ちょっと前の話になっちゃうけれど、
8月の初め頃にチケットをもらって、
でも、なかなか行けなくて、
(仕事や暑さやトランクルーム引っ越しの整理とかで)
開催期間ギリギリ9月終わり頃にようやく行った、
兵庫県立美術館『山村コレクション』展。
豚がお出迎え。
ここに来ると必ず、
このアングルで、
階下から見上げてごらん♪で、
お約束の写真をパチリ。
どこかのおじさん入りま〜す。
楽しんできてね。
この入り口の横の白黒の人が山村さん。
(実際の山村さんは白黒じゃないよ←当たり前じゃ!)
山村徳太郎さん。
1926年(大正15年で昭和元年)生まれで、
1986年(昭和61年)に亡くなった。
60才か、若いな。
「日本山村硝子」という、
兵庫県尼崎市にある、
ガラス製品やペットボトルを製造している会社で、
ガラスびんのシェアーでは約40%と国内トップ企業である。
というのはWikipediaからの写しで、
みんなもよくする様に、
ただそれっぽく書いてみただけだけれど、
とにかくその「日本山村硝子」という会社の、
社長さん(シャチョさん)だった人だ。
ここからはこのシャチョさんのことを、
「徳さん」と呼ぼう。
この徳さんが、
集めた美術が、
この『山村コレクション』。
が、
徳さんのコレクションはいわゆる、
「誰が見てもよく分かる(つもりの)美術品」ではない。
西洋の色の白い西洋人が並んでいるとか、
マネとかモネとかミロとか強い子とか、
刀剣とか仏像とか掛け軸とか雉とか柿とか、
そういうんじゃない。
前衛芸術とか抽象芸術の美術品を集めたコレクションだ。
僕はここが、
ミソだと思っている。
僕みたいな、
美大とか出ていない半端な立場にいる人が、
前衛芸術とか抽象芸術とか現代美術とか観に行ったりすると、
アタマが子供なおっさんたちがわらわら寄ってきて、
「お前、そんなんわかるんかー、お〜?」とか、
「お前、難しいもん見とうのー、偉なったのー」とか、
言ったりしてくる。
いや、
わらわらと言うほどそういうことがある訳ではないが、
とにかくそういうことにしてくれないと、
話が盛り上がらないのでそうしてほしい。
が、
そういうおっさんに限って逆に権威主義というか、
わかりやすい「社会システム」には従順というか。
そこで、
徳さんの登場だ。
徳さんはシャチョさんだぞ!
社会システムのビジネスのトップ群にいた人だ。
どうだ。
わかりやすいだろう。
その、シャチョさんが集めたもんだ。
こりゃぁ、
間違いがない。
社会システムで正しいところにいる人が、
間違う筈が無い。でしょ? でしょ? でしょ?
「シェアーで約40%国内トップ企業」!、
どうだ、すごいでしょ? こういうのに弱いでしょ?
正しいに違いない。でしょ?
是非観に行かないといけないでしょうよアナタ。
いや、
別に作品たちを分かる必要はないよ。
ほら、あるやん。
「僕、この車のフロントのシュッと曲がった感じがなんか好きやねん」
とか、
「俺、お前のあの服のあの色がなんか好きやねん」
とか、
「あのスポーツはルールがわからんけど何か見るのが好きやねん」
とか。
「キッ、とした気の強そうな女の人がなんか好きやねん」
とか。
「そのくらいのものが、
そこに行くと実はゴロゴロ置いてるねん」
くらいでまずは行ったらいいねん、
と僕は思うねんねんねん。
こういうのは。
あ、いつのまにか関西弁になってしもたねん。
(「しもた」に「ねん」はつけません!)
でもって、
作品の横に書かれている説明とかよんで、
「ああ、なるほど、そういうことね」
ともし共感できたら、
それはそれでいいんじゃないでしょうか。
10個見て1つ何か心に残れば、
それだけでいいもんよ。
だってだいたい、
アナタ、周りの10人の人の気持ち、
全員理解してあげてる?
してないでしょう?
そんなもんやん。
そやって1つ2つ3つでも、
何かお気に入りが見つかればいい、
と、そんなもんでいいじゃないかな。
難しいことは専門家に任せて。
もちろん、
行って観て、
テーマにしたことだとか、
作者の意図だとか、
作者の込めた心情だとか、
作家人生においての位置づけだとか、
美術史の中での意味合いだとか、
時代背景だとか、
そういうものに興味がもてたらそれでよし。
どのみち、
同じ「人」が作ったものでござりますのよ。
(軽くみて言っているのではなく敬意を表して)
それらは全て、
面白いと感じれば、面白い。
「美術素人」には、
美術素人なりの楽しみ方があっていい!
そして、
興味がわけば、
もっと深めていけばいい。
そうじゃなきゃ、
「美術」が広がらないじゃないか。
逆に、
「美術は我々専門を学んだものだけのものさ、
わかりもしないくせに」
と思っている人がもしいたとしたらそれは、
「美術の味方なのか敵なのか?」
時に知識はジャマになる。
その分、こちらはラクだ。
それでいいと思う。
赤塚不二夫が亡くなって10年ちょい。
改めて言いたい。
「これでいいのだ」
でも、
徳さんの『山村コレクション』展はもうおわっちゃったんだけどね。
(ガクッ)
で、
その日僕はといえば、
色んな作品の中で「青いの」に足がとまった。
もう「青いの」でいいや。
抽象芸術だから。
なんだか、遠くから見たら、
まるで魚が水の中でキラキラさせながら泳いでいるような、
そんな感じの絵だ。
(ところどころ黄色が置かれていた)
もちろんそれは魚ではなく、
「形」がいっぱいあるだけなんだけれど。
まるで魚が泳いでいるように見えた。
その「青いの」でとてもいい気持ちになった。
それでいいじゃないか!
そう思ってもらったその絵は、
とても幸せだ。
キミはどっちが幸せだ?
「あなたの社会的な背景と意味合いと家柄がつきあっている理由です」
と言われるのと、
「何だか知らないけれどとにかく一緒にいるとウレシイ気持ちになるョ」
と言われるのと。
さぁ!
さぁ!
さぁ!
●
と、
その時にそんなことを力を込めて思っていたワケは無く、
(ガクッ)
2時間ほどの時間をかけて、
「何だこりゃ?」とか「面白い!」とか、
「好き!」とか「なるほど!」とか「わからーん」とか、
いろいろ思いながら観終わった。
(青いのがヨカッタのはホントよ)
そして、
ここに来るとこれまた必ず覗く美術館の裏手に。
そこにはいつも通り「なぎさちゃん」が立っている。
4年くらい前まではカノジョはいなかったんだよなー。
いつも海だけを見て帰ってたんだよなー、
と、思いつつ。
いつのまにか、
「裏の海を見てから帰る」というのが、
「裏のなぎさちゃんを見てから帰る」になっちゃったよなー、
と思ったり。
でも、
ここに来ると必ず裏手の「なぎさちゃん」も見て帰る、
というのはなんだか、
「この神社に来たら必ず裏手の〝ご神体の木〟も拝んで帰る」
とか、
「このお寺に来たら必ず裏手の〝お不動さん〟も拝んで帰る」
とか、
なんだかそんな感じよなー、
と思ったりして、
フフッと微笑んだりして。
もしかしたら、
シンプルな信仰というのは、
そういうものかもしれない。
ちょっと目立つ、
〝いつもそこにあるもの〟を見て、
安心する、みたいな。
500年くらいしたら、
本当にご神体になってたりして。
とにかく、
楽しめたよ、
ありがとう、
徳さん。
そして、
神様も、
ありがとう。
そんなこんなです。
That's all for now.
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