近くに、
佇まいが好きな、
「弓弦羽神社」という神社がある。
熊野三山を祀っているので、
三本足をした八咫烏(やたがらす)がシンボルになっている。
(日本神話で神武天皇を熊野国から大和国に道案内したとされるカラス)
ここは、
790年ごろに弓弦羽の森が神領地とされて、
849年ごろに社殿を造営して鎮座したとされるから、
新しいマンションがドンドンと建つこの近辺では、
かなり古株だ。
考えたら、
神社というのは、
それがあることで、
その神域の中にある森を、
昔のまま境内に保存する結果になっている。
そう思うと、神社ってタイムカプセルみたいだ。
その弓弦羽神社からは結構西に離れるのだけれど、
昔から馴染みの駅で「六甲道」というJRの駅がある。
(弓弦羽神社は東灘区、六甲道は灘区)
今、ここの駅構内のショッピングエリアの東側が、
全面改装に入った。
この駅は、「阪神淡路大震災」の時には、
全体がペシャンコになりホントにひどい状態だった。
それ以前から構内にあったショッピングエリアも当然被災したが、
駅の再建とともに復興し再びお店が中に並んだ。
その後、何度か部分的にリニューアルはしたが、
こんな風に全面的に改装するのは震災後初めてじゃないだろうか、
と、ふと思った。違うかな?
震災後からの約18年、この中で、
ずっと変わらずにずっとあった幾つかのお店のうち、
不動の「薬局」「書店」「文具店」は本当によく利用した。
どうなるのかなぁ。
この3つが無くなるのはちょっと困る。
そういう不便もあるのだけれど、
それとは別に、
1つ1つの関わりはわずかなことでも、
長くに渡ってちょっとずつ積み重ねた、
うっすらとした「想い出」みたいなものが、
ゴソッと一度に無くなる「街暮らし」というものって、
なんだかツライものがあるなぁなんて思ったりもするのだが、
しかしまぁ、
それも街の宿命、仕方ないか。
「それが街」と割り切って、
むしろその変化の前後のことも愛しんで、
「キモチ的な1つのきっかけ」だとさえ思って、
次へ進んでいきましょう。
その六甲道から、
JR線と国道2号線との間の東西の道を、
西へ向かって大石方面に歩いていくと、
途中でほんのりとどこからともなく、
「ハッカ」の香りがしてくる。
香りのもとは、
小さな古い可愛らしい建物の、
「鈴木薄荷株式会社」の社屋とその工場。
六甲道から大石にあるホームセンター「コーナン」に行く際には、
この香りが嗅ぎたくて、
必ずこの前を通ることにしている。
ミントの香りが鼻から胸へと入ると、
なんだか、すーっと、とてもリラックスできる。
それが大好きだ。
ところで、
明治から昭和の初めに神戸には、
「鈴木商店」という、
商社として三井や三菱と並ぶくらいに、
一時期大きくなった会社があったらしい。
商社として以外にも、
色んな会社を設立したり買収したりして様々な事業を展開し、
「神戸製鋼所」とか「帝人」とか、
「日商岩井(現・双日)」とか「サッポロビール」とか、
他にも現在もあるいくつかの著名な会社が、
「鈴木商店」の流れをくむらしい。
けれど、
本体の「鈴木商店」という会社自体は、
昭和のアタマの1927年に倒産をして今はもう無い。
が、
僕も最近知ったのだけれど、
さっき書いた薄荷の香りがウレシイあの「鈴木薄荷株式会社」、
そこが、
その「鈴木商店」の薄荷事業を受け継いで出来た会社で、
流れをくむいくつかの会社の中で唯一、
「鈴木」という名を引き継いでいる会社だそうだ。
で、
本体の「鈴木商店」はもともと、
「辰巳屋」という商店からのれん分けしてもらって出来た商店、
という経緯から、
設立当初から「カネ辰」という屋号を使っていたらしいのだけれど、
ほら、
辰 ┓の商標がある。
ここは「かね辰」の屋号を受け継いだ、
唯一の会社でもあるらしい。
そうなのかー、
と、思った。
この「鈴木」はその「鈴木」だったのかー。
へぇー、
と、アタマの中の何かがシュワシュワっとなった。
今まで、
キモチ的に感覚的に、
「前を通る時にミントの香りがする、ウレシー会社」
なんてコドモ的な感じだけだったのけれど、
少し感じ方が変わった。
歴史を知ると、
身のまわりの何気ないことが、
アタマの中で少し深くなる。
そして、
時の流れの中で消えていくものも沢山あるけれど、
身のまわりには、こんな風に、
時を越えてそこに何気なく、
「ルルル」と口ずさむように佇んでいるものも、
あったりするのである。
そんなこんなで、
神戸から。