前回の記事のように、日曜日、
甲子園球場に阪神タイガースの試合観戦に行ってきた。
ので、
ちょっと「甲子園」での想い出、
(といってはオオゲサかもしれないけれど)
を今日は書いてみる。
たいてい中学生くらいになると、
自転車で友達とちょっと遠くまでいってみたりする。
特に男の子は。(今の子はどうだか知らないよ)
で、僕が育ったのは芦屋の海岸線あたり、
西宮との境目からのある道を真っ直ぐに東に行くと、
ちょうど甲子園球場の南っかわの道路に出る。
ので、
夏休みになると、
友達と一緒に、
高校野球を観に甲子園まで自転車で走った。
中学生にありがちなむちゃくちゃな運転でいけば、
たしか15分から20分くらいでいけてしまうのだ。
そして、高校野球は外野席は無料。(今もかな?)
かちわり氷なんて買って気ままにねっころがりながら、
観ていた。
あ、ハトもいたな。あちこちに。
外野スタンドの浜寄りのライトは、
一番上まで登ると、
浜風が頭をかすめて、
キモチよかったのだ。
夏でも。
阪神タイガースは、
中学くらいから朝のローカルラジオ番組の影響で、
家族みんなで応援をしていた。
が、わが家はだいたいからしてそうなんだけれど、
表面的にきゃあきゃあ楽しむのが好きで、
甲子園に応援に行くまでのことはしない。
でも、中継などはいつも観ていたので、
江夏・田渕・藤田・江本・掛布・真弓・若菜・小林、
このあたりの間が一番ファンといえばファンだったかもしれない。
で、
実際に甲子園に初めてタイガースの応援に行ったのは、
高校の友達とだった。
1979年ごろか。
高校は大阪の私立の男子校で、
今は東京の有名大学の名前を冠に載せてエラソになっちゃったけれど、
(おまけに今年から共学だと?! なにー!)
当時は設立数年目で、
進学校を目指してはいたけれど内実は,
「県立にほんの1・2歩足りないよなあぶれた半端な連中」が集まっていた高校で、
なのに学校の校則や方針がやたらと生真面目で、
学校側と生徒の実力とやる気にとてもギャップがあって、
あまり「楽しかった」という想い出のない高校生活だった。
芦屋神戸方面から通っている同学年は、
僕も含めて4人しかいなくて、
帰りはいつもそのメンバーで快速電車に乗って、
帰ったものだった。
で、3年の時だったか、
「今度帰りにみんなで甲子園に野球を観に行かへんか」
ということになり、
たしか大阪で降りてから阪神電車に乗り換えて、
制服のまま甲子園球場に夕方から入った。
何を買ったのかは忘れたけれど、
晩ご飯代わりのものを食べながら、
1塁側のアルプススタンドに座って、
試合前のバッティング練習を僕らは観ていた。
周りもだいたい僕らのように、
試合が始まるまでにお腹を満たしておこうと、
何か食べている人が多く、
僕らのずっと前でも集団のおじさんたちがお弁当を食べていた。
そんな光景など観ながら、
バッティングでアチコチに飛んでいくボールを目で追っていたら、
ある打球がコチラ方面にショートフライで飛んできて、
そして僕らのずっと前のおじさんたちの内の、
うつ向き加減で無心でお弁当を食べていた一人のおじさんの左肩に、
上からポーンと、見事に当たった。
そして、持って食べていた弁当が、
ばぁっと宙に舞った。
スローモーションのように。
僕らはそれを観て大声で笑った笑った。
高校生なんて「ガキンチョ」なので、
残酷だ。
おじさんにも多分聞こえていたかもしれない。
今ならそんな、
「人に何かあったのを大声でギャハギャハと笑う」なんて、
「ガキンチョ」みたいな、失礼なコトはほとんどしないけど、
(最近は大人になっててもそういう人結構いるけれどね)
とにかく当時はまだ「ガキンチョ」、
笑ったなぁ。
その後の30年の中で、
僕にあった苦労なコトのウチのどれかは、
この時のバチだと思う。
大学の1年生の時だったと思う。
僕は夏休みのアルバイトで、
「高校野球開催期間の甲子園球場の清掃」の、
アルバイトをしたことがある。
清掃会社から雇われて、
試合の後のスタンドを掃除して回る。
例によって自転車で甲子園まで行って、
小さな事務所みたいなところでほうきを受け取って、
(人によっては空気が吹き出す機械とか、ポリ袋とか)
試合終了のちょっと前に外野スタンドに入って待機して、
試合が終わって人がほぼ引き上げた頃に掃除を始めた。
時給的にはよかったと思う。
ただ、掃除の時間はそんなに長くはないので、
トータルではそんなにたいしたコトはなかったと思う。
それよりも、
あの年は、とにかく雨で。
しかも朝から雨だと試合自体も無くなるけれど、
試合が終わる前後から雨が降り出すというコトが、
毎日のようにあった。
ので、ずぶぬれになりながら掃除をした。
そして、当時はタバコの吸い殻が当然のように下に沢山捨てられていて、
濡れたタバコと食い残しとビールの飲み残しのなんとも言えない、
まざった臭い匂いがたまらなかった。
それに、濡れて崩れたタバコがアチコチにへばりついて、
それを掃きとるのがタイヘンだった。
今は、スタンドは禁煙になっている。
「高校野球」ではどうなのかは知らないけれど、
このご時世で通路に喫煙所もちゃんとあったので、
たぶんそうじゃないかな。
その分、
掃除のアルバイト(今でもバイトがしているならば)も、
ラクかもなぁ、と思ったりする。
労働的にも鼻的にも。
1981〜2年ころか、
大学の2年だか3年だか、
同じサークルの友達や先輩たちと、
タイガースの試合を観に甲子園に行っている。
普段ニコやかで穏やかな、
サークルの会計をしていたNくんが、
当時の中西監督が審判に抗議のためにベンチから出てきた時、
「いてまえー、なかにしーっ!!」と叫んだのには、
みんな驚いた。
1985年に、
阪神タイガースは21年振りだったかの優勝をする。
その年にたしか2回ほど行っている。
けれど、その時のことを、
あまり覚えていない。
1回は確か今でも付き合いのある友人たちと、
グループで行った気がする。
外野に座った、ということだけは覚えている。
でも、
もう1回行っていると思うんだなぁ。
優勝の年に。
内野に座った時があるのだたしか。
「かっとばせばせバース」を叫んだんだ。
でも、
それが誰と行ってどんなだったかが、
全く思いだせない。
1990年かな、
大阪のデザイン&イベント&映像の会社にいたころ、
今も付き合いのある東京のMちゃんと2人で、
甲子園にタイガースの試合を見にいったことがある。
彼とは会社での席がとなり同士になったこともある。
そして、
最初のころから「むむっ、コイツ、おもしろい」と目をつけていた。
当時その社内で自分の方から「オトモダチになりたい」と思った、
たった2人ウチの一人だった。
(女性は除外してね)
なのにお互い遠慮してたのか、
彼の方が「わからんやっちゃ」と思っていたのか、
会社を離れて一緒にどこかへ行ったことなどは無かった。
が、
彼が1991年に辞めるまでのある時期の短い間に、
ポンポンポンと、
映画と須磨の海水浴と、
そして甲子園に2人で行っている。
それでもたった3回だ。
なのに、
その後、20年続いているのだから、
縁というものは解らない。
で、
今回行ったその前にあたる最後。
これが、いつだったのか詳しく覚えていない。
神戸の震災の前だったか、後だったか。
とにかく93年から96年の間くらいじゃないかと思う。
どうかな。
父親がいつものパターンで気まぐれに突然、
「野球観にいこか」と誘ってきた。
けど、誘っておきながら、
段取りをするのはこっちなんだなー。
昔っから。
でも、まぁ、
とにかくしばらく観ていないナマの野球を、
久々にみたかったので、
観に行った。
たしか外野の掲示板の近く、
少しライト方向に座ったのを覚えている。
その後、
僕は阪神タイガース、
いや、プロ野球自体に興味を持たなくなった。
2003年優勝の年は、
さすがに途中から気にしてたまに観たりしたし、
優勝決定の時も最後だけ見たりしたけれど、
そのくらいだ。
だから、
甲子園に行くことも無くなった。
今回は友人Mが何故か突然、
「行くか?」と言うので、
「あっ、行く行く」と2つ返事した。
それは、
「阪神の試合が観たい」というよりも、
どっちかというと、
「スコンと抜けた球場でおいしいビールが飲みたい」
というコトがあったから。
けど、
実際に行って、
「甲子園球場で阪神の試合を、あの雰囲気の中で観る」
というのはなんだかタノシイなぁ、
とホントに思った。
みんな、
デートにも行くわけだ。
長い。
けど、いろんなコトが解るでしょう?
そのあたりも含めて、
もしかしたら、
次回も続く。
そんなこんなです。