久々の雨。
ここのところはいい天気が続いていた。
昨日も晴れて暖かだったので、
ちょっと散歩に出た。
途中の橋の欄干の下の部分に、
なにやら数字をみつけた。
何だろう?
コンクリートの痛み具合を表す数値とか何かだろうか?
1200と1800の違いは何?
ボンヤリと生きていると、
わからないことが沢山ある。
たとえばこの、
「神戸の絵柄のオシャレなフタ」のついた消火栓だって、
開けて中身を詳しく見てみたら、
きっと「専門用語のオンパレード」だ。
そういう知らないことがアレコレあるのを、
ちゃんと意識した上で、
シンプルに「枯葉やねー、冬も近いねー」
と情緒的なことも楽しむ。
そういうバランスがやっぱり好きだな。
とかく偏ったことも多い当世で。
近くに「御影公会堂」という建物がある。
アニメにもなった野坂昭如の小説『はたるの墓』にも出てくる。
(いや、小説の方は読んではいないのだけれども)
下の写真で左上あたりに見える建物で、
今ではそういうことでそこそこ知られている。
(今、「建物小さくて解らへんやんかっ」って、ちょっとイラッとした?)
で、
最近まで(といってもこの春まで)気づかなかったのだけれど、
その南の川の西側の方の公園に、
『はたるの墓』の碑がたっているのを知った。
たぶん、もう結構前からあるのかな、
うっかり全く気がつかなかった。
その向こうの木々も色づいて、
とても秋らしい感じが。
それにしてもこの御影公会堂のいわゆる「運命」というものは、
ちょっとなかなか興味深い。
よく憶えているのだけれど、
阪神淡路大震災前、
僕がここの近隣に引っ越してきてまだ数年の頃、
郵便受けに入る区の広報に、
「御影公会堂の建て替え計画」の話が載っていた。
ちょっと前がバブル景気の頃だったから、
その流れでそんな話が出てきたのかもしれない。
つまり、
震災が来なかったら、
この建物は壊されて無くなって違うものになっていた。
けれど、震災があって、なのに、
この建物はビクともせずに残った。
そして、その時に、
周辺の震災で家が倒壊した人たちの避難所になって、
周囲の人々の役にたった。
太平洋戦争の米軍の神戸大空襲で焼け落ちきらずに残り、
阪神淡路大震災でも立ち続けて、
人々の避難先で仮住まいになって。
もし人ならば、「エライ人やなぁぁ」
と言ってあげたいところだ。
もうちょっとで「人」に壊されるところでもあったのに。
だからだろう、
(金銭的な理由もあるのだろうが)、
その後、建て替えられてはいない。
けれど、
改めて見てみると、
結構、老朽化も進んでいる気がするなー。
お金がかかってもこれは修復をして、
ちゃんとこのまま保存すべきだと思うのだがなー。
でも、
国の登録有形文化財になっていた、
「震災後神戸の東の酒蔵で唯一残った木造酒蔵」の、
泉勇之介商店があっさり無くなったのを見てから、
もう、そういう部分では、
市とか地元大企業とか、
あまり信用と期待はできない。
「ウチらかてアレコレ派手でオシャレなイベントもせなあかんからお金とヒマなんかおまへんねーん」
ってな感じかどうかは知らないが、
この公会堂も、結局、
そういった地域の大きく力のある、
本来ならお父さん的役割の組織からは守ってもらえずに、
いつかあっさり無くなってしまうかもしれないなー。
これまで市の街としてのイメージアッブに、
地味なりに貢献してるかもしれないのになー。
有名な文化遺産でもあるのになー。
出来れば、
キレイにして、
静かにそのまま残るようにしてあげてほしい。
今まで希な運命で奇跡的に残ってきた、
人々に愛されて役にたったものが、
何気なく静かにずっとある、
それがいいのだ。
(それが生業の飲食業などはまだ良しとしても)、
なんでもかんでも回りのものをすぐに「イベント形」にしてしまう、
最近の世の中の上から下までのそういった風潮というのが、
なんだかこの頃、
「大の大人がバカみたい」と感じられて、
どうも仕方がない。
子供の「お誕生日会」をずっとやってるみたいな。
それで注意されると、
「別にええやんかーーー」とだけしか言えない、
子供のような。
平常でそのままな感じにちゃんとずっと、
がとてもダイジであると思う、
そんなこの頃です。
まぁ。
それにつけても。
秋も、
もうそろそろクライマックス。
数日前の夕方の空。
地球そのものは、
キレイだなぁー。
そんなこんなです。