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ロンドンに行った話の、そのまた「素顔のロンドン編」の、その3、最終回です。ロンドン4日目、行く前からタノシミにしていた、バブ巡りをしてきました。「イギリスの酒場といえばパブ」という話は聞いたことはありましたし、日本にある「パブ風」のお店に行ったこともありますが、本場イギリスのパブがどんなものかはもちろん知らないので、タノシミにしてました。MsちゃんRくんと、夕方、ホルボーンの街へ。 1軒目は、Shakespeare's Headという、広い大衆的な感じのお店へ。↓ 続いて2件目、かなり古いという、The Ship Tavernというパブへ。イメージに描いていたような、「いかにもパブ」といった感じ。↓ 天井の意匠がいい感じでした。3件目も、CITTIE OF YORKEという歴史のある、中の雰囲気がとてもいいパブへ。↓ それにしても、面白かったのは、アチコチのパブで、外のお店の前で立って飲んでいる人が多くいたことです。ほら↓ (話はそれますが、並んでいる花の扱いがとても綺麗。 さすがガーデニングとフラワーアレンジメントの本場です)それから、CITTIE OF YORKEの外でも。ほら↓ 別に、中が超満員だから表にはみ出している、という訳でもなく、みんな好んで外に立っているようにも見えるのですが、このあたりはもっと詳しく聞いてみたり調べてみたりしないと、確かなことは言えません。だけど、この翌日の金曜日のお昼すぎ、単独でビカデリーからコベントガーデンをうろうろした時も、平日昼間というのにパブの前で立って飲んでいる人たちを、見かけました。それも、「ふらふら遊んでいる人」という感じではなく、ワイシャツ姿のちゃんとした風の人がいたりするんです。目の当たりにしたときは、「えっ、平日昼間っから、外で、いいの? 会社の近く?」とか思ったりしたのですが、まぁ、「パブ」のイギリスでのポジションや成り立ち、また国民性などの違いなのかもしれません。調べたら、いろいろヒントも解るんでしょうが、まぁ、ここではこのくらいにしておくので、興味があれば調べてください。まあ、少なくとも日本での、「自分がイイコトをしたい時はみんなで連れだってコソコソと」だとか、「他の人がイイコトしてたら羨んで嫉妬して批判して」だとか、この国に長く根を張ってきたジクジクした村人精神から見れば、「なんじゃおめーはええコトしとるのぉー、 じゃが、おらの村では勝手なコトは許さんけんのー」みたいに思ってしまったり、もしくはそう思われるんじゃないかと恐れたりしてしまう、のかもしれませんが、グーンと引いて135度くらいの角度で見れば、そんな風にパブで昼から飲んでいるのだって、「自分のするべきコトちゃんとしとったら、 どうってこと無いしどうでもええコトやん?」なんて、ただそれだけの話かもしれませんね。さて、肝心の「パブ自体はどうだったのか?」、ということですが、言葉は解らないし何もしゃべれないし仕組みも知らないし、Rくんの後ろにくっついてカウンターに行って、「うんうん、おまかせ」みたいな感じで終始してました。「パブに来てウレシイなー」みたいなウレシサだけでいっぱいで、ほとんど「大人にくっついて初めて酒場に行ったガキんちょ」のような感じでした。いつものように調子こいでバンバカ自ら頼んで、飲んだりすることもなかったのでした。そう、そのあたり、もうちょっと余裕があればよかったんだがなーと、今は思っています。店の中とか、看板や構えの写真とかもっと写したり、(ほんとにそういう写真をあまり残していない)店内をもうちょっとウロついたり雰囲気を味わったり、自分で注文することに挑戦してみたりとか、そういうことの出来るキモチ的ヨユーがまだ持てなかったので、(それは単独行動でぶらぶらした時にも、全般的にも)そのあたりが「まだまだもう1歩」な今回でした。まぁ、初めての海外旅行なので充分なのかもしれないけれど、もし次があるなら、その時はもちょっとそのあたりを楽しめたらなー、と思っています。さて、今回、当初から、日本の友人知人に持ち帰るお土産は、「普通に売っているものに出来たらイイナ」と思っていました。いや、あえて、いかにも、「観光地ロンドン〜」というものにした友人もいるのですが、基本は普段ロンドンに住む人が買っているようなものにしたかったのです。そういうのは、何を買えばいいのかがわからなかったりして、ツアーではなかなか難しかったりしますが、今回のように現地の知り合いのところに遊びに行く場合は、教えてもらえるので可能です。7日目だったか、Msちゃんに買い物がてらで付き合ってもらって、「テスコ (TESCO)」というスーパーに行ってきました。スーパーや地の市場というのは、その土地の「食」がはっきりと見えるので、面白いです。まず、充実しているのが、ハムやベーコンなどのコーナーです。 まるで、「大きなお肉のかたまり」のようなペーコンもあったりします。それから、種類が豊富といえば、うっかり写真を写し忘れていますが、「じゃがいも」。日本では「メイクイーン」と「男爵」くらいですが、大小とりまぜ色んな種類が置いていました。それからリンゴも、多くの種類がありました。さすが、ニュートンがリンゴで万有引力を発見した国です。特に、日本ではほぼ目にしない、小さいサイズのものの方が多くありました。ここらのことは検索してみるとちょっと面白いです。興味があったら調べてみてください。日本でもどこか小玉のリンゴが売っていないでしょうか?きゅうりは逆に、やけに大きかったです。 それから、しょうが。日本より大きなかたまりでした。日本のスーパーの野菜売り場のマネージャーが見たら、「これ切って6コにして売ってね」とかいいそうです。 以上、結構ダイナミックで、なかなか僕好みでもありました。逆に、どうしても日本人の僕から見たら残念に思えてしまうのが、魚のコーナーでした。 レイアウトの仕方も含めて、なんだかでろでろ〜んと置かれていて、ほぼ切り身でピチピチ感がありません。しかも、小さいスーパーならいざ知らず、そこそこ広いスーパーで魚売り場は、たったこれだけのスペースでした。うーん。と、思ってしまうのは、やはり僕が日本人だからでしょう。もともと日本の食が古くから魚によって成り立ち、やっぱり何だかんだ言っても魚料理が大好きで、魚と深いところで結びついている民族だからなのでしょうね。そして、この間ひとと飲みながらこの話をしていて結論したのですが、そういう魚との結びつきがあるからこそ、鮮魚を新鮮なままに保つ技術や人、氷や保管や運搬の為の技術や人、さばいたり調理したりの熟練のテクニックや人、それから、漁師さんたちの漁のコツやワザや思いから、おいしそうに見せる並べ方なども含めて、普段から気づかぬうちにかなり水準の高いものに、お世話になっているのでしょう。魚という食材に対して「異常な」といっていいほどの、心と手間と時間と技術の使いようじゃないかと思います。その「おかげ」です。きっと、そういう部分では、世界でもトップレベル、いや、あっさり世界一かもしれないですね。これまで日本にいて、スペースの無い小さいスーパーなどは別にして、そこそこのスーパーや市場で、新鮮なままピチピチな魚がいい感じに置かれているのを、何気なく当たり前のように見てましたが、他の国の魚売り場を見て改めて、そういう「おそらく世界一」によって成り立っているのだということを感じたりしました。 ちなみに、「鮮魚」に関しては、日本にはたぶんかないっこないロンドンだと思いますが、滞在中にMsちゃんが最寄りの駅前近くの店で買った、その店自家製の「スモークサーモン」↑。これはおいしかった。ほんとにおいしかったです。今まで、あんなにクセが無くてあっさりとした、おいしいスモークサーモンを食べたことはちょっとありません。あちらは、「鮮魚」の技術ではとうてい日本に及ばないまでも、「スモーク」を作る歴史と経験は日本よりは上なんでしょうね。何事も、場所場所です。ちなみに、肉類や生野菜類は国外に持ち出せないので、スーパー「テスコ (TESCO)」で買ったお土産は、オススメの紅茶とビスケットと、あとは小瓶のビール2本と、日本では見たことのない菓子類にしたのでした。さて、翌28日の朝にはロンドンを発つという、最後の夕食に、Rくんが腕をふるって「ロンドンの家庭料理」を作ってくれました。日本ではよく、行ったことも無い人も含め「オウム返し」のように、「ロンドンは食べ物がまずい」とか言いますが、そんな「一つの国の食べ物全てがまずい」、ということはまず無いでしょう。「日本のものが全ておいしい」ということも無いのと同じように。「判でおしたようなコトを、表面的に言うのが好きな、なんちゃって〜な昭和的チビッコ物言い」はもうそろそろやめにしなければいけません。
で、行く前から、「家庭料理はおいしいのよ」とMsちゃん。公園でポートに乗って帰ってきたあとに、大きなオーブンを駆使してRくんが、料理を始めます。ポークです。 Msちゃんは他の食べ物やデザートの準備、そして、僕も「剥いたり、つぶしたり」で手伝いをします。「チーフ! わかりました」なんて言ったりなんかしちゃったりしながら。 ♪フフフーン ♪フフーンフフーン グビグビグビ(ビール飲んでる) 「ねぇ、その紫の、何?」「ビートルート(beetroot)」↑ ♪フフーンフフーンてな感じで、出来てきたら、盛りつけて、
庭のテーブルに並べます。子供たちもスタンバイです。 | サノサンミテ〜! / はい、いただきます。 ここまで目でみて、ちゃんと感じません?ちゃんと感じることのできる人は感じるでしょう?「おいしくない訳がなかろーが」(何故か岡山弁)です。もちろんシンプルです。家庭料理ですから。けど、こういう例えなら解るでしょう?「焼き魚と味噌汁と菜っ葉の煮物って聞いただけで、食べずに〝まずそう〟なんて言ったらぶっとばすでぇー。おーっ?」まあ、そういうことです。おいしかったです。そして、自家製スコーンと、↓ デザートの、クランブル(Crumble)。↓ で最後のディナーが終わりました。こうやって、6日と10数時間のロンドン滞在は、幕を閉じたのでした。 行く前から聞いていたように、ロンドンは、日本に比べて湿気が少なく、昼の日差しは強くても、日陰では心地良く、朝晩も涼しくて場合によっては長袖が必要で、しかも、6月の終わり頃が一番過ごしやすい時期とのことで、(僕が帰ってすぐにもっと暑い日々が続いたらしい)ほんとに快適でした。まあ、それはとてもヨカッタことなのですが、帰ってきて、「湿気のめちゃめちゃ多い関西の夏」、が待っていました。いや、ロンドンに行かなくても、この夏の変則的な気候にやられていたかもしれませんが、気持ち的にはあちらがとても快適だったせいか、「しんどいなーたまらんなー」な、「いきなり夏ばてな気分」になってしまいました。まぁそう言っても、「やるべきこと、やらねばならないこと」も有るわけで、日々をまた日本のムシムシあつあつな神戸で過ごすうちに、なんだかロンドンの日々はまるで「夢」の中だったようなキモチになったりしています。けれど、こうやってブログで記録するために写真をみたりしていると、「ああ、ホントに行ってたんだなー」とまたちょっと思い返したりするのです。何度も書くけれど今回、MsちゃんRちゃんにはほんとにお世話になったのですが、実は、その子供たちTくんとDくん、彼らチビッコにはほんとに癒やされました。おかげで笑顔が絶えませんでした。子供の力はどこの国であっても偉大ですね。以上、ロンドンに行った話でした。と、綺麗にまとめたようですが、実はまだ少しあります。今回、あちらで見て写真に写したものの中で、実は一番「ネタ」的に気に入ったものがあって、それはまだ、ここでは紹介していません。それは何かというと、Msちゃんの家の近くにあった、郵便ポストです。↓ なんか、いいでしよう?前の円筒部は日本の昔のポストに似てますよね。(そもそもイギリスのポストをモデルにしたのでしょうか?)街で見ていると、後ろの四角の部分の無い円筒だけのものは多く見かけました。また、違う形(四角っぽいもの)もあったように思います。(あれがポストならば)でも、この、後ろに四角いものがくっついた、まるで「荷物を背負ったような感じ」のものは、僕の見た限りはここだけだったと思います。何なんでしょうね?後ろの四角い部分は。入れ口のそのまま下の手紙がたまる部分が壊れて、だから後ろの箱の部分にたまるような形にしたのでしょうか?よくわかりません。でも、なんだかユーモラスです。僕はこのポストをすぐ、こう名付けました。「行商人のおばちゃんポスト」 | まいどー、あついねぇ〜 / 今日もこのポストは、あの遠くロンドンの空の下で、四角い箱を背負って、郵便物を待っているのです。そんなこんなです。
ロンドンに行った話の、そのまた「素顔のロンドン編」の、その2です。お世話になったMsちゃん家の近くに、大きな公園があります。 朝、子供たちを学校に送りに行くのにつきあって、一緒に散歩しました。とてもいいところです。もともとは大富豪の所有地、つまり個人の邸宅の庭だったそうです。 「丘と森」。そういった印象です。その感じが西洋っぽい、というか、僕がここまで暮らした「日本にはあまり無い感じ」、の景色な気がします。もちろん、木の種類も違ったりするので印象が違う、というのあるのでしょう。 赤ずきんちゃんだとか白雪姫だとか、そういった西洋の物語でイメージづけられたような、そんな森が向こうにあります。下は、6日目に行った、グリニッジの公園です。 やはり、丘と森。そんな感じです。丘の上から向こうに街が見えます。 僕が産まれ育って暮らしたのは阪神間から神戸だけなので、一概にそういうと怒られるかもしれませんが、日本は「山と平地」、という勝手な印象があります。でも、そう沢山見てきた訳ではないけれど、なんかロンドンでみた自然の景色の印象は、「丘と森」、でした。さて、その中でよく見かけたのが、 リスでした。上のリスは、Msちゃん家の近くの大きな公園で見かけたコです。それから、グリニッジでも、 他にも、僕はちゃんとは見そびれたのだけどMsちゃんちの庭や、それからちょっと買い物がてらに付き合った医院の庭でも、リスがチョロチョロとしていました。そう、感覚的には、日本での「ノラネコ」と同じくらいの出没率で、いるのじゃないかなぁ、と思います。建物は、ほんとに「ああ、いいなぁ」と思うものが沢山ありました。ここまでに載せきらなかった建物を、幾つかここに載せておきます。まず、到着した次の日、地下鉄の駅の周辺の商店などが並んでいるあたりに、連れて行ってもらいました。前日の到着の際は、空港から家まで車に乗せてもらって移動しただけなので、実際、自分の足で歩いて間近に見たイギリスの街はこの日が最初でした。ので、街の見るもの全てが「おおっ!」でした。赤い電話ボックスや、煉瓦造りのお店が並んだ建物。街中の建物が全て洋館(当たり前?) そして、綺麗な教会。 その後、色んな場所に行くようになって、最初の「なんでもかんでもに、おおっー!」といった単純な感激のようなものは、慣れるにしたがって薄くなっていくのですが、それでも、(逆に、かな?)「ああっ、いいなーっ」と思う建物はいくつかありました。全てを写真に残せた訳ではありませんが、例えば、4日目のガムデン・ロック・マーケット行きで降りた、地下鉄の「チョーク・ファーム」駅。 ここの駅舎は美しかったです。マーケットに向かっていたのでじっくりとは見なかったのですが、ぱっと見ただけでも「ちょっといい感じ」の建物です。調べてみると、日本語版Wikiにもチョーク・ファーム駅の項目がありました。建てられて100年以上になる駅のようですね。それから、ホルボーンという地域(だったかな?)で、パブのはしごをしている時にみかけた、ステイプル・イン(Staple Inn)という有名な建物、これもとてもいい建築物でした。 その名前はなんとか調べて分かりましたが、説明が英語だけのページも多く、詳細は、だいたいの事しか解りませんでした。が、とにかく、「ロンドン ステイプル・イン」で検索して出てきたブログによると、なんと、建物自体は1586年(1585年?)からのものらしいです。調べると、日本では豊臣秀吉が関白になった時期だそうです。うーん、あっぱれじゃ。 さて、今回、かなりお世話になったのが地下鉄です。時にはMsちゃんやRくんたちと乗り、何度かは1人で利用した、ロンドンの地下鉄("the Underground")です。「London Underground」というのが正式名称らしいですが、"the Tube"という愛称でも呼ばれているとのことです。到着翌日に最寄りの地下鉄の駅で、Msちゃんが全体の位置関係と乗り方を教えてくれました。 異邦人には、まず切符の購入が1つのハードルになりますが、(見慣れぬ言葉を探して見慣れぬお金を選ぶという)今回は、Msちゃんが予備の「オイスターカード」を貸してくれて、それで随分とラクでした。「オイスターカード」というのは、あらかじめチャージをしておけば自動改札でピッと触れるだけで通れる、日本の首都圏のJRの「SUICA」や、関西でのJRの「ICOCA」私鉄の「PiTaPa」みたいな、非接触型交通機関ICカードのことです。駅についたら余計な手間はいらず、「ピッ」とするだけで改札内に入れて、しかもチャージは現金を使わずに、券売機からクレジットカードで補充できるので、一度やって慣れればもう何ということはありません。カードに残高がちゃんとあるか注意するくらいです。もう、ほんとにこれは頼りになりました。最初の単独行動の時などは、やはりちょっと不安で緊張もしたりしましたが、切符を買うという手間を省かれただけでも、助かったような気がします。あまりに頼りにしすぎて、ずっとポケットに入れていたせいか、返す時に見たらビミョーに曲がっている程でした。調べたら、観光客用の「ビジターオイスターカード」というものも、あるみたいです。もし、次に行くことがあれば、あらかじめこれを買ってから行くのもいいかもしれません。日本でもそうですが、ホントにここ10数年の間に、こういうものは便利になりました。あと50年くらいしたらそういう便利を利用して、(タブレット的な端末も利用しつつ)皆、ごちゃごちゃ言わずにもっとひょいひょいと、海外に行っているかもしれません。さて、特に単独行動の地下鉄利用で、もうひとつお世話になったのが、地下鉄のこのマーク。 このように、ブルーのヨコ棒の部分に、地下鉄を示す「UNDERGROUND」と書いたものが、基本のマークで、 それぞれの駅の中での駅名表示は、横棒部分にその駅名を書いたものが使われています。 ほんとに、このマークにもかなりお世話になりました。手持ちの地図でもこのマークをまず探し、 街にかかげている地図でもこのマークを探し、 そして、実際に街角でもこのマークを、目印として探しました。 もう頼みの綱でしたから、単独行動時の。地下鉄の利用はもちろん、現在地の位置関係の目印としても。おかげで、このマークには、なんだかかなり親しみをもってしまいました。そのせいでしょう。先日テレビのNHKでたまたまやっていた、「ウインブルドン・テニス」の総集編を見ていて、開催会場の周辺地域を流している映像の中で、地下鉄・ウインブルドン駅と共にこのマークが映った時、なんだか「ナツカシウレシイ」キモチになったりしました。面白いものです。さて、このくらい。「そのままのロンドン、その3」に続きます。次回で、ひとまずは「ロンドンに行った話」もおしまいです。 そんなこんなです。
奇数月恒例の雑誌のイラスト連続締め切りも始まり、いつもならばそちらの掲載イラストを紹介するのですが、あともう少し、ロンドンに行ってきた事の話を続けます。後半は、そのままの素顔のロンドンです。数回に分けていきます。今回はその1。関西空港から飛行機に乗って約11時間、オランダのアムステルダムで乗り換えて、そこからロンドンシティ空港に向かう飛行機の中、しばらくして海の上からイギリス本土の上空に入り、真下に景色が見えてきました。それが、ほんとにとてもキレイでした。 普段、こんな上空から日本の田園をあまり見ないので、日本との比較をはっきりと断言はできないのですが、やはり感じが違うように思います。今の日本の大きな農業地の田畑はどちらかというと、四角に近い区画割りなんじゃないかと思いますが、(違ったらごめんなさい)ここではいろんな形をしてます。しかも、1つの区画が広そうです。 「あー、キレイやなー」なんて思いながら、飛行機の窓から、眺めたり、写真を写したりしてました。それにしても、僕は子供の頃から阪神間から神戸に親しんできたので、大都市の近隣の海岸べりには「工業地帯」が張り付いている、という勝手なイメージ持っていましたが、ここではほんとにキレイな田園風景で、ちょっと意外でした。 まぁ、日本の関西空港の近隣でも和歌山などは自然が一杯だろうし、飛行機から見たここだけの風景で一概に、「ロンドン周辺の方が自然や田園が多い」と言えるのかどうかは、詳しい人に聞かないと解らないのですが、まぁ、何にせよ、美しい景色でした。しばらくすると、住宅地が広がってきました。 赤っぽい(煉瓦色な)色で統一され整備された、でも、もともとの田園の名残りなのでしょうか、ちょっと不規則な形の区画で道が少しうねった、むしろ自然な感じのする住宅街です。そして、家々の合間にちゃんと緑があります。ここがイギリスの標準的な住宅地なのかどうかは、もちろんこれまた僕にはわからないのですが、なんだかとてもスッキリした感じがします。 しばらくするとまた農地らしき場所が見え、次に、テムズ川でしょうか、大きな川が見えました。 この川に沿ったところでようやく、僕が「阪神間の海岸沿い」で馴染んだのと同じような、タンクや倉庫やそこにつく商業船の姿などの、工業地帯的な景色がありました。「川の途中」なのがちょっと不思議な気がしました。そしてまた住宅街です。 煉瓦色でまとまった街並みがほんとに綺麗に見えます。今、この写真を見ていて、「日本もかつての明治時代くらいまでの、 黒い瓦屋根で統一されていた頃は、 もし上空から見ることができたら、 さぞ、美しかっただろうなー。 その頃は全体に緑も多かっただろうしなー」なんて思ったりします。ちなみに、僕が6日間お世話になったMsちゃんRくんの家ももちろんこんな感じでした。↓ (グーグルマップで検索して見つけた航空写真です)家の裏っかわの緑の多いところが、何度もお酒や食事をいただいた庭です。イギリスは日本と同じで、車は左側通行です。 空港に着いてすぐに、迎えにきてくれていたRくんの車で家に向かった時に、「日本で車に乗ったとき」との違和感の無さが不思議でした。(上の写真はアビーロードです)しかし、もちろん街並みには大きな違いがありました。下の写真は、Msちゃんたちの家の最寄り駅の近辺の商店の並んだ通りですが、わかりますか? それから、住宅地の中でもこんな感じ。↓わかりますか? ちなみに、僕の自宅の近くの景色写すと下のような感じ。あえて西洋チックに作った建物のところの写真で。日本ですよ。↓ ロンドンと比べてどうでしょう?そう、ロンドンの街には、電柱と電線が無いのです。今回、行ったところはどこもそうでした。地下に埋めてあるのでしょう。電線と電柱がなければ本当に街がスッキリします。 「電線の地中化」という話は、ごくたまに日本でも、これまでちょこっと耳にしたこともありますが、いっこうに実現されてません。場合によっては危険と隣あわせの「原子力発電所」に、莫大なお金をかけるくらいならば、代わりにこういった「暮らす市民が見てスッキリする」、ようなことをしてもらいたいものです。でも、「原子力発電所」では他の企業に「うまみ」を与えることができて、自分たちもその分逆に「うまみ」をもらえるけれど、普通の暮らす人々の「気持ちよさ」にお金を使っても、「別にワシらには意味ないじゃん」ってなことでしょうか?実は、よーく考えると、その手の理屈はホントは、大人な思考ではないことがわかる人には解るのですが、まぁ、とにかく、いつまでたっても、「あのすばらしい建物と綺麗な空を写そう」と写真を撮っても、出来た写真が電線と電柱だらけでガッカリ、ということは無くなりそうにない雰囲気が、なんとなくします。が、そう否定的に愚痴っていても仕方ないので、とにかく早く「電線の地中化」を実現しましょう。きっと、いい感じになるところが沢山あります。いい大学を出た賢いグローバルで高収入なあなた方なら、きっと、近いうちに、必ずや、やってくださると期待しております!!!ああウレシイ。バンザーイ。ところで、ロンドンで驚いたことの1つに、「陽が長い」ということがあります。これで、夜の9時過ぎ頃です。 (窓ガラス越しに写したのでデジカメの影が木の下あたりに映ってます)初日の夜、庭先で早めの夕食をして少し飲んで、そのあとまだ明るい庭で子供たちと遊んだりしていたら、MsちゃんとRくんが子供たちに、「そろそろ寝る時間よ」と言うので、「えらく早いんだなー」と思って時計を見ると、夜の9時を過ぎていました。そのことはあらかじめ聞いていたものの、「へー、こんな感じなのかー」と驚きました。正確なことを言うと、今イギリスはサマータイムで一時間遅くしてあるので、冬時間を基準に日本とあわせると、「夜8時すぎごろ」ということになるのだけれど、それにしても明るい。もちろんそれは、「緯度が高いからやんけ、そういうことじゃ、知らんのんけー?」と、一言でいってしまえばそういうことなのですが、実際にその場にいて体感してみると、なんだかちょっと不思議な感じでした。まずはこのくらい。「そのままのロンドン、その2」に続きます。 そんなこんなです。
ここまで、実際に褒めたくなるので結構褒めてきたロンドンですが、しかし、世界的な「日本食の広がり」もあってか、「なんちゃって日本」も、いくつか目にしてきました。まず、2日目に案内してもらった、Msちゃんの家の最寄り駅のお店が並んでいる通りで、彼女がちょっとあきれながら教えてくれた、寿司のお店「スモウ・フレッシュ」。 これはどう見てもヘンテコ。全身真っ赤になって汗が水蒸気になって、ハアハア言ってるお相撲取りさんを思ってしまいます。それに、「ちゃんこ鍋」とかの店ではなく、寿司屋で、「スモウ・フレッシュ」。なんだか、変身ヒーローの叫び声風に、ちょっと張りのある声でいいたくなりますよね?「スモォゥー・フレーッッシュー!」 しかも、だいたいお相撲さんは、「かんざし」なんか刺していません。それは、「かんざし」でしょう? | どすこーい! / それから、3日目の、ビートルズがらみの場所を求めて1人歩きした時に、ベーカーストリートで見かけた寿司のお店。 こちらはなんだかまだちゃんとした感じです。日本人がやっているのでしょうか。 と思ったのだけれど、刺身のヨコにオレンジだし、巻物の中身もなんだかビミョーに違うような。よーく見ればみるほどに、うーん、ちょっとなんか違うようなー…、な感でした。そして一番笑ったのが、4日目に行ったガムデン・ロック・マーケットでの、「なんちゃって日本」。 前にも書いたように、ここでは、世界のいろんな国の食べ物の屋台があって、 日本もありましたありました。いや、「どうやら日本のよう」です。店の名前は、「たなかつ」。 カツのスペシャリストです。まぁ、カツの専門店といったところでしょうか?看板あたりはさほど問題ありません。しかし、ギョウザ? え? しかも、他のカツモノやテリヤキものもそうなのですが、細長いお皿の上にご飯を薄く敷き詰めて、その上にギョウザが乗っています。はぁ? しかも紅ショウガ?うーーむ、それは無いでしょう。いや、日本でもやればウケそうな気がしないでもないですし、食べてみると悪くないかもしれないし、もしかしたら僕が知らないだけで、どこかの日本の地域では大人気なのかもしれないですが、そうじゃないとしたら、「それは違います」。それに、売っている人、「スモウレスラー」風な人を選んだのでしょうが、僕から見たらどう見ても「太った東南アジアのおじさん」です。が、しかし、ですよ、ここで、「なんだ、いいかげんじゃないか!」とか、「失礼なヤツらだな、イヤだな、腹がたつな」とか、居酒屋で愚痴ってるオジサンのように思っては、絶対にいけません。何故ならば、私たちも日本の中でも、さんざん「なんちゃって西洋」をテキトーにやっている訳です。大学生のアルバイトのおねえちゃんが、正確にはスイスなのかオランダなのかよく分からないような、チロリアン風の民族衣装的なものを着て、ヨーグルトを売っていたりするわけです。その手の「なんちゃって西洋」のどこからどこまで正しくて、どこからどこまでがテキトーなのか、そのあたりすらテキトーで解らないまま、チーフマネージャーに「あキミ、コレ着てコレ売ってね」、なんて言われたままに、さんざん「どこかの国風」をやったりしていて、たぶんその国の人が見たら、「オイオイ、ソレハゼッタイナイデース」ということも、きっと、いや絶対にある筈なので、お互い様 なのです。だから、こういう場合は、「そう来るかー!」とか、「あ、意外といけるかもよ、ありがとう!」なんて笑って楽しむのが正しいありかたかもしれないですね。そういう風に思うと、「なんちゃって」も結構楽しめたりします。さて、ロンドンにも、「日本の食材ばかりを専門に売っているお店」もあるのですが、スーパーや街の魚屋さんなどでフツーに売っている、「日本のもの」もあったりします。今回、それを見かけると、実際に日本でその商品を買うのかどうかは別にして、なんだかちょっとウレシかったです。例えば、普通のスーパーにあった、キッコーマンの「醤油」こと「ソイ・ソース」。それから、醤油とくれば、「わさび」。エスビーです。 そして、ラーメン「出前一丁」。 これは後になって、「買って帰ればヨカッタ」と思ったりしてます。ちょっと味を比べてみたいというのもあるし、あと、こういうのが大好きなNという友人がいて、彼にピッタリなお土産だったんだがなーと、帰国して写真を見返してから思ったりしました。最近では普段、以前ほどは、インスタントラーメンを食べないようにしているので善し悪しでもあるのですが、話のネタとしては面白かったかもしれないなんて、思ったりしました。ところで、今回のロンドン行きでは、お米や味噌や梅干しや乾物やなどの、ナマモノではない日本の食材をお土産に持って行きました。で、そのうちの「焼き海苔」を使って、手巻き寿司をしようということになりました。最初は、ロンドンの中心部にあるお刺身を売っているお店で、生魚を買ってきてするつもりだったのですが、時間などの都合から、2日目に近所で買ってきたものや他のあり合わせのもので、やってしまおうということになりました。 「海苔も売っていて手には入るのだけど、 なんだかもっとシナッとしていて、 こういうパリッとしたのは無いのよー」とMsちゃん。TくんとDくんら子供たちも、「オイシイー」といいながらパリパリムシャムシャ食べます。そして、Rくんが「コレガタノシミデシタネ」と日本語で言ってくれた、持って行った「日本酒」で大人たちは乾杯します。「オイシイー」。食事が終わって、テーブルに置かれた空き瓶と、その向こうの緑の庭を眺めます。 持参した日本酒は、僕がここ数年好んで、「新酒のしぼりたて」「夏の一火」「ひやおろし」など、一年を通じていろんな状態のお酒を楽しんでいる、「仙介」という銘柄のお酒で、種類は「純米大吟醸」でした。(さすがに夏なので生酒はもっていけない) なんだか、いつも好きで飲んでいる名前の日本酒を、遠くロンドンで和食とともに飲んで、いいキモチになれるのが、ニコニコとしているのが、とても不思議で、何ともいえずシアワセな感じでした。いや、そう、うん、これは思い切りシアワセなことを、してきたのかもしれません。本当に、こういう場を実現させてくれた、MsちゃんやRくんには感謝です。日本は、「日本のキモチ」で成り立っているんです。それは、「日本のキモチ」で出来たものさえあれば、きっと何気ないところで、またそうところにこそ、こんな風に「ある」ものかもしれません。なんて事を、ロンドンでのことを振り返ったりしながら、思ったりするのです。そんなこんなです。
今回のロンドン話は、ロンドンにあるビートルズがらみの場所を見てきた話です。たぶん興味の無い人にはぜんぜんパッとしない話だと思うので、「人には自分のことはどんな話も聞いてもらいたいけど、 人が話す興味ない話は別にどうでもいいのワタチ」という勝手ちゃんなキモチの場合はすっ飛ばしてくださいね。まず、アビーロードです。ビートルズの実質的に最後のアルバム『アビーロード』の、4人が横断歩道を渡っているジャケットで有名な、「アビーロード・スタジオ」近くのあの場所です。 3日目、Msちゃんとタワーブリッジに行った後、単独で向かいました。最寄りの地下鉄駅は、セント・ジョーンズウッド。路線地図を見ながら問題なく到着です。 外に出ると、周辺の地図を描いた小さな柱で確認します。この周辺を明記した地図のついた小さな柱は、ロンドンの街のアチコチに設置されていて、単独行動の時にはほんとにこれに助けられました。で、地図を頼りに「アビーロード・スタジオ」方面へ向かいます。 駅からまっすぐ進んで最初の交差点に到着すると、 ほら、例の横断歩道があります。向こうに見える白い建物が「アビーロード・スタジオ」です。やっぱり人がワラワラといます。意外と日本人はいない様でした。そして、渡ってます渡ってます。 (↑これはそもそも縦方向の「パノラマ」機能で写したもので、 そのせいでちょっと横移動の人たちの一部が途切れていたりします)なんだかこの光景は、なぜか見ていてちょっと恥ずかしかったです。僕も、20代、せめて30代くらいまでなら、ああやって大股で、ジャケットのビートルズと同じ感じに渡ったりしたでしょうが、「ちょっともう出来ないよなぁ」なんて思いながら、アビーロードスタジオを眺めます。ビートルズが数々のアルバムを録音したスタジオです。 「うん、ここで録音したんや」なんてことをサラッと、でも深く思ったりしながら、壁の落書きをちょっと軽くながめていきます。 テレビ番組などではここで盛り上げるために、「さぁグッときなさいよ〜」なんて感じに、ビートルズの曲がBGMに流れるのでしょうが、現実はそんなことはなく街の音を背景に、普通にテクテクと歩きます。とにかく、まぁ、落書きだらけの壁です。 実際その場に立ってしまえば何てことはない、そういうものかもしれません。そして、最後に、この横断歩道を、 普通に静かに渡って駅に戻りました。次に向かったのは、かつてビートルズが自分たちで作った会社「アップル」の、本社ビルです。映画「レット・イット・ビー」の中でも多く登場して、屋上で「ゲット・バック」や「ドント・レット・ミー・ダウン」などの有名なライブが行われたビルでもあります。再び地下鉄に乗って「ボンド・ストリート」で降りて、「サヴィル・ロウ」という地域に向かいます。 「サヴィル・ロウ」という地域は、「背広」という日本語の語源の説の1つでもあるらしいです。それは、ここ「サヴィル・ロウ」が、背広服を売り出した発祥の地で、「サヴィル・ロウ」がなそのまままって和訳して「背広」になった、というものです。調べると他にも諸説あるらしいけれど、ちょっとそういう場所にあるというのも、面白いです。で、なんとか見つけました。サヴィル・ロウ3番地。真ん中の、1Fが白くその上が茶色いビルがそうです。旧・アップル本社ビル。 ほぼ、そのまんまあるんですね。今は他の会社のビルになっています。そういうところがイギリスはエライと思います。もう、それから45年くらいたっているのですよ。日本の都市部にどれだけ45年前のものが残っているでしょうか?(維持の手間は木造であれ煉瓦造りであれどのみちあります)そもそも、このあたり一体は、どこもそのままみたいですし、とにかく残して再利用なんですよね。そうすると自然に意味あるものも残るってことでしょうね。置いておけば置いておくほどに、歴史的な価値(金銭的とは限らない)が上がるものっていうものが、そしてそれによって多くの人のキモチを、ちょっと持ち上げてくれる可能性のあるものが、この世界にはホントたくさんあるんですが。それが解っているのといないのと、その差と結果が年月を経るほどに出てくるような気もします。さておき、↓正面から写したこの絵。 これは、映画「レット・イット・ビー」の中でも、ジョン・レノンとヨーコ、そしてジョージ・ハリソンが、この前に車をつけて社内に入るシーンで出てきます。そのまんまです。 そして、この屋上で、「ゲット・バック」や「ドント・レット・ミー・ダウン」を演奏した訳です。もし、興味があって時間があれば、YouTubeなどですりあわせをしてみてください。たとえば、ここ などで。 そして、ぜんぜん誰も写真などを写したりしていないフツーの、なんてことはないこの場所を後にして、僕は帰ったのでした。中学3年の終わり頃に、初めて有名曲以外のビートルズの曲を知って、高校時代にさらにビートルズに夢中になりました。幸い、高校で仲良くなった友人ミヤザキもビートルズ初心者で、2人で競うようにビートルズのレコードを集めたりしました。それは1976年〜79年くらいのことで、もちろん、ビートルズはすでに解散していましたし、他にもリアルタイムで魅力的なミュージシャンや音楽もありました。いや、その頃の音楽は、今に比べるとかなり贅沢な音楽状況です。そちらも聞いたりして楽しんではいましたが、とりあえず3年の間に夢中になるだけのものは、もう存在しないビートルズにも充分にありました。あの時代は今ほど情報はなく、「ビートルズ・シネ・クラブ」というファンクラブに入り、その会報で知ることと、「ビートルズ復活祭」というイベントに行ったりして、そこで見る映像、そして、一般に売られている雑誌のビートルズ特集などの記事に限られていました。その中で見た写真や映像によって、かなりアタマの中でいろんなイメージを作ったし、一部の人が書いた断片的な記事から出来た物語によって、思いを膨らまさせてもらいました。それはたぶん、ビートルズに限らず、何につけても、そして、だいたいが誰でも、そうだったのじゃないかと思います。「本当とは少しかけ離れていても、 そうやって出来た物語を与えられて、 それを自分なりに楽しむのが楽しかった」幸せな時代とも言えます。その中で「冷めた現実的な態度」をとる人の場合でも、結局はそれと背中合わせで同じことだったんだな、と思います。その後、「受け身のゴールデン80年代」を過ごして、「みんなでお客様なバブル期」も過ぎて、「まだまだ解った気な2000年代」になっても、そういう感じはあまり変わりなくきました。ところが、「ほんとのところはどうなの? な2010年代」に入ってきて、いろんなところで、「ほんとのところ」を求められ、さらされるようになった気がします。僕らの世代では、相変わらず「アレはああで、これはこうでしょ」と、今だに物語を思っている人がまだ沢山いる気がするけれど、もちろんそれは一概に悪いと言えないとは思うけれど、「で、ほんとはどうなの?」と思っている若者が、そういう人たちにとって、妙に冷めている(同世代の冷めているとは別ものの)ように、見えてしまうのは仕方ありません。そこで、「ほんとがどうあれ、従えよー」と言ったところで、「ほんとう」のところに「動かされるもの」がないかぎり、無理なんでしょう。実際は存在しない「前の誰かに作られた物語」に、ピンとこないのはもう仕方ないでしょう。とういうことは、「動かされるほんとう」とか、「惹かれるほんとう」とかを実際に、身をもって見せてあげればいいのですが、それを持ち合わせていない人には、まぁ、どうすることもできないわけです。「わからんわー」ゆうて酒飲んで愚痴るのがせきの山です。ん?あれ〜?話がちょっとそれてしまいました。そこまで言うつもりは、なかったのにぃ〜い〜。そうそう、「誰かに作られた物語を楽しむ」から、「ほんとうのところ」を求められるようになってきた、というところでストップですね。で、最近そういうような考え方を持っている僕が、アビーロードやアップルのビルの前に立って、無邪気にはしゃぐことはもうなかったです。淡々と、そこで何かがあった頃からそこにあるその場所を、見てきました。そして、そこは、ほんとうに、なんてことはない場所でした。ただ、だからといって、「だからガッカリした」とは全く思っていません。むしろ、淡々としたその場所に、昔そこでおこなわれたことに、敬意を感じて帰ってきました。もし、もっと若い頃に行っていたらもっとはしゃいだりしていたでしょう。そういう意味では、その方が外から見れば幸せそうに映るかもしれません。でも、この年齢になった行ったからこそ、得るものもきっとあるはずです。しかも見てきたそれは、イマドキにありがちな、ネットの検索による「ほんとうを見た、つもり、でも実際は画像」ではなく、正真正銘、目の前にある実物なのです。ここに意味がある気がしています。それは、もうある何かに関しては「おしまい」にしたような、そして、たぶんそうした方がいいんだという確信みたいな、そんな感じです。それが、たとえばある種のそういう人たちとはもう、相容れなくなったとしても、それでいいんだ、みたいな。その実際の場所において、何か、大人として1つ終えてきたような、「卒業」のスタンプを押してもらって帰ってきたような、そんな気がしています。なんだか漠然としてうまく言えていない気もしますが、またちょっと大げさに感じられるかもしれませんが、とにかく、見てきてヨカッタと思っています。 そんなこんなです。
「ロンドンでの観光」の続きです。4日目に、Msちゃんの案内でガムデン・ロック・マーケットという、ロンドンでは有名な大きなマーケットへ行きました。 ファッションや雑貨や装飾品、それからマニアックなものまで、いろんな小さな店がにぎやかに並んでいます。 それから、屋台で色んな国の食べ物がアチコチで、いい香りを放ちながら売っていたりもして、ほんとに面白くて楽しいところでした。 ガムデン・ロックの「ロック」は「水門」という意味だそうです。18世紀後半に栄えた運河が今でも残っており、その水門があることに由来する名前だそうです。 観光用の小舟もあって雰囲気もあります。 マーケットは、近隣の他のマーケットも含めると、とてもじゃないけれど2.3時間では回れない広さと内容で、またゆっくりと行ってみたいと思えるところでした。マーケットの後、大英博物館へ。 このあと、Rくんも交えてパブに行く予定だったので、「何か面白いお土産があるか見てみる」ことをメインにして、展示は一部だけを軽く見て周りました。消費税が20%で物価の高いイギリスだけれど、その分、こういう公共のミュージアムはどこも無料です。 「昔、各地からその土地のものを持って帰ってきたものばかりで、 そろそろその国に返さないといけないんじゃないかと、 思ったりするわー」とMsちゃん。「でも、ここに保存してるから残っているということも、 場合によってはあるんだけどねぇ−、紛争とか破壊とか」「ああ、そうそう、浮世絵でも、明治以降、 海外に出て行って管理されてるモノの方が保存状態が良かったりとか、 そういうこともあるもんなぁ」「それにしても、よくこんな大きなものを持って帰ってきたわねー」
なんてことを言いながら観て回りました。5日目は、朝から単独行動。まず、「いかにも観光」なバッキンガム宮殿に行ってみました。 観光客で溢れかえっています。中国語やラテン系の言葉なども飛び交ってます。 そして、ちょうど運良く、衛兵交代式が行われていました。軍楽隊の行進曲があたりに響いてます。 交代の兵隊さんたちが中に入ってきます。 こちらは騎馬連隊です。
そして任務を終えた兵隊さんが出て行きます。宮殿にもっと近づいて、柵の外からズームアップして写してみます。 僕が勝手に思っていた想像では、もっと旧式で「ガッチャン」とするアンティークな、古いライフルを持っているイメージだったのだけれど、こうやって見てみると銃は最新の自動小銃です。「そうかぁ、かわいい格好をしているけれど、 ちゃんとした兵士だもんなぁ。そりゃそうだ」と、勝手なイメージではない「ホントのところ」を、再認識したりしました。宮殿をあとにして、ちょっと頑張ってお店でサンドイッチとジュースを買って、(と言っても、置いている商品をレジに持って行くだけ)ビジネスマンがアチコチで休憩する公園でランチをしたあと、 街を歩きます。繁華街で有名なピカデリーサーカスへ。 ピカデリーサーカスとは、ここの広場のことで、(「サーカス」とは通りの合流点における円形の空き地のことらしいです)周囲には店舗や劇場があって賑わっています。なのに、新しい高層ビルがほぼ無くて、建物が低めで、とても空が高い。天気もよくてサイコーでした。 広場の中心には噴水があり、そのてっぺんには「エロス」の像があります。周囲は外国人観光客とおぼしき人たちも沢山いて、「イギリスのお土産モノ」のお店も多くあります。このあと、さらに東へ向かって、ちょっとシャレたお土産などを見つけるために、「コベントガーデンマーケット」という場所を探したのだけれど、アチコチ歩いてもうまく行き当たらず、この日は暑いし、戻る時間も押し迫ってきたので、モヤモヤしながらもハンパな感じで帰ったのでした。6日目は、Msちゃんの家族みんなと、グリニッジへ。今は一部がグリニッジ大学として使われている、旧王立海軍大学があったり、航海術に関する博物館があったり、そして、ちょっとした丘の上に、「グリニッジ天文台」があったりします。そう、世界の標準時の、「グリニッジ天文台」です。 その丘の上から見下ろすと、キレイな公園と建物、そして新しい街が美しく見えるのでした。 前回の「タワーブリッジ」と合わせて以上が、今回巡った、ロンドンの主な観光地でした。今回、思ったこと(気づいたこと)があります。「タワーブリッジ」「大英博物館」「バッキンガム宮殿」など世界的に有名なところに行くと、本当に多くの中国人観光客がいました。彼らはしゃべり声ですぐに解ります。日本でも、ここ10年くらいの間に、中国人観光客がとても増えました。神戸三宮でも、大阪でも、京都でも、大阪と神戸を結ぶ電車の中でも、いつでも普通に多くの中国人観光客らしき人たちを見かけるようになりました。で、今回ロンドンで、ふと、中国人観光客には「若者」が結構多いことに気づいたのです。カップルで、あるいは女性のグルーブで、1人でブラブラしているコも見かけました。まぁ、ツアーできていて自由行動なのかもしれないし、中にはもしかしたら単独でという人もいるかもしれない。そんな彼ら彼女らが、自撮り棒を片手にあっちをウロウロこっちをキョロキョロしてるのです。もちろん、神戸や大阪の中国観光客でも若者は多いし、そういえば2年前に言った広島の平和公園でも、中国人観光客らしき若者を多く見かけました。その時々にはそう気にはしてなかったのですが、彼らはきっと、「日本が人気」という理由だけで来ている訳ではなくたぶん、ずっと同じテンションで、世界中のアチコチの観光地に行っているのではないかと、そう気づいたのです。その証拠に、といいますか、逆にロンドンの観光地で、日本人観光客の若者は、ほぼ目立って確認はできませんでした。(1人だけ、日本語を話ながら通りすぎた兄チャンはいました)だいたい日本人は仲間の外ではおとなしくしているので、ただ気づかなかっただけかもしれないけれど、でも、なんとなくたぶん、日本人の若者は、「そんなに数はいなかった」が正解じゃなかったかと思います。そして、若い中国人観光客にくらべれば、日本人の若者は「ぜんぜん少ない」が正しい気がします。距離的に、遠さがめちゃくちゃ違わないはずですが。思えば、すぐに、「遠いから」とか、「よく知らないから」とか、「食べ物がおいしくないというウサワがあるから」とか、なんじゃかんじゃ理由のための理由をつけて、皆がそう行かないとされているところには行かないのが習わしの日本人が、そうぽんぽん、ロンドンには行ったりしないでしょう。(ハワイやロスなら別でしょうが)今回の僕の旅行でも、「ロンドンへ行く」というと、「へ? ロンドンに!?」という、ちょっと意外なところ的な反応もそこそこありました。すぐに「いいねぇ」と言ってくれた人はだいたいが、「ヨーロッパ渡航経験者」とか「もと洋楽大好き」とか、そういう人たちだったりします。で、その「へ?」的な反応をした多くの僕の同世代に育てられた、その子供たちにあたる若者日本人が、今の「ロンドンの人気具合」の中では、そう、ポコポコロンドンに行くとは思えません。(何かのきっかけでもっと人気が出れば別でしょうが)若者でも、勉強の留学のためにとか、仕事でとか、もしくは、「好きだから1人ででも行きたい」とイギリス全体やロンドンにあこがれたり惚れたり、している人たちに限られるのかもしれません。それに比べて、どうも、あくまでも感じですが、一方、中国の若者たちは、「ニホンデモ、ロンドンデモ、ドコデモカンコウチハ、イッチャウヨー」な感じがなんとなく匂います。もちろん、そういうことが出来るのは、中国の中でも恵まれた若者たちなのかもしれないけれど、まぁ、あの人口ですからそれでもたいした数だろうし、そもそも、華僑などみても、外へ出て行くのに抵抗のない民族なのかもなぁ、と思ったりするのです。今貧乏で海外旅行出来ないコでも、機会さえあればドンドン行く、みたいな感じに。そして、まぁ、これからの時代のコらである若者がそうなのだから、もともと中華の国の人たち全体の持っているバイタリティーと底力は、(よく言われるマナー云々は別の話として)やっぱりすごいよなーと、たいしたものだなーと、あらためて思ったりした、ロンドン行きなのでした。 そんなこんなです。
ロンドン、今回はもちろん初めてなので、やはり観光地は回ってきました。Msちゃんの案内で、時に、単独1人で、そして時に、Msちゃんの家族みんなで。まずは、ロンドンのイメージで良く出てくる、タワーブリッジ。 Msちゃんに教えてもらって、僕もずっと間違っていたことが解ったのだけれど、これは、「タワーブリッジ」であり、「ロンドンブリッジ」つまり「ロンドン橋」ではありません。よく、みな、勘違いしているらしいです。そう、「♪ロンドン橋落ちた〜落ちた〜落ちた〜」の歌で有名な、「ロンドン橋」はこれではなく、こちら。↓ ほんとに、何てことはない、フツーの橋でした。 さて、タワーブリッジ。 二つのタワーの間には歩行者用の通路が上部にあり、今は観光用の施設になってます(入場料が必要)。 エレベーターもあったけれど、あえて古い階段を上がっていくと、 上の通路は展示室になっていて、 中央部分の床はガラス張りに。 ちょっとコワイです。東側の通路からはテムズ川を挟んだ東の地区が展望できます。遠くは高いビルも見えるけれど、近くの場所は古い町並みがあります。 そして、反対の西側の通路からは新しく建った良く言うと近未来的な、悪く言うとヘンテコリンな形のビルが見渡せます。 「キミはオシャレな加湿器かい!」とか、「キミは昆虫の卵かい!」とか、いろいろと突っ込みたくなります。最近の日本でもそうだけれど、どうしてこのごろのビルは「妙な形」にしたがるのでしょうか?「フツーでステキ」はダメなんでしょうか?それらと対照的に、手前に見える古い城は、「ロンドン塔」という中世に出来た要塞の一部です。タワーブリッジを降りて、街を歩きます。 おいおい、こらこら、なんて日本でいうところの「オシャレな感じ」のオンパレードなんですか。「いや、観光地だからでしょう?」うん、たしかにそれも多少あるかもしれないです。整備はしているでしょう。しかし、ちょっと横道にそれて普通の感じのところを歩いても、おいおい。
こらこら。その後単独行動になって、タワーブリッジあたりから離れて、ペーカーストリートやサヴィルロウあたりでも、 いやいや、もう、カンベンしてくださいよ。参りました、ワタシが悪うございました。許してください。こうやってフツーな感じでしっかりと残っている、ドカッと根を下ろした重みのある「昔ながらな西洋的な感じ」を見ると、日本のショッピングセンターやレジャーランドによくある、「なんちゃって西洋」がバカみたいに思えてきます。これに、日本でちゃんと正面切って対抗できるのは、たぶん、日本らしい木造建築や家屋なんでしょう。けど、「ちゃんとそのまま残していく姿勢」みたいなものが、「観光地以外の普通のところのものも置いておく姿勢」みたいなものが、根本的に日本の行政ではかなり欠けている気がしました。以前にここでも書いた、「有形文化財」に指定されていた神戸の木造酒蔵が、金銭的理由ということであっさり無くなっちゃったのから見ても、ダメですね。負けてますね。それで、お金かけて、「なんちゃって西洋」を作って喜んだりしている訳ですから、まぁ、コテンバンだなぁ、と思ったりした訳です。 そんなこんなです。
更新がしばらく止まってましたが、理由(わけ)があります。ロンドンに行ってました。 22日の朝に発って、29日の朝までロンドンに。そして、30日の朝に関西空港に帰ってきました。帰ってからの数日は、荷物の片付けや整理と、そして、ちょうど月末・月アタマなので、仕事の処理関係や、月はじめに必ずしている事などに追われて、ようやくひと息。来週アタマにイラストの〆切りが1つあって、そのあとも〆切りが続くのでその前に、ちょっとここらで記録をし始めておきます。 今回、ロンドンでお世話になったのは、Msちゃんとその家族です。Msちゃんは、昔働いていた大阪の会社で一緒だった女性で、英文を取り扱う「コピーコーディネーター」という仕事をしてました。
お客さんである企業の担当者の作った文章と、最終的な文章を作る出入りの外国人コピーライターとの間で、橋渡しをしながら調整する仕事です。当然当時から英語はペラペラでした。彼女がその会社に入ってきた頃というのは、バブルがはじけた後で、会社の状態も悪くなりはじめていた時期で、それまで社内の色んな仕事に企画書や絵コンテで関わっていた僕が、社長の命で、CGを作る仕事以外からは手をひいて、デザイナーのMmさんの下でアシスタント的に働くのが、メインの業務になった頃です。そのチームにMsちゃんもいたのだけれど、他にデザイナー見習い的にチームにいたIsちゃんなども含め、若手は結構仲良くしていました。やがて僕が会社をやめてフリーになり、そのうちにそれぞれもやめてバラバラになり、会社自体も無くなります。けれど、MsちゃんとIsちゃんの若手女性2人は、それぞれその後も、僕に時々「サノさーん元気ー?」「会おうよー」なんて、気にかけてくれてその後も時々声をかけてくれるのです。 で、Msちゃんはというと、当時から付き合っていた、僕も数回会ったことのあるイギリス人のRくんと結婚して、イギリスのロンドンに住むようになりました。今から20年くらい前のことです。それでも、日本に帰国するたびに「佐野さん会おうよ」と連絡をくれて、当時僕がやっていたCD-ROMの作品を見てもらったり、食事したり飲みに行ったりしていました。Msちゃんに子供が生まれたここ数年も、だいたい毎年のように彼女の一家と会って、飲んだり遊んだりしていました。去年も芦屋川で遊ぶ子供たちをみながら、大人はビールを飲んで楽しみました。で、そんな中、もう随分と長い間、7.8年くらい前から、「佐野さんロンドンに遊びにおいでよー」「うん、行きたいなー」という会話が交わされていたのです。その約束が、とりあえず金銭的なことで可能になって、ようやくかなったのが、今回のロンドン行きなのです。 僕は高校生の頃にビートルズが大好きで、ロンドンに行けばもちろん、ビートルズのアルバムジャケットや映像に出てきた、いろんな場所を見に行きたくなります。けれど、それはあくまで結果的なことであって、「ビートルズが好きだったから行きたい」というのがメインでは無いです。人に簡単に話すにはそのくらいが丁度いいんですが。つまり、今回のロンドン行きがどういうことかというと、「かつて知り合った人が、 何かのご縁で今でも関係が続いていて、 なおかつ〝おいでよー〟って言ってくれてる しかもそれが昔ビートルズでアタマになじんだロンドンで、 本人も行ってみたいと思っている」という状況があるのに、行かない手はないだろう?ということなんです。こういう状況がある、ってこと自体が、珍しく、希な事だと思わない?ってことなんです。ねぇ、これって、よくある状況?で、「でも、時間とかお金とか環境とかめんどくさいのでどうのこうの」とか言う人は、たぶんそういう状況とかと縁の無い人か、しかもそもそも、そういうのに興味の無い人なんじゃないでしょうか?僕は、やはり「行きたい」と思ったなぁ。「見たことの無い国」に行ってみたいと思ったなぁ。しかも「ビートルズ」が好きだったしなぁ。そして、さらに何より、「そう言ってくれる人たちに会いに行きたかった」のです。 まぁ、そうは言っても、今回が初海外。英語だってほぼ全くしゃべれない。国際線も初体験。どういう仕組みなのかさえ知らない。なのにツアーとかではなく一人の単独旅行。おまけにアムステルダムでの乗り継ぎありで、何もかも初めてでかなりハードルが高くて、ちょっとしたアクシデントもあったりで往き帰りはヘトヘトになりました。けれど、向こうに滞在中は、MsちゃんR君家族のおかげで、ほんとにいい数日をすごせた、そんなロンドン行きなのでした。行って良かったなぁ、とほんとに思います。 ロンドンの話は、また続けます。そんなこんなです。