10月の中頃、
先々週、
先々週、
僕にすれば〝困った〟姉が (●)、
友達と旅行に行った。
友達と旅行に行った。
姉には珍しいことだ。
いいことだ。
そうやって普通に外の世界に関わることには、
賛成だ。
いいことには「いい」と思う。
姉を誘った友人は、
姉の学生時代からの友人で、
ごくたまに姉を誘って連れ出すいい友達だ。
僕も随分と昔、20才くらいの頃、
家に遊びに来たその友人と会ったことがある。
一泊で行くので、
母から「その日の晩はひとりになるので泊まりに来てくれへん?」
と、そのちょっと前に頼まれた。
で、
当日の前日。
その日は木曜日で本来ならば夜に顔を出す日だ。
でも、姉が旅行で泊まるのは次の日の金曜で、
1日ずれることになるので、
念のために、朝、
「今日は帰らなくて明日の夜泊まり、でいいよね?」の確認の電話をかけた。
すると出なかったので、
留守電に伝言を残して切った。
しばらくすると、
母からの折り返しの電話があった。
でも、
その声はなんだか緊張したような堅い声だった。
それで、
「あれ? 家に姉がいるな」
「あれ? 家に姉がいるな」
と、すぐに感じた。
経験から。
経験から。
しかも、
横で母と僕の会話を聞き耳を立てて聴いているか、
あまり考えたくないがもしかしたら親機か子機で、
こっそり会話を聴いているかもしれないなと。
姉はそういうコソコソしたことが大好きだ。
そして一方、
姉とは違って、
姉とは違って、
母はピュアで本来はウソはつけなくて、
また本性としてはコソコソするのは嫌いで、
だからそういう時は会話の声に出てしまって、
おそらく近くにいる姉が気になって、
普段よりも堅く、少し緊張したような、よそよそしいような、
そんな言い方と声になってしまう。
父の入院の間も、
その後の父の手続きの時も、
さらにもっとずっと前から、
今までそうらしい時の声は何度も聴いている。
逆に、
あきらかに1人でいる時はハッキリと違っていて、
もっと柔らかいリラックスした優しい声になる。
これは母自身でも意識して再現は出来ない。
これは母自身でも意識して再現は出来ない。
だからよく分かる。
そう、
「第六感でピンと」とかそんなカッコつけた話じゃ無くて、
ただ単にこれまで散々経験させられから分かるのだ。
きっと誰でも僕と同じ場所に立てば分かる様な、
結構単純な事じゃ無いかと思う。
そう、
「第六感でピンと」とかそんなカッコつけた話じゃ無くて、
ただ単にこれまで散々経験させられから分かるのだ。
きっと誰でも僕と同じ場所に立てば分かる様な、
結構単純な事じゃ無いかと思う。
「そうか、もう、なんだかなー」
と思いながら、
気づかぬフリで僕は普通に話を続けた。
「今日は行かないけれどそれでいいよね?」と。
「明日の朝にでもまたもう一度電話するね?」と。
それは、
母が高齢になってから、
ちゃんと確認は多い方がいいと思って、
このところは出来るだけそうやっている念押しで、
母自身も「何度も電話してくれた方がいい」と、
たまにそう言ったりするのを受けてのことでもある。
それなのに、
その時は何だか早く電話を済ましたい感じで、
「明日の朝にでもまたもう一度電話するね」のところで、
「もう別にしなくていい」みたいな反応を母はした。
やはり、
今日は姉がいて聴いているな。
今日は姉がいて聴いているな。
電話の最中も、
電話を切ってからも、
アタマで予想しながらだったけれど、
たぶん、
姉は自分が旅行でいない間に、
僕と母が2人で美味しいものでも食べに行くんじゃないかと、
それはイヤだと、
僕が電話をかける前からゴチャゴチャ母に言っていたのかもしれない。
いや、
子どもみたいな話だけれど、
今までにも何度も似たようなことがあったから。
そして、
電話での僕らの会話を、
姉が横で聴いているのを知らない僕が、
そんな風に考えていたら、
そのあと1時間ほどしてから、
母から電話があった。
母から電話があった。
「ん?」と思って出ると、母が、
「あの、お昼ご飯は食べてからきてな」と、
いきなりそれだけ言った。
「あの、お昼ご飯は食べてからきてな」と、
いきなりそれだけ言った。
同じく堅い声と言い方で。
へ?
そんな食事の話なんかしてないのに、
いきなり唐突なそれは。
この電話で全部わかってしまうやん。
やっぱりこれは姉がダダこねてたんだ。
僕が「明日また朝に電話する」と言ったのを聴いて、
「やっぱりどこかにお昼食べに行く約束してるんや。
明日の朝の電話でその話するんや(泣き声)」
とか言ったのだろう。
だから母は、
「行く約束なんてしてないって!」とか言って、
「じゃあ、昼は食べてきてもらうように言うわ。それでええな?」
とか言って、
唐突な「お昼ご飯は食べてきて」電話をかけざるを得なかったのだろうな。
やれやれ。
姉は幾つだ。
姉は幾つだ。
そりゃもし時間があれば、
昼から母と食事に行ってもいいなとは思うけれど、
僕は仕事だってやらなきゃいないし、
生活のことでもすることは沢山ある。
都合がつくかどうかは分からない。
生活のことでもすることは沢山ある。
都合がつくかどうかは分からない。
それに、
もし母と僕がおいしいもの食べに行ってもいいじゃないか。
もし母と僕がおいしいもの食べに行ってもいいじゃないか。
自分も旅行に行って美味しいもの食べるのだから、
「お昼は2人で美味しいものでも食べてきたら」
くらい姉から言ってもいいんじゃないかと思う。
でも、中身が子どもだから、
そういった大人なコトバは無理だなぁ。
いつものように、
子どものような泣き顔で、
「2人だけででおいしいもの食べにいったらイヤや」
なんだろなー。
なんじゃそりゃ。
おまけに高齢の母を振り回して。
おまけに高齢の母を振り回して。
だから、
そもそもそうだったのだけれど、
「明日は仕事もあるし、
行けるのが何時になるかわからないので、
行けるのが何時になるかわからないので、
今日の仕事の進み具合をみて、
さっきも言ったけれまた明日の朝に電話して、
さっきも言ったけれまた明日の朝に電話して、
どだいたい何時くらいになるか言うよ。
でもたぶんいつもと同じくらいの夕方になる」
と改めて母に伝えて場を落ち着かせた。
で、
次の朝、
母に約束通り電話を入れた。
すると昨日とはうって変わって、
のんびりしたリラックスした優しい柔らかい声だ。
ひとりだし、姉の妙なプレッシャーがないからだな。
いい感じだ。
よくわかる。
いい感じだ。
よくわかる。
僕は、
「仕事も進められたので、いつもの時間より少しくらいは早く行こうと思う」
(布団などの準備もしないといけないだろうから)
(布団などの準備もしないといけないだろうから)
と伝えた。
すると連絡の話を終えてから母は、
言っておかねばという感じで、
言っておかねばという感じで、
「うちの子はどちらも大器晩成やとワタシは思っている」
とこれまた唐突に言い出した。
「あぁ」と思った。
前も同じ様なことがあったなぁ。
父の死去後の一連の手続きの時に、
姉がごちゃごちゃとややこしくなった時期、
母と一緒に銀行に行くために朝電話したときに、
母が最後に唐突に、
「わたしは、どちらも、いい子やと思ってるねん」と言ったことがあった。
母が最後に唐突に、
「わたしは、どちらも、いい子やと思ってるねん」と言ったことがあった。
その時はおそらく姉が前の日かにでも、
「どうせ私なんかハジメに嫌われてて、
私なんかいなければいいと思われているんやー!」
私なんかいなければいいと思われているんやー!」
と姉が母に訴えてひと騒ぎしたのだろう。
それで、母のこのひと言だったのだと思う。
だから今回も、
「ワタシの至らないところをハジメは嫌っているんやー。
自分も足りないとこがあるのにお互い様やんかー!」
自分も足りないとこがあるのにお互い様やんかー!」
とかそんなことを言って、
かんしゃく起こして子どものように訴えまくってひと騒ぎしたのだろう。
かんしゃく起こして子どものように訴えまくってひと騒ぎしたのだろう。
それを受けての母の、
「うちの子はどちらも大気晩成やとワタシは思っている」
なんだろうと思う。
ちょっと何かがズレているのだけれど、
そのズレ方が前とよく似ているので、
多分そんな感じだったのだと思う。
せっかく旅行は「外へ向くこと」でいいと思ってたのに、
やっぱり内側を向いて「お母さんとハジメがどうでこうで」
みたいな感じになってしまって。
結局狭い内っかわに向かってのウジウジを分からせしまうなんて、
そんなコトしない方いいと思うんだがなあ。
やっぱり内側を向いて「お母さんとハジメがどうでこうで」
みたいな感じになってしまって。
結局狭い内っかわに向かってのウジウジを分からせしまうなんて、
そんなコトしない方いいと思うんだがなあ。
本当に、
「何をいつまで子どもの頃のようにやっているのだろう」
と思いつつも
とにかくそれはそれとして、
その日は仕事など適度なところまで済ませて、
夕方に母のところに行った。
さて、
母はもう色んなことが昔のように、
ササッとは出来なくなってるいので、
夕方から夜にかけて、
「アレしてくれへん?」「コレしてくれへん?」と〝替わりにお願い〟のヒットパレードで、
もちろん普段は離れているのもあるから、
「いいよ」「いいよ」と色んなことをした。
まぁ、それらは、
僕が日々自分の家でもやっていることで、
炊事、風呂などそれらの小さな日々の準備や片付けなど。
生活者ならばみんな日々やっていることだから、
普通のことだし。
まぁ、それらは、
僕が日々自分の家でもやっていることで、
炊事、風呂などそれらの小さな日々の準備や片付けなど。
生活者ならばみんな日々やっていることだから、
普通のことだし。
それに、
まだ赤ちゃんの頃、
僕は母にいろいろとしてもらった。
(本人憶えてないけれど)
(本人憶えてないけれど)
生まれてしばらくは、
「ダーッ」とか「でーっ」とか言う以外は何も出来ない頃に、
身の周りのことは全部母がやってくれたので、
そのお返しの気持ちだ。
まぁ、
誰でもきっとそう思うのかもしれないけれど。
誰でもきっとそう思うのかもしれないけれど。
ただ1つ、
めちゃくちゃ朝早く(午前4時)に「朝ごはんどうしよう?」
と起こされのだけにはまいった。
「母よーっ。。」と。
仕方がないので、
しばらくして起きたが、
で、泊まり明けのその日は曇りで、
「ずっと家にいても体に良くないから、
散歩がてらスーパーに行こうか」と提案して、
少し外に出た。
一応傘を持って出たが、
ちょっとだけ陽もさして湿気でムシムシしていた。
ちょっとだけ陽もさして湿気でムシムシしていた。
母を支えながら、母のカートをひっぱりながら、
汗ばみつつスーパーに行った。
母はトコトコと一生懸命ついてきた。
母はトコトコと一生懸命ついてきた。
母の買い物を少ししてイートインでコーヒーを飲んで、
そして外に出たらポツポツと降ってきた。
どんどん雨がひどくなる中で傘をさして、
母を支えながら、母のカートをひっぱりながら、
今度は結構濡れたりしながら、
マンションの近くまで頑張って帰ってきた。
母はまたまた黙って一生懸命ついてきた。
母はまたまた黙って一生懸命ついてきた。
するとマンションの前で、ピタッと雨がやんで、
「歩いている間だけ降ったんか!」と、
2人で怒って笑った。
2人で怒って笑った。
その日は姉が帰ってくるのを待って、
自分の家に帰った。
それからほぼ一週間たった先週の木曜、
週イチのいつも通りに母のところに行った時に、
朝早く起こされたことを聴いてみた。
すると、
「え?起こした?そんなことした?」
と。
「えーっ?! もう、母よーっ」
笑った。
笑ったからまぁいい。
笑えることは、まぁいい。
それにしても、
佐野家はどんどんとますますカオスになっていくなぁ。
カオス=「混沌(こんとん)」「無秩序」。
関西弁で分かり易く言うと、
「なんかもうめちゃくちゃやんー」。
父も「カオスの素(たまねぎ味)」みたいなところがあったけれど、
まだ3人の時はバランスがとれてたのかな。
まぁ、
人が決して触れられ無い独特の変わったバランスだったのだけれども。
さぁ、これからどうなっていくのか。
その日(先週)、
母は、
天皇陛下の「即位礼制電の儀」の時の写真が載っている、
新聞を探して見せてくれた。
昔から母は、何でも「見せる」のが好きだ。
関西弁で分かり易く言うと、
「なんかもうめちゃくちゃやんー」。
父も「カオスの素(たまねぎ味)」みたいなところがあったけれど、
まだ3人の時はバランスがとれてたのかな。
まぁ、
人が決して触れられ無い独特の変わったバランスだったのだけれども。
さぁ、これからどうなっていくのか。
その日(先週)、
母は、
天皇陛下の「即位礼制電の儀」の時の写真が載っている、
新聞を探して見せてくれた。
昔から母は、何でも「見せる」のが好きだ。
そして、
僕は子どもの頃から、
僕は子どもの頃から、
そんなこんなです。
That's all for now.
✓
(※〝父も「カオスの素(たまねぎ味)」〟と書いたのは、父が淡路島出身だからである)