数日前に完了している、
『ナンクロメイトDX』誌のイラスト。
編集部からのお題は、
〝 のどごしスッキリ! 〟
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編集部からのお題は、
〝 後へは引けない 〟
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編集部からのお題は、
〝 浮いたり沈んだり 〟
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(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
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先週、
父親の死亡後の手続きが、
だいたい終わった。
まず火曜日に、
マンションのローンの負債相続の手続きを終えた。
22年ほど前の震災後に母の希望で購入して、
すでに父は老齢だったので、
僕と連名の共同名義でローンを組んだマンションだ。
そして、
自立できず責任をとりたがらない、
困った姉が、
今もベッタリと母に依存してくっついて住んでいる、
というちょっと問題もアリアリ案件だ。
姉は、
父の死後に何も討議することなく、
「私は収入少ないから負債の名義人にはなれない」
と真っ先に自ら決めて母に訴え、
逆に、
「住んで色々しているから建物の登記には連名でいれてほしい」
(そんな心配しなくても父の法定相続分は姉のものなんだが)
と続いて母に願いを訴えて、
その母経由でそれらを頼まれて、
(いつもコレ)
仕方がないので僕はその通りにしてあげている、
という感じになっている、
僕にとってはある意味モヤモヤの種のマンションだ。
で、そのローンの負債を、
父と僕との共同から、
僕だけの負債に相続をする手続きをした。
まぁ、形は僕の負債でも、
母が引き続き少ない年金から払っていくのだけれど、
「将来どうなるのか?」
ということに関しては、
モヤモヤとしたものが残る。
母がお金を払っているけれど、
社会的に借金をしているのは僕、
ということもそうだし。
また姉は人にすぐに色々約束させたがるが、
自分は何かちゃんとした約束などを絶対したがらない、
ということもある。
さらに「でもそっちだって」とオウム返しをする。
難儀だ。
友達なんかじゃないような他人はきっと、
「その時はその時でなんとかなりますわー」
と簡単にひと事として言うだろうけれど、
まぁー、
当事者としては、
「自分の不安しか考えていない」という姉のこれまでも知っているので、
そりゃあ、
現在進行形の今は、
当然モヤモヤとしたものが残る。
また、
ここまでの過程で、
「バシッとすべて拒否する」
みたいな方法も、
あり得なくはなかったのだけれど、
出来る?
今そう思ったアナタ、
この今までの流れで、この状況で、
父母への自分としての思いやりもありつつも、
しかも道理で話しても通じないめんどくさかったりする人もいて、
アナタ出来る?
いや、
出来る人は、
最初から人のためには何もしないか。
僕は自分自身のことでも、
ただでさえ、
険しい目の自立した道をある時点から選んで歩いているのに、
(もちろんそれは自分で選んだ好きなことだからいいのだけど)
横から自分の意志に関係なく、
良かれと思ってやったことが仇でこんな感じに、
しかも人にはいいづらいような、
他人にはなかなかわかってもらえないような、
感じになってしまうなんて。
めちゃくちゃ逆境やん。
引き受けた以上は、
「ドンと思っていよう」とやっているが、
果たして、
この状況で今から、
佐野は自分自身の幸せと、
自分の心のゆったりした安心をつかむことが出来るのか??!!
そんな僕を、
心からサポートしてくれる人やヒトや女性(ひと)は果たして現れるのか!
いや、
きっと現れるだろう!
現れるにちがいない。
そうじゃないとおかしい!
ガンバレ佐野!
負けるな佐野!
今日も笑顔で人にもつとめて明るく楽しく、
文章の語尾にうっとおしい「…」は出来るだけ使わずに、
進め佐野佐野!
自分に酔っていいから、
どんと行け!
●
ということで、
そのローンの手続きが終わったので、
母がそのローン返済の引き落としに利用していた、
残高アリの父名義の口座を、
母が相続する形にするという手続きを、
引き続いて木曜に行ってきた。
で、
朝、
一度母の家に迎えに行く前に、
「今から出るよ」と確認の電話を入れた。
すると、
電話を終える前に母がいきなり唐突に、
言っておかないとというみたいに、
「わたしは、どちらも、いい子やと思ってるねん」
と言った。
むむむ、
急にそんなこと言うなんて
姉が何かまた母に訴えてひと騒ぎしたのかな?
「どうせ私なんか嫌われてて、生まれてこなければよくて、そんで私はこれから一人やぐにゅぐにゅぐにゅー!」
とか。
そんなことなのかもしれないなぁ。
まぁけど、
母よ。
アナタの言うことは間違ってはいない。
僕は母ではないけれど、
(当たり前や!)
「母親」
というものは、
お腹を痛めた子は、
そりゃ、どんな子でも可愛く、
「いい子だ」と思うのだろう。
それはそれできっと正しい。
ぜんぜん間違っていないと思う。
問題になるのは、
子供の方だ。
いつまでも、
88才になった母が、
60才前後の子供たちのことを
「わたしは、どちらも、いい子やと思ってるねん」
と子に言っているのもまぁ何だけど、
改めてそう言わないと治まらないような、
そんな風にしているいつまでも子供のままの子自体が、
ちょっと「困った大人」なんと違うかな。
ので。
それはそう思って、
母のその、
「わたしは、どちらも、いい子やと思ってるねん」には、
「はい」と心から言って収めてあげるのが、
僕なりの世の中全部の「母というもの」への、
リスペクト(何でも英語で言うな!「尊敬の念」)
かと思い、
そうした。
●
といったアレコレを含みながらも、
11月終わりごろの父の死亡後からの、
葬儀と火葬の手配から、
役所関係、
葬儀やお寺やお墓関係、
死後の確定申告、
ローン負債相続の手続き、
その他銀行の口座関係数件、
など大雑把にみても10件以上の手続き、
何か言ってこなければ、
ようやくひとまずこれで完了。
一人でよく頑張ったなー。
(時には母を連れ添いながらも)
仕事も忙しかったりするのに。
まあ、
それでも出来たのは、
実はアチコチ行ってアレコレ見たり知るのが好きで、
そういう部分を楽しんでやっているところもあったからかもしれない。
だからもし、
「やったからってエラソにしてる」とか、
「恩にきせてるんとちゃうかと」か、
そんなイチャモンを誰かに言われても、
姉が訴えて母に言わせても(過去に経験済み)、
もうぜんぜんいい。
かまわない。
特に、
父の出生からの戸籍をとりにの淡路島の洲本行きは、
まぁ、こういうことでもないと行かないので、
ちょっとよかったかな。
てな感じやで、
お父さん。
あとはそっちから色々よろしく。
そんなこんなです。
That's all for now.
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