またかなり長いので、
「かんべんして、しんどい」という方は今回はすっ飛ばしてもらえたら。
でももし大丈夫そうなら、
読んで、
分かってもらえたならば。
●
4月は、
僕が母をお風呂に入れていた。
(正確には3月31日から)
それまでお風呂入れは、
母が弱ってから、
ずっと姉がしていた。
●
母は、
次第に足の力は弱くなってきているが、
今年くらいから時々膝がカクッとなるようになった。
とりあえず心配なので、
僕はそれに気づいた時点で、
僕がずっと毎月血圧の薬をもらいに行っている、
母のもともとのかかりつけ医にもそのことを報告して、
何かあったりいざという時には連絡するのでお願いしますとも言っていた。
●
そんなある日母のところにいくと、
姉からの手紙が置いてあった。
かいつまんで書くと、
母の膝が折れるので、
お風呂に入れるのが難しくなってきた
と。
だから、
近所にある、リハビリもしている「A整形外科医院」に連れていってほしい、
と、
だいたいそんなようなことが書いてあった。
「はぁ? A整形外科医院に行けって〜? 」と思った。
なんで、
いきなり「A整形外科医院」なんだ?
「A整形外科医院」というのは母のところの近くにあって、
リハビリ治療もやっているところだ。
「A整形外科医院なぁ〜、母はあかんやろなぁ〜」
と僕は思った。
というのも、
「A整形外科医院」は母が前から、
「あそこはイヤ」と言っていたところだ。
それは姉も知っている。
去年のデイサービス体験で母とアチコチ行った時も、
「あそこのA整形外科はどう?」と聞いたら「イヤ」と言っていた。
たしか、ずいぶんと前に行ったことがあると言っていた気もするし、
何か母独特の「勘」みたいなものが働くのかもしれない。
そして、
そういう風に母が「イヤ」というところに連れて行っても、
結果的にはうまくいかない。
それは、
僕はよく知っている。
僕が一昨年の12月から去年の春ころまで、
体のことを見てもらうために何箇所も病院に行ったりと、
デイサービスを受けるために何箇所か施設を回ったりを、
一人で、というか、母と二人で一緒にずっと行って、
実際に体験してそうだった。
最初に「なんかイヤ」と言ったところは絶対駄目だった。
姉はその一連の実務には僕に任せっきりに投げたままで、
一度も自分から母に付き添って行ったことはないのでそういうことを肌感覚としては経験していない。
(そういうと「言ってくれたらよかったのに」なんて言いそうだが)
もともと母という人は、
「気持ち」によって「やる気」がとても左右される。
「イヤだ」と思ったらもう身も入らないしキューッとなるし、
結局こちらが勝手に頭で思ったようにはならない可能性が高い。
それなのに、
イヤと思っている医者だと知っていて、
「行きなさい!」なんて言って無理に連れて行くことはできない。
連れていくのは結局僕だろう?
●
散歩でさえ、
去年の夏に暑くなってからしばらくら休んでから、
涼しくなっても行くのが億劫になって、
秋に誘っても行きたがらなくなって、
今は全く行けていない。
そのことはずっと心配なので、
かかりつけ医の先生にもそれも相談をしていて、
でも先生が言った、
「だからと言って無理やり連れていくわけにもいかないですしねぇ。
年齢ももう90才ですからねぇ。
まぁ優しく常に、“散歩いかない?”と気長に言い続けてあげてください。
無理にではなくて、本人が行こうと思った時に行けばどうでしょうか」
というプロのアドバイスを聞いて、
自分が逆の立場になって時のことを考えると、
「そうだよなぁ」とも思うのでそれを守って母には言い続けている。
だから、
姉の何故かしらないけれどもいきなりの、
「A整形外科医院へつれて行ってほしい」は、
「ちょっとちょっと待って待って」と思った。
それに、
もし無理に行って何かを受けたとしても、
母のやる気によることだから、
こちらが勝手に頭で思った感じにヒザが良くなるかどうかは解らない。
●
そして、
何より、
その日の2枚目の姉の手紙がちょっと「なんだかなー」だった。
連れて行って欲しいと言う言葉のあとに、
悲しいかな
わたしたち姉弟は
気持ちが交わることは
もうないかも知れないけど、
お母さんをおもう気持ちは
同じ方向をむいているはず
と書いたあった。
人の感じ方は様々だから、
誰もが必ず僕と同じとは思ってはいないが、
どうもなんか僕はこういうのはネチッとイヤーな感じがする。
そんなこと書かなくていいことではないか?
そんなこと書いてはいけないのではないか?
みんなはどうだろうか?
しかも「悲しいかな」ってなんか芝居っぽいし、
「気持ちが交わることはもうないかも知れないけど」
って、何なんだ?
姉が僕に期待している、
「母のあとを受けて自分の面倒みてもらいたい」を、
してもらえそうにないのが腹立たしくて。
だから僕が姉を嫌っているということにしたくて。
でもそれは、
人をアテにしたりせずに、
僕が姉に思う「ちゃんと自立して暮らしなよ」とか、
「僕が姉も住んでいる母のマンションの負債者なのをどうするの?
ちゃんとスルッっと解決するようにしてよ」とかいう、
普通の人がしてるようなことをすればクリアするかもしれないことなのに。
しかし姉は逆に自分のことを、
そう思われたり言われたりするのさえ腹立たしくて、
それもこの際に全部含めて、
なんだか僕だけが悪いかのように訴えるために作られた、
お芝居の「台本」のようだ。
もしくは、
演出されたテレビの中のセリフかナレーションみたいだ。
そしてそういう言葉を使って、
「僕がそこに連れいていかないと悪い人」みたいに。
だいたいこういう芝居っぽいやり方を昔からするけれど、
もう今の僕にはなんかものすごく子供っぽく見えて仕方がない。
●
それから、
お母さんをおもう気持ちは
同じ方向をむいているはず
とあるが、
えー? そうかー? 同じかー?
例えば、
僕は母には、
「これからは今まで母が自分で買ったいい服を普段着に着たらいいんじゃないか?」
と思っているが、
姉は「母のいい服はこれからも自分が着たいから置いておいて、
母にはユニクロ着せておけばいい」だろう?
それを実践してるじゃないか。
また例えば、
母が使っているハンドタオルが汚れてくれば、
もともと常にキレイなものをいつも使っていた母だから、
僕などはすぐに、
「新しいのを買ってきてあげればいいのに」と思うけれど、
姉は洗っても洗っても汚れが取れないみたいになっても、
それを使わせてぜんぜん平気なんだろう?
(この間新しいのを僕が買ってきた)
さらに、
それを指摘したりすると、
「ごめん」とか「そうだね」なんてなくて、
「それはアレがアレであれだったから出来なくて」とか、
「今ちょうどしようと思っててん」とか、
もし仕事だったら絶対に上司に怒られそうな、
小学生みたいな言い訳を言って自分をよく言うだけで、
母への気持ちなんてどこかいってしまってそれまでだ。
絶えずすばやくやってあげようと言う気も、
できなかった本気の申し訳なさもなくて、
口先で自分を「思ってるもーん」と自分をフォローするだけだ。
僕はそんな風にはしないから、
お母さんをおもう気持ちは、
ぜんぜん違うやん。
●
で、
その日は手紙を読んでから、
母に再確認するとやはり、
「A整形外科医院には行きたくない」と言うので、
母には「僕がお風呂に入れてあげてもいいからね」とだけ言って、
(姉に何を言っても仕方ないのは経験上わかっているので)
返事を書かずに帰った。
●
すると次に母のところに行った時に、
また手紙がおいてあった。
そのまま写すと、
お風呂のことはビックリです。
意見がくつがえる時はお返事を書いておいてほしいです。
(事務連絡です)
お風呂はほんとうに命がけでとてもたいへんです。
ひざおれがこわいです。
A医院に行ってほしいのは、
A医院には理学療法士というプロがいるからです。
そこでリハビリをすれば、
今ならひざももちなおすと思うのです。
私は力がないのでママを外につれて出ることはできず
お願いしたのです
おかあさんに強制的にではなくひざの筋力をとりもどさないと
お風呂はむずかしいと話しました。
すると元がつれていってくれるなら行ってみると言ってくれました。
(ただ、元とたいじすると意見が変わるかも)
おかあさんを思う気持ちがあるならどうかリハビリをさせてあげてください。
何度もお風呂で怖い思いをしているのできけんです。
くるまのうんてんでもひやっとすることが続くと
大きな事故につながるというでしょう
お忙しいでしょうがどうかおねがいします。
お返事おねがいします。
できれば3/16(火)に行ってほしいです。
私なんかよりずっとおかあさんを思っているのならできるだけのことはしてあげたいでしょう。
リハビリさせてあげてください!!
わたしのことは大大の大きらいでいいです。
なんだか小学生の作文みたいだけれど、
まあそういうのは置いておいて、
いくつものひっかかることある。
A医院に行ってほしいのは、
A医院には理学療法士というプロがいるからです。
そこでリハビリをすれば、
今ならひざももちなおすと思うのです。
え?
絶対?
100パーセントひざよくなる?
もちろんそれはわからへんやろ?
持ち直すかどうかには、
「理学療法士がいる」以外にも、
「母の気持ちとかやる気」とか年齢的な体力の限界とか、
いろいろと要因があるのはちゃんとした大人なら分かるので、
「よしそうか、それなら連れて行ってあげなくてはー」とはならない。
もしうまく行かなかったら、
予約したり対応したり実際に行った僕や母の労力や時間や、
母の体力的・精神的な負担や、
時間と体を使って結局疲れただけの結果になった時のこととか、
もちろんそういうのを考慮してくれてはいない。
しかも、
母本人が「そこに行きたい」と本心から言っているならいいが、
母は前から「あそこはイヤ」と言っていてそれを僕も姉も知っているところだ。
「こう思ったがどうだろうか?」くらいにしてくれていたらいいが、
どうもそんな感じじゃない。
丁寧風に書いてはいるけれど、
「行ってくれないなら私はもうお風呂には入れるのは無理」ということだし、
「お前母に対して優しさがあるというなら、私の思いついた通りにしろよ」
みたいな感じがする。
それに、
それでヒザが良くなることと、
お風呂に入れてあげることは基本的には別々のことだ。
姉がお風呂にいれるのが怖くなってきたのならば、
それだけ言ってくれれば、
僕が入れるなり他の方法を考えればいいことだし、
また、
ヒザのことはなかなか母の気持ち次第なので、
微妙なことであることを考慮しつつ、
かかりつけの先生などと相談しつつ、
場合によっては何かプロの手も借りることも1つの方法であるけれど、
いきなり、医者を決めて、
「さぁ、よくしろ、ガーンといくぞ、さぁさぁ!」
みたいには無理だし、
そこに90才の母親に対する優しさがあまりない。
「母の気分に沿っていくしか結局仕方がない」
これは僕が1年以上母のことをあれこれしながら考えたり、
葛藤したりジレンマに陥りつつ母のことをして、
今はそこに至った考えだ。
結果的にそういう思いにたどり着きながら、
母と共にやってきた。
私は力がないのでママを外につれて出ることはできず
お願いしたのです
よく言うよー。
まだ母が比較的しっかりしていて、
姉も一緒に買い物に連れて行ってあげたりができていた時期で、
僕が母を連れて病院巡りしていた時にも一度も、
「今日は変わりに私が行こうか?」
みたいなこと言ったことなどないじゃないか。
昔からそうであるように全部任せっきりだったじゃないか。
口だけで「出来ることがあったら言ってね」というので、
「かかりつけ医で委任状もらってきてきて」と言ったら、
「ついてきてくれる?」なんて言ってたじゃないか。
状況が変わったらその状況を理由にするなどずるい。
まぁそういうところは今に始まったわけではなく、
もともと子供の頃から、
すぐに「後出しジャンケン」を平気でするタイプだ。
人が言ったりしたりしたあとで「私もそう思ってた」とか、
「今しようと思ってた」とか平気でいうのと同じように、
いつもあとで何とでも都合よく言う。
するとハジメがつれていってくれるなら行ってみると言ってくれました。
(ただ、ハジメとたいじすると意見が変わるかも)
たぶん、見ていなくても僕にはわかるけれど、
姉がガンガンガンガン言うので、
その場をなんとか逃れたくって、
そう言わざるを得なくなったのだろう。
かわいそうに。
そうだから、
僕といると本音で「ほんとは行きたくない」と言うに決まっている。
何をいい年こいて高齢の母に、
ガンガン言うことをきかせようとしているのだ?
ちなみに、
たいじ(対峙)するという言葉は、
「敵対するものが向かい合う」ということだ。
使い方がおかしい。
僕と母は別に敵対していなくて仲がいいし寄り添っている(つもりだ)。
なんか、テレビのナレーションとかでよく言っていそうな言葉だな。
むしろ、
常に人と対峙したがるのは、
だいたい姉の持っている性格の方ではないか。
くるまのうんてんでもひやっとすることが続くと
大きな事故につながるというでしょう
この例えはワケがわからない。
じゃあ、
こう返そう。
車の運転でも道のそれまでの「流れ」というのが大事でしょう?
無理な車線変更をすると大きな事故につながるよ。
できれば3/16(火)に行ってほしいです。
これもよくわかんない。
この手紙の置いてあった日が16日で、
そんな今日に今日の日にちを区切られても、
無理だ。予定としても気分としても。
どこかに何かを買いに行んじゃないんだし、
母の気持ちとかがからんでいるし。
そんなにすぐ行ってこいなんて。
母に何かをしてもらうには納得してもらってからと思っているし。
言葉は丁寧だが、かなり「絶対感」が強い。
「無理なら別にいいからね」みたいなことも書いてないし、
だいたいなぜ3/16(火)なのかも書いていない。
どうしてもの理由がないと日を切られても無理だ。
そして、
これ、
私なんかよりずっとおかあさんを思っているのならばできるだけのことをしてあげたいでしょう。
リハビリさせてあげてください!!
私のことは大大の大きらいでいいです。
なんかこれもヤダなぁ。
どうなのかな?
これを観た人はどう感じるのかな?
単なる僕の「粗探し」なのかな?
僕には、
結局いいかたをかえると、
「お前、お母さんのことをワシより思ってるんやろ?
おー?ほぉんなら出来るだけのしてあげなあかんやろがぁ、おー。
そしたらワシの言うとおりせんかい」
みたいなチンピラな感じがする。
人の気持ちをタテにとって動かそうとするなんて。
なんかイヤだ。
それでは動かない、たぶん人は。
かえって不毛な感じがする。
そうでありながら、
私のことは大大の大きらいでいいです。
ってなんか、
結局、
「私こそがかわいそうな人で、
けど母のためにそういう風に言っているいい子」
みたいな感じだ。
なんだろう、
どう言ったらいいのか。
姉はだいたい昔からこんな感じだ。
そして一方で、
「普通、そんなことされたら人はアナタを嫌うよ」
というようなことを平気でする。
「へっ!お前なんか!」とか「ざまあみろ」とか嫌われる表現や態度は、
日常茶飯事だ。
で、自分から嫌われるようなことをしたのに、
よく母に、
僕のいるところで、
「ハジメは私のことが嫌いなんやっ!!」
と怖い顔で訴えたりして母の心を自分の味方につけようとする。
(しかもそれは60才超えたつい最近までやっていた)
なのに、また、
今回のような時は、
自分が主人公で、
「私のことは嫌いでもいいです」
なんて言う。
ワケがわからない。
だからこそ、
姉は信じられない。
●
でも、
それはそれとして、
手紙。
これは放っておくと、
姉はまた僕のいないところで、
ガンガンと母にいろいろ口で言ったりするだろうし、
母がかわいそうなので、
直接姉に言った方がいいなと思い、
その16日、
いつもの時間には帰らずに、
姉が帰ってくるのを待った。
姉は母の寝室にいる僕を見て、
わざとらしく目を丸めて、
体を上にちょっと跳ね上げてから、
「あっ、はっ、居たん?」
と言った。
なんだその今気がついたみたいな反応は。
ほんとに昔から芝居くさい。
他人に対するならともかく家族なのに。
玄関に僕の靴もカバンもあるだろう?
で、姉には、
まず「A医院は前からお母さんイヤやって言ってるやん?」と、
と再確認した上で、
去年春まで病院やデイサービスにずっと一緒行った経験から、
「イヤやと行ったところはアカンかってん、だからA医院もアカンのと違うかなぁと思う」と言った。
(アナタは実際には行ってないから知らないでしょう?の意味を込めつつ)
さらに僕は、
「(かかりつけの)K先生に毎月薬もらいに行っているやん?
その時に時々、先生にもいろいろ相談したりしてるねん。
散歩にいかないことも心配ですって言ったら先生は、
“でもイヤがるのを無理に連れて行くわけにもいかないですしねぇ”
っていって僕もそうやなあと思ってて、
だからA医院もイヤがるのに無理には連れていかれへんと思うし。
まあ、一度K医院の先生に姉がA医院はどうやろかと言ってますがどうでしょう?と相談してみてもいいし」と言った。
姉は「え?K医院先生に相談したりしてるの?」
と、ちょっと予想外みたいな顔をして、
(そりゃ、外の世界にも広げて行くよ普通はちゃんと)
しかも、
「K先生に私が言ったとか言わんといて」みたいなことを言ったりした。
不味いのかぁ?
自信もってA医院を勧めているのじゃないのかぁ?
まあでも、人の目を気にして責任もたされるのを極度に嫌がる姉らしい。
で、
結局そういうことだから、
母がイヤな以上、
A医院に行くのはちょっとひとまず無しにしてほしい。
「そのかわり僕がお風呂に入れるから」
と姉にそう言って、
ひとまずは治めたつもりで帰った。
●
が、
その次に行った時に、
母に「さぁ、お風呂入れてあげようか?」と聴くと、
「いや、昨日●子が入れてくれた」と言う?
え?
僕が入れるって言ったのに?
よくわからない。
しかし、
どうも姉は母を入れながらそれでもやっぱり、
「A整形外科医院に行きなさい!」と言っているようだった。
で、
それが数日続いたあとに、
ある日母のところに行くと母が、
「A医院に行かへんねんやったらもうお風呂入れてあげへんと言われたから、
ハジメ入れてくれへんか?」
と言った。
もちろんもうそのつもりだったので、
「いいよ」と言った。
●
上のようなことをここに書くと、
これを読んだ姉がキーッとなって、
「私が言ったことをハジメに言ったやろ。何でもハジメに言ったらあかん!!」
とか言って母を責めるかもしれない。
最近母が前より姉のことをあまり言わなくなったのは、
そういうことがあるからかもしれないと思っている。
ので、
ここに書くと母がガンガン言われたりするのはそれはそれで心配だし、
母がかわいそうだとは思うが、
本当のことだからここに書いておきたい。
書かれるのがイヤなら自分が母に優しく言えばいいのだから。
そして、
そういう母にキツイことをしていたら、
ほんとにバチが当たると思う。
仏壇から父もしっかり見ているのだし。
●
と、
以上のような流れで、
3月31日からほぼ4月いっぱいまで、
僕が母を昼にお風呂に入れていた。
今時、
そんなことを思う人もあまりいないのかもしれないが、
僕は母を「お風呂に入れてあげる」ことはイヤではない。
こう思うからだ。
昔、
僕が赤ちゃんだったころ、
母はきっとウレシイ気持ちで僕をお風呂に入れてくれたんだと思う。
僕は2人目だったから初めての「子供のお風呂」ではなかったが、
それでも自分の子供の、
そりゃ子育てで寝不足だったり疲れたりもしただろうが、
母も若くて半分は楽しみながら、
小さな手や小さな頭や小さな耳や小さなオチンチンをみたり触ったりしながら、
喜びも味わいながらお風呂に入れてくれたんだと思う。
母がよく言っていたことによると僕はよくお風呂で寝てしまったそうだ。
そのおかげで赤ちゃんの僕は毎日、
スッキリとしながら寝て泣いたりしてたわけだ。
こんなことを言うと、
最初から荒んだ心の持ち主は「ケッ」とか言いそうだが、
ほんとにそう思うのだ。
単に人のその時の気持ちを想像できるかどうかなんだと思う。
でも、それはとてもダイジなことではないかと僕は思う。
そういう昔の感謝の気持ちをこめてお返しのつもりで、
湯船につかりながら100数えている母の肩にお湯をかけたり
湯船から出るのを体を持ち上げて手伝ったり、
タオルで体を拭いたあげたり。
昔からいろいろとしてくれたことに対してありがとうなーの気持ちをこめて。
まぁ、
前にも書いたように、
母のところで仕事をする時間が減ったので、
仕事のやりくりがたいへんだったが、
ちょうどその頃時間のかかりそうなイラストも続いて、
しかしそれをどうにかちゃんとクリアできたので逆に、
「これで出来たのだったら通常の感じなら工夫次第でいけるな」と思ったりした。
●
上のようなことをここに書くと、
またまた姉がこれを見たりしてたら、
今度は真似をして、
「昔ワタシをいれてくれたから今お母さんを入れてあげる」
なんて口だけで母に言って「いい子アピール」するかもしれない。
まぁ、
でも、
それは別にいいか。
それを聞いて母が「嬉しい気持ち」になるならば、
それはそれでいいか。
もう今となっては母が喜べば、
本当のことでなくてもそれはそれでいい。
●
てなわけで、
4月はほとんど、
そんな気持ちでもって、
僕が昼に母を風呂に入れていた。
●
が、
またまた状況は変わる。
5月に入って、
また急に姉が母を毎夜お風呂に入れはじめた。
母のところに行くといつも姉がお風呂に入れてくれたと言う。
それから僕は母をお風呂に入れてはいない。
?
え?
姉が手紙に書いていたように、
「命がけで お風呂に入るのは難しい」ならば、
そんなにものすごく危険ならば、
もう僕が入れてあげるので任せておいたらいいのに。
もしかして、
よくあるように、
「私も母のことをやってますアピール」を急にしたくなったのか?
それとも気まぐれなのか?
そうならば、
入浴中に本当に何かあったらどうするのだ?
また逆に、
あれは単にふっと思いついた「A医院に行かせる」をさせるために、
少し大げさに言っていただけのことなのか?
もしくは実は工夫をすればできなくもなかったことなのか。
今に始まったことではなく、
そもそも「人を振り回すことだけが目的の言動」みたいな、
そんなことに近いことは姉にはよくあることだが
(これは亡き父によく似ている。ある日ムクムクと湧くような)、
ホント、
何だかよくわからない。
いったい何だったのか。
●
ということで、
ひと月くらいお風呂に入れてあげていたあとに、
もう3週間くらい母を入れてあげていないので、
ちょっと寂しいような、
もうすでに懐かしいような。
でも、
いつまた姉が「ハジメに入れてもらって」と言うかはわからないので、
いつでもまた入れてあげる心の準備はしている。
そう、
ちょっと母を風呂に入れてあげたくなっている。
湯船で一生懸命、
「イチ、ニー、サン」と100まで数える母の肩に、
お湯をチャプチャプとかけてあげたくなっている。
(ちなみに、一回姉が母に、
「今日はしんどいから明日ハジメに入れてもらい」と言った日があったのだが、
その日は僕の方も締め切り前の作業あったのと疲れていたのとで、
「ごめん」ということで入れてあげられなかった)
はい。
そんなこんなです。
That's all for now.
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