11月2日、
知り合いの詩人(言葉作家)さんの参加している、
イベントに行ってきた。
「神戸文化祭」。
ここ数年神戸で行われている芸術文化のイベントで、
数日間に渡って神戸のいろんなところで、
美術や言葉や音楽や工芸などなど文化的なものの、
それぞれのイベントや展示やパフォーマンスやライブが行われたりするものだ。
で、
僕の知り合いも「神戸文化祭」の参加者として、
一日だけ、
ギャラリーでイベントを行った。
その方は知人のお嫁さんで、
もう随分前から僕のかつてのパソコン作品や、
その後作ったサイト「なごむアトリエ」などを見て、
ずっとメールなどで応援してくれている方で、
知り合った当時は普通の主婦だった。
でも、
もともと文学や美術の好きな方で、
個展やイベントなど、
「いろいろよくみてまわってる」うちに、
ふと気づけば自分の言葉作品などを人に見せたり、
自らも何かをおこなっているその場所にいたり、
デザイナーさん画家さんとユニットを組んだり(しばらく ☆)、
いつの間にか発信する側でもある人になってました。
昔、同じ会社だったイセちゃんでもそうだけど、
知っている人が、
そういう風に、
作成して発信・発表するこっち側にくるのを目の当たりにするのはウレシイ。
僕はホントに。
さて、
その方のイベント「筆談カフェ」があったのは、
神戸元町からトアロードを北に上がった途中の左手にある、
隅っこから建物に入っていく、小さな、
隠れ家のようなギャラリー。
中はとてもオシャレ。
で、
入る時に、
思わず「こんにちはぁ」と小声で言ったけれど、
すぐに、指「(しーっ)」をされた。
そう、
そこでは全てのやりとりが筆談なのだ。
「どこかに行ったり人に会ったらまず元気に声で挨拶しなさい」
なんて「社会的に絶対正しいと教えこまれたこと」も、
崩されてしまう。
たぶん、
「まずは言葉でアピールするべし口で説得すべし」、
「とにかく言わねばネハネバが正しいんだ!」、
なんてところに何十年もいた営業職、
みたいな人が来たらきっと、
アタマがグルグルとなって「わーっ」とか叫んで、
イライラ顔で出て行っちゃうかもしれないな。
さて、
ゆったりニコニコと出迎えてくれて、
あいさつも筆談。
入った時にはすでに1人の方がいて、
しばらくして帰られて。
すぐにもう1人の別の知り合いらしき方が来られて、
最初は僕とその方がそれぞれが知人の主催者と、
個々でやりとりしていたけれど、
そのうち交じって3人で。
さらにそこに、
もう1人主催者の知の合い(絵描きさん☆☆)の方が入ってきて、
4人で数枚の紙をあっちこっち使って、
ちょっと高度な4人の筆談の雑談を。
誰かが書き始めると皆が注目して、
書き終わるのを待ってから、
すぐに誰かがそれに答えて文字を連ねる。
そのうちじわじわ盛り上がって、
逆さま字を書いたり絵を描いたりして、
本来の趣旨とは違う方向に行きつつ「あはは」と笑ったり。
おもしろかった。
ちょっと今までにはない感覚で。
かつて使ったことのない部分の脳みそが、
シュワシュワと刺激されるようで。
どんなに声を出すことにいつも助けられているか、
わかったりもした。
また、逆にどんなに声での会話に縛られているか。
筆談の方が自由で優しかったりする部分もあるなぁ、
ということも感じたりもした。
あらためてこういうところでこういうコトをするからこそ、
とても思ってしまう。
けれど、
そういう理屈はおいておいてでも、
ある種の「遊び」という見方をしたとしても、
楽しかったなぁ。
面白くもコミュニケーションというものを再確認した1時間半ほどでした。
(初対面の2人とは、とうとう最後まで声を知らないまま!)
( ↑黙ってカメラを構えようとすると、
黙ってピースで「写していいよ」と応えてくれる。
日本人でヨカッタ)
それに、
ちょっとオオゲサな言い方をすると、
これはアレだ、
声なら当事者以外の他の回りの人にも聞こえてしまうけれど、
筆談なら紙の前の当事者たちと、
そして、〝神様〟だけしか知らない、
会話ってことだな。
おもしろい。
ね、神様。
そうやって、
最後まで黙ったままでにっこりと、
ギャラリーをあとにした。
それにしても、
もし、
「今日Yさんに会ったけれど、ひと言も喋らなかった」
と人に言ったとすると、
事情を知らない人なら、
「そんなに仲が悪いのかぁー」
と思っちゃうだろうな。
あはは。
( ↑当日の模様を報告している、
神戸文化祭の公式FaceBookページより)
そんなこんなです。
That's all for now.
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