『まちがいさがしメイト』誌の、
問題自体も自分で考える、
〝なごむ亭元楽〟名義の探し絵パズルが完了。
「ペンギンパズル」。
↓
--------------
左手に持つのは、
「こんにゃく」が正しいのだけれど、
ひとり、
「コニャック」を持っているコがいます。
--------------
それから、
同じく『まちがいさがしメイト』誌の、
問題自体も自分で考える、
間違いさがしの問題。
(本当は「正」「誤」の二つあるのだけど「正」の方だけ)
↓
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これは別に何もないかな。
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以上、2つの問題は、
『まちがいさがしメイト』誌11月号に掲載。
ただいま発売中。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
◆◆◆
ずっと前にここで、
「僕は姉に子供の頃に置き去りにされたことがある」
と書いて、
「また機会があったら書きます。結構ヒドイよ」
と終えたことがあったけれども、
今回はそれを書きたいと思う。
●
僕が子供の頃、
隣に「費(ひい)さん」という中国系の家族が住んでいた。
きっと今もあそこに住んでいると思うけれど。
(神戸および周辺の街には華僑の人が多く住んでいる)
そこのお兄ちゃんが結婚してお嫁さんが来て、
そのうちに赤ちゃんができた。
その子は「初香」と書いて「シャンシャン」と読む名前の女の子だった。
シャンシャンが1歳か2歳くらいの頃の話。
幼児の頃のシャンシャンは最高に可愛くて、
(のちに美人さんになる)
うちの家の者は見かけるとよく可愛がっていた。
その日も僕と姉が外に近い部屋にいると、
表でシャンシャンがひとりで遊んでいるのが見えた。
だから、
僕と姉は外に出てシャンシャンと遊んだ。
スコップとかバケツとか、
シャンシャンの遊び道具などで一緒に。
シャンシャンはたしか1970年生まれだったと思うから、
1971年だとして僕は9歳か10歳で、姉は12歳か。
季節は夏だから、僕は小学校3年生で姉は6年生だ。
するとしばらくして、
「費さん」のお嫁さん、
つまりシャンシャンのママが出てきて、
「まぁ、一緒に遊んでくれてたのぉ?ありがとうー!」
と言って、
「今からシャンシャンのおやつにするから、
二人ともウチに上がって一緒に食べてって」
と言った。
で、
言われるままに費さんちに上がって、
前にシャンシャンが座ったテーブルに二人並んで座った。
シャンシャンのママは「ちょっと待っていてね」と言って、
おやつの準備を始めた。
僕らは座って待っていた。
シャンシャンのママは台所でメロンを切り始めた。
僕は心の中で「♪メロンだっメロンだっ」と喜んだ。
と、その時、
姉が急に立ち上がって、
「ちょっと帰ってくる!」
と言ってひとりで費さんの家から出ていった。
僕は“お母さんに言いに行ったのかな?”と思い、
すぐに戻ってくるだろうと思っていた。
シャンシャンのママは、
僕の前と姉の座っていた場所の前にメロンを置いて、
待ってくれていたが姉はまだ帰ってこない。
シャンシャンのママが「先に食べようか」と言って、
僕もメロンを食べたけど本当なら美味しくうれしいはずが、
ひとりで残されて心細く寂しくなってくるし、
置かれている姉のメロンを見てシャンシャンのママに申し訳なくなってくるし。
メロンも食べ終わってまだ待っていたけれど、
どう考えても帰ってくる気配がないので、
仕方がないから僕はシャンシャンのママに何か言って、
(何を言ったのかあまりよく憶えていないのだけど、
頑張ってしどろもどろになりながら、
「僕も帰る。ごちそうさまでした」くらい言ったろう)
費さんの家を出た。
家に戻ると、
姉は何事もなかったかのように、
「知ーらない」ってな感じに、
一人で遊んでいたかテレビをみていたか、
そんなだったと思う。
僕は母親にもきっと何か訴えたはずだが、
詳しく憶えていない。
でもなんだかそっけなかったような気がする、
(きっと姉は帰ってから、
母には色々と自分の都合の良いことを言ったのだろう。
費さんのことや僕のことを悪くも言ったのかもしれない)
僕はこの状況に「ええええ?」となったけど、
結局うやむやでもやもやとした感じで終わってしまった。
姉はその後もそんなことは無かったようにして過ごして、
今ではきっと、
このことも憶えてすらいないだろう。
でも僕はこのことをずっと忘れていない。
というか、
忘れたくても忘れられない。
10歳の子が頼みの姉に置き去りにされて、
そのあとも「知ーらない」みたいにされたのだから。
●
以前、このことをある知り合いに言ったことがある。
その人は、
「なんで帰ったんやろ? なんでやろ?」と、
その「理由」についてしきりに考えていた。
いやいや、違うやん。
理由なんかより、それより、
置き去りにされた「ハジメ」ちゃんがものすごく可哀想、
そこやん。
10歳の「ハジメ」ちゃんが、
ひとりで残されてどんなに心細く思ったか。
どんなにシャンシャンのママに申し訳なく思ったか。
そこやん。
そして、
結局姉に「何もなかった」かのようにされて、
その理不尽さにどんなに胸を痛めたか。
そこやん。
そしてさらに、
「弟を一人ぼっちにしても平気」で、
「知ーらない」なんて出来る姉の、
薄情さと冷たさ。
そこやん。
きっと、
「理由」があるとしたら、
「なんだかとにかく費さんの家の中の何かがイヤだった」とか、
「シャンシャンのママが言った何かひと言がイヤだった」とか、
「どこかでハジメが言った何かがイヤだった」とか、
そんなところじゃないか?
と、
思っていた。
●
だいたいよ、
本来は、
こういう子供の頃のアレコレは、
「今は笑い話」になっていてもいいことだ。
「あははは。そんなこともぁったなぁ」なんて。
でも、
姉の場合は、
「今では笑い話」にはならない。
「今もそのまま」だ。
シャレにならない。
姉が自立してたり、
結婚してたり子供を育てたり、
何らかの変化にともなって、
「昔はそんな姉だったけど今は違う」に変わっていたら、
そもそもそも僕もこんなところに書いたりしないし、
もし書いたとしても、
「今では笑い話」として面白おかしく書くだろう。
けれど、
ずっと自分から、
子供の頃と同じ環境に自分を置いてきたから、
あの頃とちっとも変わっていない。
今でも一緒だ。
だから、
父が入院してから、
「病室に行くと父親が偉そうに言うからイヤだ」
と最初の1回目以外は一切行かずに、
ハジメに全部任せて、
まぁ、やっぱり、
あの時と同じ「一人ぼっち」にしても平気で、
「知ーらない」なんて風にケロッとしている。
結局全くあの頃と一緒だ。
いや、
逆に今は、
先々は僕によくしてもらおうという、
都合のいい思惑だけはあって、
その時も口先だけで見え見えに、
「たいへんやねぇぇ、ありがとぉぉぉぉ」なんて言ったり、
後になって良い様に思ってもらおうとして、
「その時に言ってくれたらよかったのにぃ」
なんてことを言ったりしてなんだか見苦しい。
ずーっと「知ーらない」でツンとしていて、
そんな言い訳みたいなことを言わなかった子供の頃の方が、
まだ潔くてマシな気がする。
まぁとにかく、
「3つ子の魂100まで」だなぁ、
と思う。
生まれた時から持った性格なのかもしれない。
だから僕は、
あの置き去りにしたアレが姉の基本だと思っている。
そして、
今でも結局同じことをしているな、
と思っている。
だから、
僕は根本的には、
平気で人を見捨てる姉を信じていないし、
口だけでいいように言って中身は今までずっと変わらない姉なので、
驚くぐらいに見るからに劇的に変わらない限り、
これからもずっとそのままだと思っている。
こんなこと言うと、
また、
「私もイヤなこといっぱいされたもん」とか言うんだろう。
でも、
アンタはそれに「自分がイヤと思った」だけかもしれないけれど、
アンタのしたこれは誰がみても、
「ひどい」。
それに、
近年母にさんざん、
「お母さんが死んだら私はは一人ぼっちやぁぁぁ!」
なんて「私は可哀想アピール」をしていたが、
よく言うよ、
さんざん人を「ひとりぼっち」にして平気なくせに。
もし「ひとりぼっち」になるのだとしたら、
それは自分がしたことが、
返ってきただけの話だ。
●
さて、
実はもともとは、
このあたりのこんな感じで書き終わるはずだった。
今回は「長いけどまだ比較的短め」で終わる予定だった。
これを書こうと思った時も、
書き始めた最初も、
頭の中ではここまでだった。
だいたいこういう長めのものを書くときは、
頭の中でおおかた決めた順番をもとに、
最初からおおまかに書き始めて、
やりながら、またはちょっと離れたりしながら、
思いついたそのあとのことを下にひとまず書きつつも、
基本は順番に上から書いていく。
そしてひとまず下まで行ったら、
また上から直しつつを繰り返して、
「終わった」と思うまで上から何度も降りてくる。
でも、
母のところではなく自宅にいる時は、
他にも仕事や家のことなどすることもあるので、
ちょっと書いては保存しちょっと書いては保存し、
また、ある程度続けて書いている時も、
途中でちょっと離れたりして、
頭の中で考えたり思い出したりまとめたり。
疲れてちょっとだけ休憩したり。
で、
その時も、
前半の「費さんのところに行った」からのあたりを書きながら、
ちょっと休憩と思ってベットに横になった。
そして、こんなことを考えていた。
だいたいよ、
ああやっておやつを出してくれて、
少なくとも僕は食べたんや。
なのに、母はおそらく費さんにお礼の挨拶をしてへん。
おまけに姉の方は途中で帰ってうやむやにしてしまった。
だから近所付き合いとしてもそのままほったらかしだ。
姉がそういうやりとりを潰してしてしまったんよなぁ。
あの時、
シャンシャンのママとそれを聞いた費さんの家族は、
何て思ったやろ?
なんか佐野さんのところは、
ちょっと失礼でよくわからへんなぁ、
なんて思ったかもしれへんなぁ。
本来なら、
せっかくやから僕ら二人はちゃんといただいて、
姉が「ありがとう」とお姉ちゃんとしてお礼の挨拶して、
帰ってから母におやつをいただいたと報告して、
それから母がお礼の挨拶を言いに行って…
とここまで考えてハッと気がついた。
あ、
そうか。
わかった!
「理由」が。
そうか。
「挨拶」か!
姉に、
「挨拶」はできない。
60歳を超えた今もできないのだから、
12歳の姉にできるはずがない。
だから、
姉は、
それに気づいて、
逃げたのだ。
そうかー。
わかったー。
●
姉は今でも、
自分から前に立って挨拶することができない。
何度か書いたことがあるが、
父の葬儀の時、
姉は歯医者の予約があるから(!)その後で直接向かうということで、
僕と母が二人で葬儀社に向かっていると、
途中で姉から電話がかかり、
「葬儀社に着いたけどドアが閉まっていて、
中に人が居ないみたいでどうしたらいいかわからない」
と言った。
と、すぐに、
人の気配を感じた葬儀社の人がドアのところに来たみたいで、
「中から人が出てきた! ガチャッ」と切ったことがある。
(そりゃ中に人が居るに決まってるやん)
“「ごめん」も言わずにガチャッ”したことはまぁ今は置いておいて、
そのあと合流してからも、
「ドアの鍵が閉まっていると思った」
「ベルがここにあるとは気がつかなかった」
とか言い訳をたらたら言っていたが、
要するに、
葬儀という大切な事なのでと、
ピンポン鳴らしたりドアをガチャッと開けてみたりして、
「すいません」と入っていって、
自分で自分と相手の状況を考えて、
「今日こちらでお世話になります佐野有の娘です。
どうしても外せない用があったのでそのあと一人で直接来ました。
母と弟はすぐに来ると思います」
みたいな風に大人な挨拶が今だに言えないし、
それをできるだけ避けようとするのだ。
つまり、
そのものごとの取り組みを始めたり締めくくったりすることができない
たぶん自分に「責任」が生じると、
逃げ出したくなって頭が固まるのだと思う。
血が巡らなくて阿呆(あほう)な状態になるのだと思う。
だから、できるだけやりたくないのだ。
そして、
出来ないなりになんとかしてみようとするならまだしも、
スッパリと避けようとするのだ。
それでも仕方なく挨拶せざるをえない時は、
蚊の鳴く様な声でおどおどしながら言ったりしているが、
そういうのを相手に見られて色々思われるのも、
本当はものすごくイヤなのだろう。
だから出来るだけ避けるのだ。
「病んでいる」と言っていいくらいに。
子供の頃だとか若い頃だとか、
経験が浅い時はそういうのでも仕方がないにしても、
もう60歳を超えていてもできないし、
プライドがものすごく高く面倒なことがイヤなこともあって、
やれるようになろうとも、
とにかく一生懸命やってみようともしないのだ。
情けない。
結局、
たとえ母のことでも、
自分のことでも、
どこかに行って色々としてくるとかも、
「手続き」とか「問い合わせ」みたいなことも、
できないのは、
しないのは、
できるだけ避けるのは、
人にやらそうとするのは、
結局このことと繋がっていて同じことなのだ。
●
同じく、
そのことの現れとして、
「輪唱ちゃん」がある。
これも父の火葬の時がそうだったけれど、
全てが終わって火葬場をあとにする時に、
僕が火葬社の人に「ありがとうございました」と言うと、
すぐにその後ろにくっつけて、
「ありがとうございました」と言う。
母が火葬社の人に「お世話になりました」と言うと、
すぐにその後ろにくっつけて、
「お世話になりました」と言う。
お世話になった何人かの人に会うごとに、
何度も何度もあとにくっついて言う。
(だから「輪唱ちゃん」と名付けた)
自分が前に出て、
挨拶することはない。
出来ない。
だから、
その挨拶するべき人と二人きりになったりしないよう、
常に、
僕らの後ろにくっついている。
なんかなぁ。
と思ってうんざりしたよ。
もう僕にはそれは分かってしまっているのに。
「わかられていない」と思っているのだろうか?
それから、
今から18年くらい前にも、
「輪唱ちゃん」があった。
たぶん、
その「輪唱ちゃん」が、
僕が最初に気がついた「輪唱ちゃん」かもしれない。
(まだそのネーミングはなかったが)
その日は僕の誕生日で、
たしか土曜日とかそんなだったと思う。
当時父母のところには毎週木曜の夜に帰っていたので、
母からのお祝いは来週の木曜だな、
みたいな感じだった。
すると朝に姉から電話がかかってきて、
「今日はお誕生日だからお祝いのプレゼント持っていくわぁ」
ととてもいい声を出してそう言った。
たしかその頃、
姉がパソコンを買うのに一緒に行ってあげたことがあったが、
(その時もなんだかややこしかった)
丁度その直後だと思う。
そういうことがあったから、
「ああこれは姉が僕と母に良い顔しようとしてるな」
とすぐに解った。
(この頃は「いい子アピール」というネーミングもまだ無かった)
“もぉ、別に木曜でもいいのになぁぁ”と思ったけれど、
でも断ったりすると
「せっかく私が言ってるのに」とかいって、
母親に訴えてまた僕を下げようとするだろうし、
母も悲しい思いをするだろうから、
仕方ないなと思い、
昼から人と会う約束があったので、
昼までならオッケーということにした。
で、
しばらくするとプレゼントを持ってきて、
「もうすぐに出かけるねん、一緒に出よか」と言うと、
こんなことを言い出した。
「さっき、下の玄関のところに大家さんがいて、
何だか忙しそうにしてたので、
挨拶できなかったから、
もし、まだいたら一緒に挨拶してくれる?」
と。
「おやぁ?」と思った。
その言い方で、
「そうか、ちゃんと挨拶しなかったんだ。サササと通りすぎたんだ」
と解った。
それで外に出ると、
マンションの玄関のところに大家さんがまだいて、
水まきしてるかそんなだった。
横を通り過ぎる時に僕が、
「こんにちは」というと、
後ろからくっついてきていた姉がすぐさまくっつけて、
「こんにちは」と言った。
まるで僕の小さい子供のように。
心の中で、
「うわぁ、なんかものすごくイヤ」
と僕は思った。
(いやぁ、言ったらすぐにグジャグジャッとものすごく言い返されて、
帰ってからも母に僕を悪く訴えるのは解っているのでその時は姉には言わないよ)
●
そんな風に、
大人の今でも「挨拶」ができない姉だから、
それがあの日、
費さんちから帰った「理由」だと気づいたのだけど、
もうひとつ、
「理由」が解った理由として、
姉が「“自分の心配”にはものすごく頭がめぐる」
というのがある。
姉は自分の心配に関しては、
本当にかなり頭が巡る。
心配と言っても、
「人に迷惑かけなかったろうか?」
とか、
「人がイヤな思いをしなかったか?」
とか、
そんな人に対しての思いやりの心配はまったくしない。
良い子ぶって言うことはあっても、
本心でそう思うことは無い。
そういうところに関しては、
無頓着といっていいくらいだ。
「知ーらない」って感じがぴったりかな。
「人」がらみであるとしたら、
「私はヘンな人に見られなかったろうか?」と、
「あの人が私に意地悪しているんじゃないか」
くらいかもしれない。
とにかく「自分の心配」に関しては、
ぐるぐると頭が巡る。
「今からそんなこと心配してどうするの?」
みたいなことにまで心配するくらいに巡る。
そんなだから、
前にも書いたことがあるけれど、
父が入院してまだ間がない時に、
「もしお父さんが施設に入ることになったら、
(自分の家への金銭的負担が増えるのがイヤなので)
(外で自立している)ハジメも家にお金入れてくれる?」
なんて言ったり、
今年に入って母のことを色々としている最中にいきなり、
「もし私が生活保護受けないといけなくなったら、
ハジメは私を助けてくれる?
その時助けてくれると約束してくれるんやったら、
ハジメが生活保護うけることになったら私も助けてあげるけど、
私を助けると約束してくれへんねんやったら私も助けへん」
とか、
なんかもう訳のわからないことまで心配して人をイヤな気にさせてまで言ったりする。
つまり、
自分だけで勝手に心配しているならまだいいけれど、
自分の心配を解消するために、
人に「しわ寄せ」を食らわそうとするのだ。
そんな風に、
何かというと「自分の心配」を常に頭の中でぐるぐるとしている人だ。
そしてそれは小さい子供の昔からそうだ。
●
で、
これらのことを頭に、
子供時代のあの日の、
「僕が費さんちに置き去りにされた」話にもどる。
まず、
最初シャンシャンのママに誘われた時、
すんなりと家に上がったのだから、
その時は姉はまだ何も考えてなかったのだろう。
でも、
シャンシャンのママがメロンを切り始めてそれを待っている時、
僕が横で心の中で「メロンだ〜♪メロンだ〜♪」と浮かれてた時、
その時に姉は色々考えたのだ。
自分の「心配」なことに関しては、
クルクルッと頭が回る姉だ。
すぐに「おやつが済んだあとのこと」に気がついたのだ。
「おやつを食べ終えたら、
自分がお姉ちゃんとして、
最後にシャンシャンのママにお礼言ったりしなければならない」
ということに気づたのだ。
普段は自分のママがいて挨拶などは勝手にしてくれる。
でも、今はママがいない。
変わりにしないといけない。
「責任」がのしかかってきたのだ。
すぐに即決。
「できない。イヤッ。ムリッ」
そして、
「ちょっと帰ってくる」といって、
弟を置いて、
走って出ていった。
つまり、
あの日姉は、
そのあとに自分がしなければいけないことを、
放棄したくて逃げたのだ。
そしてその後の責任を、
10歳の弟の僕に投げたのだ。
それが理由だ。
間違いない。
●
いやあ、
分かったぁ。
何事も「やる」ものだなぁ。
このブログにあのことを書こうと思わなければ、
解決できてなかった。
そして50年たってようやくわかることもあるのだなぁぁ。
いやぁ、
よかったよかった。
おしまい。
いやいや、違う違う。
これは「よかった」話ではない。
「ひどい」話
なのだ。
それにしても、
予想していた理由であろうが、
この理由であろうが、
置き去りにしたことはやはりひどいし、
姉の「弟なんてどうでもいい」、
ということに変わりない。
しかし、
この解った理由は、
やっぱりかなり一番ひどい。
単純にその場から逃げたのだ。
そして、
自分さえラクになれば、
そこに弟が置き去りになることなど関係ない。
平気で人を見捨てる。
放っておいて知らんぷりする。
そして自分もしなければいけないしんどい役割をやらせる。
それは、
ほんとに、
そのまま今と一緒じゃないか。
いやいや、
今も一緒じゃないか、
か。
「するべきことは絶対したくない、
だから、人に無理やり投げる。
そしてケロッとしている」
アタマおかしい。
●
ホントに思うナァ。
もし、
あの費さんの家に呼ばれたあと、
お姉ちゃんとしての責任重大な気持ちで苦しくなりながらも、
せっかく出してくれたメロンを素直に食べて相手の気持ちに応えて、
つたないながらもちゃんとシャンシャンのママにお礼を言い、
家に帰って「ママー、シャンシャンのところでメロンごちそうになったー」
と言ったりするような姉だったら、
今ごろカッコイイ姉になっていたかもしれないなー。
無かったことをいってみても仕方がないけれど。
でも、
そういうのが人との関わりなんだな。
そういうことをしなかったし、
その後もずっと自分でも育てたりもしなかったから、
そのあたりの「心」とか「愛情」みたいなものが、
姉にはザクッと無い。
ホントに、
無い。
それは、
時々、
不思議と、
自分でも言っている。
「感動せーへんねん」とか、
「私冷めてるねん」とか、
自分でも言ってる。
だからもともと「無い」で生まれて、
そのままなのかもしれない。
そして一方で、
人が自分の思い通りにしてくれないと「冷たい!」とか避難して、
自分の思い通りに動かそうとして、
そのくせやっぱり、
自分は平気で人を見捨てる。
しかし、
自分では何も出来ないし、
したくないから、
何でも人にやらせようとする。
そのためにすぐに手の平を返して、
こちらをいいようにやたら褒めたり持ち上げたり、
自分は「いい子アピール」したりする。
さらには「兄弟」だとか「家族」だとか持ち出して、
ゴリ押しで無理に押し通そうとしようとする。
そしてわめいたり泣いたり怒ったり。
なんか逆にすごいと思うくらいに怖いやん?
ワケがわからない。
そんな人は、
とてもじゃないが、
誰だって信用できないだろうし、
信用しない。
もちろん僕にも無理だ。
これからも。
一緒にいるのも。
そして、
きっとそれは誰にだって。
●
さて、
これでこの「ひどい話」はおしまい。
それにしても、
やはり今回これを書いてて不思議だったのは、
今こういう状態の時に、
これを書くことによって、
あの「ハジメちゃん費さんち置き去り事件」
の分からなかった部分が思いもよらず解ったことだ。
そして、
それが、
大人になった今の姉の問題と、
そのまま一緒のことが理由だったということだ。
昔から今だにずっとそうである姉の事柄をもとに、
50年前の姉の行動の理由がわかるなんて。
なんか不思議だ。
僕が直面している姉の問題が、
これを書くことにしたおかげで、
あの子供の頃からそのままやってきて、
「あれも実はそうだったんだよぉー」
と教えてくれたような。
そんな感じ。
何かが実際に解決した訳ではないが、
妙に納得のいく不思議な感覚。
まるで何かの「縁」のような。
繋がっているような。
過去からの伝言のような。
●
だいたい、
1年くらい前から姉のことを書き始めて、
書けば書くほど、
いろんなことが見えてくるというか、
わかるというか。
考えがまとまっていく、
というか。
やはり、
書いてみるべきだと思う。
つまり、
なんでも、
自分が前に出て、
自分を前に出して、
「やる」
べきだなと、
つくづく思う。
やらない人には、
最終的にはきっと、
何もない。
もちろんそれでいいのなら、
何も欲しがらないなら、
それはそれででいいんだけれど、
それでいながら、
欲しがっても、
たぶん、
何もない。
6月頃までよくお昼用のくるみチーズパンを買っていた「アンリアン」のあと。
そんなこんなです。
That's all for now.
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