8月20日にすでに終わっている、
『文字の大きなクロスワード』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 商売繁盛、家内安全を祈ります 酉の市で福を呼び込みたい 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 そういうことか!と納得 必ず「そ」が入っています 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 おー、久しぶり! シニア世代の同窓会あるある 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 出題ミスではありません ところどころ入れ違ってる 〟
↓
これは、
『文字の大きな クロスワード』誌、2020年11月号 用。
そして、全国の書店で、ただいま、
発売中。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
↑上のイラストから。
2番目の、
一番最初の、
〝 そういうことか!と納得 必ず「そ」が入っています 〟
このパズル作家さんの、
毎号シリーズになっていた「さ行」の問題。
「お」の段の「そ」まで終わったので、
まとめて載せると、
2020年5月号。
〝 必ず「さ」が入っています〟
↓
2020年5月号。
〝 必ず「し」が入ってます 〟
↓
2020年7月号。
〝 必ず「す」が入ってます 〟
↓
2020年9月号。
〝 必ず「せ」が入っています 〟
↓
で、
今回載せた2020年11月号用。
〝 必ず「そ」が入っています 〟
↓
次の号からは「な行」。
「た行」はどうしたのかというと、
この『文字の大きなクロスワード』誌とは別に、
『文字の大きなクロスワードEX』誌というのがあって、
「あいうえお〜」のパズルは1つの行おきに、
同じパズル作家さんがそちらでも交互にやっていて、
今回まではEXの方が「か行」でこちらが「さ行」。
そして次回から、
EXの方が「た行」でこちらが「な行」。
(「あ行」は以前に『文字の大きなクロスワード』だけで終えている)
まだまだ続く。
「ん」とかどうしようかと、
今から考えている。
◆◆◆
さて、
世の中には、
僕以外にも、
親も年老いて色々状況が変わる中で、
さらに困った兄弟がいて、
普段からの気持ち的にも、
家のことを何かする時にも、
しんどい思いをしている人がいるんじゃないかと思う。
そういう人には、
本当に心の中でエールを送りたい。
人は、
いろんな誰かのタイヘンに対して、
「そんな、人のこと知らないよ」みたいにするのが一般で、
頑張れと心から応援することすらする人はそう多くは無く、
まるでテレビで見たことのように話のネタでしかなく、
まぁ今はそれがごく客観的な「普通」の「普通」なので、
結局は自分が直面している人でしか分からないしんどさに、
心折れそうになるかも知れない。
僕はそういう人には、
自分のこともあるからこそ、
「僕も頑張るから君も頑張って」と言いたい。
●
しかし例えば、
僕自身がそういう状況なのに、
その同じような状況の人から、
その人の大変な状況の長いメールが届いたとしたら、
それはきっと「しんどい」かもしれない。
しかも今までの長年(30年とかそのくらい)の経験からして、
「たいへんですね、頑張ってください」という、
ある意味本心からの返事を返したら、
またそのあと沢山の思いを綴ったメールが返ってくる、
ということがある(会話でもあるけれど)。
一度そういう話を聞いて返事を返すと、
やっぱり次もまた聞いてもらいたくなるだろうと思う。
それはまぁ当然で悪いことでは無いかもしれないが、
それをずっと読み続けるのは、
今の自分自身もしんどいことのある状況では、
ちょっとヘビーかもしれない。
だから、
返事はできない。
「ごめんよ」と思いつつも。
しかも、自分もそんな状況ではあるが、
少しでも自身で楽しむところは楽しもうとしている、
そんな時に、
そのメールを開いてしまったりすると、
さらにしんどいかもしれない。
メール機能自体がそういう意味では「罪なヤツ」だ。
もちろん、
本当は読んで励ましの返事など返してあげられれば、
いいとは思うのは思うのだけれど、
やはり、
返事はできないなぁ。
ごめんなさい。
ので、
それを察して、
長い思いのメールを綴るのは踏みとどまってもらえると、
本当に助かるありがとう。
●
「しかし、自分だってブログに色々長々と書いているじゃないか」
と言われるかもしれない。
またそれが呼び水になるのかもしれない。
でもブログの場合は、
相手が「最近ここもうしんどいから見ない」という選択ができる。
まぁ、最初の一回ぐらいは見せちゃったりするかもしれないけれど、
(ごめんよ)
あとは相手の判断に任せている。
けど、
メールはね。
友人ならまだしも甘え甘えられがあっても、
(しんどい思いさせてたらごめんよ〜)
会ったことのないネットだけの関係の場合はさらにね。
それでも、
僕自身もブログにいろいろ書いているということもあって、
「思いを吐きたい」という気持ちは、
分からないではないのだけれども。
●
しかし、
だからといって、
ただ単に、
「そんなこと知らないよ」という人とは、
差をつけたい。
こう思う。
孤独に、
ある意味、
闘っていたりするのだけれど、
そういう人は、
アナタ一人ではないです。
僕もいます。
何もいわなくても近くにいなくても一緒なんだと、
思ってください。
2000年代のありきたりなJ-POPの歌詞みたいで、
この言葉は本来はあんまり好みではないけれど、
「あなたは一人ではない」
という気持ちです。
こういう歌詞のJ-POPSの歌で好きな歌はないんだけどなぁ、
陳腐で申し訳ないなぁぁ。
でもそう思います。
●
これは個人的な志向だけれど、
僕は実際にいつもこういうことを思います。
いろんなことがあって、
そしていろんな人が、
時間とともに過ぎていくけれども、
そのとき限りではなく、
実際にはもう直接かかわりはなくっても、
いつも同じように近くにいる。
常にずっと近くにいる、
すぐそこに今もいる、
何も終わっていない。
変わっていない。
これからもそこにいるし、
そこにある。
まだ続いている。
いつもそんな気持ちで思っています。
そしてその方が結構楽しい。
もしかして、
僕がいろんなことを憶えているのは、
(それは完全の完璧ではないけれど)
もしかしたらその性質のせいかもしれない。
●
まぁそれはさておいて、
それとは少しずれているようでいて、
結局同じことだと思うのだけれど、
すぐそこにいます。
同じようにしんどい思いしている人がいます。
別々ではあるけれども、
そこにいます。
一緒に頑張りましょう。
そして、
頑張ってください。
遠くから応援してます。
15日のキンモクセイ
そんなこんなです。
That's all for now.
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