正月は姉が料理を作っていた。
料理をするのが好きだった母がもうできないから。
姉はそもそも何にしても手際が悪くて、
時間がかかる。
そして少なくとも、
「作るのが好き」ではないようだ。
寝室で母といるときに、
「スコンッ」「スコンッ」「スコンッ」
と間隔の開いた大きな音がキッチンからするので、
「何だろうか?」と考えてみたら、
どうやら人参か何かを切っている音のようだ。
普通「トントントントン」とか、
下手でも「ストンストンストン」てな感じなんだろうけれど、
「スコンッ」「スコンッ」「スコンッ」と、
包丁を一回一回叩きつけているような音がする。
だけども、
だいたいベーシックな基本を学ぼうとないし、
鍛錬や練習みたいなものもしない。
もともとそういうのが嫌いだから、
今のように昔のままに「すぐ人にやらせる」みたいな生活をしているのだ。
また、
「私はヘタやねーん」とまず自分で思って言って、
「私の作るもんは美味しくないねん」なんてことも言って、
まず先制して言ってそこで止めている。
それをペラペラ口にしてそれでおしまいにしている。
だから、向上心みたいなものがおきない。
いや、もともとそう言うものは無いのかもしれない。
もちろんそれでも、
そんなであっても、
カラッと明るくオッケーにしているのならいいけれど、
そのくせ、同時に、
「なんでわたしの作ったものは美味しくなんいんやろぉ」
と暗くグジグジ重たくしていたりもする。
つまりは、
「自分で美味しくないねん」と言って思って作ったり、
グジグジ気にしながら作ったものだ。
しかもあまり作っているのが楽しそうではない。
おまけに、
つけているテレビを見ながらで、
しょっちゅう気になってテレビの前まで観に行っている。
料理と集中して向かい合っていないし、
ちゃんと料理のことをまず重きを置いて思ってあげていない。
どちらかといと料理よりテレビの方が姉の頭の中で勝っている。
で、
そういうこれらのことの全てが、
やはり作ったものの味に出ている。
と、
そういう気がする。
表面的なおいしいおいしくない以前に。
でありながら、
さらに難儀なのが、
それでいて、
「どうどう?」
とやたらと「出来」を気にして、
普通の他の人のそういう場合よりもかなりひつこく、
その答えを周りの人に言わせようとするのだ。
で正直に「ちょっと美味しくないなぁ」とか言うと、
「ああ美味しくないんや美味しくないんや美味しくないんや」
「なんでなんでなんで? どこがどこがどこが?
どうしたらいいどうしたらいいどうしたらいい?」
とガンガン来て相手を負担な気持ちにさせて、
失敗を人に背負わせるのだ。
そういうのが平気なんだ、
(だいたい何でも人に背負わせようとする)
でも、まぁ、
それに答えてあげる。
母とか僕も。
昔は優しい気持ちで。
最近は言わないとやかましくて怒ったりしたりで、
余計にしんどくなるから仕方なく。
で、
そういうのを長くやっているから、
少しはそういうのが成長するのかと思えば、
残念ながらそうはならない。
ずーーーーっともう何十年もこれを繰り返している。
なぜか?
それにはそうならない理由もあって、
このお正月にもやっぱりあった。
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