11日に手帳の販売を始めたけれど、
なんだかちょっと、
注文ページの送信フォームの調子が悪いみたいです。
12日以降で今までに送信フォームから注文をして、
まだこちらからの返事が届いていない方は、
改めて、メールソフトから注文してください。
お願いします。スイマセン。
もう10年にはなるパズル誌のイラスト仕事は、
一部のものはネットを通じてデータで原稿を送っているけれど、
基本的には、理由があって(それはここでは省略)、
仕上がったものを宅急便を利用して東京の編集部まで送っている。
で、時間のあるときは、
クロネコヤマトに電話して荷物を取りに来てもらったり、
クロネコヤマトを扱っている近くのお店まで持って行ったりして、
送っている。
けれど、
原稿の仕上がりが遅くなってしまった時は、
ここからずっと浜手の方にあるヤマト運輸の営業所まで、
歩いて持って行く。
そこへ直接、夜の7時までに持って行くと、
翌日に東京に届く最終便に間に合うからだ。
その、ヤマト運輸の営業所の周辺というのは、
古くから酒蔵があるあたり(灘五郷と呼ばれる地域)の一部で、
昔は大手の酒蔵に混じって小さな酒蔵もあり、
とても趣のあるところだった。
阪神淡路大震災をきっかけに、
その小さな酒蔵の多くは無くなってしまったけれど、
ヤマト運輸に行くまでの道の途中にある「泉勇之介商店」は、
灘五郷でも唯一残る木造の酒蔵だということで、
僕もこの前を通るのが前から好きだった。
原稿を送りに行くときはたいてい7時前なので、
夏以外はもう暗くなっていたりするけれど、
たまに散歩で前を通ったり、
一度、中に入って直売している日本酒を買ったこともあった。
ホントに半民家な感じがとてもヨカッタ。
これぞ神戸の歴史の一部の酒蔵でございっ、
どうだ京都! パンとケーキだけだと思うなよー!
ってな感じで。
この夏に勉強をした、
神戸商工会議所が主催の「神戸学検定」のテキストにも、
「市内の文化財」のページに、
「国登録 有形文化財」として載っていた。
ここらの全国的な名のある大手(白鶴や沢の鶴などなど)は、
今では大きな工場で日本酒を作っている中、
この木造の建物の中で昔ながらに作っているのだから、
そりゃそうだろう、有形文化財なのは、当然だ、と。
それが、
秋ごろだったか、
ヤマト運輸に原稿を持って行くために前を通ると、
なにやら覆いがかけられる準備をしているような感じになっていて、
「あれ? 補修工事でもするのだろうか?」
と思っていた。
そして、
今月アタマごろ、
イラストの締め切りが続いていたうちのある1日、
じっくり描きたかったので6時ごろまでの作業にして、
その原稿を持ってヤマト運輸営業所に向かっていて、
いつもの「泉勇之介商店」の前で、
「えっ?!」と立ち止まってしまった。
ゴソッと、
何もかもが無くなって、
更地になっていたのだ。
あの趣のある建物全てが無くなっていた。
「は? なんじゃそりゃ!!」と思った。
「いや、もしかして老朽化の為に、復元の建て直しとかか?」とも考えたが、
夜で暗く向こうは見にくいにしても、
なんだかそんな感じでもない。
昨日の日中に、
このブログのために写してきた写真が以下。
調べてみた。
どうやら借入金がかさんで競売にかけられて、
不動産会社が落札をしたらしい。
「なんじゃそりゃ!!」
いや、このご時世なんだもの、
泉勇之介商店がたち行かなくなったのは仕方ないにしても、
そうあっさりと、不動産会社に売られちゃうのか?
こうもあっちゅう間に、壊されちゃうのか?
国の登録有形文化財なのに?
ここにアレコレと書いてある。
↓
神戸・灘「最後の木造酒蔵」がついに解体、消滅へ【消えゆく文化財】
なんだか、
ガッカリだ。
そりゃぁ市民も、
そういう事に常にちゃんと目を向けないといけないのはそうけれど、
市民が目を向けないと無くなっちゃうというのはどういうことなんだ?
逆じゃないか?
市民は日々に追われていてなかなかそこまで全てはタイヘンだ。
市民に任せているとどんどん無くなっちゃうので、
大きな力やお金を動かせるトコロが知恵を出してリードして守って行くのが、
大人的文明的社会の本来なんじゃないのか?
しかも、
じゃあというので市民の有志が署名運動など行って、
けれどそれでも駄目ならば、
もう、有形文化財なんてほぼ残らないってことじゃないのか?
有形文化財になるところなんてのは、
古くからのものも多く結構土地があったりして、
街中の便利なところなどはもう、
ちゃんと対処しなければすぐマンションになってしまうだろう。
世の中の「お父さん的存在」のところが守らないと、
そりゃ無くなっていくのは当然だろうという実際があっても、
そこにはアタマが回らない「お父さん」ということかい?
でも、都合のいいときは、
「わが市わが町にはこういう有形文化財があります」とか、
「この近くには文化財があってたいへん文化的」とか、
そういう風に利用している「お父さん」たちじゃない?
そんでもって、
「じゃあ、こうなっちゃうのは誰の責任?」と言ったときに、
「いや、だれやろ? 私はただただすることを」
「いやいや、私もただするべきことは」
と言ってだーれも責任者がポッカリと存在しないように出来ていて、
実際「一人一人はそんなに悪い人じゃないのよ」なんて感じの、
モヤモヤモヤーッとしたわたしたちの「お父さん」なのだ。
そして、
「まぁ、しゃーないやん。そういうもんです」というので、
チャンチャンと終わらせる「お父さん」なんだ。
もう、「お父さん」なんて大っきらいだ。
もう話もしたくない。
「なぁ、お母さん! お父さんと離婚しちゃっても僕はぜんぜんええでー」
みたいなお父さんには、
なんだかもうガッカリだ。
手前の東西の道の角には、
まだ「灘泉」(泉勇之助商店の出していたお酒の銘柄)の看板が、
駐車場のフェンスに残っている。
これはどういうことだろう、と考えた。
泉勇之助商店の人たちはもうこれを外すような余裕もなく、
何処かに行ってしまってそのままになっているとか、なのか。
そうだとしても、
不動産会社の担当の人は解体に立ち会ったか、
その後ここに来たりはしているだろう。
その時にこれを観てどう思っただろう。
泉勇之助商店に電話でもして、
「かわりに外しておきましょうか?」
くらい言ったりしたのか、
そして、
でも、
「いやいや、私たちがつけたものですから、またそのうちに外しにいきます」
というようなことがあったのだろうか?
いや、
そんな、「優しく」て「丁寧」なやりとりは、
この頃はあんまり無いような気がするなぁぁ。
ほんとに、
今は、
そんな気がする。
きっとマンションが建つのだろうな。
そして、
来年の秋ごろには、
「酒蔵の街でワンランク上の生活。
周辺と調和した佇まい。
"グランドセラー石屋川"
ゆとりとおちつきの○○㎡を、
○○○○万円から。」
なんて感じのチラシがウチの郵便受けにも入るんだ。
つまり、
僕みたいな人間が、
上のように8秒くらいでもイメージできてしまうようなものを作るために、
何百年に渡ってこの地域が独特に培った匂いが染み付いていて、
作ろうと思っても今後もう二度と作れないものを、
いともあっさり壊してしまうのが、
今のヨノナカだってことか。
そーでちゅかー。
よかったでちゅねぇー、
そっちは、お金もうかりまちたねー、
うんうん、へぇ、そーなの。
経済でちゅもんねー。
そちらは、お金つかわなくてちゅみまちたねー。
古いものに使うお金はないでちゅもんねー、
うんうん、そーなのね。
ちかたないでちゅよねー。
うれちいでちゅねー。
そうこう、
憂いだりしながら、
個人の年賀状も、
作り終えて、
もう!2月も半ば。
そんなこんなです。