5月31日に終わっていた、
『はっぴぃ! アロー&スケルトン』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 歴史ドラマにも登場する 日本史の大物たち 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 歴史に残る偉人たち! お札の顔 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 車のパーツの調子は? 〟
↓
以上、
『はっぴぃ! アロー&スケルトン』8月号 用のイラスト。
7月2日、
ということはすでに、
全国の書店で発売中。
よろしく。あるよ。書店に。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
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今回はイラストからは別に何もないかな。
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明日7月6日は僕の誕生日だ。
でも、
ちょっと憂鬱だ。
というのも、
例の、
困った姉がらみでね。
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姉はいつも月のアタマは忙しいからと、
平日以外も仕事に行くので、
昨日と今日の土曜日曜は、
僕は母のサポートに行っていた。
だいたい、
姉が土曜や日曜に仕事に行くか、
もしくは逆に平日に休むかは、
母が姉に教えてもらえるのは前日の姉が帰ってから。
そして僕は母にいつも、
「まぁそれなら夜に分かってから僕に電話とかしなくても、
毎朝僕はお母さんに電話しているのだから、
その時に教えてくれたら」
ということにしているので、
僕が姉が出社しているのか休んでいるのかを知るのは当日になる。
で、今日の日曜は、
「さすがに日曜は休むのでは?」と思っていたので、
昨日思っていた予定として、
依頼が溜まってきているパズル誌のイラストを、
いろいろ進めておくつもりだった。
が、朝母に電話したら、
「今日は出社した」というので、
予定を返上して、
母のところにサポートに行く事になった。
もちろんそういう事態も頭のスミに置いているので、
「まあ、よし」として、
元気に母のところに行って、
元気に母と過ごしてきた。
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さて、もともと、
毎年僕は、
自分の誕生日に、
姉がちょっとめんどくさい。
普通ならこのくらいの大人になれば、
それぞれ家族がいるなり自立なりして、
昔の子供時代の家族の兄弟に対して、
誕生日に重きを置いたりしてないと思う。
もちろん、そういう中で、たまに、
ちょっとたまたま何かあったりしたらどちらかが祝ったりして、
また逆もあったりして、
そういうくらいのものだと思う。
そして僕はどちらかというと、
「もう年だし別お互いお誕生日のお祝いの贈り物はいいよね?」
「うんいいよ。元気でいてくれたら」
みたいな兄弟が本来は合っている。
その上で、
いちいち均等にそっちがした分こっちもする、
ってな永久ループみたいにしなくても、
気が向いたらちょっとしたり、されたり。
その時に、とても喜んだり楽しんだり感謝したり。
そういうのでいい。
しかし姉は、
ものすごくそういうのに重きを置いて、
してくれると「きゃぁありがとう。嬉しいわぁ〜」
なんて持ち上げてくるけれど、
してくれないと、
まず母に、
してもらえなかった可哀想な自分を訴えたあとで、
「してくれなかった!あぁぁ〜わかった!もう私もせえへん!」
ということになる。
また自分がした時は、
やったあとに、
母に「私やってん。やってん。」としきりに「いい子アピール」するし、
しかし相手の反応が自分の思っていた感じじゃなければ、
「あ〜!!、もう二度とせえへん!」だし。
おまけに別のことで「イヤなことされた!」と思った時も、
やっぱり「あ〜あ、もう二度とせえへん!」だし。
でも相手がまたしてくれたら、
「じゃあ、やったるわ」みたいな感じ。
つまりは、
姉にとって贈りものというのは、
「まずは相手は私にするべきだ。
で、相手がしてしくれたらするけど、しなかったら私もしない」
というもののようだ。
そして、
贈る場合は、
「いい子アピール」と「してくれたからあげるもの」であり、
“心からお祝いしたいからする”とか、
“何かを差し上げたい気持ちになったからする”とか、
“お礼の気持ちを表したいからする”ではないみたいだ。
僕はそのあたりのやり方がものすごく嫌いだ。
なんか、贈り物を、
相手を上げ下げする「ネタ」にしているみたいで。
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ちょっと正月の「おとし玉」の話をしよう。
こっちもいつもめんどくさい。
いつも正月になると僕は、(父が生前の例だが)
「父」「母」「姉」にお年玉を用意して父母の家に行っている。
まぁ上にも書いたように、
「姉にはもう毎回毎回でなくてもいいんじゃないか」と思うけれど、
しないと母に「してもらえなかったぁぁぁ」と訴えて面倒だし、
恨んでそのあと母に「僕を下げるようなこと」をあれこれ言って、
母の心を惑わしたり疲れた気持ちにさせるのが悪いので、
それでいつもしている。
で、
その時、
姉はこういうことをする。
必ずまず僕がみんなにお年玉を出す。
まぁたいてい元日の最初のお祝いの食事の時に、
するものだわな。
で、
姉はその時はお年玉を用意していない。
僕のお年玉を自分の部屋に持ち帰って中を見たあと、
必ず同じ金額をお年玉袋に入れて持ってきて僕に渡す。
もうバレバレなのに、
きっと20年くらいはそうしている。
たぶん、
「自分の分がハジメの分より多くて、ハジメが得するのがイヤ」
で、
かつ、
「自分の分がハジメより少なくて、ハジメに“なんや”と思われるのがイヤ」
だから、
結局はいつも「ブラスマイナスゼロ」みたいな、
そういうイヤらしいやり方になるのだろう。
「じゃあそれなら、もうお年玉はお互い無しでいいやんー」
と思うのは僕だけじゃないだろう。
ここでも上か下かを気にしていて、
なんだかとてもいやらしい。
本当にいつもちょっと馬鹿みたいだと思っている。
でもそれでもやっているのは、
姉が騒いで母にめんどくさく悲しい思いをさせたくない、
それだけだ。
(そして、姉は母にめんどくさい思いをさせても平気みたいだ)
ちなみに、
姉は父の生前、
「お誕生日の贈り物」や「お年玉」は、
もう随分と昔から一切贈っていない。
思うようにしてくれないから敵だし、
したくないし、
する必要はないのだろう。
自分が生まれたもとになっている人であろうが、
その人のお金で暮らしているのであろうが。
●
さて、
これらを踏まえて、
明日のお誕生日の話に戻る。
なぜ僕が明日の誕生日が憂鬱なのか?
今日帰りの電車の中で、
「また姉がめんどくさい僕の誕生日が来たなぁ」、
と考えているときに、
こんなことをふと思いついたのだ。
もしかしたら、
明日の朝電話した時、
「●子が今日お休みなんだけど、でも、
ハジメのお誕生日をお祝いしてあげようと言っている
だからこっちに来ぉへんか?」
と姉が母に言わせたりするなんてことがあるんじゃないか?
と。
そしてさらに、
もしそれを断ったら姉はあとで、
「せっかく私が優しい気持ちでお誕生日お祝いしてあげようとしたのに、
私のことが嫌いなんや。なんかとても悲しいわ!」
と母に訴えるんじゃないか?
と。
でももう、
まずそんな「いい子アピール」はカンベンしてほしい。
母が弱くなってから、
さかんに僕に「いい顔」をするようになったけれど、
自分が何もできなくて先行きが不安になってきたからって、
僕をもちあげて先々僕をアテにするようなのが間違っている。
ちょっと前まで気に入らないと「ヘン!」とか「フン!」とか、
「お前なんて!」みたいにしていたくせに。
嫌だし、おかしい。
それに、2年前にも、
父が入院してすぐに「3人で食事に行こう」と母に提案して、
母から僕に言わせて(いつも母を使うのも卑怯)、
僕が
「そんなん、“お父さんがいなくなってバンザイ食事会”みたいなの行かへんで。行くんやったら2人で行っておいで」
と母に言って話が流れたことがあったが、
ほんとにもう、
「さぁ、私の提案に集まるか?集まったら味方で来なかったら敵じゃ」
なんて“政治家の会合”みたいなことは、
ホント「やめようよ、そんなん」だ。
それに、さらに、
もし平気でそういうことを言ってきたなら、
姉は「僕の仕事」のことを考えてない。
僕が母のところに行くか行かないかは、
全て姉が仕事に行くかどうかに合わせている。
で、今週は土日も母のところに行って、
(もちろん母のところに行くのは全然イヤではなく元気一杯だが)
7日間続けて、
仕事をする時間は「朝少し」「帰って夜少し」「母のところで少し」
となったので、
そりゃ、
もし明日時間が1日取れるならば、
仕事に回したい。
もし心やさしい兄弟なら、
お誕生日のお祝いがどうとか、
「せっかくしてあげようと〜」とかよりも、
「そうね。私が出勤していた間、
ハジメは仕事時間も減ったんやろから、
仕事があるんやったら仕事しぃ」
くらいきっと言ってくれるだろうな。
でも、
姉には無理だろうなぁ。
むしろ、
「じゃあ来週は?再来週は?」
となんとか言って、
思いついた「いい子アピール」と「敵か味方か?」を、
実行しようとするかもしれない。
もう、
締め切り仕事で、
次から次へと仕事は来るし、
できたらそれ以外にもするべきことはしたいこともあるのだから、
「時間ができたらサラッと仕事をさせてくれよ」
と思っている。
そういうサラッとした大人のようなことは、
姉に絶対無理だなぁ。
きっとまたグチャグチャするんだろうな。
すまない、母。
(そうそう、洗濯と掃除もしたい)
●
いやいや、
これは今勝手に思っていることなので、
明日実際にそうなるかどうかはわからない。
それに、
姉は明日も出社かもしれないし。
どうかな。
もしそうなったら、
また報告しようか。
そんなこんなです。
That's all for now.
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