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1.2.3ッ | ♪根菜 こんさい/ | ♪こっちへ 来んさい/ | ♪根菜 こんさい/ | ♪ほったいも〜/ | ♪昔は冷たくしたけれど〜/ | ♪今こそオイラに染みこんで〜/ | ♪カモン!/ | ♪カモン!/ | ♪こーんさ〜い〜ぃっ/ | ♪イエ〜/ | ♪イエ〜/ | ♪こんさ〜 い〜 Uoo-/ ジャーン♪ダカドンッ!そんなこんなです。
どうでもいいようなことなのだけれど、「たまたま」という言葉を書いた時に、書いた文字を眺めていて、ふと思った。「またまた」のことを。「たまたま」と「またまた」は、文字の並びが違うだけで、見た目は非常に似ている。でも、内容的には、ぜんぜん違う。回数的に考えるとかなり差がある。やんな?「たまたま」は、まぁ、年に数回とか、多くて月に2回だとか。一生に一回でもいいかもしれない。しかし、「またまた」は、少なくても月に2.3回。多いときは毎日でもいいくらい。一生に一回だとまたまたとは言わない。 例えば、「たまたま幽霊が見えて、怖かったー」なんて場合は、たまたまに幽霊を見てしまったんだ。しょっちゅう見ているわけでは無いので、今後その場所は出来るだけ行かないように避けていれば、大丈夫かもしれない。しかし、「またまた幽霊が見えて、怖かったー」となると、そんなに何度も見てしまうならば、ちょっと一度その筋のヒトにみてもらって、おはらいなどしてもらった方がいいかもしれない。 こういうのはどうだ。「たまたま歩いてたら良さそうな店があったので入って飲んだよー」うん、一軒目って感じだ。もしかしたら最初は飲むつもりで歩いていたのではないかもしれない。そして、この一軒で帰ったかもしれない。しかし、「またまた歩いてたら良さそうな店があったので入って飲んだよー」おまえ、それ、何軒目やねん。もうかなりヘベレケなんとちゃうんか?いや、今日は一軒目だとしてもよ、その場合は、昨日もおとついも飲んでたなー?そして、なんか、この後も違う店で飲みそうだコイツ。そんな感じ。 さて、「またまた」の方には、もうひとつ見た目が非常によく似いている言葉がある。「 ゛(濁点)」がついた「まだまだ」た。こんどは、増えたぞ。「またまたごきげーん!」と叫ぶとき、その直前にはちょっと「普通」な時があった感じだが、「まだまだごきげーん!」となると、もうさっきからずーっとご機嫌だ。そしてまだまだしばらくご機嫌は続きそうだ。ご機嫌の量がより沢山な感じだ。よかったなー、へん! ちくしょう!ところが、一方の、「たまたま」に「 ゛(濁点)」をつけると、「だまだま」だ。この言葉で文章を作ってみると、「ホットココア作ってたらココアがだまだまになってさー」とか、「このセーター、袖のところがだまだまになってしまってーん」とか、そんな例文しかできない。そもそも、言葉のポジションが全く違うんだな。 「彼に、たまたま会う」ほぉ。「彼に、またまた会う」おおーっ。「彼に、まだまだ会う」ひゅ〜。「彼に、だまだま会う」え? 大丈夫? どうしたの? 何かあったの? なんて、そんな風に、「たまたま」と「またまた」で、アレコレ考えてニヒニヒしてみたりした、2月の最終週の月曜日、すっかり陽も長くなった夕方5時すぎなのでした。| ……ほんまに、どうでもいいような話やなぁ… / そんなこんなです。
どうってことないことだけど、気分を変えてスッキリするためのこと。椅子のカバーを、赤に替えてみたり。「一時期ハマっていたけれど、 そういえばここ数年ぜんぜん食べていないなー」と思い出して、久々にキンカンを買ったり。 ふと、自分の持っている、カバンや靴や洋服を、買っただいたいの年とブランドとサイズと、そしてその姿を、ちょっと全部記録してみる気になったり。 「春はもうちょい」と期待しながら、ワサワサと。そんなこんなです。
パズル誌のイラスト、2誌分まとめて完了。まずは「絶品ナンクロメイト」誌のイラスト。
編集部からのお題は、「感動の名作を生む シナリオ」↓ 編集部からのお題は、「いったい誰なのか? 後継者」↓ 編集部からのお題は、「美しい音色で聴衆を魅了する ハーモニー」↓ そして「クロスワードOn!」誌のイラスト。編集部からのお題は、「先んずれば制す 速さで勝負!」↓ 編集部からのお題は、「疲れた体をリフレッシュ ほっとひと息♪」↓ (このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)で、例によって、パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。「名作」<子供の頃のこと>子供の頃の我が家に、『幼年世界名作文学全集』という童話全集があった。インターネットでホントに便利になった。こういう時に、記憶をたよりにアレコレ検索すれば、だいたい画像くらいは出てくる。正式な全集名も今回検索して改めてちゃんと解った。検索で出てきた画像をそのまま載せるわけにもいかないので、出てきた画像から絵にしたものを載せると、こんな感じ。一冊一冊がそれぞれこんなボックスに入った全集だった。それにしても、「ネットで便利になった」なんてことを言うのも、まぁあと10年くらいのことなのかなぁ。最初からネットがあった世代はきっとそんなことは言わないな。あ、話がそれた。戻そう、『幼年世界名作文学全集』。そう、子供の頃、これがズラッと本棚に並んでいた。今の子供にはこういうものは与えないのかもしれないが、でも、僕らの頃はまだ、こういうを買って子供に用意するということが、「家庭がなんとか一人前な証し」として、広く一般的にあったんじゃないかと思う。まぁ、経済的な負担もきっとそこそこあっただろうけれど。収録されていた全部の話は覚えていない。いや、もしかしたら、他でも聴いたとても有名な話以外は、今それを聴いたとしてもほとんど覚えていないかもしれない。それに、ああやっていろんな話がいろんなタイプの挿絵つきで載っていると、自然にそれぞれの子供の好みが出てくるんじゃないかと思う。そして、自分で、「この話は別に自分はもう憶えなくっていい」というように選択することもあったんじゃないかと思う。僕の場合、何だったか覚えていないが、挿絵がなんだか怖くてほとんど開かなかった一冊がたしかあった。あと、話の内容的に、「鼻がイチジクの枝になる」か何かの話だったかな?なんだかそれが怖くて二度と読まなかったものもあったように思う。逆に、いい意味で、今でも挿絵の感じをありありと憶えているものもある。「幸福な王子」という街に華やかに作られた王子の銅像とツバメの話は、絵の感じを今でも覚えているし、「すずの兵隊」は捨てられたか落ちたかの場面で、兵隊が斜めにころがっている絵がなんとなく思い浮かぶ。(細かく調べて話の内容をここに書くこともできるけれど、長くなるので興味があったら各自で調べてください)あの全集を読んで、その後何かの役にたったのかどうかは解らない。同じく幼児期に見た(初代)「ウルトラマン」と比べて、どちらが僕にとってより意味があったのかわからない。いや、そんなことを比べても、あまり意味がないなーきっと。また、「何かが何かより、より良い」とか言うつもりもない。けど、思い起こせば、『幼年世界名作文学全集』は、なんだかほんわかしたゆったりした思いが蘇る。当時の部屋とか低い視線とかも含めて。今回『幼年世界名作文学全集』のボックスの画像を見つけたときも、なんだかとても「ほっ」とした気分がした。瞬間的に。まぁ、感覚的にだけでハンパに言うと、つまりはそういうことかもしれないなー。と、思う。「えっ? だから結局、どういうことやねん!」と言うなかれ。だって、そんなこと言われても、わかんない、んだなー。とにかくつらつらと、書いてみた。そんなこんなです。
Hajime Sano
まだまだ寒さは続きそうだけれど、生命は太陽からの位置に敏感で、梅がしっかりと花をつけ始めた。 うむ、いいぞいいぞ。一刻も早く春になりなさい。 2代目のティファールの電気ケトルがダメになった。今回のはダメになるまで早かった。だから、ちょっと考えて、3代目電気ケトルは、日本のメーカーのものにした。デザインはいかにも「日本の電化製品」だが、今回は信頼度を期待してみた。でコイツ。「蒸気レス」ということで、沸かしている最中に蒸気が出ない。さすが、日本ものはコワザがニクイ。 確定申告も無事終えた。以前に書いたけれど、今回からブラウザからネットでログインして入力する会計ソフトを使って最終的なものを出した。まぁ、今年度分でも使ってみる。 ふっと思った。ごく当たり前のことをそれっぽく言うだけで、何か格言っぽく聞こえるのではないだろうか、と。たとえば、●「冬の後、あたたかくなると春になる」当たり前だ。でも、「ほら、昔から"冬の後、あたたかくなると春になる"というじゃないか。君の仕事もいい兆しが見えてきたんちゃう?」とか言うとなんだかそれっぽいじゃないか。●「座っている時は、立っていない」当たり前だ。しかし、「ほら、昔から"座っている時は、立っていない"と言うでしょう?。今のままでいたら、どうにも変わらないんじゃない?」とか言うとなんだかそれっぽいじゃないか。そうか。ことさら「難しく言えば深い話が出来る」、という訳でもないということだ。当たり前のようなものごとが、一番深かったりするのかもしれないな。 知っている人も多いと思うから、エラソに僕が言うのもおこがましいけれど、この国は昔はずいぶん長い間、「神仏習合」だった。神道と仏教が一体化して存在していて、お寺に神社があったり神社の中にお寺があったり。なのに、明治になって一度、神社とお寺をスッバリと分けた。だから、その流れをくんで僕らはどうしても、「神社は神社」「お寺はお寺」と別ものと考えてしまうけれど、そもそも、その前は、長い間この国では、神社とお寺が同じところにあったりしてそれが混じり合い、みんな一度に両方に手を合わせ暮らしてきた。今でも(明治の神仏分離のあとどういう経緯だったのか知らないけれど)、たまに、神社の中にお寺があったり、神様として有名なのに正式名称は「なんとか寺」だったりするところもある。前にここに載せた「清荒神さん」もそうだなー。そもそも日本人がそういう風に混ぜるのが、基本的に得意なのかもしれないけれど、「コノヒトツノシュウキョウガ、オンリーワンデース!」とやっちゃうより、とっても「グローバル」な気が、最近する。昔は、「そういうところがいい加減」と思っていた頃もあったんだけど、なんか、もう、いろんなものが、混ざろう混ざろう。「決まったこういったコレの進み方だけが、ワレワレのフツーちゃいますの?!」てな感じで、堅く仕切りを作るみたいなそういうやり方はもう、しんどいしんどい。ねぇ。が、ここで難しいのは、そういうしんどい人とは正直、混ざるのは遠慮したいんよなぁぁ、やっぱり。アレッ? 電気ポット以外にも、身の回りの「日常的に使っているもの」の幾つかを新しくしようと思う。パズル誌のイラストは2月は2誌分ほど。他の仕事も時間を見て進めて。絵もまたちょっと進めて、暖かくなったら少し外にも出て。もうすぐ春なので、いろいろとまた、シフトしていこう、な最近。 そんなこんなです。
買ってからもう1年半くらいたってしまったけれど、ようやく最近読み進めている、この本。 「Mac世代におくるレイアウト術」というサブタイトルがついているが、「パソコン(Mac)を使ってデザインをするテクニックを教えた指南書」ではない。むしろその逆で、まだ手作業でデザインのレイアウトをしていた時代の、「雑誌が出来上がっていく過程」を、当時の手書きの指定用紙や、実際に仕上がった誌面をそのまま紹介しながら、その頃を知らない「最初からパソコンでデザインをしている世代」に、「当時のマインドや、今にも使えるヒント」みたいなものを伝えている本である。間違いなく、そういう趣旨でもあるんだろうけれど、デザイン関係で無い人でも、興味がある人には読めば充分に面白い本だと思う。 著者の新谷雅弘さんは、「an・an」「ポパイ」「ブルータス」「オリーブ」「鳩よ!」などで、デザイナーとして誌面デザインを作ってきた人だ。「an・an」はそもそも堀内誠一さんという有名なデザイナーさんを、アートディレクター(デザイン全体を統括する立場)に迎えて始まった雑誌で、そのもとでスタッフとして関わり、「ポパイ」「ブルータス」「オリーブ」は創刊号だけ堀内誠一さんで、そのあとの号のアートディレクターを務めたのが、新谷雅弘さんだったそうだ。堀内誠一さんの名前は知っていたが、新谷雅弘さんの名前は初めて知った。僕らが若いころに「面白いなー」と思っていた、マガジンハウスが出していたこれらの雑誌の当時のほとんどが、この方が全体をアートディレクションしていたことになる。 「ポパイ」が始まった頃は僕は高校生で、なんだかそれまでには無かったような雑誌だった。毎号買うようなことはできなかったけれど、書店で見かけるとチェックしたり立ち読みもしたり、「ギターの特集」「60年代の特集」「創刊1周年特集」などの時は買ったり。(「60年代の特集」と「創刊1周年特集」は今でもあるはずだ)「ブルータス」は「ポパイ」の4年後に創刊されて、もう少し大人がターゲットで、こちらは特集がシブかった。映画や写真など文化的なことも多く取り上げていた。友人などは毎号買って下宿の部屋の押し入れの中に並べたりしていて、そこでパラパラと見せてもらったりしたものだ。そのあとに出た「オリーブ」は女の子の雑誌だったけれど、やはり見るからに「ポパイ」と「ブルータス」の流れの雑誌で、たしか、創刊号は買ったように思う。だからまず、そのあたりのことで、僕などはこの「デザインにルールはない」を見ていると、それだけで懐かしい。載っている記事ばかりではなく、全体の感じというか、空気感も含めて。同世代でそう感じる人もきっと多いんじゃないかと思う。で、次に、「昔、何らかの形でデザインや印刷などに関わったことがある」、この人たちが見てもウレシイんじゃないかと。今のようにデザインにパソコンが使われる前の、手作業でレイアウトしていた頃の印刷の指定などが載っているので、「そうそう、やったやったーこうやって指定して、やったなー」なんてちょっとウレシクなれる。レイアウト用紙に直接指定したり、版下の上にトレペを貼ってそこに指定をしたり。赤ペンでガシガシと指定を書いていく。たとえば、なんて指定おけば、(アレッ? BはBlとしてたっけ? Kにしてたっけ?)印刷所を通ってこの色になって仕上がってくる。↓指定は、素人が見ても何が書かれているのか解らず、「専門家の仕事」という感じがする。今は、パソコンを使ってほぼ全て仕上がりと同じイメージで出来るので、作業をしているところを部外者が見ても、「特別な感じ」が昔ほどしないかもしれない。「へぇー、ここで作ってるのかー、へー」くらいかな。 そんな風に、手作業レイアウト時代に現場でしていたことが、この本の中に閉じ込められている。僕も、25年ほど前、まだ作業がパソコン化されていない時代に、ギリギリ間に合ってほんの少しの期間、グラフィックデザインにかかわって走り回ったので、この本を読んでいるとそのあたりがちょっとナツカシウレシイ。そして、次は「世代」や「デザインの仕事」に限らないことなんだけれど、「読み物」としても結構面白いのだ。「かつての人気雑誌のデザインスタッフの現場の話」としても、「一線のプロがものを作っていく過程のアレコレ心得たことの話」としても、いろんな風に読めて面白い。それぞれの事柄を説明しながら、そういったことが折々と混ざりなから説明文で書かれている。 そして、さらに、掲載されている当時の誌面の中身の方も、大きく掲載されているものはそのまま読めてしまう。内容的に昔のものになるが、それに関係なく「へーっ」なんて充分読めてしまうものもあるし、そこに書かれているものごとを、アタマの中で「今」に置き換えていろいろ思索することも可能だ。そして、当時のそれらの表現方法から、写真として掲載されているファッションにいたるまで、もし若い世代がみれば新鮮にカッコよく感じるものが、沢山あるような気がする。今、10代20代のコで、例えば、ファッションやその他のことでも、同世代のコたちが絶対にしていないような事をしたくて、敏感にアンテナを張っていて、すぐに自分のオリジナルな何かに取り入れたいようなコには、この本は「宝の山」のように見えるんじゃないかと、そんなことも思ったりする。 こんな風に、一度で「3.4度ほどおいしい」、そんな本じゃないかと読みながら思っている。ま、とにかく、この本は情報量が多い。うーん、こういう形はウェブではできないなー。本の画面のありとあらゆる所に、ありとあらゆる形でいろんな要素が入りまくっている。その画面の中にさらに、当時作り込まれた昔の雑誌の誌面が入れ子になって載っている。思い切り、込み入った作りになっているのに、それを感じさせなくて、読んでいてもイヤにならない。さすがにあの人気雑誌たちを裏でささえたデザイナーさんだ。おまけに本だから、パッパッとページを瞬時に前後左右縦横無尽にめくって、いろんな風にいろんな角度とパターンでザクザク見ることもできる。「紙の媒体のすばらしさ」を改めて認識しながら読んでいる一冊。そして、それ以外のことからでも最近考えている、「目だけでなく、手を動かして、自分で手をかけて、ちゃんとアタマでする事の良さ」をまたまたさらに思ったりした、そんな一冊です。 さて、まぁそんなこんなを思いつつもしつつも、これもやらないと。確定申告。 そんなこんなです。
4日、伊丹に行ってきた。まず阪急伊丹駅の近くで皿そばを食べてから、伊丹市立美術館にて同時開催の、「日本の写真史を飾った写真家の私の1枚−フジフイルム・フォトコレクションによる−」と、「シャレにしてオツなり −宮武外骨・没後60年記念−」を見てきた。展示は、「シャレにしてオツなり −宮武外骨・没後60年記念−」の方で、キモチ的に触れるものがあった。明治時代のジャーナリスト宮武外骨が出していた、諷刺雑誌「滑稽新聞」や「スコブル」などの表紙に惹かれたのと、それから、同時に展示していた、浅野竹二という昭和の版画家の作品が好みだったこと。が、まぁそういう個人的な嗜好の話はおいといて、とにかく展覧会を見終わってから外に出て、さぁ、これからどうしようか?と考えた。ふと、「つかしんまで歩いてみるか」と思いたった。伊丹市立美術館の前の大きな道路をまっすぐに南下すると、途中に「つかしん」というショッピングセンターがある。かつて、僕が20代の半ばくらいだったかに、西武のセゾングルーブが中心になって開発した複合施設で、西武百貨店を中心に沢山のシャレたお店があった。当時何度か家族や友人と車で行ってブラブラしたことがある。とても賑やいでいた。当初は「つかしんホール」という多目的ホールがあって、デザインの専門学校に行っていた時期に、学校の友達とそこへ「横尾忠則展」を観に行ったこともあった。その後、西武は撤退したけれど、数年前にリニューアルをしたらしいと聴いていたので、一度ちょっと行ってどうなっているのか見てみたいと思っていた。伊丹市立美術館からはだいたい阪急電車2駅分になる。「歩いたら結構あるかもなぁ」と思ったけれど、1月半ばから仕事でこもりきりで運動不足でもあるので、ちょっと散歩がてら歩くことにした。で、しばらく歩いていると、道路を挟んで向こう側の建物の二階あたりに、大きな犬が首を出していた。 これは珍しい。たいそう大きな犬だ。が、ちょっと首が出ているところが高すぎて、道を歩いている人に何かをもらいたくても、ちょっともらえない。だからか、少し残念そうな顔をしているように見える。 「ああ残念だったねー」と思いながらまた歩いていると、また、道路を挟んで向こう側に、興味深い建物を見つけた。どうも、出来たばかりの新築らしく、内装の工事の人らしき影が時折窓やベランダから見え隠れしていたが、それにしても薄っぺらい。こんなに薄っぺらいマンション。ワンルームなのかなー、なんか興味をそそられた。しかし、まぁ、いいじゃないか。必ずしも、大きかったり、広かったり、豪華だったり、そんな「一般的に見てどこよりも素晴らしい」でなくったって。そう、歌にもあるやん。♪ナンバーワンにはならなくていい、♪もともと特別な、〜♪なんて口ずさみなから、またまた足を勧めると、今度はこちらの歩道側に、また犬が首を出していた! そうか〜、伊丹の犬はどこでもみんなこんなに大きいのか〜。そして道路側にみんな首を出しているのかー。兵庫県も広いな〜。今度の犬は首を出しているのが場所的に低い位置。これなら、人から何かもらえたりするな〜。場合によっては人ごとパクッといけちゃうな。心なしか、顔も嬉しそうに見える。 しかし、食べないでね、と願いながら前を通りすぎて、さらに歩いて、「つかしん」に向かったのであった。| はぁ、………なんでやねん / そんなこんなです。
「はっぴい! アロー&スケルトン」誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、「忘れ物はないかな? 明日は遠足!」↓ 編集部からのお題は、「嘘か真か? エイプリルフールでだまされた!」↓ 編集部からのお題は、「名橋、奇橋、吊り橋、石橋… 日本の橋を巡る旅」↓ (このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)それから、「ラッキー! クロスワード」誌の次の次の号の、「なごむ亭元楽」名義で問題も作る、コンビニーヒーローパズル、完了。
で、例によって、パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。「忘れ物」<夢の話>誰でも、「昔から何故かこのパターンの夢を見る」というのがあると思う。僕もいくつかあるのだけれど、そのうちの一つにこういうのがある。------- 修学旅行だったり合宿だったり友人との旅行だったり、 それはその時で違うのだけれど、 とにかく旅に行く。 で、その行きの道中で僕はハッと気が付く。 「あっ、替えの下着を忘れた! ひとつも無い。どうしよーう! 何日もおんなじ下着をはいていると、風呂に入ったときに、 みんなにヘンに思われてしまう。ああー、どうしようーーー」 と、ひとり悩みに悩んで焦っている自分。-------んー、もともとうっかり者で、よく忘れ物をしたのがよほど心に残っているのだろう。けど、そういえば、最近、このパターンの夢見ないなぁ。というより、このごろ、夢を見ているんだろうけれど、前ほど起きて覚えていることが少ない。昨日、昼食を買おうと近くのパン屋に行くと、「節分サンド」なるものが売っていて、つい、ついうっかり買ってしまった。 そんなこんなです。
「まちがいさがしメイト」誌の、問題も考える2問分が完了。まずは、「なごむ亭元楽」名義のペンギンパズルが完了。 それから、チュンチュンの間違い探しが完了。 で、例によって、パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。「三味線」<あの頃のこと>25年ほど前に実家を出るまで一緒に暮らしていた祖母は、三味線を習っていた。習い始めた当時、祖母は幾つだろうか、僕が20才過ぎくらいにはもう習っていたので、(学生の頃に遊びで録音して友人にばらまいたテープに、祖母の三味線で沖縄風の曲にしてテキトーに弾いた演奏を、入れて遊んだことがあるので覚えている)だから70才くらいから始めたのかな。よく土曜や日曜に、チントンシャトン♪と弾いては、カセットテープレコーダーに録音したり聴いたりしていた。そして、たまに、呼ばれて、「ハジメ、三味線聴かせたろか? 聴きたいやろ?」と無理に聴かされたりするのである。それから祖母は民謡も習っていて、やはりそちらでも同じように、「"さんさ時雨(しぐれ)"聴かせたろか? 聴きたいやろ?」なんて聴かされたりした。(※"さんさ時雨(しぐれ)"という民謡の曲があった)「もぉ」なんて思いながらも、聴かないと機嫌が悪くなるし、僕も今に比べるとヒマだったので、ちょっとだけ聴いてあげたりしていた。そりゃ、当時は若かったから、祖母のそういうものを聴くことは、その頃の「心の中ランキング」ではそう高い位置に無かった。でも、そういうのは、とても、大事なことで、いい時間だったと、今になってみると、解る。時間がゆっくりと流れていた。まだ、色々と無かったけれど、まだ、色々とあった頃の話しだ。 そんなこんなです。