『文字の大きなクロスワード』誌の、
〝なごむ亭元楽〟名義のイラスト迷路が完了。
「平日は生け花の先生よ」。
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(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
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サラッと書くよ。
11月の終わり頃に、
夏からずっと入院していた父親が亡くなった。
夜に「容体が危ないです」と知らせを受け、
一人で病院に行き、
すでに息を引き取ったのを確認して、
そのあと色々と手順を踏んで、
手探りで葬儀社にお願いするところから、
その後の火葬までを、
これまた一人で手配して、
もちろん初めてなのでいろいろと戸惑ったけれど、
なんとか無事終えた。
そのあとはずっと、
市役所や年金関係に行ったり銀行にも行ったり。
これらは一人で行ったりもするが、
母も連れ添って行ったりもしたり、
銀行関係は特に手強い。
僕は震災時に母の願いを聞き入れて、
家族が住むマンションのローンのために、
負債の連帯債務者になっている。
だから父が抜けたあとの負債相続の手続きがある。
(たしか父だけでは年齢的に借りることができなかった。
返済は父母が返してきた)
この手続きがなかなかタイヘンだ。
「相続関係」は銀行口座や登記もそうだけれど、
財産があろうが少なかろうが(うちらはもちろん少ない)、
いろいろとあちらこちらに行って、
書類を集めないといけなので先が長く、
知らないことも多くてまだまだ手を焼きそうだ。
その、
僕が負債の名義になっている、
父が暮らし母が今もいるマンションには、
ちょっと困った姉が今もベッタリといる。
父の入院中、
姉は救急車で運ばれた時だけ病室に入ったけれど、
しばらく母が様子を見に行くのに付き添った時も、
病室には入らず、
救急病院から普通の病院に移って僕が引き受けてからは、
病室どころか一度も病院に面会には行っていない。
「なんだかなー」と思いながら
僕はずっと父の病院に通い、
実家に帰ると調子のいい声で、
「ご苦労さんやねぇ、タイヘンやねぇ」と口だけで言われ、
「何なんだろうなぁこの人は」と思わされ続けた。
そうでありながら、
入院から一週目くらいで、
今後のお金に関して、
自分の負担が多くなるかもしれない心配だけはして、
僕になんとかしてほしいと、
そこだけは言ってきたり。
葬儀の時も歯医者の予約があるとまず言う(!)ので、
単独で別行動で葬儀社のホールに行ってもらうと、
「ドアが閉じていてどうしたらいいか判らない」と、
電話をかけてきたりして。
それらはまぁほんの一例として、
常に、
自分のことだけ心配で不安でごちゃごちゃかき回したり、
家の外の世界で年相応のことを普通にスッと自力ではできなかったりする。
なのに自分勝手な情念だけはかなり強い。
(だから、もしこれを読んでいたらかなり恨まれるかもしれないけれど)
これまでも突然、
「おかあさんが居なくなったらバラバラやぁ」とか、
「ハジメは結婚したら私と縁を切ろうと思ってる」とか、
「ハジメは私のこと嫌いかもしれんへんけど」とか、
「女兄弟やったらよかったぁ」とか、
「私が死んだら貯金をハジメにあげたくないねん」とか、
「私より友達が大事と言われてショックやった」とか、
「ハジメは私のことから逃げたらアカン」とか、
面と向かってぶつけて言うことがめちゃくちゃ。
それでいて何かをしてあげたときは、
「ありがとうございました」
「これからもよろしくおねがいします」
と敬語になって、
お辞儀をしたりして、
慇懃無礼(いんぎんぶれい)なほどに恭しくなったりして。
まるで、
僕にいろいろと先の面倒など期待していて、
それをしないと僕が悪者なんだ、
というような。
なんかねぇ、おかしい。
そして、
あとで「そう言ったやん」と問いただしても、
「そんなん言ってないもん」と、
まるで子供のようなことを言う。
怒ったり注意したりすると、
いい訳したりふざけたり泣いたり、
場合によっては逆切れしたり。
〝テレビドラマの家族〟なんて望まないから、
多少クセがあっても外れ者でも変わり者でも、
アウトサイダーであってもいいから、
もっと歳相応に、
みんなができることと同じ程度の、
〝オトナ〟の人になってほしいと願うのだが、
簡単にはいかない。
年齢的にはもうすぐ還暦というのに。
はしゃいでいたかと思うと、
ちょっとでも気に入らないと感じたら、
かんしゃくをおこして牙をむいて。
しかもそれは家の中だけで、
外では小さくなっていて。
そういうのを無条件にOKにしてくれるのは母親だけで、
だからずっと昔と変わらない感じのまま家にいる。
(仕事はアルバイトでしているけれども)
きっと人が聞いたら、
「ホントかなー、大げさに言っているんじゃない?」
と思われるくらいの、
そんな姉である分、
だからこそ、
僕にとっては、
かなり困った人だ。
方や、
母はもう年齢的に肉体的にも精神的にも弱くなっている。
だから、
まぁ仕方なく、
いろんな手続きも、
引き続いて僕が一人先頭に立ってやっている。
誰かがしないといけないし、
幸い、
いろいろとすることが、
個人的に今はまんざら嫌いでもないし。
ではありながら、
特に父母のマンションの負債関係は、
そういう「この先どうするのよ」的なこともあり、
特にモヤモヤしながら進めている。
判る人には判ると思う。
これまでも代々いろいろとあったけれど、
ほんとに佐野家はいつも「なんだかなー」だなぁ。
「人に言いにくい」ようなぐちゃぐちゃした状況になるなぁ。
表面的には子供みたいに楽しそうにしているけれど、
それぞれが自分なりに先々の暮らし方を立てるとか、
生き方の責任をちゃんと考えるとか教えるとか、
そういう「営み」の芯がぐしゃぐしゃだ。
昔から。
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と、
そんな風にモヤモヤ人生の中にいる僕ではあるが、
「展覧会のチケット」をくれたりする、
うれしくやさしい知り合いもいたりする。
ここまでアレコレ仕事と父の用事をこなしてきて、
また、
年明けすぐの締め切りイラストや、
父関係の手続きなどのやり方を調べたりなど、
やっておけばいいこともいろいろある。
けど、
まぁいいだろう、
と思って今日、
ちょっとチケットをいただいてなかなか行けずにいた、
兵庫県立美術館での『サヴィニャック展』を観に行ってきた。
丁度もうすぐ会期も終わるし、
ちょっと目と心のリフレッシュがしたくって。
↓いつも写すアングルの階段の写真。
サヴィニャックは、
フランスの有名なポスター作家。
シンプルで、
手描きの絵で、
ユーモアがあって。
日本の、
チョコレート会社や遊園地が依頼したポスターも、
あったりして
親しみのある、
そんな楽しいポスターと、
原画もいくつか並んでいた。
(個人的にはこの原画が興味津々だった)
ちょっとキモチがリフレっシュした。
そして、
いつものように、
裏手にたたずむ、
「なぎさちゃん」をそっと見守ってから、
帰った。
「寒くない?」
そんなこんなです。
That's all for now.
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