「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
そして芦屋浜シーサイドタウンの「その3」です。
NO.1404 芦屋市若葉町潮見橋
2016年11月02日
(*↑ この宮川の一番南にかかっている歩行者用の「潮見橋」のすぐ東側に、ひと棟だけポツンと離れて建っている高層住宅があります(写真の左上)。たしか、ここ一帯の高層住宅は外観は同じでも、県営、公社、公団などさまざま運営形態があったはずです。で、このポツンと建っているこのコは唯一の民営の高級分譲高層住宅だったと思います。学生の頃に芦屋の郵便局で小包等の配達アルバイトをしたことがあって、何度かこの建物にも届けに来ました。他の建物では当時誰でも自由に出入りできたものですが、ここはちゃんとマンション式に管理人がいて見張られていました。エントランスからして他とは違う高級感もあって「ほぉ〜」と思ったものです。今は詳しくどうなっているのかは知りませんが、多分現時点でもきっとそんな感じだと思います )
NO.1403 芦屋市若葉町潮見橋
2016年11月02日
(*↑「潮見橋」の真ん中あたりから北側を望んだ景色です。はるか向こうに六甲山が見えます )
NO.1402 芦屋市高浜町潮見橋
2016年11月02日
(*↑「潮見橋」から西方向を見たところです )
NO.1401 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ ここはこの街が完成してから随分と長い間空き地で、阪神淡路大震災の後には仮設住宅が建っていました。そして僕の実家の家族も震災後1年半程ここで暮らしていました。僕も神戸の自分の部屋からよくここへ通ったものです。今では住宅地になり一戸建てが並んでいます。でもこの看板があるということは、まだ空きがあるのかなぁ )
NO.1400 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ 歩道橋になったところから南を見下ろします。この駐車場のところ住宅街のところ全てに、阪神淡路大震災後の仮設住宅がダーッと並んでいました )
NO.1399 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ 今は駐車場への裏口みたいになっていますが、震災後の仮設住宅がここにあった時からこんな感じで、よくここからも敷地に入りました )
NO.1398 芦屋市高浜町潮見橋
2016年11月02日
(*↑ 汐見橋から仮設住宅があった場所を眺めます )
NO.1397 芦屋市若葉町
2016年11月02日
(*↑ 汐見橋の近くで北方向を。向こうの橋が宮川大橋で、その右がダイエーになります )
NO.1396 芦屋市高浜町
2016年11月02日
(*↑ 宮川大橋の上の歩道から東を向いています。左の白いところがダイエーになります。ここからのこの景色はやはり今観ても、まだまだちょっと未来的でカッコイイ。何体かのロボットが並んでそびえているようにも見えます )
NO.1395 芦屋市高浜町
2016年11月02日
NO.1394 芦屋市高浜町宮川大橋
2016年11月02日
(*↑ シーサイドタウン内で宮川の上にかかっている宮川大橋からです。ダイエーの南西方向に位置します )
NO.1393 芦屋市若葉町
2016年11月02日
(*↑ 宮川の西側になります。この先、川を越えるとダイエーやシーサイドセンターになります。下はシーサイドタウンの中心を走っている大きな道路です )
NO.1392 芦屋市若葉町
2016年11月02日
NO.1391 芦屋市若葉町
2016年11月02日
NO.1390 芦屋市緑町
2016年11月02日
(*↑ 中央緑道の西の端あたりから東(シーサイドタウン中心部)を向いたところです )
NO.1389 芦屋市潮見町
2016年11月02日
(*↑ シーサイドタウンの西の端の岸辺から、バス通りのある東を向いたところです。正面が、中心部方向と南方向へのバスの分岐点になってます )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。