9月30日には完成していた、
『クロスワードエンタメ』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 正しく読めますか? 難読芸能人 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 寒いんだも〜ん! 着ぶくれ 〟
↓
以上、
『クロスワードエンタメ』Vol.27 用のイラスト。
全国の書店で、
ただいま発売中。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
↑上のイラストについて。
今回の似顔絵はちょっとミスッた。
なかなか絵は良くて気に入ってもいるけれど、
囲みの中の下の方に名前の文字が大きく入るのを計算し忘れてて、
誌面では上から字が被っているので、
せっかくのおもしろみが半減してしまった。
惜しい、もったいない、
ほんとにしまった。
でも、
ここではちゃんと顔が見える。
どれが誰かわかるかな?
◆◆◆
さて、
今回は「困った姉」の話ではない話。
●
ふと、
僕は絵において、
「誰の影響を受けたかなぁ」
と考える。
それは漫画だったり、
アニメだっり、
絵画だったり、
いろいろなものがあるけれど、
でも、
その都度その都度、
ちょこちょこっと著名な誰かの影響を受けて、
今になっている。
だから、
「一人の誰かの著名な作家の、この人の影響を大きく受けた」、
というのが思い当たらない。
別にこんな風に言って、
自分にカッコつけていばっているわけではなくて。
むしろ逆に、
「誰それの影響をガーンと大きく受けました!」
と言い切れる人がちょっとカッコよく思えて少し羨ましかったりする。
自分にはなんだか大きな「芯」が無いようで。
●
けど、
著名な人では無いならば、
一人、
いるんだなぁ。
「コイツの影響受けて、今もそれがずっと僕の描くものに残っているなぁ」
というヤツが。
最近はあまりここに登場させてないが、
前は時々ここにも書いていた、
そう、
あの、
友人の、
ナカト
だ。
●
彼とは、
大学の漫画のサークルで一緒になって。
で、
初めて彼の絵と漫画を見た時に、
びっくりした。
しかも、
僕がそれまで知らなかった感じの絵を描く。
小学生の頃から、
一緒に漫画など書いて見せ合う友達は何人かいたけれど、
そういったプロではない身の周りの同世代では、
その時初めて、
「コイツは僕よりスゴイかもしれない」
と思った。
いや、
僕自身だって絵を見れば、
もともとそんなに「すごくウマイ」というほどでもないし、
そしてナカトの方がどうみても絵は「ウマイ」し、
でもそれだけではなく、
どういったらうまく言えるかな、
「全体のトータルのセンスで」といったらいいのかな。
それがどう見ても、
僕より優れているように見えた。
18才と約10ヵ月のころ。
●
で、
彼がその当時やっていた手法などで、
「へぇぇ、そんな風にするんや」と思って、
ちょっと真似をしたりして使ったりして。
そして、
そのまま、
今でも使っている「ナカトからの影響」がいくつかある。
まず、
「黒やグレーに相当するようなバックや物を、
縦や横の線を等間隔で並べたもので表現する」
それから、
「文字を絵や背景のように扱う」
今も僕がイラストなどでよくやっているこれらは、
そもそももともとナカトがやっていて、
その影響で使うようになった。
だから、
そのサークルにいた人たちの中には、
僕の今のそういった彼の影を見て、
「これってナカトさんの真似ですよね」
とか言ったり思ったりしている人もいるかもしれない。
でも、
いい。
そうなんだ。
その通り。
そう言ってもらっていい。
それが正解だ。
彼の影響をはっきり受けているのだから、
リスペクトだから、
堂々と自慢して言う。
そして、
ナカトありがとう。
な訳だ。
●
ああいった手法自体は、
たぶんナカトがこの世で初めて発明してやった訳でも無いだろうし、
ナカトも何かを見てやりはじめたのかもしれないが、
少なくともあの頃の僕の周りで、
また僕が当時までで周りの人間がしていた絵の文脈では、
あの手法はなかった。
そして、
ここが大事なところだけれど、
それがすでにあったとしても、
その手法を、
ナカトが彼の使うべきところで、
「使いこなしていた」というころかな。
それを「センス」というんじゃないかと、
思う。
ナカトは出会った最初からそれを持っていた。
だから、
「あっ、コイツすごい、友達でいたい」
と思った。
●
良いものを、
よく使いこなす。
それがセンス。
必ずしも最初に考えたからエライわけでも無い。
それをどう自分のものとして使いこなすか。
これはきっと「絵」だけの話でもないのだろうな、
と思ったりする。
●
いまから6年くらい前に、
トランクルームの中を整理していて、
置いているダンボール群の中から、
ナカトの当時描いた絵で、
僕にくれたものを発見した。
だいたい38年くらい前に描いたのかな。
それがこれ。
↓
(c)mago / Kazuhisa Sadakuni
うまいなぁぁぁ。
今みてもいい。
ほんとにいい。
惚れぼれする。
それをナカトに言うと、
「いや、これは写真を上からトレースしただけじゃから」
ときっと言う。
(これは彼がよくカメラで写していたサークルのメンバーの何枚もの写真をもとにしている)
でもよ、
写真を上からトレースしただけにしてもよ、
この迷いのない線の引き方、
人物の上下の重ね方と全体の流れるような配置。
肌と髪とどこかのポイント以外は一切省略したデザイン力と、
どこを消してどこを残すかを選択する目。
やっぱりコイツはセンスあるなぁ、
と、
今見ても思う。
●
残念ながら、
ナカトは「絵」や「センス」を生業にする道には進まなかった。
彼はそのあとちゃんと普通に一般的な就職をして、
ちゃんと結婚して子供も作って今に至っている。
それはそれでちゃんとした人生だと思う。
僕らのもともと居たようなポジションから、
「絵やセンス」の道に行くことは、
それはそれでタイヘンなのは僕は身をもって知っているし。
それに、
あの僕らの若かった時代は、
「皆、サラリーマンになるのがベスト」みたいにされていて、
東京以外で「好きな道に進む」なんて言ったりやったりすると、
今以上に風当たりが強かった。
ごちゃごちゃとうっとおしいコトを言うやつも多かった。
今では、
なんだか僕から見れば掌を返したように、
マスコミや経済やそれで潤う人達を中心としたヨノナカでは、
「好きなことをしましょう」なんて言ったりしている。
なんか時代は変わったなぁと思う。
けど、
実は、
そう言いながら、
この国の根っこの本性はあまり当時と変わっていない気もする。
今だに、
人の人生にいちゃもんつけてくる「ゴリ押し園児くん」みたいなおっさんはいるしなぁ。
なんか、
多くのすばらしい「才能」や「センス」を、
無駄にしちゃっているよなぁ、
嫉妬や妬みにくるんで、
とほんとに思う。
●
ところで、
さっきのナカトの絵は、
上にも書いたように、
当時のサークルのメンバーの写真をもとに描いている。
ということは僕もいる。
僕がカウントしたところ、
間違いと抜けがなければ、
僕はあれに6体描かれている。
わかるかな?
●
で、
この絵は、
ダンボールの中から発見した時は、
ナカトにもカラーコピーして渡して知らせたが、
今回はまだ、
ナカトにここに載せる許可とか得ていない。
でも、僕がもらった絵だから、
そして、素晴らしいのだから、
また商業的な利用ではないし、
「彼に著作権はある」とはちゃんと思っているし、
いいかな。
いいよね?
と呼びかけたところで、
最近、
「姉」のこととか「ゴリ押し園児」くんのこととか、
そういった人間関係のハードなことを書き出してから、
おそらくナカトは僕のこのブログは見てないんじゃないかなぁ。
と思っている。
(それはそれで構わない。気持ちの負担の無いようにしてもらえれば)
でも、
まぁ、
僕のトランクルームのダンボールに、
ずっと寝かせておくのももったいないので、
陽の目をあびさせてあげたくて、
載せちゃいました。
いいよね?
ナカト。