「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
宮川と阪急の線路の交わった所すぐ北側にある、
「いかりスーパー」から山手に上っていって、
かつての「市民プール」から「芦屋神社」を経て、
ウチのお墓のある霊園までです。
そして、
いよいよタテパノラマの「芦屋の街」編も、
今回でおしまいです。
もう今後、
お墓の整備やその時利用する駅周辺や、
芦屋美術館やどこか特定のお店の利用や、
それから誰かと芦屋で会うことになった、
とかそういう場合以外では、
芦屋をここまでアチコチ歩き回ることは、
もう多分今後二度と無いでしょう。
ひとまずこれで、
個人的な、「育った街芦屋」への、
恩返し的振り返り総まとめもキモチ的におしまいです。
さあ、次に行きます。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1720 芦屋市劔谷芦屋市霊園
2014年04月18日
(*↑ 〝芦屋編〟の一番最後はウチのお墓です。この日本のヨノナカには「お墓をブログのああいうところにああいう風に載せるって、どうなんでしょうかねぇぇ〜」とめんどくさいコトを言うような人もいるのは知っているので、載せるのはどうしようかなぁと思ったのだけれど、やはり今回の〝芦屋編〟の締めくくりの一番最後としてはここしかないなーと思い、載せます。それにここは、ただ単なる「家のお墓」ということにとどまらない個人的な思い入れがあります。2012年の5月に僕はこのお墓の敷地を一人で整備しました。それまで家族で墓参りなどはしてましたが、敷地は墓を作ったときのままで、大がかりな整備や細やかな手入れはしていなかったので結構荒れていました。芝が入り込んで根をはったり、植えているサツキが一部枯れたりスカスカになったりしていて。ふと、「これはちゃんとしておいた方がいいなぁ」と、〝ごく自然なコト〟を思いつきました。しかし、業者さんに頼むのもきっとお金がかかるだろうし、僕は自由業で時間はなんとかなるので自分でやろうと思い立ち、ほぼ毎日通って半日ほど作業して帰ってくるということを続けました。土を掘り起こして、入り込んでいた芝や、傷みがひどくいびつになった木は取り除き、ふるいにかけて土と玉砂利とゴミは分けて、そのあと土をまず戻し玉砂利も洗ってからその上に戻し、さらに新たに玉砂利を買い足して敷きました。植木もいけそうなものはやり方を調べて見よう見まねで剪定をして、さらに新しい植木も追加で買って植えました。そんな感じで約一ヶ月、仕事もしつつなのでタイヘンだったけれどなんだか終わるととても充実した日々でした。そう、だからその作業をしている間、お墓の下にいる人たちもずっと見ていてそれは知ってくれているワケなので、まあここにこうしてお墓の写真を載せたとしても、きっと「そんなんぜんぜん、ええねんでぇー。逆に、もし何やかんや言う人がおったら、ワタシらが守ってあげるからなー」と言ってくれるんじゃないかとなぁ、と思ったりするのです )
NO.1719 芦屋市劔谷芦屋市霊園
2015年11月11日
(*↑ このお墓を作ったのは、僕が小学6年か中1くらいだったかと思います。それまでひいおばあちゃんの田舎の加古川にあったお墓を、住んでいる芦屋に移す話になりました。そして、この霊園の敷地の抽選会の日に、母に付き添って僕もこの霊園まで来たのでした。抽選の前に二人で「どこにしようかー」と更地を見て回ったりしました。それを思えば、ここは母以外の他の家族親族よりも、縁と思い入れがあってのちに自分で整備するまでになったのも、なんとなく今、納得したりするのです )
NO.1718 芦屋市劔谷芦屋市霊園
2014年04月18日
NO.1717 芦屋市劔谷芦屋市霊園
2014年04月18日
NO.1716 芦屋市劔谷芦屋市霊園
2015年11月11日
NO.1715 芦屋市劔谷芦屋市霊園
2014年04月18日
NO.1714 芦屋市劔谷芦屋市霊園
2015年9月15日
NO.1713 芦屋市劔谷芦屋市霊園
2015年11月11日
(*↑ このなだらかな階段は昔からあります。ごく小さな子供の頃に、近所の母親の友だちの大野さんと一緒に遊びにきて、ここを駆け回ったのを憶えています )
NO.1712 芦屋市劔谷芦屋市霊園慈光観音
2015年11月11日
(*↑ 観音さんです。祖母はここに来ると必ずここもお参りしていました )
NO.1711 芦屋市朝日ヶ丘町芦屋市霊園
2015年11月11日
(*↑ 霊園の正面入り口から入ってすぐのあたりです。この霊園は、春になると全体的に桜がとても綺麗です )
NO.1710 芦屋市朝日ヶ丘町芦屋市霊園
2015年11月11日
NO.1709 芦屋市朝日ヶ丘町芦屋市霊園
2015年11月11日
NO.1708 芦屋市朝日ヶ丘町さくら参道
2016年4月15日
(*↑ 霊園に続いている坂道です。坂の下から上を見ています。突き当たりの霊園正面を右に曲がってまっすぐに行くと、「兵庫県警察学校」があります )
NO.1707 芦屋市朝日ヶ丘町さくら参道
2016年4月15日
(*↑ 坂の上から下を見おろしています )
NO.1706 芦屋市朝日ヶ丘町さくら参道
2016年4月15日
(*↑ 霊園に続いているこの坂道は、昔から春になると両脇に桜が綺麗に咲きます。今は「さくら参道」という名前もついているんですねぇ )
NO.1705 芦屋市東芦屋町芦屋神社
2015年9月15日
(*↑ 芦屋神社です。子供の頃はよく家族とお正月にお参りに来ました )
NO.1704 芦屋市東芦屋町芦屋神社水神社
2015年9月15日
(*↑ 芦屋神社内にあるこの水神社は、なんだか独特の空気を放っています。写真でも「見るからに」でしょう? )
NO.1703 芦屋市東芦屋町芦屋神社遥拝所
2015年9月15日
NO.1702 芦屋市東芦屋町芦屋神社
2015年9月15日
NO.1701 芦屋市東芦屋町芦屋神社
2015年9月15日
NO.1700 芦屋市朝日ヶ丘町朝日ヶ丘公園
2015年9月15日
NO.1699 芦屋市朝日ヶ丘町朝日ヶ丘公園プール
2015年9月15日
(*↑ 昔はただ「市民プール」と呼んでいました。当時は芦屋の市営プールはここだけでしたので。今は新しい埋め立て地の方にも市営プールが出来ていて、そちらを「海浜公園公園プール」、そしてこちらを「朝日ヶ丘公園プール」と呼び分けているようです。このプールは、原作が村上春樹さんのデビュー小説で、監督が芦屋育ち在住の大森一樹さんの映画『風の歌を聴け』のロケでも使われていました。僕がこのプールで最後に泳いだのは、たしか20歳ちょっとすぎくらいだったと思います )
NO.1698 芦屋市朝日ヶ丘町朝日ヶ丘公園プール
2015年9月15日
(*↑ 入場口ですが、昔はこんな綺麗な建物じゃなかっと思います。よく小学校の友だちと泳ぎに来ました。今でも中のプールの感じとかだいたい憶えています。自転車でも来たことがあるけれど、ここは坂の上にあるので行きが結構大変なんですよねぇ。でも自転車だったにしても、また歩いてきた時でも、子供同士わぁわぁ言いながらだとすぐ着いちゃうんですけれど。あの頃はこの入り口の道を挟んで正面に、小さなお店がありました。たぶん夏だけの簡単な造りのお店だったと思いますが、そこにはお菓子やジュースと共に「おでん (関東炊き)」が売ってました。プールの後の唇もちょっと紫になったりしている冷えた体に、「おでん」は最高においしかったのを今も覚えています )
NO.1697 芦屋市岩園町いかりスーパー
2016年4月15日
(*↑ 1977年だから僕が高校生くらいに出来た、阪神間〜神戸では有名なスーパーの芦屋店です。まだ「スーパーと言えば安い」というだけのイメージだった頃に、質の高いものを提供するスーパーとして少しずつ店を増やしていきました。いわゆる「高級スーパー」とも呼ばれていますが、ウチの母親は別にそうだからというワケではなく、質のいいものがあるのを好んでここをたまに利用していました。でもほんとうに、安売りスーパーに比べると値段は少し上ですが、いいものが置いていたりしていて、オリジナル加工品なども美味しいものがあったりします。僕は個人的には、アルミの容器に入っていてオーブントースターなどで焼く、いかり製の「グラタン」や「ドリア」が大好きです )
NO.1696 芦屋市岩園町いかりスーパー
2016年4月15日
NO.1695 芦屋市岩園町いかりスーパー
2016年4月15日
NO.1694 芦屋市岩園町いかりスーパー
2016年4月15日
(*↑ 手前の川は、宮川になります )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月14日 19:21 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
ラポルテ及びJR芦屋駅モンテメールの1階から、
その周辺のお店などを見て北へ行きつつ、
宮川沿い阪急の線路南の神戸屋レストランまでを。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1693 芦屋市大原町神戸屋レストラン
2016年4月15日
(*↑ 神戸屋レストランです。パンとレストランのお店です。いつごろからか忘れましたがここにあります。1980年代後半〜90年代くらいかなぁ。でも、この有名なチェーン店は、本社も発祥も神戸じゃないみたいですね。ずっと知らなかったのです。名前は神戸ですが )
NO.1692 芦屋市大原町神戸屋レストラン
2016年4月15日
NO.1691 芦屋市大原町田中千代服飾専門学校跡地
2016年4月15日
(*↑ これを書いている現時点からの10数年前までここに「田中千代服飾専門学校」がありました。田中千代さんというのは、日本ではじめてファッションショーを開いた服飾デザイナーさんで、昭和天皇の皇后さまの衣装デザインも長年担当された方です。1947年に、神戸にあった洋裁研究所をここに移し、その後ここで学校法人「田中千代学園」を設立しました。で、実は僕の母親がその学校の出身です。戦後しばらくの頃に神戸の家からここへ通っていたそうです。この学校を出てからオーダーの洋装店の縫い子をしたり、結婚後も家で洋裁を教えたりしていました。ここ出身だということは何度も聞いていたので、ここにあった学校の前を何かの機会で通るたび「ここに行ってたんだー」なんて思ったりしたものです。2000年代に入って東京校に統一されて、そちらで「田中千代ファッションカレッジ」として現在も存在しているようです。跡地は今はマンションが建っています )
NO.1690 芦屋市大原町
2016年4月15日
(*↑ ここには昔からお店が数件並んでいます。かつてのコープさんを北にまっすぐ進んで50メートルくらいのところです。で、今はどちらも無くなっていますが、昔は一番北のお店がジーンズ・ショップ、一番南にレコード・ショップがありました。そのレコードショップは当時芦屋では数少ないレコード屋さん、もしくは時期によってはもしかしたら唯一のレコード屋さんだったかもしれません。中学くらいの頃にそこで何枚か買ったことがあります。当時を知っている人なら分かるかもしれませんが、あの頃の個人営業のレコード屋さんはなんだか独特の雰囲気がありました。「お願いすれば視聴させてくれる」というのは聞いて知ってましたが、子供の僕にはそんな勇気は出ませんでした )
NO.1689 芦屋市大原町牛たん虎
2016年4月15日
(*↑ 牛タンのお店です。一度入ったことがあります )
NO.1688 芦屋市大原町洋食館たけぞの
2016年4月15日
(*↑ ここもNO.1667の「ホテル竹園芦屋」がやっている、庶民的で入りやすいレストランでしたが、これを書いている2017年現在の3月に閉店したそうです。2006年夏から1年間芦屋に住んで居た頃に何度も食べに来ていました。そのあるとき、下のカウンター席でランチを食べていたら、なんだかスゴイ勢いのオーラを発した女性2人組がカツカツカツと入ってきたと思ったら階段を上がって2階席に行き、1階席まで聞こえるような大きな声で誰かの事で二人でずっと口悪く文句を言っていた、というようなことがありました。「へぇー、そうかーそうなんやーそういうことなんやー」とフンフンと思いながら聞いていた(というか勝手に耳に入ってきた)、そんなことがあったのをよく憶えています。彼女たちは今、ニコニコとステキにしているでしょうか? )
NO.1687 芦屋市大原町谷村皮膚科医院
2016年4月15日
(*↑ この皮膚科の谷村さんは、子供の頃から親に連れられてきていたお医者さんです。高校時代に目の上に大きなイボが出来た時も、ここで取ってもらったりしました。当時は古い木造洋館風の医院で、西洋人形などが飾ってあったりして子供には少し不気味に感じるようなお屋敷でした。大人になってからは全く来たことがありませんでしたが、今風な建物に変わってました。もしかしたら阪神淡路大震災の時にあのお屋敷は被災した、とかなのかもしれません )
NO.1686 芦屋市大原町ラポルテブルックリンカフェ
2016年4月15日
(*↑ バーです。一度入ったことがあります )
NO.1685 芦屋市大原町ラポルテ生そば江戸
2016年10月14日
NO.1684 芦屋市大原町ラポルテあしや竹園
2016年10月14日
(*↑ NO.1667の「ホテル竹園芦屋」のそもそもの本業の流れの精肉店です。もちろんお肉を買い求める人が来るのですが、ここはコロッケも有名です。かつて、母親が家によく買って帰ってきていた頃は、本当においしいコロッケだと思っていました。よく言いがちなことですが、昔よく食べていた人間からすると「最近はそうでもない気がする」です。でもまぁ、他と比べると今でも美味しいコロッケだとは思いますよ )
NO.1683 芦屋市大原町ラポルテ東館
2016年10月14日
(*↑ ここの中に生協のコープさん(コープデイズ芦屋)があります )
NO.1682 芦屋市大原町ラポルテティールーム・ユーカリ
2016年10月14日
(*↑ ラポルテ1階の、NO.1666と同じく「ユーカリ」の名のつくお店です。2階の以前中華店だった「ユーカリ」は今は「カフェ・ユーカリ」。こちらは「ティールーム・ユーカリ」。同じ様な違うようなそんな名前です。場所的にも上下で同じ位置にあるのではないかと思います。もしそうなら、中は階段かエレベーターで繋がっているのかなぁ、などと色々想像したりしています )
NO.1681 芦屋市大原町ラポルテ堀萬昭堂
2016年10月14日
(*↑ NO.1462の大桝町の文具店・堀萬昭堂の支店です )
NO.1680 芦屋市大原町JR芦屋駅
2016年10月14日
NO.1679 芦屋市大原町モンテメールCafe Comfort
2016年10月14日
(*↑ NO.1656の喫茶店Cafe Comfortの1階からの入り口です )
NO.1678 芦屋市大原町モンテメールパフィオドニラク
2016年10月14日
(*↑ モンテメールが出来た時からこの1階にある花屋さんです。何度か買ったことがあります。神戸岡本にある花と植木の店「二楽園 (にらくえん) 」の支店だと思います )
NO.1677 芦屋市大原町三井住友銀行
2016年10月14日
NO.1676 芦屋市大原町JR芦屋駅
2016年10月14日
NO.1675 芦屋市大原町ラポルテ
2016年10月14日
(*↑ この正面に見えるのは宝くじ売り場です。今でもこのあたりに来るとたまに買ったりしています )
NO.1674 芦屋市大原町ラポルテ
2016年10月14日
(*↑ お墓の整備に行く時にJRを利用した場合は、ここからタクシーに乗ります )
NO.1673 芦屋市大原町ラポルテ
2016年10月14日
(*↑ 「ラボルテ」の2階から下に降りる階段です )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月13日 09:10 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
JR芦屋駅ホームから、
駅ビル「モンテメール」へ、
そして駅北側の商業施設「ラポルテ」の2階エリアです。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1672 芦屋市船戸町
2016年10月14日
(*↑ JR芦屋駅北側の「ラポルテ」2階の広場通路から駅ビルの「モンテメール」を見たところです。正面に見える「モンテメール」の屋上ではかつてビアガーデンをやっていました。しかしビアガーデン自体が一時廃った時代があり、無くなりました。その末期頃に、地元の友だちと一度飲みにいったことがありますが、サミシイ場内と、スニーカーの後ろ部分を踏んだ愛想の悪いいかにもアルバイトの兄ちゃんがちょっと侘しかったのを憶えています。ここ数年またビアガーデンは盛り返してきていますが、この「モンテメール」屋上は再開はしていないんじゃないかと思います )
NO.1671 芦屋市大原町ラポルテ
2016年10月14日
(*↑ 「ラポルテ」の2階広場通路から下の南北の通路を見たところです。この下、正確に言うとこの通りからもう1つ分西の建物と建物のスキマみたいな通路の位置には、1990年頃に「ラポルテ」が出来る前までは駅から北へと向かう中心的な道路がありました。竹園旅館の出入口があって、甲子園球場で試合があるときに定宿にしている読売ジャイアンアンツのバスが停まって、選手が乗り込んだりファンも群がっていたりしました。一度ファンの人たちの間から王選手をチラリと見たことがあります。他に三宮に本店のあったケーキ屋「G線」の支店があったり、芦屋で最初のレンタルレコードの「REIKODO」があったり、ブティックやコープ神戸(くみあいマーケット→神戸生協)が並んでいたりした道でした。さらに古くはコープさんの南角に「不二家」があってペコちゃんが首を振っていたこともありました。そして、このちょっと東側には「大原市場」という市場が南北に通っていました。この周辺はほんとに変わりました )
NO.1670 芦屋市大原町ラポルテ
2016年10月14日
NO.1669 芦屋市大原町ラポルテ
2016年10月14日
(*↑ 「ラポルテ」の東館です。コープ神戸が「コープDAYS」として入っています。たしかここで営業を始めたのは1990年くらいではなかったかと思うのですが、もともとコープはもう少し北側に3階建ての建物でやっていました。当時のそこのコープ(くみあいマーケット)はこのあたりではかなり大きいコープで、衣類や生活用品から雑貨や書店や画材やカメラもある、その頃としては充実した商業施設だったと思います。ソフトクリームを売っているコーナーがあって、よくねだってそこで「ミックス」ソフトクリーム (バニラとチョコが半々になって渦巻いている)を買ってもらうのが楽しみでした。また、年末の買い物を必ずそのコープに行っていた時期があり、当時はどこも正月は一週間ほど休みだったことから(他もだいたいそうでした)、その時だけは「オヤツは好きなだけ買ってええよ」とお許しが出て、いつもより多くのお菓子をカゴに放りこめるのがウレシかったりしたものです )
NO.1668 芦屋市大原町ラポルテ
2016年10月14日
NO.1667 芦屋市大原町ホテル竹園芦屋
2016年10月14日
(*↑ 昔から今も、読売ジャイアンツの関西遠征時の宿泊所となっている「ホテル竹園芦屋」です。また、甲子園での高校野球の球児たちも宿泊するところです。昔は「竹園旅館」という名でした。そもそも最初は精肉店から始めたといいます。今もラポルテの1階に竹園の精肉店があります。また昔は、コープさんの近くに竹園の「お好み焼き」屋さんなどもあって、たしか子供の時に家族と一度程入ったように思います。今ホテルの中には但馬牛専門レストラン「あしや竹園」があるそうです。高級そうで、一度も入ったことは無いです )
NO.1666 芦屋市大原町カフェ・ユーカリ
2016年10月14日
(*↑ この「ユーカリ」って名前のつくお店は昔からこのあたりにある気がするなぁー、と思っていたらどうやら1947年創業で芦屋で初めての喫茶店だそうです。何店舗かあったはずですが、ここのお店はちょっと前までユーカリ系で〝中華〟のお店をしていました。それが最近カフェになった( 戻った? )ようです。中華の時に何度か食べに来ました。ここの1階フロアにももうひとつ「ユーカリ」の名のついた喫茶店が以前からあります )
NO.1665 芦屋市大原町ラポルテ
2016年10月14日
(*↑ ラポルテの一階ロータリーの中心に、時計のついた「花びらのかたまりのようなモニュメント」があります。「おもしろいね」と「へんなの」の両極端に意見が分かれそうなモニュメントです。もしかしたらからくり時計なのかもしれませんが、動いているのを僕は見たことがありません )
NO.1664 芦屋市船戸町ラポルテ
2016年10月14日
NO.1663 芦屋市船戸町ラポルテ
2016年10月14日
NO.1662 芦屋市船戸町ラポルテ
2016年10月14日
(*↑ JR芦屋駅及び「モンテメール」と、「ラポルテ」の2階広場通路を結ぶ通路です )
NO.1661 芦屋市船戸町ラポルテ
2016年10月14日
(*↑ 「ラポルテ」1階はロータリーになっていてタクシー乗り場やバス乗り場、それから「ホテル竹園芦屋」の前に車やバスなどをつけるスペースにもなっています )
NO.1660 芦屋市船戸町
2016年10月14日
(*↑ JR芦屋駅及び「モンテメール」の出入口から、「ラポルテ」の2階広場へと通じる出入口です )
NO.1659 芦屋市船戸町モンテメール西館
2016年10月14日
(*↑ この本館の前にある「モンテメール」西館は、阪神淡路大震災後の1990年代後半に出来たんしゃないかと思います )
NO.1658 芦屋市船戸町モンテメール
2016年10月14日
(*↑ 西館の正面にある「モンテメール」本館の出入り口です。こちらの本館は1980年に開業。大丸と専門店が入っています。大丸は婦人服・紳士服・雑貨に食料品。専門店はブティック・紳士服店、飲食店の他に雑貨店やその他の専門店などのお店があります。オープン当初は書店、文具店、しばらくしてCDショップなどもあり結構充実していましたが、それらはもう今は無くなってしまいました )
NO.1657 芦屋市大原町モンテメール
2016年10月14日
NO.1656 芦屋市大原町モンテメールCafe Comfort
2016年10月14日
(*↑ 2006年夏から約一年芦屋に暮らしていた頃に、たまに行っていた喫茶店です )
NO.1655 芦屋市大原町モンテメール西村屋
2016年10月14日
NO.1654 芦屋市大原町モンテメール風流田毎そば
2016年10月14日
(*↑ お蕎麦屋さんです。今でもお墓の整備に芦屋に来た時に、タイミングによっては食べに来たりします。ここは昔「京風らーめん あかさたな」というラーメン店でした。チェーンの同じお店が神戸の元町商店街にもありました。どういうサイクルだったか忘れましたが、たまに「100円ラーメンの日」というのがあって、一番シンプルなラーメンが100円で食べることができ、学生の頃はよく食べました。ここの店も元町の店もいつのまにか無くなってしまいましたが、僕は店名からずっと京都に本店のあるお店と思ってました。しかし実は「名古屋発祥のお店」ということを知ったのはつい最近です。つまり、あくまで「京風」だったんですね。名古屋には今も「あかさたな」の店舗があるそうです )
NO.1653 芦屋市大原町モンテメール
2016年10月14日
(*↑ NO.1654や1655のお店のあるこの「グルメ街」ですが、オープン当初から10数年くらい前まではホントに充実していいお店や面白い食べ物屋さんが並んでいたように思います。次第にちょっとずつイマイチな感じになってきている気がします )
NO.1652 芦屋市大原町モンテメール芦屋大丸
2016年10月14日
(*↑ この駅ビル「モンテメール」の中は、途中の階まで半分が大丸百貨店です。といってもとても小さな規模の大丸百貨店です )
NO.1651 芦屋市船戸町モンテメール
2016年10月14日
NO.1650 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年10月14日
(*↑ 思えば、「モンテメール」が無かった1980年まではここまでだったんですよねー )
NO.1649 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年10月14日
(*↑ 改札を出て右方向の北側を向いてます )
NO.1648 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年10月14日
NO.1647 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年5月17日
(*↑ 改札の外です )
NO.1646 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年5月17日
(*↑ 改札の中です )
NO.1645 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年5月17日
(*↑ ホームから階段を上がって改札を出るまでのスペースの一番東の奥に、このように生け花が飾っています。これはもう随分昔からやっています。もしかしたら子供の頃からずっとあるかもしれません。これを見ると、いつもちょっと癒やされます。今回少し気にして調べたら、そうか、駅にはこの手の「生け花B0X」を置いているところが結構あるらしいのです。あまり誰も気にせずに通り過ぎているので、あまり記憶に残らないし、深く考える人もいない。今回調べて、「そのことに前から気づいていて、アチコチの駅の生け花B0Xの写真を写している」人のブログに行きあたりました。なぜ多くの駅に古くから、どういった経緯でこういう凝った「生け花B0X」があるのか、ということはその人もまだ謎のままにしているそうです。そうかー、これからはいろんな駅行ったとき気にしてみよう )
NO.1644 芦屋市大原町JR芦屋駅
2016年5月17日
(*↑ 下りホームから山側(北)の上りホーム方向です )
NO.1643 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年5月17日
(*↑ 神戸方面行き・下りホームです )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月11日 19:10 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
阪急芦屋川駅北口前の小さな広場から、
ずんずんと山方向に向かって歩き、
ハイキング初心者コースの「城山」、
そして山登りをする人には有名な、
ロックガーデン登り口の「高座の滝」まで行きます。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1642 芦屋市奥山ロックガーデン登り口と金玉大明神
2017年3月1日
(*↑ 高座の滝の横にあるこの階段から芦屋ロックガーデンへと登ります。ロック・クライミングの発祥の地とされていて、登山家には有名らしいです。でも、初心者でも充分に登ることが出来て、たしか学校から鍛錬遠足で一度、家族とも何回か、ここから登って行ってハイキングをしたりしました。ここから幾つもコースがあり、隣駅までのコースや六甲山最高峰まで行くコースもあります。写真の正面にある鳥居は「金玉大明神」です、つい笑ってしまう名前です。男子小学生には間違いなくツボな名前です )
NO.1641 芦屋市奥山高座の滝
2017年3月1日
(*↑ 高座の滝です。そんなに高くも大きくもない滝です。でもやはり街より高度が少しあることもあってか、ここに来るとヒンヤリ澄んだ空気を感じます。かつては修験者の修業の場でもあったそうです )
NO.1640 芦屋市奥山高座の滝と大谷茶屋
2017年3月1日
(*↑ 正面に護摩堂。その左奥が高座の滝になります。そして写真には入っていないけれどこの立ち位置右手にも茶屋があって、そこには昔からおでんが売っています。城山やロックガーデン経由のハイキングに家族と来た時は、必ずそこでおでんを食べたりしました。こういうところで食べるおでんというのは(海水浴やプールや観光地や屋台も)、ほんとに美味しいんですよね )
NO.1639 芦屋市奥山大谷茶屋
2017年3月1日
NO.1638 芦屋市奥山大谷茶屋
2017年3月1日
NO.1637 芦屋市奥山
2017年3月1日
(*↑ 城山に登ってNO.1630からこちらに降りてくるとここに出てきます。ここから高座の滝までまだもうちょっと。まさか城山からここまで来ておいて高座の滝を見に行かない人はいないでしょう )
NO.1636 芦屋市奥山
2017年3月1日
(*↑ そうですイノシシが出ます。六甲山の麓は芦屋にしろ神戸にしろ、アチコチでイノシシが出ます。ある意味田舎です )
NO.1635 芦屋市奥山滝乃茶屋
2017年3月1日
(*↑ 高座の滝の大谷茶屋からは少し手前にある「滝乃茶屋」です。子供の頃ここを通って高座の滝に向かう時は、店の前のお菓子やジュースに惹かれて訴えるのだけれど、「お菓子もって来たでしょ」「お茶があるからあるからジュースはいらないでしょ」とすべて却下されてしまうのでした )
NO.1634 芦屋市奥山
2017年3月1日
(*↑ 昔から高座の滝の少し手前にある小さな旅館です。「今、成り立つのだろうか?」とつい思ってしまうのだけれど、意外と成り立つのかもしれません。一度入って料理とか食べてみたいなぁとか思ったりもします )
NO.1633 芦屋市奥山
2017年3月1日
(*↑ そうですイノシシです。一度、友だちのバイクの後ろに乗せて貰って高座の滝の手前まで来たときに、突然イノシシが横から出てきて友だちがビックリして半コケになったことがあります。このあたりだったかもしれません )
NO.1632 芦屋市奥山
2017年3月1日
(*↑ ここはいったい何なんでしょうか。何かの機器とかバルブとか入ってるだとか何かの為の何かの資材置き場だとか、よく解らないのですが子供のころからここにあります。チビっこの僕も「何があるんだろう」と不思議に思って前に立って見ていました )
NO.1631 芦屋市城山三条第二堰堤(えんてい)
2017年3月1日
(*↑ NO.1618の城山への登り口から城山に登らずに、まっすぐに進むとこのあたりに続きます。このまま行くとストレートに高座の滝に向かいます )
NO.1630 芦屋市奥山
2017年3月1日
(*↑ 城山から高座の滝方面へ降りています。NO.1637に出ます )
NO.1629 芦屋市奥山
2017年3月1日
(*↑ 城山(鷹尾山)から、高座の滝方面と荒地山方面の分岐点です。荒地山というのはその名の通り岩場の多い登山コースです。そこも子供の頃に小学校や家族で行ったことがあります )
NO.1628 芦屋市奥山
2017年3月1日
NO.1627 芦屋市奥山
2017年3月1日
NO.1626 芦屋市城山(鷹尾山)山頂
2017年3月1日
(*↑ 城山の頂上にはテレビ用の中継設備があります↓ )
NO.1625 芦屋市城山(鷹尾山)山頂
2017年3月1日
(*↑ 城山の頂上です。西方面の景色を一望出来るところにベンチがあります。学校の鍛錬遠足で来た時もこのあたりでお弁当を食べたのではないかと思います。城山という名ですが、昔の城郭の跡などは今はもう全く何もありません )
NO.1624 芦屋市城山
2017年3月1日
NO.1623 芦屋市城山
2017年3月1日
(*↑ 途中の7分目くらい登ったあたりの展望どころです。芦屋の街を見おろすことが出来ます )
NO.1622 芦屋市城山
2017年3月1日
(*↑ こういうのって、子供の頃はワクワクするんですよねぇ )
NO.1621 芦屋市城山
2017年3月1日
NO.1620 芦屋市城山
2017年3月1日
NO.1619 芦屋市城山
2017年3月1日
(*↑ 城山の登り口から山に入ってすぐのあたりです )
NO.1618 芦屋市山芦屋町
2017年3月1日
(*↑ 途中、右に行くと城山へと登るコースになります。城山に行かずにそのまま真っすぐ行くと、高座の滝からロックガーデン登り口まで行くNO.1631からの道のりになります )
NO.1617 芦屋市山芦屋町
2017年3月1日
NO.1616 芦屋市山芦屋町
2017年3月1日
NO.1615 芦屋市山芦屋町
2017年3月1日
NO.1614 芦屋市山芦屋町
2017年3月1日
(*↑ 芦屋川です。川向こうのマンションは斜めに登るエスカレーターがついています。35年ほど前に郵便局のアルバイトで配達に来て「おー、すごー」と思っいながら乗ったりしたものです )
NO.1613 芦屋市西山町
2017年3月1日
NO.1612 芦屋市西山町
2015年9月15日
(*↑ NO.1603の家に約1年間住んでいた時によく利用したうどん屋さんです。昔ながらの関西風のおうどんです。子供の頃は芦屋にもあちらこちらに、こういった個人商店の関西風おうどんの店が結構あったものですが、今は本当に無くなりました。ここの場合は、朝から山に登って阪急芦屋川駅に帰る人などが入ったりもするのでしょうね )
NO.1611 芦屋市西山町
2016年6月6日
NO.1610 芦屋市西山町
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北口前の小さな広場です )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月10日 09:30 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
阪急電車芦屋川駅の北エリアを東寄りにぐるっと一周して、
また芦屋川駅前に戻ってきます。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1609 芦屋市西山町
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北側の小さな広場にある、とても便利な公衆トイレです。昔から何度かお世話になりました。そして、ここから登山に行く人と、逆に山から帰ってきた人も多くお世話になっているであろうトイレです )
NO.1608 芦屋市西山町
2015年9月15日
(*↑ 阪急芦屋川駅のちょっと北にあるバーです。2006年夏からの約1年間この近くで住んでいた時期に、数回飲みに入りました。それよりもう少し前にお昼にランチメニューをしていた時期もあり、まだこの近くに住む前にそれを食べに一度入ったこともあります。サンドイッチのランチを食べたのを憶えてます )
NO.1607 芦屋市西山町開森橋
2017年3月1日
(*↑ 阪急芦屋川駅から北へしばらく行っところにある開森橋です。これは川の西側にあたります。開森橋は古くからここにかかってる橋みたいですが、2016年頃には「仮の橋を手前に作った上で古いものを取り外して再び新しい橋を渡して」という大規模な架け替え工事をやっていました。この写真は工事が終わった後の綺麗になった開森橋です。昔の橋のイメージをあまり損なわないものにしたそうです。ちょっとレトロっぽいですよね。この橋を渡って左の大きな坂道を登っていくと六甲山へと向かうウネウネとした山道が続き、やがて「芦有(ろゆう)ドライブウェイ」という有料道路があり、有馬温泉へと繋がっています )
NO.1606 芦屋市町東芦屋町開森橋
2015年9月15日
(*↑ この写真は架け替え工事がされる前の、2015年時の古い開森橋です。こちらは川の東側です。春には毎年、ここから山側に見える桜がほんとうに見事です )
NO.1605 芦屋市町東芦屋町
2015年9月15日
(*↑ 開森橋を渡って川の東側に、谷崎潤一郎の関西を舞台にした小説「細雪」の碑があります。日当たりと影とで見にくいですが。昭和61年に谷崎潤一郎の生誕100年を記念してつくられたものらしいです。「細雪」の主人公の姉妹たちが暮らしている場所が阪急芦屋川駅からそう遠くない場所で、また姉妹たちが阪急芦屋川駅で電車を待っているシーンや、実際にあった昭和13年の阪神大水害時の芦屋川が氾濫した様子も描かれており、芦屋は小説ゆかりの地でもあります )
NO.1604 芦屋市町東芦屋町
2015年9月15日
NO.1603 芦屋市町東芦屋町
2014年4月1日
(*↑ 2006年の7月から11ヶ月の間ここに住んでいました。古い民家で、その内部だけを軽くリノベーションした賃貸物件でした。今は家屋の外壁はクリーム色のモルタルになっていますが、あの時は木の感じのままの外観でした。結局、2007年の5月いっぱいでここを出て、神戸のもと居た(と言ってもリフォーム済みされていた)マンションの部屋に帰ってきたのでした。その、もと居たマンションの大家さんとはそもそも仲良くさせてもらっていて、この芦屋の部屋に引っ越したあとも、電話のやりとりなどしていて「一度部屋に呼んでよ、どんなところか見たいわぁ」というので、遊びに来て貰ったことがあります。そのあと、話をしているうちに再び大家さんのところに戻ろうかみたいになって、結局また戻って、現在に至るのでした、の2017年5月現在なのです )
NO.1602 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
(*↑ 部屋を出て駅方向に行くための小さなうねった坂道です。もともと「小さな道」「うねった道」「小高いところにある道」などが好きなので、この道はかなり好きだったんですよねぇ )
NO.1601 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
(*↑ 向こうに見えるのが僕の住んでいた古民家です。その当時、お隣には大きな敷地の古い家があって、おばあさんがたった一人で住んでいました。僕の部屋の大家さんの奥さんから聞きました。その大家さんの奥さんがよく、自宅でできた野菜などをおすそ分けに行っているのが部屋の窓から見えたり、その時の声が聞こえたりもしていました。たぶんその後、おばあさんは亡くなられたのでしょうか。今はそこの敷地はこのように広い公園になっていました )
NO.1600 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
(*↑ NO.1603の家に住んでいた時によく歩いた、駅へと向かう途中の道です )
NO.1599 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
NO.1598 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
NO.1597 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
NO.1596 芦屋市町東芦屋町猿丸家墓所
2016年6月6日
(*↑ かつて江戸〜明治大正にかけて芦屋の発展に貢献し、現在も続くという芦屋の名家「猿丸家」の墓地です。「百人一首」のひとつを詠んだ「猿丸太夫」という人物の子孫であると伝えられている一族だそうです。以前からここには一般の人は入れません。ただ、阪神淡路大震災のあとしばらくここの門や柵が倒壊して、そのあと瓦礫が取り除かれて中がそのまま見渡せる「いけいけの出入り自由」(いや、本当はそういうつもりではないのだろうけれど)の時期がありました。母親と震災後の用事でこの近くに来た時にその状態に「はっ?」と顔を見合わせ、「前からどうなっているのか見たかったから、入ってみよう」ということになって、猿丸家のお墓たちをぐるっと見て回ってお参りしたことがあります。まぁ、それだけのことなのだけれど、おそらくもう二度と出来ない貴重なことでした )
NO.1595 芦屋市町東芦屋町桜橋
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅のホームの北側の位置で芦屋川をまたいで架かかっているこの橋に、「桜橋」という〝らしい名前〟がついているということは今回調べてはじめて知りました。そう、このあたりの川沿いは春はほんとに桜の綺麗なところなのです。向こうに見える小さな橋は、川の東側で駅前を通る道路の上をまたいで、駅前広場と繋がっている歩道橋です )
NO.1594 芦屋市町東芦屋町桜橋
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅北の桜橋から北の六甲山方面を眺めた景色です。ここからの桜の眺めがキレイなのです。これも調べたサイトに書いてあったのですが(自分の目ではまだ確認していない)、ちょうどこの背後の橋と駅のホームのスキマの真下の川に、昭和13年の阪神大水害で流された先代の「桜橋」の橋げた跡が残っているらしいです。いつか確認してみようと思っています )
NO.1593 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅の北出口前の小さな広場を繋ぐ陸橋です )
NO.1592 芦屋市西山町
2016年6月6日
(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅前を繋ぐ陸橋から見た、北方面です。この方向の先に開森橋があります )
NO.1591 芦屋市西山町阪急電車芦屋川駅
2016年6月6日
(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅前を繋ぐ陸橋から見た南方面で、正面が駅のホームです。このように道路がググッと下にえぐれて、駅のホームの下をくぐっています )
NO.1590 芦屋市西山町
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅前の小さな広場から、陸橋の階段を上って桜橋の方を見たところです )
NO.1589 芦屋市西山町
2015年9月15日
(*↑ 陸橋の階段の途中から駅を。こんな感じになってます )
NO.1588 芦屋市西山町
2015年9月15日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口前の小さな広場です。左隅の階段が川向こうに行く陸橋の階段です )
NO.1587 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街
2015年9月15日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口を出て左に折れるとすぐに店が続く小さな商店街です )
NO.1586 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街
2015年9月15日
(*↑ お店に関しては昔に比べるとサミシイ感じもしますが、ここ数年また新しくカワイイお店が増えつつあるような気もします。たしか、もとタカラジェンヌの女将さんがやっている、古くからの和菓子屋さんもあったりしたはずです。ちょうどこの写真のようなアングルで、映画『夏の庭』(監督・相米慎二さん)のロケに使われたこともあります )
NO.1585 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街
2015年9月15日
(*↑ ここの基本的な感じはほんとに昔から変わりません )
NO.1584 芦屋市西山町阪急電車芦屋川駅
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口です。ここの感じも昔から本当に変わらないままです。阪急沿線の駅というのは、古くからの佇まいを変わずに残しているところが結構多いのですが、ここもずっとこのままでいてほしいなぁと、個人的に思ったりします )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月 8日 19:38 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
阪急芦屋川の南エリア周辺と、
阪急電車芦屋川駅そのものです。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
別枠表示します)
NO.1583 芦屋市松ノ内町阪急電車芦屋川駅
2015年9月15日
(*↑ 阪急芦屋川の三宮方面行き・下りホームです )
NO.1582 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅
2015年9月15日
(*↑ 線路を挟んで向こうが上り・梅田方面行きのホームです )
NO.1581 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅
2015年9月15日
(*↑ 芦屋駅下りホームから南・海側を向いています )
NO.1580 芦屋市松ノ内町阪急電車芦屋川駅
2015年9月15日
(*↑ 駅の南の書店などが並んでいるところを見ています。この感じは随分前からほぼ変わっていません )
NO.1579 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅
2015年9月15日
(*↑ 駅の南側の出入口です。改札を抜けて右の南側に進んですぐの視点がこうなります。子供の頃、阪急を利用して芦屋に戻って来た時は、普段は阪急バスに乗って家まで帰りましたが、たまに大人たちが「今日はもうタクシーで帰ろうかぁ〜」となると、前に見える阪急タクシーのりばから乗って帰りました。当時たまのタクシーというのは、なんだかとてもウレシかったものです。今は一人で霊園のお墓の整備に向かう時に、ここからタクシーを利用しています )
NO.1578 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅
2015年9月15日
(*↑ 電車に乗るために駅の南側の出入口から改札の方に入っていく時はこの視点です。NO.1579のちょうど逆になりますね。つまり左位置には阪急タクシーのりばがあります )
NO.1577 芦屋市月若町大利昭文堂
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅のすぐ南に古くからある書店です。昔、ここは「小さいけどちょっと充実している」と思える書店で、阪急を利用すると必ず覗いていました。今はちょっともうサミシイ感じがしますが、個人経営の書店がどんどん無くなっていく中で、ここはまだ頑張っている方じゃないかなと思います )
NO.1576 芦屋市月若町
2016年6月6日
(*↑ ここは比較的新しいローソンだと思います。と言っても少なくとも10年にはなるんじゃないかなー。最初は「ナチュラル・ローソン」というなんだか少しリッチな感じのローソンでしたが、今は普通のローソンになっています )
NO.1575 芦屋市月若町
2016年6月6日
(*↑ 川の堤防すぐ横の歩道の、阪急芦屋川駅ホームの高架すぐ下に位置するところから写しました。右からNO.1579の阪急タクシー乗り場、NO.1577の書店、そして板板左にNO.1576のローソンと並んでいます。タクシーのりばの2階は昔は喫茶店だっと思うのですが、今は塾か何かになっています )
NO.1574 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅
2015年9月15日
NO.1573 芦屋市月若町阪急バス乗り場
2016年4月22日
(*↑ かつて阪急電車を利用したあと家に帰る時はこのバス停からバスに乗りました。ここに立っているのはやはりなんだか懐かしい感じがします。右側が芦屋川です。バスを待ちながら川をボーッと眺めるのが好きでした )
NO.1572 芦屋市月若町
2016年10月14日
(*↑ この階段を降りてすぐが「山手幹線」になります。丁度この先のあたりの区域が、ずっと道路の工事が出来ずに長く残っていたエリアです。僕が子供の頃からずっと「立ち退きが進んでいない地域」のままだったのだけれども、10年くらい前にこの前後の道路も出来、そのあと芦屋川の地下をくぐるトンネル (丁度この右位置あたり) も完成して全線が開通しました。調べると戦前から計画のあった道路みたいです。完成までえらく長くかかった道路ですね。逆に、当時とまるっきり時代が変わっているのに、一度決めたらどうしてもやらないワケにはいかない自らは変えずに何としても済ませたい、というこの国の保守独特のネチッこさもつい感じちゃいます。この道路をずっと西に進むと、神戸の、今僕の住んでいる場所の南を通ります )
NO.1571 芦屋市月若町芦屋パレエレガンス
2016年10月14日
(*↑ 阪急芦屋川駅からのちょっと南に行ったところ、川の東岸にシュッと建っているマンションとテナントの建物「芦屋パレエレガンス」です )
NO.1570 芦屋市松ノ内町芦屋ロマンス
2016年10月14日
(*↑ 芦屋パレエレガンスの半地下のようなところにあるレストランです。が、つい数年前までは、老夫婦がやっているいかにも「昭和からやっている喫茶店」という感じのお店で、内装の木の感じが好きで随分と前からたまに入ったりしていました。けれど、この日に写しに行ってみると、シャレた感じの赤いドアのレストランに変わってしまってました。前のお店の「ゆずジュース」や「ホットゆず」がおいしかったのだけれどなぁ )
NO.1569 芦屋市松ノ内町芦屋パレエレガンス
2016年10月14日
(*↑ 調べるとこの芦屋パレエレガンスは1978年に建ったみたいです。今でも小綺麗です )
NO.1568 芦屋市松ノ内町山手幹線
2016年10月14日
(*↑ 数年前に貫通した山手幹線の、芦屋川のすぐ東の別の道路のあたりから東方面を望んだところです。ここからトンネルになっていて川の下をくぐっています。JR線のトンネルと同じく、周囲の土地より高い「天井川」である芦屋川の下を通る形です。地面のタイルがチェッカーになっていてなんだかオシャレな感じがします )
NO.1567 芦屋市松ノ内町
2016年10月14日
(*↑ 向こうに芦屋川、右手後ろに山手幹線のトンネル、そんな位置関係です )
NO.1566 芦屋市月若町芦屋川
2016年10月14日
(*↑ 芦屋川の真ん中から北向きです。向こうに見えるのが六甲山です )
NO.1565 芦屋市月若町芦屋川
2016年10月14日
NO.1564 芦屋市月若町カーサ・ベリーニ
2016年10月14日
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月 7日 08:52 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回も、
またまた阪神芦屋駅近くから出発します。
今度は芦屋川の西側の地域を通って、
JRの線路のあるあたりまで北上していきます。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1563 芦屋市前田町仏教会館
2016年4月22日
(*↑ 公益財団法人「芦屋仏教会館」です。「仏教」という名がついているけれど日本建築ではなく洋風っぽく、しかしよく見るとインド風でもあったりするユニークで素敵な建築物です。ここについては子供時代からよく見てましたが、そう詳しい事は知りませんでした。しかし、今回調べて少し解りました。まず、ここを作ったのは丸紅と伊藤忠商事の創業者・伊藤忠兵衛で、彼が精神教育運動として財団法人「崇信会」をおこし、その活動の拠点として建てたのがこの会館だそうです。芦屋川を挟んで西側、今は「松の内緑地」になっているところにあった「崇信幼稚園」は、その付属施設として作られたものだったそうです。この会館の設計は、大阪の中之島公会堂などを建てた片岡安という方だそうで、ここも戦争と震災を乗り越えてきた貴重な建物になります )
NO.1562 芦屋市前田町仏教会館
2016年4月22日
NO.1561 芦屋市前田町
2016年4月22日
(*↑ 芦屋川と国道2号線の交わるところの北西の角に、昔からある大邸宅です。ここはもう僕が子供の頃から、いや、たぶんもっと前からこんな風に〝黒塀〟が続く大きなお屋敷です。ここのお家とは全然まったく残念ながらちっともご縁はありませんが、でも、これが今もここにあるのを見ると、ちょっとホッとしてしてウレシイ気持ちになります。今後もこの川沿いの角に君臨し続けてほしいと思います )
NO.1560 芦屋市前田町
2016年4月22日
NO.1559 芦屋市前田町
2016年4月22日
(*↑ 黒塀のお屋敷の芦屋川を挟んで前に、「芦屋市民センター」があります。こんな風にルナ・ホールがそびえて見えています )
NO.1558 芦屋市前田町業平橋
2016年6月8日
(*↑ NO.1505やNo.1555と同じく「業平橋」の欄干の端の柱(親柱?)と街灯です。これは橋の北西位置にあるものです。ちょうど向こう左の方角に「市民センター」があります )
NO.1557 芦屋市前田町ハナヤ勘兵衛
2016年4月22日
(*↑ 建物はもう昔とは違いますが、子供の頃に父親に連れられて何度か来たことのある、カメラ関係専門店の「ハナヤ勘兵衛」です。ハナヤ勘兵衛さんといえば昭和初期から活動をはじめた写真家としても有名で、「日本の写真史」みたいな本には大抵掲載されている方です。そのハナヤ勘兵衛さんが1929年に開いて今も続いているのがここです。といっても、そういった事を知ったのは大人になってからで、子供の僕はここに来るとただただ、店内全面に置いているカメラにドキドキしたものです。この周辺は阪神淡路大震災ではひどかったエリアで、当時の「ハナヤ勘兵衛」の店舗もその時に倒壊の被害にあったようですね )
NO.1556 芦屋市前田町芦屋サウザンドビル
2016年4月22日
NO.1555 芦屋市川西町業平橋
2016年6月8日
(*↑ 「業平橋」の南西位置にある欄干の端の柱と街灯です。ここは「業平橋」という名前が彫られています )
NO.1554 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル
2016年4月22日
(*↑ 昔、出来た時はなんだかとてもオシャレな感じがしたビルです。ファンの間では有名ですが、村上春樹さんの初期の作品の中で何度も出てきた「ジェイズ・バー」の三代目のお店のモデルは、ここのビルにあったバーではないかという話です。個人的には子供の頃、母親が友だちと行って美味しかったということで、そのあとで僕ら子供たちをここにあった「シェ・イコマ」というフランスレストランに連れて行ってくれた、ということをよく憶えています )
NO.1553 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル
2016年4月22日
NO.1552 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル
2016年4月22日
NO.1551 芦屋市川西町ピーコック
2016年4月22日
(*↑ ピーコックはもともとは大丸系列のスーパーで、今はイオンの系列のKOHYOの系列で、って、ああややこしい。とにかくもう今はどこもかしこもイオン系なのかい? てな感じです。しかも、この写真は2016年撮影ですが、調べたらここは、(これを書いている時点での)今年の2017年2月15日に閉店したみたいです。ここは2006年から1年芦屋に住んでいた時期によく買い物に来たのですが、そうですかぁぁ )
NO.1550 芦屋市川西町ピーコック
2016年4月22日
NO.1549 芦屋市川西町ローソン芦屋川西店
2016年4月22日
(*↑ このローソンが芦屋で最初のローソン(のはず)です。1970年代の後半だと思います。ここが出来た時には「ローソンという店名のコンビニというものができたらしい」なんて言って、家族とわざわざ来て買い物をしたりしたのを憶えています。何を買ったかは憶えていないのですが、どうせたいした物は買っていないでしょう。「あそこに何かが出来た」とかいうとすぐに行ってみたりする家族でした。いや、時代的に全体として、そういう「お子さま」な時代でもあったのかもしれません )
NO.1548 芦屋市川西町カトリック芦屋教会
2016年6月8日
(*↑ NO.1497〜1501の「カトリック芦屋教会」を川の西岸から見たところです )
NO.1547 芦屋市川西町カトリック芦屋教会
2016年4月22日
NO.1546 芦屋市川西町
2016年4月22日
(*↑ ここはほんとに美しい感じに松並木になっている川べりの道です。この道も「ウルトラセブン」の『ウルトラ警備隊西へ』の回のロケに使われています )
NO.1545 芦屋市川西町
2016年4月22日
(*↑ 阪神電車の山側の道路〝鳴尾御影線〟が芦屋川を渡る橋の上から、山側を写しました )
NO.1544 芦屋市川西町阪神芦屋川
2016年4月22日
(*↑ 阪神芦屋駅には西側にも小さな改札口があります。芦屋川の西岸からの利用が出来るようにです。そこをさらに西へ出たところがここです。立っているところの左に、たこ焼き屋さんがあります。この写真の右後ろ位置には、踏切があります )
NO.1543 芦屋市平田北町芦屋川
2016年6月8日
(*↑芦屋川には実祭の川の流れの両脇に遊歩道があり、そこには緑も多くてブラブラと散歩するにはとてもいいところです。川の水は普段はそんなに多くは無いですが、海と山の近いこの辺り(西宮あたりから神戸)の河川の特徴で、雨が降ると短時間で一挙に水かさが増えます。まぁそれにしても芦屋川も、昔に比べたら普段の水量が少し増えた気がしないでもないです。これは南の海側を見ています )
NO.1542 芦屋市平田北町芦屋川
2016年6月8日
(*↑ NO.1206あたりにも載せた、芦屋市役所です。川向こうから )
NO.1541 芦屋市平田北町芦屋川
2016年6月8日
(*↑ これは北・山側を見ています。左に見える松の並びが美しいです。まだ町になるずっと前、明治よりも前にはきっと松がもっと沢山あって、京・大坂から西国に行く道中の人たちにはかなりな絶景だったんだろうなぁと想像します )
NO.1540 芦屋市平田北町阪神電鉄芦屋駅
2016年4月22日
(*↑ 正面は阪神電車芦屋駅のホームです。2006年夏から約一年芦屋に住んでいた頃にここを散歩していて、川辺を歩いているカップルを「あ、仲良く微笑ましくて絵になるなー」なんて見ながら歩いていたら、ちょうどこの前の低い松の木の枝にアタマを軽くぶつけて、かぶっていたニットキャップが後ろに飛んで落ちました。すると前の芦屋駅のホームに立ってどちらもキャップ帽をかぶっていた二人連れのキレイ風の女性たちが、それを見ていて「ゲハァヘァドハッハッグハハハハッ〜」と大きな笑い声を上げました。「せっかくキレイ風なのに、めちゃくちゃ品がない笑い方するんだなぁ」なんて思いつつも、「テヘヘ」とちょっと恥ずかしげに帽子を拾ってまた歩きはじめた、なんて、そんなことがあったところです。彼女たちは今、ゆったりとして出来ているでしょうか? )
NO.1539 芦屋市精道町
2016年4月22日
(*↑ 阪神電車芦屋駅のすぐ南にかかっている川の向こう側に渡る小さな橋から。南側を見ています。左に見えているのが芦屋の市役所です )
NO.1538 芦屋市精道町阪神電鉄芦屋駅
2016年4月22日
(*↑ 左が阪神電車芦屋駅のホームです。No.1539の芦屋川をまたいでいる小さな橋からです )
NO.1537 芦屋市精道町阪神電鉄芦屋駅
2016年4月22日
(*↑ 川べりの歩道と駅及び市役所を結んでいる横断歩道から、阪神芦屋駅を見たところです。駅の南に位置します。このすぐ右側うしろ方向の道路上に浜手方面に向かう阪急バスの乗り場があって、そこでよくバスを待っていたものでした。 )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月 5日 20:02 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
芦屋川と国道2号線の交差する業平橋のあたりから、
北へ進んで芦屋市民ホールとルナホールを経て、
そのままJR線の山側に出て回り込み、
線路と平行している道沿いに、
ずっと並んでいる商店を見ながら、
JR芦屋駅の山側に出て行きます。
(おお、説明が複雑だぞ)
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1536 芦屋市船戸町インディアンカレー
2016年10月14日
(*↑ 独特の辛さのカレーでもともと大阪では有名なカレー屋さんの支店です。大阪の高校に通っていた頃に学校の誰かが「インディアンカレーが辛いけどうまい」とか言っていたのがずっと気になっていました。でも、実際に大阪で食べたのはもっと後です。この芦屋店がいつオープンしたのかは知りませんが、2000年代に入ってからじゃないかなぁ。とかにくずっと昔は、芦屋には無かったお店です。ここには、この数年の間に2.3回ほど入りました )
NO.1535 芦屋市船戸町
2016年10月14日
(*↑ JR芦屋駅の道路を隔てて山側(北側)にある「三井住友銀行」です。ここは昔は「さくら銀行」です。そして、当時道路を隔てて南側にあったのが「住友銀行」でした。その後「さくら銀行」と「住友銀行」が合併して「三井住友銀行」になりました。今、道路を挟んで「三井住友銀行」が2つ並んで「?」なのは、そういう理由です。「銀行に深い歴史アリ」です )
NO.1534 芦屋市船戸町JR芦屋駅北口
2016年10月14日
NO.1533 芦屋市船戸町多古好
2016年10月14日
(*↑ 芦屋では老舗のうどん屋である「多古好(たこよし)」さんです。昭和23年創業だそうです。阪神淡路大震災前は阪神芦屋駅の近くにももう一軒お店がありました。今世間では讃岐うどんが幅をきかせていますが、ここは関西風(大阪風?)のおうどんで、麺はフニャッと柔らかでもちっとした麺。そしてダシはしっかりと関西風、色は薄いがコクがある。昔母親がよくここのうどん屋さんを(阪神芦屋の近くにもあったもう1店舗も含めて)よく利用していました。古くからあるので、特に年配の方には人気でいつも満員です。ただ、ここの一杯の量は若い人には少なめかもしれません )
NO.1532 芦屋市船戸町おくだ酒店
2016年10月14日
NO.1531 芦屋市船戸町パスタ&Cafe ピエール
2016年10月14日
NO.1530 芦屋市松ノ内町ぐらたん亭どつぼどーる
2016年10月14日
(*↑ 2006年の夏からの一年間、芦屋に一時住んでいたことがあります。ここは、その当時神戸のよく行っていた飲み屋さんの常連さんの綺麗なYちゃんの、伯父さん(叔父さん?)がやっているというお店で、教えてもらってその頃に行ったりしました。カウンターにミニチュアの電車が走っていて、注文した品がそれに乗っかってやってきます。いやいや本当です )
NO.1529 芦屋市松ノ内町
2016年10月14日
(*↑この古い郵便ポストは、芦屋でももう珍しくなりました。たしかウチのお墓のある霊園の近くにも1つあったはずです )
NO.1528 芦屋市松ノ内町やきとりまさや
2016年10月14日
NO.1527 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋
2016年10月14日
NO.1526 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋
2016年10月14日
NO.1525 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋
2016年10月14日
NO.1524 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋
2016年10月14日
NO.1523 芦屋市松ノ内町芦屋橋
2016年6月8日
(*↑ 左の隅の橋の下にチラッと見えているのがJRの線路です。この橋の名が「芦屋橋」という名前だとはこの写真を写すまでは知りませんでした。芦屋の中で「一番もらってウレシイ」なそのまんま〝芦屋〟の名前だけがパンと付けられた橋ですねぇ。おそらくそれは、明治期にここに鉄道が出来た時に芦屋の中で出来た橋だからなのかもしれませんね、想像ですが。他の小さな橋はそれぞれのその小さな地域の特徴的な名前がつきますから。そうかー、この橋は芦屋橋だったのかー。この橋はバスの通る道でもあります )
NO.1522 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地
2016年6月8日
(*↑ この公園の場所は、30年ほど前まで「崇信幼稚園」という幼稚園でした。バスに乗ってこの前を通ると園が見えていました。今回調べて知ったのですが、その幼稚園は芦屋川をはさんで西にある「仏教会館」(NO.1518やNO.1563)が関係する幼稚園だったようです。詳しいことはNO.1563にて )
NO.1521 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地
2016年6月8日
NO.1520 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地
2016年6月8日
(*↑ この公園内には、平安時代の歌人「在原業平」の歌碑と、業平と芦屋のゆかりを説明した看板があります(↓クリックでちょっと大きく)。実際はこの公園は松ノ内町で、業平ゆかりから名付けられた業平町は1つ南の区画になります )
NO.1519 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地
2016年6月8日
NO.1518 芦屋市業平町芦屋川と仏教会館
2016年6月8日
(*↑ 芦屋川を隔てて西向こうに見えているのは「仏教会館」です、詳しいことはNO.1563にて。芦屋川はこのように、小さな滝のようになったところが所々にあります。この阪神間の地形が、山から海までの距離が短く、地面が北の山側に行くほどに目に見えて徐々に傾斜していることを物語っています )
NO.1517 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール
2016年6月8日
(*↑ 2号線のちょっと北の芦屋川沿いにこの「ルナ・ホール」がそびえています(この写真ではタテパノラマの途中が切れてしまって低い感じがしますが、6階建て分くらいの高さはあるのじゃないかと思います)。このホールは「芦屋市民センター」という市の施設の一部です。コンクリートの打ちっ放しの建物で、現時点でもう建って50年近くなると思います。ある時期は壁の周囲のツタが一番上の方までからまって古さを感じる雰囲気になっていたのですが、数年前に大規模改修がされたそうでキレイになっていました。でも、もうすでに新しいツタが3分の1くらいまで来てますね。植物の力は強い )
NO.1516 芦屋市業平町市民センター
2016年6月8日
(*↑ 手前が「ルナホール」、向こうが「芦屋市民センター」本館です )
NO.1515 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール
2016年6月8日
(*↑ 音楽のコンサートや演劇、落語会、上映会など各種の催しをしています )
NO.1514 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール
2016年6月8日
(*↑ この入り口のところが真っ黒ですが、中に入っても壁が真っ黒です。とにかく中は「真っ黒け」という印象があります )
NO.1513 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール
2016年6月8日
(*↑ 中学の時に学校から映画の上映会を観に来たり、たしか文化祭の合唱の発表会があったりしました )
NO.1512 芦屋市業平町市民センター 本館
2016年6月8日
NO.1511 芦屋市業平町市民センター 本館
2016年6月8日
(*↑ 芦屋川沿い東側で2号線の北側に位置する「芦屋市民センター」(ルナ・ホールも含む) です。文化教室や子供教室や小さな催しなどをやったりしています。高校の頃の夏、この中の数カ所に設置されているテーブルに、何度か勉強をしに来たことがあります。当時の我が家にはまだエアコンは無くて、ここだと涼しかったんですよねぇ。しかも、図書館の勉強室は満員で席取りが必要なのけど、ここは空いていて穴場でした。あと食堂があって、2006年夏から1年芦屋に住んでいた時期によく食べに来たりしました )
NO.1510 芦屋市業平町
2016年6月8日
(*↑ 市民センターの前にある歩道から繋がってそのまま業平橋の下をくぐって、つまり国道2号線の下を渡って向こうに行くようになっているところです。たしかある時期「歩行者はかならずここを通って向こうにいくべし」という感じで、このまっすぐ下の2号線のところにある信号付き横断歩道を無くした時期があったように憶えているですが、ほんとにそうだったかどうか今となっては確かめようがありません。昼でも中は暗かったので、たぶん夜などはもっと怖かったかもしれません。でも、上をゴウンゴウンと車が走る音がするので、小さな子供の頃は結構楽しかったように思います。この立ち位置の左手に市民センターがあります )
NO.1509 芦屋市業平町業平橋
2016年6月8日
(*↑ No.1506のちょうど反対車線の歩道から、北の山側を見ています。川の右手に見えるのが「ルナ・ホール」です )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月 4日 09:48 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
再び阪神芦屋から今度は真っ直ぐ北に進んで、
2号線のところまで行きます。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1508 芦屋市業平町芦屋川アーバンライフ
2016年6月8日
(*↑ 子供の頃から、芦屋には「アーバンライフ」というブランドのマンションが幾つかあります。小学生くらいの時は「マンション=高級」なイメージがあって、特に「あの子の家はアーバンライフらしい」という話を聞くと、「ウチよりお金あるんだなぁ」と思ったりしたものです。この芦屋川アーバンライフは1972年05月に出来たらしいので、現時点で築45年。昔も今もここにそびえ立っています。変わらずベランダに金属製の柵があって(今は2階より上)、なんかいいんですよねぇ )
NO.1507 芦屋市公光町
2016年6月8日
(*↑ 芦屋川のすぐ東側の2号線との交差点です。ここは南北に通る道が2本接近して平行に並んでいて、六叉路のようになっています。正面のアーバンライフの左の南北の道から阪急バスがガーッと降りてきて、真っ直ぐには行かずにちょっと斜めに走りながら、5.6メートルほど西に並んでいる方の道(丁度立っている角の右側の道↑)に入り込んできます。その、ガーッ、グイーンとした感じが子供の頃面白くて、たまたまこの交差点にいる時はじっーと見ていました。また、逆にバスに乗っていても、ここで斜め方向にググッと走って行くのがオモシロくてワクワクしたものです )
NO.1506 芦屋市公光町業平橋
2016年6月8日
(*↑ 芦屋川と2号線が交わるところにかかっている「業平橋」です。平安時代の歌人「在原業平」が芦屋に住んでいたことがあるとされることに由来して名付けられたそうです。もう少し山側には「業平町」という町名もあります。橋の南側の歩道から南の海側を見ています )
NO.1505 芦屋市公光町業平橋
2016年6月8日
(*↑ 「業平橋」の四隅には、石作りの立派でシャレた街灯があります。橋の欄干の端の柱(親柱?)の上に乗っかった、というか一体になった形になっています。これは橋の南東位置のものです。横には「大正14年12月」と彫られています。90年以上前に出来たのですねぇ。いわゆる大正モダンな建造物です )
NO.1504 芦屋市公光町業平公園
2016年6月8日
NO.1503 芦屋市公光町業平公園
2016年6月8日
NO.1502 芦屋市公光町
2016年6月8日
(*↑ ずっと前からある中華料理店です。最初に就職した会社を辞めてデザインの専念学校に入るまでの半年くらい、アルバイトをしていない時はよく昼に散歩などしたりしていましたが、ここまで来てお昼を食べたことが何度かありました。この少し南に郵便局があってそこも何度か利用したことがあります。この日もそちらも写すつもりだったのですが、頻繁に人が出入りしていてちょっと悪いので諦めました )
NO.1501 芦屋市公光町カトリック芦屋教会
2016年6月8日
(*↑ この教会は芦屋川のほとりでもよく目立つ、とてもいい感じの教会です。NO.1206に載せた古くからある方の芦屋市役所の建物と同じく、昔「ウルトラセブン」のロケに使われました。1968年1月に前後編で放映された、関西を舞台にした『ウルトラ警備隊西へ』の回です。ここから外国人の女性に化けた宇宙人が出てくるのでした )
NO.1500 芦屋市公光町カトリック芦屋教会
2016年6月8日
(*↑ もうずいぶんと前に一度だけ、何人かの人に祝福されながら新郎新婦が教会から出てきたのを見かけたことがあります。もう、絵に描いたように素敵でした )
NO.1499 芦屋市公光町カトリック芦屋教会
2016年6月8日
(*↑ この背中方向に、芦屋川があります )
NO.1498 芦屋市公光町カトリック芦屋教会
2016年6月8日
NO.1497 芦屋市公光町カトリック芦屋教会
2016年6月8日
(*↑ これは芦屋川側の教会の出入り口から見ると裏手になります。NO.1502の中華料理店のある道路側です )
NO.1496 芦屋市公光町
2016年6月8日
NO.1495 芦屋市公光町
2016年6月8日
(*↑ 芦屋にいる時は当然ここで税金の手続きと確定申告に来ましたが、実は今もここが納税する所轄の税務署です。どうしてそういうことになっているのか、地理的に隣に位置するので何か昔の経緯などでそうなっているのかもしれないけれど、ともかく、僕の住んでいる神戸市東灘区もここに納めることになっていて、現在も確定申告はここに提出しています )
NO.1494 芦屋市公光町芦屋警察署
2016年6月8日
(*↑ この立派な入り口は、1927年(昭和2年)にこの芦屋警察署がここに出来てから2001年まで使われていた玄関部分です。僕にはかつて見慣れた出入口です。今は玄関としては使用されておらず、外観だけが保存されています )
NO.1493 芦屋市公光町芦屋警察署
2016年6月8日
(*↑ この玄関が現役だった昔、落とし物の引き取りや運転免許関係とで何回かここから中に入ったことがあります。こじんまりとはしているけれど、どっしりとした風格があるんですよねぇ。ちなみにその時の子供時代から若い頃は、別に悪いことをしたワケではないのにドキドキしながら入ったものです )
NO.1492 芦屋市公光町芦屋警察署
2016年6月8日
(*↑ この角の古い外見を残しつつ、改築がされました。現在はこの先の芦屋川沿いの方に玄関があります。そうして正解だと思います )
NO.1491 芦屋市公光町芦屋警察署
2016年6月8日
NO.1490 芦屋市公光町アンリ・シャルパンティエ芦屋本店
2016年6月8日
(*↑ 今や全国展開しているケーキのお店「アンリ・シャルパンティエ」です。ずっと昔、もともと芦屋では「ケーキの美味しい小さな喫茶店」といった感じのお店でした。それがだんだんと人気になって、百貨店に進出してから有名店になりました。ウチでも女性陣が「アンリのケーキ、アンリのケーキ」などと言って喜んで買っている時期がありました。もともとはこじんまりとシャレた可愛い外観のお店で、その後、ちょっと高級な感じに変わって、そして、久しぶりに見たらまたさらに変わったようです。少しエラソな感じになってしまった気がしないでもないです )
NO.1489 芦屋市公光町アンリ・シャルパンティエ芦屋本店
2016年6月8日
NO.1488 芦屋市公光町アンリ・シャルパンティエ芦屋本店
2016年6月8日
NO.1487 芦屋市公光町宝盛館
2016年6月8日
(*↑ ここの書店「宝盛館」は、かつては芦屋では一番大きな書店でした。子供の頃からずっとよく来ました。個人の小さな書店は市内のアチコチにいくつもありましたが充実度でいうとここがやはり一番で、「ここに来るともうどんなに居ても飽きない」とそう思ったりしたものです。本や雑誌の種類が今よりも少なかった時代だったけれど充実度とワクワク度は、今の大型書店よりあの頃のここでの方があった様な気がします。本当にここでいろんな本を買いました。今だにダイジに持っているものも多くあります。かつては2階にも売り場があって、そこには参考書とマンガが並んでいたのだけれど、今は1階のみになっています )
NO.1486 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅
2016年6月8日
(*↑ アングルが違いますが、NO.1452と同じ阪神芦屋駅の東側の北出口です )
NO.1485 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅
2016年6月8日
(*↑ 阪神芦屋駅は地下にメインの改札口があります。さらに阪神淡路大震災の後からだと思うのですが、ここから地下通路を通って芦屋市役所の方に行けるようになりました )
NO.1484 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅
2016年4月8日
(*↑ 阪神芦屋駅の大阪梅田方面行き・上りホームです )
NO.1483 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅
2016年4月8日
(*↑ 最初の就職のあと大阪のデザイン専門学校に行き直していた頃、このホームでタバコを吸っていたら、掃除のオバチャンがずっと怖い顔をしてチラチラこちらを見ていました。そして近くに来たときに「アンタ、高校生とちゃうの?!」と強く言われました。昔からよく若く見られる僕ですが、もうすでに24歳か25歳でした。「いや違います20歳超えてます」と言うと「あーそぉ!、ごめんね〜、高校生に見えたから〜」と笑って掃除をしながら向こうに行きました。あの頃はただでさえ実際より若く見られるのがとてもイヤだった時期だったので、その時は「何やねーん」と思ったりしましたが、今の時代と比べるとああいう「イケナイ事かもしれないことはちゃんと注意してくれるおばちゃん」がいるというのは、いい時代だったのかもしれないなぁ〜、と最近は思ったりします )
NO.1482 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅
2016年5月17日
(*↑ 阪神芦屋駅のホームから北側を見たところです。見ての通り、この駅は芦屋川をまたいでいます。向こうに見えるのは六甲山です )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月 2日 19:25 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
阪神芦屋駅から北東に斜めに進んで、
古くは芦屋で一番賑やかだったという、
本通り・三八商店街のあったあたりから、
JRにかかる橋まで行きます。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1481 芦屋市松ノ内町
2016年5月17日
(*↑ JR芦屋駅の少し西側を渡る歩行者用の橋の北側にあるお地蔵さんです。向こうに小さくトンネルのようなものが見えますが、あれは芦屋川の下をくぐる鉄道トンネルです。阪神間〜神戸のあたりは川底が周囲の土地より高くなってしまった「天井川」が多く、鉄道を通す時にトンネルを掘って線路が川の下をくぐる形にしたものです。近隣のJR線では住吉川もトンネルです。石屋川もかつてはトンネルがありそこは「日本で最初に完成した鉄道トンネル」でもあったのですが、今はそちらはもう高架線になっています )
NO.1480 芦屋市松ノ内町
2016年5月17日
(*↑ 向こうがJR芦屋駅です )
NO.1479 芦屋市松ノ内町
2016年5月17日
NO.1478 芦屋市松ノ内町
2016年5月17日
(*↑ 向こうがJR芦屋駅です )
NO.1477 芦屋市松ノ内町
2016年5月17日
NO.1476 芦屋市業平町GRASS
2016年6月8日
(*↑ このお店は以前は芦屋川よりも西の2号線沿いにありました。その後このJR線路沿いに移りました。以前お世話になっていた人と一度入ったことがあります。そして最近では、昔阪急西宮北口にあった個性的なカレーのお店「サンポア」のカレーを再現して出しているとの話です。めちゃくちゃローカルな話題ですみません )
NO.1475 芦屋市業平町ビゴの店本店
2016年6月8日
(*↑ フランスパンで有名なビゴの店本店です。この店を開いた人は、もともとは同じく有名な、神戸のパンの店「ドンク」の職人さんだったそうです )
NO.1474 芦屋市大桝町
2016年6月8日
(*↑ 左から3つ目の四角い感じのお店が「ビゴの店」です )
NO.1473 芦屋市大桝町
2016年6月8日
(*↑ 今はオシャレなお店も数点ある大きな普通の道路ですが、この南北の通りはもともとはアーケードもあった「本通商店街」という商店街でした。阪神淡路大震災の時に大きな被害にあってすっかり街並みが変わってしまいました。ただ、すでに震災前でも昔ながらの商店街としてはちょっとサミシクなってきていたので、もし地震がなくても時代の流れだったのかもしれません。通りの一番北あたりから南を向いています )
NO.1472 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ この東西の道は昔は「甲陽市場」という市場があり、西の「本通商店街」と東の「三八商店街」との2つ並んだ商店街を繋いでいました。あの頃の市場の通りはもっと狭かったのですが、丁度お店部分も取り除くとこのくらいの広さになるのかもしれません。市場のこちら側の入り口右手には書店があり、このあたりに自転車で来たときはよくそこで本を見ました。その書店はNo.1469の書店だと思います。震災後、場所を移ったのでしょう。この甲陽市場真ん中あたりにある肉屋さんで友だちとおやつ代わりに買ったコロッケは、本当に美味しく感じました )
NO.1471芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ この南北の道が「三八商店街」でした。アーケードが無くなるとほんとに感じが普通になってしまいます。大阪ガスのお店、スポーツ店、布団屋さん、お好み焼き屋さんなどがあったのを憶えています。この写真の背後に位置するあたりには、一時期「ミドリ電化 (現・エディオン) 」という家電店があったこともあります。写真の左のオレンジの陽よけのところは、昔からある「西本商店」という荒物屋さんです。僅かですが残っているお店もいくつかあります )
NO.1470 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ NO.1471の「西本商店」の角から東に少し歩いたここに「ダイエー芦屋店」がありました。東側から見ています。1970年2月オープンなので、僕が小学2年生の終わりくらいに出来たことになります。芦屋で最初のダイエーで、家族してワクワクと買い物に行きました。まだまだ横の商店街や市場も元気で、一度暮れの買い物に来た時は周辺は大賑わいだったのを憶えてます。80年代くらいに芦屋の他の地域にショッピングエリアが出来はじめ、商店街もサミシクなりだしてからここのダイエーも少しさびれた感じになりました。今はマンションになっています。この背中方向をもうちょっと東に行くと、No.1430の「ハザ耳鼻咽喉科」があります )
NO.1469 芦屋市大桝町甲陽書房
2016年5月17日
(*↑ 昔はNO.1472の「甲陽市場」の東の入り口にあったと思われる「甲陽書店」です。O.1468の「芦屋モノリス」の前にあります )
NO.1468 芦屋市大桝町芦屋モノリス
2016年5月17日
(*↑ 今は古い建物を生かしたオシャレなレストランになっていますが、もともとは「逓信省」芦屋別館の電話交換局として1929(昭和4)年に建てられた、風格のある建築物です。僕は子供の頃の「電電公社」の時代に、何度か母親が手続きするのについて来て入ったことがあります。その後1980年代に「NTT西日本」になり、2003年に閉鎖されたそうです。その後、このレストランになりました。一度中に入ってみたいと思いつつ、まだありません )
NO.1467 芦屋市大桝町芦屋モノリス
2016年5月17日
NO.1466 芦屋市大桝町芦屋モノリス
2016年5月17日
NO.1465 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ この鳴尾御影線の道路に面したこのあたりに、かつて「星電社」という家電量販店がありました。「星電社」は神戸を中心に阪神間〜明石まで一時期はその周辺では有名なチェーン家電店でした。ここの星電社も自転車などでよく来てレコードや録音用カセットテープなどを買ったりしましたが、もう随分前に無くなりました。「星電社」自体も今は「ヤマダ電気」の傘下になって「せいでん」という店名も無くなったようです。ただ星電社という社名と三宮本店の入り口のロゴマークは残っているみたいです )
NO.1464 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ このちょっと昭和中期モダンっぽい建物は、僕が子供の頃からあります。外壁は塗り替えられているようですが、今でもちょっといい好きな建物です )
NO.1463 芦屋市茶屋之町
2016年4月8日
(*↑ このコーヒー専門店も古くからあります。昔は木造りでもっと昭和っぽい感じだった気がしますが、とにかくこういう小さな店が健在なのはウレシイです )
NO.1462 芦屋市大桝町堀萬昭堂
2016年6月8日
(*↑ 文具専門店の堀萬昭堂です。昔からここにあってこのあたりでは有名で、たしか芦屋の役所にも納入してるとかじゃなかったかと思います。現在、こことJR芦屋の近くと阪急岡本の近くにお店があります )
NO.1461 芦屋市大桝町
2016年6月8日
(*↑ 店名が違うのでここだったのかどうか正確にはわからないのですが、20歳くらいではじめて美容室に行ってパーマを当てたのがここにあった美容室じゃなかったかと思います。建物自体は変わってしまっているので同じ、もしくは流れをくむ店かどうか不確かなんですが、違うかなぁー、この並びの違うところだったのかなぁー。もう定かではありません。とにかくこのあたりです。当時、たまにはそういう人もそこそこ出始めては居ましたが、今ほど「男性も若い人は美容室でやってもらう」というのが普通で無かったので、やたらと恥ずかしかったのを憶えています )
NO.1460 芦屋市大桝町
2016年6月8日
(*↑ NO.1473のもと「本通商店街」の、一番南の端から山側を見たところです )
NO.1459 芦屋市公光町
2016年6月8日
(*↑ 鳴尾御影線の二車線の道路が出来るまでは、この小さなうねった道が商店街と阪神芦屋駅をつなぐ道路だったようです。子供の頃はこのあたりに「商店街」を示すアーチ状の表示が残っていました )
NO.1458 芦屋市公光町izaビル
2016年6月8日
(*↑ 大阪で働いていた1989年ごろ、そこへ新しく入社してきたコンちゃんがたまたまうちの近くでした。その彼と何度かこのビルのバーに入ったことがあります。でもそれが地下にあるバー「THE BAR」だったのか、4階にもあるバー「芦屋日記」だったのか、それとも両方入ったことがあるのか、イマイチ記憶が定かではありません。なにせ、彼は一緒にいると疲れてねー、別れるとヘロッとなったものでした )
NO.1457 芦屋市公光町izaビル
2016年6月8日
(*↑ NO.1458とツインになっている横の棟です。このコンクリート打ちっぱなしのオシャレなビルがいつごろ出来たのか、はっきりとは憶えてません。NO.1458で書いたバーのオーブンが共に1980年中頃になっていたのでその頃なのかなぁ。とにかく出来た時は「おっ」と目をひく当時の〝今っぽい〟建物でした )
NO.1456 芦屋市公光町ロンドン
2016年6月8日
(*↑ ここも古くからある洋食屋さんです。まだやっているようで驚きです。中学くらいの時に一度だけ家族と食べに入ったことがあります。たしか、ここのオーナーの娘さんが中学の同学年だったんじゃないかと思います )
NO.1455 芦屋市公光町
2016年5月17日
(*↑ 阪神芦屋駅のちょっとだけ東のこの小さな路地は昔からあります。なんだかこの小さな道を通るのが子供の頃からお気に入りでした )
NO.1454 芦屋市公光町
2016年5月17日
(*↑ この場所のレンガの建物は昔からあってなんだか好きなのだけれど、古いそのままなのか、それとも建て替えたのか、どうなのでしょうか。今ここはこの雰囲気にピッタリなオシャレなレストランが入ってます )
NO.1453 芦屋市公光町Pantry
2016年5月17日
(*↑ 阪神芦屋駅の線路北側の出口の斜め前にあるスーパーです。このスーパーが出来たのは間違いなく阪神淡路大震災の後ですが、その前は何があったのだったっけ? と思い出そうとしているのだけれど、サッパリ思い出せません。うーんここはもともと何があったのだったっけかー? )
NO.1452 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅
2016年6月8日
(*↑ 阪神芦屋駅の東側の北出口です。昔と全く変わっていません )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年5 月 1日 10:05 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
さぁ、
このあたりで、
芦屋の街の残りをやってしまいたいと思います。
11回ほど、トントントンと続けていきます。
まずは、
僕の住んでいたところから北へ行って、
国道43号線を越えて阪神電車の線路あたりから、
JR芦屋駅までを。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1451 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年5月17日
(*↑ JR芦屋駅の改札を出て左、南口の階段方面を向いたところです。芦屋に住んでいた頃はこの先に向かって進んで帰ったものです。基本的な感じは昔とあまり変わっていません )
NO.1450 芦屋市船戸町JR芦屋駅
2016年5月17日
(*↑ 南の階段を上がって改札方向を向いたらこうなる視点です。そう、家からJR(昔は国鉄)にやってきて階段を上がった感じがいつもこうでした )
NO.1449 芦屋市船戸町JR芦屋駅南口階段
2016年5月17日
(*↑ 駅の南側で登り降りする階段です。高校生時代、大学生時代、社会人になってからも場合によっては登り降りして、馴染んだ階段です )
NO.1448 芦屋市船戸町JR芦屋駅南口
2016年5月17日
(*↑ この足下から突き当たりの建物まで右側の線路沿いに、かつて自転車が沢山並んで置かれていました。大阪の茨木駅まで通っていた高校時代には僕も置いていました。今はもう厳しくなって、別の駐輪場にちゃんと置かないといけないみたいです )
NO.1447 芦屋市船戸町JR芦屋駅南口
2016年5月17日
(*↑ なぜか駅というところは、大抵駅のどちらか方面が華やかで、もう一方は地味な感じだったりします。なぜでしょうか? JR芦屋駅の場合はこの南側が昔から地味な感じです )
NO.1446 芦屋市船戸町JR芦屋駅南口
2016年5月17日
(*↑ この階段をほんとによく登りました。芦屋に引っ越したばかりから数年間の幼い頃は、改札が南北に別れた小さい駅だったのだけれど、1970年代に階段を上った2階にひとつ改札がある形式のコンクリート造りの駅に替わりました。国鉄時代のある時期によくあったタイプの駅ですね。その骨組みの感じは今も替わっていないようですが、外観はちょっと変わった気もします。阪神淡路大震災の折には、ホームや設備が大きく被災してしばらく利用出来ない状態になってました。また、ここから西のJR線も何ヶ月か運行不可能な区間もあり、当時家族は芦屋の仮設住宅に移るまで僕のマンションにいたのだけれど、実家の片付けに行くのにJRが手配した代替バスを利用して芦屋まで来たりしていました。そういったようなことももうすっかり無かったかのように、今は平和な芦屋駅です )
NO.1445 芦屋市業平町
2016年5月17日
(*↑ 芦屋駅南口の道路を挟んで南側には、今は「いかりスーパー」などのお店が何軒か並んでいます。昔は南側には小さな2.3階建てくらいの横長のビルがあって屋上では小さくビアガーデンをやっていたんじゃないかと思います。いや、実際に夜にやっているのを見たことはないのだけれど、 子供時代の長い間、屋上に小さな提灯がたくさんぶら下がっていた記憶がなんとなくあるのです。もう高校の通学で利用していた頃はさびれて屋上には何も無かった気がしますが。あと、この並びにはバスの定期券や回数券を売っているところがあったり、タクシー乗り場があったりしました。また、テーブル式のテレビゲームが流行った80年代初めには、ゲームを並べているスペースもあったりして、何度かそこでゲームをやったこともありました )
NO.1444 芦屋市業平町
2016年5月17日
(*↑ ブタの向こうの奥まったところは、この撮影をした時はテニスラケットの工房と空き店舗になってますが、1990年ごろにはレンタルビデオの「TSUTAYA」がありました。僕はもう大阪で働いていた時期、そしてそれ以降ですが、よくここで借りました。丁度その頃に神戸で一人暮らしをするのですが、自動車を持っていた時期は実家に帰ったついでに借りたり返したりもしていました )
NO.1443 芦屋市船戸町
2016年5月17日
NO.1442 芦屋市船戸町
2016年5月17日
NO.1441 芦屋市業平町
2016年5月17日
(*↑ これを写した時はタバコの販売だけになっていますが、昔はここはパン屋さんでした。パン屋さんがタバコも売っていました。たしか「日本堂」という店名だったと思うのですが、この奥に小さな自分のところの製造工場もあるパン屋さんだったように思います。そして、たしか中学の時に学校で昼食用の調理パンを売りに来ていたパン屋さんが、ここだったんじゃなかったかなぁと思います )
NO.1440 芦屋市業平町
2016年5月17日
(*↑ 丁度立っているこのあたりに、かつてはポール(標識と時刻表)があるだけのバス停がありました。芦屋の市内を回っている阪急バスです。ここから南に向うバスが出ていて、駅から家に帰る時はだいたいここから乗っていました。懐かしいところです )
NO.1439 芦屋市茶屋之町ツボサカクリーニング
2016年5月17日
(*↑ 昔は芦屋でクリーニングといえばここ「ツボサカクリーニング」でした。JR芦屋駅から南に行ったところの国道2号線の角の南東に、今でも大きなクリーニング工場を持っています。 自転車でここの裏手を通ると何とも言えない独特の匂いがしたんですよねぇ。今はこんな風に国道に沿ったところに、キレイな花壇が作られていました )
NO.1438 芦屋市茶屋之町旧西国街道
2016年5月17日
(*↑ ここは、ちょっとだけナナメに横切って国道2号線と交わって消えていくという、知らない人には「?」と思える小さな短い道です。旧西国街道の名残です。この背中位置のところから2号線の歩道に合流してます。要するに写真正面まで 旧西国街道が残っていて、ここから西への西国街道はまんま2号線に利用されたのですね。昔の街道はうねっているのでまっすぐな近代化後の道に変えていく時に、場所によってはこうなっちゃうんですよね。この左のらせん階段あたりに小さな三角の土地が残されました )
NO.1437 芦屋市茶屋之町旧西国街道
2016年5月17日
(*↑ No.1438の旧西国街道の真ん中あたりにこんなプレートがありました。昔はこんなものは無かったのだけれど、今は歴史的なものはどこでもちゃんと表記するようになりましたね )
NO.1436 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ 旧西国街道のなごりの道の東の角にあります。紀元2600年行事の記念の碑です )
NO.1435 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ 2000年前後くらいからかなぁ、このあたりにはオシャレな店がいくつも出来ました。昔は単なる広いバス道だったのだけれど。ただ今もそうなんだけれど、ここは昔から春になるとホントに桜並木が綺麗です )
NO.1434 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
NO.1433 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
NO.1432 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ 「コインランドリー」というものがヨノナカにちょっとずつ出始めた頃、ポンと出来たのがここの小さなコインランドリーでした。バス道なのでバスの中から見て最初は物珍しくて「へぇーっ」なんて興味津々でした。実際に持っていって洗濯してみたのか、そんな必要ないのでやらなかったのか、それはすっかり忘れてしまいましたがとにかく印象的でした。もう30年以上くらいはやっている計算になるので、頑張っている方だと思います )
NO.1431 芦屋市茶屋之町
2016年5月17日
(*↑ 正面の白い可愛いビルのある場所に昔、映画館がありました。「芦屋会館」略して「あしかん」と呼んでいました。一度も観に行ったことはないと思うのですが、僕が小学生低学年の頃に閉館したと思います。そう、僕の子供の頃は阪神間のアチコチの小さな街にも小さな映画館が結構あったりして、大人になってからもチョコチョコっと何館か残っていましたが、今はもうほぼ全て無くなってしまったんじゃないでしょうか。「あしかん」が無くなってからは信用金庫か何かが営業していたと思うのだけれど、この写真を写した時は美容室でした。当時、「芦屋会館」の南には、その名前をとった「あしかん薬局」という薬屋さんがあったりもしました )
NO.1430 芦屋市茶屋之町ハザマ耳鼻咽喉科
2016年5月17日
(*↑ もと「あしかん」の、ナナメ東にある耳鼻科の「ハザマさん」です。このハザマさんから西に入っていったところにかつて芦屋で最初の「ダイエー」(スーパーマーケット)がありました )
NO.1429 芦屋市宮塚町
2016年5月17日
(*↑ 芦屋駅から南に下って来たバスが、阪神電車の線路の手前の鳴尾御影線で東に曲がってしばらくした道の南に、かつて「メルティング・ポット」という小さなライブハウスがありました。1980年代当時の関西の情報誌の「プレイガイドジャーナル」や「Lマガジン」にもライブ情報が載っていたりして、知る人ぞ知る的なライブハウスだったと思います。今はこの写真のように違う名前のドラム教室になっているようで、ライブはやっていないみたいな雰囲気でした。そう、たしかオーナーさんがドラマーだとかいう話は聞いたことがあるので、その方が今はドラム教室をしているのかもしれません )
NO.1428 芦屋市精道町
2016年4月8日
(*↑ 阪神電車の線路の盛り上がったところをくりぬいて作られたお地蔵さんです。もともと線路が出来る前からここにあったお地蔵さんなのか、それとも線路が出来てからここで子供の事故があって作られたお地蔵さんなのか、いろいろと想像していましたが、調べたら昔ここに電車が通った時に安全のお守りとして阪神電車が祀ったらしいです。そしてこのお地蔵さん、今から10年以上前になるのかなー、アタマのところにドラえもんのぬいぐるみがしばらく置かれていて、「ドラえもんのお地蔵さん」になっていた時期があります。雨風と光で痛んでしまったのか、今はもう無くなっています )
NO.1427 芦屋市精道町ギャラリーPaw
2016年4月8日
(*↑ ここは今はギャラリーになっていますが、かつては画材屋さんでした。なので昔は絵の具やペン先やスクリーントーンなど、たまに画材を買いに来ました。あの頃この手のお店は、入るのがほんとに楽しくて嬉しくて。「アシヤ画材」という店名だった気がするのですが、定かではありません )
NO.1426 芦屋市精道町
2016年4月8日
(*↑ NO.1431から1435までの道を阪神電車の線路を越えて南にまっすぐ行くとここです。さらに南に行くと左に県立芦屋高校のグラウンドがあり、すぐに国道43号線に突き当たります )
NO.1425 芦屋市精道町
2016年4月8日
(*↑ NO.1435にも書きましたが、JR芦屋駅の南側までつながっているこの2車線道路の桜並木は、ほんとに綺麗です。僕が住んでいた頃からここはもちろん綺麗でしたが、今は木がより広がってさらに素晴らしくなっている様に感じます )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2017年4 月29日 20:38 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
芦屋浜シーサイドタウンの、
さらに南に造られた埋め立て地の街、
「南芦屋浜地区」です。
芦屋では新しいこの街は、
阪神淡路大震災後に完成したので、
僕にも家族にも別に思い入れとかはないのですが…
NO.1424 芦屋市南浜町潮芦屋ビーチ
2016年11月01日
(*↑ とにかくこの海が写したかったのです。芦屋の南の果ての海! )
NO.1423 芦屋市南浜町潮芦屋ビーチ
2016年11月01日
(*↑ 神戸方面(西)を向くとこうです )
NO.1422 芦屋市南浜町潮芦屋ビーチ
2016年11月01日
(*↑ そう、これは新しい埋め立て地の南西角に造られた、人工の砂浜です。昔かつてあった砂浜からだと、随分と南に出来た今の芦屋の砂浜です )
NO.1421 芦屋市南浜町潮芦屋ビーチ
2016年11月01日
(*↑ 東を向くとこうです )
NO.1420 芦屋市南浜町潮芦屋ビーチ
2016年11月01日
(*↑ そもそも僕が芦屋に引っ越してきた子どもの頃には、まだちゃんと残っていた砂浜。せっかくのそれを埋め立てて無くして、さらにその沖も埋め立てて、そしてその先にわざわざ人工砂浜を造った。ステキと言えばステキだけれど、ヘンテコと言えばとてもヘンテコ。今のこの国の人というものは本当に手間な生き物です )
NO.1419 芦屋市南浜町潮芦屋ビーチ
2016年11月01日
(*↑ ちゃんと防風林も )
NO.1418 芦屋市南浜町潮芦屋ビーチ
2016年11月01日
(*↑ 海です。砂浜です。ここに立って心おどりました )
NO.1417 芦屋市南浜町芦屋市総合公園
2016年11月01日
NO.1416 芦屋市陽光町芦屋市総合公園
2016年11月01日
(*↑ 向こうの高架は阪神高速湾岸線です )
NO.1415 芦屋市陽光町キャナルパーク
2016年11月01日
(*↑ 見えているのは潮風大橋 )
NO.1414 芦屋市陽光町キャナルパーク
2016年11月01日
(*↑ この運河に沿ってずっと遊歩道が続いています。いい季節はキモチがいいでしょう。釣りもできるようです )
NO.1413 芦屋市陽光町キャナルパーク
2016年11月01日
(*↑ 対岸には最初の埋め立て地・シーサイドタウンが見えます。その向こうには六甲山も眺望出来、いい景色ではあります )
NO.1412 芦屋市潮風大橋
2016年11月01日
(*↑ 埋め立て地の西側を繋ぐ「潮風大橋」です。ここは車道でもありバスも通ります。橋の向こうに高層住宅が覗きます )
NO.1411 芦屋市陽光町陽光緑地
2016年11月01日
(*↑ 南側からシーサイドタウンの高層住宅を眺めるのは、僕にはなんだか妙な感じでした。でもここでずっと暮らしている人には普通の景色なのでしょうね )
NO.1410 芦屋市陽光町陽光緑地
2016年11月01日
NO.1409 芦屋市あゆみ橋
2016年11月01日
(*↑ 新しい埋め立て地と最初の埋め立て地は、3本の橋のみで繋がっており、西に「潮風大橋」真ん中に「あゆみ橋」東に「浜風大橋」が渡っています。両端の2本は自動車も通行できる大きめの橋ですが、この「あゆみ橋」は歩行者と自転車専用のみの生活用の橋です。これは「あゆみ橋」から北を向いたところです )
NO.1408 芦屋市あゆみ橋
2016年11月01日
(*↑ 新しい埋め立て地と最初の埋め立て地の間は、海で少し間があいており運河のようになっています。名前も「キャナルパーク」と付けられて、ここでカヌーやボートの競技もよく行われているようです )
NO.1407 芦屋市あゆみ橋
2016年11月01日
(*↑ 「あゆみ橋」から南を向いたところです。向こうに新しい埋め立て地「南芦屋浜地区」があります。この先で橋の上を渡っている道路は阪神高速湾岸線です )
NO.1406 芦屋市あゆみ橋
2016年11月01日
(*↑ 最初の埋め立て地から新しい埋め立て地へ渡る「あゆみ橋」に入ってすぐのところです )
NO.1405 芦屋市若葉町
2016年11月01日
(*↑ シーサイドタウン内の宮川の一番南の端から北側を見ています。最初の埋め立て地ではこのあたりが最南端でした )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2016年12 月30日 18:13 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
そして芦屋浜シーサイドタウンの「その3」です。
NO.1404 芦屋市若葉町潮見橋
2016年11月02日
(*↑ この宮川の一番南にかかっている歩行者用の「潮見橋」のすぐ東側に、ひと棟だけポツンと離れて建っている高層住宅があります(写真の左上)。たしか、ここ一帯の高層住宅は外観は同じでも、県営、公社、公団などさまざま運営形態があったはずです。で、このポツンと建っているこのコは唯一の民営の高級分譲高層住宅だったと思います。学生の頃に芦屋の郵便局で小包等の配達アルバイトをしたことがあって、何度かこの建物にも届けに来ました。他の建物では当時誰でも自由に出入りできたものですが、ここはちゃんとマンション式に管理人がいて見張られていました。エントランスからして他とは違う高級感もあって「ほぉ〜」と思ったものです。今は詳しくどうなっているのかは知りませんが、多分現時点でもきっとそんな感じだと思います )
NO.1403 芦屋市若葉町潮見橋
2016年11月02日
(*↑「潮見橋」の真ん中あたりから北側を望んだ景色です。はるか向こうに六甲山が見えます )
NO.1402 芦屋市高浜町潮見橋
2016年11月02日
(*↑「潮見橋」から西方向を見たところです )
NO.1401 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ ここはこの街が完成してから随分と長い間空き地で、阪神淡路大震災の後には仮設住宅が建っていました。そして僕の実家の家族も震災後1年半程ここで暮らしていました。僕も神戸の自分の部屋からよくここへ通ったものです。今では住宅地になり一戸建てが並んでいます。でもこの看板があるということは、まだ空きがあるのかなぁ )
NO.1400 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ 歩道橋になったところから南を見下ろします。この駐車場のところ住宅街のところ全てに、阪神淡路大震災後の仮設住宅がダーッと並んでいました )
NO.1399 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ 今は駐車場への裏口みたいになっていますが、震災後の仮設住宅がここにあった時からこんな感じで、よくここからも敷地に入りました )
NO.1398 芦屋市高浜町潮見橋
2016年11月02日
(*↑ 汐見橋から仮設住宅があった場所を眺めます )
NO.1397 芦屋市若葉町
2016年11月02日
(*↑ 汐見橋の近くで北方向を。向こうの橋が宮川大橋で、その右がダイエーになります )
NO.1396 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ 宮川大橋の上の歩道から東を向いています。左の白いところがダイエーになります。ここからのこの景色はやはり今観ても、まだまだちょっと未来的でカッコイイ。何体かのロボットが並んでそびえているようにも見えます )
NO.1395 芦屋市高浜町
2016年11月02日
NO.1394 芦屋市高浜町宮川大橋
2016年11月02日
(*↑ シーサイドタウン内で宮川の上にかかっている宮川大橋からです。ダイエーの南西方向に位置します )
NO.1393 芦屋市若葉町
2016年11月02日
(*↑ 宮川の西側になります。この先、川を越えるとダイエーやシーサイドセンターになります。下はシーサイドタウンの中心を走っている大きな道路です )
NO.1392 芦屋市若葉町
2016年11月02日
NO.1391 芦屋市若葉町
2016年11月02日
NO.1390 芦屋市緑町
2016年11月02日
(*↑ 中央緑道の西の端あたりから東(シーサイドタウン中心部)を向いたところです )
NO.1389 芦屋市潮見町
2016年11月02日
(*↑ シーサイドタウンの西の端の岸辺から、バス通りのある東を向いたところです。正面が、中心部方向と南方向へのバスの分岐点になってます )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2016年12 月29日 17:17 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
そして芦屋浜シーサイドタウンの「その2」です。
NO.1388 芦屋市緑町
2016年11月01日
(*↑ ここはシーサイドタウンの一番西北の端、NO.1152でも載せたもともとの砂浜が唯一残っているところです。芦屋川の河口でもあります )
NO.1387 芦屋市緑町
2016年11月01日
(*↑ シーサイドタウン東の端の面の岸辺。右側に細長い海が少し残っています。さらに右には神戸市の埋め立て地の倉庫街。先に見える高架の道路が阪神高速湾岸線 )
NO.1386 芦屋市潮見町
2016年11月01日
NO.1385 芦屋市緑町
2016年11月01日
(*↑ 左にある道路は阪急バスのバス道になります )
NO.1384 芦屋市潮見町中央緑道
2016年11月01日
(*↑ ここはシーサイドタウン中央部の遊歩道(中央緑道)の西の終わりあたりになります。この先にバス道があり少しだけ古くから残ってる海のあるところに出ます )
NO.1383 芦屋市若葉町中央公園
2016年11月01日
(*↑ 中央公園内で広場から西寄りに遊歩道になったところがあり、ここには小さな池などがありベンチなどが備えられています。ここの木々も昔と比べると大きく立派になりました。道の敷石などは渋みが加わりましたね )
NO.1382 芦屋市若葉町中央公園
2016年11月01日
(*↑ 中央公園の西側には下水処理場があります。その屋上はかつてテニスコートになっていました。そこに上がるには処理場の東にスロープがあったのですが、南側にも上に行く階段がありました(↓の写真)。で、この日まずそれを探したけれどなぜか解らない。何度も往復して「んん? これか〜?」とようやく気づきました。草木でうっそうとしている中、下のフェンスが閉められて、「閉鎖しました」の文字が。帰ってパソコンからネットで衛星写真を観てみると屋上にはもうテニスコートは無くなっていました )
NO.1381 芦屋市若葉町中央公園芝生広場
2016年11月02日
(*↑ 野球場の南側に位置する広場です。サッカーやラグビーなどのグラウンドとしても使用されているようですし、夏には夏祭りが行われて屋台が並んだりします。芝生広場という名前でいいと思うのですが、広場の中は土です。もともとどうだったのかは忘れてしまいました )
NO.1380 芦屋市若葉町中央公園芝生広場
2016年11月02日
NO.1379 芦屋市若葉町中央公園芝生広場
2016年11月02日
NO.1378 芦屋市若葉町中央公園
2016年11月02日
(*↑ 休憩所の向こうに見えているポールは野球場の照明です )
NO.1377 芦屋市若葉町中央公園「人びと」像
2016年11月02日
NO.1376 芦屋市若葉町中央公園
2016年11月01日
(*↑ この公園が出来た数年は植えたての低い木々でスカスカでしたが、さすがに40年も経つと道を覆うばかりになっています。春になるとここは桜が咲き誇って綺麗な花見どころにもなってます )
NO.1375 芦屋市若葉町中央公園野球場
2016年11月02日
NO.1374 芦屋市若葉町中央公園野球場
2016年11月02日
NO.1373 芦屋市若葉町中央公園野球場
2016年11月02日
(*↑ この中に一度だけ入ったことがあります。友人Yのお兄ちゃんがここで草野球の試合をして、近くなので応援にきて中に入れてもらいました )
NO.1372 芦屋市若葉町中央公園野球場
2016年11月02日
(*↑ この野球場は阪神淡路大震災の折には、自衛隊ヘリコプターの発着場になっていました。それまでただの野球場だったところからヘリが大きな音をたてて飛び立つのを見て、何かの映画を観ているかのような現実感の無い妙な感じがしたものです )
NO.1371 芦屋市若葉町中央公園
2016年11月02日
(*↑ シーサイドタウンの中央公園のトイレ。ここは公園の北の端でもとの実家からも近く、1981年の家の改装の時によく使用させてもらったトイレです )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2016年12 月28日 16:58 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■久しぶりに「タテパノラマ」。
そして、
僕が育った「芦屋の街」編の続きです。
だから例によって特別に、
ところどころ説明文を入れていきます。
再び、実家のあった近くに戻って、
今度は埋め立て地「シーサイドタウン」を巡ります。
芦屋の海を埋め立てて、
僕が高校の時に新しい街として出来ましたが、
もうそれから40年くらい経ちました。
NO.1370 芦屋市新浜町阪急バス芦屋浜営業所
2016年11月02日
NO.1369 芦屋市新浜町阪急バス芦屋浜営業所
2016年11月02日
(*↑ 芦屋市内の阪急バスの営業所兼車庫になっているところです。バスの中での忘れ物が届いて保管されるところでもあり、僕は何度かここに引き取りに来ました )
NO.1368 芦屋市新浜町阪急バス芦屋浜営業所前停留所
2016年11月02日
NO.1367 芦屋市新浜町兵庫県立国際高等学校
2016年11月02日
(*↑ かつては国際文化科を持つ「県立芦屋南高校」という名の高校でした。偶然だったのだけれど、2015年にロンドンに行った時にお世話になったMsちゃんの母校でもあります )
NO.1366 芦屋市高浜町
2016年11月01日
NO.1365 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ 街が出来た時は最新の未来的な街だったけれど、このタイプの公衆電話ボックスが今でも残っていることが、ここがもう随分と年月の経ってるところだということを教えてくれます )
NO.1364 芦屋市高浜町
2016年11月02日
NO.1363 芦屋市高浜町
2016年11月02日
NO.1362 芦屋市高浜町
2016年11月02日
NO.1361 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
(*↑ ダイエーから出て広場スペースからそのままバス通り側に行き、歩道のスロープに移ったところです。ここからダイエーの建物をみると、うっすらと昔のダイエーマークをはがした跡が残っています。写真ではわかりにくいですが)
NO.1360 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
(*↑ ダイエーの中に入ってみると今使用しているフロアは2階までで、3階は閉鎖されていました。かつては、1Fが食料品、2Fが衣料品と靴、3Fは日用品と電気と文具のフロアでした。他にも時期によってレコード店やラーメン屋や喫茶店ゃ書店などもありました。そのあたりの頃を知っているので、とてもサミシイ感じがしました。ただ、景気も悪くなってヨノナカの好みや空気も変わってからというもの、こういう感じはそう珍しい光景でもないですが)
NO.1359 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
NO.1358 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
(*↑ ダイエーの入り口の右方向に今はドラックストアの「ライフォート」があります。しかしここはオーブン時から何年もの間住友銀行がありました。親が子供の頃に作ってくれた郵便局の口座以外で、初めて持った預金口座を作ったのがここにあった住友銀行でした。その口座は三井住友銀行と名前を変えましたが今も使っています)
NO.1357 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
(*↑ 南北の階段を上るとこのちょっと広いところに出ます。ここがダイエーの入り口です。僕が住んでいた家から10分弱ぐらいのところにあるここは、オープンした頃はホントに楽しい感じが溢れてました。1979年くらいなのでまだ多少の上下はあっても景気のいい、バブル景気へとまっしぐらな時期で結構賑わっていました。また、1995年の阪神淡路大震災の折りには、たしか次の日だったのかなー、随分と早くにオープンしてとても安心したものです。「ダイエーが開くらしい」と聞きつけて朝家族とここに並びました。その時に台の上から店長さんらしき人が、来ていた人たちにかけていた励ましの言葉がかなり嬉しかったのを、よく憶えています)
NO.1356 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
(*↑ ダイエーの南側からの登り口です。左の緑の覆いがあるところはエスカレーターで昔はちゃんと動いていました。いつしか使用されなくなりました)
NO.1355 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
(*↑ そうそう、自転車がこうやって置いていて。この感じは昔から変わってません)
NO.1354 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
(*↑ 建物の1階。道路からは半地下になっている通路と店舗です。ここに並んだお店はオープン時からは随分と変わりました。賑わいでいた頃のここには、酒屋と大きな書店、それから散髪屋や美容室などが並んでいました。書店はしょっちゅう来てましたし、併設していた文具スペースでよくペンなども買ったりしました。散髪屋さんはある時期馴染みにしてました。今はもう寂しい感じになってます)
NO.1353 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
NO.1352 芦屋市高浜町ダイエー
2015年11月11日
(*↑ シーサイドタウンのダイエーへ、南側から向かう道です。よく通った道です。建物の上部に見えるダイエーのマークは、昔はオレンジの円が少し欠けた形でした )
NO.1351 芦屋市高浜町宮川
2015年11月11日
(*↑ NO.1110の宮川から南方向への続きです。もともと海で、埋め立てられて川の続きが出来たってことなんですが、まぁ宮川は宮川ですね。この日は沢山のカモメとハトが羽根を休めていました )
NO.1350 芦屋市高浜町
2015年11月11日
(*↑「シーサイドタウン」の高層住宅です。一番高い棟でたしか29階くらいじゃなかったかと思います。これが出来た時は「おお、すごいなー」と思ったものです。もう40年経ちます。今では高層住宅はそう珍しくはないですね )
NO.1349 芦屋市高浜町
2015年11月11日
(*↑海技大学から道路を挟んで南側が「シーサイドタウン」になります。僕が高校生の頃、1970年代後半に完成した埋め立て地の街です。このグラウンドはたしか完成当時からあった芦屋大学のグラウンドですが、この写真から一年後の2016年秋にここへ行った時には、看板は外されクラブハウスも無くなっていました。調べるとさらに浜手の新しい方の埋め立て地に移転したようです )
NO.1348 芦屋市西蔵町海技大学校
2015年11月11日
(*↑ここは、NO.1109で北側の通用門を載せましたが、こちらが正門になります。その時にも書きましたが、阪神淡路大震災の折に実家に戻ってから家族とともに最初の数日を過ごした避難所がここでした。僕たちが避難していた場所は僕が子供の頃からあった校舎の中の教室でしたが、その後に全体を建て直したらしく、今ではなんだか真っ白でスッとした建物になっています。1945(昭和20)年設立の、船員を教育・養成・訓練する学校です )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2016年12 月27日 18:51 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■タテパノラマのシリーズはまた再び、
僕が育った街「芦屋編」に戻します。
今回もタテパノラマとしては例外的に、
ところどころ説明文を入れていきます。
NO.1347 芦屋市親王塚町阿保親王塚
2016年4月12日
NO.1346 芦屋市親王塚町阿保親王塚
2016年4月12日
(*そのまま町名にもなっている親王塚です。阪神打出駅からずっと北、2号線もJRも山手幹線もどんどん越えていったところにあります。ここは宮川小学校の行事で、ピート(肥料用の落ち葉)取りに行ったところです。それから、夏休みに一度友達とセミ取りに来たこともあります。とにかく木々がうっそうと残っていて、なんだかこう、外の住宅街とは空気の違う印象が今でも残っています。上の看板の写真をクリックして読むと解りますが、昔の親王が祀られているそうです。ので、知りませんでしたが、「宮内庁」の管轄らしいです。まぁ、そうなんですねぇ。天皇家の一族ですからねぇ)
NO.1345 芦屋市楠町
2016年4月12日
(*ここはたぶん今ではこの辺りでは、数少ない高架やトンネルになっていないJR線路と道路との交差点の1つではないかと思います。今はどうか知らないですが、昔はバス通りでした。阪急芦屋川や国鉄(JR)芦屋から東回りで家に帰る時にここを通るバスに乗りました。すぐ西にJR芦屋駅があって当時は「開かずの踏切」みたいな印象があった踏切りです)
NO.1344 芦屋市楠町
2016年4月12日
(*阿保親王塚から南に位置するここに古そうな碑があります )
NO.1343 芦屋市楠町京極小児科
2016年4月12日
(*この洋館は、そのまま同じ建物かどうかわかりませんが、とにかく昔から洋館があって目立っていたような気がします )
NO.1342 芦屋市打出小槌町ロイヤルホスト
2016年4月12日
NO.1341 芦屋市打出小槌町ロイヤルホスト
2016年4月12日
(*このロイヤルホストは芦屋では一番最初に出来たファミレスだったように憶えています。「ステーキがレストランより安く食べられるらしい」とかいう噂を聞いて、家族で食べに来ました。高校生くらいじゃなかったかと思います )
NO.1340 芦屋市宮塚町
2016年4月12日
(*ここは大阪で働いていた頃、まだギリギリ実家に居た時期に出来たラーメン屋です。1989年前後じゃなかったかと思います。オーブンして間もない時に食べに行って、とても美味しく思ったのですが、その後情報誌などで評判になって行列が出来るお店になりました。人気店になってから一度食べに行きましたが、よくある話通りに、前ほどは美味しく感じなかった憶えがあります )
NO.1339 芦屋市打出小槌町レックスマンション
2016年4月12日
NO.1338 芦屋市打出小槌町レックスマンション
2016年4月12日
(* 中学の時に同じクラスで友達だった、マジャンこと松村が高校くらいから住んでいたマンションです。別々の高校になってから一度遊びにいったり、高校を卒業した春休みにこの近くで偶然バッタリ会ったりもしました。彼は大阪の大学に行って、その後は全く会ったことはありません。そう、タテパノラマ NO.1096に書いた、幼い頃に宮川のほとりの「お地蔵さん」を川に投げ込んだことのある彼です)
NO.1337 芦屋市宮塚町
2016年4月12日
(*僕が昔住んでいた所の東に流れている宮川のちょっと上流になります )
NO.1336 芦屋市宮塚町
2016年4月12日
NO.1335 芦屋市宮塚町
2016年4月12日
(*2件並んでいるお店の、奥のオレンジの外壁のお店は、昔は「リリー洋装店」というオーダー中心の洋服の店で、母が2年くらいだか働いていたことがあります。僕が小6だか中1だかそのくらいの頃です。奥さんがオーナーをしていて女の子と男女双子の子供がいました。旦那さんには一度、六甲山人口スキー場に連れて行ってもらったことがあります。今は美容室に変わったみたいです。
その手前の店は「トリイ」さんという散髪屋さんで、80年代真ん中くらいから10年ほどずっと通っていたところです)
NO.1334 芦屋市宮塚町宮塚公園
2016年4月12日
(*ここは昔から春になると桜が綺麗な公園です。昔はこの西に隣接して「ゴルフ練習場」いわゆる「打ちっぱなし」があったのですが、もう無くなっていました )
NO.1333 芦屋市宮塚町宮塚公園
2016年4月12日
NO.1332 芦屋市宮塚町宮塚公園
2016年4月12日
NO.1331 芦屋市宮塚町宮塚公園
2016年4月12日
NO.1330 芦屋市宮塚町宮塚公園
2016年4月12日
NO.1329 芦屋市宮塚町宮塚公園
2016年4月12日
NO.1328 芦屋市宮塚町宮塚公園
2016年4月12日
NO.1327 芦屋市宮川町阪神電車線路
2016年4月12日
NO.1326 芦屋市宮川町県立芦屋高校テニスコート
2016年4月12日
NO.1325 芦屋市宮川町県立芦屋高校テニスコート
2016年4月12日
NO.1324 芦屋市宮川町
2016年4月12日
(*子供の頃、この下を歩いている途中で電車が通過するととてもうるさいので、ここを通る時はいつも走って抜けていたという記憶があります )
NO.1323 芦屋市宮川町県立芦屋高校
2016年4月12日
(*県立芦屋高校、いわゆる「県芦」です。僕はここを専願で落ちました。合格していたら色々と変わっていたかな? とも思いますが、その後のここまでやって来た一貫したアウトサイド的人生も僕は結構大好きなので、それで良かったのだと思います )
NO.1322 芦屋市宮川町赤い鳥
2016年4月12日
(*ここは何時だったか、中学くらいの時までに出来た喫茶店だと思います。店名からして70年代っぽいお店です。出来た時は印象的でした。でも、今でもこのそう賑やかでもない場所で残っているのが不思議です。大学の時に先輩のTさんがうちの姉に花束を渡すんだとか言って家まで来たことがあります。その帰りに駅まで送る途中で、その先輩と二人でこの喫茶店でお茶を飲んだことがあります。入ったのはそれ一回きりだったと思います )
NO.1321 芦屋市宮川町
2016年4月12日
(*「県芦」の東側の南北の道を挟んでこの小さな路地があります。昔は路地の入り口の辺りに散髪屋さんがあって、小さな頃はそこでやってもらっていました。待つところに「週間少年マガジン」が置いてあって、 「天才バカボン」や「あしたのジョー」を読んだりしていました。で、その散髪屋さんが父親に言った話によると、この路地のどこかに谷崎潤一郎が住んでいたことがあって、その散髪屋さんにもよく来ていた、ということらしいです)
NO.1320 芦屋市宮川町
2016年4月12日
O.1319 芦屋市宮川町
2016年4月12日
(*ここは、今でも奥の建物はNTTですが、昔は「歩行者注意」の駐車場からローソン店舗までの全部の敷地が電電公社(現NTT)でした )
NO.1318 芦屋市宮川町
2016年4月12日
NO.1317 芦屋市呉川町
2016年4月12日
(*左上の高速道路の高架の下にチラッと見えているのが六甲山です )
NO.1316 芦屋市呉川町
2016年4月12日
(*下は国道43号線、上が阪神高速3号神戸線です。東を向いてます )
NO.1315 芦屋市呉川町
2016年4月12日
(*南を向いてます。向こうにチラッと埋め立て地シーサイドタウンの高層住宅が見えます )
NO.1314 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*このスロープの歩道橋が出来たのがいつなのか、はっきりは憶えていませんが小学校高学年くらいではなかったかと思います。「自転車の時はこの歩道橋を利用しなさい」ということでした。ちょっと手前から自転車に加速をつけて、一気に上まで登ることができるとウレシイものです。絶頂期にはチョロイものでした。逆に今はムリです )
NO.1313 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(* もと実家の前をまっすぐ北に進むとここに出ます。正面に見えている建物は「県立芦屋高校」です。この立ち位置の左手に「なかやま」という八百屋さんが当時あって、そこの息子は同級生でした )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2016年5 月14日 12:14 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■ちょっと間が空いたけれど、
タテパノラマ、僕が育った街「芦屋編」。
もう一度「かつて実家のあったところ」から、
前とは別ルートで阪神芦屋方面まで行きます。
今回もタテパノラマとしては例外的に、
ところどころ説明文を。
(タテパノラマでの「芦屋編」は、
今回のあと数回お休みする予定です)
NO.1209 芦屋市精道町阪神電車芦屋駅
2016年3月30日
(* 阪神芦屋駅はホームが芦屋川の上にまたいであります。ちょうどこのように、下りホームから川の南側の景色が、上りホームから川の北側の景色が望めます。この感じは、かつてずっと慣れ親しんできた風景です。写真は下りホームから南側を見たところです。左上に見える建物は芦屋市役所です)
NO.1208 芦屋市精道町阪神電車芦屋駅
2016年3月30日
(* この阪神芦屋駅の入り口も子供の頃からほぼ変わっていません。下に降りたところの構造は少しかわりましたが、こじんまりとした外のこの庶民的な感じは変わらずにいてほしい雰囲気です)
NO.1207 芦屋市精道町
2016年3月30日
(* 駅の南すぐには、変わらず阪神タクシーの乗り場があります。阪神タクシーは昔から、薄い青緑と白のツートンカラーのちょっと野暮ったい感じで、それがまたなんだか親しみやすくてらしくていいのです)
NO.1206 芦屋市精道町芦屋市役所
2016年3月30日
(* この市役所の古い方の建物は、昭和の特撮TV「ウルトラセブン」のロケに使われました。1968年1月に前後編で放映の関西を舞台にした『ウルトラ警備隊西へ』の回での防衛センターのシーンのうち、「京都国際会議場」のロケとは別にチラッと出てきます。当時はちょっと未来的な感じがしたのかもしれません)
NO.1205 芦屋市精道町芦屋市役所
2016年3月30日
(* 市役所の北の入り口から北を望んだところです)
NO.1204 芦屋市精道町芦屋市役所
2016年3月30日
(*この 僕が子供の頃からある方の市役所の建物は、新しい方の北に並んで建っています。外装は昔とは少し変わったようです)
NO.1203 芦屋市精道町芦屋市役所
2016年3月30日
(* 芦屋の市役所を南の方の位置から。手前の建物は僕などには〝新しい建物〟なのですが、思えば震災の手続きの時にはすでにあったと思うので、こちらももう20年以上になる建物です)
NO.1202 芦屋市精道町芦屋市役所
2015年9月11日
NO.1201 芦屋市精道町芦屋マンション11
2015年9月11日
(* 昔、阪神タイガースのエースだった村山投手がオーナーだったというマンションです。そう、村山選手の背番号は11でした)
NO.1200 芦屋市精道町芦屋消防署
2016年3月30日
NO.1199 芦屋市精道町市立精道小学校と芦屋消防署
2016年3月30日
(* 精道小学校の西側の門と、その向こうに芦屋消防署です)
NO.1198 芦屋市精道町にしむら珈琲
2016年3月30日
NO.1197 芦屋市精道町にしむら珈琲
2016年3月30日
(* 三宮に本店があり御影にもお店のある「にしむら珈琲」です。この店も昔からあって、家族で入った頃から言うともう何度入ったか。その時々の色んな思い出のようなものもある、そんなお店です)
NO.1196 芦屋市精道町
2016年3月30日
NO.1195 芦屋市精道町
2016年3月30日
NO.1194 芦屋市精道町精道BAR
2016年3月30日
(* 家から阪神芦屋駅に歩いて行くとき、この小さな路地、と言っても今は道幅が大きくなりましたが、ここをよく通っていきました。で、お店自体は変わったのかもしれませんが、随分前からここに小さな飲み屋の店舗がありました。今もテナントとしては同じままで健在なのがなんだか不思議なくらいです。もし機会があれば一度入ってみたいものですが、ちょっと勇気がいりますね)
NO.1193 芦屋市精道町市立精道小学校
2016年3月30日
(*僕の卒業した宮川小学校は、芦屋の東側の中腹部から浜手エリアを学区とした小学校ですが、反対の西側を学区としたのがこの精道小学校でした。僕ら宮小の生徒は「精小のやつらは怖い」と噂していたのだけれど、中学になって精小出身の子に聴くと向こうは向こうで「宮小のやつらは怖い」と思っていたらしいです)
NO.1192 芦屋市精道町
2016年3月30日
NO.1191 芦屋市浜芦屋町
2015年9月11日
(*↑ 地下水を汲んで持ち帰ることが出来るところです。ずっと昔はこういうものは無かったですが、いつかなぁ、まだ芦屋に住んでいて大人だった頃に出来た気がします)
NO.1190 芦屋市浜芦屋町
2015年9月11日
(*↑ 「くみあいマーケット」から西へ行ったところにある喫茶&ギャラリーです。ここではよく展覧会なども開かれています。今でもPEACE CARD展などで関わりのあるパステル画家さんと初めてお目にかかったのもここでした)
NO.1189 芦屋市呉川町
2015年11月11日
(*↑ 竹園集会所のちょっと西にあたります。たぶんここだと思うのだけれど、子供の頃はここに「ヤマハ音楽教室」を開いているお家があって、幼稚園の間のおそらく1年間通っていました。当時の先生の名字を探したのですが、見当たりませんでした)
NO.1188 芦屋市竹園町竹園集会所
2015年9月11日
(*↑ 「くみあいマーケット」の少し東にある、地域の集会所です。今はどうなのか知らないけれど、昔はこの中に図書館の分室があって、子供の頃に何度か本を借りたことがあります。また、選挙の投票所にもなっていて、子供の頃は親の投票についてきたものです。そして、自身が成人してからの初めての選挙もここに来ました。建物は随分綺麗なものに変わっていました)
NO.1187 芦屋市竹園町
2015年9月11日
(*↑ 子供の頃の「くみあいマーケット」の近所のこのあたりには、色んなお店が並んでいて何でもありました。本屋、散髪屋、美容室、八百屋、パン屋、銭湯、酒屋、自転車店などなど。この周辺の買い物スポットでした。けれど、もうほとんどが無くなったり変わったり。けれど、この文具店&タバコ屋は当時と同じ場所で頑張ってやっていました。ちょっとウレシイ感じです)
NO.1186 芦屋市竹園町
2015年9月11日
(*↑ 昔「くみあいマーケット」があった場所の北側にあたるここ。今は歯科医になっていますが、当時は「内科・小児科」でした。当時の先生の息子さんかお孫さんに代替わりして変わったのでしょう。僕らは「花岡さん」と呼んで、芦屋に引っ越した当座はここがかかりつけのお医者さんでした。あのころは木造で趣のある医院でした)
NO.1185 芦屋市伊勢町
2015年9月11日
(*↑ 現在、昔の家があった近くの呉川町に移った「コープ神戸」ですが、昔は伊勢町の北端にありました。子供の頃はたしか「くみあいマーケット」と呼んでいたように思います。小さな頃は母と一緒に歩いて買い物に行きました。その途中にあるこの魚屋さんでも母親はよく買っていました。それが今でも営業しているのを見て、ちょっと驚きました。コープが移ってからは人通りもたぶん少なくなったと思うのだけれど。少なくとも50年はやっている計算になります)
NO.1184 芦屋市伊勢町
2015年11月11日
NO.1183 芦屋市伊勢町
2015年11月11日
(*↑家の 歩いてさほど遠くないところに、アイドルの「石野真子」さんの実家があり当時近所でも噂になっていました。僕が18才の頃、ある夜消防車のサイレンが大きく聞こえて外に出ると、近所の人が「石野真子ちゃんの家らしいよ」というので、野次馬で見に行ったりしました。火事は全焼で、その後家族は芦屋の別の場所に移ったとの話でしたが、家のあった場所はずっと空き地のままでした。今回行ってみると、そこは公園になっていました)
NO.1182 芦屋市呉川町
2015年11月11日
(*↑ もと実家の前から北を望んだところです。昔は横に1.5mほどの溝川を持つ小ぶりな道路でした。今は2車線の車道と両脇に歩道を持つ大きな道路になっています。よく遊んだ公園はコープ神戸になりました。ただその先で六甲山が見守っている姿だけは今も変わっていません)
NO.1181 芦屋市呉川町
2015年11月11日
(*↑ もと実家の前から南を見たところです。かつてはこの先に堤防がありました。今は大きな道路の側道になっています)
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2016年4 月 3日 20:23 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■タテパノラマ、僕が育った街「芦屋編」。
今回もタテパノラマとしては例外的に、
ところどころ説明文を入れていきます。
NO.1180 芦屋市平田町
2015年11月11日
(*↑ 阪神淡路大震災の折にこの芦屋市と神戸市の境界のあたりで、ニュースでも大きく取り上げられた阪神高速道路の倒壊がありました。震災後の当初、実家と自分の部屋を何度か自転車で往復した際に一度、この現場を通りました。馴染みのある高速の高架が横倒しになった大きな斜めの面を持つ巨大な物体を、非現実でシュールな不思議な感覚で見上げことを憶えています。あのなんとも言えない〝頭の中が全てリセットされるよう〟な妙な感じは、たぶんずっと忘れることはないと思います)
NO.1179 芦屋市平田北町芦屋中央郵便局
2015年9月11日
(*↑ 古くからここにある芦屋の中央郵便局です。不在時に届いた荷物を取りに来たりもしましたが、大学の卒業から就職までの休みに、郵便配達のアルバイトをしたことがあり、建物の裏手の通用口から入って、あの赤い自動車で出て市内のアチコチを走り回りました。ここのもう少し西に行くとその昔、「芦屋ボウル」というボウリング場がありました。昭和のボウリングブームの頃に、学校の友達と来たり、当時会社のクラブか何かに入り凝っていた父親に付き合って来たりしたものです)
NO.1178 芦屋市川西町芦屋市立体育館・青少年センター
2015年9月11日
(*↑ 郵便局の北の阪神電車の線路の山側、阪神芦屋駅の西方向に、グラウンドと向かい合わせで位置する「体育館、及び、芦屋市立青少年センター」です。市民であれば体育館を利用することが出来て、また市内の色んな体育施設の予約もここで受け付けていました。前回まで時々写っていた友人Yなどと、何度も卓球をしにきました)
NO.1177 芦屋市川西町
2015年9月11日
(*↑ 正面右のバックネットの場所が「川西運動場」というグウンドです。高校生の頃だったか、この正面の交差点、向こうの坂から自転車で下って写真右の方向に曲がろうとした時に、後ろから来た左折の軽トラに巻き込まれたことがあります。幸い大きなケガはなかったのだけれど、右手の甲に今でもその時の傷跡が残っています)
NO.1176 芦屋市川西町川西運動場
2015年9月11日
(*↑ 阪神芦屋駅の西北にあり電車からも見えている「川西運動場」です。昔は「芦屋グラウンド」と呼んでいた気がしますが、確証はありません。また、小学生の頃だったかに、何かでここに入ったことがある気がするのだけれど、それまた思い出せませんでした)
NO.1175 芦屋市川西町川西運動場
2015年9月11日
NO.1174 芦屋市平田北町
2015年9月11日
(*↑ 国道43号線が芦屋川をまたいでいる橋のその歩道から北向きです。正面が阪神芦屋駅、その背景に六甲山、川の右岸の建物が芦屋市役所です)
NO.1173 芦屋市平田北町
2015年9月11日
(*↑ No.1174と同じところから、市役所を向いています。手前の白っぽい南館は比較的新しい建物です。それが建ったのが何年頃だったのか、震災のちょっと前だった気がするのですが、調べてもわかりませんでした。ただ、震災時の手続きで出入りしていた時にはもうあった気がします)
NO.1172 芦屋市浜芦屋町
2015年9月11日
(*↑ 芦屋川沿いで国道43号線の南沿いにある「クレリ芦屋ホール」という葬儀場です。ここは子供の頃は喫茶店があったように憶えています。父親の運転する車で43号線を通るたびに、「一度入ってみたいなー」と思いながら見ていました。その思いがかなうことなく、いつしか無くなってしまいました)
NO.1171 芦屋市浜芦屋町
2015年9月11日
(*↑ 右が芦屋川、道路をはさんで左が公園、南側の海方面を向いてます)
NO.1170 芦屋市浜芦屋町
2015年9月11日
(*↑ この上に国道43号線が通っています。阪急芦屋川駅や阪神芦屋駅から家に帰るために阪急バスに乗ると、ここをくぐって浜手へと走って行きます)
NO.1169 芦屋市浜芦屋町
2015年9月11日
(*↑ バスや自動車が多く通るこの道ですが、一応小さな歩道がついています。バスやトラックが通ると圧迫されて少し怖くもあるのですが、男の子たちはスリルを感じてあえて好んでここを通っていたように思います)
NO.1168 芦屋市浜芦屋町
2015年9月11日
(*↑ 北向きです。正面でトンネル状になっている上が国道43号線、さらにその上の高架が阪神高速道路。そして左が芦屋川です)
NO.1167 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)
2015年9月11日
(*↑ 国道43号線より南で、芦屋川沿いの東岸に、旧海岸線まで細長い公園があります。その途中にこの「芦屋公園」と書いた標石があります。ただ、僕らはここ全部を「松浜公園」と呼んでいました。ネットで検索するとどちらも出てきます。どっちなのでしょう? どこかに区切りがあるのか、時代によって違うのか、正式名称と通称とかでどちらも正しいのか、それは知りません)
NO.1166 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)
2015年9月11日
(*↑ 稲畑汀子さんという芦屋在住の俳人の方が詠んだ句をモニュメントにしたものだそうです。こんな風にこの公園には、幾つかの碑やモニュメントが置かれています)
NO.1165 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)
2015年9月11日
(*↑ 今はどうか知らないですが、昔はここで毎年秋に「菊花展」が行われていました)
NO.1164 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)
2015年9月11日
(*↑ ここには立派な松が並んでいます。昔は僕の実家の前のテニスコートにもタクサンの松が並んでいたことを思えば、明治までの小さな漁村だった頃の芦屋ではきっと、浜手の至る所でこのような松林が並んでいたのかもしれないなぁ、と想像します。その景色はきっと美しかったのじゃないか、と思います)
NO.1163 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)ぬえ塚
2016年3月30日
NO.1162 芦屋市松浜町芦屋国際ローンテニスクラブ
2015年5月1日
(*↑ 公園と公園の中間に位置する、古くからある有名なテニスコートです。調べると1955年頃に作られたようです。震災のあと、実家の家族の為の仮設住宅の抽選発表の掲示がここでありました。その後しばらく、ここにも仮設住宅が建っていました)
NO.1161 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)
2015年5月1日
(*↑ この遊戯用の小山は、僕の子供の頃からありました。親と一緒に、または近所の友達と一緒にここに来て、周りを走ったり登って遊んだりしました。あの頃はとても大きく見えましたが、今みるとほんとに小さな山です)
NO.1160 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)
2015年5月1日
(*↑ この小山には西の道路へと抜ける小橋もかかっています。そこから公園の南を見ます)
NO.1159 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)
2015年5月1日
(*↑ 遊戯用小山の上から下にチェーンがぶら下がっているところが、昔と変わらず今でもありました。下からチェーンをつかんで全力で、怖いながらも上へ登るのにチャレンジしたものです。今上から見ると、笑っちゃいますが、もう30年くらいしたらきっとまた、怖いでしょう)
NO.1158 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)
2015年5月1日
NO.1157 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)
2015年5月1日
NO.1156 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)
2015年5月1日
(*↑ 「日時計花壇」というモニュメントがありました。平成元年と書いてるので27年くらい前に作られたものです。花は季節によって植え替えられるのかもしれません)
NO.1155 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)
2015年5月1日
NO.1154 芦屋市松浜町
2015年5月1日
(*↑ 正面の木造家屋は以前、ジュースやお菓子などがあり軽食もあるお店「ひまわり」でした。自動販売機の向こうにはテーブルの置かれたスペースもありました。僕がここに引っ越してきた小さな子供だった頃からすでにありました。家族で散歩にきて何か買ったこともあると思います。また小学校に入ってから友達と自転車で乗り付けて、ジュースなど買ったこともあります。「ひまわり」はかなり長く頑張って営業をしていて、数年前までここにありました。)
NO.1153 芦屋市松浜町
2015年5月1日
(*↑ 芦屋浜は昭和の前半まで海水浴場でした。調べると「昭和39年(1964年)に閉鎖」とありました。僕らが芦屋に越してきたのは昭和39年の秋ですから、その年の夏までは泳げていたということですね。ギリギリアウトでした。その頃はもう往時の賑わいは無かったらしいですが、それでも少し残念です。その海水浴場だった頃の客目当てのお店や、小さな旅館(芦屋旅館)などが、この昔の海岸沿いに幾つかありました。ここにあった「ひまわり」もきっと、全盛期はとても賑わったのかもしれません)
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2015年11 月18日 19:31 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■「タテパノラマ」、
僕が育った街である「芦屋編」の続きです。
例によって、「芦屋編」では、
タテパノラマとしては例外的に、
ところどころ説明文を入れていきます。
前回は僕の育った家のあったところまで載せました。
ので、そこから旧堤防沿いに芦屋川まで行きます。
(〝下から上〟の順になりますが)
5月1日写し分で写ってるのは、
その日一緒に芦屋の浜手を回った、
僕と同じく芦屋で育って、
今は大阪に住む友人Yです。
NO.1152 芦屋市緑町
2015年5月1日
(*↑ この芦屋川の河口に唯一、昔からの砂浜が残っています。といってもほんのちょっとなんですが。友人Yの後ろに木々が見えますが、そこが僕が高校生の頃に出来た埋め立て地「シーサイトタウン」になります)
NO.1151 芦屋市緑町
2015年5月1日
(*↑ 海のある南の方角を向いています。先に小さく見えているのは、阪神高速湾岸線です。その左側は震災後あたりにさらに南に新しく完成した埋め立て地です。昔の海岸線からははるか沖になりました)
NO.1150 芦屋市緑町
2015年5月1日
(*↑ 川上に向かって北側です。向こうの山は六甲山です。僕ら、阪神間(西宮市以西)から神戸で育った子供たちは、「北を向けば六甲山がある」という「約束」の中で過ごして大きくなっていきました)
NO.1149 芦屋市緑町
2015年5月1日
(*↑ 同じく北向きです。この山から海へスコンと抜けた芦屋独特の空気の感じが今でも好きです。街並みがどんどん変わっても、この空気の感じだけはいつ来ても一緒です)
NO.1148 芦屋市緑町
2015年5月1日
(*↑ 足が宙に浮いているので、「踏まれた」という意味では反則なのですが、久しぶりにこの堤防の上に座りました。小さな頃から、この芦屋浜から芦屋川の堤防には、何度も何度も座ったものです。方角としては、西の神戸市方面を向いています)
NO.1147 芦屋市緑町
2015年5月1日
(*↑ 友人Yはここに到着するとすぐに堤防の上に座りました。そう、その気持ちはすごくよくわかる。子供の頃、堤防のあるところに行くと、よいしょっと登って座って、周囲の景色を見渡しながら、浜風に当たりながら、座ったり寝転んだりして、たわいも無いことを話して過ごしたものです)
NO.1146 芦屋市緑町
2015年5月1日
NO.1145 芦屋市緑町
2015年5月1日
NO.1144 芦屋市松浜町
2015年5月1日
(*↑ 旧堤防の道です。ここは僕が通った「精道中学校」で毎年行われるマラソン大会のコースでもありました。当時はこんな風に道に色は無く、コンクリートむき出しの道でした。右側が昔の海、今のシーサイドタウンになります。今も精道中学生はここを走っているのでしょうか?)
NO.1143 芦屋市松浜町
2015年5月1日
(*↑ ここに、昔砂浜があったときに下に降りる階段だった跡が、ひっそりと残っています。足の下にある半円状のものが階段の一番上の部分になります。この半円がだんだんと大きくなって下に広がる階段になってました。もう何十年もしたら、これが階段だっということが解る人もいなくなるんですよねぇ)
NO.1142 芦屋市伊勢町
2015年9月11日
(*↑ 左にマンションが見えますが、ここに昔「神戸銀行」の福利厚生施設の野球グラウンドがあり、さらにその西に銀行のプールがありました。子供の頃近所に、ご主人が「神戸銀行」に勤めている家があって、チケットをもらって何度か行ったことがあります。「神戸銀行」はのちに「太陽神戸銀行」となり「三井太陽神戸銀行」から「さくら銀行」に名称変更されて、のちに住友と合併し、今は「三井住友銀行」ですね)
NO.1141 芦屋市伊勢町
2015年9月11日
(*↑ 僕が20代くらいの頃に、この堤防にズラッと絵を描くというイベントがありました。僕は参加しなかったけれど、まだ認識可能で残っている絵がそこそこあります。参加しておけばヨカッタと、今こういうことをしていて思います)
NO.1140 芦屋市伊勢町
2015年9月11日
NO.1139 芦屋市伊勢町芦屋市立美術館
2015年9月11日
(*↑ 約25年前の1991年に開館した市立の美術館です。震災の4年前ですね)
NO.1138 芦屋市伊勢町芦屋市立美術館
2015年9月11日
(*↑ たまに面白そうなものをやるので、ごくたまに行きます)
NO.1137 芦屋市伊勢町芦屋市立美術館
2015年5月1日
NO.1136 芦屋市伊勢町芦屋市立谷崎潤一郎記念館
2015年5月1日
(*↑ 図書館と美術館の間に挟まれて「谷崎潤一郎」の記念館があります。一時期関西に住んて転々とした谷崎潤一郎が、芦屋にも住んでいたことがあるのに由来します。小説『細雪』の中の主人公たちの家も芦屋です)
NO.1135 芦屋市伊勢町芦屋市立図書館
2015年9月11日
(*↑ 市立図書館の西の出口です。No.1074からNo.1078までのタテパノラマ写真で、僕が子供の頃に市立図書館だった打出分室を載せましたが、1987年にここに新築されてこちらが市立図書館の本館になりました。まだ実家に居た頃で、歩いてすぐの場所に図書館が出来たのが嬉しくて、当初はよく通いました)
NO.1134 芦屋市伊勢町芦屋市立図書館
2015年5月1日
(*↑ 市立図書館のエントランスです。思えば、丁度バブル期の「ハコ物行政」ブームの時期に出来たことになるのかな。なんかそんな感じでしょう? 僕が小さな子供の頃ここには、広い敷地の「下水処理場」がありました。やがて埋め立てられたシーサイドタウン(と言ってもすぐ南側)へと移り、ここは長らく空き地になってたのを憶えています)
NO.1133 芦屋市伊勢町
2015年5月1日
(*↑ 画面の右方向の奥に市立図書館があります。南のシーサイドタウン(埋め立て地)を見ています)
NO.1132 芦屋市伊勢町
2015年5月1日
(*↑ 実家のあった通りの一本西になる南北の道です。北の六甲山側を見ています。ここは本当に子供の頃からよく通った道ですが、昔の面影はほとんど無くなってしまいました。大きなお屋敷、小さな洋館、芝生のある広い庭の家、社宅の横のポプラ並木。そういったものが昔のこの通りにはありました)
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2015年11 月16日 21:59 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■僕が育った「芦屋」の街の「タテパノラマ」です。
ちょっと今回の分で、
「連続タテパノラマ」はひと休みして、
また他の記事をするかもしれません。
例によって、
ところどころ説明文を入れていきます。
そして、
いよいよ当時の家のあったところ(育ったところ)です。
あの頃はいい環境だったなぁー、とつくづく思います。
ここで育んだものは大きいです。
僕の場合は。
今回は特に力が入っています。
NO.1131 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑阪神淡路大震災前まで僕の育った家があったところです。左のクリーム色のちょっと「カワイイ感じのお店」になっているところです。震災後に解体して、そのあとに建った家を購入した人が理容店をしています。歩道も並木も昔はありませんでした)
NO.1130 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑前の道路は昔は旧堤防の階段のところで行き止まりでした。それが、昭和の真ん中から「道幅を広げて埋め立て地につなげる」という市の計画があり、阪神淡路大震災後にそうなりました。で、もと僕の家の前の道は、今は脇道になっています。そして、その道の東横にあった小さな川も今はありません)
NO.1129 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑旧堤防の上から、もと僕の家も含めた北側を見たところです。真ん中に通っているのが、もともとの家の前の道で今は側道。そして、わかりにくいですが、向かって真ん中から右側が大きな自動車道路になっています)
NO.1128 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑旧堤防の上から南側の景色です。このシーサイドタウンが完成してからでも、もう36年くらいでしょうか。小学校3年生くらいから埋め立てが本格化して、高校生の頃に高層住宅が完成したと憶えています。ここがかつて海だったということを知らない人も、今では多いかもしれません)
NO.1127 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑石が組まれているところは「旧旧堤防」で、僕らがここに来て以降にそこへさらに上乗せされて「旧堤防」が乗った二重構造になった、と思っていました。けれど古い写真をよくよく見てみると、三重構造かもしれません。となると石垣の部分は「旧旧旧堤防」でしょうか? とにかく一番古い堤防と思われます。松の木が何本か残っていますが、古くからある松で、昭和より前のずっと昔の時代では沢山の松が浜に立ち並んでいた、その名残りでしょう)
NO.1126 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑家、側道、大きな自動車道を、反対側の歩道から写したところです。昔は静かなところだったのですが今は車がどんどん走っています)
NO.1125 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑もと我が家の反対側の歩道のさらに東には、今は大きなマンションが建っています。この辺りは、今でも環境のいいところだし、ここに住んでいる人たちもきっとそう思っていると思います。けれど、以前を知っている僕には、やはりガッカリ感は否めません。ここは昔、川崎製鉄のテニスコードがあり(その前は大きなお屋敷でした)、古くからの立派な松の木が立ち並んでいました。風が吹くと松の木が「サワサワ」とたてる音が聞こえる、とてもいい場所でした。この日同行の友人Yの父親が川崎製鉄勤務だったので、家族である彼もそのテニスコートを利用することが出来ました。当時よく「テニスしよーぜー」と、その真ん前の家の僕を誘いにきた友人Yでした)
NO.1124 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 左の建物はコープさん(生活協同組合コープこうべ)です。もと我が家のほんの少し北に位置します。かつてはもう少し西北の竹園町にあった店舗が、震阪神淡路大災後にここに移ってきました。それ以前は、ここは公園でした。写真が残っていないのが残念ですが、そこでジャングルジムに登ったり、鉄棒で逆上がりの練習をしたり、ブランコや滑り台で遊んだりした、ナツカシイ小さな公園がありました)
NO.1123 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ 阪神淡路大震災後に出来た「あしや温泉」です。震災の前から計画中だったのでしょう。震災のあと、まだ皆、自宅では風呂に入ることができなかった時期に急遽、簡易施設で開いて市民に無料で入浴を提供していたことがあります。僕も一度入りに行きました。それ以前、僕らが子供の頃ここは「第一勧業銀行」の社宅、そして隣接してプールがありました。母の誰か知り合いのツテで子供の頃に一度、そのプールに入って泳いだことがあります。とにかく「プール」と「温泉」、長く水に関わる土地ですね)
NO.1122 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑この「宮本産婦人科」が出来る前は、ここは大きな空き地だったと思います。その半分がこの病院になり、残りの南の半分が「ちびっこ広場」という広場になりました。この病院が出来たのはいつだったかはもう思い出せないですが、仮に中学の頃として40年。一番初期に生まれた赤ちゃんも、もうそのくらいだということですね)
NO.1121 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ この日同行していた友人Yと、20才くらいの夏にこの前でバッタリ会いました。僕はタバコを買いにお米屋さんまで行くところで、彼はNO.1060にも書いた「多幸八(たこはち)」というお寿司屋の配達アルバイトの途中でした。彼はバイクを降りて、この前でちょっと立ち話をしました。このことをこの日にYに言うと、「そうやった? よう憶えてるなーおまえー」との返事でした)
NO.1120 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 東京海上の寮です。このテニスコートは昔からあります)
NO.1119 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ この通りは昔は阪急バスのバス通りでした。そして、古くからここには商店が並んでいます。当時はクリーニング店、理容店、文具店、薬局、他にも何かありました。その1つが途中から「青山」という和菓子屋だった時期もあります。僕は特に、ここにあった文具店にはよく行きました。子供の頃に「スパイ手帳」を買ったのもそこです)
NO.1118 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ お米屋・酒屋の「おおかわ」さんです。がっしりとしたおじさんがやっていて、たしか同じ学校に通っていた娘さんがいたと記憶しています。一時期は家にお米やお酒の配達もしてくれていましたし、大人になってタバコを吸うようになってからはよく自動販売機のお世話にもなりました。ちなみにタバコは3年半前まで吸っていました)
NO.1117 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 宮川です。北方向に、ここからスコンと抜けて六甲山がよく見えます。小学校の頃はよく川の横の道を北に歩き、六甲山を眺めながら学校へ向かったものです。芦屋の浜手はよく風が抜けて広々とした感覚があります。その感じがやはり今でも好きです)
NO.1116 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ この橋は「下宮川橋」と言うそうです。昔は阪急バスがこの橋を渡って、芦屋の浜手の東西を結んでいました。現在バスは、もう少し南のシーサイドタウン(埋め立て地)の大きな道路を通っています)
NO.1115 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 「下宮川橋」から南を見たところです。シーサイドタウンの高層住宅が見えます。川はあまり整備はされていないみたいですが、昔はもっと水が濁って汚かった気がします)
NO.1114 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑これは何が通っているのでしょうか。水道? もうサビサビになっていますが、これも僕が子供の頃からあります。近所の子とここに来たとき、その子はスイスイスイとここを渡りました。僕は怖くて渡れませんでした。その後も何度かここに来ると「渡ってみようかなぁ」と思ったりしましたが、やはり出来ませんでした。今はもちろん、背が高くなりすぎて絶対無理です)
NO.1113 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ ここも変わらずにありました。このマンションが建ったときは、たぶん小学生の真ん中くらいだったのではなかったでしょうか。当時とてもオシャレでキレイな最新のマンションに見えました。その後僕が大きくなった頃、なんだか古くさいマンションと感じられるようになりました。で、今見ると、とても優しい感じのいいシャレた建物に思えます。時代の流れと、見え方感じ方の変化というのは面白いです)
NO.1112 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ 宮川の堤防を乗り越えて少しだけ巾のあるところに降りています。対岸は西蔵町です)
NO.1111 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ 子供の頃もこうやってよく宮川の堤防を乗り越えて、このスペースに降りて遊んだりしました。小さな頃は堤防が高くて乗り越えるのがタイヘンで、やがて大きくなるとこの位の高さなんて何でもなくなりました。けど今は、体力がなくなって体も重たくなってきているので、今回はハァハァと言いながら乗り越えました。南側にシーサイドタウンの高層住宅が見えます)
NO.1110 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 旧「市内で宮川の南端」にあたる橋から宮川を北に望みます。小さな頃は川がここから海に混ざるところで、よく魚を沢山見かけました。浜側で釣りをしたこともあります。その後もこの下にはいつも魚がいました。今はどうだろうかと思って覗くと、やはりちゃんと魚の影が見えました。この「汐凪橋」プレート、同行の友人Yが見てすぐに「おおおっ」と言いました。彼には双子の娘たちがいて、彼女たちの名前の一部がそれぞれ「汐」と「凪」なのです。「そうやったんかー」っとなんだか2人でちょっと感激したりしました)
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2015年9 月20日 17:26 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■続けて、
僕が育った「芦屋」の街の「タテパノラマ」です。
だから特別に、
ところどころ説明文を入れていきます。
いよいよ当時の家のあったところ(育ったところ)に、
近づいてきました。
NO.1109 芦屋市西蔵町海技大学校
2015年5月1日
(*↑船員を教育・養成・訓練する学校「海技大学校」の学生寮入り口です。うっかり写し忘れましたが、海技大学自体の正門はこの道の先を曲がってちょっと行ったところにあります。1995年の阪神淡路大震災の時、今も住んでいる神戸のマンションにいた僕は、余震が収まってから歩いてこの近くの実家まで帰りました。そして、そのあとすぐ、避難所となったこの海技大学に家族全員で避難をしました。近所の人たちが多く居ました。結局僕らは一週間くらい居たのではなかったでしょうか。ここで震災後に最初に食べた炊き出しの豚汁は、たぶん「一生の中で一番おいしく思った豚汁」になると思います)
NO.1108 芦屋市西蔵町
2015年5月1日
NO.1107 芦屋市西蔵町
2015年9月11日
(*↑この「旅館(下宿) 芦屋はまゆう」は昔からあると思います。見たところ、普通の家です。いったい、どんな旅館でどんな下宿なのでしょう? 「…と、思ったのも昔の話、今じゃネットで何でもわかるねんでぇ」と思って調べてみたけれど、やっぱりよく解りませんでした。相変わらず謎の「芦屋はまゆう」です )
NO.1106 芦屋市西蔵町
2015年5月1日
(*↑この正面の家は、僕が越してきた時はパン屋さんでした。それがすぐに警察犬の訓練所になりました。小さくて見えないですが、シャッターの上に「芦屋警察犬訓練所」と書いています。たまに僕と変わらないくらいの大きさの黒いシェパードを連れたおじさんがここの前にいたりして、「わーっ、ひーっ」と思ったりした子供の頃の僕でした )
NO.1105 芦屋市西蔵町
2015年9月11日
(*↑ここも昔からある文化住宅です。いや、今はなんだか見た目がキレイになって、いわゆる「リノベーション」な感じになっていますが、やはり構造は昭和の「文化住宅」です。にしても、残っているのがちょっとウレシかったです。昔は、良く言うと「味のある家」が結構芦屋の浜手方面にはありました。でも、今は、立地と環境とネームバリューのせいか、新しいシャレた家やマンションが増えました。けれど、例えば、久しぶり来た人にとって、多少外見は変わっていても昔のものがそこにそのままあるということは、心の中に少し「幸せでウレシイ感じ」を生み出してくれます。いや、ずっと住んでいる人にだってきっとそうでしょう。 もう、「新しいが絶対」ばかりじゃなく、そういうことを大事にした方がいい時代になったと思います。ロンドンの残されている街並みを見て、一層そう確信しました)
NO.1104 芦屋市西蔵町
2015年9月11日
(*↑ 友人Yとの5月1日には回りきれなくて、しかしどうしても改めて行って確認して、写しておきたかったのがこの西蔵町あたりです。特にここ。向こうに見える家々は新しくなっていましたが、道自体の感じと、右のトタン板の屋根の駐車場が45年以上前から全くそのままで、ちょっと驚きました。今でもそうなのですが僕は子供の頃から、小さな路地を選んで歩くのが好きでした。一人で通学できるようになった頃から幾つもの通学コースを持つようになり、その時の気分で好きな道から通っていました。みんなが普通に行く大きな道よりも、小さくても自分にしっくりとくる道を行くのが好きでした。まぁ、それはその後の人生を暗示させている様なコトでもあるのですが、とにかくその幾つかの脇道コースの中で、この道を通っていくのが一番好きでした。「そうかー、ここの道がそのまままだあって、しかも駐車場の感じも一緒かー」と、とてもウレシイキモチになりました。心の中で小さな僕が向こうへ走っていきます。「遅刻するーっ」)
NO.1103 芦屋市西蔵町
2015年9月11日
(*↑ここからNO.1104の場所へと抜けることが出来ます。この奥のところで友達と自転車で二人乗りしているのを、おまわりさんに見つかって叱られたことがあります。けれど、家並みの感じははもう当時とはかなり変わっています。村上春樹さんが中学生から高校卒業まで暮らしたご実家があったのは、たぶんこの辺りだと思います )
NO.1102 芦屋市西蔵町
2015年9月11日
(*↑ここを進んで行くと、僕の通った「宮川幼稚園」及び「宮川小学校」に行きます。でも、本当に感じが変わってしまいました。それに思えばやはり当時は木造の家も多くて、それだけで随分と感じが異なるものです )
NO.1101 芦屋市浜町芦屋市立宮川幼稚園
2015年9月11日
(*↑僕が通った宮川幼稚園です。宮川小学校のすぐ南側に隣接しています。もうちょっとグラウンドの見えるところを写したかったのだけど、丁度園児が遊んでいて先生も沢山おられたので、遠慮して門のプレートだけ。45年の歳月で木造だった園舎の姿は変わっています)
NO.1100 芦屋市浜町芦屋市立宮川小学校
2015年9月11日
(*↑母校「宮川小学校」のグラウンドです。誰もよく言う話ですが、あんなに大きいと思っていた小学校の運動場も、大人になってから見ると「え、もっと大きくなかったっけ?」と思ってしまいます。が、ちょっと頭のスイッチを替えてスレた大人の目で「物件的」に見ると、それでもかなり「大きな物件」です。たくさん建ちそうです。「不動産業」に就かなくてほんとにヨカッタと思います )
NO.1099 芦屋市浜町芦屋市立宮川小学校
2015年9月11日
(*↑NO.1070で「宮小」の東側の校門を写しましたが、こちらは逆方向にある西の校門です。僕は基本的にはこちらを使っていました。昔に比べるとなんだかシャレた門柱です。ここの門の前を出た正面に、よくおもちゃ売りのおじさんが座っていました。軸が透明になっていてその中に人形が入っていて、軸の一部をギュッと握ると中の人形が上下に動いたりする、不思議なペンを売っていたりしました。まぁ、それはいわゆる科学おもちゃなんですが、なんだか怪しげに売るのです。その当時は不思議で不思議で、じーっと見ていました。で、おじさんを見ると、ニコニコしているけれどなんだかちょっと目が怖そうなのでした)
NO.1098 芦屋市西蔵町
2015年9月11日
(*↑「宮小」の西の校門から西へしばらく歩いたところの路地にある店で、「半営業」みたいな感じではありましたが、残っていました。自転車でどこかに遊びに行く途中、ちょっと寄ってお菓子やジュースを買ったりしたところです)
NO.1097 芦屋市西蔵町
2015年9月11日
(*↑宮川の横にはいくつかお地蔵さんがあります。かつてここで何度か子供の水難があったのかもしれません。8月後半になるとこれらのお地蔵さんの前で「地蔵盆」が行われ、小さな頃に母に連れられて来たことがあります。浴衣を着ていきました。お菓子がもらえるのでウレシかったのですが、それはまぁちゃんと大人がお供えをしていたからです。でも、子供はそんなこと知らないのでとにかく「行けばお菓子がもらえる」このお祭りが大好きでした )
NO.1096 芦屋市西蔵町
2015年9月11日
(*↑NO.1097の少し南にあるお地蔵さんです。このさらに南に行ったところにもう1つお地蔵さんがあるのですがうっかり写し忘れました。きっとそれだと思うのですが、NO.1086の打出商店街の喫茶レマンの所でも出てきた中学の時の友人の「マジャン」は、随分小さな頃にイタズラ心で中のお地蔵さんを取り出して川に投げ入れたらしいです。勉強が出来るくせにちょっと悪こいところがあった彼でしたが、その後無事でしょうか? )
NO.1095芦屋市西蔵町から西蔵橋
2015年9月11日
(*↑通学で必ず渡るこの宮川には橋が幾つかあり、その時の気分でどれかを渡っていました。これはその内の1つの「西蔵橋」です。南を向いています )
NO.1094 芦屋市宮川(西蔵町・呉川町)
2015年9月11日
(*↑「西蔵橋」の真ん中、川の真上から南を向いています。向こうにシーサイドタウンの高層住宅が見えます )
NO.1093 芦屋市呉川町から西蔵橋
2015年9月11日
(*↑「西蔵橋」から北を向いています。阪神高速道路の高架が見えます )
NO.1092 芦屋市呉川町から宮川
2015年9月11日
(*↑足下が呉川町。対岸が西蔵町です )
NO.1091 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ここも「おお、まだやってるんやー」なお店です。当時はここのように「パン屋でタバコ屋でお菓子と雑誌も置いているお店」が結構ありました。ここは家からは微妙に遠かったので普段は全く利用しないお店でした。家の近くにもこういったお店が他にありましたし。ただ、中学くらいになって、「よく知っているところで買うにはちょっと恥ずかしい雑誌」などを買うために、何度かここまで来たことがあります。向こうが「国道43号線」、その上の高架が「阪神高速道路」です )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2015年9 月18日 17:26 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■引き続き「タテパノラマ」は、
僕が育った「芦屋」の街です。
だから特別に、
ところどころ説明文を入れていきます。
NO.1090 芦屋市若宮町打出商店街
2015年6月2日
(*↑ 芦屋の旧・浜手地域も、1995年の震災とその後の世の中の変化でずいぶんと変わりました。その中でこの「打出商店街」は、アーケードも含めかなり昔の面影を残しているところです。僕の住んでいた家からは少し距離のある商店街ですが、小学校や中学がこの近くでした)
NO.1089 芦屋市若宮町打出商店街
2015年6月2日
(*↑入ってすぐ左にあったお店の軒先にできたツバメの巣を、小学校低学年の頃、学級で見学しにきたことがあります。それから、その正面のお店にはたしか「福助足袋」があった気がするのですが、はっきり定かではありません)
NO.1088 芦屋市若宮町打出商店街マキハタ歯科医院
2015年5月1日
(*↑ ここの息子が当時同学年でした。母に連れられて歯の治療に来たこともあります。この日同行した友人Yも知っているし、診察に来たこともあると言います。待合室に『週刊サンデー毎日』が置いてあって、その中のマンガ「いじ悪ばあさん」を読んだのを僕はよく覚えています。今はたぶん、僕らと同学年のその息子が先生をやっているのではないかと思います)
NO.1087 芦屋市若宮町打出商店街キッズランドきらきら
2015年9月11日
NO.1086 芦屋市若宮町打出商店街ファミリー喫茶レマン
2015年9月11日
(*↑ 古くからのお店です。ここは一度、土曜日だったかに、中学の同じクラスの「マジャン」というあだ名の友達が、「お昼ご飯を買いに行くから付き合って」と一緒に来たことがあるのをよく覚えています。お店特製のハンバーガーがお持ち帰り出来たのです。「へぇ、いいなー、うらやましいなー」と思いました。でも、今なら、「家に帰るとちゃんと用意してくれているということの幸せ」が解るのですが)
NO.1085 芦屋市若宮町打出商店街はもりや
2015年9月11日
(*↑ ここも子供の頃からあるお店です。芦屋に越してきて最初の頃は、お客さんなどでお寿司をとる時、母や祖母が「はもりやさんにしよか」と口にしていました。その店名の響きがちょっと珍しくてよく憶えてます。たしか、越してきてから近所のどこかの奥さんにでも教えてもらったんじゃなかったかと思います)
NO.1084 芦屋市若宮町打出商店街
2015年5月1日
NO.1083 芦屋市阪神電車打出駅
2015年5月1日
NO.1082 芦屋市春日町金津山古墳
2015年5月1日
(*↑ ここも「西宮砲台」と同じように、当時はフェンスなども無く、入って遊び放題のいじり放題でした。本当に小規模の史跡などはほったらかしでしたね、昭和の良くない点を言えば。ただ、「子供の遊び場」という視点で見れば、たっぷり豊かだったと思います)
NO.1081 芦屋市打出小槌町
2015年5月1日
NO.1080 芦屋市春日町打出天神社
2015年6月2日
NO.1079 芦屋市春日町打出天神社
2015年6月2日
(*↑ この神社も昔に比べたらとてもキレイになった気がします。普段は「打出神社」「打出神社」と呼んでいたので、ここが天神さんであることを知ったのは比較的最近です)
NO.1078 芦屋市打出小槌町市立図書館打出分室
2015年5月1日
(*↑ 今は「分室」ですが、僕らが子供の頃はここが「市立図書館」でした。夏休みに一度勉強をしにきたら、知った顔がワンサカといたりしたものです。中に入ったのはもうずいぶん久しぶりになります。中の構造が昔と少し変わっていました)
NO.1077 芦屋市打出小槌町市立図書館打出分室
2015年5月1日
(*↑ この図書館の裏っかわに、こんな立派なお庭があるとは全然知りませんでした。調べると、図書館になるさらに前は個人の所有の建物だったみたいです)
NO.1076 芦屋市打出小槌町市立図書館打出分室
2015年5月1日
NO.1075 芦屋市打出小槌町市立図書館打出分室
2015年5月1日
NO.1074 芦屋市打出小槌町市立図書館打出分室
2015年5月1日
(*↑ 「打出公園」方面から見た「図書館打出分室」です。この建物は壁面の積み上げた石作りがなかなか良いのですが、ツタですっぽり覆われて壁がすっかり見えなくなっていました。友人Yがすぐ「おおっ、甲子園球場みたいやなー」と言いました)
NO.1073 芦屋市打出小槌町打出公園
2015年5月1日
(*↑ 「図書館打出分室」の近くにある「打出公園」です。ここにはずっと昔から10数年前まで猿がいました。僕ら芦屋の浜手の子供の多くが口コミで知っていた公園だったと思います。その檻が撤去されず今でも残っています)
NO.1072 芦屋市打出小槌町打出公園
2015年5月1日
(*↑ そしてここは、村上春樹さんのデビュー小説『風の歌を聴け』の中で「猿の檻のある公園」として登場します。それは僕も読んだ本で、まぁ、登場と言ってもチラッとだけなのですが、想像で書いた作り物ではなく本当にあった「猿のいる公園」でした。もう何も入っていない檻がこうやって残されているのも、その理由からでしょう。その小説『風の歌を聴け』の舞台は、はっきり明記はしていませんが、芦屋の街がモデルになっています。それ以外の小説でも、村上さんが過ごしたこの街らしきところは、時々出てきます)
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2015年9 月16日 10:00 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■前回と同じく今回の「タテパノラマ」も、
僕が育った「芦屋」の街です。
だから「タテパノラマ」としては例外的に、
ところどころ説明文を入れていきます。
NO.1071 芦屋市浜町芦屋市立宮川小学校
2015年5月1日
(*↑僕が通った小学校「宮川小学校」(略して「宮小」)の東側の運動場からの出入り口です。僕の家は学校から見て西の地域にあったので、この出入り口はあまり使いませんでした。が、そのことでよく憶えている出入り口です)
NO.1070 芦屋市浜町芦屋市立宮川小学校
2015年5月1日
(*↑「宮小」の校門は、西と東の2カ所にあります。これは東の校門です。西のエリアから通学していた僕は、普段は西の校門を使っていましたが、こちらの東の校門の前に文具店があったので、たまにここから出てお店に行ったりしました。また、東のエリアの友達と途中まで一緒に帰るためにここから出たりすることもありました。当時の校舎は建て替えられ、門の感じもすっかり変わっています)
NO.1069 芦屋市浜町花力
2015年5月1日
(*↑ここはたぶん「花力」という葬儀屋の事務所だと思います。昔よく町の電柱の上の方に設置された看板や、駅の看板で、「花力」と書いた広告を見かけました。たぶん、多くの子供が親と一緒に歩きながら、「〝はなりき〟って何ー?」と聴いたんじゃないかと思います。子供でも読みやすい漢字ですね)
NO.1068 芦屋市浜町
2015年6月2日
(*↑ 向こうにみえる赤っぽいマンション。僕らが子供の頃、建築途中のコンクリートむき出しの状態で、随分と長い間放置されていました。きっと大人の事情があったのでしょうが、子供達の間では「夜になったら勝手に電気がつく」とか「お化けが住んでいる」とか言って、『幽霊マンション』と呼ばれていました。多分、当時のそれを知っている人は、きっとここに住んでいない気がします。住んでいる方々、こんなこと言ってスイマセン)
NO.1067 芦屋市南宮町
2015年5月1日
(*↑『幽霊マンション』が北に望めるこの場所のすぐそばに、「カーリン」というあだ名で呼んでいた同級生が住んでいました。僕が長い間よくマンガを一緒に描いていた友達です。立て替えていましたが今も彼の家はありました。ここに本名は書かないですがとても珍しい名字で、その後彼と同じ名字の人に僕は会ったことがありません。彼とは高校生になってから自然に交流が無くなりました)
NO.1066 芦屋市南宮町芦屋市立精道中学校
2015年5月1日
(*↑ 僕が通った中学校「精道中学校(略して「精中」)」の正門の横です。向こう真ん中にみえるかまぼこ状の建物は体育館です。ここは「宮小」と違い当時のそのままです。もっと入り込んでちゃんと門の前で写したかったのですが、職員らしき人たちが近くで何か作業をしていたので、ちょっと離れた斜めのところから。作家・村上春樹さんが通った学校でもあります)
NO.1065 芦屋市南宮町芦屋市立精道中学校
2015年5月1日
(*↑ 「精中」全体の南の道路からグラウンドの方から写したたところです。ここからの感じもあの頃のまま。もう40年は経っているのに、びっくりするくらいです。左手にある建物は体育会系のクラブ室です)
NO.1064 芦屋市南宮町芦屋市立精道中学校
2015年5月1日
(*↑ クラウンド側の南の出入り口にある校名のプレートです。当時のままかもしれません。ちなみに、この「精中」の南側に、この日同行の友人Yの住んでいた「川崎製鉄の社宅」がありました。建物は団地スタイルでしたが、間隔がゆったりと建っていたのでかなりの敷地でした。今はとても大きなマンションになっています。)
NO.1063 芦屋市南宮町芦屋市立精道中学校
2015年5月1日
(*↑クラウンド側の南の出入り口です。右側の白いフェンスの所にプールがあります。帰宅時はここから帰ったりもしました。画面向かって左側が西で、僕の家のある方向になります。ここをテロテロと出て帰ったことを思い出します)
NO.1062 芦屋市南宮町芦屋市立精道中学校
2015年5月1日
(*↑あの校舎も当時からありました。あの教室から深夜に誰かによって、プールに椅子や机が投げ込まれる、なんていう事件があった気がします。この写真の右に木がみえていますが、当時はここには「江尻川」という小さな川がありました。いつしか暗渠化されて、今は植え込みになっています )
NO.1061 芦屋市大東町
2015年5月1日
NO.1060芦屋市大東町浜センター
2015年5月1日
(*↑あの頃、「精中」の東の位置に「浜センター」という市場がありました。道路から道路まで南北に突き抜けて市場が2本並んでいました。もう無いんじゃないかと思っていたら、敷地がマンションになって、その吹き抜け的な1階部分にお店が数点入っていて、「浜センター」の名前も残っていました。20才くらいの頃、夏休みと冬休みにまだ市場だった「浜センター」にあった「多幸八(たこはち)」というお寿司やさんで、バイクによる配達のアルバイトをしていたことがあります。そのアルバイトを紹介してくれたのがこの日同行の友人Yで、もともと彼がやっていたアルバイトでした。その「多幸八」はもうありませんでした)
NO.1059 芦屋市大東町浜センターフルーツショップMINAMI
2015年5月1日
(*↑あの当時同じ小学校・中学校に通っていた子供で、「浜センター」でお店をしていた家の子も結構いました。僕は、果物屋のMとは小学3.4年の時によく「フジッコ」と共に3人で遊んでいました。たぶんこのお店だと思います。「あ、あるんやな〜」と友人Yと言いなから、そのままお店に入ることなく行きました。店頭には誰もいませんでした )
NO.1058 芦屋市大東町・南宮町
2015年5月1日
(*↑左の植え込みから繋がって僕の建っている位置あたりが、当時「江尻川」があったところです。といっても今も暗渠になって地下にあるのですが。南側を見ています )
NO.1057 芦屋市南宮町・大東町
2015年5月1日
(*↑左の木々のあるところが昔の「江尻川」です。北側を向いています )
NO.1056 芦屋市南宮町南宮浜公園
2015年5月1日
(*↑南宮町・大東町あたりは、僕の住んでいたところからは少し離れていました。だから、よく行った場所と行かなかった場所とがあります。この南宮浜公園は、すぐ近くに友達が居なかったので、そんなに行かなかった所です。でも、たまに堤防にある道路を通ってそこから見えたときに「ここの公園来ないなー」と思ったことで、記憶に残っている公園です )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2015年9 月14日 15:44 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ
■今回の「タテパノラマ」から、
僕が3才から住んで育ち29才まで過ごした、
「芦屋」の街を写したものが入ってきます。
これらの場所場所は、
自分を作ってくれたところでもあるので、
「芦屋」を写したタテパノラマの時は、
例外的にところどころ説明文を入れていきます。
なお、今回は西宮市がほとんどですが、
このあたりは芦屋市と繋がって砂浜があり、
よく友達と遊びにいったところでもあります。
ちなみに、
5月1日分に同行してちらちらと写っているのは、
僕と同じく芦屋の浜手で育ち、
現在は離れて大阪の豊中で暮らしている、
今でもちょくちょく会う友人Yです。
NO.1055 芦屋市南宮町(江尻川河口)
2015年5月1日
(*↑今は暗渠になっている江尻川の河口部分です。まだ随分小さい頃は、立っている後ろ方向に漁師さん達の使っていた建物みたいなものがあり、その向こうに海がありました。お盆のあとに花やお供え物などを海に流す為に、このあたりまで来た憶えがあります)
NO.1054 芦屋市大東町
2015年5月1日
(*↑ここはまだ芦屋です。考えると、芦屋浜が埋め立てられてから、唯一「昔の海岸線」が残っているところじゃないでしょうか。砂浜では無くなったけれど。短いエリアだけれど)
NO.1053 西宮市西宮市大浜町
2015年5月1日
(*↑大東町の海部分からさらに東に行くと夙川の河口西岸あたりで、西宮市になります。この辺り、昔は「単なる砂浜」でしたが、なんだか南国風植物が植えられてリゾートチックになっていました)
NO.1052 西宮市大浜町西宮回生病院
2015年5月1日
(*↑向こうに見える病院は、「西宮回生病院」です)
NO.1051 西宮市大浜町西宮回生病院
2015年5月1日
(*↑この「西宮回生病院」はアニメにもなった野坂昭如さんの小説「火垂るの墓」に出てきます。それから、村上春樹さんの「めくらやなぎと、眠る女」という短編小説に、ここらしき病院が出てきます)
NO.1050 西宮市大浜町西宮回生病院
2015年5月1日
(*↑「西宮回生病院」の玄関部分は、僕が子供の頃に見たままの古い建物が残っていました。ただ、調べたところによると、これを写したあとの7月に解体されて、建て替え工事が始まったらしいです)
NO.1049 西宮市西波止町御前ノ浜
2015年5月1日
(*↑夙川を渡って河口東側の砂浜です。ここはこのあたりではもう唯一なのかな?、古くからあるかなり広い砂浜です。向こうに見えるビル群は、芦屋の浜を埋め立てて作ったシーサイドタウンの高層住宅です)
NO.1048 西宮市西波止町御前ノ浜
2015年5月1日
(*↑昔、ここには友達と自転車に乗って遊びにきました。この日同行の友人Yとも、ここでキャッチボールやノックをしたものです)
NO.1047 西宮市西波止町御前ノ浜
2015年5月1日
(*↑「砂浜もっと広かったよなー?」「うんー」と。いや、僕らが小さかったということもあるのでしょうが、たしか結構大きくなってからも来て遊んだこともあるので、たぶんちょっと小さくなった、気がします)
NO.1046 西宮市西波止町西宮砲台
2015年5月1日
(*↑砂浜の少し東に行ったところに史跡「西宮砲台」があります。幕末に黒船に対するために作られたものです。実際に使われることは無かったようです。改めて見ると、結構な大きさです)
NO.1045西宮市西波止町西宮砲台
2015年5月1日
(*↑僕らは子供の頃は、もっと汚れていて荒れていてフェンスも無く入り放題の砲台でした(シャレです)。あの頃は、そういうのに無頓着というか、アバウトで配慮が無いというか、経済成長以外には目がいかなかったというか。今はキレイにされて保護されて、いいことです)
NO.1044 西宮市西波止町西宮マリーナ
2015年5月1日
(*↑砲台からさらに東に行くとヨットハーバーがあります。そこにはレストランバーの様な店もあって、楽しそうに集まっている人たちもいました。根っこでは僕らにはちょっと縁遠い場所です)
NO.1043 西宮市西波止町西宮マリーナ
2015年5月1日
(*↑見ると水上スキーの練習場があり、自動的に引っ張ってくれる装置に引っ張られクルクルと同じ場所を回って、何人かが滑る練習をしていました。向こうに見えるのは西宮大橋です)
NO.1042 西宮市西波止町西宮マリーナ
2015年5月1日
(*↑ヨットが並んでいます。昔から「西宮マリーナ」という名前だったのか? 当時は「西宮のヨットハーバー」と言ってましたが、単に正式名称を知らなかっただけなのかもしれません)
NO.1041 西宮市西波止町住吉神社
2015年5月1日
(*↑ここは、昔は知らなかった場所です。「ああ、こんなところに住吉神社という名の神社があるのかぁ」と入ってみました。小さいけれどいいお社です。一番若いナンバーがついていますが、本当はこの日一番最後に写したところです)
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。
2015年9 月12日 17:17 カテゴリー: ■ [写真] タテパノラマ / 僕に踏まれた風景, ■ [写真] タテパノラマ( 芦屋の街だけ ) | 個別ページ