『クロスワードMini』誌のイラストが完了。
編集部からのお題は、
〝 華麗に舞う? く〜るくる回る 〟
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編集部からのお題は、
〝 イエス or ノー? アンケート 〟
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編集部からのお題は、
〝 昭和の三種の神器 ブラウン管テレビ 〟
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編集部からのお題は、
〝 虎穴に入らずんば 虎子を得ず 〟
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(C)Hajime Sano
(株)マガジン・マガジンのパズルメイトシリーズの雑誌です。
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
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ちょっと前から読んでいて、
あともうちょっとで読み終わる、
赤塚不二夫さんを特集したコレ。
これは『スペクテイター』という、
いろんなジャンルの特集をする、
年3回刊の雑誌だそうで、
今回の特集は『赤塚不二夫』さん。
表紙がいいなぁ。と思って。
ちょうど僕が小さな頃、
おそ松くんのイヤミの「シェー」が流行ったり、
散髪屋さんの「少年マガジン」で『天才バカボン』を読んだり、
小学4年生くらいでアニメの『天才バカボン』が始まったり、
赤塚不二夫の漫画は人気があった。
子供なので、
「人気のあるおもしろい漫画家、
いいなぁいいなぁ。ひゃぁひゃぁあははは」
なんて感じに思ったりしていた。
特に僕は「面白いもの」が大好きだったので、
飲食店や医院や友達のところに赤塚不二夫の漫画があったら、
「あっ、赤塚不二夫っ」と喜んで読んでいた頃があった。
当時、
漫画の扉のところの名前「赤塚不二夫」と並んで、
「フジオプロ」と書いていたのは見ているし、
また、その時代から、
「漫画は分業で作る」というのは知識として知っていたけど、
フジオプロでのそのあたりの実際の詳しいことが、
当時のアシスタントや編集者の証言で詳しく書かれている。
「赤塚不二夫」のプロダクション独特の、
アイデア重視スタイルのことや、
全盛期から完全分業で最後のペン入れの全ても、
赤塚不二夫以外の人がしていたことや、
でも、ディレクターとしての赤塚不二夫は、
はちゃめちゃぶりも含めて、
本当に大したものであったということや、
芸能界に近づいていった頃からスタッフが離れていったことや、
実はシャイでさみしがりやで晩年のアルコール依存も、
それに由来しているんじゃないかということや、
少年時代は満州引きあげ者で色んな過酷な現実を見てきた人であることや。
「昭和=結構表面的にひゃあひゃあ喜んでいて本当をあまり知らない」
ということの1つが、
また「ペリッ」と剥がれたような気がする。
でもまぁ、
間違いなく、
おもしろすごいなぁ。
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とにかく、
僕だってやったやった。
やりまくった。
(キミ、前歯が生え替わりでスキッ歯になってるよ)
あ、
こういうのを見ると、
時々いるんだ。
「シェーッはそうじゃないんですよ。
正しくは右手はこうで、足はこうで、ダメだこれは違う違う」
とか言う人。
もう〜。
イチイチうるさいなぁぁ〜。
でも今回画像検索でイヤミのシェーッを調べてみたら、
「どちらの手をあげるか」とか、
「どちらの足をあげるか」とかは、
原作の絵でも結構どっちでもありのマチマチだった。
それに、
この特集を読めば解るのだけれど、
そんなことを言っていたら、
きっと赤塚さんはこう言うな。
「そんなのどっちでもいいよ」
だからこその、
このセリフ。
これでいいのだ。
そんなこんなです。
That's all for now.
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