昨日、
ちょっとだけ買い物がしたくて、
ダタダッと大阪に行ってきた。
2年ほど前に、
大阪駅はすっかり変わってキレイにお洒落に、
そんでもってデッかくなった。
1986年〜1992年にかけての、
僕が大阪の専門学校へ学び直しのために入って通い、
そのあと堂島近くの会社で働いていたあの頃とは、
もう随分と変わった。
そう思ったりもするが、
そんなコトを言ったって、
「今から25年くらい前のコトを言われてもナァ」
と今の若いコなどは思うだろうなぁ、
なんて思った。
昔の自分に置き換えて、
“そりゃそうだ。僕が大阪に来ていたあの25年前に、おなじように25年前のことを言われたとしたら、知らないよーとかきっと思うわなー”と思ったりした。
しかし、
さらに考えてみると、
僕が大阪でアレコレしていた頃から、
さらに25年前というと、
1965年から70年くらいだ。
うん、そのころの僕と言えば、
芦屋の浜手でお菓子食べたり走ったりこけたり泣いたりしていた頃だ。
大阪のコトは知らない。
が、その、僕も知らない頃の、
名残りのようなものが、
僕が大阪で働いていたあの頃に、
JRの近辺に全く無かった訳ではない。
もっというならば、
「戦後」からというようなものも、
駅周辺の隅のあちこちにチラホラと残って、
まだ、そこここにあったりした気がする。
そこから比べると、
ここ何年かの変わり方は「徹底的」という気がする。
そして、
こういう「ごっそり変わりよう」というのは、
なんだか精神衛生上、
あまりよろしくないんじゃないかぁぁ、
と思ったりもするのだ。
たしかに、オシャレにはなったけれど。
こんなことを言うと、
鼻から毛虫が半分くらい覗いているような人からは、
「まぁそんなんゆうても仕方ないと思いますけどねぇぇ」と、
砂を噛まされるようなコトを言われるかもしれないが、
やはり、
「少しでも情を持つ人」でありたいと、
未熟ながらも希望する者としては、
どうしようもないこととは言え、
やはりそう思う。
さて、
今日も、ダダダッと、
急遽、買い物がしたくて、
今度は神戸の三宮に行ってきた。
さぁ、この阪急「神戸三宮」だ。
見ての通り、1995年の震災で駅ビルが倒壊して、
その後に出来た仮の駅舎のままの、
今では愛着さえわいている、
小さな小さな神戸三宮だ。
周辺には、
震災の前からあって残っている昭和からの感じが、
そこここにあったりする。
けれど、
これを「阪急電鉄さま」が残しておくわけはない。
数年前に、以前からの、
「西宮北口」駅とその周辺の開発もほぼ終わったようだし、
ちょっと前には、
「梅田駅に接する阪急百貨店の改築」が終わった。
そろそろ、
阪急「神戸三宮」やんなぁぁ。
きっと、周辺の古いところも全部ひっくるめて、
やんなぁ。
もちろん、
我らみんなの「阪急電鉄さま」なわけですから、
「お客様の皆様に喜んでいただけるデッかくキレイでキンキラキンの立派なビルを建ててさしあげましょう。さぁ皆さんもとても、ウレシイでしょう? そうでしょう?」ってな訳で、
そして、
鼻からダンコ虫が半分くらい覗いているような人からは、
「まぁそんなもんですやん、
そんなこと思ってもしゃあないと思いますけどねぇぇ」と思われるような、
「人間味のある今の街が好きだ」とか言っている、
心優しい人たちの思いなどはまぁポポイポイッーってなもんで、
そういう訳できっときっと、
ドンガラガンガンギンゴンガーンと、
ステキでデッカくてキンキラキンな駅ビルが建つんだろうなーーー。
わーーーい。
そうでちゅか〜、よかったでちゅね〜。
そんなこんなです。