだけれど毎日使うものなので、
そこくらい多少品質的に高いものでもいいのではと。
もちろん、
「収入はそんなに余裕ないし子供もいて結構大量に使うし」
という人に「無理してでもぜったい使いなさい」と強制はできないし、
まぁ、それぞれがそれぞれのスタンスで仕方ないんじゃぁないかと。
そして、それより、
何を使おうと、基本的には、
「おいしく楽しく食べる」が絶対ええんやけどね。
つらい顔やこわい顔しながら、
「高級蔵出し天然手作り醤油」を使って食べていてもねぇ。
ああ、つらいこわい。
それはそれでねぇ。
醤油というと、
ずっと以前に、
「海外から帰って日本の空港に着くと、うっすら醤油の匂いがする」
という話を聴いたことがある。
ほんまなんやろか?
僕は今まで海外に行ったことが無いので、
今度、行ったときは、意識して、
かえってきたらクンクンしてみよう。
それはそうと、
もう20年以上前になるか、
「ショーユ顔 ソース顔」という言い方が流行った頃があった。
男性の顔が、
「日本人っぽい顔」か「ちょっと西洋風な今風な顔か」という、
いかにもマスコミさんが好きそうな分類だったのだけど、
最近はぜんぜん言わへんなぁ。
で、テレビを観てみると、
まぁ、やっぱり日本人は基本的に日本人で、
(当たり前だ)
ちょっと西洋風な顔した人もたまにいるけど、
ほとんどが笑っちゃうくらいに日本人的な顔やんなー。
むしろ、今は、
「ショーユ顔」の方が前に出てきているんじゃないかなぁ?
目玉焼きを食べるのに、
まず「醤油か? 塩か? それともソースか? はたまた他のものか?」
というのがある。
そして、
「醤油で食べる」となった時に、
さて、では、どうやって食べるのか?
ということになる。
○オレはまずざーっと全体に醤油をかけてから何も考えず全体をザクザクッと食べるで男やけん。
○いや、僕は黄身の周辺に醤油をターッとかけて、スプーンで黄身に割れ目を入れて醤油と黄身を混ぜて、それを白身の上にちょっと広げて全体に味をつけながら食べますねぇぇ。
○えーっ、私は黄身に穴を開けて中に醤油を入れて黄身は黄身で食べて、それとは別に白身は白身で醤油で食べるぅぅ。
なんていろいろとある。
このあたりは、
こだわる人はやはりこだわって譲らない。
が、
そういうコトなんかどうでもいい人にとっては、
「しょぉゆうこと、どぉーでもええーやんかぁぁぁ」
なコトだったりするのだなー。
そんなこんなです。
2014年11 月21日 19:09 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
作業をしながらラジオを聴いていたら、
途中からラジオショッピングの時間になって、
英会話教材の通信販売が始まった。
その中で、
「マンハッタンは実際に耳で聴いてみると、
"マンハッッン"とTの音が消えて聞こえるんですよね。
こういうのは、文字で見て勉強してもダメなんです。
実際に耳で聞いて学ばないとダメなんです」
なんてことを言っていた。
で、思った。
なるほどー、Tの音が消えるのかー。
「マンハッタン」は、
マンハッッンなのかー。
あっ、そういえば、
日本語でも、
(もしかしたら関西だけ?)
似たようなコトがあるなーと。
「やまもとさん(山本さん)」が、
↓
やまもっさん。
「はしもとさん(橋本さん)」が、
↓
はしもっさん。
「もりもとさん(森本さん)」が、
↓
もりもっさん。
「いわもとさん(岩本さん)」が、
↓
いわもっさん。
おー、
見事にTの音が消えるなー。
そんなことを思いながら、
ニヘヘヘと作業していたりした。
最近買った雑誌二冊。
まず、
1号限りの復刊で出ている「FMレコパル」。
昔人気のあった、
「FMラジオ番組とオーディオと音楽」の雑誌だった。
FMの番組表がついていて、
録音メディアとしてまだカセットテープが主流だったころ、
お目当ての曲をエアチェックして録音をする為にたまに買って、
番組表を見て色鉛筆やマーカーでシルシをつけたりしていた。
あと、この写真のように表紙にもなっていた、
「マルディロ」というイラストレーターの絵の、
オリジナルカセットレーベルがついていて、
たまに使ったりした。
絵の裏になる曲のタイトルやミュージシャンなどのリスト蘭は、
自分で手書きしてたもんなー。
それから、
時々興味を引かれる特集があって、
たまに買う「PEN」
これは買ったばかりで、
まだパラパラとしか見ていないのだけど。
雑誌は好きなんやけどな〜。
でも、あまり買わなくなっているのも事実やねんなぁ。
それから、
ここ最近行った美術展。
10月終わり頃に、
「川西英 回顧展」神戸市立小磯記念美術館へ。
今年の春にも「デザイン・クリエイティブ・センター神戸」で、
作品「神戸百景」を中心にした小さな展覧会があって行ったが、
今回のはもう少し川西英さんの作家業の全体を見る規模のもの。
昭和の神戸を版画で描いた川西英さん。
三宮のセンター街にステンドグラスになった絵があったり、
美術館に行くとポストカードが売っていたり。
神戸風月堂のゴーフルのミニ缶の絵は、
息子の川西祐三郎さんの作だったり。
そして、先週は京都文化博物館へ。
「野口久光 シネマグラフィックス 〜魅惑のヨーロッパ映画ポスター展〜」。
この展覧会まで知らなかったのだけれど、
野口久光さんは、
昭和の時代に洋画のポスターを手描きで描いてきた方。
「望郷」とか「禁じられた遊び」とか「大人はわかってくれない」「第三の男」とか「旅情」とか、僕などももちろんリアルタイムでは観ていないが(どちらかと言えば、僕の親の世代かな?)、一度はタイトルを耳にしたことのある様な、有名な映画のポスターを描いていたらしい。
「ああ、上手いなぁ上手いなぁ」、
とつぶやきながら観て回った。
それに、
ポスターの中の手書きの字がまたいい。
タイトルからキャッチコピーや出演者・監督までが、
全部手書き。ポスター内の何もかもが手書き手書き。
パソコンでどんな文字でも美しく印字出来るようになった今、
手書きの文字は逆に思いっ切り素晴らしいオーラを放って感じる。
いいなぁぁ。
ちょっと「ヒント」やなぁぁ。
さぁ、
12月アタマまで、
パズル誌イラストの締め切りが続くので忙しくなる。
寒くもなってきたし、
うりゃっ、と行こう。
そんなこんなです。
2014年11 月19日 20:20 カテゴリー: ■ [緩緩] なんてことはない日々, ■ [近頃] 今の様子 | 個別ページ
「ラッキー! クロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「寄る年波には勝てません ふとした拍子にトシを感じる…」
↓
編集部からのお題は、
「子守り姿が似合う男性!? イクメン急増中♪」
↓
編集部からのお題は、
「まさに時間の無駄遣い… そんなことして何になる?」
↓
それから、
「クロスワードOn!」誌のイラストも完了。
編集部からのお題は、
「心も体も癒やされる 冬はやっぱり温泉」
↓
編集部からのお題は、
「ブルブルブル 寒いわけじゃありません!?」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
さて、例によって、
パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、
そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。
「そんなことして何になる?」<小芝居>
花田部「なんでそんなことするんです? そんなことして何になりますん?」
延山「へっ?」
花田部「そやないですか? それで何がどうなりますの? ぜったいおかしいですやん。何の意味がありますのん? それでどうしますの? お金になりますの? みんながしていることですの? 僕のまわりの人は普通ダレもそんなんしてませんし、例えばうちの子供がそんなんしたい言うたら絶対に反対しますわ。ニヒヒヒ〜」
延山「ふうん、花田部。そぉおおおなんやぁぁぁ」
花田部「なんですの、延山さん、その反応は」
延山「はなたべー、キミは、"そんなことして何になる"というようなコトを、全く何の疑いも無く言えるほど、ここまでの、そこそこ長い人生を、浅ーく暮らしてきた人間やってんなぁー」
花田部「ななな、なんですか」
延山「はなたべー、そういう意味ではほんとに幸せなやっちゃなー」
花田部「どどど、どういう意味ですか。僕は僕なりに苦労してきたつもりですけどねぇぇ。それに、子供も居ない延山さんに何がわかるんですか?! 解るはずないやないですか!」
延山「そうかぁぁ。じゃあ、つまりはー、キミの子供は苦労のかたまりのような子やってんなぁぁ。不憫な子やなぁぁ」
花田部「だだだ、ダレもそんなんゆうてませんやん。僕の子供は、結構幸せやと思いますけれどね!」
延山「じゃぁ、やっぱり幸せなんやないかー。よかったやないかー」
花田部「はぁぁぁ? ゆうてる意味がよくわかりませんわ」
延山「あんなぁぁ、はなたべ。キミはこのヨノナカが、”それをして何かになる”ことだけで成り立っていると、本気で思っているんかぁ? ここまで生きてきて、”それをしてちゃんと何かになる”と思ってた事がのちに無くなってしまったりする事があるのを見てこなかったんかぁー? “そんなことしていったい何になるのか?”とゆう事がのちにとても意味のある事になる時もあるのを感じてこなかったんかぁー? 」
花田部「いや、何もそんな深いこと言うてませんやんー別にぃ。ちょっと言うたコトでそこまで言われたら、何も言えませんやん!」
延山「ほう、ということは、意味のないことを、何も考えずにちょっとゆうてみたと。ふーん、しかし、それ…」
花田部「なんですかぁ、ゆうてくださいよ!」
延山「そんなことして何になる?」
花田部「いいじゃないですか! 僕がどうしようと放っておいてくださいよ!」
延山「なっ? 、そぉぉぉぉやろぁ〜?」
花田部「……! あーーーっ!! ……」
延山「あっはっはっはっは」
花田部「……(カァッ!)」
延山「わかった?」
花田部「……(イライライラ)」
延山「はっはっはっは」
花田部「(ダッ、タタタタタタ、くるっ)」
------花田部、走ってその場から少し離れて停まって、振り返り大きな声で------
花田部「そういうところがイヤなんですわー!! なんか、なんでも楽しげやないですかー! そういうのがイラッとしますわー!!」
延山「…、うん」
花田部「ハァハァハァ、何ですか!」
延山「そう! 最初っからそう言うたらええやないか。それやのに、ええとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、どうなるとかこうなるとか、そういう形で言うからややこしいんや。自分が出来ないことを楽しげにやったりしたりするのを見てると、個人的にちょっと心が嫉妬したりイラッとするんやろ? ただ単に個人的にオレのことがイヤなんやろ?」
花田部「いや、別に…」
延山「せやから、イヤな思いさせたくないから消えるわな。どろろん」
------延山、煙とともに消える------
花田部「えっ、ちょっと待ってくださいよ。消えんといてくださいよ、ひとりにせんといてくださいよ! 寂しいですやん! ただ、かまって欲しくてアレコレ言うてるだけですやん!」
------延山、煙とともに現れる------
延山「どろろん。そうやろー? そういうことやろー? 人に甘えてるんやろー? ちゃんとそれくらい、自分で認識して素直にちゃんと表現しときぃなぁぁ。それやったらそれでええねんからぁー」
花田部「…」
延山「あっはっはっは」
花田部「……やっぱり、イラッとしますわ」
延山「どろろん」
------延山、再び、煙とともに消える------
花田部「…もぉぉぉ! そんなことして何になりますのんやーーーっ!」
-----暗転------
そんなこんなです。
2014年11 月17日 11:18 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
最近、
そう、だいたいここ1年〜2年くらい前から、
特にここ1年弱はめっきりとって感じかな、
カップ麺がダメになった。
昔(と言っても数年前まで)は、
平気で食べていたのに、
最近、なんだか、
「薬品っぽいにおい」というか「化学製品なにおい」というか、
そういうのが最初にツンと鼻にきて、
食べるのを受けつけなくなってしまった。
昔さんざん食べた同じカップ麺でもダメなのだ。
でも、ごくたまに、
やっぱり昔「仲良し」だったカップ麺のことが心残りで、
なんとなく買ってみたくなって、
食べたことの無い製品のものを買って食べてみるけど、
1.2回平気だったモノもあったけれど、
たいてい、同じ感じで、
最後まで全部食べられない。
どういうことなのか?
さんざん食べてきたので体が、
「もう、アナタはコレ以上こういうのを食べたら体にダメ!」
と教えてくれているのか?
それとも、
カップ麺に主に使われている添加物の種類か製品かが、
一般人の知らないうちに変わって、
それが僕の体に個人的に合わないものなのか?
それとも、
最近食べ物に気を遣っていて、
出来るだけ野菜や果物を食べたり海産物を食べたりしているうちに、
体がピュアになってきたのか?
タバコも2年ちょい吸っていないし。
それとも、
何かがあーしてこーして…。
とにかく、
残念ではあるけれど、
まぁ、「カップ麺がダメになった」というのは、
めちゃくちゃ「悪いこと」でもないか、と。
新鮮な野菜がダメになったとか、
安全なお米がダメになったとか、
そういうことでは無いので、
まぁ、いいとするかぁぁぁぁ。
これ以上はもう考えずに大丈夫なものだけを食べておこう。
そんなこんなです。
2014年11 月10日 21:15 カテゴリー: ■ [緩緩] なんてことはない日々 | 個別ページ
普段から、
仕事以外のことでも、
色々な事をこちょこちょとやっているけれど、
ちょっと前から進めているのが、
かつて読んだり見たりした書籍の読み直しだ。
夏ごろから、
昔読んだ村上春樹さんの小説とか、
スヌーピーのピーナッツブックスとかを読み直したけれど、
今度は、
自分の本棚の一番下の段の一番隅ッコに注目している。
そこには、
随分と前に行った展覧会で買った図録や、
随分と昔に買った画集などが置いてある。
今まで手元に置いていたという事はつまり、
その当時とても印象的なものだったりしたものだ。
これまで経験した「阪神淡路大震災後の整理」とか「引っ越し」とか、
そういう出来事があっても捨てずにいた本たちだ。
だけど、
ここ数年、いや、十数年や何十年、
一度もページを開いてさえいないものが結構ある。
そういう本を、
ちょっと見たり読んだりしたいと思っている。
別に、
「あー、懐かしいですなぁぁ、思い出ですなぁぁ」
なんて気分に浸りたい訳ではなくて、
前に興味を持ったものにかなり時間をおいて触れてみて、
結果、当時思ったことと違うことをもし感じられたのなら、
いいかなぁと。
そして、
感じられるものがもしあったら、
それを現在のいろんなことに今の感覚で還元したりしたいなぁ、
なんて思ったりして。
つまりは、「温故知新」と言ってもいいのかな?
それにそもそも、
こんなに長い間読んだり見たりしていなければ、
中身をすっかり忘れていたりするものもあって、
「新しく買って読む本」とほぼ同じであったりもして、
ストンとストレートに何かのヒントのようなものや刺激が、
あるかもしれない。
むしろ、
「すでに読んでしまったからこれは解っている」と、
勝手にずれたところで思い込んでいることもあるだろうから、
「あっ、こんなところに今にぴったりな感じがあったんだ」
という意外な「感覚の取り込み」との出会いがあればなぁと。
で、そのコーナーの隅ッコから、
1986年と87年に観にいった展覧会の図録を3冊ひっぱりだして、
ちょっとパラパラと眺めてみた。
僕は、
大学を卒業して一度就職をしたあとに、
どうしても自分のやりたいことをしたくなって1年半で退職して、
場所も内容も名前どおりの「大阪デザイナー専門学校」に2年通った。
その専門学校に行った期間が丁度1986年から88年アタマなので、
その時期に観た美術展になる。
どれも梅田の百貨店で行われた展覧会だから、
同じ梅田にある学校の帰りに行ったのではなかったか。
当時、お金をそんなに使えなかったので、
充実した美術展に行っていい感じの図録が売っていても、
泣く泣く買わずに帰ることもよくあった。
それを思うと貴重な三冊だ。
まずは、
「イエルク・ミュラーの描く うつりゆく街展」。
1986年8月から9月までの間に行っている。
開催場所は大丸梅田店の中にある大丸ミュージアム。
大丸梅田店は大阪駅のターミナルビルにある。
(当時そのビルは「アクティ大阪」と呼ばれていて、
今は「サウスゲートビルディング」という名称になった)
開くと、
図録の間に新聞の切り抜きも挟んであった。
この展は、
スイス生まれの絵本作家イエルク・ミュラーの、
展覧会だった。
メインはミュラーの描いた「うつりゆく街」と「変わりゆく農村」の連作。
それ以外に同じ様なテーマで描いた彼の絵本の原画もあったのだけど、
展の中心に据えられていたのはその2つの組絵。
まず「うつりゆく街」の組絵は、
趣のある美しかった街がどんどんと近代化されて無機質になっていく様子を定点観察で描いている。
1953年から1976年まで時代を追っていく設定で、
それを8枚の横長の絵にしている。
そのうちの3見開きを。
そして、
「変わりゆく農村」の組絵も同じように、
村が近代化していく様子。
穏やかな情景が次第に無機質な感じになっていく様子は、
なんだか身につまされるようだ。
僕らの身の周りでもかつて起こった、
趣のあった街の情景がどんどん無くなっていったのと同じだ。
それに、
この作者がこれを描いたのが1978年。
僕が展覧会でこれを見たのが1986年で、
その時「そう、今、まさにこんな感じになっちゃったなー」と思ったが、
それからさらに28年。
そこで終わりじゃなかった。
街はさらに変わっていって、
例えばその専門学校時代に行き来しウロウロした大阪駅周辺も、
当時から充分に大きな都市だったが、
あれからさらに開発が進んでビルはさらに高くなりツルンとして、
その数もニョキニョキと増えて、そのエリアも広がった。
「どこまでいくの?
ほんとにそろそろええ加減にしといた方がええんとちゃうん?」
なんて思う。
そういうことを思ったり考えたりするきっかけには、
この絵はいいかもしれない。
また展覧会をするとか、
ちゃんとした書籍にするとかすると、
いいんじゃないかなぁ、
と思ったりする。
本棚の隅ッコからピックアップした図録の2つめは、
「ボテロ展」。
1986年10月の開催でこちらも大丸ミュージアム。
ボテロの絵は一見ちゃんとした絵のようでいて、
しかし、描いている人物が全て、
ぽっちゃり。
特に「太った人」を注目して描いているという訳ではなく、
とにかく出てくる何もかもが、
ぽっちゃり。
みんなぽっちゃり。
そういう表現方法なのだぽっちゃり。
馬も木もぽっちゃり。
楽器もぽっちゃり。
ダンスもぽっちゃり。
とにかくぽっちゃり。
天使もぽっちゃり。
あとボテロは、
絵だけでなく彫刻もやっているのだが、
もちろん、
ぽっちゃり。
あくまでぽっちゃり。
去年の春に、
友人Nと広島まで美術展を観に行った時、
会場の広島現代美術館の敷地の中に、
常設のボテロの彫刻を見つけた。
おっボテロ、と思った。
ひと目で解る。そこがこの人のオリジナリティ。
おまけに、
実物はなんだかカワイイ。
「ボテロ」は、
日本では一般的には、
今だにそんなに知られていないみたいだけれど、
この「キャラクター」的なぽっちゃり加減は、
お金をかけて「表面的でありがちな一般的メディア宣伝」をしたら、
結構、注目されて受けるかもしれないと思ったりする。
けれど、
それはそれで「なんだかなぁ」とも思うから、
ひっそりとでいいから、
またどこかで展覧会をしてほしい。
最近これまたありがちな、
「長蛇の列で長時間待ちで会場に入ってもギューギューあっつっつ」
なんて展覧会になったりせずに、
スッキリと気持ちよくゆっくりと直接また観てみたいなぁ。
(沢山観客が入ってくれないと美術展という環境全体が、
成り立たなくなるのは、もちろん重々承知なんだけどね)
本棚の隅ッコから取り出した3つ目の図録は、
「エッシャー展」。
これは阪神百貨店で1987年の4月にあった。
そうかー、当時は阪神百貨店でも展覧会をしてたなー。
バブル景気のピークに向かってまっしぐに登っていた頃だから、
百貨店はもうキラキラの輝きが真っ盛りの頃やなぁ。
いわゆる、「たまし絵」で有名なエッシャー。
上かと思えば下、下かと思えば上。
外かと思えば中、中かと思えば外。
「いや〜ん、あら〜ん、どうなっちゃってるのぉ〜ん?」
な、そういうテクニカルな画、
だとか。
ああ、クラクラする。
それから、
生き物がモザイク模様の様に、
地と図で反転されつつ繋がり繰り返されていく、
「いや〜ん、じっと見てたら何が何か解らなくなる〜ん」な画、
だとか。
そして、
その模様として地と図で組み合わさった生き物たちが、
次第にウネウネと変態していく、
「いや〜ん、見てたらなんだか、フラフラする〜ん」な画、
だとか。
エッシャーは久しぶりに今回じっくり観たが、
やっぱり、
絶対にこの人は「変わった人」だ。
間違いない。
ぜったいオカシイよぉー、
この人ぉぉ。
しかし一方で、
かつ、
かなりアタマが良くないとこういうものは描けないだろなぁ。
それにしても、
改めて観ていると、
なんだか随分と新鮮で今っぽい。
特に生き物のパターンはデザイン的でシュッとしている。
いわゆる、当時はなかった表現の「クール」な感じ。
絵が持つ謎めいたところも、今、気にかけられそうな感触だ。
最近の美術展の傾向は、
「しばらく注目が下がっていた人に再注目する」
ということも多い気がするのだけれど、
エッシャーなんてのは丁度そんな感じで今ピッタリかもしれない、
なんてことを思ったりする。
今年、明石市立文化博物館で小さな展覧会があったらしいけど、
好評だったみたいだ。
もっと大きなところでドーンとやってもきっと、
もっと沢山入る気がするなぁ。
もし開催されたら、
長ーい行列や長時間待ちや館内でのギューギューはいやだから、
その時は、出来るだけ平日の天気の悪い日を狙って行こう。
以上、
本棚の隅ッコから、
すくい取って久しぶりに見てアレコレ思った、
図録三冊でした。
これで、見たり思ったりした感覚が少し頭の中に入ったので、
何かまたじんわりと暖められて、
それが自分の中でちょっとでも何かの形になれば。
そんなこんなです。
2014年11 月 8日 21:40 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
NO.0812 神戸市灘区岩屋北町阪神岩屋駅
2014年11月4日
NO.0811 神戸市灘区岩屋北町阪神岩屋駅
2014年3月13日
NO.0810 神戸市灘区岩屋北町阪神岩屋駅
2014年11月4日
NO.0809 神戸市灘区岩屋中町敏馬(みぬめ)神社
2014年11月4日
NO.0808 神戸市灘区岩屋中町敏馬(みぬめ)神社
2014年11月4日
NO.0807 神戸市灘区岩屋中町敏馬(みぬめ)神社
2014年11月4日
NO.0806 神戸市灘区岩屋中町敏馬(みぬめ)神社
2014年11月4日
NO.0805 神戸市灘区岩屋中町敏馬(みぬめ)神社
2014年11月4日
NO.0804 神戸市灘区岩屋中町敏馬(みぬめ)神社
2014年11月4日
NO.0803 神戸市灘区岩屋中町敏馬(みぬめ)神社
2014年11月4日
NO.0802 神戸市灘区岩屋中町敏馬(みぬめ)神社
2014年11月4日
NO.0801 神戸市灘区岩屋中町
2014年3月11日
NO.0800 神戸市中央区脇浜海岸通109シネマズHAT神戸
2014年10月29日
NO.0799 神戸市中央区脇浜海岸通ヤマダ電気
2014年10月29日
NO.0798 神戸市中央区脇浜海岸通日本赤十字社兵庫県支部
2014年10月29日
NO.0797 神戸市中央区脇浜海岸通
2014年10月29日
NO.0796 神戸市中央区脇浜海岸通マリンステージ
2014年10月29日
NO.0795 神戸市中央区脇浜海岸通人と防災未来センター
2014年10月29日
NO.0794 神戸市中央区脇浜海岸通人と防災未来センター
2014年10月29日
NO.0793 神戸市中央区脇浜海岸通鎮魂のカリヨン時計塔
2014年10月29日
NO.0792 神戸市中央区脇浜海岸通人と防災未来センター
2014年10月29日
NO.0791 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年10月29日
NO.0790 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0789 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0788 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0787 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0786 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0785 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0784 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0783 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0782 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年3月11日
NO.0781 神戸市中央区脇浜海岸通兵庫県立美術館
2014年10月29日
NO.0780 神戸市中央区脇浜海岸通
2014年10月29日
NO.0779 神戸市中央区脇浜海岸通
2014年3月11日
NO.0778 神戸市中央区脇浜海岸通
2014年3月11日
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2014年11 月 5日 16:15 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景 | 個別ページ
NO.0777 神戸市灘区摩耶海岸通
2014年10月29日
NO.0776 神戸市灘区摩耶海岸通
2014年10月29日
NO.0775 神戸市灘区摩耶海岸通
2014年10月29日
NO.0774 神戸市灘区日出町西郷川河口公園
2014年10月29日
NO.0773 神戸市灘区日出町西郷川河口公園
2014年10月29日
NO.0772 神戸市灘区日出町西郷川河口公園
2014年10月29日
NO.0771 神戸市灘区日出町西郷川河口公園
2014年10月29日
NO.0770 神戸市灘区日出町西郷川河口公園
2014年10月29日
NO.0769 神戸市灘灘浜町
2014年10月29日
NO.0768 神戸市灘灘浜町
2014年10月29日
NO.0767 神戸市灘灘浜町
2014年10月29日
NO.0766 神戸市灘区深泥町〜岩屋南町岩屋交差点
2014年10月29日
NO.0765 神戸市灘区深泥町
2014年10月29日
NO.0764 神戸市灘区深泥町
2014年10月29日
NO.0763 神戸市灘区岩屋南町ナフコ
2014年10月29日
NO.0762 神戸市灘区岩屋南町ナフコ
2014年10月29日
NO.0761 神戸市灘区深泥町〜岩屋南町岩屋交差点
2014年10月29日
NO.0760 神戸市灘区都通西求女塚古墳
2014年10月29日
NO.0759 神戸市灘区都通西求女塚古墳
2014年10月29日
NO.0758 神戸市灘区都通西求女塚古墳
2014年10月29日
NO.0757 神戸市灘区都通西求女塚古墳
2014年10月29日
NO.0756 神戸市灘区都通西求女塚古墳
2014年10月29日
NO.0755 神戸市灘区都通
2014年10月29日
NO.0754 神戸市灘区都通阪神電車西灘駅
2014年10月29日
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2014年11 月 4日 10:05 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景 | 個別ページ
29日に、
タテパノラマを写すために、
「HAT神戸」に行ってきた。
「HAT神戸」は三宮などの中心部より少し東にある臨海都市だ。
阪神西灘駅で降りて浜手方面へ向かって歩いて、
トラックがバンバン行き交う交差点やランプを抜けて、
整備されている公園に出る。
すると、そこにあった一本の桜が、
季節はずれの花を咲かせていた。
(桜やんねぇ? ↓)
が、ここで、
「異常気象?!」なんて躍起になってはいけない。
毎年、秋になって一度冷えたあとに暖かい日が続くと、
勘違いして出てくるコがいるものだ。
定かではないが、そっちなのかもしれない。
| 春がきたーーーっ!! …あれ? /
|しまった…こりぁ、違うなぁ… \
| えっ? つられてつい出てしもたやんかぁぁ \
| おいおい、どうすんねんなー \
| あーあ、無駄に花を使ったでぇー\
| おーいうしろー、そっちは出んときやー! \
日の沈むのが早くなってきた。
29日はあっという間に夕方になったので、
少しだけ続きを写すために30日も「HAT神戸」に行ってきた。
前日よりももっと西寄りのあたりへ。
しかし、やはり昼をちょっと過ぎると、
太陽は西の空へかなりの角度で傾き、
日差しがすぐにオレンジがかった暖色系っぽくなって、
フラットな感じに写真を写すのにはあまりいい状況とはいえなくなる。
もう、冬の気配がきているなぁ。
と感じながら、
ふと見ると海面に光が反射してキラキラと光っている。
わざと逆光で海面を写してみる。
おお、綺麗やんかー、と。
これでも時間は2時45分くらいだ。
海を覗きこんでみると、
小魚がサーッと移動するのが水から透けて見える。
それを追ってゆく大きな魚も見える。
| 小魚やでー / | 小魚やでー / | 小魚やでー / | 小魚やでー /
| 小魚やでー / | 小魚やでー / | 小魚やでー / | 小魚やでー /
| 小魚やでー / | やかましぃー / | 小魚やでー/ | 小魚やでー /
| 小魚やでー / | 小魚やでー / | 小魚やでー / | やかましぃっちゅうねんー /
| 小魚やでー / | 小魚やでー / | 小魚やでー / | 小魚やでー /
この臨海都市「HAT神戸」の敷地は、
昔は川崎製鉄や神戸製鋼の大きな工場があった。
僕が子供の頃は電車の中から浜手に、
モクモクと煙を上げる工場の煙突が沢山見えていたものだ。
前にも書いたが、
僕の暮らした芦屋の浜手に沢山建っていた、
また、今でもつきあいのある友人のヨシナガも住んでいた、
「川崎製鉄の団地タイプの社宅群」は、
ここで働いている人たちの住む住宅だった。
この、工場が今は無くなって、
当然、もともとそこで働いていた人たちが住んでいた、
芦屋に多くあった「川崎製鉄の社宅群」も、
今は無くなってほとんどがマンションになった。
まぁ、あの昭和の時代を知っている人間には、
そのあたりの全てがちょっと寂しくもあるけれど、
その分、当時の海は汚かった。
ほんとに、ほんとに、ほんっとに汚かった、臭かった。
けれど今、
大きな工場が無くなって、水が綺麗になって、
こうやって魚が沢山泳いでいるということは、
まあ、それはそれでいいことなんやろなぁ。
と思う。
この日はほんのちょっとだけの散歩程度にして、
家に戻るために駅へ向かった。
阪神電車の「春日野道」駅。
この駅は地下にある私鉄駅で数年前に新しくなった。
が、かつては、
「ホームが素晴らしく狭くて怖い駅」だった。
当時そこには、
上り乗車下り乗車兼用の1本こっきりのホームしかなく、
島状態になったそれを挟んで両脇に線路が走っていた。
その上、そのホームがとても狭く、
おまけに、普通電車しか停まらない駅で、
次の「三宮駅」を出た特急や「三宮駅」へ向かう特急などが、
狭いホームの両側をビュンビュンと走る度に、
ドキドキビクビクとするというホームだった。
今では、
上りと下りのホームが別々になり、
スリリングな駅では無くなった。
が、
昔の「島のホーム」が今でも、
線路を挟んで真ん中に当時のまま残っているのだ。
ほら↓、
せっかくあるんだから入場料でもとって、
「体験・両脇電車ビュンビュン」でもやればいいのに。
と、そんな事をヒヒヒと思ったりする。
で、
たしか、昔、
学生の頃あたりに読んだいしいひさいちの4コママンガで、
ここのホームの狭さがネタにされていたような気がするよなぁ、
と思ったりする。
(いしいひさいちさんは、今は何処の在住なのか知らないけれど、
関西大学に在学し、神戸にも暮らしたことがあるらしい)
実は、ずっとそのマンガが気になっている。
もしかしたら、
学生時代、寮に下宿していた友人の部屋で読んだ、
コミックスの中の一冊だったのかもしれないなぁぁ。
どう? 違う? ある?
(ある友人Nに対する個人的メッセージです)
昨日の31日は、
「あっ、これは買っておこうと思ってずっと忘れていた」、
という画材を思い出して、
急遽三宮に買い出しに行ってきた。
「IROJITEN(いろじてん)」というシリーズの色鉛筆。
もう20年以上前に少しずつ集めて全90色が揃っているのだけれど、
その内の何色かがもう極端に短くなっている。
最近、たまに使ったりするようにしているので、
ちょっと気にしていた。
で、
友人がFaceBookだかに、
多色の色鉛筆の写真をあげているのを見て思い出して、
「あーっ、色鉛筆、短くなっているのをすぐに買っておこう、
何でも無くなっちゃうこの頃やから今のうちに買っておくべきやなぁ」
と思い立ち、
短くなった色鉛筆数本のストックを買う為にササッと行ってきた。
なのだけど、
三宮に出たかった理由がもう一つあった。
これまた少し前に、
古くからの知人がFaceBookやブログに、
有名な大阪発祥の「551の蓬莱の豚まん」のことを載せていて、
それを見ていると、
なんだかどうしても食べたくなってしまったのだ。
普段、
僕の場合、
蓬莱のお店を見かけることは結構ある。
よく使う阪急神戸三宮駅東口の改札の正面にあるし、
家族が住んでいる家へ向かう途中の西宮北口の構内にもある。
阪急の京都線や宝塚線を利用するときに乗り換える十三にもある。
そんな風に普通で日常的だから逆に、
スッと通り過ぎてしまう。
まぁ「また、そのうち買って食べたいな」くらいは思うが、
たいていは、さらっと風景として通り過ぎる。
しかし、ああやって、
「おいしいっ」って写真入りで見せられると、
なんかものすごく食べたくなってしまった。
そういう訳で、阪急神戸三宮駅東口の改札にある蓬莱で買って帰った。
実は、神戸には、
「一貫楼」(いっかんろう)というチェーンの豚まんのお店もある。
三宮ではJRと阪急の間のフラワーロードに面したガード下にある。
個人的には、ここの豚まんも、嫌いじゃない。
だから、ふと思い立って、
両方買って帰ることにした。
となると、
じゃぁさてさて、食べ比べだぁー、
ということになるのだけれど、
不思議なことに、
551を先に食べてから次に一貫楼を口にすると、
「551の方が美味しい」と感じたが、
今朝、
一貫楼を先に食べてから次に551を口にすると、
「一貫楼、美味しいじゃないか!」と感じた。
よく解らない。
(ガクッ)
どちらも美味しいということか?
「豚まんは1つにしておきなさいな」という事か?
まぁさておいて、実は、
神戸三宮には個人的にもうひとつ気になる豚まんがある。
「太平閣」というお店の豚まんだ。
交通センタービルから南へ交差点を渡って右に折れて、
パチンコ屋の間のセンター街へ向かう路地の途中にある。
昔はこの太平閣、
奥がちゃんとした料理店になっていて、
そこで中華料理を食べることも出来た。
しかし、今では、外で豚まんを販売しているだけの、
小さな豚まん専門店になってしまった。
ここの豚まんが、以前は「美味しい」と思っていた。
今はどうなのか?
また買って食べ比べをしてみたい。
「551」や「一貫楼」とも比較して。
が、一度に3個食べるのはさすがにもうヘビーだ。
だから、2種類ずつ買って食べ比べて、
総当たり戦にすればいいのか。
名付けて「神戸豚まんリーグ」。
「551 対 一貫楼」は済んだので、
あとは「551 対 太平閣」「一貫楼 対 太平閣」。
そして、そのあと2つに絞って決勝戦。
この秋から冬に向けて。
-------、
太りそうや…。
絵は、
いや、
彫刻でも詩でも文章でも、
「定型で作るモノ」では無い場合はみんな、
どこで、どの地点で、「おしまい」ということにするか、
それが難しい。
「いかにも未完成」というのでは納得いかない。
しかし、ある意味キリがない。
どこかで「抜く」が有効な時もあるし、
またやりすぎて良くなくなったりする時もある
↑このコも、
どの地点で「おしまい」ということにしようかと言うことが、
悩ましいところ。
まあ、でも、まだ、もおぉ、ちょい足りない、かな?
うん、ちょい、足りないなぁぁ。
で、
このコが終わったら次は、
このコたちだ。
てな訳で、
着々と秋は深まって、
冬がもうすぐそこまで。
11月半ばから12月あたまにかけては、
年末進行でアレコレ忙しくなる。
ので、それまでちょっとだけユックリしたら、
がんばろうか。
| まだまだ、まだらーっ /
そんなこんなです。
2014年11 月 1日 21:59 カテゴリー: ■ [緩緩] なんてことはない日々, ■ [近頃] 今の様子 | 個別ページ
10月16日の記事、
『キミは「カボチャ大王」を知っているか?』で、
中学の頃を中心に買っていたピーナッツブックス
(スヌーピーやチャーリーブラウンの出てくるコミックス)を、
もう一度読み直していることを書いた。
で、読んでいると、
「ルートビール」という飲み物のことがたまに出てくる。
スヌーピーのセリフに出てきたり、
スヌーピーとウッドストックが乾杯したりする。
たぶん、
これをよく読んでいた中学の頃は、
「お酒のビールの一種なんだろなぁ」、
と思っていたんじゃないかと思う。
しかし、
今、大人になってビールをアレコレ飲むようになっているが、
「あれ?、多分ルートビールって飲んだことないなぁ、どんなもの?」
と、今回読んでいて思った。
だから調べてみた。
単に僕が知らなかっただけで、
知っている人も多くいるのかもしれないが、
「ルートビール」(正確には「ルートビア」かな)
というのはアメリカで有名な炭酸飲料で、
「コーラ」とか「ドクターペッパー」とか、
あの手のちょいと薬っぽいアメリカーンな飲み物らしいと解った。
「サロンパスを飲んでいるみたい」と書いているものもあった。
さっそく、
出かけたときに通りかかった輸入食料品の店で探して、
すぐに見つかったので買ってみた。
ルートビールの銘柄としては有名であるらしいA&Wのもの。
なんか見たことあるなー、って感じ。
もしかしたら、
今までも輸入食料品店で見かけたかもしれない。
で、グラスに入れて飲んでみる。
うーん、たしかに、
サロンパスの味がする。
いや、サロンパスを食べたことは過去に一度も無いので、
「味がする」というのもヘンだが、
ほんとにそんな感じだ。
子供の頃、
風邪を引いた時に飲まされたシロップの味にも似ている。
だいたい、
「コーラ」にしても「ドクターペッパー」にしても、
アメリカーンな飲み物はだいたい、
薬系というか、クセがある。
僕はそもそも個人的には「漢方薬のような味」というものが、
好きだったりするので、悪くはないと思うが、
なんとなく日本人好みでない感じはわかる。
そういえば、
アメリカでは普通に売られて飲まれているという、
「ドクターペッパー」も、
いつまでたっても日本では、
あんまり人気が出ないみたいだ。
それを思えば、
コーラはよく日本に根付いたと思うなぁ。
どうやら、
戦後に日本を占領したアメリカのGHQが、
「日本にコカ・コーラの工場を6カ所作るよう指示した」
ということもあったらしいから、
それが普及の原因の1つとしてもあるのだろうけれど、
戦後のみんなの「新しい時代の盛り上がり」のタイミングにも、
そして、その当時の、
「もう、新しかったら何でもどうでもええがなー、のスイスイスイ」の気風にもきっとマッチしていたのかもしれないなぁ。
そういうような状況がなかったら、
コーラもどうだったんだろうなー、受け入れたかなー、
みんな小さい頃から飲んで慣れちゃったけど、
あれも実はクセがあるぞー、
と、
そんなことを思ったりする。
まぁ、さておき、
これで、"40年前に存在を読んだ「ルートビール」"が、
どういうものかを、
この目と口でようやく確認できた。
あとは、
お腹がどんな判断を下すかなーというところ。
あ、下さないでねー、か。
| そうだねー /
| そうよねー /
ところで今回の、
「持っているピーナッツコミックスをもう一度読み直してみる」
も、あと一冊で終わる。
今、
「スヌーピー」というと、
「ミッキーマウス」とか「ミッフィーちゃん」などと同じく、
「可愛いキャラクター商品として愛でる」が中心になっている。
けれど、
今回読み直してみて、
やっぱり、
そもそもの「ピーナッツコミックス」はなかなか奥が深い。
今読んでも、
いい。とても、いい。
今こそ読むべきじゃないかと、
ちょっと大げさに思う。
ので、
そのあたりを何も知らずに、
「スヌーピーのマンガ? ああ、子供向けのマンガやねぇ? ホホヘヘヒヒ」
なんて言ったりすると、
ちゃんと「ピーナッツコミックス」を読み込んでいる人には、
「本当はそう単純なのものでは無いんだけどな、ヤレヤレ!」とか、
「もう戦後も80年代も終わったのだがな、やれやれ。」とか、
と思われたりするので、
ご注意を。
Hee Hee Hee!
そんなこんなです。
2014年10 月30日 12:45 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ, ■ [緩緩] なんてことはない日々 | 個別ページ
「ナンクロDX」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「そろそろ出番かな? こたつ」
↓
編集部からのお題は、
「解きごこち 最高です!」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
「こたつ」<ぴったりな一発>
そう、ちょっと前から、
このパズル雑誌のイラストの紹介の記事の時は、
その下のこのスペースに、
イラストのタイトルなどからキーワードを1つ持ってきて、
それについて書くことにしている。
なので、
今回は、最初のイラストの「こたつ」にしようか。
というか、
どう見ても「こたつ」しかないなぁ。
こたつ、
こたつ、
んーと、
こたつねぇ。
えー、こたつ…。
うーん。
えーっ、
仕方がない。
思いつかないので、
奥の手を出しましょう。
よしっ、いくぞっ。
何故か、
こたつのコードを持っておどる少年っ!
| らんららんららーっ! /
おそまつでした。
そんなこんなです。
2014年10 月28日 10:30 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
以前ここにも書いたけれど、
夏の終わり頃以降、
子供時代から(正確には生まれる前からだな)の写真を、
ちょっとずつスキャンしてパソコンに取り込んでいた。
で、先日、ようやく全て終わった。
アナログのカメラで写した写真プリントは、
だいたい全て画像データにして保存した。
ほんとにタイヘンだったー。
その作業の途中で、
小学生の頃の写真を見ていると、
「阪神パーク」で写した写真がいくつかあって、
「ああ阪神パークって、子供の頃、大好きやったなぁー」
と思って見ていた。
もちろん、
ある年齢以上の関西人なら知っている人も多いと思うけれど、
「阪神パーク」は西宮の甲子園球場の近くにあった、
阪神電鉄がやっていた動物園やプールのある遊園地だった。
調べると、
戦前の初代「阪神パーク」はもっと浜手にあったらしい。
戦後、甲子園球場の側に移って、
高度成長期の頃を中心に阪神間で人気のあった、
家族向けのレジャーランドだった。
時代とともに影が薄くなって、
1997年には敷地の一部を住宅展示場に変えて入園無料になり、
2003年に完全に閉園してしまった。
そういえばその閉園のころは、
「宝塚ファミリーランド(〜2003)」や「近鉄あやめ池遊園地(〜2004)」など、
同じ時代に人気のあった関西の他の遊園地の閉園のニュースが続いて、
なんだか少し寂しい気持ちがした。
人気がピークだった時代とターゲット層は少し違うけれど、
「神戸ポートピアランド(〜2006」もそのちょっと後に無くなった。
さて、「阪神パーク」の話しに戻る。
最初、
小さな子供の頃は親が連れて行ってくれた。
そして、
ある程度大きくなると学校の友達と一緒に、
浜手の道路を芦屋から甲子園まで自転車で走って、
遊びに行った。
まず、「阪神パーク」には動物園があった。
そこには、当時有名だった「レオポン」がいた。
お父さんがヒョウでお母さんがライオンの雑種だ。
動物園が人工的に交配させて生まれた混血の動物だった。
檻の前に立って、
「ヒョウとライオンの合いの子やねんて〜」と親に言われて、
「へぇぇ」っと思いながら「レオポン」を見たりした。
今はもう倫理的にそういうことはできない。
だから、ある意味で、
やりたい放題だったあの頃のそういうことって、
考えようによれば貴重だったなーと思う。
それから、
「阪神パーク」にはいろんな遊具があった。
僕は特にカート系が好きで、
よく乗った。
また、ゲームコーナーにあった、
当たりの穴に入るとガムが出てくるパチンコ台が好きだったなぁ。
あと、
「阪神パーク」にはプールがあった。
友達と初めて子供だけで泳ぎに来たときは、
この大きな滑り台がドキドキしたものだ。
冬は冬で、
プールとは別の敷地だったと思うけれど、
リンクが設営されてアイススケートが出来た。
さらに、
毎年秋には「菊人形」が開催されていて、
その年のテーマに沿った時代物の菊人形絵巻が展示されていた。
こうやって改めて紹介してみると、
なんだかほんとにいろいろと楽しそうだ。
「なんで無くなっちゃったんだよー」と思わなくもないから不思議だ。
で。
今回の写真のスキャンの作業中、
いくつかの「阪神パーク」で写した写真を見ていたら、
ずいぶんと長く忘れていた記憶が、
急にふーっとよみがえってきた。
「あれっ…!? "阪神子供の会"っていうのがあったよなー。入ってたよなー」
と。
「阪神子供の会」。
そんな会があったことさえすっかり忘れていたし、
その細かいことも全く忘れた。
たしか、学校で勧誘があったのではなかったか?
今はどうか知らないが当時はそういう企業主催の勧誘みたいなものが、
学校内でも結構あった気がする。
そして、内容の細かいことも忘れたが、
ただ、つまりそれは、
その会員になれば、
甲子園球場のプロ野球・高校野球の観戦の特典と、
「阪神パーク」の入園の特典が得られる会というものだった。
それらが「割引」だったのか、何かが「無料」だったのか、
そういうことも綺麗さっぱり忘れたが、
とにかく入った。
うん、入った入った。親にお願いして入会した。
そして、自転車に乗って友達と阪神パークに行って、
使った使った。そうそう。
それで、プールに入ったりスケートをしたり、したした。
ずいぶんと長い間消えていた脳みその回路の一部に、
「ポッ」と再び火がともった気分だ。
僕は神戸市生まれではあるけれど、
3歳の時からずっと芦屋市で育った。
だから、間違いなく「芦屋の子供」であった。
けれど、前にも書いたことがあるけれど、
ここまで生きてきた中で、
まず「芦屋の子供」=「お金持ちの子」という、
外の世界で勝手にイメージづけされるのにウンザリしたし、
逆に、実際を知っている人が揶揄ぎみに口にする、
「あの人芦屋やゆうてるけど、芦屋ゆうてもいろいろやからなぁぁ」、
というイヤミな言い方にも常々ちょっと抵抗を持った。
そりゃまぁもちろん、
芦屋に住んでいた子供で、
そういったイメージにピッタリな子供たちもいただろう。
たとえば、
あの時代特有のものも含むけど、
●古くから長く芦屋に住んで、地主、漁師、土地持ち農家の流れをくむ人たち。
●明治以降、大阪の船場の商人が芦屋に持った本宅・別宅・海の家・別荘の流れをくんでその後も暮らしている人たち。
●昭和になって成金してから芦屋の山手に大きな家を買ってくらしている人たち。
●大企業の重役が購入した家とか、エリートコースの社員用の大きな一軒家の社宅に住んでいた人たち。
そういったところの子供は、
「芦屋の子供」と括られてもアイデンティティ的には別に問題ないだろう。
けれど、じゃあ、
あの昭和の後半を、
主に芦屋の浜手に暮らした、
●そこそこ古くから住んでいるが浜手の「小売りの小さな商店」をしてる人たち。
●昭和の半ばに「小さな分譲住宅」や「アパート」に引っ越してきた人たち。
●昭和の半ばに企業が建てた大きな団地式の「社宅」に引っ越してきた人たち。
の「そうお金もちでもない普通の家の子供」であった僕たちは、
どう思ったらしっくりとくるのだろう、
とそう考えていた。
例えば、
生まれたときからずっと神戸の三宮で育ったウチの祖母などは、
正真正銘「神戸の子供」だ。
その流れで同じく神戸で生まれたウチの母も、
10代のうちの数年は戦争のせいで疎開先の加古川で過ごしたけれど、
それ以外はずっと三宮周辺で、
さらっと「神戸の子供」といって差し支えないだろう。
では僕は?
と思った時に、
外からのああいったイメージのせいで
素直に「芦屋の子供」と言いたくない様な、
屈折した思いに常にモヤモヤとさせられてきたのだ。
結果、ふわふわとした根無し草みたいな、
「自分の置き所(つまりはアイデンティティ?)」の定まらないような、
そんな感じを持ち続けてきた。
だけど、
今回の「子供の頃のアルバム」を見て、
「阪神パーク」から「阪神子供の会」の流れで、
「すとん」と気持ちが着地した。
そうか、僕らは、
「阪神間の子供」だったんだなー、
と。
いや、今後、人にはっきりとそういう風に言う、とか、
別にそういうことではなくて、
あくまで自分の心の中だけの「納めどころ」の話だし、
それから、
今の芦屋の子供はまたちょっと状況が違うのだろうけれども、
あの時期に限定すると、
僕らは昭和の「阪神間の子供」だったんだな、と、
そう思うと、
なんだか納得がいったのだ。
そう思うと、
かなりスムーズに気分が納まることに気づいたのだ。
「阪神間」、
つまり大阪と神戸の間の尼崎市から芦屋市にかけての、
どちらかというと浜手の、
企業の社宅なども多かったエリアの、
とりわけ昭和の時代ではまだ下町の感じも多く残っていた地域。
そんな僕ら阪神間の子供の男の子の多くはきっと、
「阪神子供の会」に入って、
自転車を東西にガンガン走らせて、
工場の匂いや酒蔵の匂いや、
わずかに残っていた海の匂いを嗅いだりしながら、
阪神パークや甲子園球場や西宮えびす神社とかに行って遊んで、
自由な気風の昭和の阪神間の子供をしていたのだろうなぁ。
と、
そんな具合に、
今回の「写真のデータ保存」という面倒な作業を終えてみると、
その前には思いもせずにいた、
「長くひっかかっていたことに対する結論」みたいなものが、
結果的にひょいと出てきて何だか勝手に一人でスッキリと、
してしまったのだった。
なんでも面倒がらずにやりきってみるものであるなぁ。
そんなこんなです。
2014年10 月26日 16:53 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ, ◆ 過ぎ去ればすべて夢のようで | 個別ページ
僕がまだ少年の頃、
書店に行くと、
クルクルと回転する専用のスタンドに入れられて、
「ピーナツ・ブックス」が売っていた。
スヌーピーやチャーリーブラウンの出てくる、
チャールズ・M・シュルツさんの書いた、
あのシリーズの漫画だ。
中学生の時代に、
当時そのピーナッツ・ブックスを好きで何冊か買った。
(正確には最初の一冊目を買ったのは小学生の時かも知れないが)
日本語訳は詩人の谷川俊太郎さん。
今でもその時買った10冊ほどは持っていて、
(これはいつだって絶対に処分できない)
この間、トランクルームからそのうち4冊を取り出してきた。
ツル・コミックス社が出していたこの頃のものは、
ブックデザインがポップでシンプルでいい。
同じクラスだった「シノハラ」もこのピーナッツブックスが好きで、
お互い持っている何冊かを、
交換して貸しあいっこしたりしたのを覚えている。
少し読んでみた。
自分でどんどんネガティブに入り込んでいくのに、
時としてヘンに浮かれてそれがまた裏目になるチャーリー。
毛布があれば安心で冷静で頭が良く、
なのに「カボチャ大王」は必ずいると信じているライナス。
ある意味で「女性」というものを極端に現したような、
強気で沸点が低く、と思えば超現実的でありながら、
大好きな芸術家肌のシュレーダーにだけは弱いルーシー。
全ての人と物事に対して常にフラットで、全ての人に紳士で、
自由と誇りと博識と妄想を愛するスヌーピー。
他にもいろんな登場人物。
少年の頃に読むのとは違った、
かなり深い読み方が出来る漫画だったりする。
読んだ当時からこの漫画で印象的な、
良く出てくるフレーズが二つある。
1つは、
特にチャーリーがよくこの、
「 タメイキ 」を出していた。
(他の登場人物の場合も見つけたが)
今のものはどうか知らないけれど、
このツル・コミックス社版では、
漫画の横にオリジナルの英語の文章もつけあって、
この「 タメイキ 」のところには、
※ Sigh ※
とあった。
「そうかぁ、タメイキはSighなのかー」と、
中学生の僕は思ったりした。
もうひとつ頭に残ったフレーズは、
コレ。
これもチャーリーが多いのかな?
「ヤレヤレ!」。
普段、なかなか「ヤレヤレ」なんて言わない。
言いそうで言わない。
でも、「ヤレヤレ」は「ヤレヤレ」だ。
口にしなくても頭の中ではしょっちゅう「ヤレヤレ」だ。
横に書いている英語では、
Good grief!
となっている。
このピーナツ・ブックスに頻繁に出てくる「ヤレヤレ!」は、
僕にはなんだか印象的だったなぁ。
このピーナツ・ブックス以外にも、
僕が知っているもう1つ頻繁な「やれやれ」がある。
熱心な読者の間では有名らしいが、
初期の村上春樹さんの小説に何かといえば、
「やれやれ」という表現が出てくるのだ。
主人公の「僕」が、
いたたまれないような状況やあきれるような状況に立たされた時、
よく「やれやれ。」と思う。
つまり今、僕の中では、
「ピーナッツ・ブックス」と「初期の村上春樹小説」が、
二大「ヤレヤレ(やれやれ)」であったりする。
それにしても、
ピーナツ・ブックスの奥付の出版年を見ると、
1972年だったり、1974年だったり、1975年だったり。
え…? うう…、40年だって?…、
ヤレヤレ!
そんなこんなです。
2014年10 月16日 10:07 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
実は、
僕は、
幼稚園の頃、
「ヤマハ音楽教室」に通っていた。
もともと姉が家の近くにあったヤマハの教室に通っていて、
それでオルガンも家にあったのだけれど、
その時はそれほど興味が無かった気がする。
だけど、
近所のよく遊んでいたタッチャンが習うと聴いて、
「僕もいきたーい」と思って習い始めた、
と、そんなありがちなコトじゃなかったかと思う。
通ったのは1年くらいかな。
リズムやオルガンを習った。
その程度なので、出来るようになったことは知れている。
「今、流れるように何かの楽曲が弾ける」というようなことは、
全く無い。
ただまぁ、
おかげで「キーボード」や「ピアノ」の鍵盤に触るのに、
「怖れや躊躇が全くない人」くらいにはなったけれど、
ポロリンポロポロリンと一曲ご披露出来る様な事は無く、
せいぜい「むすんでひらいて」の最初を鳴らす程度のものだ。
だから、
「ヤマハ音楽教室」に通っていた証拠は、
上の発表会の写真と、
下の、今でも残しておいてある、
ヤマハ音楽教室で使っていた教材セットのケースくらいだ。
この写真をよく見てみると、
仮面ライダーのシールが貼っているが、
音楽教室が終わった後このケースは、
シールとか、カードとか、
そういうものを入れるケースに使っていた。
(スチール製で丈夫だし)
最初の仮面ライダーは僕が小学4年生の時からかな。
親に頼んで、雑誌を毎月買ってもらったり、
ライダー図鑑のような本を買ってもらったり。
そのほぼ全てをいつしか処分してしまったけれど、
この小さなポケット手帳サイズの図鑑だけは残っている。
それから、
当時の男の子のご多分にもれず、
カルビーのライダースナックに付いていたカードは集めた。
もともとお小遣いがそう多い方ではなかったので、
ドカッとまとめ買いするようなことはできなかったが、
(そういうクラスメートもホントにいた)、
買える範囲内で買って、集めて、ダブッたら友達と交換して、
そして、ラッキーカードが出てそれをカルビーに送って、
アルバムを貰ったこともあった。
このアルバムだけが何故か残っている。
カードは全てもう無いのに、
カードの入っていないアルバムだけが何故か今もある。
やがて5.6年生くらいになると、
周りのクラスメートの中には、
もう特撮やヒーローモノから卒業して、
「兄ちゃんの影響」みたいなものを受ける子供も出てくる。
6年だったかなぁ、
クラスの誰かに、
「MBSヤングタウン」というラジオ番組がおもしろい、
と教えてもらって、
僕も聴くようになった。
大阪の毎日放送(MBS)がやっているラジオの深夜放送だった。
略して「ヤンタン」。
当時、まだ若かりし頃のミュージシャンとか、
駆け出しの関西のお笑い芸人とかが出ていた。
そして、時々「ヤンタンブック」というオリジナルの本も出していた。
とにかく面白かった。
中学になってからも、
「早く寝なさい」という親の声を振り切って良く聴いた。
中学の頃が一番夢中だったかもしれない。
ギャグやネタを投稿するコーナーが沢山あって、
何度か投稿をして、2回読まれて、
「ヤンタンボールペン」という水性ポールペンをもらったこともあった。
やがて高校になって、
その頃も「ヤンタン」は聴いてはいたけれど、
もう投稿はしなくなった。
それで、
その「MBSヤングタウン」。
いつも番組が終わると、
次に始まるのが、
「コッキーポップ」という、
ヤマハのやっていた番組だった。
そんなこんなです。
2014年10 月14日 18:07 カテゴリー: ■ [緩緩] なんてことはない日々 | 個別ページ
今日は「ですます調」でいってみたいと思います。
ちょっと前に、
スーパーの「ダイエー」のその屋号が、
数年後には全て変わってしまうというニュースがありました。
つまりは、
その流れをくむスーパーは残るけれど、
「ダイエー」というものはもう完全に無くなってしまう、
と言いきってしまっていいんでしょうね。
夏の終わり頃から、
昔の写真を少しずつスキャンして、
パソコンに保存しています。
もっと詳しく説明すると、
そもそも数年前に、
家族の住む家にある古いアルバムが、
ボロボロになったり外れたり傷んだりしているので、
少しづつ持って帰って補修をしてあげていた時期がありました。
その時ついでに、
補修した分のアルバムの写真を、
(父母の古いアルバムから僕が幼少の頃までのものを)
スキャンしてデータとして保存しておきました。
それ以外の、そこから後の時代のアルバムの写真も、
いずれスキャンしたいなぁと思いながらも、
その「大変で単調でうんざりするような作業」を考えると、
なかなか手がつかず数年たちました。
それが、
今年になっていろんな流れや人との関わりの気持ちの中で、
「あっ、あの昔からの写真のスキャンの続きをやってしまおう」
と思い立ち、
夏からちょっとずつ初めて今に至っています。
親元にある子供時代の分は基本的にはもう終わり、
現在は自分の手元にあるアルバムの内、
ちょうど80年代後半からバブル前後、
大阪で、デザインの学校に行ったりそのあと働いていた頃のものを、
スキャンしていっています。
その作業をしている中で、
昔のアルバムを眺めたり触ったりしていると、
小学生の頃の1970年あたりの写真を貼っているアルバムが、
当時のダイエーがオリジナルで作ったアルバムでした。
背表紙の中に入っている見出し用の紙を引っ張りだしたら、
おそらく初代のダイエーのマークが。
子供の頃、芦屋の茶屋ノ町に出来た、
三八通り商店街の近くのダイエーにもこのマークがついていました。
よく覚えています。
これはナツカシイと思い、
そのうちブログに使うつもりで、
アルバムを父母の家に返す前にこうやって写真に撮っておきましたが、
そうこうしているうちに、
ダイエーの名前がなくなるニュースがありました。
だから話を、
単に「ナツカシイもの」に終わらせるのではなく、
もうちょっとアレコレ書いてみます。
二代目のマークがこれです。
このマークになってからの時代の前半が、
ダイエーの全盛期だったと思います。
関西にはダイエーとその関連の店舗が沢山ボコボコと出来て、
特に神戸とその近隣は、神戸がゆかりのある地でもあるので、
ダイエー帝国みたいになっていました。
三宮センター街の一部は「ダイエー村」の様になっていました。
それから、1995年の阪神淡路大震災の折は、
僕もその実際の被災者だったので良く印象に残っているのですが、
震災後の店舗再開の早さと、
「地域に貢献したい」という勢いのようなものには、
すごくありがたく思ったことを今でも覚えています。
そのあとに次第に経営が悪くなって、
それへの心機一転な意味もあったとされる、
2005年に新しく作った今のマークがこれです。
しかし、このマーク、
最初みたときは、
「なんかパッとしないなぁ」と思ったりしたものです。
前に違う話の時に、
同じ様な言い回しをしたことがあるんだけれども、
もし、意識だけがタイムマシンのように過去に戻れたとして、
ダイエー帝国がバンバンと花開いていた80年代ごろに遡って、
誰かに、
「いや、でもダイエーでも将来、無くなってしまうことがあるかもよ」
と言ったとしたらきっと、
「そんなこと、あるかなー。このダイエーがなくなる? ないでしょー。
やっぱりサノさんは変わってますわぁぁぁ。ヘンなこと言いますわぁぁ」
なんて言われるんじゃないかと思ったりします。
でも、実際に数十年たつと、
そういうことが実際にあるんですよねぇ。
そういう「絶対」がないことを、
もうここまで「ある1つの時代」が煮詰まってくると、
ちゃんと、
おちょくらずに、
心しておいた方がいいと思ったりするわけです。
ちゃんとした、と自認したい大人は。
去年、「神戸学検定」を受験するときに学んで初めて知ったのですが、
昔神戸に「鈴木商店」という商社があって、
一時は、商社として、
三井三菱をしのぐほどの勢いがあった会社だといいます。
今はもう、
(僕自身もそうでしたが)
そんな会社があったなんて誰も意識していません。
「神戸製鋼所や帝人やサッポロビールや昭和シェル石油がその鈴木商店の流れをくむんだよ」と言われて「へーっ」って言う程度で、普通は、あったことさえピンと来ないものじゃないかと思います。
でも、
その鈴木商店が全盛の頃には、
人に「鈴木商店も無くなったりする日が来るかもよ」なんて言っても、
きっと、「えー、そんなことがあるかなー、鈴木商店がなくなるかなー」
と言われるかもしれない、
と思ったりする訳です。
同じように、
じゃあ、今、
「イオンも将来、無くなる日がくるかもよ」
と言った時に、少なくとも半分くらいの人が、
「えーー? イオンが無くなるかなぁぁー? そうかなぁぁー?」
と、
あるいは人によっては、
「そういうわかったような事いうお前は、なんだか気に入らない」
みたいなニュアンスも含めて、
言いそうな気がするんですよね。
でも、わからないんです本当に。
半々の確率ですが、100%ではないですが、
「イオンだって、いつか無くなるかもしれない可能性はある」
のは本当です。
(すいません、イオンさん、ノリにのっている時にこんな事言って)
さて、
考えをもっと未来に移してみると、
いつか、
「ダイエー」というスーパーがあったことさえ知らない世代が、
そう遠くない時代に大人として僕らの周りにやってきます。
(いや、その時はもしかしたら、僕は居ないかもしれないですが)
今の、鈴木商店のように、
「ふうーん、昔はそうやったんやー」という人が沢山になる頃が、
きっと必ず来るんでしょう。
その人たちに対して僕らは、
「うん、あそこの店は、昔ダイエーっていうチェーンのスーパーでね。
そう、うん、そんな大きな全国的なお店があってんよ」
と、きっと言うのでしょう。
そして、
そう言われたその人は、
「へぇー、今度無くなるあのイオンは、
昔はダイエーって言ってたんですかぁぁぁ、へぇぇぇぇ」と答える、
という様なことも、
あるかもしれません。
そんなこんなです。
2014年10 月11日 20:45 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
「まちがいさがしメイト」誌の、
とちらも問題自体から考えている2点完了。
まず、"なごむ亭元楽"のペンネームによる、
「ペンギンパズル」。
レモンを頭に乗せている「レモペン」。
それから、
こちらは佐野元名義の、
「CHUN-CHUN」の間違い探し。
12月発売の1月号に。
前回からイラストの紹介の時は、その下部分には、
そのイラストのタイトルか内容から何か文章を1つ短く書く、
と決めたので、
今回も。
「レモン」<あったことあること>
「檸檬」という有名な昔の小説がある。
作者は梶井基次郎。
この小説では、
主人公が書籍を売っている店に入り、
自分で積み上げた画集の上に、
そこに来るまでに買ってきたレモンを載せて、
心の中で爆弾に例えて、
そのままの状態にして店を出てくる。
そんな、その小説に出てくるその店は、
明治以降実在する「丸善」の京都店で、
長く続いた有名な店だったけれど、
数年前に一度閉店をした。
その丸善では梶井基次郎の「檸檬」以来、
こっそりそれをならってレモンを本の上に載せて去る人が絶えず、
店がなくなる前には、
店の消滅を惜しんで沢山のレモンが置かれていったという。
だけど、
その京都の「丸善」が場所を変えて、
来年復活するらしい。
「檸檬」の頃のまんまの店ではないけれど、
(閉店した時の店もすでに「檸檬」の頃から言うと移転したお店)
1つの「物語」の流れとしてまた残るんだなぁ。
人はどこでどう愛されるか解らない。
だって、「本屋で檸檬を置いて帰ったへんなヤツ」やでぇ。
一般を適当に判で押したようなペラッとしたタイプの人ならきっと、
「本屋で檸檬を置いて帰るなんて人は、どうなんですかねぇぇぇ」
って言うような事やで。
それが、「檸檬」の「京都丸善」として、
今までもこれからも愛されるんだから。
ところで、
その小説「檸檬」は、
僕の高校の時の教科書にも載っていた。
授業でもやった。
で、
本文の最後に梶井基次郎の写真が載っていたのだけれど、
それが、同じクラスの一人に顔がとても似ていた。
もう、すぐさま、その日から、
彼は「梶井」と呼ばるようになった。
高校生って、アホやなぁ。
日本の私小説史上に残る京都丸善と共に愛される「檸檬」も、
そういう小さい範囲のぐちゅぐちゅネタなんやもんなぁ。
アホやなぁ。
そんなこんなです。
2014年10 月 6日 19:30 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
まずは、「スーパークロスワード」誌の、
ネコパズル完了。
それから、
「コンビニ限定クロスワード」誌のイラスト完了。
編集部からのお題は、
「優勝おめでとうございます! 正賞と副賞をさしあげます!」
↓
※↑この二人は、前の号の、
「もったいない」もほどほどに 節約とケチは紙一重」
に描いたケチケチカップル。
なんか気に入っていたのでまたまた登場。目の焦点が合っていない。
編集部からのお題は、
「荷物が…気分が…体重が(笑) 良くも悪くも重たい&軽い」
↓
編集部からのお題は、
「時には灰色の時もある!?」
↓
そして、
「はっぴぃ! アロー&スケルトン」誌のイラスト完了。
編集部からのお題は、
「日本列島、隅から隅まで ローカル線でのんびりと」
↓
編集部からのお題は、
「なんだか忙しそう? 回る回る、目が回る〜」
↓
編集部からのお題は、
「ノリノリでいこー! パーティー盛り上げグッズを揃えたよ」
↓
編集部からのお題は、
「もとは神に捧げる音楽 ハワイアンで気分は極楽」
↓
いつも、
この雑誌のイラスト紹介の記事のときは、
その一番下(つまりここのスペースのこと)をどうしようか、
と思い迷う。
「イラストだけを載せて他は何も書かない」、
というのはちょっと個人的に心苦しくてできない。
かといって、
よくやってしまうのが、
前から暖めていたネタをここでやってしまうと、
たいていの場合長く長くなってしまって、
逆にもったいない気もする。
というので、
何か短く早く書けることを新しく考えようとしても、
なかなか思いつかなくて考えているだけで時間をくってしまう。
そこで、思いついた。
上に載せたイラストのタイトルや内容から、
何か「キーワード」を一つもってきて、
それについて短く書くということをやってみよう。
いくつかあるので、1つくらい何か思いつくだろう。
「回る」<よく見る光景>
犬で、自分のしっぽをぐるぐると追いかけるコがいる。
自分のしっぽを追いかけるものだから、
もちろんぐるぐると回ることになる。
その時、犬は、
「自分のしっぽ」と解っていてああやっているのかなぁ?と思う。
しかし、犬なので、
人間の言葉で教えてもらうことはできない。
聴いてみたい。
「なあ、それ、自分のしっぽって解ってて回ってるの?」
けれどもしかしたら、
一律に、
「犬はみんなそれを知っていて回っている」とか
「犬はみんなそれを知らずに回っている」とか、
1つの答えに決めてしまうのは失礼かもしれない。
大阪の人だって一律に、
「みんながみんな吉本新喜劇が好きだ」と言われたらイヤかもしれないし、
東京の人だって一律に、
「みんながみんなジャイアンツファンだ」と言われると少し不服かもしれない。
自分のしっぽと知ってて回っている犬もいれば、
自分のしっぽと知らずに回っている犬もいるかもしれない。
想像で何匹かに聴いてみよう。
「なあ、それ、自分のしっぽって解ってて回ってるの?」
↓
犬A「うん、そんなこと知ってるよ! わんわんくるくるくるくる」
犬B「え? あ!…、し、し、知ってたよぉー、自分のにきまってるやーんへへへ、へ…」
(コイツ、知らなかったな)
犬C「え!? そうなの?! あー、ほんまやー、これ、僕のしっぽやー、ガーン!」
犬D「ん? あっほんまや。そうか、自分のかあははははそうかー。はははくるくるくる」
犬E「あ………………、そんなこと教えないでよーっ!、ダーッ、タタタタタタタタ…」
(ごめーん)
こんな風に、それぞれ、
知っていたり、知らなかったりしながら、
回っているのかもしれない、
人は。
あ、いやいや違う、
犬は。
そんなこんなです。
2014年10 月 5日 21:03 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
まず、
「ラッキー!クロスワード」誌の、
問題も考える「ヒーローパズル」が完了。
戦う愛のヒロイン、コンビニビューティー7。
↓
それから、
「スーパークロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「普通?ユニーク?ちょっぴりヘン? 守ろう、我が家のルール」
↓
編集部からのお題は、
「熟睡して、朝シャキッと起きる! 心と体を癒やす快眠のススメ」
↓
編集部からのお題は、
「ぼくのりくえすと、ぜったいにきいてよね! サンタさんにお願い!」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
自然にタイミングのいい人と、
自然にタイミングに悪い人の差は、
いったい何なんだろう、
と思うことがある。
ある意味タイミングの良い「★タイミングワル夫」くんは、
忙しくばたばたしているときに限って、
<キミがどういう状態であるか別に関係ありませーん>
みたいな押し押しな感じで、
「行く。どうだ」みたいな雰囲気(言葉尻ではなく)で連絡があったりする。
そういう感じの人は、不思議と、
何故か何度も何度も何度もそういうことになる。
人によっては、
そのタイミングで突然会いたがったりするような場合もあったりで、
「カンベンしてよ〜」と思わされたりする。
おまけに、
会っている時もその調子で、
別れてから少し「ヤレヤレ」と思ったりする。
まるで、わざわざ自分から「嫌われようとしている」みたいだ。
一方、
タイミングの良い「◎タイミングヨシ助」くんは、
だいだい忙しいのが途切れたときもしくはその前くらいに連絡があって、
<無理だったらもちろん遠慮するけどさ>
みたいな配慮をしっかりと秘めた感じを発しながら、
「会いたいけどどうかな」みたいな雰囲気(言葉尻ではなく)で連絡があったりする。
そういう感じの人は、不思議と、
合わせた訳でもないのに大抵時間のとれるピッタリな感じにはめてくる。
そして会っている間、予想外なコトはあっても、
最終的にはスイスイと時間が流れてニコニコと別れたりする。
もちろん「今日はヨシ助が来て良かったなー」となる。
「★タイミングワル夫」くんと、
「◎タイミングヨシ助」くんの差は、
何だろう。
何だと思う?
それが分かったとしても、
やっぱり、その流れになっていくというのが、
不思議だナァと思ったりする。
そんなこんなです。
2014年9 月26日 16:22 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
「ラッキー! クロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「四季を感じ、「和」を伝える… 日本情緒をかもす音」
↓
編集部からのお題は、
「出もの腫れものところ嫌わずとか… 出るものはしかたない!?」
↓
編集部からのお題は、
「秋の深まりを告げる音…」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
いつもではないけれど、
たまに参加する、
毎年今頃に開かれる「PEACE CARD展」。
平和を願う小さな展覧会です。
その「PEACE CARD 2014 関西展」が、
明日9月20日から29日まで、
奈良で開かれます。
今年は2年ぶりに参加します。
昨日、宅配便にて搬入しました。
今回の関西展の会場は奈良。
------------------------------------------------------
「PEACE CARD 2014 関西展」
9月20日(土)~9月29日(月) ※9/22(月)は休み
11:00~19:00 ※最終日の9/29(月)は17:00まで
会場/ Gallery &cafe ならまち村
〜 収益の一部を東北大震災復興支援として寄付します ~
------------------------------------------------------
友人のパステル画家の5*seasonさん(最近は歌も歌っている)が、
展を運営してます。
「PEACE CARD 2014 関西展」のサイトはこちら。
で、今回、
僕が展示用としてとして参加している絵は、
すでにこのブログにも載せた、
以前描いたこの絵です。
↓
ただ、
この写真のまんまではなくて、
ちょっと、フレームの中の台紙に手を加えました。
期間中に、
「たまたま奈良に行くようなことがある」、
「たまたま奈良にそろそろ会わねばならない知人が居る」、
「たまたま気が付いたら何故かしらないけれど奈良に居た」、
なんて時は立ち寄ってもらえると、
「僕が」、というより、「展」がウレシイです。
それにしても、
秋。
あんなに暑かったのに比べると気温が下がって、
まるで温泉の長湯から出た後みたいに、
ちょっとだるーくてぐったりでボーッとして。
ともすれば、
寝ちゃいそうだ。
で、
ちょこっと外に出て、
ハッと見上げると、
空がこんな綺麗なことになっていたりする。
9月18日PM4時50分頃の西側上空。
なんでこんなことになるかなー。
これを人間が作るとしたら、
結構時間と労力とお金がかかるだろうなー。
知らない間に作って搬入して、
気が付くと搬出して消えているんだもんなー。
キミはすごいなぁー。
ナァ、
何に似て見える?
パッと見て。
ハイッ。
バッハとかの昔のクラッシックの作曲家が、
肖像画の中でかぶっているカツラに似ていまーす。
音楽室にも飾ってた絵でーす。
そうやね。
「音楽の秋」やもんねぇ。
バッハッハッハッハ。
そんなこんなです。
2014年9 月19日 17:55 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [近頃] 今の様子 | 個別ページ
すぐに変わる人。
ゆっくりと変わる人。
変わる変わるといいながら変わらない人。
何も言わないけれど自然に少しずつ変わる人。
変わって「いい感じ」になった人。
変わって「いい感じ」じゃ無くなった人。
ほとんど変わらないけれど最初から「いい感じ」な人。
変わらないのがだんだんと周囲にとって「しんどい」人。
「変わったやろ?変わったやろ?」と人にアピールするけどそういうところがちっとも変わらない人。
みんなに「変わった」と評判の人をチェックしていて昔からの短所を少しでも見つけだすと鬼の首でもとったように「なーんや相変わらず○○やんかー!!、けへへへへッ」と笑って自身の心を何か安心させるというようなところが全然変わらない人。
※
変わったとか、変わらないとか、別に気にすることもなく、
ずっと変わらないつきあいが相変わらずできる人。
これからの人。
2009年9月
▼
2010年6月
▼
2010年11月
▼
2011年4月
▼
2011年7月
▼
2011年8月
▼
2012年4月
▼
2012年7月
▼
2012年8月
▼
2012年8月
▼
2012年10月
▼
2013年1月
▼
2013年2月
▼
2013年6月
▼
2014年5月
▼
2014年5月
▼
2014年7月
ウサギサバくんは、
僕の身にかつてあったアレコレの話を聞くとすぐに、
「イヌナマズさん、もしアナタがその時にどこかでドカンといって、有名になってお金持ちになってたりしたら、きっと変わってしまって僕なんか相手にしてくれなくなっていたんでしょうねぇぇ」と言った。
でも、
それは違うよ。
だって、
そもそも僕にその発想はないから、
きっとそのとおりにはならない。
キミが一発でそこに行き着いて、
ためらいもなくそう口にするということは、
キミにその発想があるからだ。
ということは、
もしキミがそういう境遇になったらおそらくきっと、
「人間が変わってしまって、古い友人は相手にしない」ということをする人だから、
その発想が真っ先に出てくるのじゃないか?
なぜなら、
今までキミ以外にはそういうことについて何かを言った人はいたんだよ。
でも、いろんな言い方があったんだ。
ネコウナギくんは(これはその当時だが)
「もしイヌナマズくんがドカンといっても変わらず僕と友達でいてくれなぁ?」
と言った。
キミの言い方に似ているけれどちょっと違う。
少しかわいい「友だち」という感じがする。
またクマヒラメの場合は、
「残念やったなーイヌナマズ、あのときにドカンといってたら俺も嬉しかったのになー」
と言った。
心のでっかい「友」という感じがする。
またカモシカアジさんは、
「いや、でもそうなったのは、ドカンといってなかって、よかったってことよ
その場合はそうじゃないほうがよかったのよ、きっとイヌナマズさん」
と言った。
励ますことを忘れない「親しい知人」という感じがする。
そして、気づくことは、
ネコウナギくんも、クマヒラメも、カモシカアジさんも、
その発言はみな「僕」を主体にしてくれている。
そりゃ、もともとは僕の話で、
それに対して僕のことを思って言い返してくれているからだ。
しかし、ウサギサバくんの発言には、
「僕(イヌナマズ)」は全くどこにもいなくて、
主体は「自分(ウサギサバくん)」だ。
「相手にしてもらえなくなるかわいそうな自分」なんだ。
自分のことだよね?
ねぇ、
僕の話なんだけど。
ひどいのはキミじゃないか?
何の話の時もすぐに「自分」な人はそれこそ、
「自分だけを主体にして変わっていく、もしくは変わらない」、
そんな気がするのだがどうだろうか。
もう80年代はとっくの昔に終わったんだよ。
ちなみに僕の場合は、
クマヒラメと同じように思いながら、
言葉としてはカモシカアジさんと同じことを言うと思うな。
▼2014年9月11日〜14日
「うん、そぉやね、
変わったと思うで自分でも。
いろんな人のことを参考にしたりな、
いろんなものを真似してみたりな。
そんでちょっとずつ変わってきたと自分でも思うなぁ。
アタシ。
もちろん、良くなったり、良く無くなったり、
振り子のようにあっちいったりこっち行ったりやったと思うで。
普通そうなんと違うん?
生きてたらそうやん?
え? うん、そりゃ、
その時々だけを見ていろんなこと言う人はおるで。
当たり前やん。おるに決まってる。
けど、だいたい、いろいろ言う人に限って、
ひとつのところでうじゃうじゃしてて、
何も思い切ったことせんと文句しかいわへんくせに、
あれがいいとか、あれが悪いとかいう人やから、
そんなん気にせえへんねんアタシ。
本人、変わってへんつもりな人にかぎって、
気づかへんうちにヘンな方に変わっていったりするの、
アタシ見たことあるもん。
可哀相やけどしゃあないわ。
今はようやくひところに比べて、
アタシもおちついた感じにはなってるけどな、
まだわからへん。別に今が絶対にベストやとは思ってへんもん。
感じ方も変わっていくしな。
そやから、また変わるかもしれへん。
そう思ってるねん、アタシ」
と、
カノジョは言った。
そんなこんなです。
2014年9 月15日 17:42 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
これを見ているアナタはどうなんだろう?
通っていた幼稚園(保育所)、小学校、中学校、高校の、
園歌・校歌を今でも歌える?
僕は幼稚園、小学校、中学校、までは、
多少怪しいところがあるものの、
今でもほぼ歌える。
特に、その中でも幼稚園の歌は、
チビッコには印象的な歌詞だった。
僕は、
芦屋市立宮川幼稚園という幼稚園に通っていた。
そして、
これが園歌。
↓
----------------------------------------------
芦屋市立宮川幼稚園 園歌
サトウハチロー 作詞
松田トシ 作曲
1.お顔はぷくりん 帽子はちょこりん
おはようおともだち おじぎはぴょこりん
うめになでしこ ゆりにきく
ももにさくらに すみればら
みんなのみんなの 宮川幼稚園
2.青空からりん 海風ふわりん
げんきなおともだち お目々はくるりん
ありにやどかり かぶと虫
青いバッタに かたつむり
みんなのみんなの 宮川幼稚園
3.お砂はさらりん お山はぽこりん
できたとおともだち お手々をぱちりん
うたやゆうぎや なわとびや
ちんちんもがもが 石けりちょん
みんなのみんなの 宮川幼稚園
---------------------------------------------
作詞は、「ちいさい秋」「リンゴの歌」「悲しくてやりきれない」の
サトウハチロー。昔の有名作詞家だ。
ブログではメロディーで伝えられないのが残念だけれど、
「ぴょこりん」だとか「くるりん」だとか、
全体的に可愛いらしい歌詞になっている。
で、特に、3番の真ん中よりも下の、
「ちんちんもがもが」という歌詞。
初めて聴いてそして演奏に併せて初めて歌う時に、
チビッコの男の子が「ニャハハハー」となるところだった。
けど、
「ちんちんもがもが」っていったい何?
それが、ずーっと謎のままだった。
(もしかしたら先生が説明したかもしれないが憶えていない)
「ちんちん」を「もがもが」?
今は便利だ。
検索してみた。
出てきた。
「ちんちんもがもが = 片足を上げて片足で飛び走る事をこう呼ぶ」
そうか!「けんけん」か!
僕らが「けんけん」と言っていた動作だ。
50年近くたって初めて解った。
調べるとサトウハチローさんは東京生まれだから、
「ちんちんもがもが」は関東弁で、
「けんけん」が関西弁なのか?
軽くネットで調べてもイマイチよく解らなかったが
とにかく、
「けんけん」のコトだというのは解った。
いつ、どのくらいの時間がたって、何が解るかは、
ホントにわからないもんだ。
ちなみに、
むやみにモノを長く持たないようにしている僕だけれど、
幼稚園〜小学生低学年まで使っていたリュックサックは、
今でも記念にとってある。
↓
なんと、かわいらしい。
これを背負って「ちんちんもがもが」も、
したのかもしれない。
そんなこんなです。
2014年9 月13日 22:24 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
NO.0756 神戸市市営地下鉄西神中央駅
2014年9月9日
NO.0755 神戸市市営地下鉄西神中央駅
2014年9月9日
NO.0754 神戸市市営地下鉄西神中央駅
2014年9月9日
NO.0753 神戸市市営地下鉄西神中央駅
2014年9月9日
NO.0752 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0751 神戸市西区糀台そごう西神店
2014年9月9日
NO.0750 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0749 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0748 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0747 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0746 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0745 神戸市西区糀台プレンティ
2014年9月9日
NO.0744 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0743 神戸市西区糀台プレンティ
2014年9月9日
NO.0742 神戸市西区糀台プレンティ
2014年9月9日
NO.0741 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0740 神戸市西区糀台プレンティ二番館
2014年9月9日
NO.0739 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0738 神戸市西区糀台プレンティ二番館
2014年9月9日
NO.0737 神戸市西区糀台オリエンタルホテル
2014年9月9日
NO.0736 神戸市市営地下鉄西神中央駅
2014年9月9日
NO.0735 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0734 神戸市市営地下鉄西神中央駅
2014年9月9日
NO.0733 神戸市市営地下鉄西神中央駅
2014年9月9日
NO.0732 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0731 神戸市西区糀台
2014年9月9日
NO.0730 神戸市西区糀台西神センタービル
2014年9月9日
NO.0729 神戸市西区糀台西神センタービル
2014年9月9日
NO.0728 神戸市西区糀台西神センタービル
2014年9月9日
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2014年9 月10日 22:33 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景 | 個別ページ
一応「暦の上では秋ですね」とかゆうてるけど、
まだまだムシムシと暑い。
あーつーいー。
あーつーいー。
あーつーいー。
はい、ご一緒に。
あーつーいー。
今年は、
湿気のせいもあって、
ベトーッと、グニューッっと、ネチネチーっと、ブニュブニューっと、
暑かったやん?
そやから、
スカッとしたくて、
夜の家ビールを、ほんまに沢山飲んだ。
だいたい、もともと、
ビールの銘柄とかは決めてへんねん。
その時に飲みたくなったもんや、
店にあったもんを買うねんな。
で、
日本の大きなビール会社のものも飲まへんことは無いねんけど、
ここ最近はよく、外国のビールとか、
日本のものでもクラフトビール(小規模生産ビール)とかを、
好んで飲んでてんな。
ところが、
この夏の8月の始めくらいかなぁ、
日本の有名メーカーの中でも今までそんなに飲んでなかった、
「サッポロ」を買って飲んだら、
なんかめちゃくちゃ美味しくて。
「あれ? こんなに美味しかったったけ?」って。
それからはこの夏中は、
日本の大手メーカービールを飲むならば、
「サッポロ黒ラベル」やねん。
なんか、おいしいねーん。
たぶんこれから時代は「サッポロ」やな。
(「へんっ、ほんまかいなー」をどうぞー! ……、はい、ありがとう)
あと、この夏といえばな。
去年の夏にずーっと「神戸学検定」の勉強してて、
そんで、結構、
「夏の暑い中でする勉強気分」
みたいなものが気持ちよかったんよ。
そやから、
この夏も勉強、やってんねんで。
前もちょっと書いたけど、
春からEテレの「高校講座」をハードディスクレコーダーに録画しててな、
それをちょっとずつ毎朝、
30分くらいするねん。
まず、テレビを観ながらザーッとコピー紙にノートして、
それを、さらにちゃんとしたノートに写してな。
暑い中、午前中に、
ちょっとだけ集中してやるのんがええのんよー。
タイムマシンがあったら高校時代に戻って、
高校生のオレに、
「夏は午前中にやっておけよー、オマエー」と厳しく言うねんけどな。
でも、
アイツが怠けてくれていたおかげで、
今、僕はこうやって「しよう」という気になってるんやな。
あのとき、完璧に高校の勉強してたら、
たぶん「あんなけやるだけやったし」とかゆうて、
今は絶対やってへんな。
「あの頃にやり残した感」があるから、
やっていてもやる気が失せへんのかもしれへん。
ありがとう!
あの頃のオレ!
なまけもので勉強しなかったバカなオレ!
ありがとぉ なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ。
くぅーーーーーーーーーっ!
もちろん仕事は仕事でしてるで。
あーっ、
「よろしいもんですねー、仕事はちゃんとしてるんでしょうかねー、
それに、今ごろ勉強して何か、意味あるんですかぬぇー!」
って思った人いるーーー?
いや、僕の知っている人に、
そんなひねくれた面倒な人はいーひんな。
あと、
この夏にってゆうたら、
これまた「学生の夏休みの宿題」みたいやねんけど、
読書。
まぁ、本を読むんは、
別に夏に限ったことやないねんけどな。
でも、一日のうちに必ず時間をとって、
ベランダに出した低めの椅子にどっしりと座って、
本を読む。
そぉやん、
冬はだいたいベランダで本読んだりできひんやん?
暑い夏に、外気のある場所で、
冷たいものでも飲みながら、
本を読んで、
セミがどこかで鳴き、
夏休みの子供たちが声をあげて走り去り、
車の音がしゃあしゃあと。
ふと目を上げると青い空、
彼方には入道雲がもくもくと、
そして熱い太陽がじりじりじりじりと…、
…、
…、
と、
言いたいところやけど、
今年は、ぜんぜんそんなんやなかったーっ!
ふと見上げると灰色の雲、
彼方には同じく灰色の雲。
そして湿気でむしむしむしむしむしむしむし。
ああっ。
が、
幸い、風がある日が多かった。
さわさわと、ひゅーひゅーと、
そして時にはゴーゴーと、
それは台風やーーっ!
てな感じで、
まぁホント、この「夏」は一筋縄やなかったけど、
できるだけベランダに出て本を毎日数分読んでてん。
とにかくな、
なんてゆうたらええのかな、
夏の読書は、
「ふと気づけば肌のまわりがいとおしい」。
特に、
この夏にベランダで読んだんが、
村上春樹さんやねん。
昔読んだ長編と短編とな、
それから、読んでなかった昔の短編と、
一番新しい短編と。
こんな風にな、
もし「2014年の夏は?」と聞かれたらな、
すぐに、
「曇り空とじめじめとサッポロビールと高校講座と村上春樹」
てな具合に答えられる、
ちゃんと主題のあった夏やねん。
湿気でホンマにしんどかったけどな。
それはそうと、
これはもう9月に入ったこないだやねんけど、
ちょっと三宮に買い物に行ってな、
夕方ここらに戻ってきて駅から部屋に帰る途中に、
ひさびさに宮崎さんの奥さんとアンジュちゃんに会うてん。
前にも何度かここに書いたことあるけれど、
宮崎さんというのは近所の人で、
去年の夏まで酒屋さんをしてはってん。
で、10年以上前からになるけど、
トミーちゃんいう犬を飼っててな。
当時僕はタバコを吸うてたから、
タバコやお菓子や水を買いにしょっちゅう店に出入りしててな。
あ、クロネコヤマトの宅急便も宮崎さんから出しててな。
そんで、そう、
トミーちゃんはとても人に警戒する犬で、
僕も最初は吠えられてんけど、
そのうちにすっかりなついて、
店の扉あけただけで気が付いて、
奥で「あん!」とひと吠えしてから、
ターッと飛びだしてきてくれたりでな。
もう可愛くてアタマなでなで、でな。
顔を手で挟んでくしゅくしゅ、でな。
そんなトミーちゃんが一昨年やったかに病気で亡くなって、
奥さんがガッカリしはって、
それを見かねた息子さんが新しい犬を買うてきて、
それがアンジュちゃんやねん。
顔がちょっとトミーちゃんに似てんねんけど、
性格は真逆でダレでもカレでもすぐなついてな。
けど、そこがまた、
彼女は彼女で可愛いかってん。
その後、
去年の夏に事情があってお店を閉じて、
もうしょっちゅう会えなくなってな。
たまに、
散歩している時に偶然バタッとしか会われへん。
せやから、
この間はカメラ持っていたから、
写したよ。
ほら。
アンジュちゃん。
こんな風に、
夏の締めくくりはアンジュちゃんやってん。
ま、
数字的な夏は終わったけど、
実質的な夏はまだもうちょいやんな。
それにしても、
夏っちゅうのは、
あれやんなー。
こう、がーって、アタマ振り回されて、
ヨレヨレになった頃に、
ふっと、秋がくる、
みたいな感じやんな。
「アレッ?、何やったん?」
ゆうて、それから、
たしかにここにおった「僕のアタマを振り回した人」
を探しても、
もうおらへんねん。
で、
はっとみたら、
「さあ、おしまいおしまい」ゆうて、
周りのみんなが跡片付けをはじめて、
ええ、っと思っていると、
だーれも居なくなった、
みたいな、
そんな感じがせーへん?
そやから、
せめて、
「僕はお肉とジャガイモととうもろこしは確かに食べた食べた食べた」
という風に実感のあるコトしときたいなー思うねんけどな。
え?
そういうのは、
夏の来る前にゆうとけって?
あはは、
そーやなー。
ということで、
ほんなら、また。
神戸"やんねん"ペロペロトーク、
サノハジメでした。
BGM:
「BIg Box of the Ventures」 the Ventures
そんなこんなです。
2014年9 月 7日 22:51 カテゴリー: ■ [近頃] 今の様子 | 個別ページ
NO.0727 神戸市灘区坂口通六甲バター本社
2014年9月2日
NO.0726 神戸市灘区原田通原田の森ギャラリー
2014年5月16日
NO.0725 神戸市灘区原田通横尾忠則現代美術館
2014年5月16日
NO.0724 神戸市灘区原田通横尾忠則現代美術館
2014年5月16日
NO.0723 神戸市灘区原田通横尾忠則現代美術館
2014年5月16日
NO.0722 神戸市灘区原田通横尾忠則現代美術館
2014年5月16日
NO.0721 神戸市灘区王子町神戸文学館
2014年5月16日
NO.0720 神戸市灘区原田通横尾忠則現代美術館
2014年5月16日
NO.0719 神戸市灘区王子町神戸文学館
2014年5月16日
NO.0718 神戸市灘区王子町神戸文学館
2014年5月16日
NO.0717 神戸市灘区王子町神戸文学館
2014年5月16日
NO.0716 神戸市灘区王子町王子公園
2014年5月16日
NO.0715 神戸市灘区王子町王子動物園
2014年5月16日
NO.0714 神戸市灘区王子町王子公園
2014年5月16日
NO.0713 神戸市灘区王子町王子公園
2014年5月16日
NO.0712 神戸市灘区王子町王子公園
2014年9月2日
NO.0711 神戸市灘区王子町王子スタジアム
2014年9月2日
NO.0710 神戸市阪急電車王子公園駅
2014年9月2日
NO.0709 神戸市灘区城内通
2014年9月2日
NO.0708 神戸市灘区城内通
2014年9月2日
NO.0707 神戸市灘区原田通
2014年9月2日
NO.0706 神戸市灘区原田通
2014年9月2日
NO.0705 神戸市灘区原田通
2014年5月16日
NO.0704 神戸市灘区城内通
2014年9月2日
NO.0703 神戸市灘区原田通交差点
2014年9月2日
NO.0702 神戸市阪急電車王子公園駅
2014年9月2日
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2014年9 月 4日 21:06 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景 | 個別ページ
さて、
今日はまたまた、
この少年に登場してもらうことにした。
自分でもこの写真を見ていて、
ちょっと説明しておきたいなー、
と思ったことがあって。
だから、3回目の登場。
松のことは、今回は忘れてもらっていい。
この少年の被ってる帽子を見て、ふと、
あることに気がついた人もいるかもしれない。
そう!
ほら、
関西の子なのに、
読売ジャイアンツの帽子をかぶっている。
他にもあるねんで、
ほら。
↓
僕に会ったこと無い人や、
会ったことあるけれどそんなに深く話しをしたことの無い人の中には、
「へぇ、関西の子だけど、ジャイアンツファンの子だったんだね?」
と、ちょっと関東弁っぽく思う人もいるかもしれない。
場合によっては、
「そんな帽子被って歩いてっと、
阪神ファンに殴られちゃったりしねぇのかい?」
とよけいなあり得ないことまで心配されるかもしれない。
また、
僕のコトを知っている人の中で、
「あれ? 昔は阪神ファンで、85年の優勝の時はよく見に行った、
とか前にゆうとったけど、ジャイアンツの帽子被っとるやんけ!
ほんまにこの人のゆうてることは、どうなんですかぬぇー」
と、イチイチ、
「負の良くない気」を自ら選んで自分の中に取り入れちゃう人もいるかもしれない。
そうならちょっと気の毒だ。
ので、
ちゃんと説明しておこうと思う。
いや、中には、
「いやぁ、別にそんなんアンタの帽子のコトなんて何も気にしてなかったしー、
ケケケケケ」
というようなヒネクレている人もいるかもしれないけれど、
まぁいいや、
ちゃんと説明しておこうと思う。
まず。
この写真の頃の我が家で、
プロ野球を見たり応援したりしている人など、
だーれもいなかった。
当時の父親はプロレスを観てシーシーと口を鳴らしているくらいで、
スポーツはほぼ無縁だったし、
祖母、母、姉の女性陣は、
その時代の女性の多くがそうであったように、
プロ野球には別段興味が無かった。
我が家が、阪神タイガースを応援するのは、
この写真の頃よりももう少し後のことだ。
小学4.5年生くらいだったか、
母親が近所の仲がよかった奥さんから、
「ウチでは毎朝流しているの、おもしろいわよ」
と教えてもらったラジオ番組、
「おはようパーソナリティー 中村鋭一です」
を聴き始めてからだ。
ABCラジオ(大阪・朝日放送)でやっていたその番組は、
局のアナウンサーである中村鋭一氏がやっていた、
いわゆる朝の情報番組だったのだけれど、
中村鋭一氏が阪神タイガースを番組内で熱狂的に応援していて、
関西では人気になっていた番組だった。
だいたい、
僕の家というのは、
何かの影響で、表面的に、パッと火がつく。
しかし、あくまでも、
「おうちの中でわーわー言って燃えているだけ」の、
「密閉型内燃」的な一家だった。
だから、
阪神を応援すると言っても、
しっかりと腰をすえて、
甲子園に応援に行く、とか、
ファンクラブに入る、とか、
息子にタイガースの帽子をかぶせる、とか、
そういったことは全く無く、
わーわーきゃーきやー言ってラジオにのっかって、
内々ではしゃいでいるだけだった。
その後も、
朝の時間にそのラジオ番組を聴く習慣は我が家で続き、
司会が中村鋭一氏から同じく局のアナウンサー道上洋三氏に変わっても、
番組は阪神タイガースを応援しつづけたので、
「家庭内完結タイガース応援団LIte」でありつづけた。
それでも、
そのおかげで、
江夏・田淵・藤田・遠井・ラインバック・佐野・江本・小林など、
長い間優勝はできなかったけれど個性的な選手のいた、
そんなある時期からある時期のタイガースを知っている。
1985年になって、
阪神タイガースの快進撃が始まった年は、
さすがに父親が「試合を観に連れて行ってくれや」というので、
(その頃までにもう僕は何度か、友人などと甲子園での観戦経験があった)
観に行った、たしかそんな記憶がある。
その年に優勝をして、
それからまたタイガースは、
しばらく優勝から遠ざかる。
現在僕は、
何か注目されていて気になった試合以外は、
ほぼまったくと言っていいほど、
「プロ野球」は日常的には観なくなった。
話を戻そう。
そんな風に僕の家が阪神タイガース熱がやってくる前は、
上に書いたように、
我が家に「プロ野球」はまだ入り込んでいなかった。
母親が昔からテレビで「高校野球」を観るのが好きで、
(野球というよりも高校生の一生懸命な姿が)
夏休みに一緒によく寝っ転がってTV観戦したのと、
親戚の「京都のおじちゃん」が阪急フレーブスのファンだった、
くらいかな、この時期の野球との周りのかかわりは。
さあ、
じゃあなぜ、
写真の中の少年でもある、
僕が「読売ジャイアンツ」の帽子を被っているのか?
話は簡単。
その頃、僕は、
テレビアニメでやっていた、
「巨人の星」に夢中になっていたのだ。
単に、
そういうことなのである。
(帽子の少年の写真は1970年くらい。
下敷きは、絵柄などの感じから観てそれより少し前になるのかな、
どこかの遊園地かレジャーランドかで貰った下敷き。嬉しかった)
そんなこんなです。
2014年9 月 2日 23:27 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
「クロスワード mini」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「お調子者のイルカくん」
↓
編集部からのお題は、
「おはようございます! あなたの"朝の定番"は?」
↓
編集部からのお題は、
「パッと名前が浮かぶ有名人 ○○といえばこの人!」
↓
編集部からのお題は、
「記号でしっかり憶えよう 身の回りにある元素」
↓
編集部からのお題は、
「イマドキの恋愛の悩み… 告白はメールで!?」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
前の記事で、
この写真を載せた。
↓
芦屋の浜手にあった昔住んでいた家の前の道路を挟んで東側に、
もともとは大きなお屋敷で、
その後川崎製鉄のテニスコートになった広い敷地があったのだけれど、
その外周に沿って内側に、
「昔の芦屋浜の松林の名残り」と思われる松が沢山あって、
家から外に出ると必ず正面に見える松の並んだ姿に、
僕は知らず知らず癒やされていたんだなぁ、
という、話の、
その証拠としてこの写真を載せた。
こんな松があったんだよと。
けれど、
これはその敷地内の写真には違いないが、
写真の少年の向かって左に見える松は、
敷地からみれば北側の辺にあたり、
家から見た正面のもの(敷地から見れば西側のもの)ではない。
で、
きっとその位置の松の写真もあると思うから、
また見つかったから載せよう、
と、前回書いた。
探してみると、
すぐに見つかった。
だからさっそく載せよう。
正面にあった松の並びは、こんな感じ。
↓
これは家の2階から写した写真。
右の方に昔のスバルが停まっている。
1970年頃の写真で、当時はまだ白黒フィルムも使っていたけれど、
そろそろ時々、カラーフィルムも使い出した、
そんな時代だ。
(昔の写真なのに色味がクリアなのはちゃんと色補正をしたから)
そう、この松。
ずっと家の正面に並んでいた松。
台風の時は、
この松が「ザーーザーーー」と大きく揺れるのを、
家の中から見ていたりした。
ここにとまったハトがトゥートウッと鳴き、
夏はここにとまったセミが鳴いた。
他の人が見たら「単に松ですやん」なのかもしれないが、
僕には「子供時代の日々」のセットの中に必ず含まれている、
心がちょっと安心する情景だ。
この松は今はもう無くなっている。
阪神淡路大震災の後のすぐくらいに道路の拡張工事が始まって、
昔は行き止まりだった旧堤防(写真の右手方向)を坂で通し、
今は芦屋市の中央を南北に貫く大きな道路に変わっている。
その折りに、
この松も切り倒された。
工事が始まる数年前、
市と工事関係者と「やや、反対」の市民との話し合いがあって、
心ある人たちが「あの松を残せないか?」と提案した。
そして住民の年配の1人が、
「あんな立派な松をタクサン切ったりしたら、バチがアタリます」
と言うと、
市か工事関係者かどちらなのかははっきり知らないが、
「フフンッ」と鼻でせせら笑った人がいたという。
母はその人の態度を見て無性にハラが立ったらしい。
「日本昔ばなし」のように直接的によくわかる形で、
バチがあたるかどうかは知らないが、
やっばり、
「そういう反応は良くないんじゃないかなぁ、
その鼻で笑った人は今どうしているのかなぁ」
と、ちょっと意地悪い妄想をしたあとに、
あ、ダメダメやめておこう、人を呪わば穴2つ、
なんて思ってあの今は無い松の景色を思い出して、
ほっこりしたりしたりするのだ。
そんなこんなです。
2014年8 月29日 19:28 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
もー夏も終わりやねぇ。
今年はなんか、
空がどよんと曇っている日が多くて、
湿気がなぁんか多くて、
しんどかったぁー。
そっちは、どない?
よー言われてるけど、
昔の夏はもぉちょっとその、
今に比べたら過ごしやすかったって、
ゆうやん?
僕なんかでもそんな気はするねんけどな。
車が少ないとか、
木々が多かったとか、
それはあるやろなぁ。
僕が子供の頃に住んどったとこでも、
前に松の木が並んでて、
車もあまり入ってこなかったとこやし、
夏でもお盆が過ぎた夕方は、
涼しかった気がするなぁー。
けど、
こういうコトを言うと一方で、
「データによるとあれはこうでそれはこうで、
さほどもともとの暑さに違いはない」
とか、どっかでいろんなこと言う人おるやん?
いやもぁ、暑さだけにかかわらず、
いろんなことでも。
どうなんやろな?
実際のところ。
「そう言うからそんな気になっていく」
ようなコトもあるけど、
「全体みんなが体で感じているコトの方が正解」、
ってこともあるしな。
でも、
どう考えても、
暑いやんな?
なぁ?
あ、そうそう、
さっき、
子供の頃の家の前の松のコトに触れたけど、
この間もこのブログで、それ書いたやん?
憶えてる?
昔住んでいた家の前に立派な松が並んでいて、
それはたぶん昔の松林の名残で、
僕はそれで心が落ち着かされていたんやろな、
みたいなこと、書いたやん?
そのな、
松の写っている昔の写真を、
ここに載せとこ思って。
あやって言葉で書いてても、
ほら、僕の文章ってちょっと、
「物語っぽく」しちゃうところがあるやん?
さらに、僕自身がちょっとフワッとしたところがあるやん?
そやから、きっとな、
「ほんまですかねー、松とか並んでたんですかねぇー、ほんとですかぬぇー」
なんてヒネクレもんがおるかもしれへんやん?
またさらに、
かつて僕のところに来て見ているくせに、
「そんなに一杯松ありましたかー? 無かった気がしますけどねぇー、本当ですかぬぇー」
と、「単に自分がしっかり見てへんだけ」やのに思ったりする、
イジケもんもおるかもしれへんやん?
おらへんかもしれへんけど、
おるかもしれへんやん?
そやから、ここに載せとこー思うねん。
え、性格悪い?
あははははは。
ほな、
いくで。
ほら。
ウチの家の前の、
もともと大きなお屋敷やってんけど、
周囲の道路に面した部分の土地の内側に、
昔の松林の名残と思われる松が残っていて、
その後テニスコートになったっていう、
その敷地内で写したもの。
けど、
家を出たところからの方向の写真もほしいなぁ。
この写真でいうと、
子供から見てこれを写したカメラの方向に、
道路があって僕の家があって。
この敷地内のそちらに面した辺にも松が並んでいた。
そこからの写真もどっかあったと思うので、
また載せるわ。
そやないと、
「こんなんじゃわかりませんよねー。ほんとですかぬぇー」
と思うヒネクレもんもおるかもしれへんやん?
さぁ、
ほなこのくらい。
ちょっと今忙しいねん。
そっちの仕事に戻るなぁ。
これ書いているからっていって、
別にヒマやないねんで。
最近はできるだけブログを書くというノルマを課して、
それを実行してるだけやねんで。
で、
「もしかしてこういう関西弁の話し言葉による書き方にしたら、
文章打ちが速いのでは!」
と思ってな、
少しでも速くブログの更新をしたくてな、
ちょっと思いついて、
ほんでこんな話し言葉のノリでやってみてるって訳やねん。
うん、
実際、速い速い。
ということで、
じゃ、
夏の終わりといっても実際はまだまだ暑いと思うけど、
その残りの夏っぽさを楽しんで。
ほんなら。
また。
神戸"やんねん"ペロペロトーク、
サノハジメでした。
BGM:
「SMILING」センチメンタル・シティ・ロマンス
そんなこんなです。
2014年8 月27日 10:55 カテゴリー: ■ [緩緩] なんてことはない日々 | 個別ページ
前回の記事で、
村上春樹さんの小説と芦屋についてちょっと書いたので、
今日もその流れで。
その春樹さんのデビュー小説の「風の歌を聴け」は、
映画にもなっている。
もともと原作の小説では地名は全く出てこないのだけれど、
舞台となる街は昔の芦屋や神戸の街がモデルだし、
加えて、
映画版監督の大森一樹さんが同じ芦屋出身でもあるからだろう、
映画にはロケ地として実際の芦屋や神戸が多く使われている。
前の記事では、
「小説に知っている場所が出てくると嬉しい」と書いたけれど、
映画も、馴染み深い知っている場所が映っていると、
やっばり同じように嬉しい。
で、その映画版「風の歌を聴け」。
原作では「ホテルのプール」とされているシーンに、
「芦屋市民ブール」(現在の朝日ヶ丘公園プール)が、
ロケ地に使われていた。
8月16日の記事にも書いたように、
芦屋の浜手で暮らした子ども時代の夏、
大人同伴が必要なチビッコの頃には、
近所の神戸銀行のプールなどに行っていた。
けれど、
小学校も4年生くらいになってくるともう、
学校の友達とだけで泳ぎに行きたくなる。
で、学校のプール以外で、
友達と子供だけで行った初めてのプールが、
おそらく、
「芦屋市民プール」だ。
「市民」と名のつく公営のプールなら、
母親もなんとなく印象で安心して、
行かせてくれたんじゃないかと思う。
芦屋市民ブールは山の手にあって、
最初の頃は歩いて行ってたように思う。
坂道をどんどん上っていくので、
今ではとてもじゃないが、
あの夏の盛りに、
あんな場所まで歩く気にはなれないけれど、
そこは子ども、
友達とわーわー遊びながら行けば、
"へっちゃらけー"だったのだろう。
その、
市民ブールの中での記憶として良く憶えているのが、
スナック菓子の「カール」。
売店で「カール」(僕はおそらくカレー味)と、
何かジュース(きっと「ファンタ」だとか「チェリオ」だとか)を買って、
プールサイドのコンクリートの上にタオルを広げ、
その上に寝っ転がって友達と並んで
ムシャムシャと「カール」を食べていたのを、
どういうわけかとても印象的に憶えている。
おそらくかなり「おいしウレシ」かったんだろう。
キラキラとした熱い日差しと、
体からしたたった水でおこるコンクリートの匂いと、
水に入りすぎた後になる目の前が少し白くかすんだ感覚と、
カールの口に入った時のパサパサ感。
今でもその時の感じをはっきり思い出せる。
そして、
次に強い記憶として憶えているのが、
泳ぎ終えて市民プールから出たあとに食べた、
「おでん」。
今でもあるのかどうか知らないが、
市民プールの入り口の正面に、
テーブルも備えた飲食もできる小さな売店があって、
そこで「おでん」が売っていたのだ。
大人と一緒にプールに行くと、時折り、
「ちょっと水からあがって休憩しなさい」と言われるところを、
子どもだけだと、とことんプールに入りまくって、
気が付けば唇がちょっと紫になって体も冷えて。
そこへ口にする熱いおでんはとにかく最高に美味しかった。
「真夏の暑い中でも熱いおでんがこんなに美味しいんだー」、
ということを始めて知った経験でもあった。
今ならば、絶対に、
ビールを注文している。
やがて、少し大きくなると、夏のブールは、
友達と自転車で行く甲子園の「阪神パーク」に代わり、
さらにもう少し大きくなると、
「新しい時代のプール」といった感じの、
巨大な滑り台と波のおこるプールを備えた、
深江浜の「新神戸大プール」に行くようになり、
あまりにも普通の「市民プール」には行かなくなってしまう。
けれど、
20才を少し超えた頃に一度だけ、
その「芦屋市民プール」に行った憶えがある。
今となっては、
誰と何のために行ったのかさっぱり忘れてしまったし、
どう過ごしたのかもほとんど憶えていない。
ただ、1つだけ印象的に憶えていることがある。
プールサイドの僕が寝っ転がって日光浴をしている近くに、
カラフルな水着を着た若い女性が2人うつぶせで並んで寝ていた。
おそらく、年齢は僕よりも少し上くらい。
2人は1つのウォークマン(もしくはウオークマンもどきのプレーヤー)
から出ている1つのイアホンを、
左右1つずつを仲良く分けてそれぞれ片耳にさしていた。
そして2人は、
そのテープレコーダーで再生されている曲にあわせて、
(もちろんそれを確認したわけではないのだけれど、
おそらくきっと十中八九流れている曲と同じ歌を)
一緒に歌っていた。
それは、「ムーンライト・サーファー」という曲。
もともとは70年代の終わりに石川セリが歌っていた曲で、
けれど、もう80年を数年超えていたし、場所も関西だし、
彼女たちがテープで聴いていたのは、
おそらくその頃に出ていた、
桑名晴子のバージョンではないかと勝手に思う。
僕は夏の日差しを浴びてねっころがり、
何気ないふりをしながらもちょっとそちらを気にしつつ。
されど聞き耳など立てなくても自然に耳に入ってくる、
女性2人の小さな歌い声と、
たまにおこる嬉しそうな笑い声。
♪ Surfer in the moonlight moonlight moonlight
Surfer in the moonlight moonlight moonlight
Surfer in the moonlight moonlight moonlight surfer ♪
とても心地良かったのをよく憶えている。
そんなこんなです。
2014年8 月24日 10:14 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
「スーパークロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「意外なお宝か? ガラクタか? 骨董品」
↓
編集部からのお題は、
「たそがれ時に ひとり佇んで…」
↓
編集部からのお題は、
「最近めっきり 涙もろいんです…」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
小説の中に、
自分の知っている場所が出ていると、
読んでいてちょっと嬉しい。
たとえば2年ほど前に読んだ谷崎潤一郎さんの「細雪」。
これは昔の小説にしては読みやすくて、
文章や描写の巧みささでどんどん引き込まれる魅力もあるが、
それに加えて、個人的には、
「阪急芦屋川駅」とか「田中町」とか「夙川」とか「鯉川筋」とか、
親しみのある芦屋や神戸や阪神間の地名や場所が出てくるのが、
昭和初期のものであるとしても、なんだか嬉しい。
そして、最近読んでいる村上春樹さんの小説。
もともと若い頃に幾つか読んだことがあるのだけれど、
知り合いが読み始めたのをきっかけにこのところ、
読んだことのあるものないものも含めて、
短編集を中心に順番にちょっとずつ読んでいる。
で、僕よりも12才年上で多少のズレはあるけれども、
同じ芦屋の浜手で僕の住んでいた家に近い地域で育ち、
神戸の高校に通っていた村上春樹さんの小説にはよく、
「あ、これはあそこだ、あのあたりだ」と解る、
僕にもなじみのあった所が多く出てくる。
芦屋周辺でいうと、
長編『風の歌を聴け』に出てくる「猿のいる公園」や図書館は、
<打出公園>と<旧市立図書館>だし、
長編『1973年のピンボール』に出てくる霊園は、
ウチのお墓もある<芦屋霊園>だし、
短編『めくらやなぎと眠る女』で回想として出てくる病院は、
夙川の河口にある<回生病院>だし、
(回生病院のある反対側の岸の河口の広い浜でよく友達と遊んだ)
短編『5月の海岸線』に出てくるかつて泳いだ海というのは、
僕が子どもの頃にギリギリ残っていたあの海だし、
彼方に追いやられた海岸と立ち並んでいる高層住宅というのは、
その後の埋め立てられた芦屋の海と<シーサイドタウン>の事だ。
ただ物語を読むのだけではなく、
同時にそういった自分の中の記憶を感じながら、
小説を読めるというのは、
結構「シアワセ」なコトだなぁー、
なんてことをしみじみ思いながら、
暑いこの夏を過ごしている。
↓
そんなこんなです。
2014年8 月20日 15:58 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
「スーパークロスワード」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「勝負は最後までわからない! まさかの大逆転」
↓
編集部からのお題は、
「眉唾もの だまされちゃダメ!」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
今年の夏は、
どんよりしていたり、雨が降ったり。
甲子園の高校野球もちょっと大変そうだ。
運営側も選手も応援団も。
まぁ、でも、そもそも、
いろんな夏があるんだな。
その夏によって。
その中でどう自分らしくその夏を過ごすのか、
それは子供や受験生から、若・中・高な大人まで、
みんなに配られたカード。
子供の頃、
1960年代から70年代まで、
僕の住んでいた芦屋の浜の手には、
ちょうど高度成長期の「会社社会」の中で建てられた、
「社宅」や「独身寮」がアチコチにあった。
今、思い出せる社宅や独身寮だけでも、
川崎製鉄、国鉄(現JR)、第一勧業銀行、神戸銀行、
神鋼ファウドラー、仁丹、東京海上火災。
他にも僕の記憶にない会社の社宅も沢山あったと思う。
そして、そういった会社の福利厚生として、
「グラウンド」や「テニスコート」や「プール」が、
社員と家族が使える施設として、何カ所かにあった。
戦後から続いた景気の良かった時代ならではのことだ。
僕の家から西へ歩いて15分くらい(子供の足で)のところに、
神戸銀行所有のグラウンドとプールがあった。
グラウンドは芝生も植えたかなり本格的な野球場で、
秋に社員の運動会が行われているのを見かけたこともあった。
プールも子供用と大人用のプールを持ち、
売店と休憩所も備えたちゃんとしたものだった。
どうして、神戸銀行のプールに詳しいかというと、
子供の頃、何度かそこに泳ぎにいったことがあるのだ。
僕が暮らした家のあった一角は、
もともとはそこそこの広さの敷地だったところに、
小さな建売住宅を「ギューーッと建てられるだけ建ててみましたー」、
というような分譲住宅地だった。
そんな同じような家たちの中の、
我が家から2件南隣りに、
Wミヤさんという家族が暮らしていた。
その家のタッちゃんとは同い年でたまに遊んだりもしていたが、
そこのお父さんが神戸銀行の社員だったのだ。
その神戸銀行のプールは、
社員に配られているチケットがあると、
家族で無くても入ることができたのだけれど、
それをある期間の毎年の夏に、Wミヤさんがくれたのだ。
が、
今でも僕の母は苦い顔をして言うのだけれど、
「毎年たいてい、8月のほとんど終わりになってからくれるねん。
自分らがもう行かへんと解っていて余っているからやろけど、
それにしても、あと明日一日って、何やねんっ、
って思ったこともあったなー」
だったらしい。
そりゃ、
もらっておいて言うのも何だけれど、
そういう思惑があからさまな感じは、
やっぱり評判悪くするよなー。
だいたい、
いつも自分たちの合理主義中心で少し冷たい感じのするその家は、
そもそも母の好みではなかったようだ。
それも含めて、また、それに加えて、
例えばチケットをくれる時の言い方などが、
母にはちょっと引っかかるものがあったのかもしれないなぁ、
と、今となっては想像できる。
が、しかし、
子供の僕らにはそんなことは関係ない。
宿題がたくさん残っていようとも、
「プール行く?」と母親に言われれば、
「いくいくいくいくいくくいくいくいくいくいくくいくー」
と、嬉しくてふわふわな気分になってそこらを飛び回り、
水着の上からズボンをはいて、浮き輪はすでに家でふくらまし、
「プールに着いたらパックのフルーツジュースを買って、
そんでそんでそんでそんでえひゃひゃひゃ」なんてわくわく顔で、
跳ねながら神戸銀行のプールに行ったものだった。
まぁ、それを見て、
母親も「子供たちが喜んでいるならば、まーいいかー」と、
思ったのだろうな。
近所づきあいでもあるし。
その神戸銀行はのちに合併して太陽神戸銀行になり、
その後にまた合併して太陽神戸三井銀行となってから、
数年後に改名してさくら銀行になり、
さらに住友銀行と一緒になって、
現在の三井住友銀行だ。
そして現在、
そこそこな施設なんてものはもう社員にも人気がないのだろう。
半分遊ばせながら維持管理するという余裕もどこも無いのだろう。
あの時代に、
芦屋の浜手にたくさんあった当時の社宅や寮や福利厚生施設も、
今ではほとんどが、マンションに変わってしまっている。
そんなこんなです。
2014年8 月16日 22:18 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
ヘリウムやネオンやアルゴンは、
「希ガス」です。
「化学基礎」で学びました。
「そんなん今ごろして何の意味があるんですかねー」と、
背中を丸めながら上目遣いに言う人もいるかもしれないけれど、
そういう人には、
今日は、もっと意味がなさそうな昔の話。
書き方が物語り的になるので、
上のような人には、
「ホンマですかねぇー」といいたくなるような例の語り口で。
もう30年以上前、
まだ、パソコンもスマートフォンも無かった頃。
僕は大学生で、夏休みで、その日は家にいて、
無くなったタバコを買うために家の外に出た。
家を出て正面には、
川崎製鉄の所有しているテニスコートがあった。
もともとそこには大きなお屋敷があって、
敷地内の外側に面したところには大きな松の木が並んでいた。
たぶんそれは、
さらに古い時代に海岸の近くが一面の松林だった頃の、
その流れをくむ松の木だったんじゃないかと思う。
立派でスラッと背の高い松の木たちは、
川崎製鉄のテニスコートになってからもそのまま並んでいて、
家を出ると必ず正面に見える松のある風景は、
「とても当たり前で、だけど安心感を与えてくれる」といった、
僕にとっては「家庭」とワンセットになったような景色だった。
その松の並ぶテニスコートと僕の家の間には、
脇に小さなドブ川を備えた小ぶりの道路が南北に走っていて、
旧堤防のところで行き止まりになっているおかげで、
車の量もそう多くは無いのんびりとした道だった。
その日、
僕はその道路を北へ向い、
バス道にある「大川さん」という酒屋の脇にある、
タバコの自動販売機を目指して歩いた。
その頃はまだ高いマンションなど無かった頃で、
スカッと抜けるような感じの芦屋の浜手の独特の空気感の中を、
夏の強い日差しがアスファルトを白く照らしていた。
右手の公園を越えて宮本産婦人科の前あたりまで来た時、
バス通りを曲ってこちらに走ってきた緑のスーパーカブの運転手が、
「おーっ!佐野ーっ!」と声を出した。
当時は原動機付き自転車はヘルメット着用義務は無かったので、
カブの運転手の顔が「ヨシナガ」であることがすぐに解った。
ヨシナガは小学校と中学校が一緒で、
併せて2回ほど同じクラスになったことのある、
そしてその当時もごくたまに一緒に遊んだりしていたヤツだ。
僕はたぶん、
「おーっ、何してんのー?」とでも言ったんだと思う。
聴くと「寿司屋で配達のバイトしてんねーん」と。
それからたしか、
ヨシナガはバイクを降りて、
僕はヨシナガにタバコをもらって、
2人して並んで宮本産婦人科の脇に座って数分間話をした、
とか、そんなんじゃ無かったか、と思う。
とにかく、
夏らしい強い日差しを受けて、
道路や宮本産婦人科の壁など周辺が真っ白になったような、
その時の周辺の印象ははっきりと記憶に残っている。
その時なのか、
しばらくしてからヨシナガから電話があったのか、
それはもう忘れてしまったけれど、
ヨシナガが、
「佐野ーっ、俺のあと、寿司屋の配達のバイトせえへんかー?」
と言い、
僕は、迷うことなく、
「するーっ」と言った。
というのも、
僕はその年の春頃に原付免許を取っていて、
しかし、自分のバイクは持っていなかったので、
バイクを乗り回したくって仕方が無かったのだ。
ヨシナガが途中で僕にバトンタッチした詳しい理由は覚えていない。
彼は当時、岐阜の短期の専門の学校に行っていて、
翌年は卒業だったからその関係があったのかもしれないし、
もしかしたら、
僕が「一年の内の出来事」だと覚え違いをしているだけで、
カブに乗ったヨシナガに会った夏は、
その一年前の事だったのかもしれない。
今となってはあやふやだ。
しかし、とにかく、
1981年の夏、
そういう成り行きで、
もともとヨシナガが乗り回していた、
"たこはち" (多幸八=寿司屋の屋号)のスーパーカブを、
ひきついで僕がブイブイと乗り倒したのだった。
「そのヨシナガも、今ではどこでどうしているのかは知らない…」
と、安っぽいお話のようには終わらない。
ヨシナガとはあれからも、
そして今でもつきあいがあって、
彼は変わらず元気でスカッと気持ちのいいヤツだ。
ちょっと前に、
一緒に飲みにいった時に、
「昔、夏にヨシナガが "たこはち" のバイクで配達の途中、
ウチの近くでバッタリと会ったの覚えてる?」
と聴いてみた。
返事は、
「いやー、憶えてへんわー! オマエ、よぉ憶えとるなー」
だった。
でも、
「ほんま、"たこはち" のバイトはよかったなー。
お盆とか正月前の数日以外はそんなに忙しなかったし、
外に出たらバイクで飛ばせたしなー」
と、ヨシナガ。
この記憶に関しては、
一致した。
そんなこんなです。
2014年8 月14日 16:29 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
NO.0701 京都市下京区七条通リド飲食街
2014年6月5日
NO.0700 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0699 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0698 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0697 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0696 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0695 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0694 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0693 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0692 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0691 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0690 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0689 京都市下京区観喜寺町京都水族園
2014年6月5日
NO.0688 京都府京都市下京区JR京都駅
2014年6月5日
NO.0687 京都府京都市下京区JR京都駅
2014年6月5日
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2014年8 月12日 15:19 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景 | 個別ページ
今日は台風の影響で、
一日、風が吹いたりどんよりしたり、雨が降ったり。
この夏はほんとにこんな感じで。
星は、
「出る」というけれど、本当は、
誰もが知っているように、
昼間も出ている。
けれど、太陽の光があまりに明るいので、
星が見えていないだけだ。
本当はそこにあるのに、
「見えていない」。
そういうことは、
星に限らず、いろいろとあるもんだ。
特に、
「自分は見えている、きっと間違っていない!(でも、何かに自信がない)」
と思ってる人に限って、
見えていなかったりするものだ。
僕などは間違いだらけなので、
綺麗な星がちゃんと見える。
「そんな事をいうオマエは、そんなに正解なのか?」だって?
いやいや、だから、間違いが一杯あるんだってば。
トビイカというイカがいるそうだ。
この間のイラストの仕事で描いて初めて知った。
「トビウオ」というのは有名で、
実際にどこかでフェリーだかに乗ったとき、
それに並ぶようにトビウオが滑空しているのを見た事がある。
しかし、
トビイカ。
そんなのがいたのか!
なんで飛ぶの?
なぜイカが飛ぶ必要があるの?
「それを言うならトビウオだって飛ぶ必要があるのか?」
とトビイカ方面からクレームが付くかもしれないけれど、
なんで飛ぶのだろう?
(もちろん学術的にはいろいろと意味があるのだろう)
まぁ、人だっていろんな人がいて、
「どうしていちいち独り言をいいながら歩いているの?」
なんてどう考えてもヘンに見える人もいたりする訳だけれど、
でもそうしたくてしているその人の好きにしたらいい訳で、
トビイカにだってとやかく言う筋合いでもないのだが。
それにしても、
トビイカ。知らなかった。
もしかしたら、
僕が知らないだけで、
世界の海には、
「トピエビ」とか「トビウニ」とか「トビヒトデ」とか、
「トビナマコ」とか「トビワカメ」とか「トビクジラ」とか居て、
海面のやや上あたりを、
ヒュンヒュンヒュンヒュン滑空していたりするのだろうか。
ハブ茶というものがある。
「ハブ」と言っても、
蛇の「ハブ」じゃない。
もしそうなら、なんだかとっても元気になりそうな感じだが、
そうじゃない。
調べると、
もともとはハブソウという植物の種で作ったものを、
ハブ茶と言っていたらしいが、
今はエビスグサという植物の種子である、
けつめいし(聴いたことあるなぁ)を炒ったものを、
お茶のように入れたり煮出したりして飲むお茶のことを、
ハブ茶と言う。
去年、売っていたハブ茶を何気なく買って、
そのままずつと放っておいたのだけれど、
夏になってそれを水出しポットに入れて出してみると、
個人的にはとてもおいしく感じた。
ので、
最近はハブ茶だ。
僕が高校くらいの頃までは、
まだ「万年筆」の力、みたいなものがやや残っていて、
高校入学の時にパーカーの万年筆を入学祝いにもらって、
当然のようにして嬉しかった。
その後、僕らの筆箱には、
水性ボールペンだの、0.5ミリのサインペンなども住まうようになり、
さらに時間が経って毎日のようには筆箱は使わなくなってから、
製図用ペンだの、顔料インク水性ペンだの、
いろんなペン先をもった「インク系ペン」が現れた。
そして、
そのうちにパソコンが「パソコーン!」と登場し、
携帯が「けいたーい!」と踊りでて、
スマホが「スマーッホ」としゃしゃり出て、
とうとう普段字すら書かない人まで出てくるようになってしまった。
でも、
人さまの事はまぁ、別にいい。
僕に関しては、
ちょいと前あたり(1.2.3年前?)から万年筆が恋しくなったのだ。
で、
まずはその後に1本買って、
今から2ヶ月ほど前にもう一本買った。
どちらも高価なものでは無いけれど、
なんだかいいなぁと思う。
もちろん字もこれで書くけれど、
場合によってはイラストの仕事に使ったりもする。
当たり前だか、
電池もバッテリーも充電もいらない。
(インクはいるけどね)
もう 20年くらい前になるだろうか。
その頃の数年間、
僕は夏になると毎年、
午前中はベランダに寝っ転がって、
体を陽に焼いていた時期があった。
そのベランダは、
午前中のある時間帯だけ、
床に細長く陽が当たるのだ。
そうやって日焼けして、誰かに、
「あれ、陽に焼けてるやん、どっかいったん?」と聴かれると、
「いやいや、ベランダで焼いてん」と言ってそのあとに、
「僕はプライベートビーチって呼んでんねんけどな」と、
付け足したりしていた。
なんか「のんき」にやっていたなぁ、
と思う。
え?
「今でものんきなんじゃないのか?」って?
さぁぁーねぇぇぇーっ。
2014年8 月 9日 23:13 カテゴリー: ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
「まちがいさがしメイト」誌用の、
問題も考える2点が完了。
まずは、
チュンチュンの間違い探し。
そして、
ペンギンパズル。
これでひとまず、
連続のパズル誌イラスト描きは一息。
自分の体調が年々変わっているのか、
それとも、もしかしたらみんなそうなのか、
今年の暑さの感じは、ちょっと「未経験」な感じがする。
それは単純に「温度」だけのことを言っているのではない。
まぁ、そんな免疫のない暑さでも、
知っている方法でしか解決できないので、
ついついビールを飲んでしまう。
で、ビールがまた、
(もちろん基本的には年中おいしいのだけれど)
ことさらにこの夏はおいしい気がする。
思えばビールも、
もう、30数年飲んでいる。
(毎日ではないが)
今は飲みに行くとだいたい生ビールは中ジョッキ、
いわゆる「生中」がメインでそのサイズしかないところも多い。
でも、若い頃、「大ジョッキ」でおいている所も多くて、
みんなそのでっかいジョッキでガンガン飲んでいた時代があった。
「おいしさ」で言うと、
入れ立てをちょっとずつ飲む方がもちろんおいしいけれど、
あれは、あの、豪快さが嬉しかったのだろう。
今は「豪快さ」ってあまり受けないみたいだ。
(「傍若無人」や「無謀」は結構よく見かけるけれど)
それから、
集まって自分たちで飲むときによく買った、
「リットル単位のミニ樽」なんてのがあった。
これまた、みんなでガンガンビールをつぎあって、
どんどん飲んでいた。
これまた「豪快さ」が嬉しかったのだろう。
そして、
そのミニ樽のつぎ口に工夫がしてあって、
(きめ細やかな泡を出すためだったかな?)
さらに、
ビールをつぐ時にそこから、
「ピヨピヨピヨピヨ」と音のするものもあった。
なんとも言えずどうでもいいような楽しい小ワザだった。
今は、
そやなぁ、
「豪快さ」も、逆に「小ワザ」も受けない。
「だって意味ないじゃーん!」
だまらっしゃい!
「豪快さ」や「小ワザ」というものもちゃんと許されてそこにあること、
がいいんじゃないですか!
なぜならば、
はなから「意味を達成するため」に生まれてきた人は誰1人いませんぞ!
「そこに在ること」、
そこに意味があるのですぞ!
わからっしゃったか! (うむぅ? こんな言い方ある?)
2014年8 月 6日 18:24 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
まず、「スーパークロスワード」誌の、
次の次の号用のイラストパズルが完了。
それから、
「 はっぴい アロー&スケルトン」誌のイラストも完了。
編集部からのお題は、
「なつかしくも照れくさく、時に幻滅も… 同窓会あるある」
↓
編集部からのお題は、
「生き残りをかけた進化 海の生き物の必殺ワザ!」
↓
編集部からのお題は、
「かつて地上を闊歩した… 太古の生物たち!」
↓
編集部からのお題は、
「良いものは良いのです!」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
なんだか暑さのせいか、
ここ数日、
ちょっとしたポカを続けてやっている。
と思ったらノドがちょっとヘン?
少しふらっとする?
風邪?
それとも忙しくて疲れただけ?
おまけに外は、
どんより天気続きで重たいし。
8月だぞ。
今日みかけた「オネエさま」な看板。
わかったわ。
そんなこんなです。
2014年8 月 4日 18:22 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
2014年8 月 2日 20:31 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト | 個別ページ
「ラッキー!クロスワード」誌の次の次の号用の、
ヒーローパズル、完了。
おや?!
泣いている人が。
3才の時に、
僕の家族は神戸から芦屋へと引っ越した。
「芦屋」といっても海岸近くの下町地帯で、
僕らの家は小さな分譲住宅だった。
今では世界的にも著名になった、
芦屋で青少年時代を過ごしたある小説家も、
最近の短編小説の中で書いているけれど、
「芦屋」で暮らして「本当のお金持ち」ではない家の子は皆、
やがて他の地域に出たときに複雑な思いをすることになる。
「芦屋です」と言うと必ずと言っていいほどに、
「ああ、お金持ちやな? ボンやな?」と言われる。
「ええとこ住んでるなぁ、ええしの子やな?」と言われる。
実際にお金持ちならばまた違う感情を持つのだろうが、
そうじゃない僕らは仕方なしに笑顔で否定しながらも、
心の中で「もぉー、勘弁して」と思うのだ。
おまけにその会話を聞いていた別の人からやっかみ気味に、
「まぁ、芦屋ゆうてもいろいろあるやろけどな!」なんて、
本来こちらが言うべき言葉を吐き捨てられることもあったりで、
僕らはうんざりして心の中で「やれやれ」と思ったりする。
(先に述べた「世界的な小説家」は、こんな感じの表現をする人です。
今回はその作家を意識していきます。もちろん遠く及ばないけれど)
さらに、
外の街で知り合った者を家に呼んだ場合、
「あれ、予想していた家と違った。でもちょっと安心した」
なんて良心的な表情をしてくれる者ばかりではなく、
「ありゃ、大きくないんか!」とガッカリした表情を隠せない者、
そして、もっと人間的に残念な、
「期限の切れたチケット」みたいな内面をもった人の場合は、
「へへっ、なーんや、芦屋ゆうてて、こんなんか、へへっ」みたいな、
侮蔑的な光を目の奥に無意識的にちゃんと見せながら、
表情はポーカーフェイスを維持しているつもりで、しかし、
何かのとたんに唇の右端がふっと斜めに上がったりするのを、
しっかり目の当たりにしてがっかりとした気持ちになって、
また「やれやれ」と思ったりするのだ。
(「おまえが勝手に大きいと思っていただけやんか」)
まぁ、だからと言って、
そういう感じの人たちは、
何も芦屋の外だけではなく芦屋の中にも沢山いて、
僕らの家を見て唇の右端をふっと上げたりする、
お金はあるけれど人間的には「期限の切れたチケット」みたいに残念な人も、
少なからず居たりもする。
(この「少なからず」という言葉は便利だ)
そういう部分ではある意味、
(「ある意味」も便利だ)
こんな言い方は良くないかもしれないけれど、
(「こんな言い方は良くないかもしれない」も売れ筋だ)
あの街というのは、
「売れ残ったチケットを保管している倉庫」
みたいなところだ。
が、
芦屋のすべてが残念だと言っている訳じゃない。
僕が好きだった芦屋がちゃんとある。
あの空気感というか、立地というか、自然の感じというか、
環境というか、風の流れというか、
その部分で芦屋は悪くなかった。
僕が少年時代から青年時代を過ごした、
時代的にも「ノンビリしていたあの頃」は特にそうかもしれない。
我が家の前の道路は震災のあった1995年まで行き止まりで、
車の通りも少なく前に松林があり、
心のどこかが暖かくなるような穏やかさのあるところだった。
今の芦屋の感じのすべてが、
「あの頃と同じ」だとは言えない。
残念ながらマンションや車が増えて、
全くガッカリな感じに変わってしまったところもある。
けれど、たまに芦屋を訪れて、
場所によっては、
「あ、ここにはあの感じが残っている」というところがまだ、
少なからずある。
(ほんとに「少なからず」は便利だ)
そしてそれは、必ずしも、
「昔のそのまんま」という意味ではない。
さて、
そうやって芦屋にはまだ、
僕が好意的に感じる「独特の風」が残っているとして、
しかし、もう、
どうしても戻せないものもある。
それは、
数年前に芦屋の南の端に人工的に作ったけれど、
やはりそれは違うだろう、というものだ、
また、
「だけど厳密に言うと、江戸時代から昭和にかけても、
多少は変わってきているのとちゃう?」と誰かに言われても、
それでも、それは、あの人工のものとは根本的に違って、
ちゃんと昔からの流れをくんだものだった、
と言い返したくなるものだ。
それは何かというと、
砂浜だ。
長く続く砂浜だ。
僕が芦屋に引っ越して、
はっきりとは解らないけれど、
少なくとも5年は残っていた砂浜の続く海岸だ。
僕は最近、
あの「芦屋の砂浜」にギリギリ間に合って「良かった」と思う。
今はもう、このあたりで、
有名な海水浴場の周辺を除いては、
街の近くで長く砂浜が続くところなどまずない。
いや、もしかしたら、
日本中探しても、海水浴場近隣以外の、
立地がとても便利で大きな都市から電車で20分ほどで、
住宅が沢山建ち並びながらも同時に、
長い砂浜の海岸線を併せ持つところは、
なかなか無いかもしれない。
ちょうど高度成長期で海自体は少し油くさかったけれど、
あの細長い砂浜で走って転げ回って、
手でグーッと砂を押して小さな道を作ったり、
飽きずにずーっと寄せては返す波を見ていたり、
ブツブツと穴の空いた桃の種を「?」と思いながら拾ったり、
ハゼやテンコチを釣ったりカニを取ったり、
砂にまみれる日々をぎりぎり過ごせてほんとに良かったと思っている。
今でも、
たまにあの砂浜の夢を見ることがある。
我が家の木でできた小さな門を開けて、
南に一直線に走っていくとそこから繋がっている、
堤防の上の小さな道に通じる階段をかけ上がって、
さらにその上にある小さな堤防の階段を数段のぼって立つと、
そこに、芦屋の、
砂浜と海があった。
2014年7 月29日 22:04 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ
NO.0686 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0685 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0684 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0683 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0682 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0681 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0680 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0679 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0678 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0677 神戸市中央区波止場町
2014年5月20日
NO.0676 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0675 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0674 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0673 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年3月12日
NO.0672 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0671 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0670 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0669 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0668 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0667 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0666 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0665 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0664 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0663 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
NO.0662 神戸市中央区波止場町ポートタワー
2014年5月20日
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2014年7 月27日 18:10 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景 | 個別ページ
「ナンクロDX」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
「鉢の中の小さな宇宙 盆栽」
↓
編集部からのお題は、
「食うか? 食われるか? サバンナ」
↓
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
自主的勉強をしていて、
「生物」を学んでいる。
おもしろい。
僕らのような動物を形作っている細胞は、
そのルーツは、もともと「細胞だけの生物」で、
このコたちにはだいだい「酸素」なんてのは毒でダメだった。
このコたちを「もとコちゃん」と名付けてみる。
やがて、
「もとコちゃん」とは別に、
「光合成をして酸素を出す」生物が生まれた。
そのコたちを「みどりちゃん」と名付けてみる。
そこから長い年月が経って、
「みどりちゃん」の作った酸素が地球上に増えてきた。
すると、
今度はまた別の「酸素を使って生きる細菌」が、
「ニューフェイス」として生まれてきた。
彼を「さんちゃん」と名付けてみる。
その「さんちゃん」は「酸素を使える」おかげで、
今までのコたちとは違ってかなり元気だった。
しかも、頭も良かった。
やがて「さんちゃん」は、
「もとコちゃん」に近づいて、
「なぁ、一緒に暮らそうやー」と言って、
グイグイッと「もとコちゃん」の細胞の中に入ってきた。
「もとコちゃん」は「えっ、なにー? コイツー」と思ったが、
受け入れてしまった。
しかし、「さんちゃん」は、
「その代わり、君の苦手なことはボクがしたる」と言って、
「もとコちゃん」が苦手だった酸素から、
見たこともないほどの沢山のエネルギーを作って渡してくれる。
だから、「もとコちゃん」はクラッときて、
その代わりとして、
「さんちゃん」にタンパク質を作ってあげて、
食わしてあげることになった。
そんな風に、
「もとコちゃん」細胞の中に、
「さんちゃん」細菌が入った形が、
僕らの今の細胞のルーツで、
入ってきた「さんちゃん」すなわち酸素を利用できる細菌が、
つまり僕等の細胞の中に必ずある、
のちの「ミトコンドリア」になった、と言われている。
僕等の、
「呼吸」という営みの中の、
最終的な働きである、
ミトコンドリアで「酸素と有機物でエネルギーを作る」ということは、
そもそも「もとコちゃん」と「さんちゃん」の、
「ギブアンドテイク」な、「共に生きる」な、
こういった事らしい。
その証拠に、
細胞全体の核にあるDNAとは別に、
ミトコンドリアは独自のDNAも持っているという。
そう、別々の生き物が1つになった形が、
もともとのボクらの形で、
今もその形が体内にある、
と思うと、
ちょっとオモシロイ。
「人間のルーツはすべてアフリカの一人の母親から」とか、
「体の中のしくみはあーでこーで」とか、
そういうのをイメージするもいいが、
個人的にはもうそういうのはおしまいだ。
これからは、そんなの通り越して、
もっともっと、「そもそも」な、
「自分の体内の、細胞とその中のミトコンドリア」
を頭の中でイメージしよう。
「スーハー」と呼吸しながら、
体内の全細胞に告ぐ。
「いろいろしっかりとたのむからね、
細胞とミトコンドリア!」
ちなみに、
「もとコちゃん」と「さんちゃん」の、
「呼吸」という暮らしができるようになったニューファミリー細胞に、
さらに、
上で書いた光合成をする生物「みどりちゃん」が入り込んできて、
「光合成」もできるようになった同居世帯が、
のちの「植物細胞」で、
その「みどりちゃん」がつまり、
植物細胞の中にある「葉緑体」なった、
のだという。
細かいところ間違っていたら、ごめんなさい。
さらに詳しくは自分で調べてもらえたら。
そんなこんなです。
2014年7 月22日 13:32 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] サノゲンランプ | 個別ページ