『ラッキー! クロスワード』誌の、
イラストが完了。
編集部からのお題は、
「2人の絆がさらに深まる♡ デートに向いてるスポーツ」
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編集部からのお題は、
「一本道とはかぎらない… 迷ってこその人生だ!?」
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編集部からのお題は、
「甘くみると痛い目に…」
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(C)Hajime Sano
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
で、例によって、
パズル誌のイラストを紹介した記事のときは、
そのタイトルや絵から何か言葉を拾って何か書く。
「迷ってこその人生
一本道で甘くみると痛い目に」<人の深みとか>
ある程度の長きを生きていて、
できるだけいろんな波や変化に自ら身をおいた者としての目で、
(ちっともそうは見えないけどねーはははは)
これまで、その経過で色んなコトや人を見続けてきて、
本当にこの頃になって思うのは、
「できるだけ迷う道を選ばないで(もしくは選ぶ場面を避けて)、
すんなりとしたラクな状態を選んで(もしくは信じ込まされて)、
これがいいんだなんて甘く思って(本人無自覚でも)来てしまうと、
後々になって、シンドイ目に身を置かざるを得なくなる」
ということがままあったりするということだ。
そういう風になってしまう人がいるということだ。
僕らの世代の前後は特に、
高度成長の子供時代からバブルの若いころにかけて、
「出来るだけ安泰ですんなりした一本道をいくのがいいのです」
みたいな風にすり込まれてきたようなところがあったりもするので。
でも、
絶対完全にそうである保証は、
あり得なかったりする、と、
やっぱりそう思ったりする。
なら、
迷って、自分で道を選んで、時に脇にそれて、もどって、
うまく出来て、失敗して、厳しさを自らの身で実際に知って、
それを経験に持ち直して、また進んで、成長して、
みたいなことを早くから訓練的にやっておく方がよかないか?
そういうコトを何もしてこなかった人にかぎって、
「そっちの道など、そんなに人生は甘くないで」なんて、
本人多くの険しい経験もないのに誰かに聴いたままの決め文句で、
そんな「甘いこと」を簡単に言ったりするものです。
甘いな〜。
その言葉自体だけには重みが無いことが、
経験者にはすっごく解るんやけどな〜。
でも「甘い」から、それを気づかれていることも、
解らないかもしれないなぁ。
そして、
かつて、
そんな風な決め言葉を言って自分は「安泰」と思っていた筈なのに、
今なんだかあんまり楽しく無さそうに過ごしている人を、
何人か知ってます。
けど、
まぁね、
それもこれも、
こんなこと言っていること自体も、
たかだか80年の僕たちよりも遙かに長く存在している、
空に比べれば、
ちっぽけなことか〜。
そんなこんなです。
| なんかエラソにゆうてはりますな〜 /
| けどなんか、ちょっと否定されたみたいでイヤですわ〜 /
| ワシラ否定するのは好きですけどされるのはイラッとしますな〜 /
| ほんまですわ〜イヤな気にさせるは好きですけどな〜 /
| 「まぁどうでもよろしいやん」ゆうことにしときましょうや /
| ほんまですな〜こういう時はその手がよろしいわ〜 /
| 自分の中で無かったコトにできますもんね〜 /
| ほんで横にいる人の顔を見てヘヘヘッ〜ゆうて笑ときましょうや〜 /
| それがよろしいわ〜〜、ひへへへへへ〜 /
| ひへへへへへ〜 / | ひへへへへへ〜 /
そんなこんなです。