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FaceBookで「友達」になっている人とのやりとりで、以前、「スーパークロスワード」誌に描いたイラストで、ある絵の話が出てきました。それは、「スーパークロスワード」誌のイラストの初期に、シリーズの様にしてパターン化して描いていた絵です。「何かの着ぐるみを聴いてるコ」で、探すと何点かありました。で、そのやりとりの中でそのイラストの画像を、FaceBookに載せたのだけれど、まとめて載せると何だかオモシロかったので、ここでもまとめて載せようと思います。じゃあ、いきますよ。以下。彼に名前は特にありません。------------------------------------------------- -------------------------------------------------もう随分前に描いたものですが、こうやってまとめて見てみると、このコの感じは、まだまだアレコレいけそうな気がするなぁ。これからも、もし出来れば、「昔描いた絵とか文章とか作品」とかの再発掘を、このカテゴリーでたまにやろうかと。そんなこんなです。
サイト「なごむアトリエ」内での、「なごむ亭元楽」名義のイラストパズルのコーナーに、「ネコパズル」を置いておくページを追加しました。『スーパークロスワード』誌で、2006年からやっている自分で問題も考えるパズルです。
これ。↓ ちなみにこの回↑の問題は、(1) 頭に赤トンボを載せてるニャ(2) 体の色はグレーだニャ(3) 長袖の服を着ているニャ(4) タテジマのズボンをはいてるニャ(5) サンマを持っているニャ(6) 台風も持っているニャです。この条件全てに合うコをひとり探してみてください。さて、「コンビニヒーローパズル」でもそうなんですが、この「ネコパズル」には、いつも必ず「謎のおじさん」が登場しています。↑のパズルの上から3弾目の一番右にもいますが、この人です。↓ この人は毎回どこかにいます。そもそも、1回目ではこんな感じで、↓ 髪の毛はありませんでした。それが2回目では斜め横に向かって毛が出て、と思ったらこれはネコミミがあるので、おじさんでは無いですね。↓ 3回目ではまたちゃんとネコミミのないおじさんが。なんと茶髪でした。↓ 4回目以降から今に近い感じになります。↓ ピンクの着物だった時もあるし、↓ 頭の鳥が3羽の時もありました。↓ いつしか、一升瓶のお酒を持って、酔っ払っているようになり、以前は、反対の手にスルメを、持っていることも多かったですが、↓ 最近ではだいたいこんな感じです。↓ こんなに毎回出ているわりには、そう目立っていません。だから時には大きくとりあげてあげたい、作者です。そう、大きく!! | うい〜っ! / では、「サイト〝なごむアトリエ〟のトップからしっかりと順に見たい」という礼儀正しくなおかつ、たおやかな人は、こちらから。↓「いや、そのコーナーの中のトップのページからスカッと」という的を得ているアナタは、こちらから。↓そんでもって、「何度もクリックするのがめんどくさぁぁい」という今どきのキミは、こちらから↓どうぞ。これでとりあえず、〝なごむ亭元楽〟名義のイラストパズルの為のコーナーは、ページが出そろいました。あとは、またここに、新しく描いたものを積み重ねていくだけです。で、終わったので、次は、コイツ↓ 『まちがいさがしメイト』誌に掲載している、「チュンチュンのまちがい探し」を載せておくためのコーナー、作りです。
そんなこんなです。
まずは、『デラックスクロスワード』のイラストが、トントンと完了。編集部からのお題は、「次は『とと姉ちゃん』と『真田丸』 朝ドラと大河ドラマ」↓ 編集部からのお題は、「あふれかえるカタカナたち 反対語を調べてみた」↓ 編集部からのお題は、「座ったままでラクラク操作 何でもリモコン生活」↓ それから、『ナンクロメイトDX』のイラストもスイスイと完了。編集部からのお題は、「読むのも書くのも難しい!?」↓ 編集部からのお題は、「めまぐるしく 変化する」↓ 編集部からのお題は、「旨みが ギュッと詰まった」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています) なんだか、急激に、朝晩の寒さが強くなってきた。冬が来ようとしてるんやなぁ、と実感。けど昼は相変わらず日差しが強くて、外を歩いていると、妙に暑かったりするのたけれど。今から20年ほど前に、『競馬塾』という競馬雑誌にイラストを描いていた。そもそも、その前に働いていた会社で一緒だった、当時仲良くなりはじめていた〝西田さん〟が、その雑誌に競馬の記事を書くことになって、イラストを描いてくれないかと頼まれて始まった仕事だった。その『競馬塾』のイラストは1999年に終わったのだけれど、3年ほどたって当時編集者だったYさんから連絡があり、「今、パズル誌の編集長をやっているのですが、イラストのお願いをできますか?」と始まったのが、今もやっている、「マガジンマガジン社のパズル誌」のイラストの仕事だ。そう、↑上の写真のイラストも。だから、もうそこから13年くらいやっている、このパズル誌のイラストの仕事は、『競馬塾』をやってたからこその仕事だ。こう、やってきたことが、つらつらーっとその後に繋がって。で、このところ、サイト「なごむアトリエ」の方で、今までパズル誌に描いた絵を載せておくページを、順番に作って載せているけれど、今日「ネコパズル」のページを追加したので、〝なごむ亭元楽〟名義のイラストパズルコーナーは、とりあえず全て設置を終えた。この次は、「チュンチュンのまちがい探し」のページを作るのだけれど、ふと、さらにその次は、その、『競馬塾』のイラストを載せておくページにしようか、と思いついた。昨日、トランクルームに行って、その競馬塾の当時の原稿のコピーの入ったファイルを、(残念ながら原画の原本は僕の手元には残っていない)部屋に持って帰ってきた。そして、昨夜寝る前に、パラパラと見てみた。懐かしい。ちょっと笑った。「うーん、今より線がキレイだ。絵もウマくないか?」なんてことも思ったりしながら。20年くらい前の自分が描いた、20年くらい前の絵だ。うん、また、「なごむアトリエ」に載せます。この間、量販電気店に行った時に、途中にあるお寺の表の掲示板で見かけたお言葉。 そんなこんなです。
〝なごむ亭元楽〟名義で問題も考える、次の次の号の『おもしろ アロー&スケルトン』誌掲載用の、うさピョンパズルが完了。 (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)一昨日、比較的近所ではあるけれど、普段は通らない道をフラフラっと通ってみた。すると、小さな小屋に、多くのお地蔵さんを集めたような場所があった。 おそらく、だけれど、これはきっと、近隣の、私有地にあって新しい建物が建つので居場所のなくなったものとか、道路や川の傍にあったが何かの理由で立ち退かざるをえなくなった、そういうお地蔵さんたちを集めたものだと思う。だいたい、「お地蔵さん」というものが好きだ。決して「地蔵菩薩」というものに詳しいわけではないが、町や道のあちこちに佇んでいる姿が、なんだかとっても好きだ。なので、ちょっと足を止めて見ていた。で、小屋のある部分の奥に4体ならんでいるうちの、一番左にあるお地蔵さんに目をひかれた。 おぉ? いいお顔なんとちゃう? もっとよく見てみる。ほんとにいいお顔だ。 たくさんの子供達を守ってくださいねー。そんなこんなでした。
前にも書いたけれど、次の絵は、これの完成を予定してます。 で、それ以外にも、描きかけのものがいくつか。まずはこれ。↓ もう別にこれでいい気がしない訳ではないけれど、はやり、もうちょっとちゃんと向きあって、「おしまい」のキモチの確認を絵と交わしてから。それに、右下の手だかなんだかわからなところが、「手だ」なのか「手でない」なのか、「どっちでもええねん」なのか「ハンパなままにしとく」なのか、そのあたりがキモチ的に保留のままだし。↓これは、あまった絵の具がもったいないので、ちょっとずつボードにこすりつけているうちに、こんな感じになった。 真ん中の下あたりで白く抜けているところに、何か(おそらく女性)を描いてはどうかな、と、思っているところまで。↓これも、使った絵の具が余った時に、ちょこっとずつ落書き的に絵の具を置いてる。 9月に「ピースカード展」に出した男女の裸の絵の、右側にあしらった色の模様は、そもそもこれをもとにして描き写したもの。これはこのまま時々絵の具をこちょこちょと置いて、「もういいか」というところまできたら、何かのパターンとして使ってもいいかもしれない。たとえば手帳とかの模様として。↓これは、ふと、「横を向いて叫んでいる女性」を描きたくて。軽くちょっと鉛筆で描いて、色を塗ってみた。 まだ、どういう風にしたいのか、またこのまま進めるのか、わからないけれどとりあえずはこのまま。で、ここに写真を載せて見ていると、後ろに重ねているパターンのような別のものと、くっつけちゃって一つのものにしてもいいか、なんてことも思う。↓これは、もう去年になるか、青い絵の具を使って余ったもので、ブルー系をグルグルッと塗って、そのあとで真ん中ピンクと、横に人の形を置いた。黒目が入ってないので今はちょっとコワイけれど、まぁ、そう思わずにいてほしい。で、この絵の、色の配色の参考にしたい写真を、作業机の上に貼っているのだけれど、その写真の全体の色味を参考にしながら、「こんな感じにしたい」というイメージはもう出来てはいる。↓これは、キレイな赤い絵の具を何かで使ったとき、その余ったモノで、ふと、「ちょん、ちょん」と白い紙に十字に描きたくて、やってみて「ああ、白に赤はキレイなー」なんて思って。 まぁそれだけで、その後はそのままで、どうにかしてあげたいのだけれど、今はまだ何も思いついていない。別に「抽象絵画」を目指している訳ではないので、このままではなくてどうにかするのだと思う。↓これは、青い絵の具が余ったので少しシャシャッと塗ったものに、あとで少し色を付け足したもの。 この時点では何も思いつかずただ塗っていたけれど、↓下の絵を描いてから、それとの連作にしようかと、そう思ったりしている。↓その、これは、カメラをやっている友人が家に来たときに、何か絵を描いているところを写真に写したいというので、なんとなく描いてみたもの。 顔がまだ描かれていないのでコワイかもしれないけれど、そう思わないで。で、この女性と同じものを、上のブルーの描きかけの方にも描いて、女性は同じでバックの違う「陰と陽」の連作にしようかと、こうやって並べてから思いついて。以上が今現在の描きかけのアレコレ。ここ2.3年で、「ちょっとずつちょっとずつ描き進めて、長く時間がかかってもちゃんと納得いくところまで、面倒をみて終えてあげる」というやり方を習得してきた。特に最近まで描いた、「青い花」「ポートタワー」「阪急三宮駅」の3枚の女性の絵で、そうやって進める時の感触のようなものをつかんできた。ので、「バーッと思いついて途中まではやったけど、後はもうそのままやなー」とか、「こういうの一度に短時間でやらないと時間たったらやらないよねー」とか、もうそういう80年代90年代的で表面的な感じや、20才代>30才代>40才代くらいまでのいちびったようなこともなく、多少時間がかかっても、少しずつでも、忘れずに、ちゃんと相応にやりきってあげることを目掛けています。それが、いわゆる、人が見て、「いい絵」と言われるのか、「いいことない絵」と言われるのかは、あっちかこっちに置いといて。そんなこんなの、「描きかけパラダイス」てす。
一週間くらい前に、「でーれーガールズ」という映画を見た。岡山県岡山市を舞台にした映画だ。 「でーれー」というのは岡山弁で、「とても」というようなニュアンスでいいのかな?たぶん「どえらい」が変形したものなのだろうけれど、関西弁では意味的に「ごっつい」とか「めっちゃ」に相当するもの、でいいのかな?学生のころ岡山県出身者が回りに何人かいて、またその中で今でも付き合いのある岡山在住の友人もいて、「でーれー」とか「おえん」とかの岡山弁は、昔からなじみがある。その映画自体は、「いい」と思うかどうかは人それぞれだと思うけれど、意外と「ぜんぜんダメ」な映画ではなかった。とにかく、ほんの数回だけれど行ったことのある岡山の街を見たかったり、言葉とか聴きたいなぁと思って観てみた。内容は、最近の青春モノに多い、軽いコメディ調頑張りプチサクセス映画かと思ってたけど、そうでも無かった。けど、きっと岡山人の僕の友人などが観たら、中国地方出身以外の出演者の岡山弁は、「ありゃ、ちょっと違うんじゃ、おえんわ」かも知れないなぁ。僕などもドラマで、「妙な関西弁アクセント」をずっと聴いたりすると、「むむむ」とどこかがかゆくなるみたいになるけど、それと一緒かもしれない、と思ったりもする。「湯飲み」が欲しくて買ってきた。 いわゆる、フツーの湯飲みが、でも「百均」とかでは無くてちゃんとしっかりした、そういうものが欲しくて、先週、画材などの買い物のついでに三宮で探してみた。で、「サノヤ」さんでこの湯飲みを見つけた。「サノヤ」さんは前から元町に本店がある、和食器のお店だ。若い頃に元町を神戸駅に向かってブラブラして、6丁目に「サノヤ」の看板の前を通ると、ちょっとウレシイキモチになったりしたお店。三宮にもお店があって、今回はそちらで買ってきた。もちろん、おんなじ「サノ」だけれど、親戚じゃありません。関係ありません。それにしても、30年くらい前の若い頃は、和食器の店などはなんだか古くさい気もしていたけど、今回、ちょっとお店の中をぐるっと見せてもらって、僕の目も変わったとか、作り手も世代が変わったとか、時代の空気が変わったとか、いろいろと理由があるのだろうけれど、なんだかとてもオモシロイと思うものもあって、ああいいなぁ、なんて思った。ガラスで出来ていてフタが陶器で、そのフタにシンプルでシャレタ絵付けがしている、欲しくなるような醤油差しがあって、もうちょっとで買ってしまうところだった。ということで、是非、神戸においでの際は、和食器専門店「サノヤ」「サノヤ」!「サノヤ」へどうぞ!(だから親戚でも関係者でもなんでもないんやって) その買い物に行った日は、夕方に部屋を出た。見上げると秋の空。駅のホームに立ったときは、もう太陽が沈みかけていて。
神戸三宮行きの特急電車が、御影駅を通り越して西に向かったり、 大阪梅田行きの電車が西からやってきて、 ホームに入ってきて停車したり。 なんか感じが、秋やねぇ。そんなこんなです。
続いて、「コンビニヒーローパズル」のページを追加しました。なごむアトリエ内の、最近つづけてアップしている、「なごむ亭元楽」名義のイラストパズルのコーナーにです。『ラッキー! クロスワード』誌(初期は別の雑誌名)で、2007年からやっているパズルです。
こういうの。 ちなみにこの回↑の問題は、「コンビニワンダー7」をさがせ!(1) 頭に「7」がついてるぞ! (2) マフラーをしているぞ! (3) 胸に「11」がついてるぞ! (4) 青い手袋をしているぞ! (5) コーヒーを持っているぞ! (6) くつ下も持っているぞ!です。この条件全てに合うコをひとり探してみてください。(泣いている議員さんがいますね)これは自慢ではなく自負ですが、上にもあるようにその回の正解のヒーローには、名前をつけてます。で、今回載せたものだけで32回分あるのですが、そのヒーローの名前は一度もダブってません。全て違う名前がついてます。この先も、まだ少なくとも10回くらいは違う名前でいくのが可能です。(名前はもう、ストックしています)まぁそのあたりもフムフムへへへと見つつ、眺めてもらえたら。良ければどうぞ。では、「サイト〝なごむアトリエ〟のトップから筋を通して観ていきたい」という心のちゃんとしたのびやかな人は、こちらから。↓「いや、そのコーナーの中のトップのページからでヨロシク」という時間をタイセツにするアナタは、こちらから。↓ そんでもって、「もうすぐぢゃないとイヤなのなのなの! キッ!」というせっかちなキミは、こちらから↓ どうぞ。そんなこんなです。
先日、サイト「なごむアトリエ」に、「ペンギンパズル」のページを追加したことを、ここでも紹介しました。が、あとで気づいたのだけれど、あのペンギンたちの正解のコには、それぞれ名前がつけられているのでした。いつもパズルが仕上がったらそのデータと共に、正解を描いたものも添えて編集部に渡すのですが、そこに「〝●●ペン〟を探せ」みたいな感じに、名前を決めて書いておくのです。 例えば、この回の場合は、↓ 「タケペン」です。タケノコを持っているから、という、「そのままやんか!」という理由からです。↓この回は、「ペッタペン」です。 餅つきの「きね」を持っているからです。「餅つき」→「ペッタン」だからです。「えらい間接的やなー」な理由からです。↓この回は「ボウペン」です。 頭に虹→頭に「レインボウ」→おしりの「ボウ」をとって、「ボウペン」。バンザーイ。バンザーイ。↓そして、この回は「リョウペン」。 ちょっと難しい。 ゴルフクラブを持っているので、当時話題だった「石川遼」君の「りょう」から。「それ、わかるかーっ?」な理由からです。そして、↓これが僕自身も忘れていました。名前みて最初「へ?」と思った。 ↑「ペンゴーどん」。「サツマイモ」→「薩摩」→「西郷どん」→の、「ごーどん」をくっつけて。「なんじゃそら。絶対一発ではムリ!」な理由です。なんでもアリです。まぁ、そうやって、とにかく名前をつけています。今回見直してみてどうしても理由が思い出せないものもありました。「ペン吉」というのがサッパリわかりません。また、やり始めの2つは「ペン助」「ペン蔵」という名で、どう考えても「???」なので、たぶん、最初は深く考えずに、軽くテキトーにつけていたのでしょう。そんなこんなの42問分の名前を、「何故この名前にしたのか」なんて考えながら、再度見てみようと思った場合は、どうぞ時間のあるときに是非。直接「ペンギンパズル」のページにリンクしておきます。こちらから↓
左目(向かって右側の目)の感じが、少しひっかかっている。 だから、そこだけ何度か少し手直しして、黒目の大きさや位置を触ってみたり、スキャンしてブリントしたものを利用して、目全体を大きく描き変えてみたりしたけれど、結局、もとのこの感じに戻ってしまう。たぶん根本的な骨格の位置みたいなものが、ちょっとうまくいってないのだと思うけれど、それでもずっと見てあげているうちに、感じは何となく収まってきて愛着も出てきているので、これでおしまいとして筆をおいた。まぁ、これ以上触っても結局ぐるぐると、同じことを繰り返しそうな気もするし、また、絵の具を置いていてたまたま何かの拍子で、「おっ、これはいいじゃぁないか」という感じになったとしても、それはまぁいわば、「たまたま振ったらホームラン」みたいなものかなと。決して「自分の限界」という意味ではないのだけれど、「現時点での自分の技量」では、ここまでくらいが正直なところなんだろう。だから、それを記録しておくためにも、ここまで。友人Nの「神戸の街と女の人を組み合わせた絵を描いて」という言葉と、「震災前までの阪急三宮駅のビル」に対する愛着と、「昔のそごうの紙袋が描きたい」という思いつきから、なんとなく無計画にちょっとずつ描き始めてからここまで。 2012年7月1日 ▼ 2013年3月4日 ▼ 2014年1月13日 ▼ 2013年3月16日 ▼ 2014年5月6日 ▼ 2014年6月10日 ▼ 2014年9月4日 ▼ 2014年10月30日 ▼ 2015年3月18日 ▼ 2015年8月2日 ▼ 2015年8月30日で、もし出来れば、次はこれを描き進めたいと思っている。 女性の後ろにあるのは、震災後に仮駅舎時に出来て、それからずっと、今もある三宮駅の建物だ。で、これは、そう、上の昔の三宮駅の絵と2対になったものになる。昭和の三宮駅と平成の三宮駅(現在の名称は神戸三宮駅)の連作。 で、近い将来、きっと変わるであろう、神戸三宮駅の新しい建物が出来たならば、その建物をバックした絵を描いて、全部で「3連作」にしたいなぁ、と思っている。そんなこんなです。
※阪神淡路大震災までの阪急三宮駅(神戸阪急ビル) Hajime Sano
まずは、先週になるけれど、『スーパークロスワード』誌の次の次の号用の、なごむ亭元楽名義の「ネコパズル」完了。 それから今週、『まちがいさがしメイト』誌の、なごむ亭元楽名義の「ペンギンパズル」完了。 それから、同じく『まちがいさがしメイト』誌の、こちらは佐野元名義の「チュンチュンまちがい探し」完了。 そして、『文字の大きなクロスワード』誌分のイラストも完了。編集部からのお題は、「社会の共感を得た言葉たち 流行語が時代を映す!」↓ 編集部からのお題は、「仕事に欠かせない〝付きもの〟 職人の仕事道具」↓ 編集部からのお題は、「恐れずに前進あるのみ 未来に向かって走る!」↓ 編集部からのお題は、「謎多き南米ペルーの世界遺産 ナスカの地上絵」↓ 編集部からのお題は、「満タンじゃないと元気が出ない たっぷり栄養をとりましょう」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)最後は〝あおいちゃん〟です。(前にここで出てきたこと憶えていますか?)秋ですねぇ。急にガクンと涼しくなってきました。 今日は締め切りが2つでした。上にもある「チュンチュンまちがい探し」と、「文字の大きなクロスワード」。この頃では、こんな風に同日に2つの締め切りを残すのは珍しくて、たいていどちらかを先に済ますのだけれど、(ここ、学生時代の友人が「ええっ、昔の佐野では考えられない」と思うところ)今回は何故か上手くいかず、珍しく久々に2つ同じ日に仕上げて、出すことになってしまいました。こういうタイトになった時は、朝起きた時から気分が、「むむむむっ、できるかむむむ、よーしやるぞぐぐぐぐ」と、臨戦状態になります。と言っても、どちらも全く手つかずな訳ではなく、昨日、両方ともに下描きとペン入れは済まして、パソコンにも取り込んだところまでは終わっています。でも、「文字の大きなクロスワード」が、点数が多くて、ちょっと凝ったことをしないといけないものもある。見積もって、「時間はギリギリピッタンコって感じやなぁ」と思いなから、朝から作業を始めました。 まず、「文字の大きなクロスワード」の作業、パソコン上で線画を整え、黒やアミ点の部分を塗っての作業。午前中に進めて間にお昼を挟んで、ひとまず5問分をプリントするところまでで3時。僕はイラストのみのものに関してはデータ送りでは無く、プリントしたものをクロネコヤマトの宅急便で送っているので、発送までの作業があるのだけれど、ここで一旦「チュンチュンまちがい探し」に移ります。「チュンチュンまちがい探し」は、昨夜にレイヤー(絵の層)を作っておくところまでをやっておいたので、線画にドンドン色をつけていって、そのあと塗りの作業も。なんとか5時ごろに無事完了して、編集部にデータを送って、こちらは完了です。(何故あっちがヤマト便送りでこっちがデータ送りなのか、説明すると長くなるので省略。まぁ、とにかく、「出来ない」とか、「こだわってやらない」とか、そういう訳ではないのです)そのあと、その担当の編集者にメール送りや軽い片付けをしてから、「文字の大きいクロスワード」に戻ります。発送作業です。 プリントしたものをケント紙に貼ってカットして、絵を保護するトレペをかけて、その上から問題のナンバーや号数などを書いて、キャプションや注意書きを書き込みます。(昔ながらのやり方です)それを段ボールと共に封筒に入れて、ヤマト便の伝票を書いてちょっと片付けをして、服を着替えて準備をすませて家を出たのが6時25分くらいでした。クロネコヤマト便は、この地域の場合、夜の7時までに営業所に持って行けば、翌日午前から東京に着きます。ここから歩いて15〜20分くらい。営業所に着いたのが6時45分頃。まさしく、ギリギリピッタンコでした。別に手は抜いていないし、ちゃんと普段の手順でやったし、「慌てたゆえのチョンボ」もしていないし、「はぁ〜、終えたな〜」とホッとひと息です。まぁ、ペエペエの駆け出しではないので、「ハァハァハァ…」という感じではないのだけれど、何でいうのかな、終わってちょっとの時間は、「しばしポッカリ」な感じはあります。それは「充実感とワンセット」でという感じに。まぁ、そういうのがまた、基本的に嫌いではなかったりするのかもしれません。 そして、今日のように「少し気合い入れてやってギリギリピッタンコ」の時は、「いかに、途中で焦ってくじけたりしないでいれるか」がカギになります。つまりは淡々と集中してやれば出来るのに、ゴールが見える前に「あああああ、きーーーーっ」となって自分からグシュグシュになってしまったり、しないように。これは、何度も「ああああーーっ」(グシュグシュ〜!)になったりして、そういう経験をして多く数を踏んでから、次第にそうならない様になっていくしか無いのでしょう。僕も過去にはよくグュグシュになったものです。そこんところの自分制御が、一番エネルギーを使うかもしれません。こういう時は。まぁ、「少し気合い入れてやってギリギリピッタンコ」にならないように、前もって段取りできて、が、本当は精神的にはベストかな。胃と眉間もラク出来るしなー。そんなこんなです。
先日、サイト「なごむアトリエ」に作った、マガジンマガジン社のパズル誌の仕事の、「なごむ亭元楽」の名前でやっているイラストパズルを、ドカッと載せておくコーナー。そのコーナーに、「ペンギンパズル」のページを追加しました。『まちがいさがしメイト』誌で2008年からやっている、「ペンギンパズル」をまとめて載せておくページをです。
こういうの。 ちなみにこの回↑の問題は、(1) 頭にミカンを乗せてるペン (2) 体の色はグレーだペン (3) 蝶ネクタイをしているペン (4) 足の色は赤だペン (5) マンボウを持っているペン (6) ウッドペースも持っているペンこの条件全てに合うコを1体探してみてください。では、「サイト〝なごむアトリエ〟のトップから律儀に観たい」という心のヨユーがあって丁寧な人は、こちらから。↓「いや、そのコーナーのメニューなどがあるところからで」という合理主義なアナタは、こちらから。↓ そんでもって、「パッと見たいからそのページだけを教えて! キッ!」というせっかちなキミは、こちらから↓ どうぞ。そんなこんなです。
『コンビニ限定クロスワード』誌分のイラスト完了。編集部からのお題は、「冬の味覚の王様? カニの生態を知る」↓ 編集部からのお題は、「大陸と島国の名コンビ!? オーストリア&ニュージーランド」↓ 編集部からのお題は、「パズルなのに!? 解かない方がいいって、何故?」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)いつのまにか。その昔、関西での「うどん屋さん」というものは、「大阪風のふにゃっとしたうどん」であったのに、今では街のアチコチで、「讃岐風のコシのあるうどん」がハバをきかせるようになった。 僕の子供の頃、つまり昭和の中頃は、市場とか商店街の一角にたいてい「うどん屋さん」があった。他の阪神間や神戸でも、きっとそうだったんじゃないかな。気取らない庶民的な「うどん屋さん」。そういう「うどん屋さん」は、「大阪風のふにゃっとした麺のおうどん」だった。かつ、おつゆの色は薄めで、でもダシの旨みがしっかり効いているものだった。そして、たいてい、「フツーにおいしかった」。あのころは、「あの店が美味しい、だの、最高、だの、グルメだの、神、だの」イチイチそんなことをキャーキャー言わなかったけれど、今思えばたいていそういう町のうどん屋さんは、「フツーにおいしかった」。そんでもって、母にくっついて買い物にいったチビッコは、「おうどん食べよか?」とか母に言われ、うどん屋さんに入って、「フツーにおいしいきつねうどん」などを、フーフーと食べた。今思うけれど、母たちよ、自分が小腹が空いてたんだな〜? 推測してみる。昔はやはり、この近隣では、うどん屋さんをやっている人というものは、大阪で修業したのだろな。きっと。大阪は古くから商人の町で、その中にあるうどん屋さんで、「大将」のもとで「小僧さん」の頃から修業して、まぁ、一人前になってきたら、「善造、そろそろお前も店でもするかー」なんて言われてね。善造自身もそろそろ身もかためて、独立したいなぁ思ってね。で、一方、明治以前の神戸とか(兵庫の港は別にして)、たぶん昭和初期くらいまでの神戸東部から阪神間なんてのは、大阪に比べたら郊外の田舎で、まぁ、あるのは、田んぼと菜種油の水車と酒蔵と神社と海と松くらいなもんで、それが、そのうちに、電車が通って駅ができて住宅も増え始めて、そうなるとその近くに商店街など、ぽつぽつと出来てきてね。 ある日、善造もヨシッと意を決して、「大将、こないだの話ですねんけど、 ほんならそろそろどっかで店やろうと思いますねん。 そんで、西宮とか芦屋から神戸くらいの間で、 やってみよかと思いますねんけど、 どないでっしゃろ? 大将。どない思います?」と大将に言うと、大将も、「そうか善造、いよいよ独り立ちするか。 ええこっちゃ。お前やったらもう大丈夫やろ。 そやなー、あのあたりな。ええかもしれへんな。 最近、家も増えて開けてきたゆうしな。 そういえば、あの角の足袋屋の福留屋はんな? あそこの嫁はんの末の妹さんの嫁いだ旦那が、 阪神芦屋の駅に近くの最近出来た三八商店街ゆうとこで、 荒物屋始めたゆうて聴いたから、 まだ店出せるんか、あるなら口ききしてもらえるか、 ワシが聴いてみたるわ。まかしとき。 そうかー、お前も独り立ちするかー。寂しなるなー。 良子も公子も孝太郎も寂しがるやろなー。 お前のことをお兄ちゃんみたいに思とったしなー。 まぁ、けど、そろそろ嫁はんももらわんとあかんしな。 どや、ついでにええ相手も探したろか?」すると善造、「いや、大将、そっちの方は、あのー、もう、おるんですわ」それに大将、「なんや善造。知らんかったわ。それを先に言わんかいな」 てな具合に、前の時代においては、大阪でうどんの修業した人たちが、阪神間から神戸にかけて「うどん屋さん」を始め、そしてさらに、そのお店で修業した人たちが、また独立してお店を開き、そうやって、あの昭和中頃までの、「大阪風おうどん」のお店を、間接的に引き継いできたのではないかと、そう個人的に推測する。でも、今はたぶん、そういう「修業システム」がきっと昔ほど一般ではない。アルバイトなら働いているけれど、「うどん屋で大将の下で修業してゆくゆくはうどん屋に」という人も昔ほどいないと思う。また、かつてうどん屋さんなどがあった、「商店街」や「市場」自体が、一般的にはもうやっていけないところが多い訳で。なんとか残っていた「大将のお店」も、どんどん大将の高齢化で閉まっていく。そんな感じだと思う。で、チェーン化した会社組織の安い「讃岐うどん店」が、郊外や幹線・国道沿いにどんどん出来て。駅のビルやショッピングセンターにもどんどん出来て。ますます「昔ながらのおうどん屋さん」の客も減って。そんな風なのだと考える。大阪に行けば、まだなんとか、「大阪風おうどん」は結構残っている気がする。しかし、個人的には、神戸や阪神間でも、昔ながらの「大阪風おうどん」のお店が、バンバンとアチコチにあってほしいなぁ、と、そう感じているのである。あのふくよかだった「神戸から阪神間の文化」に、昔、全く関わらなかった人には、「そんなん、どうでもええことですわ」かもしれないが、そこで育った個人としては、やはり、そう考えるのである。 ところで、↑上の雲の写真、この中に「ジャンプするヤギ」がいます。見えた人は、頭が「ふにゃっと」やわらかいです。そうまるで、「大阪風のおうどん」のように。そんなこんなです。