いよいよ7月。
昨日1日の昼、
4月5日の記事「弓弦羽神社のサクラを見にいく。」でも紹介した、
弓弦羽(ゆずるは)神社にちょっと寄ったら、
境内に「茅の輪(ちのわ)」があった。
そうか、
6月30日に「大祓(おおはらえ)」があったのだな。
「茅の輪」をくぐって無病息災を祈願をする行事。
いよいよ本格的な夏がくる。
今日エアコンも掃除した。
「スキな人は好き」な、
「キライな人は嫌いな」な、
「別にどっちでもない人はどっちでもない」な、
季節がいよいよやってくる。
「なごむアトリエ」をやり始めた頃にメールをいただき、
それ以来たまにやりとりをしているYさんのブログを見たら、
前回30日の記事「1並び」の内容に関することが書かれてあった。
小学校の先生をしているYさん。
Yさんは僕が記事で書いたこの部分、
そんでもって、 もっとウレシイ「ラッキー」は、
そういうささやかなキモチを共感できる人と、
知り合ったり一緒に過ごしたりするコト、
だなぁ、 と思ったりするワケです。
この部分に触れて、
こう書いてあった。
子どもたちの中には、せっかくこういうささやかな幸せを感じているのに、そのことが価値が低い事だと思い込んでしまう子が時々いるのです。何か特別な事であったりすごい事でなければそのことに意味がないと思っているのです。。
そうかぁ。
そういう子供の周囲のオトナが、
まずそうなのかもしれないなぁ。
とくに近頃のヨノナカは、
「実利と欲望だけを追っかけている」か、
「身近な小さなことに目をやる余裕がない」か、
どちらかに偏りがちな感じがする。
もちろんそれを批判や否定をするつもりも権利も僕にはないけれど、
なんだか近頃は、
そんな印象がある。
けれどさ、
まぁ、もともと「ささいなコトにはいっさい喜べない性格」なら仕方ないけれど、
でも、せっかくそういうキモチももっているのなら、
もったいないよ。
チビッコちゃん。
僕が思うのは、
「11:11」にしても、
「お金」にしても、
100年たてばどのみち「まぼろし」。
そういう意味ではまったく一緒なんじゃないかと思う。
価値はほとんど変わらない。
それならば、
同じように、
楽しめるんならば楽んでいいんじゃないかと、
そんな風に思う。
それに、
「手に入れたものや守ってきたものを何かの拍子で失った時」、
そのあとの日々を過ごすにおいて、
「ちょっとしたささいなコトで喜べるかどうか」が、
これが結構大きいんじゃないかなぁと、
そんな風にも、
思ったりする。
そのYさんのブログ記事はこちら。
「石橋を叩いて壊すオトコ」
7月1日の記事/
「ささやかな気持ちを共感できる人」。
そういうコトをマジメに思いつつも、
昨日買ったさくらんぼが、
とてもおいしい。
そんなこんなです。