9月21日には終わっていた、
『ラッキー! クロスワード』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 どんな意味かな? カタカナ言葉 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 ここがお気に入りなのだ♪ まったり読書スペース 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 あんな人こんな人いましたね 歴代内閣総理大臣 〟
↓
以上、
『ラッキー! クロスワード』Vol.51 用。
10月24日、セブンイレブン限定で発売。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
今回のイラストについて。
1つ目。
イラストだけではわからないけれど、
誌面ではこの上にパズルに入る言葉のリストがあって、
そこにはお題にもあるように「カタカナ言葉」が並んでいて。
例えば「オンデマンド」とか「カンフアレンス」とか、
「プライオリテイ」とか「セカンドオピニオン」とか。
イラストの「↑」はそれら「カタカナ言葉」を指していて。
つまりは飲み屋で若いサラリーマンの兄ちゃんたちが、
「カタカナ言葉」ばかりで喋っていて、
こっちで飲んでおっちゃんの耳にもそれが聞こえてきて、
“日本語でしゃべらんかいっ!”とイライラッしているところ。
3つ目のイラスト。
過去の内閣総理大臣。
右から、東條英機、大平正芳、岸信介、安倍晋三(岸信介の孫)。
◆◆◆
「思わず“お茶をにごす”という言葉の語源を調べたよ、その2」
前回のつづき。
それはこんな感じだった。
母のところに行くと、
“12月の排水管の洗浄に立ちあい”をお願いの姉の手紙。
「あいにく」「月初で休めない」とあったけれど、
今まで月初でなくても人にやらせてるじゃないか。
あきらかに「こういい感じに書いておいたらいいわ」的で、
先々自分が良くしてもらいたくて、
口先だけの余計な「いい子アピール」で、
でも本当は内面はエラソーで、
読んでなんとなくハラが立ってうんざりしたよ、
が前回。
ねぇ。
ほんとになんだかなー。
●
「できなくて申し訳ないですぅ」とあったけれど、
例えば、
本当にやってもらうのが申し訳ない、で、
本来は自分でやりたいと心から思って、
「やりたい」という本心があるなら、
別に方法は他にあるだろう。
先月の終わりごろだったかな、
ちょうど僕も、
自分の住んでいるマンションの部屋の、
「ガスの点検の予定日」のお知らせが大阪ガスから来ていた。
これも立ち合いが必要なやつだ。
そこに書かれていた予定の日は、
今月アタマくらいの平日の昼過ぎだった。
しかし、
ここにも書いているように僕は平日の昼間は、
母のところにサポートに行っているので、
立ち会えない。
だから、
ある日の母のところから帰った夜7時前くらいに、
大阪ガスのサポートに電話をして相談をして、
出かける前の朝9時〜10時の時間帯に変えてもらった。
で、最初の予定とは違う日のその時間に来てやってもらった。
こういうこともできる。
本当にする気があれば。
だいたい人と人の社会ではそういう仕組みはもともとあるものだ。
でも、これを言うと、たぶん、
「そういうのが出来るって知らなかったから〜」とか、
テキトー丸出しのその場かぎりのことを言うのだろうなぁ。
きっと。いつものパターンなら。
人がそれをする時ならサッと姉は思いついて言うようなことだけどな。
じゃあ、
次にそういうことがあれば、
そうするか?
●
大人になれば、
生活をちゃんとしていれば、
そう言う場面は度々ある。
普通はみんなしている。
それが出来ない、
したくない。
出来るだけ避けたい。
たどたどしくも「なんとか出来るようにしてみようとする」こともない。
姉。
来年60才の僕より2つ半上。
まぁ、
でも、
どうしてもそういうのがしたくなかったのなら、
結婚して旦那にやってもらうという、
そういう人生もあったのだ。
お見合いもあんなに沢山来ていたじゃないか。
結婚してたら旦那さんにいろいろ任せてラクできたかもしれないのに。
(まぁ旦那が大変で、それが続くかどうかはわからないが)
でも、
したくなかったんよな。
結婚。
“運命”の白馬の王子様が向こうからやってきてくれない限りは。
それがなければ、
何でも出来て何でもしてくれる母親にくっついて、
「子供のまま」みたいにして暮らす、
それがしたかったんよな。
責任もたなくていいからラクで実際にそうしてきたよな。
小さな子供の頃からのしたい放題を引き続きずっとしたかったんよな。
そういうのがもともとの、
持って生まれた性格と性分と本性やな。
で、特に成人を超えて以降、
そのあたりが気に入らない父親に色々言われると、
「敵だ」みたいにして母にいろいろ訴えて味方につけて、
最終的には病院にも搬送時以外一度も父を看にいかないで終えたよな。
僕に対しては、
そもそも「ひとりっ子がヨカッタ」で「あっちいけ」で、
理不尽や意地悪をしまくって、
10才の時に費さんちに置き去りにして、
自分に都合のいい時だけ色々としてもらって(させて)、
そういう時と楽しい事の時だけ「ハジメ好き」みたいに言って、
そのくせこっちのお願いや約束などは気分次第で平気で蹴飛ばして反故にして。
大人になってからは自立しないのを僕が批判的に言うと、
やはり「そんなこと言う奴は敵だ」みたいにして、
やはり母を味方につけて裏でいろいろと言って、
母が僕に理不尽なことを言うように仕向けて、
自分は影にかくれて「仕返しした」みたいにしてたよな。
それで「ザマアミロ」みたいにしてたよな。
それを、
今さら「母が老いたから、次は弟にしてもらいたい」って?
「じゃあ、ハジメはしてくれへんの?」って?
この先自分自身のことも母に続き弟に負担を負わせるの?
さんざんひどいことしたり言ったり身勝手なことした弟に?
それで、
とたんに「最近ハジメが好きになってきてるねん」とか、
優しくしたり親切風にしたり気持ち悪いくらいに丁寧にしたり。
バンビのような目をして「わたし可愛そう」と訴えたり。
媚び売ったりご機嫌とりにきたり作り笑顔で笑ってみたり。
見え見えすぎる。
気持ちわるい。
全国津々浦々老若男女、
ネコからイヌからミミズがアメンボから、
福助さんからドリアンからセイタカアワダチソウから、
サンタさんもトナカイさんも(シーズンが近いから出してみました)
誰が聴いてもオカシイ。
それに、
弟に対してあまりにヒドイ。
思っていることとしていることが。
●
結局、
そういう「いつか先が無くなる」選択を、
自分で選んでしてきたんじゃないか。
その結果じゃないか。
それなのに、
「じゃあ、なんでもできるようになろう」という“転換”を、
言葉じりだけでなく実際にやらないのだから、
もうそれ以上、
先が無くっても仕方ないやん。
それに、
たとえばもし、
ずっーと昔から(←ここがポイント)優しくて明るい姉だったのなら、
ちゃんと気持ちが自立してて何でも自分で出来る姉ならば、
「助け合って一緒にやっていくのもありかな」
なんてこともしかしたらあったかもしれないけれど、
もともとそういう姉じゃないのだから無理だ。
優しくも暖かくもしてこなかったのに。
何が「ありのままの私を認めて」だ。
「ありのまま」の私は、
「相手がしんどいばかり」の「私」じゃないか。
認めたら、
もうどこまでもネットリとこちらのことなど考えずに、
優しさも愛情もなく自分のことだけ考えて、
おぶさってくるじゃないか。
優しい相手を自分の都合よく使いまくるじゃないか。
「それが当然」ってするじゃないか。
相手がそれをしなかったり出来なくなったりたら、
とたんに冷たいじゃないか。
実際自分でも、
「私冷めてるねん」「感動せえへんねん」
って昔から言ってるやん。
そして、その通りやん。
おまけに、
自分は、
他の人の「ありのまま」は認めたりしないじゃないか。
だから「偉そうに言われるから行きたくない」と、
ありのままの父の病室にいかなかったじゃないか。
ほんとに芯から勝手で冷たい。
そんな感じなくせして、
ラクしていいようにしてもらおうと、
情報から参考にしてテクニックとして言葉で、
表面的に付け焼き刃で「やさいしい風」にしているだけだから、
透けちゃってるのだ。
「ええやんか、ついでにやってくれたら。絶対やらせてやる」
とまず最初から大きく心に思っているのが、
全部見えちゃっているのだ。
だから解られちゃうのだ。
ほんとうに、
何から何まで、
「表面的な口先の言葉」だけなのだ。
まるで、
ついている液晶テレビが服着てしゃべっているかのような。
うすっぺらくて、
すぐに裏なんだ。
(つづく)
※秋が色づいてきた。
そんなこんなです。
That's all for now.
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