6月17日にすでに終わっている、
『文字の大きなクロスワード』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 名人芸によだれが出そう 美味しそうな落語 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 せっせとエンピツを走らせる 必ず「せ」が入っています 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 覚えてますか? 昆虫の名前 しりとり式にグルグル回る 〟
↓
編集部からのお題は、
〝 個性的なクロスが新登場! 渡り廊下行ったり来たり 〟
↓
これは、
『文字の大きな クロスワード』誌、2020年9月号 用。
7月31日、全国の書店で発売。
(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
●
↑上のイラストから。
一番最初の、
〝 名人芸によだれが出そう 美味しそうな落語 〟
は、それぞれが落語の「噺」で、
有名なところでは「目黒のさんま」とか「まんじゅうこわい」とか。
なかなか調べていて楽しかった。
それぞれの落語を動画で観て聞いてみて内容を知ってから、
それを食べていたり飲むしぐさをしているところを、
絵にしていって。
ただ1つ、
そのもの自体を食べているところが出てこない落語があって。
お題になっているのに。
だからそれは、
「オチ」になっている「アッカンベー」にしておきました。
2番目の、
〝 せっせとエンピツを走らせる 必ず「せ」が入っています 〟
毎回ココデ、
今までの「サ行」の最初から順に並べていのだけれど、
とても長くなるので、
次号の最後の「そ」の時に全部まとめて並べます。
4番目の、
〝 個性的なクロスが新登場! 渡り廊下行ったり来たり 〟。
ちょっと前に、
“家の外回りを美しく”というお題のパズルの時に、
「人物がこちらを見てまっすぐ立っているだけの記念撮影のような絵」というのをしたくて、
↑
こんな絵を描いた。
その「立ってこちらを見ているだけ」シリーズの、
第二弾がこれ。
特に上の絵。
●
8日の水曜に姉が休みで自宅で仕事・洗濯などして、
木金はまた母のところに行き、
そしてこの土日はまた自宅で。
●
いつも、母は、
僕が行った時間にはリビングの方にいるのだが、
それまではだいたい寝室で寝ている。
が、
僕が着いた時に見ると、
寝室の窓がいつも閉まっている。
姉は出かけは忙しいのか何だか知らないが、
母のいる部屋の窓くらい開けて行ってあげればいいのに、
夏だというのに、
開けていない。
今はまだマシだが、
これから先もっと暑くなる。
姉は別にそんな心配とかしていないのか。
言うとまたグチャグチャなるし。
もっとあとで、
「言ってくれたらよかったのに」
なんてことも言いそうだけれど。
●
そして、
さらに、
エアコンが去年の暮れくらいから壊れている。
修理をするか。
しかし、
もうマンションに入ってから20年以上使っているものだから、
おそらく買い替えた方がいいだろうな。
が、
こういう状態になった時がちょっとまためんどくさい。
姉。
例によってこういう「電話」とか「注文」とかは、
姉は、
「どう言ったらいいかわからない心配」で、
「へんな人と思われたくない」で、
「うまくやれなかったらイヤ」で、
できないし、
やらない。
(お前ほんとにいくつなんだ!)
今までも人まかせ、
つまり、母まかせで、
今も人にやってもらって、やらせようとする。
つまり、
母のことや家のことで外と関わることで、
外に向かってすることは今では母を通して僕がやっている。
ホント、
「世話になった母」の部屋のものであっても、
「自分の住んでいる家のこと」であっても、
率先してはやらない。
それで平気。
いつもながらに、
「知ーらない」って感じで。
せいぜい「注文した方がいいんとちゃう?」
と母に言っておしまい。
●
そして、
今回の場合には、
さらにこんなややこしいことがあるかもしれない。
じゃあ、ってんで、
僕が注文することにしたとする。
するとそれまで「知ーらない」だった姉は、
こう言いだすかもしれない。
「私の部屋のエアコンもついでに一緒に注文して!」
(実際は母にそう言って、母から僕に言わすのだが)
ありそうだな。
姉の部屋のエアコンも、
マンションに入った当時に、
母がリビングと自分の寝室のエアコンを注文する時に、
「私のも一緒に注文して」
と言って一緒につけてもらったものだ。
母の部屋のと同じだけ古くなっている。
だから母のが壊れたから自分のも壊れないか心配で心配で、
母のを替えるのだったら「私も替えたいもん!」と、
思っても姉なら不思議じゃない。
可能性としてはありえる。
もちろんこれは、
単なる想像で言っているのではなくて、
今までの長い積み重ねの中で、
幾度となく側で見てきたり実際自分で経験して、
よくあることと知っていることでね。
で、電話から手続きから立ち合いまで、
してもらえるなら僕に全部してもらおうと、
思うだろうな、今までと同じで。
で、
あとで、
猫撫で声で「ありがとぅぅぅ〜」といえばおしまいだと思っている。
実際に“母親”にはずっとそうやってきた。
大人になってからでも。
●
けど、
それはどう考えてもおかしい。
普通にちゃんと生活している人ならわかるよね?
結婚して子供を3人育ててかつ自分の道を進んでいるIちゃんも、
狭い日本を飛びだしてロンドンで生活しているMちゃんも、
一人で暮らしてたまに母親を海外に連れて行ったりしているSちゃんも、
飲みのお店をしてコロナ禍でもなんとかやってるTママも Mママも、
わかるよね?
そう、
逆だろう?
母に今までさんざんしてもらった娘なら、
自分のも新しくしたいのなら、
そして大人として自分の住んでいる家のものなら、
「私のも古くて新しくしたいから、
私が一緒に注文するわ。
休みの日でも工事にきてもらうから」
よな?
普通はそうよな?
やってるよな?
ちゃんとしている人はこのくらい別に普通にするよな?
自分の住んでいる家のことやしな?
仕事している人は土日にしているよな?
今画面の向こうで「そりゃそうや」とうなずいた何人もの顔が見える。
(話すのが下手とか、そういうの苦手とか、そういうのがあってもやる人はちゃんとする)
●
それを、
外に住んで自分で生活している弟に全てやらせようとする。
で、
上のようなことを説明すると、
「ハジメがしてくれてもいいやんか!」
と、
やらないとまるで僕が意地悪しているかのように言ってくる。
もちろん、
姉が普通にやるという前提で、
何かあったら協力したりどこかは替りにやってあげることは、
かまわない。そういう場合は。
と、
いうようなことを言うと、
「じゃあ 別にやってくれてもいいやん!!」
とくる。
ああー、
この展開は、
子供の頃から長い間、
もうほんとに何回も経験したなぁぁ。
あの時の家、懐かしいなぁ。
●
こういうのが延々続き、
ガンガンと口で機関銃のように言われて、
(外では借りてきた猫みたいにしてるのに)
相手が曲げてくれるまでやり続ける。
「ゴリ押し」だ。
母は結局“母親”だから、
押しまくったら最終的にはやってくれる。
すると「お母さんは味方だから大好き」となる。
亡くなった父は母のようにはしない。
父も姉と同じようなところがあるのでする訳がない。
どころか、
同じような感じの攻撃返しを姉にする。
すると姉は母に訴える。
ひどい目にあって悲しいと。
そしたら母は「自分の子供やんか!」と父に怒る。
姉は「へへん」となって、
父は「敵」になる。
僕も昔はいろいろと姉にしたこともある。
その時姉は「ありがとぉぉぉ」だった。
しかし、
大人になって僕も自立してそんな姉を見ているとなんだかなぁで、
場合によってはしなくなった。
すると、そのうち母を使って僕に言わせて、
やってほしいことをやらせようとする。
それは見えているので、
しかたなく母に文句を言わざるを得ない。
そうやって僕と母の仲がギクシャクすると、
姉はあからさまに喜んでいる。
また、僕のしたことなどが気に入らなくて僕を「敵」と思うと、
後ろで母に「ハジメは〜なんとちゃう?」と適当なことを言って、
母を惑わして母から僕にアレコレ言わせて、
僕にさんざんイヤな思いをさせて喜んでいたりもした。
「敵」なので「仕返し」だな。
ほんとに何なんだろうこのやり方。
で、
僕が今度は直接姉にアレコレ言うと、
姉はガーッと言い返してこちらを挑発して言い合いに持ち込んだり、
時に悲しそうに「私は嫌われてるんや」と母に泣いて見せたり、
そうやって「自分の生んだ兄弟が仲が悪い」というところを、
母に見せて母に悲しいつらい思いをさせて、
その流れでゴリ押しをなんとか押し通そうとする。
そういうことは何度もあった。
が、
父が亡くなって母も弱くなると先々自分の心配をして、
急に僕にいいように媚びたように言ってくるようになる。
でも、さんざん「敵」扱いしてきたのに、
今更「味方」になってもらおうとしても無理だろう。
しかも、
「この機会に何でも自分でできるようになろう」
というような感じは行動から全く見えないし、
相変わらず「なんとしてでもできないことはやってもらいたい」
というゴリ押し姿勢は貫きたいようだ。
電話や手続きや立ち合いや、
外の人たちとアレコレ関わらなくてはいけなくて、
面倒で手間だけれども、
でも、大人は大抵みんなやっているというようなことは、
母のことであれ、住んでいるマンションのことであれ、
「ハジメにしてもらって」と母に言って、
母もしかたなく僕に回わしてくる。
母が弱ってこういう今でも、
やっぱりこうだ。
●
だけど姉は一方で、
こんなことも言ったりする。
「全部自分で背負わなくていいからね」
「できることがあったら言ってね」
20年前の震災後に僕がアレコレしていた時、
父の入院から死去後の手続きなどやっていた時、
そして去年からの母の通院検査と高齢者サービス手続きの時、
仕方なく一人で沢山のことをしていると、
必ずタタタとやってきてこう言う。
言うとたいていすぐにタタタタタと向こうに走っていく。
この言葉通りなら、
エアコンくらいやってくれるはずだけど、
今までもそうだったように、
やってはくれない。
今年の一月あたりに、
母の通院と高齢者サービス手続きをしていた頃にも、
そう言うのですかさず、
「Kさん(近くの母のかかりつけ医で姉も行ったことがある)で、
紹介状もらってきてくれる?」
と言うと、
ちょっと怒ったような顔をして、
「じゃ、一緒に来てくれる!?」と言った。
何だそりゃ、
「一緒に」って。
じゃあ、
姉はどうしてそんなこと言ったのかというと、
あれはきっと単なる「いい子アピール」で
中身のない単なるセリフなんだ。
「私はいい子ちゃんであることを言っておいただけ」
なので、
内容は別になくて、
実際に力を貸して何かする気があるとかそういうのではない。
だから本気にして「〜してくれる!?」といっても、
「わかった言ってくるね」なんて言うはずもなく、
逆に姉は、
「“〜してくれる!?”なんて偉そうに言われた!」とか思って、
“〜してくれる!?”返しで答えたりする。
で、
僕が姉の返した「してくれる!?」をしてあげなかったら、
「ほーら、ハジメだってしてくれないやんか!」
ってきっと思っている。
って、
あれ?
じゃあ、なぜ言いに来た?
だから、
「いい子アピール」だけのために言いにくるのだ。
訳がわからない。
●
それから、こんなことも言ったりした。
「これからの私を見て!!」
これは今年の1月か2月。
僕が「前にはああ言ってたんとちゃうかった?」
「あれとか、してくれなかったやんか」とか、
以前の事実を言ったりしていると、
姉がそれに答えて強く言った言葉だ。
この言葉通りなら、
これまたエアコンくらいやってくれるはずだ。
あの1.2月の時点での「これから」は、
「あれから」ずっと来て、今のここだ。
けど、
これも姉が単に、
あらかじめ前から頭の中で、
「昔のことをいろいろ言われたら、
“これからの私を見て”って言っておけば、
きっといいな」
と考えて、
そのセリフをそのまま言っただけの話だ。
僕の言う特定の言葉を、
「どう言ったらその場だけあっちに退けられるか」
だけを考えて思いついた言葉だ。
だから中身は空っぽで、
「言った以上はちゃんとその通りにやらないと」
なんてことを思ったりしている訳ではないし、
実際にあれから「姉は率先して大変そうなことからまずやっていくようになった」なんてこともない。
だいたい言い方からして、
軽そうなドラマのセリフだ。
だからエアコンを手続きからやってくれるとか、
アテにはしていない。
そりゃ、したくてもできない。
●
それにしても、
上からずっと順に書いてきたアレコレ、
いったいこんなやり方(汚い言い方でいうと「やり口」)、
どうやってマスターして、
どういう心になれば実践する気になれるのだ?
僕にはそれがわからない。
しかも家族に向けてやっているのだから。
(まるで悪どい政治家や企業ならやりそうなことけど)
でも普通は、
なかなかしない気がするよなぁ、
つまりこれは、
家の中にいないとわからない、見えない、
姉のやり方(やり口)で、
黙っていると、
他の人にはわからないし、
ちょっと信じがたいかもしれない。
だからこそ困る。
●
本当に、
家族に対して、どうして、
「敵か味方」で「勝つか負ける」なのか。
どうして家族らしい優しさや気持ちが先に来ないのか。
わからない。
それなのに、
「家族なんだからやってよ」みたいに、
都合よくそんな風にして、
今だに家族をアテにしてベタッと母のそばにいる。
わかれるはずがない。
●
さて、
「してくれない話」が長くなったが、
問題は母の寝室のエアコンだった。
さて、
どうしたものかなー、
と思っている。
「エアコンを注文」することにすると、
まず母はやる前にちゃんと姉には言うだろう。
で、
その時に姉が「私のも買って」と言うとして、
それを僕がしないと言っていると言えば、
そりゃもう母はガーッと姉に言われるかもしれない。
僕に言えない分、母に当たりそうだ。
父に似て、それはある。
その時に、
「お金は全部私がだすからハジメにやってもらって」
とか言い出すようなこともあるかもしれない。
それもなんだかなぁ、
姉に出させたらあとあと「私が出した」とか、
母がしょっちゅう言われたりするだろうなぁ。
かと言って、
僕が勝手に注文しちゃうというてもあるが、
それはそれで、
「ハジメが勝手にやったのに、
なんでお金出さないといけないの!」
みたいなことを言っても不思議じゃない。
(お金は母のものなのに)
たぶん母としては、
もう姉がどうこう言うのもつらいし、
ハジメにいつも用事の負担を負わせるのも可愛そうだし、
兄弟がゴチャゴチャなるのを見るのも嫌だし、
私さえ辛抱したらいいんかもしれへん、
と思ってしまいそうだ。
もしこのままになっていて母が熱中症になったら、
かかりつけ医に、
窓が開いていない時間があったことと、
エアコンがすんなり交換できなかった理由を、
ちゃんと全部包み隠さず言わなければいけなくなるだろうな、
と今から思っている。
それにしても、
そうなってしまう前に、
何か方法はないかちょっと考えよう。
エアコンは。
●
そうなんよなー、
こうやって、
姉の言動のアレコレが理由で、
ものごとが「硬直状態」になってしまう。
で、
楽に切り抜けるには「姉のしたいようにさせるしかない」、
みたいな状態にしてしまうのよなぁ。
ほんとうに、
「やり口」と言わずにはいられなくなるような。
そんな「やり方」だ。
ただ、
そういうのは正しくないから、
そして明るい楽しさを消してしまうから、
よくないことだと思う。
それには神様も仏様も太陽も宇宙の不思議も運命も、
きっと同意してくれると思う。
本当にそう思う。
そんなこんなです。
That's all for now.
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