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Hajime Sano
まずは、『クロスワード On!』誌のイラスト完了。編集部からのお題は、〝 明日の天気はどうですか? 〟↓ 編集部からのお題は、〝 つい言いたくなる ダジャレ 〟↓ 編集部からのお題は、〝 マスの中に何コいるかな? 子だくさん!? 〟↓●それから、『はっぴぃ アロー&スケルトン』誌のイラスト完了。編集部からのお題は、〝 実力派の俳優さんに注目! おんな城主直虎 〟↓ 編集部からのお題は、〝 一風変わったオモシロさ トンデモ祭り 〟↓ 編集部からのお題は、〝 笑って笑ってお腹がいたい!? イタリアのコメディ映画 〟↓ ●『スーパークロスワード』誌の、〝なごむ亭元楽〟名義の探し絵パズルが完了。「ネコパズル」↓ (C)Hajime Sano(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)●さて、もうちょっとで6月。いよいよ夏本番に進む空気と湿度と日差し。近頃はイラスト仕事以外の絵が描けていなくて。いかんなぁいかんなぁとじりじりと。水を替えずに使わずそのままおいていたら、蒸発してちょびっとになっている筆洗いの水。 かわりに、イラストの仕事で大活躍で、どんどん減っていく仮止めテープ、スコッチ愛してながーく愛して。 メモはいつからか自分でカットして、小箱に入れておいて使うオリジナルなヤツで、 昔はゼッタイこういうのは続かなかったが、今は予定を週間にするやり方でおちついて、もう6年くらいは終われば赤で✓、✓、✓の形。何をやったかがわかり「やった感」があって、「この一週間何をしたか頭の中が空白ーーっ」が防げて。 スマホでは「音楽を聴く」はやらずにいたが、ちょっとヘッドホンも一緒に持っていくことを、してみよーかと思いたち。の、そんなたち。英語もこれで聴けるかと。 メンタームとメンソレータムでは、昔メンソレータムを出していた近江兄弟社の、メンタームをひいきにしていて。の、そんなたち。 エアコンというのは他の家電に比べると昔より、そうは安くなっていない気がするけれど、どうなのか?でも、リモコンは小さくなった。 シャーペンをやめて鉛筆にしてから、もう6.7年。鉛筆は、いい。懐かしい金属のキャップも買ったりして。 こうだ、どうだ、さあ、来い、夏!の、そんなたち。That's all for now.✓
2014年からこのブログで始めた、写真のカテゴリー「タテパノラマ」の中で、2015年の秋からやっていた「芦屋編」。僕が3才から育って、震災前まで実家のあった芦屋の街を歩いてめぐって、出来るかぎり僕の知っていたあの街を、自分の納得できる範囲での芦屋全域を写して回って、「タテパノラマ」にも掲載し終えました。「芦屋編」は完了しました。ので、「タテパノラマ」の中の「芦屋編」分だけを、さらにもう1つカテゴリーとして、ここに集めました。では、芦屋の街のタテパノラマをご覧ください。●
そんなこんなです。That's all for now.✓
まずは、『ラッキー! クロスワード』誌のイラスト完了。編集部からのお題は、〝 吾輩はイケメンである 意外にも男前な文豪 〟↓ 編集部からのお題は、〝 お散歩大好き 浜辺のカニ行進♪ 〟↓ 編集部からのお題は、〝 虫+土+土=蛙 のように漢字を組み立てよう! 〟↓ ●それから、『絶品ナンクロメイト』誌のイラスト完了。編集部からのお題は、〝 朝ご飯の定番メニュー 〟↓ 編集部からのお題は、〝 米国初の造語です!? フィンテック 〟↓ 編集部からのお題は、〝 腹が立って仕方がない! 〟↓ (C)Hajime Sano(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)●スマホの後ろの、ケースの中っかわに、ふっと思い立ち、自分のところの家紋を、(プリントしたもの)挟んでみた。 なんだか、タバコ入れだとか印籠とか、そんな風に見える。はたまた、変身ヒーローの、変身用アイテムみたいにも見える。カッコいいような、カッコ悪いような、はたまた、ちょっと怖いヒトのような。ヘーンシーン、カモンレンジャー、マルニケンカタバミーーーーーーー!参上ーーっ!!ハッ。そんなこんなです。That's all for now.✓
『スーパークロスワード』誌のイラスト完了。編集部からのお題は、〝快適に乗り切りましょう 夏だから! どうする?〟↓ 編集部からのお題は、〝刺されると危険な場合も… 野外ではハチにご注意を〟↓ 編集部からのお題は、〝真夏でもキモチよく! 暑さを乗り切る納涼術〟↓ 編集部からのお題は、〝風味が豊かでのどごしも 夏は冷やしでツルツルと〟↓ (C)Hajime Sano(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)●日差しがグッと強くなってきた。 ほんとにちょっと前までどんよりヒンヤリとしていて、いや、今でもなんだかたまに、空気がヒヤッとしている時もあるのに、日差しときたらもう一挙に夏っぽく。ギアをいっぺんに2つ程あげたような。「ここ数年の君は、極端なんや、ほんまにー。 あー、振り回すタイプやなー?」と空に向かって思う。 コップに付く水滴を見てても、もう夏っぽいなぁ。まぁ、もう雑誌のイラストでは、「バリバリ、夏盛り」なイラストを描いたりしているので、もうキモチ的にはどんどん夏に行っちゃってるけど、でも、布団はまだ冬仕様だぞ。なんだそれは! でも、食べ物はおいしくなるなー。空豆、枝豆、ししとう、とうもろこし、みょうが、トマト、キュウリ、ナス、甘夏、スイカ、桃、ぶどう。待ってろ!食べたるぞ。そんなこんなです。That's all for now.✓
ゴールデンウイークが始まってすぐから、ずっと「タテパノラマ 芦屋編」をアップしていたので、ここには載せていなかったのだけれど、イラストの仕事もちょこちょこやってました。ので、その紹介。●まずは、『文字の大きなクロスワード』誌の、〝なごむ亭元楽〟名義のイラスト迷路が完了。「習いごとが大好き」。↓ ●続いて、『クロスワードエンタメ』誌のイラスト完了。編集部からのお題は、〝わかるかな~? なぞなぞで頭ストレッチ 〟↓ 編集部からのお題は、〝きちんと管理 数字にまつわる〟↓ 編集部からのお題は、〝 酒は飲んでも飲まれるな 〟↓ 編集部からのお題は、〝 海外旅行のお土産といえば 〟↓ ●そして、問題自体も自分で考える、〝なごむ亭元楽〟名義の探し絵パズルが完了。「ヒーローパズル」の、〝ウルトラコンビニ7〟。↓ (C)Hajime Sano(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)●さぁ、ゴールデンウイークも終わったし、 近頃ではすぐに夏っぽくなるとはいえ、 でもまだ「盛夏」というほどでもなく、 「時々ちょっと夏っぽい」くらいの感じを、 しばし楽しみつつ行きましょう。ほんと、じきに、すぐ「夏ーっ」になるので。ちなみに、「空豆」は、英語では「Broad beans」というそうです。決して「Sky beans」ではありません。そんなこんなです。That's all for now.✓
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、宮川と阪急の線路の交わった所すぐ北側にある、「いかりスーパー」から山手に上っていって、かつての「市民プール」から「芦屋神社」を経て、ウチのお墓のある霊園までです。そして、いよいよタテパノラマの「芦屋の街」編も、今回でおしまいです。もう今後、お墓の整備やその時利用する駅周辺や、芦屋美術館やどこか特定のお店の利用や、それから誰かと芦屋で会うことになった、とかそういう場合以外では、芦屋をここまでアチコチ歩き回ることは、もう多分今後二度と無いでしょう。ひとまずこれで、個人的な、「育った街芦屋」への、恩返し的振り返り総まとめもキモチ的におしまいです。さあ、次に行きます。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1720 芦屋市劔谷芦屋市霊園2014年04月18日(*↑ 〝芦屋編〟の一番最後はウチのお墓です。この日本のヨノナカには「お墓をブログのああいうところにああいう風に載せるって、どうなんでしょうかねぇぇ〜」とめんどくさいコトを言うような人もいるのは知っているので、載せるのはどうしようかなぁと思ったのだけれど、やはり今回の〝芦屋編〟の締めくくりの一番最後としてはここしかないなーと思い、載せます。それにここは、ただ単なる「家のお墓」ということにとどまらない個人的な思い入れがあります。2012年の5月に僕はこのお墓の敷地を一人で整備しました。それまで家族で墓参りなどはしてましたが、敷地は墓を作ったときのままで、大がかりな整備や細やかな手入れはしていなかったので結構荒れていました。芝が入り込んで根をはったり、植えているサツキが一部枯れたりスカスカになったりしていて。ふと、「これはちゃんとしておいた方がいいなぁ」と、〝ごく自然なコト〟を思いつきました。しかし、業者さんに頼むのもきっとお金がかかるだろうし、僕は自由業で時間はなんとかなるので自分でやろうと思い立ち、ほぼ毎日通って半日ほど作業して帰ってくるということを続けました。土を掘り起こして、入り込んでいた芝や、傷みがひどくいびつになった木は取り除き、ふるいにかけて土と玉砂利とゴミは分けて、そのあと土をまず戻し玉砂利も洗ってからその上に戻し、さらに新たに玉砂利を買い足して敷きました。植木もいけそうなものはやり方を調べて見よう見まねで剪定をして、さらに新しい植木も追加で買って植えました。そんな感じで約一ヶ月、仕事もしつつなのでタイヘンだったけれどなんだか終わるととても充実した日々でした。そう、だからその作業をしている間、お墓の下にいる人たちもずっと見ていてそれは知ってくれているワケなので、まあここにこうしてお墓の写真を載せたとしても、きっと「そんなんぜんぜん、ええねんでぇー。逆に、もし何やかんや言う人がおったら、ワタシらが守ってあげるからなー」と言ってくれるんじゃないかとなぁ、と思ったりするのです ) NO.1719 芦屋市劔谷芦屋市霊園2015年11月11日(*↑ このお墓を作ったのは、僕が小学6年か中1くらいだったかと思います。それまでひいおばあちゃんの田舎の加古川にあったお墓を、住んでいる芦屋に移す話になりました。そして、この霊園の敷地の抽選会の日に、母に付き添って僕もこの霊園まで来たのでした。抽選の前に二人で「どこにしようかー」と更地を見て回ったりしました。それを思えば、ここは母以外の他の家族親族よりも、縁と思い入れがあってのちに自分で整備するまでになったのも、なんとなく今、納得したりするのです )NO.1718 芦屋市劔谷芦屋市霊園2014年04月18日NO.1717 芦屋市劔谷芦屋市霊園2014年04月18日NO.1716 芦屋市劔谷芦屋市霊園2015年11月11日NO.1715 芦屋市劔谷芦屋市霊園2014年04月18日NO.1714 芦屋市劔谷芦屋市霊園2015年9月15日NO.1713 芦屋市劔谷芦屋市霊園2015年11月11日(*↑ このなだらかな階段は昔からあります。ごく小さな子供の頃に、近所の母親の友だちの大野さんと一緒に遊びにきて、ここを駆け回ったのを憶えています )NO.1712 芦屋市劔谷芦屋市霊園慈光観音2015年11月11日(*↑ 観音さんです。祖母はここに来ると必ずここもお参りしていました )NO.1711 芦屋市朝日ヶ丘町芦屋市霊園2015年11月11日(*↑ 霊園の正面入り口から入ってすぐのあたりです。この霊園は、春になると全体的に桜がとても綺麗です )NO.1710 芦屋市朝日ヶ丘町芦屋市霊園2015年11月11日NO.1709 芦屋市朝日ヶ丘町芦屋市霊園2015年11月11日NO.1708 芦屋市朝日ヶ丘町さくら参道2016年4月15日(*↑ 霊園に続いている坂道です。坂の下から上を見ています。突き当たりの霊園正面を右に曲がってまっすぐに行くと、「兵庫県警察学校」があります )NO.1707 芦屋市朝日ヶ丘町さくら参道2016年4月15日(*↑ 坂の上から下を見おろしています )NO.1706 芦屋市朝日ヶ丘町さくら参道2016年4月15日(*↑ 霊園に続いているこの坂道は、昔から春になると両脇に桜が綺麗に咲きます。今は「さくら参道」という名前もついているんですねぇ )NO.1705 芦屋市東芦屋町芦屋神社2015年9月15日(*↑ 芦屋神社です。子供の頃はよく家族とお正月にお参りに来ました )NO.1704 芦屋市東芦屋町芦屋神社水神社2015年9月15日(*↑ 芦屋神社内にあるこの水神社は、なんだか独特の空気を放っています。写真でも「見るからに」でしょう? )NO.1703 芦屋市東芦屋町芦屋神社遥拝所2015年9月15日NO.1702 芦屋市東芦屋町芦屋神社2015年9月15日NO.1701 芦屋市東芦屋町芦屋神社2015年9月15日NO.1700 芦屋市朝日ヶ丘町朝日ヶ丘公園2015年9月15日NO.1699 芦屋市朝日ヶ丘町朝日ヶ丘公園プール2015年9月15日(*↑ 昔はただ「市民プール」と呼んでいました。当時は芦屋の市営プールはここだけでしたので。今は新しい埋め立て地の方にも市営プールが出来ていて、そちらを「海浜公園公園プール」、そしてこちらを「朝日ヶ丘公園プール」と呼び分けているようです。このプールは、原作が村上春樹さんのデビュー小説で、監督が芦屋育ち在住の大森一樹さんの映画『風の歌を聴け』のロケでも使われていました。僕がこのプールで最後に泳いだのは、たしか20歳ちょっとすぎくらいだったと思います )NO.1698 芦屋市朝日ヶ丘町朝日ヶ丘公園プール2015年9月15日(*↑ 入場口ですが、昔はこんな綺麗な建物じゃなかっと思います。よく小学校の友だちと泳ぎに来ました。今でも中のプールの感じとかだいたい憶えています。自転車でも来たことがあるけれど、ここは坂の上にあるので行きが結構大変なんですよねぇ。でも自転車だったにしても、また歩いてきた時でも、子供同士わぁわぁ言いながらだとすぐ着いちゃうんですけれど。あの頃はこの入り口の道を挟んで正面に、小さなお店がありました。たぶん夏だけの簡単な造りのお店だったと思いますが、そこにはお菓子やジュースと共に「おでん (関東炊き)」が売ってました。プールの後の唇もちょっと紫になったりしている冷えた体に、「おでん」は最高においしかったのを今も覚えています )NO.1697 芦屋市岩園町いかりスーパー2016年4月15日(*↑ 1977年だから僕が高校生くらいに出来た、阪神間〜神戸では有名なスーパーの芦屋店です。まだ「スーパーと言えば安い」というだけのイメージだった頃に、質の高いものを提供するスーパーとして少しずつ店を増やしていきました。いわゆる「高級スーパー」とも呼ばれていますが、ウチの母親は別にそうだからというワケではなく、質のいいものがあるのを好んでここをたまに利用していました。でもほんとうに、安売りスーパーに比べると値段は少し上ですが、いいものが置いていたりしていて、オリジナル加工品なども美味しいものがあったりします。僕は個人的には、アルミの容器に入っていてオーブントースターなどで焼く、いかり製の「グラタン」や「ドリア」が大好きです )NO.1696 芦屋市岩園町いかりスーパー2016年4月15日NO.1695 芦屋市岩園町いかりスーパー2016年4月15日NO.1694 芦屋市岩園町いかりスーパー2016年4月15日(*↑ 手前の川は、宮川になります )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。それから、なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。そんなこんなです。
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、ラポルテ及びJR芦屋駅モンテメールの1階から、その周辺のお店などを見て北へ行きつつ、宮川沿い阪急の線路南の神戸屋レストランまでを。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1693 芦屋市大原町神戸屋レストラン2016年4月15日(*↑ 神戸屋レストランです。パンとレストランのお店です。いつごろからか忘れましたがここにあります。1980年代後半〜90年代くらいかなぁ。でも、この有名なチェーン店は、本社も発祥も神戸じゃないみたいですね。ずっと知らなかったのです。名前は神戸ですが )NO.1692 芦屋市大原町神戸屋レストラン2016年4月15日NO.1691 芦屋市大原町田中千代服飾専門学校跡地2016年4月15日(*↑ これを書いている現時点からの10数年前までここに「田中千代服飾専門学校」がありました。田中千代さんというのは、日本ではじめてファッションショーを開いた服飾デザイナーさんで、昭和天皇の皇后さまの衣装デザインも長年担当された方です。1947年に、神戸にあった洋裁研究所をここに移し、その後ここで学校法人「田中千代学園」を設立しました。で、実は僕の母親がその学校の出身です。戦後しばらくの頃に神戸の家からここへ通っていたそうです。この学校を出てからオーダーの洋装店の縫い子をしたり、結婚後も家で洋裁を教えたりしていました。ここ出身だということは何度も聞いていたので、ここにあった学校の前を何かの機会で通るたび「ここに行ってたんだー」なんて思ったりしたものです。2000年代に入って東京校に統一されて、そちらで「田中千代ファッションカレッジ」として現在も存在しているようです。跡地は今はマンションが建っています )NO.1690 芦屋市大原町2016年4月15日(*↑ ここには昔からお店が数件並んでいます。かつてのコープさんを北にまっすぐ進んで50メートルくらいのところです。で、今はどちらも無くなっていますが、昔は一番北のお店がジーンズ・ショップ、一番南にレコード・ショップがありました。そのレコードショップは当時芦屋では数少ないレコード屋さん、もしくは時期によってはもしかしたら唯一のレコード屋さんだったかもしれません。中学くらいの頃にそこで何枚か買ったことがあります。当時を知っている人なら分かるかもしれませんが、あの頃の個人営業のレコード屋さんはなんだか独特の雰囲気がありました。「お願いすれば視聴させてくれる」というのは聞いて知ってましたが、子供の僕にはそんな勇気は出ませんでした )NO.1689 芦屋市大原町牛たん虎2016年4月15日(*↑ 牛タンのお店です。一度入ったことがあります )NO.1688 芦屋市大原町洋食館たけぞの2016年4月15日(*↑ ここもNO.1667の「ホテル竹園芦屋」がやっている、庶民的で入りやすいレストランでしたが、これを書いている2017年現在の3月に閉店したそうです。2006年夏から1年間芦屋に住んで居た頃に何度も食べに来ていました。そのあるとき、下のカウンター席でランチを食べていたら、なんだかスゴイ勢いのオーラを発した女性2人組がカツカツカツと入ってきたと思ったら階段を上がって2階席に行き、1階席まで聞こえるような大きな声で誰かの事で二人でずっと口悪く文句を言っていた、というようなことがありました。「へぇー、そうかーそうなんやーそういうことなんやー」とフンフンと思いながら聞いていた(というか勝手に耳に入ってきた)、そんなことがあったのをよく憶えています。彼女たちは今、ニコニコとステキにしているでしょうか? )NO.1687 芦屋市大原町谷村皮膚科医院2016年4月15日(*↑ この皮膚科の谷村さんは、子供の頃から親に連れられてきていたお医者さんです。高校時代に目の上に大きなイボが出来た時も、ここで取ってもらったりしました。当時は古い木造洋館風の医院で、西洋人形などが飾ってあったりして子供には少し不気味に感じるようなお屋敷でした。大人になってからは全く来たことがありませんでしたが、今風な建物に変わってました。もしかしたら阪神淡路大震災の時にあのお屋敷は被災した、とかなのかもしれません )NO.1686 芦屋市大原町ラポルテブルックリンカフェ2016年4月15日(*↑ バーです。一度入ったことがあります )NO.1685 芦屋市大原町ラポルテ生そば江戸2016年10月14日NO.1684 芦屋市大原町ラポルテあしや竹園2016年10月14日(*↑ NO.1667の「ホテル竹園芦屋」のそもそもの本業の流れの精肉店です。もちろんお肉を買い求める人が来るのですが、ここはコロッケも有名です。かつて、母親が家によく買って帰ってきていた頃は、本当においしいコロッケだと思っていました。よく言いがちなことですが、昔よく食べていた人間からすると「最近はそうでもない気がする」です。でもまぁ、他と比べると今でも美味しいコロッケだとは思いますよ )NO.1683 芦屋市大原町ラポルテ東館2016年10月14日(*↑ ここの中に生協のコープさん(コープデイズ芦屋)があります )NO.1682 芦屋市大原町ラポルテティールーム・ユーカリ2016年10月14日(*↑ ラポルテ1階の、NO.1666と同じく「ユーカリ」の名のつくお店です。2階の以前中華店だった「ユーカリ」は今は「カフェ・ユーカリ」。こちらは「ティールーム・ユーカリ」。同じ様な違うようなそんな名前です。場所的にも上下で同じ位置にあるのではないかと思います。もしそうなら、中は階段かエレベーターで繋がっているのかなぁ、などと色々想像したりしています )NO.1681 芦屋市大原町ラポルテ堀萬昭堂2016年10月14日(*↑ NO.1462の大桝町の文具店・堀萬昭堂の支店です )NO.1680 芦屋市大原町JR芦屋駅2016年10月14日NO.1679 芦屋市大原町モンテメールCafe Comfort2016年10月14日(*↑ NO.1656の喫茶店Cafe Comfortの1階からの入り口です )NO.1678 芦屋市大原町モンテメールパフィオドニラク2016年10月14日(*↑ モンテメールが出来た時からこの1階にある花屋さんです。何度か買ったことがあります。神戸岡本にある花と植木の店「二楽園 (にらくえん) 」の支店だと思います )NO.1677 芦屋市大原町三井住友銀行2016年10月14日NO.1676 芦屋市大原町JR芦屋駅2016年10月14日NO.1675 芦屋市大原町ラポルテ2016年10月14日(*↑ この正面に見えるのは宝くじ売り場です。今でもこのあたりに来るとたまに買ったりしています )NO.1674 芦屋市大原町ラポルテ2016年10月14日(*↑ お墓の整備に行く時にJRを利用した場合は、ここからタクシーに乗ります )NO.1673 芦屋市大原町ラポルテ2016年10月14日(*↑ 「ラボルテ」の2階から下に降りる階段です )
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、JR芦屋駅ホームから、駅ビル「モンテメール」へ、そして駅北側の商業施設「ラポルテ」の2階エリアです。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1672 芦屋市船戸町2016年10月14日(*↑ JR芦屋駅北側の「ラポルテ」2階の広場通路から駅ビルの「モンテメール」を見たところです。正面に見える「モンテメール」の屋上ではかつてビアガーデンをやっていました。しかしビアガーデン自体が一時廃った時代があり、無くなりました。その末期頃に、地元の友だちと一度飲みにいったことがありますが、サミシイ場内と、スニーカーの後ろ部分を踏んだ愛想の悪いいかにもアルバイトの兄ちゃんがちょっと侘しかったのを憶えています。ここ数年またビアガーデンは盛り返してきていますが、この「モンテメール」屋上は再開はしていないんじゃないかと思います )NO.1671 芦屋市大原町ラポルテ2016年10月14日(*↑ 「ラポルテ」の2階広場通路から下の南北の通路を見たところです。この下、正確に言うとこの通りからもう1つ分西の建物と建物のスキマみたいな通路の位置には、1990年頃に「ラポルテ」が出来る前までは駅から北へと向かう中心的な道路がありました。竹園旅館の出入口があって、甲子園球場で試合があるときに定宿にしている読売ジャイアンアンツのバスが停まって、選手が乗り込んだりファンも群がっていたりしました。一度ファンの人たちの間から王選手をチラリと見たことがあります。他に三宮に本店のあったケーキ屋「G線」の支店があったり、芦屋で最初のレンタルレコードの「REIKODO」があったり、ブティックやコープ神戸(くみあいマーケット→神戸生協)が並んでいたりした道でした。さらに古くはコープさんの南角に「不二家」があってペコちゃんが首を振っていたこともありました。そして、このちょっと東側には「大原市場」という市場が南北に通っていました。この周辺はほんとに変わりました )NO.1670 芦屋市大原町ラポルテ2016年10月14日NO.1669 芦屋市大原町ラポルテ2016年10月14日(*↑ 「ラポルテ」の東館です。コープ神戸が「コープDAYS」として入っています。たしかここで営業を始めたのは1990年くらいではなかったかと思うのですが、もともとコープはもう少し北側に3階建ての建物でやっていました。当時のそこのコープ(くみあいマーケット)はこのあたりではかなり大きいコープで、衣類や生活用品から雑貨や書店や画材やカメラもある、その頃としては充実した商業施設だったと思います。ソフトクリームを売っているコーナーがあって、よくねだってそこで「ミックス」ソフトクリーム (バニラとチョコが半々になって渦巻いている)を買ってもらうのが楽しみでした。また、年末の買い物を必ずそのコープに行っていた時期があり、当時はどこも正月は一週間ほど休みだったことから(他もだいたいそうでした)、その時だけは「オヤツは好きなだけ買ってええよ」とお許しが出て、いつもより多くのお菓子をカゴに放りこめるのがウレシかったりしたものです )NO.1668 芦屋市大原町ラポルテ2016年10月14日NO.1667 芦屋市大原町ホテル竹園芦屋2016年10月14日(*↑ 昔から今も、読売ジャイアンツの関西遠征時の宿泊所となっている「ホテル竹園芦屋」です。また、甲子園での高校野球の球児たちも宿泊するところです。昔は「竹園旅館」という名でした。そもそも最初は精肉店から始めたといいます。今もラポルテの1階に竹園の精肉店があります。また昔は、コープさんの近くに竹園の「お好み焼き」屋さんなどもあって、たしか子供の時に家族と一度程入ったように思います。今ホテルの中には但馬牛専門レストラン「あしや竹園」があるそうです。高級そうで、一度も入ったことは無いです )NO.1666 芦屋市大原町カフェ・ユーカリ2016年10月14日(*↑ この「ユーカリ」って名前のつくお店は昔からこのあたりにある気がするなぁー、と思っていたらどうやら1947年創業で芦屋で初めての喫茶店だそうです。何店舗かあったはずですが、ここのお店はちょっと前までユーカリ系で〝中華〟のお店をしていました。それが最近カフェになった( 戻った? )ようです。中華の時に何度か食べに来ました。ここの1階フロアにももうひとつ「ユーカリ」の名のついた喫茶店が以前からあります )NO.1665 芦屋市大原町ラポルテ2016年10月14日(*↑ ラポルテの一階ロータリーの中心に、時計のついた「花びらのかたまりのようなモニュメント」があります。「おもしろいね」と「へんなの」の両極端に意見が分かれそうなモニュメントです。もしかしたらからくり時計なのかもしれませんが、動いているのを僕は見たことがありません )NO.1664 芦屋市船戸町ラポルテ2016年10月14日NO.1663 芦屋市船戸町ラポルテ2016年10月14日NO.1662 芦屋市船戸町ラポルテ2016年10月14日(*↑ JR芦屋駅及び「モンテメール」と、「ラポルテ」の2階広場通路を結ぶ通路です )NO.1661 芦屋市船戸町ラポルテ2016年10月14日(*↑ 「ラポルテ」1階はロータリーになっていてタクシー乗り場やバス乗り場、それから「ホテル竹園芦屋」の前に車やバスなどをつけるスペースにもなっています )NO.1660 芦屋市船戸町2016年10月14日(*↑ JR芦屋駅及び「モンテメール」の出入口から、「ラポルテ」の2階広場へと通じる出入口です )NO.1659 芦屋市船戸町モンテメール西館2016年10月14日(*↑ この本館の前にある「モンテメール」西館は、阪神淡路大震災後の1990年代後半に出来たんしゃないかと思います )NO.1658 芦屋市船戸町モンテメール2016年10月14日(*↑ 西館の正面にある「モンテメール」本館の出入り口です。こちらの本館は1980年に開業。大丸と専門店が入っています。大丸は婦人服・紳士服・雑貨に食料品。専門店はブティック・紳士服店、飲食店の他に雑貨店やその他の専門店などのお店があります。オープン当初は書店、文具店、しばらくしてCDショップなどもあり結構充実していましたが、それらはもう今は無くなってしまいました )NO.1657 芦屋市大原町モンテメール2016年10月14日NO.1656 芦屋市大原町モンテメールCafe Comfort2016年10月14日(*↑ 2006年夏から約一年芦屋に暮らしていた頃に、たまに行っていた喫茶店です )NO.1655 芦屋市大原町モンテメール西村屋2016年10月14日NO.1654 芦屋市大原町モンテメール風流田毎そば2016年10月14日(*↑ お蕎麦屋さんです。今でもお墓の整備に芦屋に来た時に、タイミングによっては食べに来たりします。ここは昔「京風らーめん あかさたな」というラーメン店でした。チェーンの同じお店が神戸の元町商店街にもありました。どういうサイクルだったか忘れましたが、たまに「100円ラーメンの日」というのがあって、一番シンプルなラーメンが100円で食べることができ、学生の頃はよく食べました。ここの店も元町の店もいつのまにか無くなってしまいましたが、僕は店名からずっと京都に本店のあるお店と思ってました。しかし実は「名古屋発祥のお店」ということを知ったのはつい最近です。つまり、あくまで「京風」だったんですね。名古屋には今も「あかさたな」の店舗があるそうです )
NO.1653 芦屋市大原町モンテメール2016年10月14日(*↑ NO.1654や1655のお店のあるこの「グルメ街」ですが、オープン当初から10数年くらい前まではホントに充実していいお店や面白い食べ物屋さんが並んでいたように思います。次第にちょっとずつイマイチな感じになってきている気がします )NO.1652 芦屋市大原町モンテメール芦屋大丸2016年10月14日(*↑ この駅ビル「モンテメール」の中は、途中の階まで半分が大丸百貨店です。といってもとても小さな規模の大丸百貨店です )NO.1651 芦屋市船戸町モンテメール2016年10月14日NO.1650 芦屋市船戸町JR芦屋駅2016年10月14日(*↑ 思えば、「モンテメール」が無かった1980年まではここまでだったんですよねー )NO.1649 芦屋市船戸町JR芦屋駅2016年10月14日(*↑ 改札を出て右方向の北側を向いてます )NO.1648 芦屋市船戸町JR芦屋駅2016年10月14日NO.1647 芦屋市船戸町JR芦屋駅2016年5月17日(*↑ 改札の外です )NO.1646 芦屋市船戸町JR芦屋駅2016年5月17日(*↑ 改札の中です )NO.1645 芦屋市船戸町JR芦屋駅2016年5月17日(*↑ ホームから階段を上がって改札を出るまでのスペースの一番東の奥に、このように生け花が飾っています。これはもう随分昔からやっています。もしかしたら子供の頃からずっとあるかもしれません。これを見ると、いつもちょっと癒やされます。今回少し気にして調べたら、そうか、駅にはこの手の「生け花B0X」を置いているところが結構あるらしいのです。あまり誰も気にせずに通り過ぎているので、あまり記憶に残らないし、深く考える人もいない。今回調べて、「そのことに前から気づいていて、アチコチの駅の生け花B0Xの写真を写している」人のブログに行きあたりました。なぜ多くの駅に古くから、どういった経緯でこういう凝った「生け花B0X」があるのか、ということはその人もまだ謎のままにしているそうです。そうかー、これからはいろんな駅行ったとき気にしてみよう )NO.1644 芦屋市大原町JR芦屋駅2016年5月17日(*↑ 下りホームから山側(北)の上りホーム方向です )NO.1643 芦屋市船戸町JR芦屋駅2016年5月17日(*↑ 神戸方面行き・下りホームです )
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、阪急芦屋川駅北口前の小さな広場から、ずんずんと山方向に向かって歩き、ハイキング初心者コースの「城山」、そして山登りをする人には有名な、ロックガーデン登り口の「高座の滝」まで行きます。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1642 芦屋市奥山ロックガーデン登り口と金玉大明神2017年3月1日(*↑ 高座の滝の横にあるこの階段から芦屋ロックガーデンへと登ります。ロック・クライミングの発祥の地とされていて、登山家には有名らしいです。でも、初心者でも充分に登ることが出来て、たしか学校から鍛錬遠足で一度、家族とも何回か、ここから登って行ってハイキングをしたりしました。ここから幾つもコースがあり、隣駅までのコースや六甲山最高峰まで行くコースもあります。写真の正面にある鳥居は「金玉大明神」です、つい笑ってしまう名前です。男子小学生には間違いなくツボな名前です )NO.1641 芦屋市奥山高座の滝2017年3月1日(*↑ 高座の滝です。そんなに高くも大きくもない滝です。でもやはり街より高度が少しあることもあってか、ここに来るとヒンヤリ澄んだ空気を感じます。かつては修験者の修業の場でもあったそうです )NO.1640 芦屋市奥山高座の滝と大谷茶屋2017年3月1日(*↑ 正面に護摩堂。その左奥が高座の滝になります。そして写真には入っていないけれどこの立ち位置右手にも茶屋があって、そこには昔からおでんが売っています。城山やロックガーデン経由のハイキングに家族と来た時は、必ずそこでおでんを食べたりしました。こういうところで食べるおでんというのは(海水浴やプールや観光地や屋台も)、ほんとに美味しいんですよね )NO.1639 芦屋市奥山大谷茶屋2017年3月1日NO.1638 芦屋市奥山大谷茶屋2017年3月1日NO.1637 芦屋市奥山2017年3月1日(*↑ 城山に登ってNO.1630からこちらに降りてくるとここに出てきます。ここから高座の滝までまだもうちょっと。まさか城山からここまで来ておいて高座の滝を見に行かない人はいないでしょう )NO.1636 芦屋市奥山2017年3月1日(*↑ そうですイノシシが出ます。六甲山の麓は芦屋にしろ神戸にしろ、アチコチでイノシシが出ます。ある意味田舎です )NO.1635 芦屋市奥山滝乃茶屋2017年3月1日(*↑ 高座の滝の大谷茶屋からは少し手前にある「滝乃茶屋」です。子供の頃ここを通って高座の滝に向かう時は、店の前のお菓子やジュースに惹かれて訴えるのだけれど、「お菓子もって来たでしょ」「お茶があるからあるからジュースはいらないでしょ」とすべて却下されてしまうのでした )NO.1634 芦屋市奥山2017年3月1日(*↑ 昔から高座の滝の少し手前にある小さな旅館です。「今、成り立つのだろうか?」とつい思ってしまうのだけれど、意外と成り立つのかもしれません。一度入って料理とか食べてみたいなぁとか思ったりもします )NO.1633 芦屋市奥山2017年3月1日(*↑ そうですイノシシです。一度、友だちのバイクの後ろに乗せて貰って高座の滝の手前まで来たときに、突然イノシシが横から出てきて友だちがビックリして半コケになったことがあります。このあたりだったかもしれません )NO.1632 芦屋市奥山2017年3月1日(*↑ ここはいったい何なんでしょうか。何かの機器とかバルブとか入ってるだとか何かの為の何かの資材置き場だとか、よく解らないのですが子供のころからここにあります。チビっこの僕も「何があるんだろう」と不思議に思って前に立って見ていました )NO.1631 芦屋市城山三条第二堰堤(えんてい)2017年3月1日(*↑ NO.1618の城山への登り口から城山に登らずに、まっすぐに進むとこのあたりに続きます。このまま行くとストレートに高座の滝に向かいます )NO.1630 芦屋市奥山2017年3月1日(*↑ 城山から高座の滝方面へ降りています。NO.1637に出ます )NO.1629 芦屋市奥山2017年3月1日(*↑ 城山(鷹尾山)から、高座の滝方面と荒地山方面の分岐点です。荒地山というのはその名の通り岩場の多い登山コースです。そこも子供の頃に小学校や家族で行ったことがあります )NO.1628 芦屋市奥山2017年3月1日NO.1627 芦屋市奥山2017年3月1日NO.1626 芦屋市城山(鷹尾山)山頂2017年3月1日(*↑ 城山の頂上にはテレビ用の中継設備があります↓ ) NO.1625 芦屋市城山(鷹尾山)山頂2017年3月1日(*↑ 城山の頂上です。西方面の景色を一望出来るところにベンチがあります。学校の鍛錬遠足で来た時もこのあたりでお弁当を食べたのではないかと思います。城山という名ですが、昔の城郭の跡などは今はもう全く何もありません )NO.1624 芦屋市城山2017年3月1日NO.1623 芦屋市城山2017年3月1日(*↑ 途中の7分目くらい登ったあたりの展望どころです。芦屋の街を見おろすことが出来ます )NO.1622 芦屋市城山2017年3月1日(*↑ こういうのって、子供の頃はワクワクするんですよねぇ )NO.1621 芦屋市城山2017年3月1日NO.1620 芦屋市城山2017年3月1日NO.1619 芦屋市城山2017年3月1日(*↑ 城山の登り口から山に入ってすぐのあたりです )NO.1618 芦屋市山芦屋町2017年3月1日(*↑ 途中、右に行くと城山へと登るコースになります。城山に行かずにそのまま真っすぐ行くと、高座の滝からロックガーデン登り口まで行くNO.1631からの道のりになります ) NO.1617 芦屋市山芦屋町2017年3月1日NO.1616 芦屋市山芦屋町2017年3月1日NO.1615 芦屋市山芦屋町2017年3月1日NO.1614 芦屋市山芦屋町2017年3月1日(*↑ 芦屋川です。川向こうのマンションは斜めに登るエスカレーターがついています。35年ほど前に郵便局のアルバイトで配達に来て「おー、すごー」と思っいながら乗ったりしたものです )NO.1613 芦屋市西山町2017年3月1日 NO.1612 芦屋市西山町2015年9月15日(*↑ NO.1603の家に約1年間住んでいた時によく利用したうどん屋さんです。昔ながらの関西風のおうどんです。子供の頃は芦屋にもあちらこちらに、こういった個人商店の関西風おうどんの店が結構あったものですが、今は本当に無くなりました。ここの場合は、朝から山に登って阪急芦屋川駅に帰る人などが入ったりもするのでしょうね )NO.1611 芦屋市西山町2016年6月6日NO.1610 芦屋市西山町2016年6月6日(*↑ 阪急芦屋川駅の北口前の小さな広場です )
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、阪急電車芦屋川駅の北エリアを東寄りにぐるっと一周して、また芦屋川駅前に戻ってきます。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1609 芦屋市西山町2016年6月6日(*↑ 阪急芦屋川駅の北側の小さな広場にある、とても便利な公衆トイレです。昔から何度かお世話になりました。そして、ここから登山に行く人と、逆に山から帰ってきた人も多くお世話になっているであろうトイレです )NO.1608 芦屋市西山町2015年9月15日(*↑ 阪急芦屋川駅のちょっと北にあるバーです。2006年夏からの約1年間この近くで住んでいた時期に、数回飲みに入りました。それよりもう少し前にお昼にランチメニューをしていた時期もあり、まだこの近くに住む前にそれを食べに一度入ったこともあります。サンドイッチのランチを食べたのを憶えてます )NO.1607 芦屋市西山町開森橋2017年3月1日(*↑ 阪急芦屋川駅から北へしばらく行っところにある開森橋です。これは川の西側にあたります。開森橋は古くからここにかかってる橋みたいですが、2016年頃には「仮の橋を手前に作った上で古いものを取り外して再び新しい橋を渡して」という大規模な架け替え工事をやっていました。この写真は工事が終わった後の綺麗になった開森橋です。昔の橋のイメージをあまり損なわないものにしたそうです。ちょっとレトロっぽいですよね。この橋を渡って左の大きな坂道を登っていくと六甲山へと向かうウネウネとした山道が続き、やがて「芦有(ろゆう)ドライブウェイ」という有料道路があり、有馬温泉へと繋がっています )NO.1606 芦屋市町東芦屋町開森橋2015年9月15日(*↑ この写真は架け替え工事がされる前の、2015年時の古い開森橋です。こちらは川の東側です。春には毎年、ここから山側に見える桜がほんとうに見事です )NO.1605 芦屋市町東芦屋町2015年9月15日(*↑ 開森橋を渡って川の東側に、谷崎潤一郎の関西を舞台にした小説「細雪」の碑があります。日当たりと影とで見にくいですが。昭和61年に谷崎潤一郎の生誕100年を記念してつくられたものらしいです。「細雪」の主人公の姉妹たちが暮らしている場所が阪急芦屋川駅からそう遠くない場所で、また姉妹たちが阪急芦屋川駅で電車を待っているシーンや、実際にあった昭和13年の阪神大水害時の芦屋川が氾濫した様子も描かれており、芦屋は小説ゆかりの地でもあります )NO.1604 芦屋市町東芦屋町2015年9月15日NO.1603 芦屋市町東芦屋町2014年4月1日(*↑ 2006年の7月から11ヶ月の間ここに住んでいました。古い民家で、その内部だけを軽くリノベーションした賃貸物件でした。今は家屋の外壁はクリーム色のモルタルになっていますが、あの時は木の感じのままの外観でした。結局、2007年の5月いっぱいでここを出て、神戸のもと居た(と言ってもリフォーム済みされていた)マンションの部屋に帰ってきたのでした。その、もと居たマンションの大家さんとはそもそも仲良くさせてもらっていて、この芦屋の部屋に引っ越したあとも、電話のやりとりなどしていて「一度部屋に呼んでよ、どんなところか見たいわぁ」というので、遊びに来て貰ったことがあります。そのあと、話をしているうちに再び大家さんのところに戻ろうかみたいになって、結局また戻って、現在に至るのでした、の2017年5月現在なのです )NO.1602 芦屋市町東芦屋町2016年6月6日(*↑ 部屋を出て駅方向に行くための小さなうねった坂道です。もともと「小さな道」「うねった道」「小高いところにある道」などが好きなので、この道はかなり好きだったんですよねぇ )NO.1601 芦屋市町東芦屋町2016年6月6日(*↑ 向こうに見えるのが僕の住んでいた古民家です。その当時、お隣には大きな敷地の古い家があって、おばあさんがたった一人で住んでいました。僕の部屋の大家さんの奥さんから聞きました。その大家さんの奥さんがよく、自宅でできた野菜などをおすそ分けに行っているのが部屋の窓から見えたり、その時の声が聞こえたりもしていました。たぶんその後、おばあさんは亡くなられたのでしょうか。今はそこの敷地はこのように広い公園になっていました )NO.1600 芦屋市町東芦屋町2016年6月6日(*↑ NO.1603の家に住んでいた時によく歩いた、駅へと向かう途中の道です )NO.1599 芦屋市町東芦屋町2016年6月6日NO.1598 芦屋市町東芦屋町2016年6月6日NO.1597 芦屋市町東芦屋町2016年6月6日NO.1596 芦屋市町東芦屋町猿丸家墓所2016年6月6日(*↑ かつて江戸〜明治大正にかけて芦屋の発展に貢献し、現在も続くという芦屋の名家「猿丸家」の墓地です。「百人一首」のひとつを詠んだ「猿丸太夫」という人物の子孫であると伝えられている一族だそうです。以前からここには一般の人は入れません。ただ、阪神淡路大震災のあとしばらくここの門や柵が倒壊して、そのあと瓦礫が取り除かれて中がそのまま見渡せる「いけいけの出入り自由」(いや、本当はそういうつもりではないのだろうけれど)の時期がありました。母親と震災後の用事でこの近くに来た時にその状態に「はっ?」と顔を見合わせ、「前からどうなっているのか見たかったから、入ってみよう」ということになって、猿丸家のお墓たちをぐるっと見て回ってお参りしたことがあります。まぁ、それだけのことなのだけれど、おそらくもう二度と出来ない貴重なことでした )NO.1595 芦屋市町東芦屋町桜橋2016年6月6日(*↑ 阪急芦屋川駅のホームの北側の位置で芦屋川をまたいで架かかっているこの橋に、「桜橋」という〝らしい名前〟がついているということは今回調べてはじめて知りました。そう、このあたりの川沿いは春はほんとに桜の綺麗なところなのです。向こうに見える小さな橋は、川の東側で駅前を通る道路の上をまたいで、駅前広場と繋がっている歩道橋です )NO.1594 芦屋市町東芦屋町桜橋2016年6月6日(*↑ 阪急芦屋川駅北の桜橋から北の六甲山方面を眺めた景色です。ここからの桜の眺めがキレイなのです。これも調べたサイトに書いてあったのですが(自分の目ではまだ確認していない)、ちょうどこの背後の橋と駅のホームのスキマの真下の川に、昭和13年の阪神大水害で流された先代の「桜橋」の橋げた跡が残っているらしいです。いつか確認してみようと思っています )NO.1593 芦屋市町東芦屋町2016年6月6日(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅の北出口前の小さな広場を繋ぐ陸橋です )NO.1592 芦屋市西山町2016年6月6日(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅前を繋ぐ陸橋から見た、北方面です。この方向の先に開森橋があります )NO.1591 芦屋市西山町阪急電車芦屋川駅2016年6月6日(*↑ 桜橋と阪急芦屋川駅前を繋ぐ陸橋から見た南方面で、正面が駅のホームです。このように道路がググッと下にえぐれて、駅のホームの下をくぐっています )NO.1590 芦屋市西山町2016年6月6日(*↑ 阪急芦屋川駅前の小さな広場から、陸橋の階段を上って桜橋の方を見たところです )NO.1589 芦屋市西山町2015年9月15日(*↑ 陸橋の階段の途中から駅を。こんな感じになってます )NO.1588 芦屋市西山町2015年9月15日(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口前の小さな広場です。左隅の階段が川向こうに行く陸橋の階段です )NO.1587 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街2015年9月15日(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口を出て左に折れるとすぐに店が続く小さな商店街です )NO.1586 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街2015年9月15日(*↑ お店に関しては昔に比べるとサミシイ感じもしますが、ここ数年また新しくカワイイお店が増えつつあるような気もします。たしか、もとタカラジェンヌの女将さんがやっている、古くからの和菓子屋さんもあったりしたはずです。ちょうどこの写真のようなアングルで、映画『夏の庭』(監督・相米慎二さん)のロケに使われたこともあります )NO.1585 芦屋市西山町芦屋山手サンモール商店街2015年9月15日(*↑ ここの基本的な感じはほんとに昔から変わりません )NO.1584 芦屋市西山町阪急電車芦屋川駅2016年6月6日(*↑ 阪急芦屋川駅の北出口です。ここの感じも昔から本当に変わらないままです。阪急沿線の駅というのは、古くからの佇まいを変わずに残しているところが結構多いのですが、ここもずっとこのままでいてほしいなぁと、個人的に思ったりします )
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、阪急芦屋川の南エリア周辺と、阪急電車芦屋川駅そのものです。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 別枠表示します)NO.1583 芦屋市松ノ内町阪急電車芦屋川駅2015年9月15日(*↑ 阪急芦屋川の三宮方面行き・下りホームです )NO.1582 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅2015年9月15日(*↑ 線路を挟んで向こうが上り・梅田方面行きのホームです )NO.1581 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅2015年9月15日(*↑ 芦屋駅下りホームから南・海側を向いています )NO.1580 芦屋市松ノ内町阪急電車芦屋川駅2015年9月15日(*↑ 駅の南の書店などが並んでいるところを見ています。この感じは随分前からほぼ変わっていません )NO.1579 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅2015年9月15日(*↑ 駅の南側の出入口です。改札を抜けて右の南側に進んですぐの視点がこうなります。子供の頃、阪急を利用して芦屋に戻って来た時は、普段は阪急バスに乗って家まで帰りましたが、たまに大人たちが「今日はもうタクシーで帰ろうかぁ〜」となると、前に見える阪急タクシーのりばから乗って帰りました。当時たまのタクシーというのは、なんだかとてもウレシかったものです。今は一人で霊園のお墓の整備に向かう時に、ここからタクシーを利用しています )NO.1578 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅2015年9月15日(*↑ 電車に乗るために駅の南側の出入口から改札の方に入っていく時はこの視点です。NO.1579のちょうど逆になりますね。つまり左位置には阪急タクシーのりばがあります )NO.1577 芦屋市月若町大利昭文堂2016年6月6日(*↑ 阪急芦屋川駅のすぐ南に古くからある書店です。昔、ここは「小さいけどちょっと充実している」と思える書店で、阪急を利用すると必ず覗いていました。今はちょっともうサミシイ感じがしますが、個人経営の書店がどんどん無くなっていく中で、ここはまだ頑張っている方じゃないかなと思います )NO.1576 芦屋市月若町2016年6月6日(*↑ ここは比較的新しいローソンだと思います。と言っても少なくとも10年にはなるんじゃないかなー。最初は「ナチュラル・ローソン」というなんだか少しリッチな感じのローソンでしたが、今は普通のローソンになっています )NO.1575 芦屋市月若町2016年6月6日(*↑ 川の堤防すぐ横の歩道の、阪急芦屋川駅ホームの高架すぐ下に位置するところから写しました。右からNO.1579の阪急タクシー乗り場、NO.1577の書店、そして板板左にNO.1576のローソンと並んでいます。タクシーのりばの2階は昔は喫茶店だっと思うのですが、今は塾か何かになっています )NO.1574 芦屋市月若町阪急電車芦屋川駅2015年9月15日NO.1573 芦屋市月若町阪急バス乗り場2016年4月22日(*↑ かつて阪急電車を利用したあと家に帰る時はこのバス停からバスに乗りました。ここに立っているのはやはりなんだか懐かしい感じがします。右側が芦屋川です。バスを待ちながら川をボーッと眺めるのが好きでした )NO.1572 芦屋市月若町2016年10月14日(*↑ この階段を降りてすぐが「山手幹線」になります。丁度この先のあたりの区域が、ずっと道路の工事が出来ずに長く残っていたエリアです。僕が子供の頃からずっと「立ち退きが進んでいない地域」のままだったのだけれども、10年くらい前にこの前後の道路も出来、そのあと芦屋川の地下をくぐるトンネル (丁度この右位置あたり) も完成して全線が開通しました。調べると戦前から計画のあった道路みたいです。完成までえらく長くかかった道路ですね。逆に、当時とまるっきり時代が変わっているのに、一度決めたらどうしてもやらないワケにはいかない自らは変えずに何としても済ませたい、というこの国の保守独特のネチッこさもつい感じちゃいます。この道路をずっと西に進むと、神戸の、今僕の住んでいる場所の南を通ります )NO.1571 芦屋市月若町芦屋パレエレガンス2016年10月14日(*↑ 阪急芦屋川駅からのちょっと南に行ったところ、川の東岸にシュッと建っているマンションとテナントの建物「芦屋パレエレガンス」です )NO.1570 芦屋市松ノ内町芦屋ロマンス2016年10月14日(*↑ 芦屋パレエレガンスの半地下のようなところにあるレストランです。が、つい数年前までは、老夫婦がやっているいかにも「昭和からやっている喫茶店」という感じのお店で、内装の木の感じが好きで随分と前からたまに入ったりしていました。けれど、この日に写しに行ってみると、シャレた感じの赤いドアのレストランに変わってしまってました。前のお店の「ゆずジュース」や「ホットゆず」がおいしかったのだけれどなぁ )NO.1569 芦屋市松ノ内町芦屋パレエレガンス2016年10月14日(*↑ 調べるとこの芦屋パレエレガンスは1978年に建ったみたいです。今でも小綺麗です )NO.1568 芦屋市松ノ内町山手幹線2016年10月14日(*↑ 数年前に貫通した山手幹線の、芦屋川のすぐ東の別の道路のあたりから東方面を望んだところです。ここからトンネルになっていて川の下をくぐっています。JR線のトンネルと同じく、周囲の土地より高い「天井川」である芦屋川の下を通る形です。地面のタイルがチェッカーになっていてなんだかオシャレな感じがします )NO.1567 芦屋市松ノ内町2016年10月14日(*↑ 向こうに芦屋川、右手後ろに山手幹線のトンネル、そんな位置関係です )NO.1566 芦屋市月若町芦屋川2016年10月14日(*↑ 芦屋川の真ん中から北向きです。向こうに見えるのが六甲山です )NO.1565 芦屋市月若町芦屋川2016年10月14日NO.1564 芦屋市月若町カーサ・ベリーニ2016年10月14日
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回も、またまた阪神芦屋駅近くから出発します。今度は芦屋川の西側の地域を通って、JRの線路のあるあたりまで北上していきます。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1563 芦屋市前田町仏教会館2016年4月22日(*↑ 公益財団法人「芦屋仏教会館」です。「仏教」という名がついているけれど日本建築ではなく洋風っぽく、しかしよく見るとインド風でもあったりするユニークで素敵な建築物です。ここについては子供時代からよく見てましたが、そう詳しい事は知りませんでした。しかし、今回調べて少し解りました。まず、ここを作ったのは丸紅と伊藤忠商事の創業者・伊藤忠兵衛で、彼が精神教育運動として財団法人「崇信会」をおこし、その活動の拠点として建てたのがこの会館だそうです。芦屋川を挟んで西側、今は「松の内緑地」になっているところにあった「崇信幼稚園」は、その付属施設として作られたものだったそうです。この会館の設計は、大阪の中之島公会堂などを建てた片岡安という方だそうで、ここも戦争と震災を乗り越えてきた貴重な建物になります )NO.1562 芦屋市前田町仏教会館2016年4月22日NO.1561 芦屋市前田町2016年4月22日(*↑ 芦屋川と国道2号線の交わるところの北西の角に、昔からある大邸宅です。ここはもう僕が子供の頃から、いや、たぶんもっと前からこんな風に〝黒塀〟が続く大きなお屋敷です。ここのお家とは全然まったく残念ながらちっともご縁はありませんが、でも、これが今もここにあるのを見ると、ちょっとホッとしてしてウレシイ気持ちになります。今後もこの川沿いの角に君臨し続けてほしいと思います )NO.1560 芦屋市前田町2016年4月22日NO.1559 芦屋市前田町2016年4月22日(*↑ 黒塀のお屋敷の芦屋川を挟んで前に、「芦屋市民センター」があります。こんな風にルナ・ホールがそびえて見えています )NO.1558 芦屋市前田町業平橋2016年6月8日(*↑ NO.1505やNo.1555と同じく「業平橋」の欄干の端の柱(親柱?)と街灯です。これは橋の北西位置にあるものです。ちょうど向こう左の方角に「市民センター」があります )NO.1557 芦屋市前田町ハナヤ勘兵衛2016年4月22日(*↑ 建物はもう昔とは違いますが、子供の頃に父親に連れられて何度か来たことのある、カメラ関係専門店の「ハナヤ勘兵衛」です。ハナヤ勘兵衛さんといえば昭和初期から活動をはじめた写真家としても有名で、「日本の写真史」みたいな本には大抵掲載されている方です。そのハナヤ勘兵衛さんが1929年に開いて今も続いているのがここです。といっても、そういった事を知ったのは大人になってからで、子供の僕はここに来るとただただ、店内全面に置いているカメラにドキドキしたものです。この周辺は阪神淡路大震災ではひどかったエリアで、当時の「ハナヤ勘兵衛」の店舗もその時に倒壊の被害にあったようですね )NO.1556 芦屋市前田町芦屋サウザンドビル2016年4月22日NO.1555 芦屋市川西町業平橋2016年6月8日(*↑ 「業平橋」の南西位置にある欄干の端の柱と街灯です。ここは「業平橋」という名前が彫られています )NO.1554 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル2016年4月22日(*↑ 昔、出来た時はなんだかとてもオシャレな感じがしたビルです。ファンの間では有名ですが、村上春樹さんの初期の作品の中で何度も出てきた「ジェイズ・バー」の三代目のお店のモデルは、ここのビルにあったバーではないかという話です。個人的には子供の頃、母親が友だちと行って美味しかったということで、そのあとで僕ら子供たちをここにあった「シェ・イコマ」というフランスレストランに連れて行ってくれた、ということをよく憶えています )NO.1553 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル2016年4月22日NO.1552 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル2016年4月22日NO.1551 芦屋市川西町ピーコック2016年4月22日(*↑ ピーコックはもともとは大丸系列のスーパーで、今はイオンの系列のKOHYOの系列で、って、ああややこしい。とにかくもう今はどこもかしこもイオン系なのかい? てな感じです。しかも、この写真は2016年撮影ですが、調べたらここは、(これを書いている時点での)今年の2017年2月15日に閉店したみたいです。ここは2006年から1年芦屋に住んでいた時期によく買い物に来たのですが、そうですかぁぁ )NO.1550 芦屋市川西町ピーコック2016年4月22日NO.1549 芦屋市川西町ローソン芦屋川西店2016年4月22日(*↑ このローソンが芦屋で最初のローソン(のはず)です。1970年代の後半だと思います。ここが出来た時には「ローソンという店名のコンビニというものができたらしい」なんて言って、家族とわざわざ来て買い物をしたりしたのを憶えています。何を買ったかは憶えていないのですが、どうせたいした物は買っていないでしょう。「あそこに何かが出来た」とかいうとすぐに行ってみたりする家族でした。いや、時代的に全体として、そういう「お子さま」な時代でもあったのかもしれません )NO.1548 芦屋市川西町カトリック芦屋教会2016年6月8日(*↑ NO.1497〜1501の「カトリック芦屋教会」を川の西岸から見たところです )NO.1547 芦屋市川西町カトリック芦屋教会2016年4月22日NO.1546 芦屋市川西町2016年4月22日(*↑ ここはほんとに美しい感じに松並木になっている川べりの道です。この道も「ウルトラセブン」の『ウルトラ警備隊西へ』の回のロケに使われています )NO.1545 芦屋市川西町2016年4月22日(*↑ 阪神電車の山側の道路〝鳴尾御影線〟が芦屋川を渡る橋の上から、山側を写しました )NO.1544 芦屋市川西町阪神芦屋川2016年4月22日(*↑ 阪神芦屋駅には西側にも小さな改札口があります。芦屋川の西岸からの利用が出来るようにです。そこをさらに西へ出たところがここです。立っているところの左に、たこ焼き屋さんがあります。この写真の右後ろ位置には、踏切があります )NO.1543 芦屋市平田北町芦屋川2016年6月8日(*↑芦屋川には実祭の川の流れの両脇に遊歩道があり、そこには緑も多くてブラブラと散歩するにはとてもいいところです。川の水は普段はそんなに多くは無いですが、海と山の近いこの辺り(西宮あたりから神戸)の河川の特徴で、雨が降ると短時間で一挙に水かさが増えます。まぁそれにしても芦屋川も、昔に比べたら普段の水量が少し増えた気がしないでもないです。これは南の海側を見ています )NO.1542 芦屋市平田北町芦屋川2016年6月8日(*↑ NO.1206あたりにも載せた、芦屋市役所です。川向こうから )NO.1541 芦屋市平田北町芦屋川2016年6月8日(*↑ これは北・山側を見ています。左に見える松の並びが美しいです。まだ町になるずっと前、明治よりも前にはきっと松がもっと沢山あって、京・大坂から西国に行く道中の人たちにはかなりな絶景だったんだろうなぁと想像します )NO.1540 芦屋市平田北町阪神電鉄芦屋駅2016年4月22日(*↑ 正面は阪神電車芦屋駅のホームです。2006年夏から約一年芦屋に住んでいた頃にここを散歩していて、川辺を歩いているカップルを「あ、仲良く微笑ましくて絵になるなー」なんて見ながら歩いていたら、ちょうどこの前の低い松の木の枝にアタマを軽くぶつけて、かぶっていたニットキャップが後ろに飛んで落ちました。すると前の芦屋駅のホームに立ってどちらもキャップ帽をかぶっていた二人連れのキレイ風の女性たちが、それを見ていて「ゲハァヘァドハッハッグハハハハッ〜」と大きな笑い声を上げました。「せっかくキレイ風なのに、めちゃくちゃ品がない笑い方するんだなぁ」なんて思いつつも、「テヘヘ」とちょっと恥ずかしげに帽子を拾ってまた歩きはじめた、なんて、そんなことがあったところです。彼女たちは今、ゆったりとして出来ているでしょうか? )NO.1539 芦屋市精道町2016年4月22日(*↑ 阪神電車芦屋駅のすぐ南にかかっている川の向こう側に渡る小さな橋から。南側を見ています。左に見えているのが芦屋の市役所です )NO.1538 芦屋市精道町阪神電鉄芦屋駅2016年4月22日(*↑ 左が阪神電車芦屋駅のホームです。No.1539の芦屋川をまたいでいる小さな橋からです )NO.1537 芦屋市精道町阪神電鉄芦屋駅2016年4月22日(*↑ 川べりの歩道と駅及び市役所を結んでいる横断歩道から、阪神芦屋駅を見たところです。駅の南に位置します。このすぐ右側うしろ方向の道路上に浜手方面に向かう阪急バスの乗り場があって、そこでよくバスを待っていたものでした。 )
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、芦屋川と国道2号線の交差する業平橋のあたりから、北へ進んで芦屋市民ホールとルナホールを経て、そのままJR線の山側に出て回り込み、線路と平行している道沿いに、ずっと並んでいる商店を見ながら、JR芦屋駅の山側に出て行きます。(おお、説明が複雑だぞ)(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1536 芦屋市船戸町インディアンカレー2016年10月14日(*↑ 独特の辛さのカレーでもともと大阪では有名なカレー屋さんの支店です。大阪の高校に通っていた頃に学校の誰かが「インディアンカレーが辛いけどうまい」とか言っていたのがずっと気になっていました。でも、実際に大阪で食べたのはもっと後です。この芦屋店がいつオープンしたのかは知りませんが、2000年代に入ってからじゃないかなぁ。とかにくずっと昔は、芦屋には無かったお店です。ここには、この数年の間に2.3回ほど入りました )NO.1535 芦屋市船戸町2016年10月14日(*↑ JR芦屋駅の道路を隔てて山側(北側)にある「三井住友銀行」です。ここは昔は「さくら銀行」です。そして、当時道路を隔てて南側にあったのが「住友銀行」でした。その後「さくら銀行」と「住友銀行」が合併して「三井住友銀行」になりました。今、道路を挟んで「三井住友銀行」が2つ並んで「?」なのは、そういう理由です。「銀行に深い歴史アリ」です )NO.1534 芦屋市船戸町JR芦屋駅北口2016年10月14日NO.1533 芦屋市船戸町多古好2016年10月14日(*↑ 芦屋では老舗のうどん屋である「多古好(たこよし)」さんです。昭和23年創業だそうです。阪神淡路大震災前は阪神芦屋駅の近くにももう一軒お店がありました。今世間では讃岐うどんが幅をきかせていますが、ここは関西風(大阪風?)のおうどんで、麺はフニャッと柔らかでもちっとした麺。そしてダシはしっかりと関西風、色は薄いがコクがある。昔母親がよくここのうどん屋さんを(阪神芦屋の近くにもあったもう1店舗も含めて)よく利用していました。古くからあるので、特に年配の方には人気でいつも満員です。ただ、ここの一杯の量は若い人には少なめかもしれません )NO.1532 芦屋市船戸町おくだ酒店2016年10月14日NO.1531 芦屋市船戸町パスタ&Cafe ピエール2016年10月14日NO.1530 芦屋市松ノ内町ぐらたん亭どつぼどーる2016年10月14日(*↑ 2006年の夏からの一年間、芦屋に一時住んでいたことがあります。ここは、その当時神戸のよく行っていた飲み屋さんの常連さんの綺麗なYちゃんの、伯父さん(叔父さん?)がやっているというお店で、教えてもらってその頃に行ったりしました。カウンターにミニチュアの電車が走っていて、注文した品がそれに乗っかってやってきます。いやいや本当です )NO.1529 芦屋市松ノ内町2016年10月14日(*↑この古い郵便ポストは、芦屋でももう珍しくなりました。たしかウチのお墓のある霊園の近くにも1つあったはずです )NO.1528 芦屋市松ノ内町やきとりまさや2016年10月14日NO.1527 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋2016年10月14日NO.1526 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋2016年10月14日NO.1525 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋2016年10月14日NO.1524 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋2016年10月14日NO.1523 芦屋市松ノ内町芦屋橋2016年6月8日(*↑ 左の隅の橋の下にチラッと見えているのがJRの線路です。この橋の名が「芦屋橋」という名前だとはこの写真を写すまでは知りませんでした。芦屋の中で「一番もらってウレシイ」なそのまんま〝芦屋〟の名前だけがパンと付けられた橋ですねぇ。おそらくそれは、明治期にここに鉄道が出来た時に芦屋の中で出来た橋だからなのかもしれませんね、想像ですが。他の小さな橋はそれぞれのその小さな地域の特徴的な名前がつきますから。そうかー、この橋は芦屋橋だったのかー。この橋はバスの通る道でもあります )NO.1522 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地2016年6月8日(*↑ この公園の場所は、30年ほど前まで「崇信幼稚園」という幼稚園でした。バスに乗ってこの前を通ると園が見えていました。今回調べて知ったのですが、その幼稚園は芦屋川をはさんで西にある「仏教会館」(NO.1518やNO.1563)が関係する幼稚園だったようです。詳しいことはNO.1563にて )NO.1521 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地2016年6月8日 NO.1520 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地2016年6月8日(*↑ この公園内には、平安時代の歌人「在原業平」の歌碑と、業平と芦屋のゆかりを説明した看板があります(↓クリックでちょっと大きく)。実際はこの公園は松ノ内町で、業平ゆかりから名付けられた業平町は1つ南の区画になります ) NO.1519 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地2016年6月8日NO.1518 芦屋市業平町芦屋川と仏教会館2016年6月8日(*↑ 芦屋川を隔てて西向こうに見えているのは「仏教会館」です、詳しいことはNO.1563にて。芦屋川はこのように、小さな滝のようになったところが所々にあります。この阪神間の地形が、山から海までの距離が短く、地面が北の山側に行くほどに目に見えて徐々に傾斜していることを物語っています )NO.1517 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール2016年6月8日(*↑ 2号線のちょっと北の芦屋川沿いにこの「ルナ・ホール」がそびえています(この写真ではタテパノラマの途中が切れてしまって低い感じがしますが、6階建て分くらいの高さはあるのじゃないかと思います)。このホールは「芦屋市民センター」という市の施設の一部です。コンクリートの打ちっ放しの建物で、現時点でもう建って50年近くなると思います。ある時期は壁の周囲のツタが一番上の方までからまって古さを感じる雰囲気になっていたのですが、数年前に大規模改修がされたそうでキレイになっていました。でも、もうすでに新しいツタが3分の1くらいまで来てますね。植物の力は強い )NO.1516 芦屋市業平町市民センター2016年6月8日(*↑ 手前が「ルナホール」、向こうが「芦屋市民センター」本館です )NO.1515 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール2016年6月8日(*↑ 音楽のコンサートや演劇、落語会、上映会など各種の催しをしています )NO.1514 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール2016年6月8日(*↑ この入り口のところが真っ黒ですが、中に入っても壁が真っ黒です。とにかく中は「真っ黒け」という印象があります )NO.1513 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール2016年6月8日(*↑ 中学の時に学校から映画の上映会を観に来たり、たしか文化祭の合唱の発表会があったりしました )NO.1512 芦屋市業平町市民センター 本館2016年6月8日 NO.1511 芦屋市業平町市民センター 本館2016年6月8日(*↑ 芦屋川沿い東側で2号線の北側に位置する「芦屋市民センター」(ルナ・ホールも含む) です。文化教室や子供教室や小さな催しなどをやったりしています。高校の頃の夏、この中の数カ所に設置されているテーブルに、何度か勉強をしに来たことがあります。当時の我が家にはまだエアコンは無くて、ここだと涼しかったんですよねぇ。しかも、図書館の勉強室は満員で席取りが必要なのけど、ここは空いていて穴場でした。あと食堂があって、2006年夏から1年芦屋に住んでいた時期によく食べに来たりしました )NO.1510 芦屋市業平町2016年6月8日(*↑ 市民センターの前にある歩道から繋がってそのまま業平橋の下をくぐって、つまり国道2号線の下を渡って向こうに行くようになっているところです。たしかある時期「歩行者はかならずここを通って向こうにいくべし」という感じで、このまっすぐ下の2号線のところにある信号付き横断歩道を無くした時期があったように憶えているですが、ほんとにそうだったかどうか今となっては確かめようがありません。昼でも中は暗かったので、たぶん夜などはもっと怖かったかもしれません。でも、上をゴウンゴウンと車が走る音がするので、小さな子供の頃は結構楽しかったように思います。この立ち位置の左手に市民センターがあります )NO.1509 芦屋市業平町業平橋2016年6月8日(*↑ No.1506のちょうど反対車線の歩道から、北の山側を見ています。川の右手に見えるのが「ルナ・ホール」です )
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、再び阪神芦屋から今度は真っ直ぐ北に進んで、2号線のところまで行きます。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1508 芦屋市業平町芦屋川アーバンライフ2016年6月8日(*↑ 子供の頃から、芦屋には「アーバンライフ」というブランドのマンションが幾つかあります。小学生くらいの時は「マンション=高級」なイメージがあって、特に「あの子の家はアーバンライフらしい」という話を聞くと、「ウチよりお金あるんだなぁ」と思ったりしたものです。この芦屋川アーバンライフは1972年05月に出来たらしいので、現時点で築45年。昔も今もここにそびえ立っています。変わらずベランダに金属製の柵があって(今は2階より上)、なんかいいんですよねぇ )NO.1507 芦屋市公光町2016年6月8日(*↑ 芦屋川のすぐ東側の2号線との交差点です。ここは南北に通る道が2本接近して平行に並んでいて、六叉路のようになっています。正面のアーバンライフの左の南北の道から阪急バスがガーッと降りてきて、真っ直ぐには行かずにちょっと斜めに走りながら、5.6メートルほど西に並んでいる方の道(丁度立っている角の右側の道↑)に入り込んできます。その、ガーッ、グイーンとした感じが子供の頃面白くて、たまたまこの交差点にいる時はじっーと見ていました。また、逆にバスに乗っていても、ここで斜め方向にググッと走って行くのがオモシロくてワクワクしたものです )NO.1506 芦屋市公光町業平橋2016年6月8日(*↑ 芦屋川と2号線が交わるところにかかっている「業平橋」です。平安時代の歌人「在原業平」が芦屋に住んでいたことがあるとされることに由来して名付けられたそうです。もう少し山側には「業平町」という町名もあります。橋の南側の歩道から南の海側を見ています )NO.1505 芦屋市公光町業平橋2016年6月8日(*↑ 「業平橋」の四隅には、石作りの立派でシャレた街灯があります。橋の欄干の端の柱(親柱?)の上に乗っかった、というか一体になった形になっています。これは橋の南東位置のものです。横には「大正14年12月」と彫られています。90年以上前に出来たのですねぇ。いわゆる大正モダンな建造物です )NO.1504 芦屋市公光町業平公園2016年6月8日NO.1503 芦屋市公光町業平公園2016年6月8日NO.1502 芦屋市公光町2016年6月8日(*↑ ずっと前からある中華料理店です。最初に就職した会社を辞めてデザインの専念学校に入るまでの半年くらい、アルバイトをしていない時はよく昼に散歩などしたりしていましたが、ここまで来てお昼を食べたことが何度かありました。この少し南に郵便局があってそこも何度か利用したことがあります。この日もそちらも写すつもりだったのですが、頻繁に人が出入りしていてちょっと悪いので諦めました ) NO.1501 芦屋市公光町カトリック芦屋教会2016年6月8日(*↑ この教会は芦屋川のほとりでもよく目立つ、とてもいい感じの教会です。NO.1206に載せた古くからある方の芦屋市役所の建物と同じく、昔「ウルトラセブン」のロケに使われました。1968年1月に前後編で放映された、関西を舞台にした『ウルトラ警備隊西へ』の回です。ここから外国人の女性に化けた宇宙人が出てくるのでした )NO.1500 芦屋市公光町カトリック芦屋教会2016年6月8日(*↑ もうずいぶんと前に一度だけ、何人かの人に祝福されながら新郎新婦が教会から出てきたのを見かけたことがあります。もう、絵に描いたように素敵でした ) NO.1499 芦屋市公光町カトリック芦屋教会2016年6月8日(*↑ この背中方向に、芦屋川があります ) NO.1498 芦屋市公光町カトリック芦屋教会2016年6月8日 NO.1497 芦屋市公光町カトリック芦屋教会2016年6月8日(*↑ これは芦屋川側の教会の出入り口から見ると裏手になります。NO.1502の中華料理店のある道路側です ) NO.1496 芦屋市公光町2016年6月8日 NO.1495 芦屋市公光町2016年6月8日(*↑ 芦屋にいる時は当然ここで税金の手続きと確定申告に来ましたが、実は今もここが納税する所轄の税務署です。どうしてそういうことになっているのか、地理的に隣に位置するので何か昔の経緯などでそうなっているのかもしれないけれど、ともかく、僕の住んでいる神戸市東灘区もここに納めることになっていて、現在も確定申告はここに提出しています ) NO.1494 芦屋市公光町芦屋警察署2016年6月8日(*↑ この立派な入り口は、1927年(昭和2年)にこの芦屋警察署がここに出来てから2001年まで使われていた玄関部分です。僕にはかつて見慣れた出入口です。今は玄関としては使用されておらず、外観だけが保存されています ) NO.1493 芦屋市公光町芦屋警察署2016年6月8日(*↑ この玄関が現役だった昔、落とし物の引き取りや運転免許関係とで何回かここから中に入ったことがあります。こじんまりとはしているけれど、どっしりとした風格があるんですよねぇ。ちなみにその時の子供時代から若い頃は、別に悪いことをしたワケではないのにドキドキしながら入ったものです ) NO.1492 芦屋市公光町芦屋警察署2016年6月8日(*↑ この角の古い外見を残しつつ、改築がされました。現在はこの先の芦屋川沿いの方に玄関があります。そうして正解だと思います ) NO.1491 芦屋市公光町芦屋警察署2016年6月8日 NO.1490 芦屋市公光町アンリ・シャルパンティエ芦屋本店2016年6月8日(*↑ 今や全国展開しているケーキのお店「アンリ・シャルパンティエ」です。ずっと昔、もともと芦屋では「ケーキの美味しい小さな喫茶店」といった感じのお店でした。それがだんだんと人気になって、百貨店に進出してから有名店になりました。ウチでも女性陣が「アンリのケーキ、アンリのケーキ」などと言って喜んで買っている時期がありました。もともとはこじんまりとシャレた可愛い外観のお店で、その後、ちょっと高級な感じに変わって、そして、久しぶりに見たらまたさらに変わったようです。少しエラソな感じになってしまった気がしないでもないです ) NO.1489 芦屋市公光町アンリ・シャルパンティエ芦屋本店2016年6月8日 NO.1488 芦屋市公光町アンリ・シャルパンティエ芦屋本店2016年6月8日 NO.1487 芦屋市公光町宝盛館2016年6月8日(*↑ ここの書店「宝盛館」は、かつては芦屋では一番大きな書店でした。子供の頃からずっとよく来ました。個人の小さな書店は市内のアチコチにいくつもありましたが充実度でいうとここがやはり一番で、「ここに来るともうどんなに居ても飽きない」とそう思ったりしたものです。本や雑誌の種類が今よりも少なかった時代だったけれど充実度とワクワク度は、今の大型書店よりあの頃のここでの方があった様な気がします。本当にここでいろんな本を買いました。今だにダイジに持っているものも多くあります。かつては2階にも売り場があって、そこには参考書とマンガが並んでいたのだけれど、今は1階のみになっています ) NO.1486 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅2016年6月8日(*↑ アングルが違いますが、NO.1452と同じ阪神芦屋駅の東側の北出口です ) NO.1485 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅2016年6月8日(*↑ 阪神芦屋駅は地下にメインの改札口があります。さらに阪神淡路大震災の後からだと思うのですが、ここから地下通路を通って芦屋市役所の方に行けるようになりました ) NO.1484 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅2016年4月8日(*↑ 阪神芦屋駅の大阪梅田方面行き・上りホームです ) NO.1483 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅2016年4月8日(*↑ 最初の就職のあと大阪のデザイン専門学校に行き直していた頃、このホームでタバコを吸っていたら、掃除のオバチャンがずっと怖い顔をしてチラチラこちらを見ていました。そして近くに来たときに「アンタ、高校生とちゃうの?!」と強く言われました。昔からよく若く見られる僕ですが、もうすでに24歳か25歳でした。「いや違います20歳超えてます」と言うと「あーそぉ!、ごめんね〜、高校生に見えたから〜」と笑って掃除をしながら向こうに行きました。あの頃はただでさえ実際より若く見られるのがとてもイヤだった時期だったので、その時は「何やねーん」と思ったりしましたが、今の時代と比べるとああいう「イケナイ事かもしれないことはちゃんと注意してくれるおばちゃん」がいるというのは、いい時代だったのかもしれないなぁ〜、と最近は思ったりします )NO.1482 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅2016年5月17日(*↑ 阪神芦屋駅のホームから北側を見たところです。見ての通り、この駅は芦屋川をまたいでいます。向こうに見えるのは六甲山です )
「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。今回は、阪神芦屋駅から北東に斜めに進んで、古くは芦屋で一番賑やかだったという、本通り・三八商店街のあったあたりから、JRにかかる橋まで行きます。(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、 クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、 表示します)NO.1481 芦屋市松ノ内町2016年5月17日(*↑ JR芦屋駅の少し西側を渡る歩行者用の橋の北側にあるお地蔵さんです。向こうに小さくトンネルのようなものが見えますが、あれは芦屋川の下をくぐる鉄道トンネルです。阪神間〜神戸のあたりは川底が周囲の土地より高くなってしまった「天井川」が多く、鉄道を通す時にトンネルを掘って線路が川の下をくぐる形にしたものです。近隣のJR線では住吉川もトンネルです。石屋川もかつてはトンネルがありそこは「日本で最初に完成した鉄道トンネル」でもあったのですが、今はそちらはもう高架線になっています )NO.1480 芦屋市松ノ内町2016年5月17日(*↑ 向こうがJR芦屋駅です )NO.1479 芦屋市松ノ内町2016年5月17日NO.1478 芦屋市松ノ内町2016年5月17日(*↑ 向こうがJR芦屋駅です )NO.1477 芦屋市松ノ内町2016年5月17日NO.1476 芦屋市業平町GRASS2016年6月8日(*↑ このお店は以前は芦屋川よりも西の2号線沿いにありました。その後このJR線路沿いに移りました。以前お世話になっていた人と一度入ったことがあります。そして最近では、昔阪急西宮北口にあった個性的なカレーのお店「サンポア」のカレーを再現して出しているとの話です。めちゃくちゃローカルな話題ですみません )NO.1475 芦屋市業平町ビゴの店本店2016年6月8日(*↑ フランスパンで有名なビゴの店本店です。この店を開いた人は、もともとは同じく有名な、神戸のパンの店「ドンク」の職人さんだったそうです )NO.1474 芦屋市大桝町2016年6月8日(*↑ 左から3つ目の四角い感じのお店が「ビゴの店」です )NO.1473 芦屋市大桝町2016年6月8日(*↑ 今はオシャレなお店も数点ある大きな普通の道路ですが、この南北の通りはもともとはアーケードもあった「本通商店街」という商店街でした。阪神淡路大震災の時に大きな被害にあってすっかり街並みが変わってしまいました。ただ、すでに震災前でも昔ながらの商店街としてはちょっとサミシクなってきていたので、もし地震がなくても時代の流れだったのかもしれません。通りの一番北あたりから南を向いています )NO.1472 芦屋市茶屋之町2016年5月17日(*↑ この東西の道は昔は「甲陽市場」という市場があり、西の「本通商店街」と東の「三八商店街」との2つ並んだ商店街を繋いでいました。あの頃の市場の通りはもっと狭かったのですが、丁度お店部分も取り除くとこのくらいの広さになるのかもしれません。市場のこちら側の入り口右手には書店があり、このあたりに自転車で来たときはよくそこで本を見ました。その書店はNo.1469の書店だと思います。震災後、場所を移ったのでしょう。この甲陽市場真ん中あたりにある肉屋さんで友だちとおやつ代わりに買ったコロッケは、本当に美味しく感じました )NO.1471芦屋市茶屋之町2016年5月17日(*↑ この南北の道が「三八商店街」でした。アーケードが無くなるとほんとに感じが普通になってしまいます。大阪ガスのお店、スポーツ店、布団屋さん、お好み焼き屋さんなどがあったのを憶えています。この写真の背後に位置するあたりには、一時期「ミドリ電化 (現・エディオン) 」という家電店があったこともあります。写真の左のオレンジの陽よけのところは、昔からある「西本商店」という荒物屋さんです。僅かですが残っているお店もいくつかあります ) NO.1470 芦屋市茶屋之町2016年5月17日(*↑ NO.1471の「西本商店」の角から東に少し歩いたここに「ダイエー芦屋店」がありました。東側から見ています。1970年2月オープンなので、僕が小学2年生の終わりくらいに出来たことになります。芦屋で最初のダイエーで、家族してワクワクと買い物に行きました。まだまだ横の商店街や市場も元気で、一度暮れの買い物に来た時は周辺は大賑わいだったのを憶えてます。80年代くらいに芦屋の他の地域にショッピングエリアが出来はじめ、商店街もサミシクなりだしてからここのダイエーも少しさびれた感じになりました。今はマンションになっています。この背中方向をもうちょっと東に行くと、No.1430の「ハザ耳鼻咽喉科」があります )NO.1469 芦屋市大桝町甲陽書房2016年5月17日(*↑ 昔はNO.1472の「甲陽市場」の東の入り口にあったと思われる「甲陽書店」です。O.1468の「芦屋モノリス」の前にあります )NO.1468 芦屋市大桝町芦屋モノリス2016年5月17日(*↑ 今は古い建物を生かしたオシャレなレストランになっていますが、もともとは「逓信省」芦屋別館の電話交換局として1929(昭和4)年に建てられた、風格のある建築物です。僕は子供の頃の「電電公社」の時代に、何度か母親が手続きするのについて来て入ったことがあります。その後1980年代に「NTT西日本」になり、2003年に閉鎖されたそうです。その後、このレストランになりました。一度中に入ってみたいと思いつつ、まだありません )NO.1467 芦屋市大桝町芦屋モノリス2016年5月17日NO.1466 芦屋市大桝町芦屋モノリス2016年5月17日NO.1465 芦屋市茶屋之町2016年5月17日(*↑ この鳴尾御影線の道路に面したこのあたりに、かつて「星電社」という家電量販店がありました。「星電社」は神戸を中心に阪神間〜明石まで一時期はその周辺では有名なチェーン家電店でした。ここの星電社も自転車などでよく来てレコードや録音用カセットテープなどを買ったりしましたが、もう随分前に無くなりました。「星電社」自体も今は「ヤマダ電気」の傘下になって「せいでん」という店名も無くなったようです。ただ星電社という社名と三宮本店の入り口のロゴマークは残っているみたいです )NO.1464 芦屋市茶屋之町2016年5月17日(*↑ このちょっと昭和中期モダンっぽい建物は、僕が子供の頃からあります。外壁は塗り替えられているようですが、今でもちょっといい好きな建物です )NO.1463 芦屋市茶屋之町2016年4月8日(*↑ このコーヒー専門店も古くからあります。昔は木造りでもっと昭和っぽい感じだった気がしますが、とにかくこういう小さな店が健在なのはウレシイです )NO.1462 芦屋市大桝町堀萬昭堂2016年6月8日(*↑ 文具専門店の堀萬昭堂です。昔からここにあってこのあたりでは有名で、たしか芦屋の役所にも納入してるとかじゃなかったかと思います。現在、こことJR芦屋の近くと阪急岡本の近くにお店があります )NO.1461 芦屋市大桝町2016年6月8日(*↑ 店名が違うのでここだったのかどうか正確にはわからないのですが、20歳くらいではじめて美容室に行ってパーマを当てたのがここにあった美容室じゃなかったかと思います。建物自体は変わってしまっているので同じ、もしくは流れをくむ店かどうか不確かなんですが、違うかなぁー、この並びの違うところだったのかなぁー。もう定かではありません。とにかくこのあたりです。当時、たまにはそういう人もそこそこ出始めては居ましたが、今ほど「男性も若い人は美容室でやってもらう」というのが普通で無かったので、やたらと恥ずかしかったのを憶えています )NO.1460 芦屋市大桝町2016年6月8日(*↑ NO.1473のもと「本通商店街」の、一番南の端から山側を見たところです )NO.1459 芦屋市公光町2016年6月8日(*↑ 鳴尾御影線の二車線の道路が出来るまでは、この小さなうねった道が商店街と阪神芦屋駅をつなぐ道路だったようです。子供の頃はこのあたりに「商店街」を示すアーチ状の表示が残っていました )NO.1458 芦屋市公光町izaビル2016年6月8日(*↑ 大阪で働いていた1989年ごろ、そこへ新しく入社してきたコンちゃんがたまたまうちの近くでした。その彼と何度かこのビルのバーに入ったことがあります。でもそれが地下にあるバー「THE BAR」だったのか、4階にもあるバー「芦屋日記」だったのか、それとも両方入ったことがあるのか、イマイチ記憶が定かではありません。なにせ、彼は一緒にいると疲れてねー、別れるとヘロッとなったものでした )NO.1457 芦屋市公光町izaビル2016年6月8日(*↑ NO.1458とツインになっている横の棟です。このコンクリート打ちっぱなしのオシャレなビルがいつごろ出来たのか、はっきりとは憶えてません。NO.1458で書いたバーのオーブンが共に1980年中頃になっていたのでその頃なのかなぁ。とにかく出来た時は「おっ」と目をひく当時の〝今っぽい〟建物でした )NO.1456 芦屋市公光町ロンドン2016年6月8日(*↑ ここも古くからある洋食屋さんです。まだやっているようで驚きです。中学くらいの時に一度だけ家族と食べに入ったことがあります。たしか、ここのオーナーの娘さんが中学の同学年だったんじゃないかと思います )NO.1455 芦屋市公光町2016年5月17日(*↑ 阪神芦屋駅のちょっとだけ東のこの小さな路地は昔からあります。なんだかこの小さな道を通るのが子供の頃からお気に入りでした )NO.1454 芦屋市公光町2016年5月17日(*↑ この場所のレンガの建物は昔からあってなんだか好きなのだけれど、古いそのままなのか、それとも建て替えたのか、どうなのでしょうか。今ここはこの雰囲気にピッタリなオシャレなレストランが入ってます )NO.1453 芦屋市公光町Pantry2016年5月17日(*↑ 阪神芦屋駅の線路北側の出口の斜め前にあるスーパーです。このスーパーが出来たのは間違いなく阪神淡路大震災の後ですが、その前は何があったのだったっけ? と思い出そうとしているのだけれど、サッパリ思い出せません。うーんここはもともと何があったのだったっけかー? ) NO.1452 芦屋市公光町阪神電鉄芦屋駅2016年6月8日(*↑ 阪神芦屋駅の東側の北出口です。昔と全く変わっていません )