今、
本家のホームページ「なごむアトリエ」の、
リニューアルをしている。
で、
これまであえてそういう事はせずにいたのだけれど、
今、自身のプロフィールのページを作っている。
何年生まれでどこの出身でどこの学校を出で、
今までどんな仕事をしてきたかとか、かなり詳しく。
自分の全てに誇りを持って。
おまけに、写真入り。
いやぁ、
写真はもうズイブン前から公では出来るだけ拒否してきたのだけれど、
もう今はFaceBookなんかでも出しちゃっているので、
いいかと。自分で出しちゃえと。
「謙虚にしてたら、何においてもいい」というワケでもなし。
そのプロフィールページは、
完成したらここでもリンクをするけれど、
とにかくそのページのあしらい写真として使うために、
昔やった仕事の写真などを、
トランクルームから引っ張りだしてきた。
と、出てきて「おおー」と思ったのが数点。
懐かしくて感動した、
とかそんなノスタルジックなのだけじゃなくって、
どういったらいいか、
その当時の僕に「まだまだがんばりやー」と、
励まされるというかね。
1988年頃から92年5月まで、
僕は大阪堂島の小学館ビル7階にあった、
(株)ワールドクリエイテイブセンターという会社で働いていた。
もともとは、
グラフィックデザインのアルバイトとして行き始めたのがきっかけだった。
神戸学院大学を出てから一度就職して、
でもどうしても自分のしたいことがやりたくて1年半で辞めて、
大阪のグラフィックデザインの専門学校に入り直し、
その在学中に先生に紹介してもらったのがその会社だった。
その会社は始まりはグラフィックデザインの制作メインの会社だったが、
半ば社長のタノシミとしてイベントや映像の業務もしていた。
で、
グラフィックデザインのアルバイトに行く内に、
そちらの部署の人たちからも声がかかるようになる。
「ゲンちゃん、絵を描ける? 映像の絵コンテって知ってる?」とか、
「ゲンちゃん、パソコンで作るCGって興味ある?」とか、
そんな風にあの人たちは軽い調子でニコニコと近づいてきて、
いつのまにか、グラフィックデザイン以外にも、
いろいろな業務を任せられて、
やがて契約社員に格上げになりバブルの時代からはじけた後までを、
働いた。
で、
そのいろんな業務の中に、
「パソコンを使ってCGを描く」という仕事があった。
その会社と付き合いの古いコンピューターのシステム会社からの注文で、
イベント会場や常設展示会場などに置いてある、
何かの紹介とか、ゲームとか、来た人が観て楽しむ為の、
システムの、画面デザインの制作の仕事だった。
この仕事のおかげで、
そのあと一緒に「スタジオハルツ」というチーム作る春名と知り合い、
また彼の影響でAppleのMacに興味を持ったり、
この後マルチメディアに関わるきっかけでもあったので、
意味のあった仕事だったし、
実際、やってて楽しかった。
さて、
この度トランクルームから引っ張りだしてきたのは、
その仕事のためにパソコンで作ったCGの画面写真だ。
のちに、作った画面を表示させておいてカメラで写したものだ。
CGと言ったって、
何せ20年くらい前のもの。
今みるとチャチっぽいが(いや、それでもなんかイイ)
当時としてはお金かけずにここまでしたなら、
たいしたものじゃなかったか。
まだMacは使っていない。
当時一般的なパソコンだった「PC98」という機種。
(正しくは互換機のPC286というパソコンだったのだけれど)
色は16色しか使えない。(あれ? 32だったかな? いや16だったよなぁ)
ビミョーな色は点々で市松模様状にして混ぜてつくる。
スキャナーはあったが黒1色でドットででしか取り込めない。
その、今では考えられない荒い荒い取り込んだ線画を修正しては、
チクチクチクチクチクチクと作っていくものだった。
(一応、面塗り込みツールとかもあったけれどね)
でも、
「パソコンって難しそうでよく解らない」なんて一般に思われてた頃だ、
そんな「新しいもの」を触るのはとても楽しかった。
「あんな感じ」とか「こんな感じ」とかを画面上でするのがオモシロかった。
だから、当時作った画面の写真を、
もう、観ただけで、
「うりゃうりゃっ」つて感じの思いみたいなものが伝わってくる気がする。
「キャリアもないし技術もないし人間関係もまだまだやけど、
そんなもん無くったって、するでーするでー何でもするでー」
みたいなものが出ているのは、
まぁ自分だからか、観ただけでよく解る。
「そーだねー、キミには負けてたらあかんねー」と、
(技術的なものではなくて気持ち的にね)
今の佐野は、かなり思ったのである。
では、その画面を数点ピックアップしてみる。
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●IBM情報科学館・THINK POCKET
常設ゲーム「EARTH 地球を救え」の画面作成
1989年12月というメモがある。バブルまっ盛りだ。
当時、東京の大手町に「THINK POCKET」というIBMの科学館があった。
そこで常設で行われていたゲームの画面。
コンパニオンのお姉さんが大きな画面の前に立って説明しながら、
子供達たくさんが遊ぶ、そんなものではなかったかと思う。
そのころのパソコンゲームやファミコンゲームみたいな感じにしたくて。
たしか、これが春名と一緒に仕事をした最初ではなかったか。
↑
●IBM情報科学館・THINK POCKET
「パソコンクイズラリー」の画面作成
1990年4月。
これも「THINK POCKET」だったのか。
夏休みか何かの特設イベントだったのじゃなかと思う。
ちょっとファンタジックなイラストみたいな感じにしたくて。
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●IBMお天気情報科学館てなものがあったのか。
1990年4月。
これに関しては作ったのはこのタイトル画面1枚のようだ。
たしか、ちょっとだけアートっぽくしたかったんだ。
●神戸青少年科学館内
NTT「メッセンジャーゲーム IDを探せ!!」
1992年1月。
これは神戸のポートアイランドにある神戸青少年科学館に展示されていた。
一度、友達と見に行ったことがある。一番上の階じゃなかったか。
ちょうど20年前。
若い友人のアヤカちゃんは5才、コウヘイくんは3才かな?
もしかしたら青少年科学館へ行って遊んだかもしれない。
マサくんだって観たかもしれないし、
リサちゃんも学校から行って触ったかもしれない。
もう無いんだろうナー。
仕組みが古いからなぁ。
何か、
こういうのを観ると、
リフレッシュさせられます。
で、ふと、思った。
「なこむアトリエ」のリニューアルに伴って、
「仕事・プライベートに関わらず、手元に残っている昔のものを全部見せちゃおう。
それをコンテンツにしてしまおう。もうズイブン前だから恥ずかしくないぞ」
というのをやろうかと。
ので、アナタやアナタやアナタは、
タノシミにしていてください。
そんなこんなです。