数日前に、
友人S君から年賀状が届いた。
そこに、
とあった。
戻ってきたハガキに改めて住所を書き直して、
再びポストに入れてくれたようだ。
「ありがとう、申し訳ない」と思った。
届かなかった理由は、
住んでいる場所は全く変わっていないのだけれど、
8年前の2008年に、
この地域の住所表記が変更になったからだ。
で、
S君の届かなかった最初の住所はたぶん変更前の古い住所だろう。
それでも普段は、
古い住所のままのものでもたいてい届くのだけどなぁ。
もう、そろそろそれでは届かなくなるのかなぁ。
古い住所を憶えていて現住所に当てはめる事の出来る、
ベテラン局員も年々減っていくもんな。
そういった理由でなければ、
今回はたまたま、
「年賀状はアルバイトのコが仕分けしていて解らなかった」
ということかもしれない。
どちらかだろう。
もちろん、
その8年前の住所表記変更後に、
主な仕事関係にはお知らせしているし、
(それでもしばらく昔のままだった場合もあった)
友人知人には、
2009年用に出した年賀状の裏面(宛名面)に、
自分の住所の近くに一言メッセージと共に、
赤い色で「住所変わりました」と記入して送った。
けど、
年賀状ってものは、
意外と裏面(宛名面)はサッと流し見する、
もしくはマジマジとは見ないのかもしれない。
だいたい僕の年賀は、
表面の絵柄に力を入れていているので、
そこには絵以外は何も書かないようにしている。
自分の住所とメッセージは裏の宛名面だ。
加えて、裏を見て名前を確認しなくても、
表の絵ですぐに僕だとわかるので、
「おーっ佐野の年賀やー」っていうんで、
絵をみたらひっくり返さずに、
もうそれで終わってそのままになったのかもしれない。
が、
こんなことを書けば、
「えーっ? そんなこと無いで! ちゃんと裏もひっり返して見るで」
とS君に怒られるかもしれない。
だからS君をフォローしたい。
視点を別にしてみよう。
実は、
S君の年賀状を見てみると、
宛名の住所がパソコンに登録しているプリント印字だ。
つまり、
もしかしたら、
僕が2009年に送った、
住所表記変更を明示した年賀を手にしたときは、
「おっ、佐野住所変わったんか、登録し直しておかんとあかんとな」
と思いつつ、
そのまま元旦はおせちを食べて、
近くの神社に初詣に行って屋台でタコヤキを買って食べて、
帰ってからお酒をちびちびしながら、
テレビ見てアハハーと笑っているうちに、
ついうっかりとそのままになり、
あっという間に一年経って、
僕の住所が変わったこともすっかり忘れて、
年賀の準備の時にパソコン年賀ソフトを開いて、
「住所・一括プリント」のボタンをポチッと押しちゃって、
それ以降毎年、
そのままポチッと押しちゃったのかもしれない。
もしくは、
元日・2日は田舎で過ごし、
帰ってきてから郵便受けを見ると年賀状。
「おっ、佐野住所変わったんか、登録し直しておかんとあかんとな」
と思いつつ、
そのまま4日はゴロンと寝ながらテレビ見て、
お酒をちびちびしながらアハハーと笑っているうちに、
ついうっかりとそのままになり、
あっという間に一年経って、
僕の住所が変わったこともすっかり忘れて、
年賀の準備の時にパソコン年賀ソフトを開いて、
「住所・一括プリント」のボタンをポチッと押しちゃって、
それ以降毎年、
そのままポチッと押しちゃったのかもしれない。
いやいや、
こんなことを書いたら、
「なんかそれ、オレアホみたいやないかー」と、
S君に怒られるかもしれない。
だから、
さらにフォローしたい。
よく考えると、
ひとつ、
S君にはぜんぜん何も責任が無い可能性もあった。
それは、
「2009年はS君は喪中だった」
という場合だ。
(実際はどうだったかは忘れちゃったけれど)
これなら、
僕はS君には年賀状を送っていない。
だから、
僕が「住所表記変更」されたことを、
S君はそもそも知らなかった。
ということになる。
となると、
僕の住所の登録がそのままなのも、
去年までずっと古い住所で送られてきたことも、
至極当然のことだ。
で、
僕の場合なら、
年賀状の相手の宛名は必ず、
去年もらった年賀の住所を見ながらペンで直接書いている。
だから、
去年の年賀状の住所が正しければそのまま届くし、
そうやって目で見るだけでなく、
手で書いたりしていると、
たまに「あれっ、これ前の住所と変わってるんとちゃう?」
と気がついたりもする。
しかし、
パソコンに登録している住所は、
当然ながらパソコンが勝手に気づいてはくれないので、
そのままなのだなー。
そして、
そのあと、
僕が以前と変わった住所をちゃんと明記して年賀状を送っても、
S君はそれを見ていない。
いや、見ても、その前と違うことには気づかない。
まぁ、そんなものかもしれない。
「見えているけれど見ていない」
多くのことがそういうものかもしれないなぁ、
と思ったりするのだ。
あ、
僕は別に、
遠回しに、
S君にイヤミを言っている訳ではない。
むしろ、
こういうことを書いても決して、
「ブログに書かれましたわぁ、あれってどうなんでしょうかぬぇぇぇ!」
なんてケチくさい事をグチュグチュ言ったりしない、
大人の男のS君だと解っているので、
ちょっと書かせてもらった。
それに、
ここまで読んで気が付いた人もいるかもしれないけれど、
だいたい、
そりゃS君も8年間僕からの年賀の住所が、
変わっているのに気づいていないかもしれないけれど、
一方
「S君からの年賀状が毎年旧住所で来ていた」
ということに、
僕の方だって全く気づいていなかった。
いや、
一通だけで来ている手紙とかならば、
気づく可能性も高いと思うけれど、
ドカッと来る年賀状は、
サササッと順に主に表面を中心に見ていくので、
住所の方は目に入ってもちゃんと見ていない。
つまりは、
「見えているけれど見ていない」
ことがあるという点では同じなのだなぁ。
お互い様だ。
さて、
もう一発、書いておこう。
実は、
先日、
FaceBookを見ていると友人が写真をアップしていた。
なんだかちょっとユニークな銅像だったのだけれど、
背景に「東急ハンズ」が写っている。
彼の基本のテリトリーは神戸だから、
三宮の東急ハンズの可能性が大なのだが、
「んんん? 三宮のハンズ? 近くにこんな銅像あったっけ?」
と思った。
ので、
昨日ハンズに行ったついでに確認してみると、
あった。
「へーーー? こんなとこに、こんなんが、あったん?」
ハンズの丁度交差点を挟んで対角になる角で、
前に「ダイコク」という薬局があるところだ。
ここは今までさんざん通っているけれど、
こんな銅像があったなんて、
今の今まで知らなかった。
いや、
視界には入っていたかもしれないけれど、
気づいていなかった。
ほんとに、
「見えているけれど見ていない」
そういうものはきっとタクサンあるんだろなぁ。
そんなこんなです。
✓