なんか体調とキブンがすぐれない。
このヘンテコリンな気候のせい?
前回の記事で書いたように、
先週からしていた「クロスワードon!」誌のイラスト、
完了。
編集部からのお題は、
「金運がアップするの? 幸せを呼びこむ黄色」
編集部からのお題は、
「連日連夜の真夏日&熱帯夜 汗だらだらの猛暑」
編集部からのお題は、
「美しかったりいびつだったり ボクらは形でイメージする」
(このブログへの掲載は編集部の許可を得ています)
この部屋の東にある坂道を登っていくとその右側に、
手水舎も社務所も無い見渡せる程の敷地の中に、
小さな本殿だけの少し寂しい神社があって、
その神社に面した南の道は、
以前は本当に人一人しか通れ無いくらいの小さな道で、
それが理由で消防法に準じて広くするというので、
逆に神社の土地を削って道幅を確保する為に今から5年ほど前、
その境内にあった数本の木を切り倒していた数日間があった。
その期間に数回その横を歩いて通ると、
音を立てて枝を切り落とすノコギリの音と、
埃のように舞い散る木の屑と、
桧独特のとてもいい香りがその辺りに漂っていて、
そしてその下には大小の切られて落ちた木の枝が、
山の様に積み重なってもしくはそこからこぼれて散らばって、
境内と道路の一面に外に向かって薄くなる風に広がっていた。
あの日は夕方の散歩に出た帰りだったか、
その神社の前のゆるい坂道を下りながら通りかかると、
もう今日の作業は終わったのか職人さんたちの姿はすでになく、
しかしまだ全ては切り終えていない木と下に落ちたままの枝からの香りが、
薄暗くなっていく辺りの中でほのかに鼻に感じられて、
立ち止まっては積み重なっている大小の枝の屑を眺めて、
「ああ、でもこれって、神木だよなぁ」と考えながら、
ふと「神さま、これを頂いていってもいいかなぁ?」と思いつつ、
「うちに来てくださいねぇ」とつぶやきながら、
長さが30センチから40センチくらいの枝で、
両端がノコギリで切られたものではなく折られたようなものを選んで、
人通りの途切れた頃合いを見計らって急いで3本拾って、
何気ない顔をしながら急ぎ足で持って帰ってきて、
その頃のまだリフォームされる前のこの部屋の、
玄関と仕事部屋と寝室に1本ずつ置いて過ごした。
5年たった今もその勝手に頂いた神木は持っていて、
1本はやはり玄関の下駄箱の上に、
1本は外で借りているトランクルームの中に、
そして、もう1本はベランダ側にある窓のカーテンの上の、
時計を見ると丁度その下にあたるところに置いてあって、
年に一度年末か年始の大掃除の時期に、
タワシでこすって汚れを落とす度に、
今でもあの桧のいい香りをほんのりと感じさせてくれる。
そんな風に、
1つのところにあったものが誰かの手で、
別のところへと移って姿を変え意味さえ変わって、
次へと継がれていくことがあり、
その先はどうなるか今は解らないけれどとにかく、
無くなったように思えていながら、
無くなってしまわずに継がれていくのが、
ヒトとモノとキモチの営みなんだなぁ、
なんて云うことを、
先ほど時計を見てその下にある神木を見た時に、
ふんわりと思ったりした。
そんなこんなです。