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パズル誌のイラスト、2誌分が完了。まずは、『絶品クロスワード』のイラスト。編集部からのお題は、「嗚呼、しみるね~ 演歌ひとすじ」↓ 編集部からのお題は、「つむじ風に乗って やって来る~!」↓ 編集部からのお題は、「のんびり楽しみたい♪ 車窓の眺め」↓ ●続いて、『はっぴぃ! アロー&スケルトン』のイラスト。編集部からのお題は、「いろんな言い回しがあるね 失敗は成功のもと?」↓ 編集部からのお題は、「力士達が切磋琢磨 ごっつぁんです 相撲部屋」↓ 編集部からのお題は、「奥深き 芥川龍之介の世界」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)☀あとちょっとで、12月。が、まだ師走じゃないのに、なんだかパタパタと。イラストもあともうひとふんばり。ということで、今日はあっさりと、このくらい。●そんなこんなです。✓
『コンビニ限定クロスワード』誌のイラストが完了。編集部からのお題は、「つい、鼻に目がいっちゃいます!」↓ 編集部からのお題は、「江戸から明治へ… 文明開化! お手本は西洋」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)☀なんだか今日はグンと寒くなってきた。 普通のスリッパをモコモコの部屋用上履きみたいなものに替え、 薄手のダウンをシャツの上から着てさらにその上からジャージを着て、 電気ストーブを強にしてつけて「いやいやこれでも足りないか?」と心配し、 「うーっ」とか「しぃーっ」とか「さむーっ」とか口にして、 「冬が来たなーほんとに来たなー」なんて言ったりしているのである。●そんなこんなです。✓
『スーパークロスワード』誌のイラストが完了。編集部からのお題は、「毎年おなじみですか?(笑) こいつぁ春から縁起のいい!」↓ 編集部からのお題は、「起死回生の一発逆転 ピンチを脱出せよ!」↓ 編集部からのお題は、「サル年がやってきた! 初・始・新がゴロゴロ出てくる」↓ 編集部からのお題は、「浅からぬ縁を大切に… 切れても切れても深〜い関係」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)☁秋も終わりだ、あいうえお。街もしっとり、まみむめも。 寒さはまだまだ、さしすせそ。楽しく歩いて、たちつてと。入ろうこの店、はひふへほ。ワインを飲んで、わいんうえお。 焼き物煮物、やいゆえよ。なんでも食べるよ、なにぬねの。ラストはアレだ、らりるれろ。牡蠣をチュルンと、かきくぅけこ。 ん〜。●そんなこんなで、おこそとの。✓
『スーパークロスワード』誌の次の次の号用の、なごむ亭元楽名義でやっている探し絵パズルの、「ネコパズル」が完了。 それから、『クロスワード On!』のイラストが完了。編集部からのお題は、「いただきま〜す♪ お肉で元気モリモリ!」↓ 編集部からのお題は、「わかりやすく説明すると…」↓ 編集部からのお題は、「知り合いにいるといいな セレブな人」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)●以前から、ごくたまに、「iTunes」を使ってネットで映画を借りて観たりしていた。それが、最近「amazon」でも、「amazonビデオ」として「映画」自体をレンタルして見ることが出来るようになったことを知った。モノを買うのと同じように検索して、「2日間以内の視聴で幾ら」みたいな感じで観ることが出来る。それから、「YouTube」も、支払いをGoogleと連携して、同じく「映画」のレンタルを始めたみたいだ。ともに支払いは、クレジットカード以外にも、コンビニなどに売っている幾らか分の「ギフトカード」を買って、(そもそもそれぞれ映画以外にも利用できるのだけど)コードを入力して登録して、その金額範囲内で使って観ることが出来る。 非常に手軽に、ネットでレンタルが出来るようになってきた。おお、そうかー。だんだんそうなってきたかーと。これらはパソコンでも見られるけれど、それよりもかなり安い専用機器を買えば、今までのビデオと同じ感覚でテレビに接続して見ることも出来る。うーむ、これは、あと数年したら、次はレンタルビデオ屋さんが減っていくかもしれないなー。まだなんとなく、「いやいや、まだまだダイジョウブちゃいますの?」と、思っているうちに、サーッと変わっていくかもしれない。 だからという訳ではなく、たまたま偶然なのだけれど、実は2ヶ月くらい前から、「見たい映画・興味がひかれる映画」のリストを作っている。僕が親と以外で初めて映画を観にいった時期、中学生くらいの1975年あたりを始点にして、年ごとに順番にその年にやった映画をチェックして、どんな映画なのか知らない場合は内容を調べて、「見たい」「当時見たかった」「見たけどもう一度みたい」と思うものをリストアップしている。方法は、その年ごとに映画がリストアップされている、「〜年の映画」というページがWikipedia内にあるので、そこからのリンクでそれぞれの映画のページに行って内容を見て、さらに知りたい時は、「amazon」のその映画のDVDなどのプレビューを読んだり、「YouTube」で予告編を見たりして、「おっ」と思うものをレポート用紙にリスト書きしている。が、これが、想像できると思うけれど、もう、タイヘン。おまけに、近年になるほど本数も多いし、またここ10年程はほぼ観ていない映画ばっかり。もちろん、他にもするコトはタクサンあるので当然、これだけにかかりっきりという訳にはいかない。しかし、例のここ2年くらいの間に習得した、「毎日ほんのちょっとずつでも必ずやって、 飽きたりしんどくなるキモチを押さえつつ、 しかし気がつけばあっという間に日にちがたって、 おやおや沢山出来ているじゃあ〜りませんか」方式で、9月の終わり頃からこちょこちょやっている。で、今、2011年分まで終わっていて、11月中には今年現時点までの全てが終わりそうだ。 それにしても、映画というのは、ほんとに知らないうちに知らないものが、タクサン世界中で作られている。ストーリーや解説などを読むと、日本内の一般でそんなにヒットしなかったものでも、「ああ、オモシロイ視点で考えるなぁ。観たいなー」、と思ったりするものがタクサンある。でも、今までのようにレンタルだと、お店に置かれる数に限界があって、欧米や韓国中国インド以外の国の映画や、昔の少し地味な名画やそう人気にならなかった映画は、どう考えてもそんなには置けない。かといって、ネット販売なら今は色々買えるが、「映画関係」を生業にしているとか、映画マニアでないかぎり、金銭や場所の問題でDVDやブルーレイなどを、内容を知らずにドカドカ買うのも難しい。そういう意味ではやっぱり、ネットのレンタルはいいのかもしれないなぁ。店舗のレンタルよりもさらにいいのかもしれない。僕のように欲張りで、「ヒット作も観たいがそれ以外のちょっと違ったいい映画も知りたい」と思う人間にはよりいいかもしれない。「あっ、これ、あるんやー」なんて、レンタルでは見つからなかった映画も、このシステムなら観られるかもしれない。おまけに、内容をあらかじめ調べてリストしておくと、「誰が観ても駄作」みたいなものは避けることが出来る。うん。リストが出来たら、ちょっとずつスタートしてみよう。「iTunes」はもともと利用出来るし、「amazon」「Youtube」はギフトカードを用意して。 あ、もちろん。映画なのだから、館で上映しているモノに関しては、映画館の大スクリーンで観るのがやはり素晴らしいと思うのだけど、これは、あくまでも、そのあともうモニターで見るしか無い映画の話ね。そんなこんなです。☀
■タテパノラマ、僕が育った街「芦屋編」。今回もタテパノラマとしては例外的に、ところどころ説明文を入れていきます。NO.1180 芦屋市平田町2015年11月11日(*↑ 阪神淡路大震災の折にこの芦屋市と神戸市の境界のあたりで、ニュースでも大きく取り上げられた阪神高速道路の倒壊がありました。震災後の当初、実家と自分の部屋を何度か自転車で往復した際に一度、この現場を通りました。馴染みのある高速の高架が横倒しになった大きな斜めの面を持つ巨大な物体を、非現実でシュールな不思議な感覚で見上げことを憶えています。あのなんとも言えない〝頭の中が全てリセットされるよう〟な妙な感じは、たぶんずっと忘れることはないと思います) NO.1179 芦屋市平田北町芦屋中央郵便局2015年9月11日(*↑ 古くからここにある芦屋の中央郵便局です。不在時に届いた荷物を取りに来たりもしましたが、大学の卒業から就職までの休みに、郵便配達のアルバイトをしたことがあり、建物の裏手の通用口から入って、あの赤い自動車で出て市内のアチコチを走り回りました。ここのもう少し西に行くとその昔、「芦屋ボウル」というボウリング場がありました。昭和のボウリングブームの頃に、学校の友達と来たり、当時会社のクラブか何かに入り凝っていた父親に付き合って来たりしたものです) NO.1178 芦屋市川西町芦屋市立体育館・青少年センター2015年9月11日(*↑ 郵便局の北の阪神電車の線路の山側、阪神芦屋駅の西方向に、グラウンドと向かい合わせで位置する「体育館、及び、芦屋市立青少年センター」です。市民であれば体育館を利用することが出来て、また市内の色んな体育施設の予約もここで受け付けていました。前回まで時々写っていた友人Yなどと、何度も卓球をしにきました) NO.1177 芦屋市川西町2015年9月11日(*↑ 正面右のバックネットの場所が「川西運動場」というグウンドです。高校生の頃だったか、この正面の交差点、向こうの坂から自転車で下って写真右の方向に曲がろうとした時に、後ろから来た左折の軽トラに巻き込まれたことがあります。幸い大きなケガはなかったのだけれど、右手の甲に今でもその時の傷跡が残っています) NO.1176 芦屋市川西町川西運動場2015年9月11日(*↑ 阪神芦屋駅の西北にあり電車からも見えている「川西運動場」です。昔は「芦屋グラウンド」と呼んでいた気がしますが、確証はありません。また、小学生の頃だったかに、何かでここに入ったことがある気がするのだけれど、それまた思い出せませんでした)NO.1175 芦屋市川西町川西運動場2015年9月11日 NO.1174 芦屋市平田北町2015年9月11日(*↑ 国道43号線が芦屋川をまたいでいる橋のその歩道から北向きです。正面が阪神芦屋駅、その背景に六甲山、川の右岸の建物が芦屋市役所です) NO.1173 芦屋市平田北町2015年9月11日(*↑ No.1174と同じところから、市役所を向いています。手前の白っぽい南館は比較的新しい建物です。それが建ったのが何年頃だったのか、震災のちょっと前だった気がするのですが、調べてもわかりませんでした。ただ、震災時の手続きで出入りしていた時にはもうあった気がします) NO.1172 芦屋市浜芦屋町2015年9月11日(*↑ 芦屋川沿いで国道43号線の南沿いにある「クレリ芦屋ホール」という葬儀場です。ここは子供の頃は喫茶店があったように憶えています。父親の運転する車で43号線を通るたびに、「一度入ってみたいなー」と思いながら見ていました。その思いがかなうことなく、いつしか無くなってしまいました) NO.1171 芦屋市浜芦屋町2015年9月11日(*↑ 右が芦屋川、道路をはさんで左が公園、南側の海方面を向いてます) NO.1170 芦屋市浜芦屋町2015年9月11日(*↑ この上に国道43号線が通っています。阪急芦屋川駅や阪神芦屋駅から家に帰るために阪急バスに乗ると、ここをくぐって浜手へと走って行きます) NO.1169 芦屋市浜芦屋町2015年9月11日(*↑ バスや自動車が多く通るこの道ですが、一応小さな歩道がついています。バスやトラックが通ると圧迫されて少し怖くもあるのですが、男の子たちはスリルを感じてあえて好んでここを通っていたように思います) NO.1168 芦屋市浜芦屋町2015年9月11日(*↑ 北向きです。正面でトンネル状になっている上が国道43号線、さらにその上の高架が阪神高速道路。そして左が芦屋川です) NO.1167 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)2015年9月11日(*↑ 国道43号線より南で、芦屋川沿いの東岸に、旧海岸線まで細長い公園があります。その途中にこの「芦屋公園」と書いた標石があります。ただ、僕らはここ全部を「松浜公園」と呼んでいました。ネットで検索するとどちらも出てきます。どっちなのでしょう? どこかに区切りがあるのか、時代によって違うのか、正式名称と通称とかでどちらも正しいのか、それは知りません) NO.1166 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)2015年9月11日(*↑ 稲畑汀子さんという芦屋在住の俳人の方が詠んだ句をモニュメントにしたものだそうです。こんな風にこの公園には、幾つかの碑やモニュメントが置かれています) NO.1165 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)2015年9月11日(*↑ 今はどうか知らないですが、昔はここで毎年秋に「菊花展」が行われていました)NO.1164 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)2015年9月11日(*↑ ここには立派な松が並んでいます。昔は僕の実家の前のテニスコートにもタクサンの松が並んでいたことを思えば、明治までの小さな漁村だった頃の芦屋ではきっと、浜手の至る所でこのような松林が並んでいたのかもしれないなぁ、と想像します。その景色はきっと美しかったのじゃないか、と思います) NO.1163 芦屋市浜芦屋町松浜公園(芦屋公園)ぬえ塚2016年3月30日
NO.1162 芦屋市松浜町芦屋国際ローンテニスクラブ2015年5月1日(*↑ 公園と公園の中間に位置する、古くからある有名なテニスコートです。調べると1955年頃に作られたようです。震災のあと、実家の家族の為の仮設住宅の抽選発表の掲示がここでありました。その後しばらく、ここにも仮設住宅が建っていました) NO.1161 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)2015年5月1日(*↑ この遊戯用の小山は、僕の子供の頃からありました。親と一緒に、または近所の友達と一緒にここに来て、周りを走ったり登って遊んだりしました。あの頃はとても大きく見えましたが、今みるとほんとに小さな山です) NO.1160 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)2015年5月1日(*↑ この小山には西の道路へと抜ける小橋もかかっています。そこから公園の南を見ます) NO.1159 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)2015年5月1日(*↑ 遊戯用小山の上から下にチェーンがぶら下がっているところが、昔と変わらず今でもありました。下からチェーンをつかんで全力で、怖いながらも上へ登るのにチャレンジしたものです。今上から見ると、笑っちゃいますが、もう30年くらいしたらきっとまた、怖いでしょう) NO.1158 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)2015年5月1日 NO.1157 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)2015年5月1日 NO.1156 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)2015年5月1日(*↑ 「日時計花壇」というモニュメントがありました。平成元年と書いてるので27年くらい前に作られたものです。花は季節によって植え替えられるのかもしれません) NO.1155 芦屋市松浜町松浜公園(芦屋公園)2015年5月1日 NO.1154 芦屋市松浜町2015年5月1日(*↑ 正面の木造家屋は以前、ジュースやお菓子などがあり軽食もあるお店「ひまわり」でした。自動販売機の向こうにはテーブルの置かれたスペースもありました。僕がここに引っ越してきた小さな子供だった頃からすでにありました。家族で散歩にきて何か買ったこともあると思います。また小学校に入ってから友達と自転車で乗り付けて、ジュースなど買ったこともあります。「ひまわり」はかなり長く頑張って営業をしていて、数年前までここにありました。) NO.1153 芦屋市松浜町2015年5月1日(*↑ 芦屋浜は昭和の前半まで海水浴場でした。調べると「昭和39年(1964年)に閉鎖」とありました。僕らが芦屋に越してきたのは昭和39年の秋ですから、その年の夏までは泳げていたということですね。ギリギリアウトでした。その頃はもう往時の賑わいは無かったらしいですが、それでも少し残念です。その海水浴場だった頃の客目当てのお店や、小さな旅館(芦屋旅館)などが、この昔の海岸沿いに幾つかありました。ここにあった「ひまわり」もきっと、全盛期はとても賑わったのかもしれません)これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。それから、なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。そんなこんなです。
■「タテパノラマ」、僕が育った街である「芦屋編」の続きです。例によって、「芦屋編」では、タテパノラマとしては例外的に、ところどころ説明文を入れていきます。前回は僕の育った家のあったところまで載せました。ので、そこから旧堤防沿いに芦屋川まで行きます。(〝下から上〟の順になりますが)5月1日写し分で写ってるのは、その日一緒に芦屋の浜手を回った、僕と同じく芦屋で育って、今は大阪に住む友人Yです。 NO.1152 芦屋市緑町2015年5月1日(*↑ この芦屋川の河口に唯一、昔からの砂浜が残っています。といってもほんのちょっとなんですが。友人Yの後ろに木々が見えますが、そこが僕が高校生の頃に出来た埋め立て地「シーサイトタウン」になります)NO.1151 芦屋市緑町2015年5月1日(*↑ 海のある南の方角を向いています。先に小さく見えているのは、阪神高速湾岸線です。その左側は震災後あたりにさらに南に新しく完成した埋め立て地です。昔の海岸線からははるか沖になりました)NO.1150 芦屋市緑町2015年5月1日(*↑ 川上に向かって北側です。向こうの山は六甲山です。僕ら、阪神間(西宮市以西)から神戸で育った子供たちは、「北を向けば六甲山がある」という「約束」の中で過ごして大きくなっていきました)NO.1149 芦屋市緑町2015年5月1日(*↑ 同じく北向きです。この山から海へスコンと抜けた芦屋独特の空気の感じが今でも好きです。街並みがどんどん変わっても、この空気の感じだけはいつ来ても一緒です) NO.1148 芦屋市緑町2015年5月1日(*↑ 足が宙に浮いているので、「踏まれた」という意味では反則なのですが、久しぶりにこの堤防の上に座りました。小さな頃から、この芦屋浜から芦屋川の堤防には、何度も何度も座ったものです。方角としては、西の神戸市方面を向いています)NO.1147 芦屋市緑町2015年5月1日(*↑ 友人Yはここに到着するとすぐに堤防の上に座りました。そう、その気持ちはすごくよくわかる。子供の頃、堤防のあるところに行くと、よいしょっと登って座って、周囲の景色を見渡しながら、浜風に当たりながら、座ったり寝転んだりして、たわいも無いことを話して過ごしたものです)NO.1146 芦屋市緑町2015年5月1日NO.1145 芦屋市緑町2015年5月1日NO.1144 芦屋市松浜町2015年5月1日(*↑ 旧堤防の道です。ここは僕が通った「精道中学校」で毎年行われるマラソン大会のコースでもありました。当時はこんな風に道に色は無く、コンクリートむき出しの道でした。右側が昔の海、今のシーサイドタウンになります。今も精道中学生はここを走っているのでしょうか?)NO.1143 芦屋市松浜町2015年5月1日(*↑ ここに、昔砂浜があったときに下に降りる階段だった跡が、ひっそりと残っています。足の下にある半円状のものが階段の一番上の部分になります。この半円がだんだんと大きくなって下に広がる階段になってました。もう何十年もしたら、これが階段だっということが解る人もいなくなるんですよねぇ)NO.1142 芦屋市伊勢町2015年9月11日(*↑ 左にマンションが見えますが、ここに昔「神戸銀行」の福利厚生施設の野球グラウンドがあり、さらにその西に銀行のプールがありました。子供の頃近所に、ご主人が「神戸銀行」に勤めている家があって、チケットをもらって何度か行ったことがあります。「神戸銀行」はのちに「太陽神戸銀行」となり「三井太陽神戸銀行」から「さくら銀行」に名称変更されて、のちに住友と合併し、今は「三井住友銀行」ですね)NO.1141 芦屋市伊勢町2015年9月11日(*↑ 僕が20代くらいの頃に、この堤防にズラッと絵を描くというイベントがありました。僕は参加しなかったけれど、まだ認識可能で残っている絵がそこそこあります。参加しておけばヨカッタと、今こういうことをしていて思います)NO.1140 芦屋市伊勢町2015年9月11日NO.1139 芦屋市伊勢町芦屋市立美術館2015年9月11日(*↑ 約25年前の1991年に開館した市立の美術館です。震災の4年前ですね)NO.1138 芦屋市伊勢町芦屋市立美術館2015年9月11日(*↑ たまに面白そうなものをやるので、ごくたまに行きます)NO.1137 芦屋市伊勢町芦屋市立美術館2015年5月1日NO.1136 芦屋市伊勢町芦屋市立谷崎潤一郎記念館2015年5月1日(*↑ 図書館と美術館の間に挟まれて「谷崎潤一郎」の記念館があります。一時期関西に住んて転々とした谷崎潤一郎が、芦屋にも住んでいたことがあるのに由来します。小説『細雪』の中の主人公たちの家も芦屋です)NO.1135 芦屋市伊勢町芦屋市立図書館2015年9月11日(*↑ 市立図書館の西の出口です。No.1074からNo.1078までのタテパノラマ写真で、僕が子供の頃に市立図書館だった打出分室を載せましたが、1987年にここに新築されてこちらが市立図書館の本館になりました。まだ実家に居た頃で、歩いてすぐの場所に図書館が出来たのが嬉しくて、当初はよく通いました)NO.1134 芦屋市伊勢町芦屋市立図書館2015年5月1日(*↑ 市立図書館のエントランスです。思えば、丁度バブル期の「ハコ物行政」ブームの時期に出来たことになるのかな。なんかそんな感じでしょう? 僕が小さな子供の頃ここには、広い敷地の「下水処理場」がありました。やがて埋め立てられたシーサイドタウン(と言ってもすぐ南側)へと移り、ここは長らく空き地になってたのを憶えています)NO.1133 芦屋市伊勢町2015年5月1日(*↑ 画面の右方向の奥に市立図書館があります。南のシーサイドタウン(埋め立て地)を見ています)NO.1132 芦屋市伊勢町2015年5月1日(*↑ 実家のあった通りの一本西になる南北の道です。北の六甲山側を見ています。ここは本当に子供の頃からよく通った道ですが、昔の面影はほとんど無くなってしまいました。大きなお屋敷、小さな洋館、芝生のある広い庭の家、社宅の横のポプラ並木。そういったものが昔のこの通りにはありました)これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。それから、なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。そんなこんなです。
『ラッキー! クロスワード』のイラストが完了。編集部からのお題は、「舞い降りる冬の使者 しんしんと雪が降る」↓ 編集部からのお題は、「変幻自在? 糸が決め手です!」↓ 編集部からのお題は、「なんだか意味ありげに聞こえるね♪ 響きがファンタジックな外国語」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)上の最初の雪の絵は、パズル誌のイラストでは久しぶりに、絵の具による手描きで描いた。 手描きは、パソコンでの作業と違って、「今までにそこに無かったものを少しずつ、 目の前にモノの形で生み出すヨロコビ」みたいなものがあって本当にいいなぁ、とこの頃特に思う。
そんなこんなです。
ずっと続けて、サイト「なごむアトリエ」の方に、マガジンマガジン発行のパズル誌(パズルメイトシリーズ)に描いているイラストやパズルを紹介するページを作ってきました。で、実は、あと1つあります。でも、これはもう今はもうやっていないものです。2006年から2007年までの約1年、『スーパークロスワード』誌でやっていた〝イラスト迷路〟です。こういうの。↓(問題の順番通りに絵をたどってゴール直前に通った絵が答え)---------------------------------------------------------------「おでんで体はほっかほっか」つい好きな具材にばかりに手がのびるおでん。じゃがいも→はんぺん→チクワ→ダイコン→コンニャク→…の順に食べてください。さて、最後に食べたものは何? ---------------------------------------------------------------わかりました?例によって、今後もパズルメイトシリーズの雑誌に転載される可能性があるので、解答はつけていません。また、約一年の間に作った7問分だけです。それでもちょっと「やってみたい」と思ったら、是非どうぞ。では、例によって、「サイト〝なごむアトリエ〟のトップからきっちり見ますわよ」という筋目を重んじる義理と人情なアナタは、こちらから。↓「いや、そういうのはもうナシでそのページに直接アレで」というソレのコレでドライに早く見たいキミは、こちらから。↓どうぞ。これで、マガジン・マガジン パズルメイトシリーズの仕事の紹介ページは、全て出そろいました。今後は、これからさらに描いたものを、それぞれのページに積み上げていきます。さて、この次の「なごむアトリエ」の新しいコーナーは、20年ほど前に、競馬雑誌雑誌『競馬塾』に描いていたイラストを、載せて置いておくページ作りの予定です。 これはもうしばらくかかりそうです。終わったらまたここで知らせますね。そんなこんなです。
久々の雨。 ここのところはいい天気が続いていた。昨日も晴れて暖かだったので、ちょっと散歩に出た。途中の橋の欄干の下の部分に、なにやら数字をみつけた。何だろう?コンクリートの痛み具合を表す数値とか何かだろうか?1200と1800の違いは何?ボンヤリと生きていると、わからないことが沢山ある。たとえばこの、「神戸の絵柄のオシャレなフタ」のついた消火栓だって、開けて中身を詳しく見てみたら、きっと「専門用語のオンパレード」だ。そういう知らないことがアレコレあるのを、ちゃんと意識した上で、シンプルに「枯葉やねー、冬も近いねー」と情緒的なことも楽しむ。そういうバランスがやっぱり好きだな。とかく偏ったことも多い当世で。近くに「御影公会堂」という建物がある。アニメにもなった野坂昭如の小説『はたるの墓』にも出てくる。(いや、小説の方は読んではいないのだけれども)下の写真で左上あたりに見える建物で、今ではそういうことでそこそこ知られている。 (今、「建物小さくて解らへんやんかっ」って、ちょっとイラッとした?)で、最近まで(といってもこの春まで)気づかなかったのだけれど、その南の川の西側の方の公園に、『はたるの墓』の碑がたっているのを知った。たぶん、もう結構前からあるのかな、うっかり全く気がつかなかった。その向こうの木々も色づいて、とても秋らしい感じが。それにしてもこの御影公会堂のいわゆる「運命」というものは、ちょっとなかなか興味深い。よく憶えているのだけれど、阪神淡路大震災前、僕がここの近隣に引っ越してきてまだ数年の頃、郵便受けに入る区の広報に、「御影公会堂の建て替え計画」の話が載っていた。ちょっと前がバブル景気の頃だったから、その流れでそんな話が出てきたのかもしれない。つまり、震災が来なかったら、この建物は壊されて無くなって違うものになっていた。けれど、震災があって、なのに、この建物はビクともせずに残った。そして、その時に、周辺の震災で家が倒壊した人たちの避難所になって、周囲の人々の役にたった。太平洋戦争の米軍の神戸大空襲で焼け落ちきらずに残り、阪神淡路大震災でも立ち続けて、人々の避難先で仮住まいになって。もし人ならば、「エライ人やなぁぁ」と言ってあげたいところだ。もうちょっとで「人」に壊されるところでもあったのに。だからだろう、(金銭的な理由もあるのだろうが)、その後、建て替えられてはいない。けれど、改めて見てみると、 結構、老朽化も進んでいる気がするなー。お金がかかってもこれは修復をして、ちゃんとこのまま保存すべきだと思うのだがなー。でも、国の登録有形文化財になっていた、「震災後神戸の東の酒蔵で唯一残った木造酒蔵」の、泉勇之介商店があっさり無くなったのを見てから、もう、そういう部分では、市とか地元大企業とか、あまり信用と期待はできない。「ウチらかてアレコレ派手でオシャレなイベントもせなあかんからお金とヒマなんかおまへんねーん」ってな感じかどうかは知らないが、この公会堂も、結局、そういった地域の大きく力のある、本来ならお父さん的役割の組織からは守ってもらえずに、いつかあっさり無くなってしまうかもしれないなー。これまで市の街としてのイメージアッブに、地味なりに貢献してるかもしれないのになー。有名な文化遺産でもあるのになー。出来れば、キレイにして、静かにそのまま残るようにしてあげてほしい。
今まで希な運命で奇跡的に残ってきた、人々に愛されて役にたったものが、何気なく静かにずっとある、それがいいのだ。
(それが生業の飲食業などはまだ良しとしても)、なんでもかんでも回りのものをすぐに「イベント形」にしてしまう、最近の世の中の上から下までのそういった風潮というのが、なんだかこの頃、「大の大人がバカみたい」と感じられて、どうも仕方がない。子供の「お誕生日会」をずっとやってるみたいな。それで注意されると、「別にええやんかーーー」とだけしか言えない、子供のような。平常でそのままな感じにちゃんとずっと、がとてもダイジであると思う、そんなこの頃です。まぁ。それにつけても。秋も、もうそろそろクライマックス。数日前の夕方の空。地球そのものは、キレイだなぁー。そんなこんなです。
さて、ここのところ、サイト「なごむアトリエ」の方に、マガジン・マガジン発行のパズル誌(パズルメイトシリーズ)にこれまで描いた、イラストやパズルを載せておくページを作って、続けてアップしてきました。で、次は、前にも予告したとおり、コイツ、アニメーションで作っていた頃から、もう20年近い付き合いになる、チュンチュン。↓『まちがいさがしメイト』誌に掲載の、「チュンチュンのまちがいさがし」です。その仕事が終わったときにいつも、ここでチラッと、正解の絵だけを載せてますね。こういうの。 でも、「まちがい探し」なので本当は、微妙に違う絵が2つあります。ので、今回作った紹介ページでもちゃんと問題形式で2枚並べました。ちょっとここで1つお見せすると、(ページではヨコ並びだけれどここではタテ並びに)↓------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------どこかわかった?こんな感じのチュンチュンのまちがい探しが、ズラッとひとまず38回分。英語の人でもちゃんとできるように、簡単な英文もつけて。ただ、今後もパズルメイトシリーズの雑誌に転載される可能性があるので、解答はつけていません。それでもイラッとしない大らかなチャレンジゃーは、是非どうぞ。では、例によって、「サイト〝なごむアトリエ〟のトップからトントンと順に見たい」というリズミカルでコロンビアなアナタは、こちらから。↓「いや、そのページに直接シャーッ!とパーッと連れてってよ」というストレートでピンポンなキミは、こちらから。↓どうぞ。そんなこんなです。
昨日の夕方、あまりに寒く感じたので、今シーズン初めてストーブを出してつけた。 最近はパソコン作業が多くてあまりしていないけど、ベランダに椅子を出して、〝書き仕事〟〝アイデア出し〟〝本読み〟をする、最適のシーズンもそろそろおしまいかな。 あ、いやいや、↑上の写真の椅子は、いつも座っている椅子ではなく、これは足を置いてラクにするために使っているチェア。座っているのは別の椅子。オッケー? 野菜などの皮を剥く為の「ピーラー」。これね。↓ 僕はよくこの「ピーラー」と、女性がまつ毛をクリンとする為の「ビューラー」を、つい言い間違えてしまう。で、それはちょっと最後までおいといて、このピーラーの横についている突起。僕は今までこれを気にしたことが無かった。「そういえば何だろう? デザイン? 引っかけるところ?」くらいか。いや、それすら普段は考えて無かったというのが正解か。それが、数日前、これは「ジャガイモの芽を取るのに使う」のであるのを知った。初めて知った。そうかーーー。知らなかったなー。「毒素があって良くない」と言われるジャガイモの芽を、これでグリッと取るためのものだったのかー。いままであるのに使えずにいたと思うと、うかつだったなー。これまで沢山包丁で芽を取っちゃってたよー。どうして今まで気にしなかったのかなー。この世には知らずにいることが多い。たぶんまだまだある。くれぐれも、「あれはああでこれはこうだけですやん、そうですやん」、などと思って「そこに何気なくあるものを疑問に思わない」、なんてことにあぐらをかかない方が、結局キモチが豊かで広くなれるよなぁー。何事にも唯一それだけが真理として通じているナー。また改めて、肝に銘じた。大林監督の昔の映画『ハウス』のサントラを買った。1977年のポップで軽快なホラー映画で、池上季実子さんや大場久美子さんが出ている。
この映画、音楽が好きなんだ。耳に残るキレイなメロディー。演奏と歌は、まだ「ガンダーラ」でヒットして有名になる直前のゴダイゴ。アルバムで全部を聴くのは初めてになるけれど、やっぱりいいと思うなぁ。それから、映画のDVD『007カジノロワイヤル』と『スペースボール』も買った。 『007カジノロワイヤル』は、子供の頃、日曜のお昼などにテレビで放映して、何度か見たことがあった。ほぼ同タイトルの『007カジノ・ロワイヤル』という、正式な007シリーズの映画が10年くらい前にあったけれど、それとは別物で、007をパロディにした1967年のコメデイ映画だ。なんだか子供の頃に見た印象が強くて、内容はバカバカしい映画なんだけど、これも音楽がバート・バカラックやハーブ・アルバートだったりして、その部分では侮れない。『スペースボール』の方は1988年公開の映画。丁度、その後契約社員になる大阪の会社で、アルバイトで時々出入りし始めた頃かな。その近くにあった旧・毎日新聞社社屋地下の、今は無き「大毎地下劇場」で観たのだと思う。そこは少し前の映画を2本立てでやっている名画座で、まだフルで働く前の時間に余裕があった頃、何度かそこで観た映画のうちの1つだった。これはスターウォーズのパロディ映画で、他のSF映画ネタもアレコレ出てくる。これまた内容はバカバカしいのだけれど、特撮SFXが結構本気で作ってあって、その部分ではバカに出来ない。
だいたいパロディ映画は好きだ。でも、何かで「本気度」が無いと好みじゃなくて。単なる「表面だけでのおちょくりもの」は、他にコメデイとしての別のおもしろさがない限り、「イマイチだ」と思ってしまう、そんな感じかな。それにしても、さっきの、『ハウス』『カジノロワイヤル』『スペースボール』はどれもネットの「アマゾン」で買ったもので、ホントに便利になった。でも以前は、例えば三宮のセンター街などに出かけて、その周辺のCDショップ(さらに前はレコード店)に行って、アチコチ探してCDを買ったりしていた。それはそれで何だか楽しかったと思うな。「CDを見つける為に街に出かけていく」という、行為そのものが。ついでに三宮のセンター街の他の場所をブラブラしたり。それに、そうやって店に行くと、たまたま目的のものでは無かったものを、見つけてそこからまた何かが広がって、というちょっとした出会いもするもので。「ネットで買うからCDショップが売れなくなった」とも言われるけれど、しかし、例えば、今回上に載せたのラインナップを、今ショップに行ってすぐに見つけられるかは疑問だなー。店としても「めったに売れないもの」を置いておくのは、やはり覚悟と「映画や音楽が大好き」という心意気がいるだろナ。昔のように「バーンと売ってバーンと儲けたい」となれば、やはり「今有名でバーンと売れそうなもの」をメインに、となるんだろう。だけど残念ながら、もはや、「売れていて皆が買うもの」を買うような人は、「もうめんどくさいからネットで買っちゃおうよー」な人でもある。わざわざ店まで行かずにネットで買っちゃう。配信だって今では充実。で、一方で、もう、「欲しいものがあるなら出かけてもかまへんでー」な人は、「今は大きなショップに行っても無いからなー」と思う様なものは、最初からネットで探して買っちゃう。となると、やっぱり大きなCDショップは難しいんだろなー。どう考えても。どのみち。かつては「そんなには売れないもの」を切り捨てたけれど、これからは、「バーンとしか売れない」ものを切り捨てて、小さな規模で「ドカーンと儲からなくてもいい」と覚悟して、「そのモノへの熱意」みたいなものもセットにして、「しかし、欲しい人がそこにいけば必ずある、 もし、無ければなんとかしてくれる」風にする方がいいのかもなー、と思ったりしながら、みかんを食べたりしている。まぁ、そんな風に、「どうしても欲しいCDを探してアチコチのショップをはしごする」ということもなくなった、かつ、実際に大きなCDショップも無くなってきた、三宮のセンター街。先日、知人とセンター街を歩いていると、アーケードからアヒルがぶら下がっていた。 この日は平日だったけれど、人がワンサカといた。そういえば、僕が学生だった35年くらい前は、平日は結構ひっそりとしてたのだがなー。まぁ、そうだろう。若者の「不定職ウロウロ率アップ」も多少あるかもしれないし、「主婦のウロウロ率アップ」もあるかもしれない。でも、最近ふと気がついたけれど、その当時はきっと忙しかった、人口の多い「団塊の世代」の人たちが、「定年したー、子育て済んだー」っていうんで、ウロウローウロウローしているのもあるのかもしれないな。それが結構大きいかもなー。そう思ったり。ともかくそんな風に、ちょっとずつアレコレと微妙に変わっていくよねぇ。最後に、A「ちょっと、大根の皮むくから、ピーラーとって」B「あ、はい」A「お、ありがとう、そうそうこれで大根の葉っぱをギューッとして、くるっと、くるっと巻いて、まぁカワイイー、ってこれはビューラーやっ!!」ちゃんとついてこれたかな?そんなこんなです。