前にも書いたけど、
2月初めくらいの姉との電話で姉は、
自分が気に入らないことを言われたその返しとして、
「お母さんが死んだらもう私とは終わりなんやなっ!!!!?」
と一足飛びに「白か黒か?」みたいなんことを投げかけてきた。
そういう投げかけは昔からしょっちゅうあるのだけれども、
なんだかこう、
僕にはほんとに姉のこういうところがイヤだ。
まるでこちらが悪いみたいに。
「私のことを認めないお前が悪いと思わせてやる」という感じで。
「そう思わされたくなかったら私のしてもらいたいようにしろ!」
ってな感じで。
●
でもよ、
似たことは前から言っていた。
もう10年前くらいからかなぁ、
2年半くらい前に父が入院する前頃まで、
「お母さんが死んだら佐野家はバラバラやぁ!」
(1回か2回ほど書いたことがあると思う)
と、
しょっちゅう言っていた。
当時、
僕は週に一回木曜の夜に、
父母の顔を見に、
そして父母に僕の顔を見せに帰っていた。
その時に、
なんだか僕の態度や言葉が気に入らず、
しかも普段から自分の先々の心配もあって、
自分のことを母のようにはやってくれなさそうな僕に、
(当たり前だ!)
なんだか腹も立って気に入らなくて、
それらが吹き出して訴えるアピールとアテツケと爆発なのだろう。
かつ、
それでやってもらえる方向になるのを少しでもアテにしてのこともあるのだろう。
母の方と僕の方を交互にみながら、
大きな声で重たい空気と共に吐き出す様にそう言っていた。
まぁ、けったいな。
ほんとにそれ、
どう思ったらいいのか。
普通じゃない。曲がってる。
「何やそれー、かんべんしてよ」
と思って、
言いようのない、ワケのわからない、
イヤーな感じをモヤモヤ抱えながら、
父母のところから電車に乗って帰ったものだ、
母に聞かせて、聞こえるように言って、
「自分がかわいそう」なのを訴えている、
僕にも聞こえるようにそうやって二重に訴えている。
きっと僕を「イヤな気持ち」にもさせたい。
なんかこう入り組んだややこしい、
ずるっこい、意地の悪いやり方だ。
ちっとも賢くないし、
それ以上にワケがわからない。
妙で変でいささか狂ってる。
何でそんなことを言うのか言えるのか、
僕にはわからないし、
それをわかる人はなかなかいないだろう。
別に、僕は、
テレビのホームドラマに出てくるような、
素敵なお姉さんや家族なんてのを、
高望みしているワケでは決してない。
せめて多少変わってても、
でも普通に僕の周辺とかそのあたりにいるような、
今までお茶やお酒を飲んだ女性や人なんかにいるような、
「女の人」もしくは「人」でいてくれればいいのだけれど、
ほんとにものすごく妙で飛び抜けて変だ。
(むしろそういうこと引っ張ってきて比べて言うのは姉の方だ)
「〜が死んだらバラバラやぁぁぁ!」って。
言うか?
60才すぎてて母のそばにいてその母のことで、
言うものか?
みんなどこの家庭でも一人がそう言ってるのか?
神戸や京都や大阪や全国津々浦々の家庭でも、
頻繁にみんな言っているものなのか?
どう?
無いやろ?
普通。
無さすぎて信じられへんやろ?
優しさのかけらもないやろ?
「どこのウチでもいろいろとあるから」の程度を超えていると、
僕には思える。
逆に、
変なら変で、
その変をユニークとして武器にして、
家の中だけでゴチャゴチャ家族を振り回したり攻撃していないで
自分で何でもやってガンガンと、
外の世界や世の中へ飛び出していってくれないか?
そういう人も世の中にはいるもの。
僕などもそっちかもしれない。
でもそうじゃない。
●
それにだいたい、
母がまだ生きているというのに、
しかも言っているすぐそばに母がいて聞いているのに、
「死んだら」って。
よくそんなことが言えると思う。
さんざん母にはいろいろしてもらっておいて、
言葉でも大切にできないのか。
(僕はここにこうして書くのすら気がひける)
それだけで、バチがあたると思っている。
●
そうそう、
このあいだの電話の時はまた、
「お母さんが生きてる間だけやねんな、うすうす感じてたけれど」
なんて、
自分がものすごく可哀想みたいな声で言ってもいた。
なんで「うすうす」なんだ。
自分ではっきりと、
「お母さんが〜だらバラバラやぁ」って、
自身の口ではっきり言ってたじゃないか。
(〜の部分はあまり何度も書きたくないので〜で代用する)
●
もちろんそれは、
「バラバラになりたくない」という訴えなんだろう。
そしてそれは、
愛情としてのそういうことではなく、
「母と同じように私の近くで大人として面倒をみてほしい」ということなんだろう。
母親たちがする「無性の愛」を引き続き誰かにしてほしいだけなのだろう。
もし、
「兄弟として好きだからバラバラになりたくない」のなら、
心あればそういう言い方や、
やり方はしないだろう。
だいたい幾つなのだ。
何歳なのだ。
その子供のような甘えた感じ。
普通ならみんなちゃんとなんとか自分でやってる年齢だろう?
なんで、そこの部分でガンガン必死にくるのだ?
どうしてそこを強く訴えないといけないのだ?
60才すぎて家にいて、
独立している弟にそんなこと言っているなんて人も、
そうそういないと思う。
ヘンで困った人以外は。
しかも、
その家は母の願いを聞き入れて、
弟が負債者になって責任を負っている家だ。
特別ではなく普通ないい形としては、
母がいなくなったら、
マンションを売ってそれを僕の負債の返済にして、
そして姉は自分の力で自立して暮らす。
もしくはあのマンションに暮らすならば、
名義を全部自分のものにしてあげるから、
負債も自分名義にして自分で返すとか。
そうしいうことだって形としてはある。
でも、
どうもそんな気はないようだ。
おそらくこれは姉にとっては、
「そんな都合のいいこと言って」としか映らないと思う。
頭がちゃんと「人」として良くないから。
そして僕がそう思ったりすると、
「そんなお前の思う通りにさせるかい」
なんて感じで逆らった方に行きたくなる。
とてつもなくひねくれているから。
だからこその、
「バラバラやぁぁぁ」と、
「自分がカワイソウ」の訴えなのだろう。
めちゃくちゃだなぁ。
どうしてくれるのよ、この先々。姉として。
そして、
この間2月アタマの電話の、
「お母さんが死んだらもう私とは終わりなんやなっ!!!!?」
で、
それはやっばり今も変わらず、
そういうヘンな感じのままだということがよくわかる。
「バラバラやぁ」から数年か立ってはいるけれど。
●
でも、
こんなこと思う。
言葉には言霊(ことだま)というものがあるという。
いい言葉も悪い言葉も、
言ったことはそのまま形としてこの世界に残り、
形になるという。
そしてあの姉の発して僕らに当てたあの言霊は、
かなり強い。
姉の言ったあの言霊の強さで、
僕が心配てしたりあれこれ「何とかしようと」とかしなくても、
意外とススッと、
姉の言ったとおりそうなってしまう気がしている。
つまり、
姉自身の発した強い言葉のせいで、
あのずっしり重たく放ったあの言葉によって、
姉が自分で言った通りになる。
誰が言ったのでもなく自分で言ったのだものな。
だから、
そうなっても僕には仕様がない。
気にしないでもいいだろう。
と、最近は、
そんな風に思うことにしている。
そんなこんなです。
That's all for now.
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