前回からの話は、
「僕は今からでも縁があれば結婚はしたいなと思っている。
という話で。
前回は、1つ目の、
「僕は母と姉の住むマンションのローンの負債の名義人になっている」
ということについて書いた。
今回は、
2つ目の状況について。
僕の置かされてしまっている状況の2つ目。
(2) 「母に依存してずっとそばにいた姉は色々と出来なくて自立などとてもできない」
だから結局、
時々かんしゃく起こしたようにもなったり。
それにだいたいが、
歳にしてはおかしいくらいに、
何かをするのに自信がない。
それから、例えば、
仕事に関して言えば、
けれど、
高校の時は学校に行かない期間もあったりで。
でも、
20才前後くらいはちょっとマシな時期もあった。
大学に入ってからは放送部に入って、
一時はかなり明るく楽しそうにやっていた。
当時は今のように、
「外に出ると必ず帽子を深くかぶってうつむいて歩く」
みたいなこともなく、
また、
本来は、
結婚したり。
自立したり。
家にいるならいるで、
「見て見て。姉の子の姪っ子に赤ちゃんが出来ました。
もうすでにメロメロです」
とか、
「姉も定年退職。アンタくらい結婚しなさいとまた怒られてしまったです」
とか、
「家のことは姉が全部していて。さすがに母ゆずりになんでも出来る姉、アタマが上がりません」
とか、
そんなのんびりしたことを書いててもいいくらいだ!
でも実際は、
「ずーっと家にいて、
母に全部やらせ、
[ この前]
でも、
・「母と姉の住むマンションのローンの負債の名義人になっている」
・「母に依存してずっとそばにいた姉は色々と出来なくて自立などとてもできない」
・「その姉は本心では母のあとを引きついで僕が面倒をみてくれたら嬉しいと思っている」
という、
3つの状況があって、
これは僕の「結婚」にも無関係でいられないだろう。
自分自身の問題だけなら納得いくけど。
・「母に依存してずっとそばにいた姉は色々と出来なくて自立などとてもできない」
・「その姉は本心では母のあとを引きついで僕が面倒をみてくれたら嬉しいと思っている」
という、
3つの状況があって、
これは僕の「結婚」にも無関係でいられないだろう。
自分自身の問題だけなら納得いくけど。
どう思うよみなさん?」
という話で。
前回は、1つ目の、
「僕は母と姉の住むマンションのローンの負債の名義人になっている」
ということについて書いた。
今回は、
2つ目の状況について。
僕の置かされてしまっている状況の2つ目。
(2) 「母に依存してずっとそばにいた姉は色々と出来なくて自立などとてもできない」
姉は、
ほんとにその歳(還暦)になっていても、
いろいろと出来ないし、
しようとしなかったりもする。
ここでも何度か書いているが、
近い例でいうと、
父の葬儀の時に葬儀社の入り口まで行っておきながら、
「ドアが閉じてるし人が前にいないしどうしたらいいか解らない」
と電話をかけてきたり、
父の死後、
蛍光灯を買いに行ったり電話の子機の電池を買いにいったりとか、
もともと父や元気な時の母がやっていたことが、
母から僕に回ってくる。
つまり姉は出来ないか、
出来ないからやりたがらないか、だ。
つまりは、
一人でどこかに行って自分から挨拶して入っていく、
どこかに何かの用事で行ってそれを済ませてくる、
とかできない。
とかできない。
何かの手続きの電話もできないし、
やってもものすごく日にちがかかる。
そんな感じだ。
父の入院から死後の手続きも含めてのここまでの経緯で、
そのあたりにはもう、
とことんうんざりさせられた。
僕は一人っ子のように一人でやって回った。
いや、
前からそうだし、
知ってはいたけれど、
今だにここまでかと見せられると、
ちょっと希望も期待も何も無くなって暗い気分になる。
(そのくせ、そうは思ってほしくない、人にも言ってほしくない姉でもある)
そのあたりにはもう、
とことんうんざりさせられた。
僕は一人っ子のように一人でやって回った。
いや、
前からそうだし、
知ってはいたけれど、
今だにここまでかと見せられると、
ちょっと希望も期待も何も無くなって暗い気分になる。
(そのくせ、そうは思ってほしくない、人にも言ってほしくない姉でもある)
これまで家のことは
母と父がしていたので、
それにただ、くっついて暮らしてきた。
モノに関しても、
父母が働いた結果の給料や年金で買った家にあるもので、
だいたい済ませてきた。
テレビも、父が元気な頃は、
チャンネル争いでいざこざをよく起こしていたが、
それなら自分の部屋にテレビを買えばいいのに、
それは絶対にしない。
母にもよく言われていたけれど、
言われても「へへへ」と笑っているだけで絶対に買わない。
出来るだけ自分のお金は使わず貯めている。
(今はほんの少しくらいは家に入れてはいるようだが)
やがて父に昔のようなパワーが無くなり、
父の方が激しいチャンネル争いができなくなった。
「ねばり勝ち」といったう感じだ。
なんだかなぁ。
なんだかなぁ。
洋服も、
母親が買ったものを多く着ている。
父がそれをよく怒っていたけれど、
父が怒れば母が守る。
そして姉は「ほら、私は正しいもん」で終わる。
そんな風に、
することも、モノも、
全部父母のもので済ませて、
それを家の中では無理矢理「正しい」とさせてきた。
うん、
「小さなわがままな子供のまま歳をとってしまった」みたいな感じ。
「子供のままでいたい」と自分で大人になるのを拒否している、
という感じもある。
だから結局、
「小さな子供のように、周りの大人(主に母)に何もかもをやってもらう」
で、
そして、
小さな子供のように、
「気分でしたくないことは、絶対何があってもしない」
「気分でしたくないことは、絶対何があってもしない」
父の病院に行かなかったのも、
「偉そうに言われるからイヤ!!」
だからだった。
そして、
わがままをいったり、
身勝手なことを言ったり。時々かんしゃく起こしたようにもなったり。
はあ〜。
これが僕の姉かぁ。
「佐野さん」の姉はこんなんやねんで。
「佐野さん」の姉はこんなんやねんで。
それにだいたいが、
ちょっと暗い。
女性の持つ「花」みたいなものはない。
お化粧はしないし、
髪はベタッとなっているし、
腕は病的に細いし。
髪はベタッとなっているし、
腕は病的に細いし。
いや、
「花」が無ければないで、
「花」が無ければないで、
「そういう〝女性がどうこう〟は嫌いだから自分の道をビシッと行く」とか、
「のんびりしている」とか、
「のんびりしている」とか、
「男のようにあっさりちゃきちゃきしている」とか、
「どこでも行ってそれなりに自分のすることをしている」とか、
「それでも明るく一緒にいると楽しい」とか、
そんな感じだと別にいいのだが、
そんな感じだと別にいいのだが、
どちらかというと、
口ではいろいろ言うけど表面的で、
口ではいろいろ言うけど表面的で、
でもホントは暗くてすぐにいじけて、
ネバネバと粘着性でひつこいし、
(昔友達に「ネバネバネバ子」と言われていた)
ネバネバと粘着性でひつこいし、
(昔友達に「ネバネバネバ子」と言われていた)
よくイライラしているし、
ひねくれていて、
時々めちゃくちゃ意地悪だ。
さらに「こんな私を認めろと」迫ってくる。
時々めちゃくちゃ意地悪だ。
さらに「こんな私を認めろと」迫ってくる。
そして家の中だけの人だ。
外へは向っていない。
それから、
社会に出ると結構役にたつような「社交性」みたいなものが、
全然ない。
どちらかというとコソコソしている。
カメラを向けると、
思いっきり病的に忌み嫌うように拒否する。
(昔は違うよ)
家の中では傍若無人だが、
外ではネコをかぶったようになる。
蚊の鳴くような声で妙に丁寧に受け答えする。
大勢の人の中では、
どちらかというとコソコソしている。
カメラを向けると、
思いっきり病的に忌み嫌うように拒否する。
(昔は違うよ)
家の中では傍若無人だが、
外ではネコをかぶったようになる。
蚊の鳴くような声で妙に丁寧に受け答えする。
大勢の人の中では、
いつも帽子を深々とかぶって、
電車の中などではそのまま座って背中を曲げてうつむいている。
電車の中などではそのまま座って背中を曲げてうつむいている。
でも、
ご機嫌になって他の家族(といっても僕と母)が後ろにいる時は、
両手を鳥さんのように少しナナメ後ろに広げて、
たたたと前を可愛く小走りに向こうに走っていく。
あの姿を見るたびに僕は、
あの姿を見るたびに僕は、
「はぁーっ、アンタは幾つややねん」
と思う。
と思う。
歳にしてはおかしいくらいに、
何かをするのに自信がない。
父の葬儀の時や四十九日などでもそうだったけれど、
外の世界の人に何かしてもらった時、
まず母か僕が「ありがとうこざいました」と言ってから、
そのすぐあとにピタッと少し重なるくらいに続けて、
外の世界の人に何かしてもらった時、
まず母か僕が「ありがとうこざいました」と言ってから、
そのすぐあとにピタッと少し重なるくらいに続けて、
僕らの背後から「ありがとうございました」という。
僕「今日はありがとうございました」そのあと後ろから姉「ありがとうございました」
母「お世話になりました」そのあと後ろから姉「お世話になりました」
僕母「失礼します」そのあと後ろから姉「失礼します」
あんたは「輪唱ちゃん」か!。
自分が前に出て人前でまず何か考えたことをする、言う、
ということは、ほぼない。
たまに相手が先に姉に振ってしまった時は、
すがるような目でこちらを見る。
家の中では、
ガンガン自分から言いたい放題しゃべってるのに。
それから、例えば、
会社の帰りに寄ったお店に欲しいと思う洋服があったら、
「買ってもいいと思う?」と母に電話で確認してくる。
母が、
「買ったらいいやん」と言ったら、
それをきいて初めて安心して買う。
その歳でそのぐらい自分で決断出来へんのんかい!?。
しかも「買ったらいいか悪いか」はごく初歩的なことやん。
そのくらいみんなやってるぞ。
もう言葉がない。
いや、若い女の子なら、
ちょっとくらいは「背中を押しして欲しい」
そういうところもあるかもしれない。
でも姉はだいたい昔から今だに全てが、
「どうしたらいいと思う?」
「どうしたらいいと思う?」
「どうしたらいいと思う?」
だ。
誰かが「いいんとちゃう」と言ってくれないと、
前に進めない。
そんな感じだ。
しかも、
場合によっては、
「ハジメがやっていいんとちゃう?って言うからやったけれど、
結局あれ失敗やったわ」
とか言ったりする。
ひどい。
ひどい。
自信がなく、
人に「決断」させておいて、
「責任」はこちらに振りまくる。
そんな感じだ。
ああ、
もう書き出したらキリがない。
仕事に関して言えば、
今はアルバイトで働きに出ている。
もう10年以上になるかもしれない。
たぶん今までで一番長いと思う。
もう10年以上になるかもしれない。
たぶん今までで一番長いと思う。
それはそれで悪くない。
でも、
でも、
よく会社の人とうまく行っていない話など、
母から時々聴く。
でもそれは、
基本的に僕には直接はあまり言いたがらない。
けれど、
これは僕も直接聞いたことで、
母にも言っていたようだけど、「会社の人に嫌なこと言われたから〝仕返し〟したいねん」
などと言ってた。
などと言ってた。
「仕返し」なんかやめとき、
と僕も、母も言った。
そりゃそうだ。
「悪っこい子供」じゃないか。
けど、
僕に対してもしょっちゅう、
「仕返し」をするんだけど。
とにかく、
会社でもまるまる上手くいっている訳ではなさそうだ。
ほんと姉は、
子供の頃から、
わがまましたい放題で、
でもそれは結局内弁慶で、
外では母にべったりで。
わがまましたい放題で、
でもそれは結局内弁慶で、
外では母にべったりで。
高校の時は学校に行かない期間もあったりで。
(「不登校」自体がダメと言っているのではないよ)
でも、
20才前後くらいはちょっとマシな時期もあった。
大学に入ってからは放送部に入って、
一時はかなり明るく楽しそうにやっていた。
当時は今のように、
「外に出ると必ず帽子を深くかぶってうつむいて歩く」
みたいなこともなく、
普通に顔を出して外を歩いていたし、
写真だってカメラを向けたらこっち向いて笑ったりしていた。
写真だってカメラを向けたらこっち向いて笑ったりしていた。
そういう20才前後の、
今では考えられない屈託のない笑顔の姉の写真が今も何枚も残っている。
僕が友達に聴かせるために遊びで作った、
ドラマやドキュメンタリー風のテープにも声で出演してもらって、
友人達のあいだでファンもできたくらいだ。
でも、
僕が友達に聴かせるために遊びで作った、
ドラマやドキュメンタリー風のテープにも声で出演してもらって、
友人達のあいだでファンもできたくらいだ。
でも、
社会人として現実の外の世界に出だしてから、
母の知人の紹介で入った結構いい職場も辞め、
母の知人の紹介で入った結構いい職場も辞め、
好きだという仕事をしても続かず転々として、
しばらく家にベタッといる時期もあったりで、
だんだんと暗い感じになっていった。
そして、
もともとそうだけれど、
だんだんと暗い感じになっていった。
そして、
もともとそうだけれど、
できないこと、面倒なこと、したくないこと、
はやらずに母にやらせたり、
付き添ってもらったり。
すると、やらないからどんどん出来なくて、
もともと引っ込み事案で内弁慶なところから災いして、
やらないからいつまでもこわい、
こわいからやらない、
こわいからやらない、
母にしてもらう。
そんな感じでどんどんこの歳まで来てしまった。
もうみんな孫がいたりする、
この歳まで。
その間の何十年の間に、
僕は一人暮らしをし、
フリーになったから色んなところに出入りし色んな人に会い、
母が「してほしい」ということは積極的に手伝ってあげて、
(父や姉がしないので)
そうやって、
どんどん色んなことを経験して出来るようになって。
僕も、
もともと子供の頃は引っ込み事案で、
もともと子供の頃は引っ込み事案で、
時々吃音気味になるところもあるような子だったけれど、
自立して経験をつんで、
なんとか一般なことは出来るようになっていった。
もちろん変わらず不十分な部分はあって完璧ではないが、
それなりに折り合いをつけてやれるようになった。
それなりに折り合いをつけてやれるようになった。
しかし姉は昔のままだ。
その差は大きい。
僕には姉がいつまでたっても子供のままでいるのが、
とてもおかしく妙に見える。
口だけで自分自身をフォローしようとすればするほど、
馬鹿馬鹿しく見える。
場合によっては悲しく見える。
また、
父も結構めんどくさい訳の分からないところのある人だったけれど、
父も姉もどちらも、
「相手が優しくしてくれたり良くしてくれたら、
こっちも優しく良くしてやる」
こっちも優しく良くしてやる」
でも、そうじゃければ、「敵だ!」と牙をむく。
なんてところがあって、
よくぶつかっていた。
その度ごとに母が姉をカバーするので、
姉はますます母から離れない。
父がイヤなら「自立する」という手があるし、
その手段として「とにかく結婚する」という方法もあったりして、
親がイヤな多くの人がそうしていると思うけれど、
それはしなかった。
そんな自信は無いし家にいる方がラクだ。
だろう。
そして
父が姉に何か言えば言うほど母に守られて。
結局僕から見れば、
今の姉は「父と母の二人の共作」と思えなくもない。
まぁ、でも、
もともとの姉の内面にあるものが、
姉自身をそうさせたんだろうけどな。
母にはある意味限界だ。
母にはある意味限界だ。
本来は、
結婚したり。
自立したり。
家にいるならいるで、
母と同じくらい家のことは出来てもいいはずのにできない。
とうとう、
父が亡くなるところまで来ても、
まだ家にいる。
ほんと、
ねばったなぁ。
感心する。
感心する。
そういうのを外の世界で活かせたらたらよかったのになぁ。
外では小さな声で「はい。そうですか。えへへへへ」だしなぁ。
周囲がちゃんとした大人ばかりで、
普通に家族と平和に暮らしている人には、
「本当なの? なんだかそれってよく解らない」
という話かもしない。
だってそもそも、
なかなかこういうことは書けない。
僕も本当は、
実の姉のことをこんな風には書きたくない。
ほんとそう!
本当は書きたくない。
時間もアタマもエネルギーも使って。
本当ならねぇ、
本当ならねぇ、
このブログとかSNS とかにでも、
「見て見て。姉の子の姪っ子に赤ちゃんが出来ました。
もうすでにメロメロです」
とか、
「姉も定年退職。アンタくらい結婚しなさいとまた怒られてしまったです」
とか、
「家のことは姉が全部していて。さすがに母ゆずりになんでも出来る姉、アタマが上がりません」
とか、
そんなのんびりしたことを書いててもいいくらいだ!
でも実際は、
「ずーっと家にいて、
母に全部やらせ、
何も出来ないままいい歳の大人になってしまい、
今では母を通して僕にやらせて、
そのうち面倒までみさせられるかもしれません」
だ。
したくても勇気が出ずに何も出来ない、
というところが少し「可愛そう」だとしても、
したくても勇気が出ずに何も出来ない、
というところが少し「可愛そう」だとしても、
やっぱり困ったもんだ。
そして、
その困ったもんだも、
ただの「困ったもんだ」では済まなくなってきている、
という感じになってきた最近だ。
「その3」に続く
[ この前]
そんなこんなです。
That's all for now.
✓
That's all for now.
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