「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
阪急電車芦屋川駅の北エリアを東寄りにぐるっと一周して、
また芦屋川駅前に戻ってきます。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1609 芦屋市西山町
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北側の小さな広場にある、とても便利な公衆トイレです。昔から何度かお世話になりました。そして、ここから登山に行く人と、逆に山から帰ってきた人も多くお世話になっているであろうトイレです )
NO.1608 芦屋市西山町
2015年9月15日
(*↑ 阪急芦屋川駅のちょっと北にあるバーです。2006年夏からの約1年間この近くで住んでいた時期に、数回飲みに入りました。それよりもう少し前にお昼にランチメニューをしていた時期もあり、まだこの近くに住む前にそれを食べに一度入ったこともあります。サンドイッチのランチを食べたのを憶えてます )
NO.1607 芦屋市西山町開森橋
2017年3月1日
(*↑ 阪急芦屋川駅から北へしばらく行っところにある開森橋です。これは川の西側にあたります。開森橋は古くからここにかかってる橋みたいですが、2016年頃には「仮の橋を手前に作った上で古いものを取り外して再び新しい橋を渡して」という大規模な架け替え工事をやっていました。この写真は工事が終わった後の綺麗になった開森橋です。昔の橋のイメージをあまり損なわないものにしたそうです。ちょっとレトロっぽいですよね。この橋を渡って左の大きな坂道を登っていくと六甲山へと向かうウネウネとした山道が続き、やがて「芦有(ろゆう)ドライブウェイ」という有料道路があり、有馬温泉へと繋がっています )
NO.1606 芦屋市町東芦屋町開森橋
2015年9月15日
(*↑ この写真は架け替え工事がされる前の、2015年時の古い開森橋です。こちらは川の東側です。春には毎年、ここから山側に見える桜がほんとうに見事です )
NO.1605 芦屋市町東芦屋町
2015年9月15日
(*↑ 開森橋を渡って川の東側に、谷崎潤一郎の関西を舞台にした小説「細雪」の碑があります。日当たりと影とで見にくいですが。昭和61年に谷崎潤一郎の生誕100年を記念してつくられたものらしいです。「細雪」の主人公の姉妹たちが暮らしている場所が阪急芦屋川駅からそう遠くない場所で、また姉妹たちが阪急芦屋川駅で電車を待っているシーンや、実際にあった昭和13年の阪神大水害時の芦屋川が氾濫した様子も描かれており、芦屋は小説ゆかりの地でもあります )
NO.1604 芦屋市町東芦屋町
2015年9月15日
NO.1603 芦屋市町東芦屋町
2014年4月1日
(*↑ 2006年の7月から11ヶ月の間ここに住んでいました。古い民家で、その内部だけを軽くリノベーションした賃貸物件でした。今は家屋の外壁はクリーム色のモルタルになっていますが、あの時は木の感じのままの外観でした。結局、2007年の5月いっぱいでここを出て、神戸のもと居た(と言ってもリフォーム済みされていた)マンションの部屋に帰ってきたのでした。その、もと居たマンションの大家さんとはそもそも仲良くさせてもらっていて、この芦屋の部屋に引っ越したあとも、電話のやりとりなどしていて「一度部屋に呼んでよ、どんなところか見たいわぁ」というので、遊びに来て貰ったことがあります。そのあと、話をしているうちに再び大家さんのところに戻ろうかみたいになって、結局また戻って、現在に至るのでした、の2017年5月現在なのです )
NO.1602 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
(*↑ 部屋を出て駅方向に行くための小さなうねった坂道です。もともと「小さな道」「うねった道」「小高いところにある道」などが好きなので、この道はかなり好きだったんですよねぇ )
NO.1601 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
(*↑ 向こうに見えるのが僕の住んでいた古民家です。その当時、お隣には大きな敷地の古い家があって、おばあさんがたった一人で住んでいました。僕の部屋の大家さんの奥さんから聞きました。その大家さんの奥さんがよく、自宅でできた野菜などをおすそ分けに行っているのが部屋の窓から見えたり、その時の声が聞こえたりもしていました。たぶんその後、おばあさんは亡くなられたのでしょうか。今はそこの敷地はこのように広い公園になっていました )
NO.1600 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
(*↑ NO.1603の家に住んでいた時によく歩いた、駅へと向かう途中の道です )
NO.1599 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
NO.1598 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
NO.1597 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
NO.1596 芦屋市町東芦屋町猿丸家墓所
2016年6月6日
(*↑ かつて江戸〜明治大正にかけて芦屋の発展に貢献し、現在も続くという芦屋の名家「猿丸家」の墓地です。「百人一首」のひとつを詠んだ「猿丸太夫」という人物の子孫であると伝えられている一族だそうです。以前からここには一般の人は入れません。ただ、阪神淡路大震災のあとしばらくここの門や柵が倒壊して、そのあと瓦礫が取り除かれて中がそのまま見渡せる「いけいけの出入り自由」(いや、本当はそういうつもりではないのだろうけれど)の時期がありました。母親と震災後の用事でこの近くに来た時にその状態に「はっ?」と顔を見合わせ、「前からどうなっているのか見たかったから、入ってみよう」ということになって、猿丸家のお墓たちをぐるっと見て回ってお参りしたことがあります。まぁ、それだけのことなのだけれど、おそらくもう二度と出来ない貴重なことでした )
NO.1595 芦屋市町東芦屋町桜橋
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅のホームの北側の位置で芦屋川をまたいで架かかっているこの橋に、「桜橋」という〝らしい名前〟がついているということは今回調べてはじめて知りました。そう、このあたりの川沿いは春はほんとに桜の綺麗なところなのです。向こうに見える小さな橋は、川の東側で駅前を通る道路の上をまたいで、駅前広場と繋がっている歩道橋です )
NO.1594 芦屋市町東芦屋町桜橋
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅北の桜橋から北の六甲山方面を眺めた景色です。ここからの桜の眺めがキレイなのです。これも調べたサイトに書いてあったのですが(自分の目ではまだ確認していない)、ちょうどこの背後の橋と駅のホームのスキマの真下の川に、昭和13年の阪神大水害で流された先代の「桜橋」の橋げた跡が残っているらしいです。いつか確認してみようと思っています )
NO.1593 芦屋市町東芦屋町
2016年6月6日
(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅の北出口前の小さな広場を繋ぐ陸橋です )
NO.1592 芦屋市西山町
2016年6月6日
(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅前を繋ぐ陸橋から見た、北方面です。この方向の先に開森橋があります )
NO.1591 芦屋市西山町阪急電車芦屋川駅
2016年6月6日
(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅前を繋ぐ陸橋から見た南方面で、正面が駅のホームです。このように道路がググッと下にえぐれて、駅のホームの下をくぐっています )
NO.1590 芦屋市西山町
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅前の小さな広場から、陸橋の階段を上って桜橋の方を見たところです )
NO.1589 芦屋市西山町
2015年9月15日
(*↑ 陸橋の階段の途中から駅を。こんな感じになってます )
NO.1588 芦屋市西山町
2015年9月15日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口前の小さな広場です。左隅の階段が川向こうに行く陸橋の階段です )
NO.1587 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街
2015年9月15日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口を出て左に折れるとすぐに店が続く小さな商店街です )
NO.1586 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街
2015年9月15日
(*↑ お店に関しては昔に比べるとサミシイ感じもしますが、ここ数年また新しくカワイイお店が増えつつあるような気もします。たしか、もとタカラジェンヌの女将さんがやっている、古くからの和菓子屋さんもあったりしたはずです。ちょうどこの写真のようなアングルで、映画『夏の庭』(監督・相米慎二さん)のロケに使われたこともあります )
NO.1585 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街
2015年9月15日
(*↑ ここの基本的な感じはほんとに昔から変わりません )
NO.1584 芦屋市西山町阪急電車芦屋川駅
2016年6月6日
(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口です。ここの感じも昔から本当に変わらないままです。阪急沿線の駅というのは、古くからの佇まいを変わずに残しているところが結構多いのですが、ここもずっとこのままでいてほしいなぁと、個人的に思ったりします )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。