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昨日、食事と買い物をかねて、阪神御影周辺に行った。食事にうどん屋に入って「豚しゃぶ温うどん」を食べて、銀行に行って家賃やらなんやらを振り込んで、「御影クラッセ」というショッピングセンターに行こうと、駅の南側の「バレンタイン広場」を通りかかったら、段になっているところに並んで腰掛けた、若い二人の男の話し声が耳に入った。一方の男がもう一方の男にこう言った。「〜あおいちゃんと小さな事ですぐケンカ始まるから〜」その前後はわからない。歩いている僕に認識できたのはそこだけだ。そのまま僕は歩きながら、その「あおいちゃん」について考えた。その「あおいちゃん」がその誰かと一緒にいると、すぐにケンカをしてしまう様を、ちょっと想像してみた。で、その想像をしてから、ふと、よく以前飲みに行っていたバーNのTママさんのことを思い出した。そのママさんならば、このことをビールをおかわりしながらしゃべったりしたら、こう言うかもしれない。「ハハハッ、ゲンちゃんそれ、絵にして〜。 おあいちゃんが誰かとケンカしてるとこ。なぁ〜」言いそうだ。だから、絵にしてみた。 あおいちゃんは、「その誰か」と小さな事ですぐケンカを始める。 よし、ここからは勝手な想像で。あおいちゃんは、水玉が大好き。 それから、あおいちゃんは、ネコも大好き。 そして、あおいちゃんは、やっぱり「その誰か」と、どうでもいい小さな事ですぐケンカ始める。 それが、あおいちゃん。 もちろん、ほんとにこんな感じなのかどうかは、まったく知らないが、
とにかくそれが、あおいちゃん。そんなこんなです。
今週の中頃に、「ナンクロメイトDX」誌と「クロスワードメイトmini」誌の、イラストが完了。まず、「ナンクロメイトDX」誌のイラスト。
編集部からのお題は、「聴くと思わず 泣けてくる」↓ 編集部からのお題は、「晴耕雨読で のんびり暮らす」↓ 続いて、「クロスワードメイトmini」誌のイラスト。編集部からのお題は、「究極の選択に悩んじゃう アナタはどっち派?」↓ 編集部からのお題は、「昔は普通に使ったのに… これって死語だっけ?」↓ 編集部からのお題は、「独特の用語がいっぱい 山にまつわる言葉たち」↓ 編集部からのお題は、「野菜の雑学を学ぶ キュウリのマメ知識」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)で、例によって、パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。「キュウリ」<保守的思考をぶっとばせ>キュウリは、まず、お漬け物で食べる。僕は日本人なので、きっと生まれた我が家では、僕が生まれる前からキュウリの漬け物は食べていたのではないかと思う。それから、キュウリと言えばサラダ。僕の世代では、「子供の頃に親はサラダなんかまだ作ってくれへんかったでぇ」という人もそこそこいると思う。一般的には戦後しばらくしてからの家庭料理かもしれない。が、ウチの場合、母も一緒に暮らした祖母も(実の親子)、古くは居留地がありその後も外国人が多く住んだ、神戸の三宮の生まれ育ちだ。米英との戦争が始まり戦時体制に入るまでは、外国文化も街に多かっただろうし、きっと母などは僕が生まれるかなり前から、サラダは自分でも作ったりしていた可能性は高い。だから、その母に育てられているので、僕も離乳してまもなくサラダを食べている可能性が高い。ということで、この「日本のキュウリ2大食べ方」は、とりあえずクリアだ。(?) さて、お寿司のキュウリ。お寿司ではそれだけでのりを巻いた「カッパ巻き」があるが、我が家でキュウリだけの「カッパ巻き」が出てきたことがあるかどうか、ちょっと思い出せない。けれど、家では昔から、「巻き寿司」自体にキュウリを入れている。椎茸や卵焼きや穴子や高野豆腐とともに、細く切ったキュウリを入れて巻いている。今でも母はそうやっている。それから、酢の物のキュウリ。ワカメと一緒に。また、タコと一緒に。キュウリの酢の物はサッパリするので個人的に好きだ。あと、そんなに年中食べるものではないが、冷麺に乗っているキュウリ。まぁ、「酢の物」の変形と言えなくもないが、あれも忘れてはいけない。キュウリが乗っているのといないのとではサッパリ感が違う。あと、「生でかじる」ということのレパートリーではあるが、「そのまま味噌をつけて食べる」というのもある。さて、こんなものくらいか?子供の頃から馴染んだ食べ方は。そして、このくらいのレパートリーだけで食べる時期が、随分と長く続いた気がする。 で、その「安定保守体制」を、ここ10年くらいのうちにかなぁ、一挙に崩壊させた二つの食べ方がある。いや、あくまでこれは個人的にではあって、人によっては、「いやいやウチではもう先祖代々500年はそうやってますけどね!!」という人もいるかもしれないが、しかし、僕にとってその二つは、とにかくそこそこの年になってからの、「おお、そういう食べ方でもいけたのか!」であった。 一つは、「炒める」。中華の世界ではもしかしたら前からある様な気がするし、いつからか「ゴーヤーチャンプルー」が一般的になってからの、そういう流れもあるのかもしれない。とにかく、個人的にはそれまで馴染みが無くて、最初に「炒める」と聞いたとき、「えっ、そんなのアリなの?」と思った。「キュウリは水っぽくサッパリ」というイメージが、「炒める」のと一致しなかった。でも、やってみるとなかなかいい。もう今では違和感はまったく無い。慣れてしまえば、ヘンだと思っていた自分がなんだかとてもヘンに思える。そういうものだ。今ではたまにする。特に夏。シャッキリしていてビールにも合う。 そして、もう一つの食べ方が、「煮る」。トマトと洋風に煮てもおいしいし、味噌汁に入れたものも好きだ。だって、ウリなどを味噌汁に入れたりするのはアリなのだから、キュウリがあっても全然ヘンじゃない。あたまに「キュ」がついただけだ。白っぽい身の部分が柔らかくなって、食べ物としての印象が変わるところがまたいい。 以上、キュウリの「炒める」「煮る」は、まるで冷戦後の「ソ連」の無い世界がフツーになったように、もう個人的にもフツーの食べ方になった。 そもそも、キュウリというものは、そのままで食べると、さっぱりしていて口の中が気持ちいい。また、夏には体を冷やしてくれるという。が、「もう体が冷えすぎない方がいい」人には、そこが逆に難点だ。けれど、そういう人でも「炒める」「煮る」なら食べられるじゃない。ということで、頭柔らかく時代もかわって、「炒める」「煮る」でキュウリの幅も広がって、でもって、「価値観が変わっていくのもまんざら悪くはないなー」、なんて無理矢理結論にくっつけたりして、まぁほんと、いろいろ「楽しみ」も増えて、ヨカッタなーと思うのだ。 そんなこんなです。
ここ三日ほど、晴れていい天気だ。暑いくらい。それにしても、その前は本当に、雨とか曇りとか、晴れない日が続いた。そんな晴れない日々のうちのある日、住吉駅とその南のビルを結ぶ通路から六甲山を眺めると、雲(霧?)が山のてっぺんに覆いかぶさって、その下の端が煙りのように下方へ向かって、もわもわと流れるように動いていた。 見ると遠くからでもとても「感じ」のある光景だった。でも、こうやって写真に写すとどうもあの「感じ」が出ないな。 また、ある時は、道を歩いていて、あるマンションの周囲の植え込みが目にとまった。新緑なのと雨に濡れたのとの両方で、鮮やかで綺麗な明るい緑色だった。 そして、ふとその横あたりの植え込みの続きを見ると、こんな感じになっているところがあった。穴のようにボッコリと。 そもそも、マンホールで土が無いところだし、またマンホールの役目を邪魔しないように、管理者が刈り込んでもいるのだろう。周囲の葉の生命力の強い感じと、ボッコリとそこだけ抜けた空間が、なんともいい味を出している。禅寺の庭にあってもいい様な感じだ。それからあるときは、仕事の合間に、2月に伊丹市立美術館で買った、ずいぶんと前にそこで行われた展覧会の図録を眺めたりする。 また、晴れてはいないが雨では無い日などに、小さなベランダにチェアを出して、仕事の案を考えたり本を読んだりする。 それから、少しずつ進めている絵に手を加えたりする。「ああ、ここに背景に関係なく、 青をいれてみようか。 あ、なんかいいな。 うん、色は面白いなぁ」なんてやっていたりする。 また、あるときはどんよりとした空のもと、通りかかった近くのお寺の中にある、塀越しに見えている大きなお地蔵さんの後頭部を、写真で写してみたりする。
NO.0960 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅東口2015年4月15日 NO.0959 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅東口2014年9月2日 NO.0958 神戸市中央区北長狭通2014年10月8日 NO.0957 神戸市中央区北長狭通2014年10月8日 NO.0956 神戸市中央区北長狭通2014年10月8日 NO.0955 神戸市中央区北長狭通パイ山(さんきたアモーレ広場)2014年9月2日 NO.0954 神戸市中央区北長狭通パイ山(さんきたアモーレ広場)2014年9月2日 NO.0953 神戸市中央区北長狭通パイ山(さんきたアモーレ広場)2014年9月2日 NO.0952 神戸市中央区北長狭通パイ山(さんきたアモーレ広場)2014年10月8日 NO.0951 神戸市中央区北長狭通2014年10月8日 NO.0950 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅東口2014年10月8日 NO.0949 神戸市中央区北長狭通三宮阪急楽天地2014年10月8日 NO.0948 神戸市中央区北長狭通家族亭2015年4月15日 NO.0947 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅西口2014年10月8日 NO.0946 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅西口2014年3月6日 NO.0945 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅西口2015年4月15日 NO.0944 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅西口2014年9月2日 NO.0943 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅西口2015年4月15日 NO.0942 神戸市中央区北長狭通BRUGGE2014年9月2日 NO.0941 神戸市中央区北長狭通2015年4月15日 NO.0940 神戸市中央区北長狭通2015年4月15日 NO.0939 神戸市中央区北長狭通2014年2月26日 NO.0938 神戸市中央区北長狭通珉珉2015年4月15日 NO.0937 神戸市中央区北長狭通2014年10月8日 NO.0936 神戸市中央区北長狭通2015年4月15日 NO.0935 神戸市中央区北長狭通三宮阪急楽天地2014年9月2日 NO.0934 神戸市中央区北長狭通三宮阪急楽天地2015年4月15日 NO.0933 神戸市中央区北長狭通2014年9月2日 NO.0932 神戸市中央区北長狭通2015年4月15日 NO.0931 神戸市中央区北長狭通2015年4月15日 NO.0930 神戸市中央区北長狭通2015年4月15日 NO.0929 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅東口2014年9月2日 NO.0928 神戸市中央区北長狭通いかりスーパー2015年4月15日 NO.0927 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅東口2014年9月2日 NO.0926 神戸市中央区北長狭通蓬莱2015年4月15日 NO.0925 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅東口2014年10月8日 NO.0924 神戸市中央区北長狭通阪急神戸三宮駅2014年3月6日これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。それから、なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。そんなこんなです。
昨日、ちょっとだけ買い物がしたくて、ダタダッと大阪に行ってきた。2年ほど前に、大阪駅はすっかり変わってキレイにお洒落に、そんでもってデッかくなった。 1986年〜1992年にかけての、僕が大阪の専門学校へ学び直しのために入って通い、そのあと堂島近くの会社で働いていたあの頃とは、もう随分と変わった。そう思ったりもするが、そんなコトを言ったって、「今から25年くらい前のコトを言われてもナァ」と今の若いコなどは思うだろうなぁ、なんて思った。昔の自分に置き換えて、“そりゃそうだ。僕が大阪に来ていたあの25年前に、おなじように25年前のことを言われたとしたら、知らないよーとかきっと思うわなー”と思ったりした。しかし、さらに考えてみると、僕が大阪でアレコレしていた頃から、さらに25年前というと、1965年から70年くらいだ。うん、そのころの僕と言えば、芦屋の浜手でお菓子食べたり走ったりこけたり泣いたりしていた頃だ。大阪のコトは知らない。が、その、僕も知らない頃の、名残りのようなものが、僕が大阪で働いていたあの頃に、JRの近辺に全く無かった訳ではない。もっというならば、「戦後」からというようなものも、駅周辺の隅のあちこちにチラホラと残って、まだ、そこここにあったりした気がする。そこから比べると、ここ何年かの変わり方は「徹底的」という気がする。そして、こういう「ごっそり変わりよう」というのは、なんだか精神衛生上、あまりよろしくないんじゃないかぁぁ、と思ったりもするのだ。たしかに、オシャレにはなったけれど。こんなことを言うと、鼻から毛虫が半分くらい覗いているような人からは、「まぁそんなんゆうても仕方ないと思いますけどねぇぇ」と、砂を噛まされるようなコトを言われるかもしれないが、やはり、「少しでも情を持つ人」でありたいと、未熟ながらも希望する者としては、どうしようもないこととは言え、やはりそう思う。 さて、今日も、ダダダッと、急遽、買い物がしたくて、今度は神戸の三宮に行ってきた。 さぁ、この阪急「神戸三宮」だ。見ての通り、1995年の震災で駅ビルが倒壊して、その後に出来た仮の駅舎のままの、今では愛着さえわいている、小さな小さな神戸三宮だ。 周辺には、震災の前からあって残っている昭和からの感じが、 そこここにあったりする。けれど、これを「阪急電鉄さま」が残しておくわけはない。 数年前に、以前からの、「西宮北口」駅とその周辺の開発もほぼ終わったようだし、ちょっと前には、「梅田駅に接する阪急百貨店の改築」が終わった。そろそろ、阪急「神戸三宮」やんなぁぁ。きっと、周辺の古いところも全部ひっくるめて、やんなぁ。 もちろん、我らみんなの「阪急電鉄さま」なわけですから、「お客様の皆様に喜んでいただけるデッかくキレイでキンキラキンの立派なビルを建ててさしあげましょう。さぁ皆さんもとても、ウレシイでしょう? そうでしょう?」ってな訳で、そして、鼻からダンコ虫が半分くらい覗いているような人からは、「まぁそんなもんですやん、 そんなこと思ってもしゃあないと思いますけどねぇぇ」と思われるような、「人間味のある今の街が好きだ」とか言っている、心優しい人たちの思いなどはまぁポポイポイッーってなもんで、そういう訳できっときっと、ドンガラガンガンギンゴンガーンと、ステキでデッカくてキンキラキンな駅ビルが建つんだろうなーーー。わーーーい。そうでちゅか〜、よかったでちゅね〜。そんなこんなです。
なんだか、暦が「春」になってから、やたらと雨ばかり降っている気がする。 「去年はどうだっけ?」と思って、このブログの一年前を見なおしてみると、「タテパノラマ」の写真をアチコチで写し回っていた。アチコチ外へ行って写真を撮っていたということは、晴れていないまでもこんなに続いて雨ではなかったかもしれない。まぁ、でも、今年は何故か自分は、家の中でしたいこと(家の中でせざるを得ないこと)が、やたらと多い。そんな感じだからいいのだけれど。 そうか、そういえば、去年の3月あたりは、美術展や買い物などにも、よく出たりしていたか。今年も、3月はちょっと買い物などしたりしたが、ネットで買うことの方が多かったか。けど、もうちょっとしたら、もう少し外へ散策や買い物に出たいと。その時は、晴れてほしいと。 ここ2.3年と、それ以前とを比べて、少し変わったことといえば、「エンピツで字を書く」「エンピツや筆で絵を描く」「本を読む」という機会を増やしたことかな。それらはある時期からしばらく少なくなっていたこと。もうずいぶんと前に、パソコンに触れるようになって、いや、今でもパソコンには結構向かっている方かもしれないが、なんかやはり、「手」がいいと思うこのごろ。だからというわけではないけれど、スマートフォンにあまり熱心ではなくなった。まぁ、どうしても外ではある間隔で、アレコレのチェックはしたりしているが、「新しいアプリを入れてあーしてこーして」みたいな、そういう風にスマートフォンに注目する事はほぼなくなった。喫茶店に入っても、スマートフォンは最初にちょっとチェックしたら、あとは本を読んでいるか、何か書きものをしているか、考えをメモしたりしているか、ボーッとしているか。と、もう、「佐野はだいたいそんな感じのスタイル」であると、決めちゃってもいいんとちゃう?と思っている。 そんなこんなです。
なんかまた、寒い。4月の半ばにさしかかってるんやでーっ。わかってるかー?って思いながら、外を歩いた。でも、木々は、「新緑」な主張を全開で。 もっと季節が進むと、葉でビッシリと埋まって、先端あたりは枝が見えなくなるのだけれど。でも、今はまだ、葉と葉の間がスキマだらけだ。 光が沢山こぼれる。北側に連なる六甲山を見ると、霧? 霞?ふわっと斜め上に「煙」のように上って行く。寒そうに見える。 書店で、随分と久しぶりに、(雑誌は別にして)「新刊で発売されたばかりの本」を買った。昨日(4月9日)発売の、ほんとに出たばかりの。周防正行さん著の「それでもボクは会議で闘う」。 先日、ラジオで、映画監督(『Shall we ダンス?』など)の周防正行さんが出ていて、話を聞いていて興味をもって読んでみたくなった。これは「積ん読」をせずに、すぐに読もう。あんまり、いろんなことを追いかけなくはなったけれど、たまにはこういう「今現在のすぐのこと」も、いいかもしれない。さあ、このヒンヤリな感じが過ぎれば、本格的に春なのか?そんなこんなです。
3月半ばから4月のここまで。暖かさが来たりまた消えたり。寒さが戻ったりまた行ったり。気持ちも地味になったり明るくなったり。 頻繁にくしゃみを飛ばし、鼻をかみ。ようやく収まって。こんな感じです。
3月12日の記事で、たまに前を通るお地蔵さんの横の掲示板の、見る度になかなかにするどいことを書いている、「お言葉」を紹介した。その時のものはこうだった。 なかなかグサっとくる。で、この間またこのお地蔵さんの前を通ったら、その時の「お言葉」もなかなかに良かったので、紹介しようと思う。これ。 そう、ついね、「ワタシはあの人のためにあれやったこれやった」と、言いたくなる。評価を欲しくなる。それから、何かをしても全く評価どころか、周りの人や当人に「何かしたの?」みたいにされると、「せっかくやったのに面白くない」なんて、つい小さいことを思いがち。が、まぁ、いいじゃないか。どのみち、そういう「それがどうした?」みたいにする人こそ、実は何かすると、「ワタシこそやったやったやったんやんやんー!」なんてことばかり思っている人の場合も、まま多いので、ちょいとそこからは一歩置いて、それならいっそ、「自分が納得してやったことは、 自分の支えとなっているという自信になっていたらそれでよし」として、あとはなんじゃかんじゃ思わずに、他のタノシイことやウレシイことを思って、ニコニコしている方が、心にもいいってなもんでしょうねー。で、そうしていると、自然に別の、ちゃんと評価してくる人が寄ってきてくれるよな、気もするんよねー。経験から言うと。つまりは誰かに知ってもらったなんてことより、黙って自分を支える力にしたという方が何か呼び込んでくることもある、かもしれないと。もちろん、何も呼び込んでこなくても、支える力になるだけでも、それでいいならそれでいいのかもしれないしなー。まぁ、でも、正直言って、たまにはちょっとは人に知ってもらいたいけれどね。でも、そういう覚悟自体が結局、何かの力を自分の中に生むのだろう。| 支えて自分で立って〜♪/| ニョーニョーニョー〜♪/ そんなこんなです。
「スーパークロスワード」誌の次の次の号の、"なごむ亭元楽"名義のネコパズル完了。
それから、「はっぴい! アロー&スケルトン」誌のイラスト。
編集部からのお題は、「毎日乗っているけれど 通勤電車は第ニの我が家?」↓ 編集部からのお題は、「ヒマだな〜 テストの残り時間、どう過ごす?」↓ 編集部からのお題は、「解ければスッキリ! 数字ギライが直るかも…?」↓ そして、「まちがいさがしメイト」誌の、"なごむ亭元楽"名義のペンギンパズルと、 CHUN-CHUNのまちがいさがし絵。 (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)で、例によって、パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。「通勤電車」<今ではもう>そういえば、もう随分と長い間、「通勤電車」というものに乗っていない。ごくごくたまに、仕事や用事などで、丁度、通勤時間の電車に乗り合わせたりすることはあるけれど、ちゃんとほぼ毎日通勤という形で電車に乗るのは、もう20年以上無いなぁ。フリーになる前に働いていた会社でも、僕は契約社員だったので、他の社員と違って仕事が空いている時は平日に続けて休んだり、仕事量によっては早く出勤したり遅く出勤したりしていたので、ずっと毎日決まった電車という訳ではなかった。でも、その前のデザインの専門学校に入り直して通っていた時や、さらにその前の少しサラリーマンをしていた時代には、だいたい同じ時間の電車に乗ったりしていた。同じ電車に乗ると、同じ時間に乗ってくる人の顔を覚えたりする。ああいうのが、場合によっては、ちょっと楽しみだったりする。それから、これは同じ時間でなくてもそうなのだけれど、「最近の女性は、仕事に行く時にどんな格好をしているか?」とか、そういうことが解ったりする。今は自宅仕事で、最寄りの駅前を歩いたり、たまに、三宮などの繁華街に行ったりするけれど、住宅地が基本のエリアだけや、たまの街中では気づかないこともいろいろとある。そういえば、もう数年前になるけれど、東京に行った時に、まさしく朝の山手線の通勤ラッシュに乗り合わせたことある。「なんでこんな目にあわないといけないんだ?」と思うような目に遭わされる。たぶんあれは毎日乗っていないと、テクニックとかコツや身の置き場の感覚がわからない。だけど、ああやって毎日超満員の電車に乗っていると、定年になった時に、サミシクなったりしないのだろうか?「いやいや、アレに乗らなくて良くなってせいせいしましたよ」という人もいるかもしれないけれど、「なんか、超満員通勤電車が懐かしいなぁ」なんて人もいるかもしれない。ちょっと想像してみた。定年してから2年半。妻が友達と出かけて家に一人の昼下がり。ヒマだから、もう使わなくなったゴルフクラブだが、ちょっと久しぶりにスイングでもしてみるかと、彼は、廊下の途中にある物置の中に入った。すると、客用の布団がいくつか、くるくると丸めて紐でくくって縦置きにして並べてあった。「あいつは、まだこんなズボラなことをしたままなのか」と思いながら眺めていると、ふと、心に蘇ってくるものがあった。丸めて立てて並べてある布団と布団の隙間に体をグイッと入れてみる。「そうそう、こんな感じ。いや、こんなもんじゃない」体をもとに戻して並んだ布団の一方から押して、ギュッギュッと間隔をもっと狭めて、そして再び布団と布団の間に体を押し込んでみる。狭いところに無理矢理体を押し込んでじっとしているこの感覚。なんだか懐かしい。そう、ワタシはこういう状態になりながら、35年間会社に通いつづけた。そう、ワタシは頑張った。頑張ったよなぁぁ。うんうん、頑張った。そして、布団と布団の間に挟まりながら、しばらくそのままの姿勢でじっとしていた、彼であった。 なんてことも、あるかもしれない。| えーーっ! あるかぁぁぁぁぁ〜? /| ゴボゴボゴボゴボ / そんなこんなです。