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去年の秋だったか今年の始めだったかにも書いたけれど、非常に近いある時期から、街路樹だの公園だのに植えられている木々を見ると、そのクネクネうねうねと、上へ外へと伸びていく枝の姿に、「ああ、いいなぁ」と見惚れてしまうようになった。
なんだか、その枝々の、2つとない姿が、形として美しく、故意に作ったものではない魅力に誘われて。もちろん、別に木々が突然最近、僕の目の前に現れたわけじゃなく、前からそこここにあったのに、なんだか、妙に、このごろ、ほんとに目が行く。ということで、近くの街路樹たちの枝のクネクネうねうねを、ちょっとここに並べてみることにした。 いいなぁ、と思う。そんなこんなです。
Hajime Sano
2012年から2014年6月までの間の、「なんだかよくわからないもの」3点。 2年くらい前から、絵の具で絵を描いた時に、絵皿の絵の具がそこそこ余ってしまった時にはもったいないから、その絵の具で、小さな余った紙に、ちょことずつ絵の具を塗ったり、塗り足したりしている。絵を描くごとに何枚かの、こっちの紙に、あっちの紙に、バラバラと、遊び的に、描いたり、付け足したり。
そして、それが、最初から何か「あんな絵にしよう」と思う場合もあるけれど、大抵の場合は、何も考えずに意味なく塗り始めてみる。それで途中から「あ、こんなんにしてみよう」と、最終的に仕上げる時もあって、そういうのでこのブログにも載せたものもある。また、場合によっては、途中で思い通りの感じにいかなくなったり、何だか、ただただ汚い感じになってしまったり、あまりにヘタクソすぎてイヤになってしまったりして、「ボツ」にして捨ててしまったものも沢山ある。そんな中で、一番悩まされるのが、何故か不思議とちょっと愛着のもてる、「なんだかよくわからないもの」が出来てしまった時だ。そもそも人が見て「何だかよくわからない」と言えるものだし、このブログに載せるのもなぁぁ、違うかなぁ、捨てるのは可愛そうでもちろんできないけれど、本人が嫌いじゃないのにこっそり仕舞っておくのもなぁ、なんて思ったりするものだ。けど、まぁ、せっかくだから、「なんだかよくわからないもの」として載せることとした。こんなご時世に、「何も深く考えずに手のおもむくままに気楽に描いた」んだもの。目立たなくてもいいから堂々と正面に出してあげよう。ほんまに、チョロッとしたものだけど。タイトルは、各自、頭の中で、勝手につけてください。そんなこんなです。
NO.0629 岡山市北区青江倉式珈琲2014年3月25日NO.0628 岡山市北区旭川2014年3月25日 NO.0627 岡山市北区旭川2014年3月25日 NO.0626 岡山市北区旭川2014年3月25日 NO.0625 岡山市北区丸の内岡山城2014年3月25日 NO.0624 岡山市北区月見橋2014年3月25日 NO.0623 岡山市北区月見橋2014年3月25日 NO.0622 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0621 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0620 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0619 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0618 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0617 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0616 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0615 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0614 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0613 岡山市北区後楽園2014年3月25日 NO.0612 岡山市北区石関町岡山神社2014年3月25日 NO.0611 岡山市北区石関町岡山神社2014年3月25日 NO.0610 岡山市北区石関町岡山神社2014年3月25日 NO.0609 岡山市北区天神町岡山県立美術館2014年3月25日 NO.0608 岡山市JR岡山駅2014年3月25日これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。それから、なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。そんなこんなです。
僕はついこの間まで、自分の斜めがけのかけ方が、一般だと思っていた。というか、まぁ、僕がいつのころからか斜めがけをして、自然にずっとやって来たそのやり方が、なんとなく普通だと思っていた。右利きだし。ところが、つい最近、気がついた。僕の場合、左の肩にショルダーをかけて右手を通し、降ろした右手の方へむかって、斜めにカハンをおろす。けど、街でよく観てみると、逆の、右の肩にショルダーをかけて、降ろした左手の方へむかって斜めにカハンをおろす、という人も多い。絵にするとこう。上の、左の「ててててててて」の絵が僕の場合で、右の「とととととと」の絵がその逆だ。観察する場所によっては、僕の逆の人の方が多いような気もする。もしかして僕は少数派?いままで主流だと思っていたのだから、それはビックリだ。ちなみに、ショルダーバッグを斜めがけではなく、肩からまっすぐに下に降ろすかけ方の時は、僕の場合は、右肩に引っかけて降ろす。つまり斜めがけとは逆の肩にかける。うん、そうか、斜めも正肩掛けも、下がったカバン本体は同じ位置だな。もしかして、体の横に降りたカバン本体に対してどう右手を使いたいかが、ポイントなのか?そのあたりが、どちらの斜めがけになるのか、それぞれのポイントになるのかもしれないなぁ、と、ちょいと「人間の個別の心理と行動」みたいな、深そうなことを思いかけて納得しようとしたとき、あるコトを「はっ」と思いだした。われわれ人類に共通のある人たちに関することだ。そういえば、小さい頃、幼稚園に行く時は、カバンを斜めがけして通園してたなぁ、と。そうか、で、幼稚園に行っていてもいなくてもも、要するに、「母親が一番最初にどっちにかけたか?」ということが、タダ単純に斜めがけに左右しているのかもしれない、ということなのか?なーんだ、みんな母が決めちゃうのか、あいつらめ!と、勝手に思って、しかしすぐ、いやいや、まてよ、とまたさらなる考えが。いくら母親が自分の思う方にかけようとしても、「ママーこっちはいやぁー、ちがうーっ」ってな子も、いそうだなぁ。いや、きっといる。そっちは何故かイヤ。それはある。不思議と、人は「生まれ持っている」部分も、かなりあるしなぁ。うーん、やはり、人というものは、深い。と、いうか、わからん。阪神御影駅の南側に、以前、「長崎屋」というスーパーがあった。スーパーと言っても、地下一階地上6階の小さいながらもそこそこのビルで、1970年に出来てから40年近く営業していた。僕がこの近隣に移って来て20数年、もちろん「長崎屋」には何度も行った。庶民的な感じが良かった。そのもっと前の子供の頃でも、電車でこの駅を通過したり、電車の乗り換えをしたりするときに、「長崎屋」の看板を電車やホームから見たのはよく憶えている。その「長崎屋」も2009年に閉店して、ビルだけが残って、今は、ドラッグストアやレンタルビデオ店が入っている。2008年に、「長崎屋」から駅を挟んだ反対側に、「御影クラッセ」という大きなショッピングセンターが出来た。そこの3階にカフェレストランがある。そこへ「お茶」などで入ると、ちょうど南側に、もと「長崎屋」のビルが見える。 屋号も消され白っちくなったビルを見ながら、「出来た頃はみんな嬉しそうなテロテロとした顔をして、 あの建物の中で買い物をして帰ったんだろうなぁ」なんてことを、でかくてエラソでツルツルでピカピカなビルの中から、思ったりする。|そんなころも、あったのぉ/あ、この「長崎屋」の話は、最初の「斜めがけ」の話と、なんにもかかってないからね。オチとか繋がりを探さんといてね。そんなこんなです。
先日、神戸市立博物館でやっている「北斎展」を観てきた。 なんとなくだけれど、この10年くらいで、北斎の注目度が、以前にも増してドンと上がってきた気がする。まぁ、北斎は好きなのでウレシイことだとは思うけれど、展覧会でドカンドカンと人が多いのは、善し悪しだな。トコロテンのようにニューと押されるように、固まって前に進むのは、ほんと趣味じゃない。今現在はまだ、言うほどそんなには展覧会で人の入らない作家で、100年くらいしたら満員でトコロテン、なんて場合もあるのだろうな。そういうのを今、観に行っておきたいなぁ。でも、将来そうなる確認のしようはないけれど。それにしても、有名な、波がザッバーンの向こうに小さく富士山な「神奈川沖浪裏」や、赤富士こと「凱風快晴」の前に行くと、ついつい「永谷園」と思ってしまう。絵にとっていいのか悪いのか。(昔、永谷園のお茶づけ海苔に、名画カードがオマケで入っていて、北斎のシリーズもあった)色んな意味で脳天気だったあの昭和な時代っていうのは、結構、人の頭にホントにヨケイなものを一杯インプットして。まぁ、確かに、昭和は楽しかったけれどねぇー、でも、あのころの沢山の「テキトーなすり込み」は、今となってはヨケイで善し悪しなものが多くあるなー、と最近ほんとに思う。| みんなー、人多いわよー、多いわよー! / そういえば、イラストの仕事や沢山の別の載せたいことなど、他のタイミングと重なってここには載せられなかったけれど、5月の中頃、篠山紀信さんの写真展に行ってきた。 これは一昨年からずっと、アチラコチラの美術館を巡回していて、去年の春、友人と広島に行ったときに丁度、岡山県の高梁(たかはし)市の美術館でやっていた。友人とは夜に広島で待ち合わせしていたので、もし予定より少し早く出ることができたら、広島に行く前に岡山で降りてササッと見に行ってこようと、思ったりしていた。結局、作業などがあって早くは出られなかったので、まっすぐ広島に行って友人と落ち合ったが、そんな計画があったのをその友人(岡山県在住)に言うと、「いや、でも、ササッとはムリじゃ。高梁はかなり不便なんじゃ」なんて教えられて、「そうなんやー、下手にチャレンジせんで良かったかな?」「んー、そりゃ佐野、絶対ダメじゃ」なんて言い合って笑った。 そういうのがあったので、かなり記憶に残りつつも、「篠山紀信を見られるチャンスもないかな」と思っていたら、先月になって、JR大阪駅の北側に出来たグランフロントで、開催することを知った。
「え? 前にみた展覧会サイトの予定にそんなのあったっけ?」と思ったが、後で買ってきた図録を見たら、そこに印刷されているスケジュールには入っていなかったので、急遽、開催が確定したのかもしれない。とにかく当初は関西での開催は無かったので。となれば、近くでやっているのを知ったからには、行かなければと、丁度忙しい頃だったけれど、無理矢理時間を作って行ってきた。写真展と聴いて勝手に頭で思っていたよりも、かなり大きなサイズに延ばした写真が、ドカーンドカーンと展示していた。数自体はそんなに多くは無かったけれど、兎に角、大サイズが迫力。山口百恵、美空ひばり、勝新太郎、夏目雅子、大原麗子、松田聖子、宮崎美子、ビートたけし、キャロル、王貞治、ピンクレディー、吉永小百合、宮沢りえ、カルメン・マキ、海老蔵、杏、澤穂希、蒼井優、AKB48、などなど。 篠山紀信さんは、見方によっては、「有名人を写す流行カメラマン」。でもそういうポジションはタイヘンだな。あまりに大衆すぎて「芸術」よりも低くみられたり、どうしても目立ってしまうので、中には「儲けやがって、へっ!」という視点だけしか持てない、だみ声のオッサンに嫉妬されたり。けどよ、「北斎」だってその活動当時は、「流行が存在を左右する浮世絵の世界」の絵師だ。今でいう大衆流行カメラマンに近い。だけど、現在では海外の所有美術館が手放したくないほどにアートだ。「いいなー、いいなー」と思う。だみ声のオッサンはもう放っておこう。そう思いながら、もう一度買ってきた図録を観ていると、上半身だけを大きく写した篠山紀信さんの写真は、まるで浮世絵の「大首絵」(上半身を大きく描く浮世絵のスタイル)に見えてくる。さ、6月も半ばに突入してきた。暑くなりつつ、まだ過ごしやすい日もあるこの季節に、今後も踏まえた、前とはちょっと違う、生活パターンや作業パターンを確立していきたいなぁ、なんてちょっと思ったりしつつの。 そんなこんなです。
NO.0607 大阪市中央区地下鉄難波駅2014年4月15日 NO.0606 大阪市中央区地下鉄心斎橋駅2014年4月15日 NO.0605 大阪市中央区地下鉄心斎橋駅2014年4月15日 NO.0604 大阪市中央区地下鉄心斎橋駅2014年4月15日 NO.0603 大阪市中央区南船場2014年4月15日 NO.0602 大阪市中央区南船場2014年4月15日 NO.0601 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0600 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0599 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0598 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0597 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0596 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0595 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0594 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0593 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0592 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0591 大阪市中央区道頓堀2014年3月4日 NO.0590 大阪市中央区難波先代新歌舞伎座2014年3月4日 NO.0589 大阪市中央区難波大阪高島屋2014年3月4日 NO.0588 大阪市中央区難波大阪高島屋2014年3月4日 NO.0587 大阪市中央区難波大阪高島屋2014年3月4日これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。それから、なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。そんなこんなです。
昔、一緒に暮らした祖母(母の母)は、しょっちゅう、宝塚にある清荒神さんにお参りをしていた。清荒神と書いて「きよし こうじん」と読む。清荒神さんは正式には真言宗の清澄寺というが、神仏習合で境内には荒神社が祀られていて、「かまどの神さま」=台所の神さまとしても信仰されている。祖母はそこへ行ってお札をもらってきては、台所の食器棚の上に設えた神棚に納めたりしていた。そして、時には僕たち家族を連れて、また時にはササッと一人で、頻繁に荒神さんにお参りしていた。そういう訳で、荒神さんには、子供の頃、家族と共に、何度もお参りした。その参道の途中に、荒神さん名物のたこ焼きがあって、それは「明石焼き」のようにダシで食べるたこ焼きなのだけど、一般の「明石焼き」と違って6個ほどが最初から小皿に入って、ダシに浸かった状態で出てくる。それがほんとに美味しかった。だから、チビッコだった僕は、密教の仏とか神仏習合なんてもちろん解っちゃいないので、「荒神さん」=「おいしいたこ焼きが食べられる」がメインの、お参りだった。ふと、荒神さんに行ってみたくなった。ほぼ一ヶ月前のことだ。最後にお参りしたのはいつだろう、はっきりは憶えていないけれど、おそらく家族に付き合って、もう20年以上、いや、下手したら30年近く行っていないかもしれない。行ってみた。 駅を降りると長い長い参道が続く。両脇にいろんなお店が並ぶ。子供時代にお参りした時は、大抵は電車を使わずに父親の運転する車で、直接荒神さんの近くまで行って降りることが多かったので、ここは懐かしいという感じはあまりしない。けれど、最近、大阪にしても神戸近隣にしても、「ピカピカでツルツル」な建物や街並が増えたので、こういう延々と続く「人間くさい感じ」は妙に嬉しい。「来てヨカッタな」と強く思う。途中、例のたこ焼き屋の屋台の前を通るが、閉まっていた。うーん、あそこは土日だけしかやっていないのか?それとも平日ならば、午前のもっと早い時間にくればやっているのか?やがて、境内に到着。 ここはほんとに上がったり下がったり。いろんなお参りが出来る。こういう例えはイケナイのかもしれないが、「神仏のワンダーランド」という気がする。しかし、昔に来たのはいつも日曜で、もっと人がいて屋台も山門あたりまで出ていて、わいわいとニギヤカだった印象があったけれど、平日なのだからか、とても静かだ。新緑も綺麗。 そして、奥にある滝の方へ。これはここに来てから思い出した。そうそう、いつもおばあちゃんを先頭に、この奥にある滝へ向かったなぁ、と。 よっく目をこらして見ると、左の奥に、「お不動さん」がいらっしゃる。 神戸からも大阪からも、そう遠くないところに、こんなところがある。たぶん、祖母と一緒に暮らしていなかったら、ここは知らずにいたかもしれないし、ここに対して親しい思いはなかったかもしれない。本来は祖母と暮らす筈だった伯父方のいとこは、それが無かったので結局、荒神さんという場所にこういう深く広がるような感覚は、無いだろう。ここが、彼女(祖母)が足繁く通って僕たちの安泰を願った、そしてその後僕たちが何かに守られて過ごすことのできた、原点のうちの1つだ。知ってて良かった。そんなこんなです。
NO.0586 伊丹市阪急伊丹駅2014年5月13日 NO.0585 伊丹市中央2014年5月13日 NO.0584 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0583 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0582 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0581 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0580 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0579 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0578 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0577 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0576 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0575 伊丹市立美術館2014年5月13日 NO.0574 宝塚市清荒神2014年5月13日 NO.0573 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0572 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0571 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0570 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0569 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0568 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0567 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0566 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0565 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0564 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0563 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0562 宝塚市清荒神清澄寺2014年5月13日 NO.0561 宝塚市清荒神2014年5月13日 NO.0560 宝塚市清荒神2014年5月13日 NO.0559 阪急電車清荒神駅2014年5月13日これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。それから、なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。そんなこんなです。
「はっぴい アロー&スケルトン」誌のイラストが完了。編集部からのお題は、「わたくし、食べ物ですが… またの名を○○と申します」↓ 編集部からのお題は、「暑さは最高のスパイス!? ついつい手が出る冷た〜い食べ物」↓ 編集部からのお題は、「名前も働きも同じなのに… かたちはそれぞれ違ってる!」↓これで、パズル誌イラストは一息。(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)さて、またまた、「自主勉強の歴史」の時間がやってまいりました。今回で最終回。イラスト仕事の紹介ページなのに、何故かこちらの方が長くて長いこのシリーズも、ようやく終わりです。前回は、覚え書きノートであった「アレコレノート」に、読んだ本の気になったりポイントだったりするところを、そのまま書き写すようになった、「AD2012年〜 書籍そのまま書き写しの変」までを学びました。それで今回は、そこから「自主勉強の確立」までを学びましよう。2012年に、それまで買ったきりで読まずに放っておいた本を、順番に読んでは、気になるところがあればノートに写していく中で、夏ごろになって、「お酒」について書いたムック本の番になった。「お酒を飲む」のは好きだ。そういうお店に行くのも好きだ。しかし、そう言う割には、僕は実際には、あんまりお酒について深くは知らなかったりする。ので、この本に行き着いたときに、「あー、ちょっと勉強風に、 ちゃんと自分なりにまとめてやってみようかなぁ」と思った。だから、それまでの「そのまま文章を写すだけ」から、ちょっとやり方を変えてみた。それまでのように「アレコレノート」にではなく、別の紙にまとめて、最終的にクリアファイルに入れて、のちのち増やせるみたいにしようと思った。で、出来たのが。 イラスト入りだ。同じように、そのちょっと後、興味があって何冊か買っていた仏像関係の本や雑誌を、全部まとめて読んだあとに、その数冊分の内容を自分なりにまとめて、最終的にファイルにしてみた。それが、コレ。 こんな感じで、単なる「覚え書き」の為の「そのまま写し」から、自分なりに「理解する」ためにまとめていくという形になり、ここにおいて、スタイルが、「覚え書き」が「勉強」的なものに変わった。そして、「覚え書き」の場合はその本を読んだ後に、まとまった時間を作って、一気にダーッと機械的に写しきってしまうやり方だったが、これらに関しては、あらかじめ「1日2日では済まないな」という覚悟の上で、「ちょっとずつ進めて少しずつ理解しよう」と思いながら、何日も腰をすえて行うやり方をとるようになった。つまり、それまでの「覚え書き」と違う、「それこそが勉強」と言えるポイントは、表面的なスタイルだけではなく、そういう意識の改革にもあった。これを「AD2012年 お酒と仏像勉強改革」という。線を引いておいて下さい。さて、これらの勉強が終わったその後も、「放っていた本を読みつぶしていく」ということ自体は進み、単なる「覚え書き」もそれはそれで続いていく。そして、2012年の暮れになって、5年くらい読まずに放置していた、「神戸学検定」という地域検定のテキスト本の番になった。以前に書いたこともあるが、そもそもこの本は、集めていた「神戸関係の本」の1つとして買い、ただ「読み物」として楽しむつもりだけのものだった。しかし、ふと「うーん、実際に検定試験を受けてみるかーっ」と思ってしまったのだ。そう思った背景として、「お酒」と「仏像」の勉強をしたことが、キモチ的に後押ししたことは間違いない。まずは、2013年の1月半ばまでにザッと一度読み終えて、5月になってから、9月までの4ヶ月の大体のスケジュールを立てて、毎日少しずつ試験勉強を進めていった。このためにマーカーを買ってポイントの下に線を引き、時には、ネットで探したりスキャンで取り込んだりした写真を、ノートにペタペタ貼り付けたりした。専用のノートは7冊。 こうやって、ある種の、自分なりの今の勉強のやり方を、ここで、確立した。このことを、「AD2013年 神戸学検定勉強の確立」という。ここは重要です。憶えておいてください。ちなみに、勉強の甲斐もあり、9月に実施された検定には、無事、初級と中級において合格を頂きました。さてさて、「自主勉強 その1」にも書いた通り、今年に入って進めだした、「もうディスクが増えるのもイヤだ。 ハードディスクレコーダーに録画した番組は、 ノートに勉強して、そっちで残そう」。これは「勉強」ではあるが、そんなに長くはならないので、「アレコレノート」に戻ってそちらの方でやっている。ノートするスタイルとしては、「神戸学検定」のノートの流れをくんでいる。 けれど、今までとの大きな違いは、テレビ番組であるので、キャプションで文字が出る時もあるが、大抵は、「ナレーションや誰かの口述をまずは書き留めることになる」という点だ。つまりは、聴覚とそれを整理する脳の力も利用した、「学校の勉強スタイルに少し近い」形になり、ここにおいて「自主勉強」のスタイルも、ある地点まで到達したと言えよう。さて、長くなりましたが、以上で、「自主勉強の歴史」を終わります。いかがでしたか?では、何か、ここまでをふまえて、「勉強」ということで感じたことがあれば、教えてください。何かありませんか?「はいっ」はい、そこのアナタ。「18才までの受験勉強は一生懸命しましたが、 そういえばもうそれと同じくらいの間、 勉強を意識してやったことがありませんでした。 知識の蓄積もメンテナンスもしていないくせに、 何でも知っている顔をしていてイカンなぁと思いました。 少し反省と刺激になりました」そうですか。そう言っていただけると嬉しいです。他には? 「はいっ」はい、そこのアナタ。「なんか、エラソに、自慢してはるのかなーと思ったりして。 それに、先生は自由業で独り身やから、 そんなことをする時間もあるけれど、 普通はしたくても出来へんのとちゃいますか? ニヒヒヒ〜」ああ、なるほど。しかし、それは、ワタシの質問の趣旨から離れた発言ですね。それに、人が何か言ったことにいちいちと、「自慢してるんちゃうか?」と言い出したら、もう何もかも全てが成り立ちません。また、アナタが「自慢してはるのかなー」と言ったその時の顔は、「言うたったでー」みたいな、とても「自慢げ」な顔でしたよ。それから、もしワタシの生業やライフスタイルに異論が在るのでしたら、そんな風に関係ない部分で何かに乗じて、ここぞとばかりにイヤミたらしくネチネチと、ムリヤリくっつけて言ったりせずに、それだけのコトを議題に堂々と発言しに、別の時間と別の機会にワタシの所までニッコリと来なさい。その時はちゃんと受け取りましょう。ちなみに、自由業で独り身ですが、勉強以外でも忙しいです。勉強は無理矢理やっているといっていいでしょう。
はい、他には?
「はいっ」はい、そこのキミ。「なかなかタイヘンそうで、 時間的にもすぐにマネはできるとは思いませんが、 定年退職後などですることがなくなったときに、 ちょっとこれを思い出して、 少しずつ何か勉強してみてもいいかなぁ、と思いました」はい、ありがとうございます。そうですね、これが何か将来の参考になれば幸いです。他には?「はいっ」はい、そこのキミ。「えー、先生は、これをやりだしてからたぶん、毎日沢山、 字を書いてはんねやなぁ。と、思いました」おお、一見趣旨から離れているような発言ですが、なかなかいいところに気がつきました。実は、これをやり始めてから、ほぼ毎日、まとまった字を書いているので、現代によくありがちな、「携帯とかパソコンばっかりで、普段字を書かへんから、 たまに書くと慣れなくて汚いわー」みたいなことは、言わなくなりました。もちろん、だからと言って元々字が上手いかどうかはまた別ですが、「書く行為」が今、ワタシにとって、「日常的に使っているツール」というポジションにあることだけは、間違いありません。そして、「手を使って書く」というのが、「勉強」ということにとってかなり重要なポジションにあると、最近思います。今後、「タブレット」などが、勉強の場に用いられるのは間違いありませんが、どうも、「勉強」の中では、「紙に書く」ということに勝るという気がしないのです。もっと言うと、「脳」とか「神経」とか「健康」という観点からでも、「手で紙に書く」は、近いうちにもっと見直されてくる気がしますね。はい、本当に長くなりました。これで、「自主勉強の歴史」を終わりたいと思います。では、機会がありましたら、|またお会いしましょう〜/ キーンコーンカーンコーン♪ そんなこんなです。あー、長かった。
日曜までに、「まちがいさがしメイト」誌の2点が完了。まず、ペンギンのイラストパズル。 それから、CHUN-CHUNの間違い探し。 あと一誌分イラストが残っていたけれど、本日完成。その紹介は、また次回に。さて、こんにちは、もしくはこんばんはわ。「自主勉強の歴史」の時間がやってまいりました。前回は、今、自主勉強のメインで使っている「アレコレノート」が、もともとは、たまに使う「覚え書きノート」であったこと、そして、その中では、「AD1997年〜 アレコレノート 古・覚え書き期」と、「AD2011年〜 アレコレノート 後・覚え書き期」とに、区切られることを学びましたね?それでは、今回はそれ以降の歴史、いよいよ、「自主勉強の夜明け」について学びましよう。2012年になって、本棚の横の「未読の本のコーナー」にある、買ったきりで読まないでいる何冊かの本に対して、「なんとかしなきゃなぁ」と思い立ち、「夜遅くまで飲みに行っている」とか、「遠くの方まで遊びに行っている」とかにかまけて、長いものでは4.5年放ったらかしにしていた本たちを、順番に読んでいくことにした。けれどその際に、「これからは余程の本以外は読み終わったら処分したい!」「でもほんの少しだけいいコトが書いている本とかどうするのか!」「それに処分するとほとんど本の内容は忘れるがどうするか!」「しかし憶えていても、持っていても、 結局はその内容を確認するにはページ探すのはタイヘンだぞ!」なんてことを思った結果、ちょっと実験的に「書き写し」をしてみるにした。(小説以外の書籍において)読んでいる時に「おっ」と思うところは付箋を貼っておいて、それをその後本を全部読んでから、その部分をそのままノートに書き写しておいておくことに決めた。マメなところがあるくせに、場合によってはマメなことができないワタシが、この場合「ビミョーなところに属するマメ」を、やってみることにした。で、それなら1つのノートにしておいた方がいいだろう、ということで、それまでの「覚え書き」の流れから、前回紹介した「アレコレノート」に書いていくことにした。例えば、「ダンゴムシに心はあるのか」というくだけた生物学系の本とか、 宮本武蔵の「五輪書」を解説した本とか、 「般若心経」を解説した本とか、 「日本語の面白さ」を研究者の方が書いた本とか、 「菜根譚」という中国の古い教えの本とか、 を読むたびにノートした。特に堅い系の本は途中で頭が「ポワーン」となりそうになるが、まぁ、「初めて分け入る草原というものは、 思い通りにかき分けることが出来ずに、 葉が頬を切ることもあるだろう」という心持ちで進めてみた。人間辛抱が肝心だ。で、基本的には、気に入ったり気になったところの、書いてあるそのままを写すだけなので、どちらかというと「覚え書き」の延長だ。けれど、ところどころで少し自分なりにまとめたり、面白がって挿絵を入れたり、また、昔は、「写本」という行為が勉強の基本であったことを考えると、まぁ、これは、「勉強の初歩形」と言えなくはない。しかし、「じゃあ、この場で、五輪書に書いていたことを教えてっ」なんてことは聴かないでほしい。いやいやムリムリ。「書いて」「ノートになって」「忘れて」「あとで気になったら見るための保存版」なので、たぶん上手く答えられない。でも、希望とあればノートは見せてあげるよー。だから、そういう意味では、この「未読の本を読んでいく中での書き写し」が始まった時点ではまだまだ「勉強」ではない。しかし、「未読の本を読んでいく中での書き写し」をやっているうちに、やがて途中で「ひゅっ」と勉強に変わっていくのだ。そういう意味で、この「未読の本を読んでいく中での書き写し」を始めたことこそが、やがて「勉強」への変化の先端となるのである。よって、ここまでの流れを、「AD2012年〜 書籍そのまま書き写しの変」という。ここは重要なポイントなので憶えていてください。では、本日も長くなりましたので、ここままで。次回は「お酒と仏像勉強革命」と「神戸学検定勉強の確立」までを学び、しめくくりたいと思います。ん? 「ほんとに長ーい」? なかなか終わらないから飽きた?だまらっしゃい!勉強をなんだとおもっておりますか!勉強とはこういうものです!ピシャッ!シーン。では、やる気のある方々は、本日までの復習は必ずしておいてください。キーンコーンカーンコーン♪そんなこんなです。