結局東京から帰ってきたのは、
日曜の午前の便で、
10日近くほど行ってました。
Mちゃんちではいつもながらのチビッコの歓迎。
Mちゃん一家と上野動物園に行ったり。
けど、Mちゃんにはつい甘えすぎたかな、反省。
あと、Mちゃんと東大近くの夢二美術館に行ったり、
ビートルズのバーに行ったり。
それから、
クロスワードのイラストの雑誌のM社のYさんと秋以来の2度目の「ちょっとイッパイ」。
2年前に雑誌のお仕事でお付き合いしてたM社のYさんとも久々の「ちょっとイッパイ」。
まぁ、「営業」も兼ねているといえばそうなんだけど、
飲んで食べて話をしてのほとんど個人的に楽しんだ感じです。
あと、最近不義理している新宿のKちゃんとは都合が合わず会えず。
もし会えば13年ぶりくらいだったJ子さんにも会えず。
どちらも突然連絡したので仕方ないのだけれど。
ちょっとムリヤリに、東京に対して、
僕の中での3つの時期を作ってみる。
●先輩が東京にいて初めて遊びに行った、80年代初め。
●CD-ROM作品の仕事で頻繁に行ってた、92年〜97年。
●そんでもって去年から。
10年間隔くらいだな。
最初に行ったころというのは、やはり東京はあこがれの地で、テレビでよく見るような、「新宿アルタ前」だとか「原宿竹下通り」だとか「渋谷の交差点」だとか、そういった場所にワクワクしたし、「丸井」とか「セブンイレブン」とか「東急ハンズ」などの、当時はこちらには無かった店に入るのが楽しかった。
「こちらにはないものがタクサンある」、そういうキラキラとした街だった。
次の、92年から97年あたりに行ってた頃というのは、丁度バブルがはじけたそのあとで、浮かれた感じが鎮まったあとだったからか、今にして思えば、街自体はちょっと落ち着いていたような、そんな気がする。もちろん勝手な個人的な印象なのだけれど。
微妙なバランスがとれていたのだろうか、歩いて「街を流す」のがとても心地良かったように覚えている。
で、今、
東京の大きな街を歩いてみても、なんだかちっともワクワクしないし心地よくもないし、やたらと「疲れる」ばっかりな気がする。
いや、若くなくなって体力的にというのもあるんだけど、でも、もともと若いころから疲れやすいワタクシ、それをカバーするだけの魅力をもうなんだか感じない。
むしろ、なんだかキモチ的にとても「疲れる」。
新しい建物はやたらと威圧的でエラソでちっともいいと思わないし、今では関西にもある大きな店は別に珍しく思わないし、「コンビニ」「コーヒーショップ」「携帯電話ショップ」はドコモ同じだし。
そこへもってきて人だけがやたらと多くて、みんな平安時代の「麻呂」のように携帯を前にかざしているし。(自分もしてたりするんだけれどね)
でも、実はこちらでも同じかもしれない。
「やっぱり独特の空気がある」と思う神戸でも、中心地などは丸井があったり東京のブランドが並んでいたりやたらとエラソなビルが建ったり、昔からの「神戸ならではの感じ」がほんの少しずつ薄れている気がしている。もちろん「麻呂」だらけ。
うん、今は、大きな街は、どこに行っても同じかぁ。
だから、
今、
僕にとっての東京は、
「街を楽しむ街」ではなく、
「そこにいる親しい人たちに会って楽しむ街」
に変わりました。
そんなこんなです。
(以下が、東京から携帯で更新した写真たちです)