「タテパノラマ」の「芦屋の街」編。
今回は、
芦屋川と国道2号線の交差する業平橋のあたりから、
北へ進んで芦屋市民ホールとルナホールを経て、
そのままJR線の山側に出て回り込み、
線路と平行している道沿いに、
ずっと並んでいる商店を見ながら、
JR芦屋駅の山側に出て行きます。
(おお、説明が複雑だぞ)
(明記していませんが、いつもタテパノラマの写真は、
クリックすると多少大きくて多少シャープな写真を、
表示します)
NO.1536 芦屋市船戸町インディアンカレー
2016年10月14日
(*↑ 独特の辛さのカレーでもともと大阪では有名なカレー屋さんの支店です。大阪の高校に通っていた頃に学校の誰かが「インディアンカレーが辛いけどうまい」とか言っていたのがずっと気になっていました。でも、実際に大阪で食べたのはもっと後です。この芦屋店がいつオープンしたのかは知りませんが、2000年代に入ってからじゃないかなぁ。とかにくずっと昔は、芦屋には無かったお店です。ここには、この数年の間に2.3回ほど入りました )
NO.1535 芦屋市船戸町
2016年10月14日
(*↑ JR芦屋駅の道路を隔てて山側(北側)にある「三井住友銀行」です。ここは昔は「さくら銀行」です。そして、当時道路を隔てて南側にあったのが「住友銀行」でした。その後「さくら銀行」と「住友銀行」が合併して「三井住友銀行」になりました。今、道路を挟んで「三井住友銀行」が2つ並んで「?」なのは、そういう理由です。「銀行に深い歴史アリ」です )
NO.1534 芦屋市船戸町JR芦屋駅北口
2016年10月14日
NO.1533 芦屋市船戸町多古好
2016年10月14日
(*↑ 芦屋では老舗のうどん屋である「多古好(たこよし)」さんです。昭和23年創業だそうです。阪神淡路大震災前は阪神芦屋駅の近くにももう一軒お店がありました。今世間では讃岐うどんが幅をきかせていますが、ここは関西風(大阪風?)のおうどんで、麺はフニャッと柔らかでもちっとした麺。そしてダシはしっかりと関西風、色は薄いがコクがある。昔母親がよくここのうどん屋さんを(阪神芦屋の近くにもあったもう1店舗も含めて)よく利用していました。古くからあるので、特に年配の方には人気でいつも満員です。ただ、ここの一杯の量は若い人には少なめかもしれません )
NO.1532 芦屋市船戸町おくだ酒店
2016年10月14日
NO.1531 芦屋市船戸町パスタ&Cafe ピエール
2016年10月14日
NO.1530 芦屋市松ノ内町ぐらたん亭どつぼどーる
2016年10月14日
(*↑ 2006年の夏からの一年間、芦屋に一時住んでいたことがあります。ここは、その当時神戸のよく行っていた飲み屋さんの常連さんの綺麗なYちゃんの、伯父さん(叔父さん?)がやっているというお店で、教えてもらってその頃に行ったりしました。カウンターにミニチュアの電車が走っていて、注文した品がそれに乗っかってやってきます。いやいや本当です )
NO.1529 芦屋市松ノ内町
2016年10月14日
(*↑この古い郵便ポストは、芦屋でももう珍しくなりました。たしかウチのお墓のある霊園の近くにも1つあったはずです )
NO.1528 芦屋市松ノ内町やきとりまさや
2016年10月14日
NO.1527 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋
2016年10月14日
NO.1526 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋
2016年10月14日
NO.1525 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋
2016年10月14日
NO.1524 芦屋市松ノ内町ラリーブ芦屋
2016年10月14日
NO.1523 芦屋市松ノ内町芦屋橋
2016年6月8日
(*↑ 左の隅の橋の下にチラッと見えているのがJRの線路です。この橋の名が「芦屋橋」という名前だとはこの写真を写すまでは知りませんでした。芦屋の中で「一番もらってウレシイ」なそのまんま〝芦屋〟の名前だけがパンと付けられた橋ですねぇ。おそらくそれは、明治期にここに鉄道が出来た時に芦屋の中で出来た橋だからなのかもしれませんね、想像ですが。他の小さな橋はそれぞれのその小さな地域の特徴的な名前がつきますから。そうかー、この橋は芦屋橋だったのかー。この橋はバスの通る道でもあります )
NO.1522 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地
2016年6月8日
(*↑ この公園の場所は、30年ほど前まで「崇信幼稚園」という幼稚園でした。バスに乗ってこの前を通ると園が見えていました。今回調べて知ったのですが、その幼稚園は芦屋川をはさんで西にある「仏教会館」(NO.1518やNO.1563)が関係する幼稚園だったようです。詳しいことはNO.1563にて )
NO.1521 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地
2016年6月8日
NO.1520 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地
2016年6月8日
(*↑ この公園内には、平安時代の歌人「在原業平」の歌碑と、業平と芦屋のゆかりを説明した看板があります(↓クリックでちょっと大きく)。実際はこの公園は松ノ内町で、業平ゆかりから名付けられた業平町は1つ南の区画になります )
NO.1519 芦屋市松ノ内町松ノ内緑地
2016年6月8日
NO.1518 芦屋市業平町芦屋川と仏教会館
2016年6月8日
(*↑ 芦屋川を隔てて西向こうに見えているのは「仏教会館」です、詳しいことはNO.1563にて。芦屋川はこのように、小さな滝のようになったところが所々にあります。この阪神間の地形が、山から海までの距離が短く、地面が北の山側に行くほどに目に見えて徐々に傾斜していることを物語っています )
NO.1517 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール
2016年6月8日
(*↑ 2号線のちょっと北の芦屋川沿いにこの「ルナ・ホール」がそびえています(この写真ではタテパノラマの途中が切れてしまって低い感じがしますが、6階建て分くらいの高さはあるのじゃないかと思います)。このホールは「芦屋市民センター」という市の施設の一部です。コンクリートの打ちっ放しの建物で、現時点でもう建って50年近くなると思います。ある時期は壁の周囲のツタが一番上の方までからまって古さを感じる雰囲気になっていたのですが、数年前に大規模改修がされたそうでキレイになっていました。でも、もうすでに新しいツタが3分の1くらいまで来てますね。植物の力は強い )
NO.1516 芦屋市業平町市民センター
2016年6月8日
(*↑ 手前が「ルナホール」、向こうが「芦屋市民センター」本館です )
NO.1515 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール
2016年6月8日
(*↑ 音楽のコンサートや演劇、落語会、上映会など各種の催しをしています )
NO.1514 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール
2016年6月8日
(*↑ この入り口のところが真っ黒ですが、中に入っても壁が真っ黒です。とにかく中は「真っ黒け」という印象があります )
NO.1513 芦屋市業平町市民センター ルナ・ホール
2016年6月8日
(*↑ 中学の時に学校から映画の上映会を観に来たり、たしか文化祭の合唱の発表会があったりしました )
NO.1512 芦屋市業平町市民センター 本館
2016年6月8日
NO.1511 芦屋市業平町市民センター 本館
2016年6月8日
(*↑ 芦屋川沿い東側で2号線の北側に位置する「芦屋市民センター」(ルナ・ホールも含む) です。文化教室や子供教室や小さな催しなどをやったりしています。高校の頃の夏、この中の数カ所に設置されているテーブルに、何度か勉強をしに来たことがあります。当時の我が家にはまだエアコンは無くて、ここだと涼しかったんですよねぇ。しかも、図書館の勉強室は満員で席取りが必要なのけど、ここは空いていて穴場でした。あと食堂があって、2006年夏から1年芦屋に住んでいた時期によく食べに来たりしました )
NO.1510 芦屋市業平町
2016年6月8日
(*↑ 市民センターの前にある歩道から繋がってそのまま業平橋の下をくぐって、つまり国道2号線の下を渡って向こうに行くようになっているところです。たしかある時期「歩行者はかならずここを通って向こうにいくべし」という感じで、このまっすぐ下の2号線のところにある信号付き横断歩道を無くした時期があったように憶えているですが、ほんとにそうだったかどうか今となっては確かめようがありません。昼でも中は暗かったので、たぶん夜などはもっと怖かったかもしれません。でも、上をゴウンゴウンと車が走る音がするので、小さな子供の頃は結構楽しかったように思います。この立ち位置の左手に市民センターがあります )
NO.1509 芦屋市業平町業平橋
2016年6月8日
(*↑ No.1506のちょうど反対車線の歩道から、北の山側を見ています。川の右手に見えるのが「ルナ・ホール」です )
これまでの「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」はこちら。
それから、
なんで「僕に踏まれた風景(タテパノラマ)」をやり始めたかの説明は、
「No.1〜21」の回のページの写真たちのずっと下の文章に書いてます。
そんなこんなです。