前回に続いて、
「1990年前後に働いていた大阪の会社の周辺」編。
その後編です。
またまた特別に説明入りでいきます。
これで、
「芦屋編」も合わせて、
再確認して記録しておくべきことはしておきました。
ありがとう、
かつてのアッチコッチのアレコレ。
(タテパノラマの写真はクリックすると、
多少大きくて多少シャープな写真を表示します)
NO.1788 大阪市北区梅田3丁目
2017年6月6日
(*↑ JR大阪駅の南西の端にある「桜橋口改札」です。専門学校時代にしろ、会社WCCで働いていた時代にしろ、たまにJR(国鉄)で大阪まで来た時はこの出口を利用していました。 ここから、すぐに地下に潜って堂島地下センター方面に向かったり、時には旧中央郵便局の方へ出て地上から行ったり。その日の気分で好きに行ってました。この改札のすぐ横には1991年から「GARE大阪」というショッピングゾーンがあり、仕事の帰りに何度か洋服を買って帰ったこともあります。今は「ALRi」「エキマルシェ」という名のショッピング・飲食エリアになってます )
NO.1787 大阪市北区梅田3丁目
2017年6月6日
(*↑ かつて大阪中央郵便局の建物のあった場所の東側の歩道から、JR大阪駅を観ています。スタジアムの屋根のような鉄骨の屋根が見えていますが、2011年までの駅と周辺全体の再開発時に新しくつけられたものです。完成後、今は駅と南北の駅ビル全てを合わせて「大阪ステーションシティ」と呼んでいるようです。特に北側には大きなビル「ノースゲート・ビルディング」が建てられて、以前とはすっかりと変わって(ちょっとエラソな)「ものごっつい駅」になってしまいました。駅全体のリニューアルとしてはこ鉄道が出来てから今回で、5代目になるそうです )
NO.1786 大阪市北区梅田2丁目
2017年6月6日
(*↑ NO.1785とだいたい同じ場所から左方向90度くらい、南西方向を向いたところです。昔は無かった高いビルがニョキニョキと何本も建っています。あとさらに少し左の方角のずっと向こうに、働いていた会社のあった小学館ビルがある、という感じです )
NO.1785 大阪市北区梅田2丁目西梅田スクエア
2017年6月6日
(*↑ この正面に、昔は大阪中央郵便局の建物がありました。昭和っぽく重厚で存在感のあるいい建物で、保存の運動もあったみたいだけれど、2012年に取り壊しが完了したようです。この写真を写した時点の現在では、「西梅田スクエア」という多目的広場になっています。2年ほど前(2015年5月)ここで催されたベルギービールのイベントに、友人と飲みに来たこともあります。この写真の日はサッポロビールのマークのついたテントの設営が行われていました。そんな風に今は広さを生かしたイベント会場になっていますが、数年後にはここにJP(日本郵便)の高層ビルが建つ予定だそうです )
NO.1784 大阪市北区梅田2丁目
2017年6月6日
(*↑ NO.1782のヒルトンプラザウエストのある角からJR大阪駅方面を観たところです。駅の南側の駅ビルは当時「アクティ大阪」と呼ばれる大丸やホテルなどが入った建物(写真の背の高い部分)でした。2011年に大阪駅の駅ビルがさらに大きくなったときに、写真で見える手前部分(ガラスっぽいところとその右部分)が付け足され、「サウスゲートビルディング」という名称に変わりました。「アクティ大阪」の頃から今もずっと中に大丸が入っていますが、その中の「大丸ミュージアム」には80年代から90年代ころ、おもしろい展覧会がよく開催されていていくつか観に行ったりしました )
NO.1783 大阪市北区梅田2丁目 ヒルトン大阪
2017年7月21日
(*↑ NO.1782のヒルトンプラザウエストの前あたりから、四つ橋筋ごしに見上げたヒルトンホテルです。写真のバスの辺りがちょうど四つ橋筋です。このヒルトン大阪は僕がデザイン学校に通っていた1986年に出来ました。なんだかとても高級な感じがして、一階のフロアでピアノ演奏などをしている日もあったりで、当時は前を通りながら見上げて「ひやぁぁ」なんて思ったりしたものです。この立っている場所は梅田2丁目ですが、向こうのヒルトン大阪自体がある場所は梅田1丁目です )
NO.1782 大阪市北区梅田2丁目 ヒルトンプラザウエスト
2017年6月6日
(*↑ ここにはかつて古い阪神電鉄系列関係のビルがあった気がするんですが、旧阪神ホテルは西となりだったようだし、もう今となっては何だったか僕にはわかりません。このあたりから地下に入る階段の途中に「たこ梅」という、大阪に何軒かあるおでんで有名なお店がありました。会社の人間と一度入ったことがあるのをよく憶えてます。今はピカピカなヒルトンプラザウエストが建っています )
NO.1781 大阪市北区梅田2丁目
2017年6月6日
(*↑ 桜橋の交差点の西北側ちょっとのところから北に向かう小さな路地の途中です。たしかこの場所に「BOSS」というバーがあった気がします。もう数歩北にも見慣れないお店があったので、「そちらがそうだったのかなぁ」と思ったりで定かではないのですが、とにかくちょっとシャレたバーがこのあたりにありました。会社の人間と何回か来て、また個人的に地元の友だちも連れて来たりもしました。ここの店だとか、それから会社の師匠的デザイナーさんに何度か連れて行ってもらった北新地のバーだとか、この頃から「バーっていいなぁ、好きだなぁ」になっていったりしたのでした )
NO.1780 大阪市北区梅田2丁目
2017年6月6日
(*↑ 桜橋の交差点あたりから南側の、ヒルトン大阪やマルビルの方向を見ています。茶色い円筒状のマルビルは当時、一番上の部分の円筒に合わせてぐるっと回る電光掲示板があって、ニュースや天気予報を流していました。このマルビルがこの辺りで一番目立って高かった頃には、周辺やJR大阪駅のホームなどから電光掲示板はよく見えていて、夜の帰りなどにチラチラ確認したりしたものです。今は回りにもっと高いビルが沢山出来てしまい、そう目立つビルでは無くなってしまいました )
NO.1779 大阪市北区梅田1丁目大阪駅前第一ビル
2017年6月6日
(*↑ 大阪駅前第一ビルのちょうど桜橋の交差点角一階のここには、かつてカメラ屋があったはずですが、今はドラックストアの「ダイコクドラッグ」になっていました。昔からだいたいこの第一ビルには何故かカメラ屋が何軒もありましたが、やはりもうデジタル化やスマホカメラ以降はしんどいのかもしれません。しかし、それでもまだ、数件カメラ屋は残っていました )
NO.1778 大阪市北区梅田2丁目桜橋の交差点
2017年6月6日
(*↑ 桜橋の交差点の東側を見たところです。2号線を挟んで北(左)には大阪駅前ビル、南(右)には繁華街の北新地が広がっています。バブル期の北新地では2号線脇にタクシーがヨコ3列になって客を待ち、それがバンバンと発車していくという光景が見れたりもしました。この北新地のちょっと行ったところに、僕の師匠的デザイナーさんのお馴染みのバーがありました。「Wild turkey (ワイルドターキー)」↓ というお店で、そこに何度か連れて行ってもらってバーボン、特に「ハーパー」( I.W. Harper)を飲むということを、師匠のマネをして憶えたのでした )
NO.1777 大阪市北区梅田2丁目桜橋の交差点
2017年6月6日
(*↑ 桜橋の交差点の北西の歩道の角から南を向いています。前の左右に通る道路が国道2号線、それと交差して正面左奥を通る大きな道が四つ橋筋。地上から学校や会社に行く時はここで信号待ちをして行くこともよくありました )
NO.1776 大阪市北区梅田2丁目
2017年6月6日
(*↑ 桜橋の交差点の北西の角の歩道、NO.1777の丁度背中の後ろっかわにある地下への出入口で、NO.1730の西梅田駅10番出口を地上側からみたところです。なぜかこの出入口も好きで、NO.1738の出入口の次によく利用したんじゃないかと、今思ったりしています )
NO.1775 大阪市北区曾根崎新地2丁目
2017年6月6日
(*↑ ここに、「day」というデザイン用品と画材の専門店がありました。丁度ファミリーマートになっているところの半分(ステンレスの壁っぽてところ)から向こうくらいのスペースがそうだと思います。「デザイナー専門学校」に通っていた頃によく帰りに行って何か買ったり、その後会社WCCで働き出してからもいろいろと買ったところです。また、WCCでは会社の出入りのお店になっていて、よく店員さんが配達に来たりもしていました 。このころ、本当にデザイン用品や画材の店に行くのは楽しくて、ここと、阪急三番街からJR東方面の地下の通路端にあった「いずみや」さんは本当によく行きました。「いずみや」さんは今は「Tools」という名前になっています。(一時店舗名が「.Too」だった頃もあったんじゃないかなぁぁという気がします) )
NO.1774 大阪市北区曾根崎新地2丁目南海部品本社・本店
2017年6月6日
(*↑ この「南海部品」のマークは、バイクに乗っていた友だちの、ヘルメットだったかバイク用のスーツだったかシールだったかタグだったかワッペンだったかで、よく見かけたマークでした。このビルの遠景がNO.1773になります )
NO.1773 大阪市北区梅田2丁目南海部品本社・本店
2017年6月6日
(*↑ NO.1772とほぼ同じ場所から南をみたところにもなります。全国展開もしているみたいですが、特に関西のバイク乗りの人ならば良く知っているじゃないかなぁの、オートバイ用品専門店「南海部品」の本店・本社です。僕はバイク乗りではないですがこのビルはよく観ているので、なんだか馴染みの緑と黄色です )
NO.1772 大阪市北区梅田2丁目
2017年6月6日
(*↑ 2号線沿いを小学館ビルから1つ東の角まで来て、小学館ビル方向を望んだところです。この背中方向へ向かってもう少し歩道を進んだところに、かつて旧「サンケイホール」がありました )
NO.1771 大阪市北区梅田2丁目
2017年6月6日
(*↑ 讃岐うどんの四国屋です。よく行きました。たしか僕が会社にいた半ば〜後半くらいに出来たんじゃないかと思います。今はもうどこへ行っても「讃岐うどん」のお店がたくさんありますが、当時はまだそんなに多くなく、最初にあそこでぶっかけうどんを食べたときは、ほんとに「へぇ〜、おいしいなぁ」と思ったものです。最近では子供の頃に馴染んだ「大阪風うどん」が懐かしいです )
NO.1770 大阪市北区梅田2丁目
2017年6月6日
(*↑ 讃岐うどんの「四国屋」の入っている、2号線沿い北側歩道沿いにあるビルの、地下への入り口階段です。「四国屋」以外にも飲食のお店が何軒かあったのですが、この日見てみると「四国屋」以外は全て変わっていました。というより「四国屋」が20年以上も頑張って生き残っているということですね )
NO.1769 大阪市北区曾根崎新地2丁目
2017年6月6日
(*↑ 小学館ビルから2号線を挟んで北側の歩道と建物を見たところです。一番正面のビルはあの当時からまだ残っている昭和っぽいビルです。当時からちょっと気になっているビルです )
NO.1768 大阪市北区曾根崎新地2丁目小学館ビル
2017年6月6日
(*↑ 小学館ビルの北側の出入口です )
NO.1767 大阪市北区曾根崎新地2丁目小学館ビル
2017年6月6日
(*↑ 北側の2号線越しにみた小学館ビルです。この7階の、左の連なった窓と、真ん中の連なった窓のところ(真ん中は時期によって広かったり半分になったりかもしれません)が働いていた会社、ワールド・クリエイティブ・センター(WCC)でした。↓下の写真は室内と社長(顔はブレさせています)です。白黒フィルムで写真を写すのに凝っていた頃です )
NO.1766 大阪市福島区福島5丁目TKP ゲートタワー ビル
2017年6月6日
(*↑ 僕が会社にいたほぼ終わりくらいの頃に、この高速道路の支線(?)のような高架の工事が始まりました。ある日、デザイナーの吉田さんが窓の外をじーっと眺めながらこう言いました。「あの道路、まっすぐ行ったらあの今建てかけているあのビルにぶつかってしまわへんか?」と。ちょっとしたことを取り上げては面白可笑しく突っ込むのが好きな吉田さんだったので、「あはは、そんなことないやろー! そらちゃんと外れるんやろー」と、その日そこにいたメンバーで笑ってたのですが、実際その後道路は真っ直ぐビルに向かって直進し、見事にビルを突き抜けたのでした。完成してからもいろいろとメディアでもネタになっている、なんとも大阪的解決法な建造物です )
NO.1765 大阪市北区堂島3丁目はま田
2017年6月6日
(*↑ ここもたまに食事に来たお店のうちの1つです。僕があの会社にいた期間の主に前半の時期によく来た気がします。食事に行く店も時期によって社内のプチブームみたいなものがあったように思います。このお店は和食のお店で、個人的には「いわしフライ定食」が美味しくてよく食べました。当時は一階でやっていたのですが、今は一階は別の店になっていて「はま田」自体は2階にて営業しているみたいです。でも「創業明治42年」なんて大々的なアピールはしてなかったですねぇ、当時は。ひっそりとやってました。それにしても、きんつば屋といい、このあたりは小さなエリアではありながら古くからのお店があります。かつて「出入橋」の周辺は賑わっていたのかもしれません )
NO.1764 大阪市北区堂島3丁目オートバックス出入橋ビル
2017年6月6日
(*↑ 小学館ビルから高速道路を挟んで西側にある、オートバックス出入橋ビルです。見ての通り表面が全面鏡の様なキンキラキンのガラス張りのビルです。景気のよかったバブル期の感じがとてもします。当時は下にカー用品の店舗もあったはずですが、今はそれ以外のサービスなど、会社のビルとしてだけ運用されているみたいです。このビルの東横の歩道に面したところにオートバックス創業者の住野敏郎氏の像がどーんと建っているのを今回初めて知りましたが、知名度としてはイマイチ「ふーん」で終わってしまうのがちょっとサミシそうでした↓ )
NO.1763 大阪市北区堂島3丁目インペリアル
2017年6月6日
NO.1762 大阪市北区堂島3丁目インペリアル
2017年6月6日
(*↑ ここも会社のメンバーとよく食事に来ました。小学館ビルの南の出入口から西方向ちょっといったところにある洋食屋さんです。ビーフカツとかポークカツとかハンバーグとかオムライスとか、庶民的な感じの洋食レストランで、ランチを頼むといつもお腹が満足したものです。また、ランチのお皿の隅にポテトサラダと共に必ず乗っている、カレー味のスパゲティも今は懐かしいです )
NO.1761 大阪市北区堂島3丁目
2017年6月6日
(*↑ 会社から西へ出入橋を渡って、つまり高速の下をくぐってすぐ右手のところにあるお寿司屋さんです。僕の師匠的デザイナーさんがたまにここで残業時の夕食をとっていました。僕も一度か二度一緒に来たように思います。その向こうにある「きんつば屋」さんは、〝屋号がそのまんま〟なきんつばのお店です。たまに誰かが買ってきたのを貰って食べたりした記憶があります。お客さん用に買ったものの余分の分だったのか、それとも誰かか急に食べたくなって買ってきたのか、今となってはよく憶えていません。今回調べて、1930年(昭和5年)創業の老舗だと知りました。そして、中に食べるスペースがあるのも今回知りました。かき氷があるそうで「いつかまたここで食べてみたいなぁ」なんて思わせてくれるところです。ちなみに、この写真を写した日、始めて自分で買ってみました。3コほど↓ )
NO.1760 大阪市北区曾根崎新地2丁目出入橋
2017年7月21日
(*↑ 会社のあった小学館ビルの南側の路地を西へ向かってすぐにある出入橋の上です。橋と言っても今は下に川は無く上に高速道路が通り、高架の下のスペースはほとんど駐車場になっています。そうこの写真の、あちら側の橋の欄干の向こうも駐車場です。そしてつまり、その駐車場がかつては川があったところです。この橋は当時は何気なく歩いていたけれど、よく見ると趣のある石畳だったんですねぇ。全然気に留めていなかった )
NO.1759 大阪市北区曾根崎新地2丁目出入橋
2017年7月21日
(*↑ 出入橋の上から会社のあった小学館ビルの方(東方向)を見たところです。洋食屋で和風ポークカツだとか「はま田」でイワシフライだとかを食べたあとに、満足して会社にテロテロと帰る時に見ていた光景です )
NO.1758 大阪市北区曾根崎新地2丁目出入橋
2017年7月21日
(*↑ 小学館ビル寄りの橋の端から出入橋を見たところです。奥のほぼ中央少し左よりの茶色っぽい建物が洋食屋の「インペリアル 」です。そのずっと右の北がわの橋の欄干のおしまいのところをくいっと右に曲がると、NO.1761の寿司屋さんやきんつば屋さんがあります )
NO.1757 大阪市北区曾根崎新地2丁目出入橋
2017年7月21日
(*↑ ほんとに当時はそんなことは全く気にしていなかったのですが、今回初めて調べて、欄干だけ残っているこの橋の興味深いことがいろいろと解りました。こうやって「橋」があるようにここにはかつて川が流れていたそうです。今でもこの周辺の「場所の名前」や「支店名」などに「出入橋」という名前が使われていますが、この橋の近くであるということが由来です。
で、ここにあった川は、古くからもともとあった川とかではなくて、明治期になってから掘られた川だそうです。鉄道が引かれて大阪駅が出来た時その鉄道と、まだ充分に機能していた「大阪に張り巡らされた川による水運」とを結ぶためにここに川が掘られたそうです。そういえばこの左方向(南)にずっといけば東西に流れるそこそこ大きな川(堂島川かな?)があります。そこと鉄道をここに掘った川で結んで、鉄道によって大阪駅で降ろされた荷物を水運に載せたり、もしくはそのその逆をしていたそうです。写真の右方向へずっと行ってJRの線路の脇までいったところに「梅田入堀」という大きな船着き場が作られて、そこで荷の積み降ろしがされていたということです。そして、そこへ向かって船が出入りする位置にある橋だから「出入橋」という名が付けられたのだそうです。明治10年あたりのことらしいです。そして、今残るこの橋は昭和10年に架け替えられたものということです。
明治後期から昭和の戦後までの時期には、この近くには阪神電車の駅として「出入橋駅」という駅もあったそうです。もしかしたらその頃はこのあたりももっと賑わっていたのかもしれません。そう思えば、「きんつば屋」さんや和食の「はま田」などの創業の古いお店が並んでいるというのも、そのころの流れなのかな? と想像したりしています。
ちなみに、鉄道近くの船着き場だったという「梅田入堀」というのはたぶん、僕が働いていた会社の窓からずっーと向こうによく見えていた、線路の手前で長い間空き地になっていたあのただっ広いスペースじゃなかったかと思ってます。そこは冬になると、沢山スキーバスが並んで発着場として利用されているのが見えていました。つまり、100年以上昔に小さな船がワンサカと荷物を降ろしたり積んだり運んだりしていたところが、今から25年前はバスが若い男女をワンサカとスキー場に運んでいた場所だったということですねぇ。現在そこにはそのスペースは無く、背の高いビルが沢山建ち並んでいます。ここの説明めちゃくちゃ長いですね。スイマセン )
NO.1756 大阪市北区堂島2丁目
2017年6月6日
(*↑ 小学館ビルやデザイナー専門学校の西側には高速道路が走っており、その下は駐車場です。1990年頃に車を手に入れてからは、車で出勤することもよくありましたが、この駐車場もよく利用しました。でも曜日と時間によっては満車で駐車できず、「ちょっとだけ」のつもりで路上駐車したりもしました。けれど、ある時期から駐禁の取り締まりが厳しくなり、ちょっと道路に置いてたスキにレッカーで持って行かれたりすること3回ほど。それでとうとう免停になったりもしたのでした。それにしてもこの景色からは、かつてこの高速の下に明治になってから掘られた水路があったなんて、ちょっと解らないですね。僕もそうでした。けれど、ここが「物や人を運んでいる流れ」であるということは、今も同じです )
NO.1755 大阪市北区堂島2丁目大阪デザイナー専門学校
2017年6月6日
(*↑ 大学を出て一度就職してから1年半で辞めて、この「大阪デザイナー専門学校」に入り直しました。1986年に入って1988年の春に卒業したことになります。当時僕はもう24才を過ぎていたので、高校を出てすぐに入ってきた他のコたちとの間にかなりギャップを感じたりもしていました。でも、同じように20才を過ぎてから来ている人もいたりも何人かいました )
NO.1754 大阪市北区堂島2丁目大阪デザイナー専門学校
2017年6月6日
(*↑ ここへ通っていたのは2年。なんだかあっという間だった気がします。自分が働いて貯めたお金で行っていたため、最初の一年はもう熱心に勉強したものです。でも、ここで先生に紹介してもらった会社WCCへアルバイトに行くようになり、そちらが面白くてだんだんと学校には熱が入らなくなっていったのでした )
NO.1753 大阪市北区曾根崎新地2丁目
2017年6月6日
(*↑ 小学館ビルの南の入り口の位置から道路を挟んで南側を見ると、空いた土地があり自転車置き場になってます。これは僕がここに通っていた当時からだいたいこんな感じだったような気がします。こんな一等地が25年以上ビルも建たずにそのまま残っているなんて不思議です。そして、その向こうに見えている建物が、WCCで働く前に通っていた「大阪デザイナー専門学校」です )
NO.1752 大阪市北区曾根崎新地2丁目小学館ビル
2017年6月6日
(*↑ NO.1751と同じ南の入り口をちょっと斜めから見たところです。もうWCCも無いですが、つい、入って行きたくなります )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。