新年の歌。
(読み込みに少し時間かかる場合アリ)
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歌を作っている。
自作で。
と前の記事で書いた。
といってもそんなに大げさなものではなく、
チョロッとしたものだけど。
最初はなんとなくフッとやってみたら、
「あ、これやろう」と思い立って、
どんどん作って。
ほんとに、
そんなにちゃんとしたものでは無く、
だいたい30秒以内で、
日常的な身の回りのことを歌っているだけだ。
実は、昔。
大学生の時にオリジナルの曲を作って、
周りの友達だけに聴かせたりして遊んでいたことがある。
(知ってるよね?ナカト)
テープ5本分くらいは作った。
(テーブまるまるではないのも含めて)
ほんとにそれはチーブで半分冗談のようなもので、
時々マジメになったりもしていた。
(あまり今人にお聞かせするものではないけれども)
その後もCD-ROM作品を作っていた時も、
ちょろっとしたジングル的なものは自分で作っていたし、
(きちんとしたテーマソングなものはプロの方が作っていた)
プログをやり始めてムーピーをアップした時にBGMを作ったりしていた。
だから自分的にはその流れで作っているけれど、
人によっては、
「何を突然音楽に目覚めたの?」と思われるかもしれないな。
また姉などが知ったら、
「仕事が忙しいとか言って、こんなことして遊んでるやん!」
とか嫉妬と妬みまじりでイラッとして言いそうだ。
でも、
これも「作る人」の仕事なのだから仕方ないよ。
わかってくれる人はわかってくれる。
と言っても、
ホントにヒマな訳では全然なく、
「するべきことの合間をぬって」していることの
さらに「合間をぬって」やっている。
だから、
やり方としていることは、
めちゃちくちゃチーブでアナログな作りかただ。
思いつきのアイデアから最終まで20分もかからない場合もある。
今のところ、
1日1作ペース。
たぶんどこかでペースダウンしなくちゃいけないから、
そのうちそうするだろう。
今はインスタグラムとFaceBookに載せている。
では、
まずそのきっかけになった、
「ペットボトル・エビアン」4部作をここにも。
(インスタグラムからのリンク。そこにいけば最新作も。とりあえずここには古いのから順番に貼っていくけれど)
ほんとに大したものじゃないよ。
まずは。
(掃除できてない!)
上から順番にどうぞ。
(ちなみに2つ目のはオリジナル曲ではなくて、ラジオからの流れる曲をバックに勝手に歌詞をつけたもので、その曲は「Sack Full Of Dreams」海野雅威)
↓
そんなこんなです。
That's all for now.
✓
今発売中の、
『ナンクロメイトDX』誌に載っているイラスト。
(描き終わったのは10月17日)
編集部からのお題は、
〝 美は1日にして成らず 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 その意気や 良し! 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 東名高速をひた走る 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 日本中が注目する 〟
↓
----------------------------
今回のイラストからは、
別に言うことはないかな。
●
以上のイラストが載っている
『ナンクロメイトDX』誌、2021年1月号
発売中。
全国の書店にて。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
◆◆◆
前回、
「おせちがらみで「困った姉」の話をすすめてきて、
(例によって僕に行かせる。口だけで良いように言う、の)
で、先週朝に母のところに出かけようとしたら、
姉から電話がかかってきた、つづく」
という話だった。
でも、
あれだ、
もう例によって「なんだかなぁ」という感じだけれど、
ここに書く時間がちょっとあいたら、
「姉」のことを細かく書くのも、
今はちょっとバカバカしくなっていて。
かといって多分、
これからも書くだろうけれど、
ちょっと他のことも混ぜていこう。
ここに書いたからといって、
「姉」がどうこうなるわけではないのは、
「困った人」のままであるのが変わらないのは、
まぁもともと分かっているし。
弟になんでもなんかでもやらせてたらアカンやろ。
母にぶら下がってやってきたことをそのままさせたらアカンやろ。
それでいて親のために弟が負債者になってるマンションについて、
ずっとそこに安堵してベッタリ暮らしてきたのだし、
姉として助けを出してあげる気すら無いのももうアカンやろ。
何でもかんでも「そっちがしてくれたら」の交換条件ではアカンやろ。
というようなことに、
姉自身がちゃんとお天道さまのあたるところで恥ずかしくないよう、
「正しい答え」か「違うけど勝手にやっいてく」かを表明する気がないから、
どのみちこのまま僕には「困った姉」のままなんだわ。
そしてそれはきっと変わらないんだわ。
●
しかし、
おせちのことは、
ちょっと続きを書いておこうか。
気になっている人がいるといけないので。
おせちのどこかでの予約は、
「まぁ、姉がイライラしたとしてもこちらのペースでやらせてもらう」
という感じに僕はしていた。
自分に無理のないよう、
母のように「●子にしてあげないと」と思って焦って動いたり、
そういうのはしないようにと。
僕にもすることも多い。
(そりゃ母は母だもの、それがありがたいと思うべきところだ本来)
最初のところでキャンセルがあるのかちょっと待って、
そして次の候補に決めていた店は行ける時に行こうと。
場合によってそこも無くなってたら、
大晦日くらいに最初のところに、
キャンセル分みたいなのが店頭に並ぶのを期待するか。
なければないで仕方ない。
そのくらいのペースでいた。
自分の無理のないペースで。
ただ、
姉が突然それにイライラして、
母に当たったりするのが少し心配。
そう言うと「ぜんぜんイライラしてへんもん!」と、
イライラして言うくらいの人だから、
そこがちょっと心配でもありつつ。
●
で、
ちょっと話は飛ぶ。
僕は毎年、
オリジナルの手帳を作って、
ある決まった人たちに販売していた。
もともとはサイトで告知をして販売していたのだけれど、
なんだか古くからいつも買ってくれる人は固定して決まっているし、
そうでない人は3月くらいに言ってきたりして面倒だったり、
そう言うのが気になりだしてから、
それまでほぼ毎年ちゃんと年末に注文してくれてる古株8名に絞って、
5年くらい前からメンバー限定の形でやってた。
でも、
今年はもう母のこともあるし忙しいので、
だいたい手帳販売自体も始めて20年近くなるので区切りにもして、
手帳の販売を行うのを断念してやめることにした。
で、
その旨のメールをその人たちに理由も一緒に書いて、
「申し訳ないです」のお知らせとして送ったのだけれど、
何名かの人がその返事で、
「残念ですけどかまわないですよ」の声とともに
「お母さまを大事にしてあげてくださいね」
「お母さんを大切にしてください」
という言葉が書いてあった。
その中には、
古い友人もいたり、ネットでの付き合いの長い人もいたり、
なんか暖かいことを親切に言ってくれて嬉しいなぁと思ったり。
そして同時に、
今年の初めくらいに姉が憎たらしい口調で言った、
「ハジメの友達はハジメが思っているほどハジメのこと何とも思ってへんわ!」
なんて兄弟が口にすると思えない、
傷つけるだけが目的の、
あるいは自分が言われたことの仕返しのためだけの、
イヤーな言葉を思い出したりして。
それを思い出すと、
そんなヒドイことを言うヒドイ姉がいるけれど、
こういう親切なことを言ってくれる人もいるもんだよなぁ、
なんてしみじみとありがたく思ったりして。
●
さて、
母を大事に、大切に、となると、
あまりに伸ばして姉がイライラして、
母に当たっても「大事で大切」にならない。
ので、
その流れでスッとやってきた土曜日。
姉が休みなので僕は自宅にいる日。
「そやなー、姉のことは別にいいけど、自分と母の為に、みんなのその言葉にも応えて、今日あたり行っておくかー」
と思ったり。
ただ、
次の候補に挙げていた店は僕の住まいからは少し遠い。
僕のところから電車に乗って、
母のところに行く乗り換え駅の近くにある。
僕は姉がどうこう言っていたのとは関係なく、
最初の店がダメな場合には第二候補にその店を思っていた。
乗り換え駅で一度降りないといけないけれど、
最初の店の他に近くでちゃんとしたおせちの買えるところがないし、
大晦日に乗り換え駅からちょっと降りておせちもらって、
母のところに行くならそこがベストだ。
が、
その日は自分の家にいる日だ。
「どうしようかなぁ」と考えて、
「何かそこまで行く理由があればついでにそれも済ませてとかできるな」
と思いを巡らせたら、
あった。
前から買わなくちゃと思っていたものが、
その店の別の売り場で買える。
それを買うにはどのみちどこかに行かないといけない。
それを買いに行こう。
そしておせちも注文してこよう。
さらについでの、
家にいる時にはする食糧の買い物をそこでやってこよう、
と。
で、
そんな風にしてそこに行って、
おせちは予約を済ませた。
味的には少し「どうだろうかなー」とも思うが、
とにかく終わらせてスッキリと安定させて、
母も安心させた。
●
姉はもう僕が行くと決まった時点ですぐに、
もう好き放題言って、
僕の近くにあるスーパーの名なんかもあげていたけれど、
そんなんウチのところから受け取って、
比較的重たいおせちをぶら下げて、
しかも暖房のよくきいた電車に長く乗って、
はなからそんなこと、せえへんで。
(母だけのためならばするけれど)
あと、
そこで予約が完了した後、
「ありがとうございました」と妙に丁寧な手紙が母のところに置いていて、
そこに「●●にしてもよかったかなと後で思いました」
とか書いてあった。
●●というのは別のお店で、
予約したところとは同じ乗り換え駅からの場所にあるのだが、
ちょっと駅から遠い。
10分以上は歩かないといけない。
これまた「比較的重たいおせちをぶら下げて」をやらせるのか?
自分なら絶対イヤがるだろうな。
ほんと人にやらせると決まったら、
人のこと何も考えずに自由にやらせることができると思い放題だ。
任せたのなら、
グッと黙って任せておいた方が印象がいいのに。
任せておいてそれで自分はしなくていいからアレコレ言う。
もう60年もそんなことやってきたから、
それはもうやめられない。
しみついている。
そしてそれを指摘されると「言ったらあかんの?!!」と吐き捨てる。
おまけにその流れは父に似ている。
僕の言っている意味がまるで分かっていない。
アタマ悪い。
でももう、
それでいい。
そうしといたらいい。
先々のことはどうなっても知らない。
そしてイライラしとけばいい。
で、
僕がこう思っているのを知ると、
「そうやってまた私を見放す」とかこっちが悪いように言うのだ。
もううんざりだ。
●
ところで、
正月は1日半か2日ほど母のところで過ごすが、
姉が自分の心配な先々のことで、
何か自分勝手な約束を僕にさせたがるかもしれないな。
ほんと。
母がいるところでいわば母を盾にして。
まぁ、もう、
いつもその場限りのことしか言わない姉だから、
僕もテキトーにその場限りのことを言っておけばいいか。
きっとその場にいるだろう母の心の安定のためにも。
約束しない人に、守ったりしない人に、
そしてするべきことをしない人に、
約束守ることもないぞ、
自分。
もし荒れるのを悲しむ母を全面にもってきて、
いろいろ言ってきたなら、
ニコニコテキトーな約束しておけばいいぞ。
そしてゆくゆくそれを守らなくてもいいぞ、
もうここまできたら。
姉には。
●
さておいて、
一方で、
そんな未来の暗いことばかり頭においているのも、
自分らしくない。
でも、
別にそうだからという訳ではなく、
不思議に自然発生的に始まったのだけれど、
最近あるものをしている。
歌を作っている。
自作で。
それに関しては、次の記事で。
2020年もあとちょい。
そんなこんなです。
That's all for now.
✓
2020年12 月30日 09:53 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] 佐野家ハチャメチャ物語, ■ [近頃] 今の様子 | 個別ページ
10月11日完了、
『デラックスクロスワード』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 いつの間に変わった? 世代の格差? モノの呼び方、今と昔 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 簡単! パソコンをサクサク使いこなす 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 フーフーして食べよう 〟
↓
以上、
『デラックスクロスワード』1月号 用のイラスト。
全国の書店で、
ただいま発売中。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
今回のイラストに関して、
描くことは別にないかな。
◆◆◆
今日もまた「困った姉」の話。
前回のつづき。
姉が母に、
「おせちをハジメが注文してくるように言って」
と言い、
母が僕にそう言って、
僕がおせちを注文しに行ったけれど、
最初姉が言ってたものが無かったので、
まぁ勝手なことして後で何か言われるのイヤだし、
言われたことだけすることにしようと、
帰ってきた。
次の日に、
毎朝かけている母への電話をしたときに、
また母が、
「●子が残っている洋風でいいから注文してって言ってる」
と言った。
と、いう話の続き。
●
母のところに行くとカタログに「2個」と書いてあった。
聞くとそれは姉が書いたのではではなく、
姉に言われて母が書いたものだ。
なんだ、姉が手紙とか書いたのではなかった。
「お母さん、忘れへんように書いといてよ!」とか言ったんだろうな。
で、
母は、
僕が着くと、
「すぐ電話で注文して」と言う。
電話?
と思って、
カタログを見たら電話番号などはどこにも書いていない。
「予約は店頭で直接注文するのみなのかもしれないなぁ」
と思ってカタログから説明を探していたが、
あまりに母が「電話でして、電話でして」と急ぐので、
「ああ、姉がそう言ったのだな」と理解して、
じゃぁとにかくして落ち着いてもらおうと思って、
その日買ったもののレシートに書いている番号に電話した。
そしてすぐに、
「おせちの注文はこの電話でできますか?」
とそう聞いてみた。
すると案の定、
「店頭でのみの受付になっていて電話ではお受けできません」
と。
そして、
「ちょっと母に変わりますから、母にもそう言ってもらえますか」
とお願いして、
母に代わって母にも言ってもらった。
なぜかというと、
後で姉が「電話では注文受けてないってホントなん!?」とか、
そういったりした時のために、
直接母に言ってもらった。
(あとでゆっくり見てみたらカタログにも「予約は店頭でお受けします」と書いてあった)
●
電話では注文を受けてないのがわかると、
今度は、
「早く今からお店に行って注文してきて」と、
心配そうに母は言う。
僕は、少し冷静になってみた。
これはいつも、
姉が振り回すパターンだ。
こんな風に、
「●子が言うからやらなくては」と思わせて、
「しないとしないと」と人に思わせて右往左往させて、
結果的に人を動かして思い通りにするやり方だ。
特に母はそれに動かされてしまう。
そりゃ、母親だから。
それに気づいたから、
母にこう言った。
「お母さん、普段は何でも“ゆっくりでええよ”という感じやのに、
お姉ちゃんがからんだらなんで“すぐにすぐにすぐに”になるの?」
と。
すると、
「ほんなら、私が悪いんか?」
と言うので、
「いいや、お母さんは悪くないよ。
お母さんをそうさせているお姉ちゃんが悪いねん」
と僕は言った。
すると母は黙っていた。
そしてまた、加えて僕は言った。
「おじちゃんとか、おねえちゃんとか、
母親の母性をぎゅっと掴んでしなければと思わせて、
振り回して自分の思い通りにしようとするのが、
僕はものすごい嫌いやねん」
と言った。
おじちゃんと言うのは、
母の母である祖母に対して、
いろいろ自分のことをやらせるだけやらせて、
本人は勝手なことばかりしてするべきこともせず、
祖母の面倒をずっと僕の母にみさせつつエラソにして、
震災時のウチとのひともんちゃくの後、
最後は祖母を老人ホームに入れたダメダメな伯父だ。
(詳しくは長くなるので割愛。また機会があれば是非書きたい)
また母は黙っていた。
で、僕はさらに、
「だから、
僕もお腹すいてるし、
おかあさんもお腹すいてるやろし、
まずお昼ご飯たべよ。
食べてから行ってくるよ。
その間におせちが全部無くなることもあるかもしれへんけど、
でも、それはそれでしゃあないやん。
もし二人ともお腹ペコペコのままで、
もしそれで行っても完売でおせちが無かったとしたら、
なんか二人とも可哀想でバカみたいやん。
お姉ちゃんは今自分は普段通り会社でお弁当食べてるやん。
人にやらせるだけやらせて、
そうなってもあとで自分にいいように言うだけで、
本当は自分の思い通りになったらいいだけやから」
と言った。
で、
二人でまずはお昼ごはんをいつものように食べた。
●
そして、
お昼を食べたあとお店に行ったら、
やはり完売になっていた。
帰ってそれを母にいうと、
なんだか心配そうにしていた。
「どうしよ」
と何度も言っていた。
おそらく、
姉が母にまたごちゃごちゃとガンガン文句を言うのだろう。
自分の思い通りにならなかったら、
子供が癇癪をおこすようになる。
昔からそうだ。ずっとそうだ。今まで見てきた。
「ああ、いいよぉ、しゃあないわー」なんて、
母に優しいことは言わない。
(自分が興味がなかったら「ふーん」でおしまいだけれど)
母が、
かわいそうだ。
またちょっとそれを母は恐れている風でもある。
だからと言って、
僕が「かわいそう」と思って母のためにしてあげるのも、
姉は知っていてそこを狙っていたりもするので、
分かっていて全てそれに乗っかるというわけにもいかなかったりもする。
そのあと、
二人で休んでいる時に、
母が、
「ネットでどっかで注文くれへん?」
と言った。
だから僕は、
「それはやめとこ。
食べたことないところで注文して、
おいしくなかったら“ハジメが注文したところがおしくなかった”とか、
そういうのをお母さんに言うから。
今まで散々あったから」
と言った。
母は黙って考えていた。
しばらくしてまた母が、
「“ハジメがどこかで買ってきてくれるわ”って言ってええかぁ?」
と言う。
だから僕は、
「それはやめて。
いつもそうやけど、
そうやってハジメをしもべのように使っていいんやと、
お母さんからお墨付きをもらったみたいにするから、
それはやめて」
と言った。
母は黙っていた。
もうこういうのを、
何年も繰り返してきたなぁ。
もういい加減に、
バカバカしい。
全て姉のせいだ。
●
姉は、
僕が「ほんなら僕が言ってくるわ」というのを期待している。
そして、
母が「ハジメが行ってくれると言ってたから」と言うのを待っている。
ずっと前から同じパターンだ。
そしてそれがなければきっと機嫌が悪くなって、
きっと母に当たる。
なんだかなぁ、だ。
母に当たったりしたその場合は、
お父さん、
頼むよ。
大バチ当てたって。
だいたい年老いた母をこんな風に、
あたふたさせ心配させたりほんとにほんとにバチあたりだ。
(姉にしてみれば母が勝手にあたふたして心配してるってことになるのか)
佐野家のこういうのはそろそろ、
おしまいにしていきたいし、
終わっていくだろう。
●
と、
そんな感じの昨日だった。
で、
今日の朝、
母のところに行く準備をしていたら
姉から電話がかかってきた。
姉は本人は気付いていないかもしれないけれど、
話をして「やっぱりほんとになんかなぁ」
がいっぱいの電話だった。
それは、
また次に。
(つづく)
2020年12 月17日 19:00 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] 佐野家ハチャメチャ物語 | 個別ページ
9月30日にすでに終わっている、
『おもしろ アロー&スケルトン』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 ふらっと気軽に街めぐり 路線バスに乗りたい 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 昔はナウなヤングにバカウケ!? 忘れられた俗語辞典 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 川や田んぼでおなじみ 水性昆虫を観察 〟
↓
これは、
『おもしろ アロー&スケルトン』誌、2020年12月号 用。
全国の書店で、
ただいま 発売中!
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
今回のイラストについては、
別に何もないかな。
◆◆◆
今日はまた「困った姉」の話。
●
姉から、
「おせちを注文してきて」
という“お言葉”が母と僕に下った。
いつものように、
母が「●子がそう言っているので、行ってきてくれへんか?」
と。
まるで、
母を侍従のように扱う、
いつものパターンだ。
あんた、
自分の住んでいる家に近いのに、
普段買い物で利用しているのに、
そういって「おせち欲しい」と思うならば、
なんで自分がササッと行かないのか?
アレだな。
僕がそう思っているのは姉は知っている。
ここだってきっと読んでいるに違いないし、
読んでなくっても今までさんざん言っているので、
分かっているだろう。
きっと、
それが分かっているからますます、
なんとしてでも、
「ハジメに行かせたい!」なんだろう。
「して」と言えば「しない」、
「しないで」と言えば「する」。
そして、
なんとしてでも、
ハジメを従わせたいのだろう。
何を言われても、
平気なのだ、
ケロッとしてる。
無理矢理したいようにするだけ。
ほんとアタマおかしいから仕方ないか。
で、
昨日行ってきた。
すると、
姉が「もう一人ずつになったのがいい。これがいい」、
と指定してきたものがもう無かった。
ので予約できなかった。
しかも、
「和風」のものが無かった。
さらに洋風のものも残りわずか。
のでとりあえず、
「ちょっと考えてきます」
と言って帰ってきた。
だってあんた、
勝手に別のもの注文したら注文したらで、
何かいわれる可能性もあるので。
「自分では何もしないのに面倒な人あるある」やろ?
で、
今日の朝の電話で、
その残っているうちの1つにすると。
母が「来てからまた見て」と言っているので、
何かまた手紙でもおいているのだろう。
ということは、
また一度行って、
また店に行ってとなるな。
手間だけれど、
今日はその方が僕はいい。
しかし、
1日の間にもう、
洋風も無くなっているかもしれない。
するとまた別のところへ行ってこいと。
人の手間などまるきりどうでもいいー姉である。
あとで口だけで、いいように言うだけである。
ちなみに僕は、
母もああいう状況なのでもうおせちは無くてもいいのではないかと思っている。
買えるもので小さく新年を祝えればそれでいいのだけれど、
とにかく姉は、
「おせちが食べたい」んだろう。
それなら、
さっと自分が注文してきて、
みんなに「はいっ」なんてすれば格好もいいし、
「おっ、やるな」と尊敬できたりもするのだけれど、
とにかく、
人を巻き込んでやらせないと気がすまない。
そんな性格。
父ゆずりだな。
そろそろ母のところに出かける時間だ、
ばーっと打ったので、
とりあえずアップするけれど、
また後で直すかもしれない。
写真もあとで追加しようかな。
誤字脱字あればごめん。
なんかメールのようだな。
2020年12 月16日 10:23 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] 佐野家ハチャメチャ物語 | 個別ページ
9月30日には完成していた、
『クロスワードエンタメ』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 正しく読めますか? 難読芸能人 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 寒いんだも〜ん! 着ぶくれ 〟
↓
以上、
『クロスワードエンタメ』Vol.27 用のイラスト。
全国の書店で、
ただいま発売中。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
↑上のイラストについて。
今回の似顔絵はちょっとミスッた。
なかなか絵は良くて気に入ってもいるけれど、
囲みの中の下の方に名前の文字が大きく入るのを計算し忘れてて、
誌面では上から字が被っているので、
せっかくのおもしろみが半減してしまった。
惜しい、もったいない、
ほんとにしまった。
でも、
ここではちゃんと顔が見える。
どれが誰かわかるかな?
◆◆◆
さて、
今回は「困った姉」の話ではない話。
●
ふと、
僕は絵において、
「誰の影響を受けたかなぁ」
と考える。
それは漫画だったり、
アニメだっり、
絵画だったり、
いろいろなものがあるけれど、
でも、
その都度その都度、
ちょこちょこっと著名な誰かの影響を受けて、
今になっている。
だから、
「一人の誰かの著名な作家の、この人の影響を大きく受けた」、
というのが思い当たらない。
別にこんな風に言って、
自分にカッコつけていばっているわけではなくて。
むしろ逆に、
「誰それの影響をガーンと大きく受けました!」
と言い切れる人がちょっとカッコよく思えて少し羨ましかったりする。
自分にはなんだか大きな「芯」が無いようで。
●
けど、
著名な人では無いならば、
一人、
いるんだなぁ。
「コイツの影響受けて、今もそれがずっと僕の描くものに残っているなぁ」
というヤツが。
最近はあまりここに登場させてないが、
前は時々ここにも書いていた、
そう、
あの、
友人の、
ナカト
だ。
●
彼とは、
大学の漫画のサークルで一緒になって。
で、
初めて彼の絵と漫画を見た時に、
びっくりした。
しかも、
僕がそれまで知らなかった感じの絵を描く。
小学生の頃から、
一緒に漫画など書いて見せ合う友達は何人かいたけれど、
そういったプロではない身の周りの同世代では、
その時初めて、
「コイツは僕よりスゴイかもしれない」
と思った。
いや、
僕自身だって絵を見れば、
もともとそんなに「すごくウマイ」というほどでもないし、
そしてナカトの方がどうみても絵は「ウマイ」し、
でもそれだけではなく、
どういったらうまく言えるかな、
「全体のトータルのセンスで」といったらいいのかな。
それがどう見ても、
僕より優れているように見えた。
18才と約10ヵ月のころ。
●
で、
彼がその当時やっていた手法などで、
「へぇぇ、そんな風にするんや」と思って、
ちょっと真似をしたりして使ったりして。
そして、
そのまま、
今でも使っている「ナカトからの影響」がいくつかある。
まず、
「黒やグレーに相当するようなバックや物を、
縦や横の線を等間隔で並べたもので表現する」
それから、
「文字を絵や背景のように扱う」
今も僕がイラストなどでよくやっているこれらは、
そもそももともとナカトがやっていて、
その影響で使うようになった。
だから、
そのサークルにいた人たちの中には、
僕の今のそういった彼の影を見て、
「これってナカトさんの真似ですよね」
とか言ったり思ったりしている人もいるかもしれない。
でも、
いい。
そうなんだ。
その通り。
そう言ってもらっていい。
それが正解だ。
彼の影響をはっきり受けているのだから、
リスペクトだから、
堂々と自慢して言う。
そして、
ナカトありがとう。
な訳だ。
●
ああいった手法自体は、
たぶんナカトがこの世で初めて発明してやった訳でも無いだろうし、
ナカトも何かを見てやりはじめたのかもしれないが、
少なくともあの頃の僕の周りで、
また僕が当時までで周りの人間がしていた絵の文脈では、
あの手法はなかった。
そして、
ここが大事なところだけれど、
それがすでにあったとしても、
その手法を、
ナカトが彼の使うべきところで、
「使いこなしていた」というころかな。
それを「センス」というんじゃないかと、
思う。
ナカトは出会った最初からそれを持っていた。
だから、
「あっ、コイツすごい、友達でいたい」
と思った。
●
良いものを、
よく使いこなす。
それがセンス。
必ずしも最初に考えたからエライわけでも無い。
それをどう自分のものとして使いこなすか。
これはきっと「絵」だけの話でもないのだろうな、
と思ったりする。
●
いまから6年くらい前に、
トランクルームの中を整理していて、
置いているダンボール群の中から、
ナカトの当時描いた絵で、
僕にくれたものを発見した。
だいたい38年くらい前に描いたのかな。
それがこれ。
↓
(c)mago / Kazuhisa Sadakuni
うまいなぁぁぁ。
今みてもいい。
ほんとにいい。
惚れぼれする。
それをナカトに言うと、
「いや、これは写真を上からトレースしただけじゃから」
ときっと言う。
(これは彼がよくカメラで写していたサークルのメンバーの何枚もの写真をもとにしている)
でもよ、
写真を上からトレースしただけにしてもよ、
この迷いのない線の引き方、
人物の上下の重ね方と全体の流れるような配置。
肌と髪とどこかのポイント以外は一切省略したデザイン力と、
どこを消してどこを残すかを選択する目。
やっぱりコイツはセンスあるなぁ、
と、
今見ても思う。
●
残念ながら、
ナカトは「絵」や「センス」を生業にする道には進まなかった。
彼はそのあとちゃんと普通に一般的な就職をして、
ちゃんと結婚して子供も作って今に至っている。
それはそれでちゃんとした人生だと思う。
僕らのもともと居たようなポジションから、
「絵やセンス」の道に行くことは、
それはそれでタイヘンなのは僕は身をもって知っているし。
それに、
あの僕らの若かった時代は、
「皆、サラリーマンになるのがベスト」みたいにされていて、
東京以外で「好きな道に進む」なんて言ったりやったりすると、
今以上に風当たりが強かった。
ごちゃごちゃとうっとおしいコトを言うやつも多かった。
今では、
なんだか僕から見れば掌を返したように、
マスコミや経済やそれで潤う人達を中心としたヨノナカでは、
「好きなことをしましょう」なんて言ったりしている。
なんか時代は変わったなぁと思う。
けど、
実は、
そう言いながら、
この国の根っこの本性はあまり当時と変わっていない気もする。
今だに、
人の人生にいちゃもんつけてくる「ゴリ押し園児くん」みたいなおっさんはいるしなぁ。
なんか、
多くのすばらしい「才能」や「センス」を、
無駄にしちゃっているよなぁ、
嫉妬や妬みにくるんで、
とほんとに思う。
●
ところで、
さっきのナカトの絵は、
上にも書いたように、
当時のサークルのメンバーの写真をもとに描いている。
ということは僕もいる。
僕がカウントしたところ、
間違いと抜けがなければ、
僕はあれに6体描かれている。
わかるかな?
●
で、
この絵は、
ダンボールの中から発見した時は、
ナカトにもカラーコピーして渡して知らせたが、
今回はまだ、
ナカトにここに載せる許可とか得ていない。
でも、僕がもらった絵だから、
そして、素晴らしいのだから、
また商業的な利用ではないし、
「彼に著作権はある」とはちゃんと思っているし、
いいかな。
いいよね?
と呼びかけたところで、
最近、
「姉」のこととか「ゴリ押し園児」くんのこととか、
そういった人間関係のハードなことを書き出してから、
おそらくナカトは僕のこのブログは見てないんじゃないかなぁ。
と思っている。
(それはそれで構わない。気持ちの負担の無いようにしてもらえれば)
でも、
まぁ、
僕のトランクルームのダンボールに、
ずっと寝かせておくのももったいないので、
陽の目をあびさせてあげたくて、
載せちゃいました。
いいよね?
ナカト。
2020年12 月13日 00:46 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [状況]絵のこと | 個別ページ
9月29日には完成していた、
『コンビニ限定クロスワード』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 さあ、選んで! 数の不思議なオモシロさ 奇数と偶数 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 現代に通じるものを生み出した ルネサンスの発明品 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 気合を入れろ もっともっと熱くなれ 〟
↓
以上、
『コンビニ限定クロスワード』Vol.56 用のイラスト。
発売中。
全国のローソン、ファミマなどで。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
今回も、
特に説明することは無いかな。
◆◆◆
恒例の、
終わった前月のこと、
11月のこと。
じゃ、
毎回書いている同じようなことも、
一応復習として。
まず、
変わらず、
平日の毎日は母のところにサポートに行っている。
月のアタマで姉が土日曜出勤する時はその土日にも行って。
姉がその代休をとった日は平日でも休んで行かずで。
朝、
少し仕事や家のことなどをしてから支度して10時半に出て、
途中でお昼の用意を買って行って母と食べて片付けて、
休憩して寝室で休んだり自分の仕事も少ししてから、
母が廊下を歩いたり体操したりを補助して、
それからおやつを食べてまた休憩したり。
爪切り、家計簿つけ、シャンプーを
それぞれ週に一度くらい手伝って。
2週間から1週間に一度は、
仏壇に供える花を買ってから母のところに行ったり。
(花がどのくらいもったかによる)
月のアタマ恒例で11月の10日くらいには、
とても近くにある母のかかりつけ医に行って、
一ヶ月分の高血圧の薬をもらって。
そして、
それ以外の、
急な臨時の洗濯だの整理とか、
母が部屋での移動に使うカートにからみついている毛を取るとか、
ズボンのゴムを入れ替えてあげるとか、
その時々の細々したことを母に頼まれてやったり。
でもって、
いつも6時前に母のところを出て、
自分の部屋に帰って食事を作って食べて、
仕事を少しして。
さらに、
母のところに行かない土日は、
仕事を多めにしたり、
普段できない用事や片付けや普段の食事の買い物をしたり。
以上がいつもの基本。
●
なんだけれども、
11月はなんかイレギュラーに慌ただしいことがあって。
11月23日から27日まで、
母のところに一番近いいつも利用しているスーパーが、
店舗の売り場ではない奥の改装工事とかで休業になった。
母が自分のお金でと買っているもの以外に、
僕自身が食べるものと、
母と一緒に食べる用に僕が買っているおやつなどを他で買わなくてはいけなくなった。
同じくらいにそこそこ良いものがあるスーパーは、
(母が食べるので「あまり安くて添加物が」みたいなのは避けたい)
途中で駅を降りて少し歩いてまた途中駅まで戻ってこないといけない。
ちょっと時間がかかって手間になる。
じゃあどうせなら、
僕の住んでいる近隣に、
母の近くのスーパーと同じチェーンの店があるので、
家を出たらまずそこに寄って買い物してから、
駅に向かって電車に乗ることにした。
と言ってもそれでも、
いつもより15分早く出ないといけない。
それを5日間続けたのだけれども、
その間のなんと2日も、
利用している阪急電車にトラブルがあった。
1つは火曜日。前日の夜に脱線事故があって、
朝もちょうど利用する一部区間が不通になっていた。
あらかじめSNSで分かっていたので、
いつもより1時間ほど早く家を出てスーパーに買い物に行って、
その足で阪急と並行して走っている阪神電車に乗って、
途中阪急電車と繋がっている駅でおりて、
阪急の不通になってない支線に乗り換えて、
ぐるーっと乗り継いで母のところに向かった。
この日はなんとかいつもと同じくらいの時間についた。
2つ目は金曜日、
買い物に行ってから阪急電車に乗って、
次の駅についてから電車が動かなくなった。
アナウンスで人身事故があったとのことで、
時間がかかりそうだった。
さぁ、どうするか。このまま待つか他の手段で行くか。
と考えたけれどすぐに別の手段で向かうことにした。
この阪神間は阪急とJRと阪神という、
3つの電車が並行して走っているのでこういう時に便利だ。
そして停まった駅がまたJRの駅から近い。
ので、歩いて近くのJRの駅まで行ってまずは乗って、
火曜日にも利用した、
阪急の不通になってない支線の途中駅に近いところで降りて、
そこから歩いてその駅まで行って、
またまたぐるーっと乗り継いで母のところに向かった。
この日は普段より1時間ほど遅れて時間についた。
途中で母に連絡したが最初に電話した以外はつながらず、
「大丈夫かな?」と少し心配しつつ急いで向かったりした。
という感じで、
JRに比べると比較的トラブルによる遅延が少ない阪急なのに、
「朝早く出てスーパーに寄ってから行かないといけない」期間に、
2回もトラブルがあって時間がかかって、
2回もいつもの違う遠回りのコースで行く、
という珍しくもあわただしいことになった。
特に2回目は急だったので、
「母が不安がっているだろうなぁ」と思いつつ急いで、
気持ち的に疲れていつもの路線に来た時にはぐったりだったけれど、
もともと「寄り道」が好きなので、
1回目はちゃんと下調べもしてあって少し楽しかったりもした。
そんな感じだった。
●
それから11月は他には、
前にもここに書いたけれど
母を連れて銀行に。
今まで姉が生活費などを母の口座からおろしていたが、
「本人じゃないと疑われるからもう行きたくない」と言い出し、
母に僕と一緒に行くようにと“おことば”を我々にお下しになられた。
だから、
母を連れて行ってきた。
ただ、母の体調や僕の都合や急すぎるので気持ちの準備もあるので、
いきなり言われたその日は避け、
あと母の様子もみながら、
そして姉が休んだ平日もあったので、
聞いてから数日後に行ってきた。
また、
上にも書いた血圧の薬をもらいに行った、
“めちゃくちゃ近く”にある母のかかりつけ医では、
処方の紙を見て奥から先生が顔を出して、
「お母さんどうですか?」と尋ねてくれる。
「インフルエンザの注射をしたらと聞いても“今年はもういい”と言うんですよ」
と言うと、
「あー、今もっともして欲しい人やねんけどなぁー」と。
「でも、無理にというわけにはいかへんからねぇー」とも。
僕がそれも含めて、
「足腰が弱っている気もするので、何かあったらお願いします」
と言うと、
「もちろん、その時はすぐに連絡してください」と先生。
それからそれから、
前から母がテーブルに置いて時間を確認するのに使っている、
腕時計の電池がなくなったと言うので、
交換をしに乗り換え駅の近くのそういう修理全般のサービス屋さんに。
そして、
また2ヶ月に一回の、
ダスキンの換気扇のフィルター交換の人が来て立ち会って。
前は10月アタマだったのだけれども、
年末が近いせいか、
今回は11月の終わりごろに。
シャンプーは、
10月31日、11月10日、17日とやって以来、
しばらく母が気分が乗り気じゃなくて、
それ以降はずっとやらなくて。
(その後12月8日にようやくする)
外への散歩もまだ母が躊躇していて、
行けてない。
ベランダの強い日差しを見て母が「暑そうや」と言ったり、
ちょっとすぐに疲れるようにもなったらしく。
僕としては足腰や気分転換や太陽にあたることを考えたら、
行って欲しい。
でも、
だからといって、
かかりつけの先生のインフルエンザの注射に対する言葉と同じく、
「無理に行かせるわけにもいかない」。
(シャンプーもそうだけれど)
だから、
「行き!」とか「行きなさい!」とかは言えない。
(姉は言いそうだ)
だって、
89才やん。
もうすぐ90才やん。
そういうことを言わなくていい。
そりゃ、やった方がいいとは思うけれど、
まずは本人の意思もあるしそれから体の具合もある。
母より元気な人がそれは言えない。
しかし、
やはり心配でもあるので、
実際にやっている者として実際の場で、
なんとか少しづつ連れ出せたらなぁ、
と思っている。
●
さあ、もうすぐお正月である。
また、
おせちがどうとか、
お年玉がどうとか、
姉がめんどくさいんだろうな。
でも、
それはもうあっちに置いておいて、
思えば、
母のところにこんな風に行き出してから、
もうすぐ1年。
ちょっとそのあたりも噛みしめつつ、
仕事もちょっと忙しい年末を、
過ごしたいと思う。
※前の満月かその前後の日。赤信号であることに別に意味はないよ。
そんなこんなです。
That's all for now.
✓
2020年12 月10日 17:36 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [近頃] 今の様子 | 個別ページ
10月3日に終わっていた、
『まちがいさがしメイト』誌の、
問題自体も自分で考える、
〝なごむ亭元楽〟名義の探し絵パズルが完了。
「ペンギンパズル」。
↓
--------------
今回はこれは別に何もないかな。
--------------
それから、
同じく『まちがいさがしメイト』誌の、
問題自体も自分で考える、
間違いさがしの問題。
(本当は「正」「誤」の二つあるのだけど「正」の方だけ)
↓
--------------
羽がとれたチュン。
--------------
以上、2つの問題は、
『まちがいさがしメイト』誌2021年1月号に掲載。
ただいま発売中。
全国の書店にて。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
◆◆◆
「思わず“お茶をにごす”という言葉の語源を調べたよ、その4」
さて、
この話の「その1」で書いた手紙が置いてあった前後のころ、
ちょうど11月の初めくらいから、
朝、母のところに行くと、
入れたお茶がおいてあるようになった。
姉が入れたものだ。
ずいぶん前に母が母心で買ってくれた、
「僕が来た時に飲む用の湯飲み」に入れて、
置いてある。
僕に対して「どうぞ」というものだ。
母の所に行き出してから今までそんなことはなかった。
いきなり始まった。
一番最初にそれが置かれていた日、
母は妙な顔をして、
「これ」と言って、
「ハジメに飲んでもらってって言ってた」と言った。
それ以上は言わなかった。
僕は苦笑いをして、
心の中で、姉に対して、
なんじゃそれ、
と、
思った。
●
もともと、
姉はそんなことはしない。
姉らしくない。
自分のことしか考えてない勝手な姉は、
昔から普段の生活で、
自然にすすんで家族に自分から、
優しくお茶をいれるなんてことはしない。
僕や母は、
ただただ意味もなく、
お茶をいれて一緒に飲んで、
一緒の時間を過ごすのは好きだけれど、
そういうのはどうでもいいようだ。
今までの態度からみてわかる。
家族の楽しい団欒としても、
人とのコミニュケーションとしても、
相手に対して気をきかせてみたいなことでも、
しない。
昔からずーっとそうだ。
自分が紅茶を飲む時も、
人から見えるところであっても、
何も言わず自分の分だけ入れてひとりで飲んでいる。
今も基本時にはそうだ。
もし人に入れることがあるとすれば、
いわば「サービス」みたいな感じでいれる。
人に何かをしてもらいたいときや、
してもらう時や、
してもらったあと、
それで相手にご機嫌をとる時などは、
妙にサービスがよくなる。
他のいろんなことでも。
そういう時に、
お茶を入れたりはする。
それはある。
あとはなぜかわからないけど、
ごくごくまれに、
気まぐれで「私は今日はすごくいい子」な気分になって、
入れたりすることもごくごくごくごくごくごくまれにある。
突然わきあがった気まぐれ気分次第、
てな感じだろう。
●
だいたい、
食事やお茶などを、
「家族や人と共有するのが楽しい」とか、
もともとそういう気持ちは無い人だ。
姉は。
よく知っている。
親しいはずの人たちと、
場と時間をゆったりと共有するのが楽しいとかは、
基本的に姉の気持ちの中にはもともとないものだ。
(若い頃から自分でも「冷めている」「感動しない」「ああいうの見ても何も思わへんねん」と言っているからそうなのだ)
家でのご飯の時も、
食べている他のみんなの近くにいなかったりする。
時間をずらして食べたりする。
もしくは、
向こうの流しのところでひとりで立って(立ち食い!)、
そこからはテーブルの反対側のテレビを見ながら食べていたりする。
そんな時の姉の目はほんとに冷たい目をしている。
そして時々、詳しく見るためにテレビの前まで走って行って、
子供のようにじーーーっとしばらく見ている。
以前母が入れたお茶でも気が向いたら飲む。
でも時にあっさりと「いらない」と無駄にする。
でも気分によれば、
入れていないと怒る時もある。
「みんなで一緒に仲良く」
というのは昔から母の願いでもあるが、
そうやって、
いともたやすくそれを無視する。
ここ20年ぐらいは特にひどい。
そのくせに、
逆に僕を下げようとして母に、
「ハジメは自分ひとりで勝手にいいことしてる」
とか言って、
母のそういう「願い」の部分に訴えて僕を悪くして、
母にそう印象づける。
そうやって僕を下げて自分の立場を上げようとする。
でも、
そもそも、
そういうことをネタにして言う姉こそが、
「自分ひとりで勝手にいいことをしたい」だったりする。
そして時として、
人が美味しいものを食べているのはハラがたつ。
そういう気分の時は「私は食べて無い」とものすごく怒る。
「私も食べたい」「私も行きたい」である。
でも、
興味がないものには、
「勝手に食べていれば」「勝手に行ってくれば」である。
ええい、ややこしいめんどくさい!
でしょう?
そんな風なので、
もともと、
ただ「家族だから常に相手も視界に入れて、
一緒に穏やかに共有して意味なく楽しむ」ために、
「お茶を入れる」、
なんてことからは、
最も遠くにいる人だ。
●
きっと、
姉は「家族といる」のが別に本当は無条件では楽しくないのだ。
別に落ち着くわけでもないようだ。
常に自分の思い通りにすることだけ考えて、
自分を楽しませてほしいことばかり思って、
そうならなければ、
心の奥ではちょっとしたことでイライラキリキリしているから。
いや、
それならばそれでいい。
ひとりでやっていけばいいんだ。
ひとりで好き勝手すればいいんだ。
それでいいじゃないか。
それならば問題はない。
しかし、
「暮らし」の大事な部分のことはできないしやらないので
ひとりでは暮らすことはできないししたくない。
人に無理やりにでもやらせたい。
人を自分の思い通りにやらせることで支配欲も満足させたい。
しかも自分は損せずに。ラクをして。
で、
もし思い通りにしたい放題させてくれて、
自分のこと周りのことを全部してくれたのならば、
そのかわりに、
相手にご機嫌にしていてあげる、
はしゃいであげる、
サービスしてあげる。
いい子をアピールしてあげる。
っ
てな感じだ。
そして、
それも含めてめちゃくちゃな部分に関しては、
「家族やねんから私を認めて何でも許せよお前」
なんてしてくる感じだ。
でも、
そんなんじゃこちらにとって「家族」だなんて思えない。
自分に都合のいい時だけ「しもべ」みたいに扱って、
自分は「王子様」みたいにしていて、
こちらが居れるわけがない。
どんな子であってもありがたく子を思ってくれる「母親」以外は。
都合のいいのが好きな自分だけ気分がいいかもしれないが、
周りは全然楽しくないし和まないし幸せではない。
●
で、
自分の立場がかなりヤバくなってきたと思ったら、
こうやって、
「サービス」で機嫌をとろうとする。
やらない方がいいのに。
逆に印象が悪い。
もともと普段は「へんっ」ってやってるのだから、
「自分だけ好き勝手」が昔からしみついた基本なのだから、
そちらは全く変えられない本性なのだから。
それなのにそんなことやると、
「目的」が全部まるわかりなのに。
僕は何年姉を見てきていると思ってるねん。
知ってるやん。
●
で、
そんな感じで、
行くといつも、
いれられているお茶。
「お茶を濁す」という言葉が、
思い浮かぶ。
「お茶を濁す」
=その場しのぎでいい加減なことをいったり適当なことを言って、取り繕おうとしたりごまかしたりすること。
「茶番」という言葉も、
思い浮かぶ。
「茶番」
=ばからしい、底の見えすいた物事。
そして、
新聞の勧誘の営業所のおっちゃんの、
「新聞とってくれたらサービスしまっせ」
という言葉も思い浮かぶ。
そう、
あのお茶は、
交換条件のサービスみたいなものだ。
普段の今まで家族にさんざんしてきた、
「そっちがしてくれたら私も良くしてあげる」
の裏返しの、
「サービスしてあげるから私に良くして」
だ。
こんな表面的に媚びるようなことをしては、
かえって僕には逆効果なのにな。
余計にイヤになる。
でも、
これをすることで自分では、
「私は弟にやさしくていいことをしている」
と自分の世界の中だけで、
「自分はいい子」と勝手に思いこめているのかもしれない。
ちょうど、
何度もあったように、
僕ひとりに色々とやらせておいて、
自分は何もしないくせに口だけで、
「ひとりで全部背負わなくていいのよ」
なんてことだけ言いに来るあの姉の、
一方的に思う「いい子の私が主役の世界」の気持ち、
と同じなんだろう。
その世界の中では、
「実際の自分はどうしてるか」なんて関係ないのだろう。
なんだかなぁ、だなぁ。
●
ということで、
そんな感じのお茶は、
飲む気がしないので、
せっかく茶葉からしみ出た「お茶」には申し訳ないけれど、
母には何も言わずに、
ずっと飲んでいない。
---思わず“お茶をにごす”という言葉の語源を調べたよ---
(おしまい)
2020年12 月 5日 09:06 カテゴリー: ■ [仕事] パズル誌のイラスト, ■ [文章] 佐野家ハチャメチャ物語 | 個別ページ