「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回も、
またまた阪神芦屋駅近くから出発します。
今度は芦屋川の西側の地域を通って、
JRの線路のあるあたりまで北上していきます。
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1563 芦屋市前田町仏教会館
2016年4月22日
(*↑ 公益財団法人「芦屋仏教会館」です。「仏教」という名がついているけれど日本建築ではなく洋風っぽく、しかしよく見るとインド風でもあったりするユニークで素敵な建築物です。ここについては子供時代からよく見てましたが、そう詳しい事は知りませんでした。しかし、今回調べて少し解りました。まず、ここを作ったのは丸紅と伊藤忠商事の創業者・伊藤忠兵衛で、彼が精神教育運動として財団法人「崇信会」をおこし、その活動の拠点として建てたのがこの会館だそうです。芦屋川を挟んで西側、今は「松の内緑地」になっているところにあった「崇信幼稚園」は、その付属施設として作られたものだったそうです。この会館の設計は、大阪の中之島公会堂などを建てた片岡安という方だそうで、ここも戦争と震災を乗り越えてきた貴重な建物になります )
NO.1562 芦屋市前田町仏教会館
2016年4月22日
NO.1561 芦屋市前田町
2016年4月22日
(*↑ 芦屋川と国道2号線の交わるところの北西の角に、昔からある大邸宅です。ここはもう僕が子供の頃から、いや、たぶんもっと前からこんな風に〝黒塀〟が続く大きなお屋敷です。ここのお家とは全然まったく残念ながらちっともご縁はありませんが、でも、これが今もここにあるのを見ると、ちょっとホッとしてしてウレシイ気持ちになります。今後もこの川沿いの角に君臨し続けてほしいと思います )
NO.1560 芦屋市前田町
2016年4月22日
NO.1559 芦屋市前田町
2016年4月22日
(*↑ 黒塀のお屋敷の芦屋川を挟んで前に、「芦屋市民センター」があります。こんな風にルナ・ホールがそびえて見えています )
NO.1558 芦屋市前田町業平橋
2016年6月8日
(*↑ NO.1505やNo.1555と同じく「業平橋」の欄干の端の柱(親柱?)と街灯です。これは橋の北西位置にあるものです。ちょうど向こう左の方角に「市民センター」があります )
NO.1557 芦屋市前田町ハナヤ勘兵衛
2016年4月22日
(*↑ 建物はもう昔とは違いますが、子供の頃に父親に連れられて何度か来たことのある、カメラ関係専門店の「ハナヤ勘兵衛」です。ハナヤ勘兵衛さんといえば昭和初期から活動をはじめた写真家としても有名で、「日本の写真史」みたいな本には大抵掲載されている方です。そのハナヤ勘兵衛さんが1929年に開いて今も続いているのがここです。といっても、そういった事を知ったのは大人になってからで、子供の僕はここに来るとただただ、店内全面に置いているカメラにドキドキしたものです。この周辺は阪神淡路大震災ではひどかったエリアで、当時の「ハナヤ勘兵衛」の店舗もその時に倒壊の被害にあったようですね )
NO.1556 芦屋市前田町芦屋サウザンドビル
2016年4月22日
NO.1555 芦屋市川西町業平橋
2016年6月8日
(*↑ 「業平橋」の南西位置にある欄干の端の柱と街灯です。ここは「業平橋」という名前が彫られています )
NO.1554 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル
2016年4月22日
(*↑ 昔、出来た時はなんだかとてもオシャレな感じがしたビルです。ファンの間では有名ですが、村上春樹さんの初期の作品の中で何度も出てきた「ジェイズ・バー」の三代目のお店のモデルは、ここのビルにあったバーではないかという話です。個人的には子供の頃、母親が友だちと行って美味しかったということで、そのあとで僕ら子供たちをここにあった「シェ・イコマ」というフランスレストランに連れて行ってくれた、ということをよく憶えています )
NO.1553 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル
2016年4月22日
NO.1552 芦屋市川西町芦屋サウザンドビル
2016年4月22日
NO.1551 芦屋市川西町ピーコック
2016年4月22日
(*↑ ピーコックはもともとは大丸系列のスーパーで、今はイオンの系列のKOHYOの系列で、って、ああややこしい。とにかくもう今はどこもかしこもイオン系なのかい? てな感じです。しかも、この写真は2016年撮影ですが、調べたらここは、(これを書いている時点での)今年の2017年2月15日に閉店したみたいです。ここは2006年から1年芦屋に住んでいた時期によく買い物に来たのですが、そうですかぁぁ )
NO.1550 芦屋市川西町ピーコック
2016年4月22日
NO.1549 芦屋市川西町ローソン芦屋川西店
2016年4月22日
(*↑ このローソンが芦屋で最初のローソン(のはず)です。1970年代の後半だと思います。ここが出来た時には「ローソンという店名のコンビニというものができたらしい」なんて言って、家族とわざわざ来て買い物をしたりしたのを憶えています。何を買ったかは憶えていないのですが、どうせたいした物は買っていないでしょう。「あそこに何かが出来た」とかいうとすぐに行ってみたりする家族でした。いや、時代的に全体として、そういう「お子さま」な時代でもあったのかもしれません )
NO.1548 芦屋市川西町カトリック芦屋教会
2016年6月8日
(*↑ NO.1497〜1501の「カトリック芦屋教会」を川の西岸から見たところです )
NO.1547 芦屋市川西町カトリック芦屋教会
2016年4月22日
NO.1546 芦屋市川西町
2016年4月22日
(*↑ ここはほんとに美しい感じに松並木になっている川べりの道です。この道も「ウルトラセブン」の『ウルトラ警備隊西へ』の回のロケに使われています )
NO.1545 芦屋市川西町
2016年4月22日
(*↑ 阪神電車の山側の道路〝鳴尾御影線〟が芦屋川を渡る橋の上から、山側を写しました )
NO.1544 芦屋市川西町阪神芦屋川
2016年4月22日
(*↑ 阪神芦屋駅には西側にも小さな改札口があります。芦屋川の西岸からの利用が出来るようにです。そこをさらに西へ出たところがここです。立っているところの左に、たこ焼き屋さんがあります。この写真の右後ろ位置には、踏切があります )
NO.1543 芦屋市平田北町芦屋川
2016年6月8日
(*↑芦屋川には実祭の川の流れの両脇に遊歩道があり、そこには緑も多くてブラブラと散歩するにはとてもいいところです。川の水は普段はそんなに多くは無いですが、海と山の近いこの辺り(西宮あたりから神戸)の河川の特徴で、雨が降ると短時間で一挙に水かさが増えます。まぁそれにしても芦屋川も、昔に比べたら普段の水量が少し増えた気がしないでもないです。これは南の海側を見ています )
NO.1542 芦屋市平田北町芦屋川
2016年6月8日
(*↑ NO.1206あたりにも載せた、芦屋市役所です。川向こうから )
NO.1541 芦屋市平田北町芦屋川
2016年6月8日
(*↑ これは北・山側を見ています。左に見える松の並びが美しいです。まだ町になるずっと前、明治よりも前にはきっと松がもっと沢山あって、京・大坂から西国に行く道中の人たちにはかなりな絶景だったんだろうなぁと想像します )
NO.1540 芦屋市平田北町阪神電鉄芦屋駅
2016年4月22日
(*↑ 正面は阪神電車芦屋駅のホームです。2006年夏から約一年芦屋に住んでいた頃にここを散歩していて、川辺を歩いているカップルを「あ、仲良く微笑ましくて絵になるなー」なんて見ながら歩いていたら、ちょうどこの前の低い松の木の枝にアタマを軽くぶつけて、かぶっていたニットキャップが後ろに飛んで落ちました。すると前の芦屋駅のホームに立ってどちらもキャップ帽をかぶっていた二人連れのキレイ風の女性たちが、それを見ていて「ゲハァヘァドハッハッグハハハハッ〜」と大きな笑い声を上げました。「せっかくキレイ風なのに、めちゃくちゃ品がない笑い方するんだなぁ」なんて思いつつも、「テヘヘ」とちょっと恥ずかしげに帽子を拾ってまた歩きはじめた、なんて、そんなことがあったところです。彼女たちは今、ゆったりとして出来ているでしょうか? )
NO.1539 芦屋市精道町
2016年4月22日
(*↑ 阪神電車芦屋駅のすぐ南にかかっている川の向こう側に渡る小さな橋から。南側を見ています。左に見えているのが芦屋の市役所です )
NO.1538 芦屋市精道町阪神電鉄芦屋駅
2016年4月22日
(*↑ 左が阪神電車芦屋駅のホームです。No.1539の芦屋川をまたいでいる小さな橋からです )
NO.1537 芦屋市精道町阪神電鉄芦屋駅
2016年4月22日
(*↑ 川べりの歩道と駅及び市役所を結んでいる横断歩道から、阪神芦屋駅を見たところです。駅の南に位置します。このすぐ右側うしろ方向の道路上に浜手方面に向かう阪急バスの乗り場があって、そこでよくバスを待っていたものでした。 )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。