「おもしろアロー&スケルトン」誌の、
うさピョンイラストパズル完了。
7月になった。
以前、一日に4、5杯飲んでいたコーヒーも、
今は多くて一杯。
飲まない日もある。
若い頃は、
「コーヒーをガブガブ飲む」というのが、
ちょっと格好良く思えた。
たぶんそれは突き詰めたら、
生まれてからのどこかで観た、
テレビのイメージ。
「テレビのイメージから」なんてものはもう、
クシャクシャと丸めてポイ。だ。
昔、読んだ本を読み返してみる。
好きだった物語でも、
しばらく経っていると細かい部分はあやふやで。
でも、読み返してみるとすぐに、
立ちこめていた霧がさーっと晴れるように、
気分ごとその場所へ戻っていくような感じで。
よし、
というので、
「他の昔読んだあの本も」なんて読み返そうと、
保管場所を探してみるけれど無かったり。
おそらく、いつかどこかの時点で処分したんだろう。
「踏ん切りがいい」のも考えもので。
だから、もう一度読もうと思って、
Amazon.jpのサイトに行って、
「カートに入れる」をカチッと押したりする。
こんな風に手放したり、また手に入れたり。
人生というものは、人というものは。
まったく。
昔はみそ汁は作るものではなく、
作ってもらうものだった。
自分ではせいぜい「味噌汁の素」を買ってきて、
インスタントに作るものだった。
今は、
「みそ汁の具は何にしようか?」と、
ぐるぐる考えながら、
くるくると食料品売り場を歩きまわって。
そういえばちょっと前まで、
「料理も作品つくりのようなものです」なんて、
格好つけたバカみたいなことを言ったりしてた。
そういうことを言うと喜びそうな人には、
ことさらそんなこと言ったりして。
けど、
もうそんなことを言うのはおしまい。
私がわるうございました。ごめんなさい。
今は、「生きるためのエネルギーを体の中で作るため」と、
「あっ、おいしいーっ」とうれしい気持ちになるだけ、
のためにきまってるやん。
それ以外に、何があるのん?
仕事を通じてパソコンを触り始めたころ、
90で始まる年代の最初あたりの頃、
「このパソコンがどんどんと普及して進化すると、
かなり色んなものがラクになるんじゃないか」と思えた。
けれど今、
パソコンを持っていると、
最新の状態についていこうとする度に、
結構なかなか手間だったりする。
加えて、
パソコンでいろんなことをアレコレしようとすると、
ニコニコとした「宣伝という誘惑の世界」では教えてくれなかった、
「あんなことフルセット」や「こんなこと大全集」なんて面倒も、
一緒にもれなく付いてくる。
例えると、
「馬を飼うと、歩かずにいろんなところへ行けてラクだよ」
なんていうので飼ってみると、
実際は世話が大変だった。なぁ、アオよ。
みたいな。
違う?
とにかく、
「ラクばかり」なんてものは、
最終的には無いのかもしれない。
それよりも、
去年あたりからの思いは、
「丁寧に」。
随分と前からの、
「これはこうだから、こうしないと」
というのが、もうかなりズレてきていると思う。
「表面的」で済ましていたアレコレも、
もうなんだか通用しない気もしてきている。
「なんちゃって〜」とか、
「なんとか風〜」も、
なんかもう薄っぺらでどうでもいいよな気がする。
「80年代ちゃうねんで。いつまでやってるん?」
とそう思ったりする。
だからといって、
「それに変わるのは今、〜だ」なんて結論は出ない。
そんな考え方こそ、「80年代風」だなぁ。
まぁでも、
いいじゃないか。
夏だ!
何といっても夏だ!
夏ぢゃあないか!
テレビぶっとばして、
ITは手際よく世話をしたら週に何度かは牧場に放ち、
青い空を何度も眺め、
おいしく食べてエネルギーを体内に生み出し蓄え、
いろんなものを手放したり手に入れたり、
暑いけれどちゃんと丁寧に、
秋まで進んで行こう。
なーっ。
|トゥルットゥー(そうだねポー)/
そんなこんなです。