7月26日に終わってた、
〝なごむ亭元楽〟名義の探し絵パズル、
パズルメイト『おもしろ! アロー&スケルトン』誌の、
「うさピョンパズル」完了。
↓
『おもしろ! アロー&スケルトン』誌2020年12月号分で、
11月2日発売(たぶん) 。
別に今回は書くことはないかな。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
今日は長いよ。
覚悟してね。
●
前にも書いたけれど、
2週間に一度、
「仏壇に供える花」を途中で買ってから、
母のところに行っている。
2ヶ月くらい前からだったかな?
そうやって持って行くようになったのは。
でも、
そろそろ、それに対して、
姉が母にいちゃもんをつけているのではないかと、
ちょっと思っている。
●
そもそも、
その仏壇は阪神淡路大震災の2年後に、
あのマンションに移った時に母が、
「先祖代々」を祀る仏壇として買った。
震災前までは祖母(母の母)が一緒に暮らしていたし、
昔から仏壇があって祖母が熱心に祀っていたし、
たしか母の祖父が神仏に熱心だったらしく、
母も昔から仏壇のある生活をしてきたから、
仏壇を置く気になったのだと思う。
震災時にダメダメな伯父(母の兄)とひともんちゃくあって、
そのあと伯父に老人ホームに入れられて別々になった祖母が、
亡くなったという知らせを聞いた後は(伯父からあった訳ではない)、
母は祖母の写真を中に飾って拝んだりしていた。
母は毎日水やお茶を換えて、
花も大抵欠かさず供えていた。
●
今から一年半前に父が亡くなって、
火葬のあとお骨と仮の位牌をその仏壇の前に祀り、
去年の1月の四十九日にお坊さんにきてもらって、
その魂を仏壇に移してもらった。
ので、
最初に仏壇を置いた時に、
たしかお坊さんには拝んでもらっているけれど、
でも「先祖代々」といった形の上だけだったのが、
初めて家族の故人の魂の一部が直接入っている仏壇となった。
こんなことを言うと、
「いや、本来仏教における仏壇の意味と位置づけはそうじゃない。
だから、そんなことはない」
という人もいるかもしれない。
しかし、
日本人は長くそれでやってきたから、
それが存在するのだ、でいいのだ。
「本来の姿でないと駄目だ」
とか言い出したら、
日本的なカレーもラーメンもカツ丼も食べちゃいけない。
だから、
日本人としてはこれいい。
みんなで思えば、
見えなくても存在することはあるのだ。
●
さておいて、
その前の年に父が入院した頃、
母はもともとアレコレと父に長年の不満もあったりで、
また姉が後ろでそこをつかんで悪くあおっていた影響で、
「もう私もしんどいからお見舞いかなくていいいわ〜」
とか言い出したりしていた。
(さすがにそれはアカンやろと説得して時々一緒に連れて行った)
しかし、
実際に父が亡くなってしばらくすると寂しくなって、
「おとうさん〜、何でいなくなったんよぉ」
とか父をいいように言うようになった。
すると「エラソーに言われるから行かない」と言って、
救急車で運ばれた時以外亡くなるまでずっと、
父の病室に一度も見舞いに行かなかった姉も、
手の平をかえしたように、
そういった母の変化に合わせるようになった。
そして、
母がカートがあれば一人で買い物に行けたのが、
それができなくなって、
なんとか人に支えられてならまだ行けていた時期に、
姉と買い物に行ったりすれば花を買っていたのを経て、
多分その後母が「買ってきて」と言ったのだろう、
それから姉がいつも仏壇に供える花を買ってきて、
供えていた。
僕は、
姉はまた母に「いい子アピール」をしているなぁ、
と思って見ていた。
母もそんな姉をいい様にフォローして、
「今日●子が花を買ってきてくれてん」
とよく言っていてた。
●
何度か書いたことだけれど、
去年の10月終わりくらいに母は、
姉と出かけた折に姉に引っ張られて転倒して圧迫骨折になり、
体が動かしにくくなり気力も落ちて、
それまでずっとやっていた用事や料理ができなくなった。
それまで母に甘えて料理を全てやってもらっていた姉は、
(お弁当も含めて)自分でしなければいけなくなり、
洗濯も全部やらなくてはいけなくなった。
それから母の入浴も手伝わないといけなくなった。
僕の方は、
11月に入って母から、
「歩くのが怖いから今日買い物に付き合ってほしいねんけど」
「お昼何もないから来て用意してほしてねん。来てくれるよね?」
「〜の交換をしないといけないねんけど買って交換してくれるよね?」
「〜のダスキンの代理店変えたいねんけど電話してくれへん?」
「歩きにくいの病院で見てもらいたいねんけど調べてくれへん?」
「明日晩ご飯作りに来てほしいねん。来てくれるよね?」
などの電話が朝に突然かかってきたり、
習慣にしていた「週一の顔を出し」で行った時に言われるようになり、
(まぁ、姉がしないからであるが)
朝からとか次の日に行かなくてはいけないことも続き、
一時はパズル誌の締め切りを1つ伸ばしてもらわざる得ないほどに、
スケジュールがぐしゃぐしゃになった。
これでは予定が立たないのと、
病院通いや高齢者福祉サービスも受けてみたいと母が言うので、
12月の23日からだったかな、思い切って、
姉のいない平日の昼前から夕方に時間を決めて毎日行って、
母のサポートをアレコレすることにして、
その決まった予定の中で仕事をこなしていくことにした。
●
さて、花。
そういう形になって今年になって、
しばらくは前と同じように、
花は姉が買って仏壇に供えていた。
そして、
花が痛んでくると新しいのに換えられていた。
しかし、
次第に新しい花になるまでの期間が長くなって、
何も供えられていない時も増えて、
そのうちにずっと供えられていない状態になった。
「それはアカンやろぉ」
と思った。
「ほんとになぁ」と見かねて思って僕は母に、
「僕が花を買ってこようか?」と言って、
母が「そやな、じゃあ、●子に聞いてみるわ」と言い、
(聴かずにやり始めるとまたギャーギャーうるさいから)
しばらくして「買ってきてもええって言ってた」と言うので、
僕が買って行くようになった。
●
そうなったのは、
おそらく、
姉は、
めんどくさくなったんだろうな、
と思っている。
亡くなった父に良い想いをはせるようになった母に合わせて、
いろいろと自分にしてくれている(させている)母に、
(昔からよくしていたように)
「私はいい子よ」アピールをする為に花の交換をやっていた。
でも、
母が何もできなくなって、
いろいろとしてもらえなくなって、
母に、
「いい子アピール」する必要がなくなった。
そもそも病室に行かないほどに、
嫌いな父だ。
なんで私がしないといけないのか、
とイヤになってきたのだと思う。
●
もちろん、
姉も姉なりに忙しくなった。
それは僕も理解している。
だってそりゃそうだ。
そもそも60年間も母任せで何もかもやらせて、
母がそれではいけないなとやらせていた用事も、
気分が乗らない時は「今日はやってもらっていい〜?」
なんて鼻から声を出して言って母の母性をギュッとつかんで、
なんでもやってもらっていた姉だ。
料理だって母が作ったものを食べては「おいしいねぇすごいねぇ」
なんて持ち上げては食べるだけで、
「私もこれを作りたい」なんて思ったりすることもなく、
母に何度も何度も伝授してもらうチャンスは何十年もあったのに、
「してもらう」という気持ちしかないから、
せっかくの母の美味しい料理がまったく姉には伝わっていないし、
作る要領もまったく身についていない。
それにもともと、
自分のことだけ「私が私が」で、
「見返りなしに人のためにしてあげたい」
という気持ちがホントに無い。
無いからイヤイヤになる。
おまけにもともとテレビが大好きで。
「最近あんまりテレビ好きちゃうねーん」とかあらじめ言っておいて、
「そうじゃない」という形にしておいて、
やはり食い入るように観るといういやらしいことをしていたり、
これまた好きな新聞の、
テレビ蘭をみては観たいものは何としても観たい姉だ。
母の代わりの事や母のことをするようになっても、
つけているテレビが気になって気になって、
そちらをチラチラ観ながら気もそぞろだし、
時々、しっかりと画面や文字をみるためにテレビの前まで行って、
じーっと固まって見入っている。
正月に母のところで一泊した時も様子を見ていたが、
料理の時や母の出かける着替えの時もそんな感じだった。
その時に用事は置き去りだし、
そりゃぁぁぁ、
時間もかかるし忙しいだろうー。
しかし。
いくら忙しくなっても、
「キモチ」さえあれば、
花くらい、
する人はするだろう。
このあたりは分かる人にはわかると思う。
●
さて、
話を最初に戻そう。
そろそろ、
長年姉を見てきて知っている経験からすると、
そろそろ姉は
例えば、
「この花○円したの! ? 高い! もったいない!」
とか、
「古くなった花は私が捨てるんやん!手間かけさせられてるわ!」
とか、
その様なことを言って母に当たっていてもおかしくない。
「僕」が買ってきた花が、
「父」の仏壇に備えられて、
「母」も喜んでいるのが気に入らない。
そんなことをその時の気分の上下で、
瞬時に思ってキーッとなって吐き出していることは姉ならありうる。
しかし、
あの仏壇は、
以前の「形式的に先祖代々」なのと違って、
今はちゃんと「父の魂」の一部が入っているのだぞ。
●
だいたい「父の魂」にしてみれば、
父が亡くなった直後は母にいい顔をして花を変えていた姉が、
ここに来て「分かりやすい」形でやらなくなったのが、
かなり気に入らないだろうと思う。
●
それから「お金」のこと。
父と姉は、
「訳のわからなさ」とか、
「人に何もかもやらせておいて、口だけで色々言う」とか、
「気に入らないと攻撃的で逆切れする」とか、
そういうところはよく似ているが
「お金」に関してはちょっと違う。
(ついでに言うと「社交性」も父の方があった)
姉の、
「お金」に関して、
「執着と欲が深く、意地汚くてケチくさく計算高い」ところは、
どちらかと言うとダメダメだった伯父(母の兄)によく似ている。
父は「お金が無い心配」はよくしていたが、
あれば「払い」は良かった。
僕が代わりに何か買ってきて、
「いいよ、出しとくよ」とか言っても、
必ず「払っておく」と言って払った。
その時の顔が、
「当然の場合は自分のお金を払って当たり前」
という静かな顔をしていて、
「出て行く心配」顔や「やってあげた」顔や、
「恩着せられたくないから払っとくわフン」顔をする姉とはちょっと違っていた。
顔の感じが。
だから、
僕に花のお金ほ払わせたら、
「父の魂」はそれこそ怒る。
一時は、
「もうめんどくさいから僕が出すか」とも思ったけれど、
それはやっぱり少し違う。
「母が父のお花代を出す」
これが正しいだろうし、
その方が「父の魂」も喜ぶ。
姉がゴチャゴチャ言って僕が出すようにしたら、
「父の魂」はかなり怒ると思う。
「なんで●子がごちゃごちゃ言って、
ハジメに出さすんや!!」
と。
ドカーンと怒るな。
家中をヒュルヒュル漂いながら。
それから、
家に祀っている仏壇にあったお花を捨てるのが、
手間で文句を言うとしたら、
これは「父の魂」以前の話で、
「誰の魂」であろうと、
仏壇のある家の家族としてはちょっといけない話だ。
物事がわからない反抗期の10代の子でもあるまいし。
●
な。
そうやんな?
お父さん。
なんかさ、
もうさぁ、
お父さん。
思うねんけど、
ほら、
だからさ、
もう、ええから、
場合によっては、
バチ当てて。
●
そやそや、
それから、
こんなこともあってんで、
お父さん。
お父さんが入院してから最初の救急の時以外、
お姉ちゃんは一切父の病室には行かなかったし、
あとは一切僕に任せて「知ーらない」やったやん?
母を連れて病院までは行ってても。
お父さんも病院で、
「全然来おへん」ゆうて怒ってたやん?
そのことに関して今年の初めごろ指摘したら、
「その時にそう言ってくれたらよかったのに!」
とか言うねんで。
お父さん。
どう思う?!
そんなん、
よく言うよな。
昔っから、
一度「したく無い!」とか「イヤ!」とか「こうする!」とか言い出すと、
その時に言っても全く人の言うことなんて聴かへんくせになぁ。
子供の頃「この部屋は私一人で使う!ここで寝る」と言って、
ある日突然子供部屋から僕を無理やり追い出した時も、
高校の時に収入の少ない家庭への援助を受けようと、
「先生に申し込んで欲しい」と母親がお願いしてもやらなかった時も、
20代前半の頃に母のところに見合いの話が結構沢山来て、
会うだけでもと言っても写真も見ずに全て「イヤ」と言った時も、
震災後に今のマンションに引っ越した時に、
「クローゼットが広いからこの部屋を父母にどうか」と僕が言うのを、
「ここは私!」と勝手に決めてどんどん荷物運びこんだ時も、
その他いろんな場面でも、
一切、
人の言うことなんか聴かへんかったくせになぁー。
よく言うやろ?
知ってるやんこっちはそういうところを。
絶対人が何ゆうてもきかへんやんか。
恥ずかしいことに60才になってもそうやってきたくせに。
何ゆうてんねん、やろ?
そやから、
今さらこっちもそんなん言うわけないやん。
ムダやしいっぱい言い返されるのももうしんどいやん。
それを、
後になってそんな口先でうまく逃げようみたいな言い訳よく言うわ。
そやろ?
ただ単に、
「そう言われたらこう言ったらうまくかわせるやろ」
と考えたんやろけど、
ぜんぜんうまくいってへんやんな!
よけいに反感持つわ、そんなん。
しかも、
「その時にそういってくれたらよかったのに」ってことは、
つまり、
お父さんのところに行かへんかったのは、
僕のせいらしいわ。
そうらしいわ。
ヒドイやろ?
ハラたつやろ?
一生懸命病院に“一人っきり”で行ってお父さんの顔を見て、
靴下を替えたり世話をしたり話をしてみたり、
最後もたった一人でちゃんと病院から葬儀会社までの手配をして、
無事ちゃんとそっちまで送り出したところを見ていたお父さんなら、
それは同じくハラたつやろ?
で、きっと、
僕がそこまで言ったら、まぁ例によってきっと今度は、
「やったからって偉そうにしている!」とか、
「自慢やわ!」とか、
「恩にきせている!」って言うやんな?
全部わかっているのに言う訳ないやん。
なんかどのみち、
ごっついイヤやろぉ?
だからもうええで。
だからもホントに、
場合によっては、
バチ当てて。
●
まぁ、
そりゃ、
人を恨んだりとか、
憎んだりとか、
本当はあんまり良くないは解ってるで。
だから、
「あの人あれじゃあバチあたるでぇ」くらいはまだいいとしても、
人に「バチ当たれ」とかは良くないんかもしれへん。
僕も本当は好きじゃない。
「人をのろわば穴二つ」とか言うしな。
でももうええわ。
お姉ちゃんだけに関しては。
覚悟した。
穴2つでも3つでも、どんと来い!
穴が怖くてレンコンが食えるか。
●
でも、
お父さん、
アンタもそんなに器用やないから、
沢山はできへんから、
それは、
仏壇の花にかかわることと、
僕の見てないところでの、
お姉ちゃんのお母さんへの態度を見とって、
場合によってはやってくれたらええわ。
まずはそれでええわ。
どのみち、
お姉ちゃんのバチは、
もっと他からもあたるかもしれへんしな。
●
なぁ、
お父さん。
最近思うねん。
子供の頃や若い頃は、
そんなこと考えたことも無かったけれどな。
お父さんってさ、
淡路島のものすごぉぉぉぉい田舎で生まれ育って、
それで神戸に出てきたやん?
で、
知り合いに「年頃のお嬢さんがいるのだけれど会ってみない?」と言われ、
「会います会います」と自分から一歩を踏み出して、
(いろいろと姉と似ている父だがこのあたりはぜんぜん違う)
そして、
都会の神戸の三宮生まれ三宮育ちの女である母を嫁さんにしてんけど、
それはめちゃくちゃ嬉しかったやろ?
子供のようにめちゃくちゃ自慢やったやろ?
そやろ?
「神戸女が嫁さんや!! どやー、すごいやろー淡路のやつらー」
そう思ったやろ?
あまり自分から言いたくないやろけど、
お父さんやったらきっとそやったやろなと思う。
でも、
実際嫁にしてみるとこれが、
「貧乏お嬢さん」で「“してして”ちゃん」で、
何にでもふわふわ軽いようなところがあって、
と思えば、
少女のように突然思いつきで無茶をしだしたりして、
さらに都会育ちで良いものを知りすぎてて欲しがって、
田舎ものにはわからないことも沢山あって、
お父さんには手に追えないところもあったろなぁ、
と思う。
そやろ?
また、
最初は自慢だった神戸の女やったけれど、
次第にそれは自分が田舎者であることの、
コンプレックスにもなったんとちゃう?
まぁお父さん自身も「わけのわからない」性格で、
何でも心配で不安で責任とるのがいやで、
(このあたりは姉も一緒)、
何かあるとすぐ逆切れして、
(一緒一緒)、
平気でひどい言い回しや品のないことを言ったりして、
(一緒一緒)、
それに対してお母さんが不満な顔や嫌な顔をしたら、
「どうせワシは田舎者や」と先回りしてさらに逆切れしたりしてたんやろな。
そやったんやな、
あの妙な「あと追いの早めの逆切れ」は。
それでもきっと、
やっぱりお父さんは、
お母さんの持っている、
愛らしくていつもニコニコしていて楽しいのが大好きなところが、
(これは姉にはない)
ずっと好きやった、
そやろ?
きっとあの淡路島の生まれ育った実家のど田舎には、
牛はいても、
そういう「街にあるような明るく楽しい空気」は絶対無かったよな、
牛はいても。
そやろ?
で、
たぶんお父さんにしてみれば、
その母の「街的な明るく楽しくシャレた空気」は、
20代始めの写真みたらチンピラみたいな感じのお父さんが
自分が神戸で見つけた「宝物」のようなものじゃなかったかと、
最近そんな風に思うのよ。
そしてその「宝物」は、
チンピラが道を外さずに済んだ、
ちゃんとした「パスポート」の役目を果たしながら、
母には癇癪とか責任回避とか子供のように甘えたがったり、
めちゃくちゃ迷惑もかけつつも、
その後もずっと「宝物」としてあり続けたのかなと思ったりするのよ。
まあ、アンタもひねくれ者で曲がったところがあるから、
自分の口からはそんなこと言わへんやろけどな。
そういう表現方法もあんまり持ってないし。
●
が、
となると、
お父さんにとって「宝物」であり続けたお母さんは、
守べきやし守らなあかんでお父さん。
もしかしたら、
「お前に言われんでもバチのことはワシも考えとる」
なのかもしれへんけれど、
とにかく表現が昔からハチャメチャなので、
こうやって僕が代わりに形にしてあげる。
かまへん。
もしお姉ちゃんが、
誰も見ていない時に密室でお母さんにしんどい思いさせてたら、
バチ当てちゃって。
だって、
何かしてあげた時の姉の態度と、
してあげない時の姉のヒドイ態度との違いを、
僕は身をもって知っているやん?
現場を見てなくても僕には想像できる。
お母さんが元気なうちは何でもかんでもやらせといて、
お父さんとのことでもさんざん母にかばってもらって、
優しくしてニコニコ何でもしてもらってたのに、
でも逆に、
母が何もできなくなってしてあげないといけなくなったら、
「私がしてもらいたいのに、なんでせなあかんのん」とか、
「私にしてくれなくなったお母さんはもう面倒くさい」とか、
「お母さんは昔の方がよかった」なんて思って態度変えて、
イライラしたり面倒がったりそれを母に八つ当たりしたり、
怒ったりしてたり雑にしていたり偉そうにしていたり、
しているのは見なくてもだいたいわかる。
だから、
そんな風してたりしたら、
バチ当てちゃって。
僕にでも、
今年くらいから「いい子アピール」でいい顔しつつも、
それでもポロッと本性が出て、
「友達はハジメが思ってるほどハジメのこと何も思ってへんわ!ヘッ」
とか、
「私が生活保護受けなあかんようになった時助けてくれるんやったら、
私もハジメが生活保護受けなあかんようになった時助けてあけてもいい。
でも、助けてくれると約束せえへんかったら私も助けへん」とか、
そんな言わなくていい様なことを言って人にイヤな思いをさせる姉だ。
きっと母に対しても、
僕のいないところでは、
何か物覚えが悪かったり同じことを言ったりしたら、
「ボケたんちゃう?!」とか「施設入る?!」とか、
元気が無くなるようなヒドイこと言ったりしているだろう。
もう、そんな場合は、
バチ当てちゃって。
お父さんやって、
昔は多分、
姉がしたいようにして母がそれをかばった時、
その場では怒っても、
それで姉と一緒にいて母がニコニコ楽しそうにしていたら、
それはそのニコニコで「仕方ないか」としていたやろけど、
今、そんな風にお母さんがしんどくて辛くて、
エラソにされたりイヤなことやヒドイことを言われて、
お母さんの持っていたニコニコがなくなったら、
やっぱりさすがにタダでは置かれへんやろ?
いやまぁ、
今はあのマンションの家の中におるから、
僕が言うまでもなく、
それらは全て見て知っていて、
「それはわかっとる。考えとる」
と言われるかもしれへんけれど。
まぁとにかく、
言うまでもないかもしれへんけど、
そういうのがあれば、
遠慮はいらへん。
今は魂となっていつもあの家にフワフワといるお父さんが、
仏壇の前でなくてもどこの部屋であっても、
ドーンとバチあててあげて。
「さんざんワシとお母さんが言い合いになるくらい、
お母さんに守ってもらっとったんとちゃうんかーー!
それやのに今の態度のそれは何ゃーーーーっ!」
って。
それはその都度でも、
数回の分割でも、
ずっと後でどーんとまとめてでもいい。
まかせる。
●
それから最初に戻って重ねていうけれど、
仏壇に備える花。
あれは、
「母がお金を出して買って、お父さんにお供えする」
という形が絶対に大切やと僕は思う。
それに、
お父さんがなくなってようやく、
お父さんのありがたみがわかったおかあさん。
花はその架け橋であり、
お父さんが働いた(実はイヤイヤ働いた)おかげの年金で、
お母さんが買って供える。
それが一番自然やし、
お父さんもそれが一番嬉しいやろ?
「お前はええこと言うなぁ」(口ぐせ)やろ?
なんかそれをお姉ちゃんが疎外したり、
ジャマしたりケチつけるようなことがあったら、
バーンとバチ当てたって。
●
でも、
もしお姉ちゃんがそういったことに気づいて、
いつものようにお母さんに、
「おがあさん、私バチあたるぅぅ? 当たらへんよねぇぇぇ?」
なんて聞いて、
お母さんが母心で、
「当たらへんで」
とか言って、
というか、言わせて、
それで安心して、
「よかったぁ〜」
なんて、
例によって責任と心配を人になすりつけて済ましたりしても、
そのあと、
結局また母にしんどい思いや辛い目やひどい事言ったりしてたら、
その時はかまへん、
やっちゃって。
●
さて、お父さん。
ひとまずはこれくらいやけど、
もう少し。
これはもっと先のことやねんけど、
もし僕と姉が二人だけになった時、
僕の人生の都合や「こうありたい」という思いを無視して、
一方的に自分を僕に面倒をみさせようとしたり、
僕が自分の力で築いた生活圏にゴリ押しで入って、
その下で例の「縄張り」的にして暮らそうとしたり、
それをしてもらえないと、
「お前ひとりだけ幸せにさせへんで!」
みたいに逆恨みしたりしだしたら、
その時も頼むわ。
お姉ちゃんの、
「今までと同じように人にいろいろやってもらって、
その人を“味方”と言いながらこき使って、
自分で何もしなくていいという楽な暮らしを今後も続ける」
というちょっと曲がった姉の思う「幸せ」を、
無理矢理に僕を相手に押し通そうとしたら。
そして僕の、
「自分の力で頑張って自分の世界を作って、
一方で自由でのんびりしつつも、
自分の能力を生かせた仕事に没頭できて、
さらに一緒に暮らす異性と一緒に、
母のように明るく楽しく日々を過ごす」
という僕の「幸せ」に影を落とすようなことをして、
「そういう明るいカッコつけた感じがハラたつんじゃぁ」みたいなことをしだしたら。
頼むよ。
バーンと。
当てちゃって。
今の時点でも、
自分が自立して「大人」として何でも出来るようになることが、
そして、
もしそれがしんどいならせめて結婚して相手にやってもらいつつ、
「そういった幸せな状態を見せることが、
母への恩がえしで自分の幸せだ」
とそんな風に心から思うことが、
出来ないのだから、
そしてそこへ向かう実際の行動を自らやらないのだから、
仕方ない。
せいぜい、
口先だけで「わかってるもん」って言うくらいなので、
ほんとに仕方ない。
もし、
直接「仕方ない」とか言ったとしたら、
「またそんな事言う〜」としか言わないのだから、
ほんとにほんとに仕方ない。
おまけに、
僕が母さんのためにマンションの負債者になっていることも、
さんざんそこに暮らしておきながら、
「知ーらない」で何か協力するような兆しも見えないし。
今までその事に関してしてきた事と言えば、
何か僕が気に入らないことをした時に、
「負債者になったことを恩にきせてるんやわ」とか、
母さんのうしろで耳うちして母にそれを言わせて、
僕にイヤな思いをさせて何かの“仕返し”をしたくらいで。
そういったこと全部ひっくるめて、
もっと先でグチャグチャとなりそうになってしまった時は、
僕のために、
そして、
こんなことをここに書かざるを得ないような状態にしている、
お姉ちゃんに対する僕の恨みもこめてその代わりに、
パーンとバチを当ててやって、
お父さん。
頼んだで。