正月の姉の料理の話の続き。
31日の夕方だったか夜になってたか。
ブリと大根を煮たものを作っていたみたいで、
(「ブリ大根」ではないらしい)
夕食の時だか母と一緒にリビングにいた僕に、
(たしか年越し蕎麦を食べている時だかに)
「食べてみて」というのでそれを食べた。
例によって、
「どうやった?おいしかった?どうやったか教えて!ねぇ教えて!!」
とガンガン来るので、
母もそばにいることだし、
思ったままに、
「もうちょっと物足りないかな」と言うと、
「どうしたらいい?どうしたらいいと思う?ねぇねぇ!!」
というので、
これまた母もそばにいるので、
「もうちょっと時間かけて煮たら? もう少しブリに味が染みて大根も柔らかくなった方がいいと思う」
というと、
「ふんふん! そうかぁ、わかった! ありがとう!」と、
“私はわかったという出来る人アピールをします”と言う感じに
言った。
でも、そのあと見ていたら、
すぐにササッと黙って、
そのブリと大根を煮たものをガラスのタッパーに入れ出した。
「え?」と思って、
「しないの?」と聞くと、
「明日食べるから明日するわ!」
と言って冷蔵庫にしましってしまった。
“そうか。やっぱりな”
とガッカリ思って(わかる人にはわかるよね?)
もう何も言わないでいた。
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で、
次の日。
食事の時に、
ブリを冷蔵庫から出して来て、
どうするのかな?
と思って黙って見ていたら、
そのままお皿に入れてチンをして、
僕らの目の前に出した。
“もうちょっと煮てみること、せえへんのかい!”
と心で思ったけれども、
もう言うとまた「アレがあーでコレがこーで」と、
言い訳がましいことをやかましく、
場合によっては妙に楽しそうに言うだけで、
結局はしないだろうからもう黙っていた。
つまり、
「どうしたらいい?どうしたらいい?どうしたらいい?」
とアドバイスを求めておいて、
こちらは相手のことを思って一生懸命にアドバイスしても、
いともあっさりとそれを無駄にする。
もうこのパターンは大昔からずっとだ。
いつもコレだ。
そして、
それを相手に悪いと思って何か言うこともない。
また、
そんなだから結局、
実質的に進歩しないし、
その時にその通りにやって練習しないし学ばないし、
だから鍛錬されてうまくなったりすることがない。
それから、
それだから、
こちらにしてみるとある意味バカにされているようなものだから、
もう何かサポートしたり言ったりする気がなくなる。
でも、
どうも、
「人をイヤにさせる自分が言ったりしたりしているこの行為の意味」が、
アタマが良くなくって心もなくて、
全くわかっていないようだから、
もう仕方無い。
おまけに、
「そんなだったらもう言わない」なんて言おうものなら、
まぁ「冷たい」だの「突き放した」だのこちらが悪いように言う。
「言ってよ言ってよ言ってよ」とねちねちガンガン責める。
ほんとに困る。
しんどい。
一緒にいれない。
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さて、
まだこのお正月の話はつさらにづく。
1日の夜に僕が帰ろうとすると、
「他の作ったものも持って帰って」
という。
仕方がないので、
他の姉の作った料理を受け取ると、
「お願いがあるねん」と。
「食べてどうやったか教えてくれへん?!!」
と言う。
「おいしくなかったらどうしたらいいかまた教えて」
と言う。
「えぇ?」
と言うと、
「ほら、ブリの時に言ってくれたやん!!」
と。
ほんまに何だそれは。
言ったけれど、
せえへんかったやんか。
普通、
イヤやで誰でも、
言ったことを無駄にされるのは。
言っても言ってもやらへんのに、
「言え言え」と無理に言わされるのは。
ほんとに、
わからない。
あの姉はどういうアタマしているのか。
僕の言う意味、わかる人はわかるだろう。
まぁ、
もし聴かれたら、
テキトーに「おいしかった」とでも言っておこう。
ホントここにこうやって書くのは、
前にも書いたけれど、
再確認になるからいい。
書かなければなんとなく流されることもあるし、
姉はそれを希望しているが、
心の中で決して忘れずにいたい。
そのためにいい。
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つまりは、
前回の姉の話の時にも書いたけれど、
他のことでもそうだけれど、
人に負担を負わせておいて、
自分はスッキリしたらそれでおしまい。
(でスッキリしたらテレビ見ている。父のお金で母が買って来たテレビ)
そして、
そこで終わってしまっているから、
ちゃんとやってみたりやり直してみたりを、
ほんとにキチンとやったりしないから、
成長しない。
料理でもそれ以外でも、
ちっとも「プラスアルファ」が体とアタマと体に加わっていかない。
何せ、
人のアドバイスや言ったことを生かさずに無駄にするのだから。
(母からのアドバイスでもそうだろう)
そして、
アドバイスだけさせて負担を負わせ、
アドバイスしてもらった安心だけ手にいれて、
中身は捨てちゃうのだ。
苗をくれくれと言ってもらったらそれで満足して、
せっかくもらった苗を育てずに枯らせてしまうのだ。
そしてまた苗をくれくれというのだ。
お猿さんか?
まぁ、
もうそういう行為がこれから変わるのは、
無理だろうなぁ。
何せそれは60年。
でも僕にしてみれば、
親のために負債者になっているマンションにまだ住み続け、
金銭的にはほとんどと言っていいほど親に依存してきて、
外の世界では何もできず人にやらせたりあてにしたり、
僕には都合が悪いとさんざん邪魔にしたり意地悪をしておいて、
今では逆にこのまま母の代わりをしてもらいたがっていて、
かつネットリとしつこくて神経質で訳のわからない姉なので、
「無理だろう、しんどい人だからほっておこう」
ではすまない話でもある。
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若い人に思う。
人に、
自分から頼んでしてもらったアドバイスは、
心なく無駄にしたらアカンと思う。
そのままぐんぐん年をとったら
誰にも相手にしてもらえなくなるからし、
本人も変われなくなるし。
気をつけて。
あ、念のため、
自分が聞いたのではなくて、
勝手に向こうから押し付けて来たアドバイスの場合は、
別に自分の好きにしたらいいと思う。
このアドバイスだって。
それでも、その中には何か得るものはあるかもだけれども。
反面教師も含めて。
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