最初に。
今回のは長いです。
時間のない人と疲れている人は、
また別の時にでも、じっくりと。
僕がまだ小さな頃、
近くに海岸があった。
(↑1940年前後の芦屋浜)
丁度高度成長期で海は汚く臭かったが、
よく堤防から砂浜に降りてはそこで遊んだ。
釣りをしたりカニを取ったり、
走ったり相撲をしたり凧をあげたり。
夕方になると、
風に乗って家の前まで漂ってくる磯の香りは、
大人になってからも僕の臭覚の記憶として残っている。
今でも磯の香りがすると妙にホッとする。
時々、無性に海が見たくなるのもそのせいだ。
小学生の2年あたりになると、
浜では大がかりな埋め立て工事が始まり、
たしか高学年の頃にはある程度の埋め立てが進み、
海ははるか南に行ってしまった。
まだ建物が何も出来ていない広大な空き地が出来て、
その向こうの新しい海岸線まで行ってみると、
真っ白な堤防のあちら側にテトラポットが並んでいた。
足もとに注意しながらその上に立つと前に水平線が見渡せた。
そして、横を向くと遙か向こうまで、
テトラポットが整然と積み上げられて並んでいた。
僕がテトラポットを近くで見たのが、
それが初めてかどうかは定かではないが、
もっと小さな子供の頃にテトラポットに乗ったり、
中に潜った事がある様な気がするので、
初めてではなかったんじゃないかと思う。
けれども、あの時の、
あの横に真っ直ぐ向こうまでテトラポットが続く光景は、
今も印象として憶えている。
その後も、
その新しく出来た海岸線のテトラポットでは、
友達と登ったり降りたりして遊んだりしたし、
受験の頃は単語帳を持って憶えに行ったし、
若者の時は日焼けクリームを塗って寝転がったりした。
前回リンクで紹介した「テトぐるみ」。
もちろん他の人が感じるのと同じ様なキモチで、
あの佇まいをカワイイと思ったけれど、
もう1つ、
僕の中にあるそんなテトラポットの記憶が、
ちょっとくすぐられた。
「そうそう、キミたちはそうやって、
積み重なって、並んでたよなぁ」と。
普段は、
一般の人たちにはそんなに気にされる事もなく、
ただただ日本の海岸線に並んで、
高波の力を消しているのだ。
思えば、
ほんとうにいとおしい。
けど、
最近つくづく思うのだけれど、
テトラポットだけではない。
ありとあらゆるものは、
カワイクいとおしい。
いろんなモノ。
そこに佇んでいるもの。
動いたり動かされているモノ。
空や山や木や川や海。
建物や機械や道具や器具。
見ていていとおしくかわいい。
それから、
モノだけでなく、
もちろん。「生きもの」も。
何せ動くのだ。
犬や猫にいたっては、
なつかれたりしたらたまらない。
いや、
なつかなくったって、
動きを見ているだけで面白く、
いとおしくかわいい。
で、
究極は、
やはり「ヒト」だなぁ、
と、
最近思う。
「ヒト」はほんとにオモシロイ。
見ていて飽きない。
ほんとにいとおしくかわいい。
いや、
だからと言って、
僕は神さまでも仏様でもお坊さんでもない。
「全てのヒトに無償の愛を」なんてことはまず出来ないし、
また「人間関係」というのは時としてわずらわしいし、
どうしても合わないヒトや近づけない人や、
残念ながら付き合いが続かない人もいるたろう。
けれど、
そういうのはこっちにおいておいて、
見ているとほんとうに、
かわいくいとおしい。
だって、
洋服着て歩いているんやで。
一生懸命何かしてるんやで。
何かを見つめて何かしてるんやで。
喋りながら眼を動かしたりしてるんやで。
突然走り出したりするんやで、
カバンっての持って色んなモノと一緒に移動してるんやで。
何もしてなくても貧乏揺すりくらいはしてるんやで。
それから、
みんなどっかかやってきてひとところに集まって、
一緒に何かしてまたどっかにそれぞれ帰るんやで。
あっちから歩いてきてクルマの横に立って、
ドアを開けたなぁと思ったら上手に運転して走ってどっかいくんやで。
じっと立ってるなー携帯見てるなーとか思ってたら、
向こうからもう一人やってきて手を挙げたなぁと思ったら、
今度は2人で笑いながら一緒の方向にいっちゃうんやで。
こどもはもちろん、
かわいくて見ていておもしろいけれど、
おにいちゃん、おねえちゃん、
おじさん、おばさん、
おじいさん、おばあさん、
大人だって見ていてオモシロイ。
一生懸命自分の仕事やスポーツをしている人とか、
リラックスしてノンビリしている人とか、
誰かを楽しませるような事をしている人とか、
誰かに楽しませて貰っている人とか、
悪いコトやアヤシイコトをしていそうな人までも、
アレコレ何かしている様を見ていると、
やっぱり、
面白くてかわいくて、
いとおしい。
ここまで読んで、
「それはお前もとちゃうんか?」と思ったアナタ。
とても正しい。
そう、僕も含めてだ。
もし仮に、
僕のコトをこっそり知っている人たちが、
アチコチに沢山いたとしよう。
その人たちの誰かが、
僕のマンションの前を通りかかって、
ふと見たら僕がベランダで洗濯物を干していたら、
「あ、あいつ、洗濯物干してるー、ふふふふ」
なんて感じできっとタノシイだろう。
車を運転して走っていて交差点でふと見ると、
僕が眠たそうなサバのような眼をして信号の前で立っていたら、
「あ、あの人、あんなところに立ってる立ってる、ふふふ」
と楽しく運転してしまうだろうと思う。
このあたりとか三宮とか大阪とか歩いていて、
僕がぼんやりヒョコヒョコと前から来るのを見かけたら、
「あ、歩いてる歩いてるー、ふふふふふふふ」
なんて感じでニコニコしてしまうと思う。
東京とか京都とかどこか遠い街とか空港なんか歩いていて、
僕がひょっこり歩いているのを見かけたら、
「あ、こんなところをキョロキョロ歩いてる歩いてる、うふうふふふ」
ときっとオモシロイだろうと思う。
もしどこかの食べもの屋の前を通りかかった時、
僕が椅子に座って「焼き肉定食」なんか食べていたら、
「あ、モグモグ食べてる、あはははは」
ときっとタノシイと思う。
もしどこかで立っていてふと向こうを見ると、
僕が向こうの道を歩いていて背の低い木の枝にアタマをぶつけたら、
「あははは、アタマぶつけたよ、帽子とばしたよ、ひゃはははははー」
ときっとタノシンデしまうだろうと思う。
もしそのひとたちが何人もいる店に、
僕がひょっこり入って行って何かしてたりすると、
「おぉぉっ、あいつがきたよー、ははははーあんなコトしてるよー」
と盛り上がっておもしろいだろうと思う。
もしそのうちの誰かが僕の部屋を向こうから覗いていて。
僕が部屋の中でいろんなことをしているのを〜、
もういいか、
キリがない。
とにかく、
そんな時の僕は、
きっとかわいいと思う。
で、
さらに、
だ。
もし神さまみたいな誰かがいて、
その人たちのさらにななめ後ろあたりから、
こっそりその人たちのコトを見ていたとしたら、
僕を見てよろこんでいる様子を見て、
「あっ、佐野を見てよろこんでるよろこんでる」と、
やっぱり、
「かわいいなぁ」と思うんじゃないかと思うのだ。
絵にすると、
こんな感じ。
そんな風に、
このヨノナカに生まれた、
ありとあらゆるものが、
そして、
特に「ヒト」が、
オモシロクて、
いとしくかわいいと思うのだけれど、
どうだろう?
そして、
そう思うと、
何があっても、
どんなヒトでも、
ちょっと親しみが湧く気がしたら、
少しはラクなキモチになれると思うのだけど、
どうだろう?
またまた、
signo ブルーブラックと共に。
そんなこんなです。