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先月、本家のサイト「なごむアトリエ」の方に作った、「今までパズル雑誌に描いたイラストを紹介するコーナー」へ、「2008年から2012年までに描いた分を載せておくページ」を追加しました。2002年から、マガジンマガジン社発行のパズルメイトシリーズのパズル雑誌に、描いたイラストたちのうちの、2008年〜2012年の5年間分です。たとえば、こんなのとか、 (▲2008年『スーパークロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2009年『プレゼント特盛り 懸賞クロスワード』誌)こんなのとか、(▲2011年『スーパークロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2010年『コンビニ限定クロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2012年『コンビニ限定クロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2011年『ナンクロメイトDX』誌)こんなのとか、 (▲2010年『プレゼント特盛り 懸賞クロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2008年『コンビニ限定クロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2009年『プレゼント特盛り 懸賞クロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2012年『コンビニ限定クロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2010年『コンビニ限定クロスワード』誌)こんなのとか、 (▲2010年『プレゼント特盛り 懸賞クロスワード』誌)を載せてます。
では、例によって、そこへのリンクを。まず、「なごむアトリエ」のトップページから、順番に律儀に見ていきたい方は、ここからどうぞ。↓そして、「いやいや、そのコーナーのトップページから見たいなー」という合理主義のアナタは、こちらからどうぞ。↓そんでもって、「もう、そのページだけにパーッと行ってサーッと見たい!」というせっかちな方や、「まずはそこへ行ってから、遡って手前のページも見てゆきます」という凝り性でキチッとしたアナタは、2008年〜2012年のイラストがまとめて載っているページへ直接どうぞ。↓今日はこれだけ。そんなこんなです。
「日本には資源がない」という言い方は、昔からよくされてるけれど、こないだフト思った。日本って今、めちゃくちゃ資源があるんちゃう? ほら、日本人って、なかなか捨てられへんやん?若いコはそうでもないかもしれへんけど、特に昭和を経験した人たちで、昔から変わりの無い感じでずっときた人たちは、まぁ「80%くらいの割合」で、ものを捨てたくてもなかなか捨てられない、と思うのなー。もう家中に色んなものがどっさりある人が、この国には一杯いる気がするのな、「フランス人は10着しか服を持たない」みたいな本が、結構評判になるくらいだから、絶対に捨てられない人が多いのだ。しかも、「豊かな日本」と言われてからもうずいぶんな年月。「高度成長期」「バブル期」「低成長のデフレ安く買いやすい期」をくぐってきて、各家庭に眠っているものが、ずいぶんとある気がするのだ。で、その中には、まず、繊維の資源元となる洋服などがある。それから、紙の資源がある。いづれも再生可能だ。そして、普通の金属の資源、貴重な金属の資源。これらは、電化製品やIT機器の中に多くある。それから、プラスチック資源が山ほどある。「石油」というこの国では取れないものを利用して、作ったものが山ほどある。コンビニや100均や家電量販店にいけば、山ほどあって山ほど解る。「ワタシ、性格的にモノが捨てられる、捨てられない」とか、断捨離とか「運を切り開くために捨てよう」とか、逆に、もったいないから捨てられないとか、そういう個人勝手な次元とか越えて、それはね、大切な資源なんよ、きっと。僕らが豊かさに調子こいで買ったものは、たぶんほぼ全て、今は資源になるのだ。これは、「日本が内にためこんだ資源」だと、今は、そう思えてならないのだ。 これらは、ただ焼却してしまうのは、絶対にもったいないぞーっ!それらを活用する手は無いと思うし、それを気軽に今よりも再利用しやすい仕組みを作るべきと思うのだけれど、この国の最トップは今、「日本を守るには戦いも必要です」という、リアルタイムのことしか考えていないので、まぁそういった対策は眼中に無いだろうなぁ。「ゴミの問題は自治体にお任せしていますから」なんだろなー。ゴミじゃないぞー、資源だぞー。どう考えても。資源の有る無しは、「戦争をおこす、おこさない」理由の、ひとつのなるのだがなー。 こんなことを考えるようになったのは、僕が住んでいる神戸市が、数年前から、「分別ゴミ収集」をするようになってとからだ。それまで、「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の、2種類で出していたゴミが、「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「容器プラスティックゴミ」「ペットボトル缶ビンゴミ」「新聞雑誌古紙」の分別に変わった。そうなって最初は、「めんどくさいなー、イチイチそれぞれ出すのはー」と思ったりもしていたけれど、ある時点からふと、「これはでも、すべていくらでも再生のきく資源なんよなー」と思いだしてから、ちょっと考え方が変わった。絶対これはなんとか有効に活用した方がいいよなーと。モノをリサイクルせずに単に燃やしてしまったら、宝の山をドブに捨てるようなものじゃないのか?「まぁ、そんなことゆうても、いろいろ難しいことがあるんとちゃいますかぁ」なんて80年代的なことをダミ声で言っているのでは、もう済まされないような気もするのだ。せっかく冷蔵庫にある食べ物を、そのまま食べずに腐らせてしまうのに近いような気がするのだ。そして、そういう、自分の近くの「冷蔵庫的」なことに細かくウルサイ人に限って、こういうことを言うと、「まぁ、いろいろ難しいことがあって難しんとちゃいますかぁー」とか解ったようなことを言いそうなところが気に入らないのだ。 けど、正直、それらの、家々に眠っている資源を、活かすようなことをする政策をすぐに実行するのは、この国ではなかなか難しいだろうなー、というのが正直なところ。けれど、たぶん、あと100年か200年か先に、資源に切羽詰まって、今現在、燃やしきれずに海に埋め立てたものを、ふたたび掘り起こして再利用しようと、「やっきになって堀り起こしたりしている」ようなことになっている気がして仕方ないのだ。その時はきっと僕は死んでこの世にはいないと思うれけれど、なんだかその時の日本では、そういうことをしている気がしてならないのだ。かつて、自分たちで汚してさらにコンクリートで固めた川に、ふたたび岩をおいて砂を入れて草を生やして、川の生態系を再生してみたりしている、という今現在から考えても、人の世は、ほんとに懲りないなぁ、と思ったりするのである。そんなこんなです。 いやいや、「そんなこんなです」じゃないよー。活用しようよー。家々に眠っている、将来からみたら「めちゃくちゃ貴重」な資源をさーっ。
『はっぴい! アロー&スケルトン』誌の、イラストが完了。
編集部からのお題は、「思いっきりかきこみたい どんぶり大好き!」↓ 編集部からのお題は、「若い子には伝わらない?? それって… おやじジャスチャー?」↓ (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)で、例によって、パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。「どんぶりもの」<とワタシ>それでは、上の絵に書かれているであろうそれぞれのどんぶりと、ワタシについて述べたいと思います。「親子丼」は昔から好きです。若い頃から、うどん屋さんに入るとよく頼んでいました。「親子丼がおいしい店は他のものも美味しいんや」なんて解ったようなアホな80年代的言い方をして喜んでいた頃もありました。それはたぶんきっと、必ずしもそうだと決めつけることは出来ません。それはそうとして、今でも、うどん屋さんやおそば屋さんに入って、どんぶりものにしようかと考えた時は、まず「親子丼」をアタマに思います。逆に「あ、なんか親子丼食べたいなー」と急に思って、それを目当てにお店に入ることもあります。親子丼というものはやはりトリ肉なので、コクがありながらもアッサリしているのがいいですよね。それから、卵の状態についてですが、まるで卵焼きがドサッとご飯の上に乗っているかのような固いものとか、ほとんど生卵みたいな柔らかすぎるものとかではなく、それが半々くらいの程よい感じのものが、ワタシは好きです。 「中華丼」も昔からよく注文していました。「ご飯と色んなおかず」が一度に食べられるような、お得な満足感が好きでした。若い頃はこれプラス「ラーメンと餃子」なんてことも出来ましたが、最近ではさすがにそれは無理です。「中華丼」単品で充分です。それに、そう言えばこの頃は、「中華丼」単品で頼むことも少なくなりました。何故でしょう。「焼きそば」とかを単品で頼んだりします。以前は、「一食に必ずお米がないとイヤだ!」なんて思っていましたが、最近はそうでもありません。もちろん、日本人としてお米は大好きですが。話がそれました。中華丼の具材は、お店によって微妙に違いますが、「うずらの卵」が乗っているとウレシクなります。そして、食べ方は、酢をちょっとかけて、カラシもちょっとつけます。そう、八宝菜の食べ方ですね。まぁ、要は八宝菜がごはんに乗っているということなので、別にそれでいいでしょう。 「カツ丼」。男性はどちらかというと、ガッツリした「カツ丼」を好む人が多い気がしますが、どうでしょう。僕も嫌いではないけれど、上にもあるように、どちらかというと昔から「親子丼」になってしまいます。それに、年々ガッツリした感じは敬遠するようにはなってもいます。が、しかし、これは若い頃からもそうで、今もそうなのだけれど、ごくごくたまに、お店でメニューを見ていると、「あっ!、今日はカツ丼にしよう! うんうんカツ丼カツ丼!」なんて時があります。で、久々のたまに食べるカツ丼は、ほんとに「美味しいなー!」と思います。 「鰻丼」。うな丼も好きです。昔、子供の頃、神戸は三宮の新聞社会館に通じる地下の短い食堂街にあった鰻屋に(今もたぶんあります)、祖母のいとこである親戚の「京都のおじちゃん」がよく家族共々連れて行ってくれていたので、そう敷居の高いイメージの食べ物ではなかったです。あと、阪急電車の三宮駅の北側の高架下にあった「竹葉亭」といううなぎ屋にも、たまに家族で行ったりしていました。もちろん、「いっつもバンバン食べてまーす」と言うわけではなく、「たまの贅沢」だったのです。まぁ、そういったこともあって、今でも、特に夏になるとやはり「一度は食べておかないと」となります。ただし、チェーン店的なお店などの「鰻丼、安いよー」なんてのでは食べたくないです。やはり、たまになのだから、どうせ食べるのならば、ちゃんとしたところの、ちゃんとした値段の「本当においしーい鰻丼」を食べたいです。いえいえ、別に、「リッチな人」ではありません。そういった「たまの贅沢」という文化が日本にちゃんとあった頃の、末裔だ、というだけの話です。 「鉄火丼」。うん、これもいいですね。好きです。「海鮮もののお店」に行けば、かなり「選択率」の高いどんぶりです。魚介類のどんぶりものは「カツ丼」などよりも、なんだか「健康的」な気分になれたりします。特に、「こってりしたものはもういらないなぁ」なんて時には、あっさり目なのでいいですね。ワタシは昔から「鉄火巻き」などに馴染みがあったせいか、トロの身よりも赤身の方につい手が行きます。だから、赤身の「鉄火丼」の方が、「ネギトロ丼」よりも好みと言っていいかもしれません。 「ウニ丼」。ワタシは「ウニ丼」を食べたことがあるのか、ちょっと考えてみました。もしかしたら、「ウニ丼」は食べたことがないかもしれません。いや、ウニ自体は大丈夫です。好きです。飲みになど行って、いろんな流れの中でたまーに、値段もしっかりと付いている「ちゃんとしたウニ」を少しだけ食べたりすると、本当においしいと感じます。だからこそ、「ウニ丼」は逆に難しいと思います。「ウニ丼、安いよー」なんてところで食べて、ガッカリしたくないです。やはり、安いならば「漁港のすぐ近くの全てが新鮮なお店」とか、街ならばやはりちゃんとそれなりの値段のするお店で、ちゃんとおいしい「ウニ丼」を食べたいなぁと思います。だからなのかたまたまなのか、そういう自分の選択が無意識的に働いてなのか、食べたけど忘れてしまっただけなのか、それは憶えて居ないけれど、でも、「ウニ丼」は食べたことないんじゃないかなぁ、と思ったりしています。 「天丼」。同じ油系でも「カツ丼」はたまに食べたくなります。けれどそういえば、「天丼」は本当に食べません。いや、天ぷらが嫌いな訳ではありません。「天ぷら」自体は好きですし、「天ぷらうどん」や「天ぷらそば」は問題なく好んで食べます。それから、「ウニ丼」のように「今まで食べたことがないんじゃないか?」というのでもなく、確かに今までも何かの機会で食べたこともあります。しかし、普段、自分から「天丼」を単体で注文することはほばありません。何故だろうか?と考えてみました。もしかしたら、あのパサパサ感を持つ天ぷらが、そのままご飯にのっているのが理由かもしれません。「カツ丼」はトロッとした卵がかかっているので、自分としてはOKなのかもしれません。そういえば、あの卵が無くてご飯の上に千切りキャベツとトンカツだけがドンと乗った「カツ丼」を出すお店に行ったことがあります。「うーん、なんだか違うなー」と思ったように憶えてます。「それなら、このトンカツとキャベツを別のお皿に入れてほしいなー」なんて感じたように思います。たぶん、ワタシの場合は、カサカサッとしたものがどんぶりの上に乗る場合、なにか半液体でつなぎ的になるものが無いとイヤ、という感覚をもった個体なんじゃないかと思います。最後に「イクラ丼」。一見、「ウニ丼」のポジションに近そうに思われます。ただ、「イクラ丼」の場合は「イクラ丼、安いよー」というものでも、食べてしまうかもしれません。その「ビミョーな違いは何なのですか?」と聴かれても、本人も上手く説明できそうにないのですが、もしかしたら、スーパーで買う「チラシ寿司」に、2.3粒ほどイクラが乗っていることに、関係しているのかもしれません。いやこれでは余計にわからないですね。とにかく「いいイクラ丼を食べたい」と思いながらも、「安いイクラ丼」のことも許せてしまう、そんなよろめきな感じのワタシです。以上が、それぞれのどんぶりと、ワタシについてのことです。そんなこんなです。
「まちがいさがしメイト」誌の、問題も考える2問分が完了。まずは、〝なごむ亭元楽〟名義のペンギンパズルが完了。 それから、チュンチュンの間違い探しが完了。 いつも、パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く、なのだけど、またまた今回もそれはお休み。少し前から計画している「スーツ購入」の為に、本を読んでいろいろと学んでみたり、 ベランダの椅子に座って鉛筆で絵を描いたり、 阪神電車のホームで、阪神タイガース80周年記念電車見かけたり、 もう真夏のような日ざしを見つめたり、 一転してけだるい雨の日にもちゃんと身を置いたり、 用事で出かけた帰り、阪急梅田の駅の喫茶ルームで、ふと、行き交う人を見ながらビールを飲みたくなって、やってみたり、 文楽を紹介している本を読んで、昔の日本人の作った巧妙に複雑に入り組ませた物語と、「情が基本」のそのスタイルに、レベルの高さと新しさと深さを感じて、「うーむ」と関心して思ったり、 と、このように、ワタクシの日々は、ちょっと前に通りかかったお寺の表にかかげていたお言葉のように、なのである。(こういうのに「ケッ」とか思った人、アカンアカン、古いでぇ。 80年代はとっくに終わってんでぇ)そんなこんなです。
まずは、次の次の号のセブンイレブン発売『ラッキー! クロスワード』誌の、〝なごむ亭元楽〟名義のコンビニヒーローパズル完了。それから、次の次の号の『スーパークロスワード』誌の、同じく〝なごむ亭元楽〟名義のネコパズル完了。 (C)Hajime Sano(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)で、例によって、パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。「セブンイレブン」<時代で変わる>1984年の3月だから、もう30年も前、22才の時に初めて一人で東京に行った。2才上のサークルの先輩が二人、東京で働いていたので、そこを訪ねて遊びに行った。先輩の一人モリカワさんはたしかアパレルの営業で(たしか)、ミヤガキさんの方は関西の地元の就職先をやめてから、横浜の米軍基地で英語を使って働いていたとかだったと思う。今、どうしているのかなぁ。あれ以来、二人とも会っていない。 その頃の東京は、今の感覚で思うよりもかなり遠く感じた。人によっても違うかもしれないけれど、今の僕で例えるなら、海外に行くくらいの感覚があった。と言っても、僕よりさらに上の世代の人に比べたら、もう近くはなっていたと思う。東急ハンズの関西一号店が大阪の江坂に出来たのが、丁度そのちょっと前だ。テレビでの情報量も多くなっていたと思う。でも、やっばり、気持ち的に遠くて、関西には無いものがたくさんあるという、あこがれの場所でもあった。時代もまだまだ沈んでいない良い時代だったし。いろんなものがキラキラしてたし。テレビの「笑っていいとも」が始まってからまだ1年半くらいで、友人たちの間でもかなり流行っていたので、その収録が行われていた新宿アルタの前まで行ったりもした。「東京が何より中心の一番の正解です」ということに、誰も「異議」も「疑問」も「不満」も「馬鹿みたい感」も、あまり持たなかったころだ。もちろんそれはそれで、タノシク感じることも多くあったのだけれど。 で、その時の旅行のおりに、東京で初めてセブンイレブンをみた。もちろん、コンビニは関西にもあった。ダイエーが親会社だった関係だからか、神戸や阪神間でローソンがすでに巾をきかせていた。でも、セブンイレブンは、まだ関西には出てなかった。たぶん、雑誌か何かで知ってはいたのだろうと思う。「ああ、これがセブンイレブンかー、へぇぇ〜」なんて、その時に思ったりした。ちょっと感動した。今では考えられない。それこそ馬鹿みたいだ。セブンイレブンはもう、関西でもフツーに街のアチラコチラで見かける。 その東京旅行から9年くらいたってからの数年の間、色んな巡り合わせでパソコンで作品づくりをするようになって、頻繁に東京に行っていた期間がある。さらに、今から6〜9年くらい前にも、よく東京に行っていた時期がある。行くたびに、次第にワクワクは無くなる。まぁ、「慣れてきた」というのもあるだろうし、それから個人的に段々と、「大きなお店や企業のことにもうあまり関心と魅力を感じなくなった」ということもあるだろう。個人的にそうなったのには時代の流れもあるだろう。また、建物がどんどん大きく先鋭的になって威圧感が増して、気持ち的に疲れてしまうというのもあるし、そういうものを自分としてはもう、あまり求めていないからということもあるのだと思う。けれど、何よりも、駅を降りて軽く歩いても、あんまりもう、感じが変わらないのだ。こっちでも知っているコンビニがあって、こっちでも知っているカフェがあって、こっちでも知っている電話会社の店舗があって、こっちでも知っている…。ああいった、「ひゃ〜知らない、知らない、ここって初めてだらけだわ〜」みたいなワクワク感が次第に少なくなってしまった。そればかりでもないだろうけれど、それもやはり大きいかな。そういうワクワク感を味あおうと思ったら、もう外国に旅するしかないなぁ、なんて、今は思ったりするのだ。(もちろん「おんなじ感じの方が安心でワダジは好きですわ〜」という人はこんな感じの方がいいのかもしれないけれど) あ、そういえば、2年前に初めて広島に行ったときに、「路面電車が道路をバンバン走っている」光景を見た時の方が、今や感動的だったな〜。そんなこんなです。