■僕が育った「芦屋」の街の「タテパノラマ」です。
ちょっと今回の分で、
「連続タテパノラマ」はひと休みして、
また他の記事をするかもしれません。
例によって、
ところどころ説明文を入れていきます。
そして、
いよいよ当時の家のあったところ(育ったところ)です。
あの頃はいい環境だったなぁー、とつくづく思います。
ここで育んだものは大きいです。
僕の場合は。
今回は特に力が入っています。
NO.1131 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑阪神淡路大震災前まで僕の育った家があったところです。左のクリーム色のちょっと「カワイイ感じのお店」になっているところです。震災後に解体して、そのあとに建った家を購入した人が理容店をしています。歩道も並木も昔はありませんでした)
NO.1130 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑前の道路は昔は旧堤防の階段のところで行き止まりでした。それが、昭和の真ん中から「道幅を広げて埋め立て地につなげる」という市の計画があり、阪神淡路大震災後にそうなりました。で、もと僕の家の前の道は、今は脇道になっています。そして、その道の東横にあった小さな川も今はありません)
NO.1129 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑旧堤防の上から、もと僕の家も含めた北側を見たところです。真ん中に通っているのが、もともとの家の前の道で今は側道。そして、わかりにくいですが、向かって真ん中から右側が大きな自動車道路になっています)
NO.1128 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑旧堤防の上から南側の景色です。このシーサイドタウンが完成してからでも、もう36年くらいでしょうか。小学校3年生くらいから埋め立てが本格化して、高校生の頃に高層住宅が完成したと憶えています。ここがかつて海だったということを知らない人も、今では多いかもしれません)
NO.1127 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑石が組まれているところは「旧旧堤防」で、僕らがここに来て以降にそこへさらに上乗せされて「旧堤防」が乗った二重構造になった、と思っていました。けれど古い写真をよくよく見てみると、三重構造かもしれません。となると石垣の部分は「旧旧旧堤防」でしょうか? とにかく一番古い堤防と思われます。松の木が何本か残っていますが、古くからある松で、昭和より前のずっと昔の時代では沢山の松が浜に立ち並んでいた、その名残りでしょう)
NO.1126 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑家、側道、大きな自動車道を、反対側の歩道から写したところです。昔は静かなところだったのですが今は車がどんどん走っています)
NO.1125 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑もと我が家の反対側の歩道のさらに東には、今は大きなマンションが建っています。この辺りは、今でも環境のいいところだし、ここに住んでいる人たちもきっとそう思っていると思います。けれど、以前を知っている僕には、やはりガッカリ感は否めません。ここは昔、川崎製鉄のテニスコードがあり(その前は大きなお屋敷でした)、古くからの立派な松の木が立ち並んでいました。風が吹くと松の木が「サワサワ」とたてる音が聞こえる、とてもいい場所でした。この日同行の友人Yの父親が川崎製鉄勤務だったので、家族である彼もそのテニスコートを利用することが出来ました。当時よく「テニスしよーぜー」と、その真ん前の家の僕を誘いにきた友人Yでした)
NO.1124 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 左の建物はコープさん(生活協同組合コープこうべ)です。もと我が家のほんの少し北に位置します。かつてはもう少し西北の竹園町にあった店舗が、震阪神淡路大災後にここに移ってきました。それ以前は、ここは公園でした。写真が残っていないのが残念ですが、そこでジャングルジムに登ったり、鉄棒で逆上がりの練習をしたり、ブランコや滑り台で遊んだりした、ナツカシイ小さな公園がありました)
NO.1123 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ 阪神淡路大震災後に出来た「あしや温泉」です。震災の前から計画中だったのでしょう。震災のあと、まだ皆、自宅では風呂に入ることができなかった時期に急遽、簡易施設で開いて市民に無料で入浴を提供していたことがあります。僕も一度入りに行きました。それ以前、僕らが子供の頃ここは「第一勧業銀行」の社宅、そして隣接してプールがありました。母の誰か知り合いのツテで子供の頃に一度、そのプールに入って泳いだことがあります。とにかく「プール」と「温泉」、長く水に関わる土地ですね)
NO.1122 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑この「宮本産婦人科」が出来る前は、ここは大きな空き地だったと思います。その半分がこの病院になり、残りの南の半分が「ちびっこ広場」という広場になりました。この病院が出来たのはいつだったかはもう思い出せないですが、仮に中学の頃として40年。一番初期に生まれた赤ちゃんも、もうそのくらいだということですね)
NO.1121 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ この日同行していた友人Yと、20才くらいの夏にこの前でバッタリ会いました。僕はタバコを買いにお米屋さんまで行くところで、彼はNO.1060にも書いた「多幸八(たこはち)」というお寿司屋の配達アルバイトの途中でした。彼はバイクを降りて、この前でちょっと立ち話をしました。このことをこの日にYに言うと、「そうやった? よう憶えてるなーおまえー」との返事でした)
NO.1120 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 東京海上の寮です。このテニスコートは昔からあります)
NO.1119 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ この通りは昔は阪急バスのバス通りでした。そして、古くからここには商店が並んでいます。当時はクリーニング店、理容店、文具店、薬局、他にも何かありました。その1つが途中から「青山」という和菓子屋だった時期もあります。僕は特に、ここにあった文具店にはよく行きました。子供の頃に「スパイ手帳」を買ったのもそこです)
NO.1118 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ お米屋・酒屋の「おおかわ」さんです。がっしりとしたおじさんがやっていて、たしか同じ学校に通っていた娘さんがいたと記憶しています。一時期は家にお米やお酒の配達もしてくれていましたし、大人になってタバコを吸うようになってからはよく自動販売機のお世話にもなりました。ちなみにタバコは3年半前まで吸っていました)
NO.1117 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 宮川です。北方向に、ここからスコンと抜けて六甲山がよく見えます。小学校の頃はよく川の横の道を北に歩き、六甲山を眺めながら学校へ向かったものです。芦屋の浜手はよく風が抜けて広々とした感覚があります。その感じがやはり今でも好きです)
NO.1116 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ この橋は「下宮川橋」と言うそうです。昔は阪急バスがこの橋を渡って、芦屋の浜手の東西を結んでいました。現在バスは、もう少し南のシーサイドタウン(埋め立て地)の大きな道路を通っています)
NO.1115 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 「下宮川橋」から南を見たところです。シーサイドタウンの高層住宅が見えます。川はあまり整備はされていないみたいですが、昔はもっと水が濁って汚かった気がします)
NO.1114 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑これは何が通っているのでしょうか。水道? もうサビサビになっていますが、これも僕が子供の頃からあります。近所の子とここに来たとき、その子はスイスイスイとここを渡りました。僕は怖くて渡れませんでした。その後も何度かここに来ると「渡ってみようかなぁ」と思ったりしましたが、やはり出来ませんでした。今はもちろん、背が高くなりすぎて絶対無理です)
NO.1113 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ ここも変わらずにありました。このマンションが建ったときは、たぶん小学生の真ん中くらいだったのではなかったでしょうか。当時とてもオシャレでキレイな最新のマンションに見えました。その後僕が大きくなった頃、なんだか古くさいマンションと感じられるようになりました。で、今見ると、とても優しい感じのいいシャレた建物に思えます。時代の流れと、見え方感じ方の変化というのは面白いです)
NO.1112 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ 宮川の堤防を乗り越えて少しだけ巾のあるところに降りています。対岸は西蔵町です)
NO.1111 芦屋市呉川町
2015年9月11日
(*↑ 子供の頃もこうやってよく宮川の堤防を乗り越えて、このスペースに降りて遊んだりしました。小さな頃は堤防が高くて乗り越えるのがタイヘンで、やがて大きくなるとこの位の高さなんて何でもなくなりました。けど今は、体力がなくなって体も重たくなってきているので、今回はハァハァと言いながら乗り越えました。南側にシーサイドタウンの高層住宅が見えます)
NO.1110 芦屋市呉川町
2015年5月1日
(*↑ 旧「市内で宮川の南端」にあたる橋から宮川を北に望みます。小さな頃は川がここから海に混ざるところで、よく魚を沢山見かけました。浜側で釣りをしたこともあります。その後もこの下にはいつも魚がいました。今はどうだろうかと思って覗くと、やはりちゃんと魚の影が見えました。この「汐凪橋」プレート、同行の友人Yが見てすぐに「おおおっ」と言いました。彼には双子の娘たちがいて、彼女たちの名前の一部がそれぞれ「汐」と「凪」なのです。「そうやったんかー」っとなんだか2人でちょっと感激したりしました)
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。