前回の話。
↓
1年と少し程前から姉は、
母の代わりに母の口座から必要なお金を降ろすという、
母の用事でありかつ住んでいる家の用事をしていたが、
(そこからローンの返済用のお金も出して引落の別銀行に入れる)
去年の10月くらいに、
「本人ではないのを疑われるからもうイヤ」と言い出して、
(姉は銀行の人とちゃんと答えの出る相談はしなかった)
母に僕と行ってきてと指示を出して、
母に頼まれて11月に僕は母と共に銀行に行ってきた。
でも、そんな、
体の弱っている母に、
たびたびお金をおろしに行かせるのかとハラがたって思って、
その母と行った時に銀行の人に相談をして、
そういう時に家族が使える、
引き出し金額に制限のついたキャッシュカードを作ってもらった。
何だかなぁと思ってそれは姉には言わずにいた。
2月になって姉が母に、
また僕と一緒に銀行までに行ってきてと指示を出した。
ので、
僕はまずカードで1日でおろせる限度額10万をおろしてきた。
と母が、姉には、
「カードで1日でおろせる限度額10万しか今日はないと言おうか」
というので、
それで姉がカードを作ったのを知ることになって、
怒ってゴチャゴチャっとなるが、
どのみちカードのことは明細からわかるので、
まぁ流れにまかすことにした。
で、案の定その日の夜に姉から電話があって、
カードを作ったのを聞いていないと僕を責めた。
ので「丸投げされたから任せてもらおうと思って」と言うと、
姉はカッとなった。
(きっと後で「カッとはなってない」と姉は言うだろうが)
でも、すぐに声色を変えて、
「そのカード、私が持っていていいかな?」
と僕に聞いた。
それはもうきっと言うだろうと予想していたので、
「いいよ」とあっさり答えた。
すると姉はとても自分にとって助かるアピールをするから、
勝手なもんだなぁと思ってつい、
「えーなぁーお姉ちゃんは、全部してもらってラクで」
とイヤミを言ってやった。
すると、
よく姉にあるように、
相手に対するスイッチが一挙に、
「私はいい人で可哀想な人なのに、イヤなこと言うお前は敵だ!」
になって、
(きっと後で「敵だとか思ったりしてない」と姉は言うだろうが)
とにかく「敵を全面無差別攻撃だ」ってな勢いで、
それまでの銀行のカードの話からは外れて、
マシンガンのようにネチネチガンガンとしゃべり続けた。
と、
いう話の続きが今回。
(前おき長いなー!)
●
姉がこうなると、
もう昔からいつもそうだけれど、
僕はもう姉には「敵」だから、
それまでしていた話はもうどこかにいって、
「敵への最終宣告」みたいなことを言い出して、
自分の中でスッキリ満足する区切りまで、
攻撃したり喋りまくったりグチャグチャにもつれこんだりしてくる。
ほんとに殺伐としてくる。
家族に対する「人間味」などとは程遠い。
この時も、
「お母さんが死んだら私とはもう終わりやなっ?!」
といきなり質問形で強い声で何度も言った。
この質問の言い方がまた、
母がまだ普通に元気だった頃は要注意だったもので、
姉にこういう「◯◯なんやな?」を何度も繰り返されて、
うんざりして「ああ、そうや!」なんて言おうものなら、
「ああ、ハジメはやっぱり◯◯なんや!!」と言われて、
母に「ハジメに◯◯って言われた!!」と言われてしまう。
例えばこんな感じ。
何かのきっかけで、
「ハジメは私より友達の方が大事なんやな!?」とか言われて、
「いや、そんな比べるようなもんじゃない」とか言ったりしても、
「そうやんか、友達には優しくして私にしてくれへんねんから、
友達のほうが大事なんや!」とかそんな風に、
とにかく何を言ってもそうなんだとひつこく攻めてきて、
面倒になってつい「ああ、そうや!」とか言ったりすると、
「ああ!やっぱりそうなんやっ!」
とかものすごい声で言われて、
母に
「私より友達の方が大事ってハジメに言われた!」
なんて、
まるで僕がいきなりそう言ったかのように母に訴えたりする。
「私ものすごく悲しかった、涙が出てきた!」なんて訴えたりする。
そして母性の強い母にそう思わせて、
僕の印象を悪くしておいて、まるで仕返しのようで、
ほーら、こんな風にされたなくなければ、
私がしてもらいたいようにしろ! お前!
私が気にいらないようなことをするな! お前! ヘッ!
てな感じだ。
だから、
この日の「お母さんが死んだら私とはもう終わりやな?!」も、
その返事次第では、
母に「終わりやってハジメに言われた!私悲しかったつらい」なんて、
母の母性に訴えて言ったりされそうなんだけれども、
この時はそこで僕は何て言ったっけか?
なんかあんまりちゃんと覚えていないが、
「もうそれでいい」と言った気もする。
実際に、もういい。
母が普通に元気だった時は、
僕よりも姉の方が普段からべったりとそばにいる分、
また僕が忙しくて離れていることも母の気持ち的には働いて、
母は姉がかわいそうに思って姉についたりもしたものだが、
今はもう、ほぼ毎日のように僕は母に接しているので、
言葉ではなくてそのサポートの折り折りの接する時間で
黙って僕の是非を母に証明していくので、
いや、母というか、
大きく神様と言ってもいいようなものに証明していくので、
もういい。
僕を下げて母に言っていたらいい。
母だって今はそんなこと聞かされるのはしんどいだろう。
それに、
自分のしたい放題のしたい様にしてもらえないと、
お前とはもう終わり、お前のせい、
みたいに言うのはほんとに殺伐としている。
人にしてもらったりアテにしてばかりいず、
大人として当然なことは自分でしつつ、
でもって兄弟とも仲良くする、
という道も本当は普通ならあるだろう?
●
さて、
この電話で、
姉は他にもアレコレ言っていたが、
順番はその通りでないだろうけれど、
思い出すものから書いていく。
●
そうそう、
それから姉はこれも言っていた。
上のことにもつながるのだけれど、
「ハジメが私のことを、
助けてくれへんねんやったら、
私もハジメを助けへん!」
とも言った。
以前にも、
「私が生活保護うけるようになったら助けてくれる?!
助けてくれると約束するんやったら私もハジメを助けてあげるけど、
助けてくれへんねんやったら私も助けてあげへん!」
なんてNHKスベシャルの描く暗い人生の終盤みたいなことを言われたが、
似たパターンだ。
つまりは、
「自主的に自分から進んでは、お前のこと助けない」
と、
自分の冷たさを表明しちゃってるだけやん。
でも、
ほんと、
「よく言うよ」と思う。
そもそも、
今までダイジなことやここぞという時の助かるところで、
助けてくれたことなどないやん。
後になって「私もアレをしたコレもした」と言うけれど、
一番助けてほしい部分ではちっとも助けてくれへんやん。
だから、
姉が「助けてあげない」と言ったところで、
僕にしてみれば、それは、
今までと別に一緒やん。
古くは子供時代の「費さんち置き去り事件」の時でも。
新しくは一人で父の病院には一度も行かなかったことや、
母と行っても父の病室に一切入らなかったことも。
その後の父の手続きに一人で行き回った時だって。
僕はずっと一人だ。
口で「できることがあったら言ってね」とカッコよく言うだけで、
いざお願いしても姉は結局大事な事は一人では出来ないし、
しようとしないし、する気もない。
それは震災の時や、去年からの母のアレコレでもずっと同じことをされてきた。
それから、
震災後に、僕が母の願いを叶えたくて請け負った、
姉も一緒に住んでいるマンションの負債者なっていることだって、
いろいろと不安に思っていてもずっと最初から知らんぷり。
逆に自分がそこにいることで僕に心配されていることが、
姉はものすごくイヤで気に入らなくてハラだたしいようで。
だから、
それの仕返しのつもりなのだろう、
母に「ハジメはここのこと恩にきせてるで」と、
悪く吹き込んだりもして、
実際母にそれを僕に言わせたりしてイヤな思いをさせようとしたり。
ところが父の相続手続きの時になると、
父分の負債の相続は母を通して私はできないといっておきながら、
マンションの登記の父の分は私は欲しいと母に言わせ、
助けどころか僕に足かせをしてくるくらいで。
そんな人に最初から助けを求めたりしようなんて、
もう思ってないよ。
それらの姉の言動のどこに、
そもそもの僕を「助けてあげる」気持ちがあるんだ?
僕だけでなく、
生活などで父母が困っていても、
私立高校の援助などの申し込みをイヤがって、
まったく助けなかった姉が、
僕の生活のことなどで無条件に弟を助けるはずがない。
姉には、
「助けてもらえない」
それが60年近く今までずっと当たり前にあったことだから、
姉をあてにするはずがないやん。
普通に期待もしてないよ。
よかったやん、ラクで。
逆に、
今まで姉は、
親にいろいろと負担してもらって、
むしろ人に助けてもらって何とか存在できていて、
そちらの方が心配でそんなこと言ってくるのだから、
性格の悪さが浮き彫りになってるだけだ。
僕はこれまでと同じく今までどおり、
頼れない姉などアテにせず助けてもらおうなどと思わずに、
これからも自分のするべきことしなければいけないことは、
自分の力でやっていくだけの話だ。
今までと一緒だ。
何を言っているのだろう?
ほんとに。
きっと、
自分が弟に何もしないのは、
弟がしてくれないと言ったから、
と、
自分がしない事を人のせいにすり替えたいから、
ずるっこくそう言っているだけだ。
●
一方で、その電話の日も
こんなことも言っていた。
私はハジメには感謝してるねん。
何回も、
「感謝してるねん」「感謝してるねん」「感謝してるねん」
と言っていた。
なんかなぁ、
しらけてしまう。
ホントに口だけだものなぁ。
「私は弟にひどく言われてるけど、
私は弟に感謝しているいい子」
アピールなんだろうなぁ。
分裂している。
なんだかなぁ、だ。
まるで、
誰かがどこかで聞いているので、
そこを一生懸命アピールしている、
みたいなそんな感じだ。
それに、
「感謝してる」とは言うけれど、
「悪かった」とか「ごめん」とか、
「今まで申し訳ない」とは決して言わない。
姉のような、
「相手を服従させたい、下にはなりたくない」タイプは
謝ると「相手に服従させられた(下になった)」ことになるのだろう。
本来は「謝る」というのはそういうことではないけれども、
勝ち負けとか上下しか頭にないから仕方がない。
そして、
負けない形をとって、
「感謝している」という、
「自分もこんな風にエライのだアピール」の言葉を選ぶのだろう。
もう付き合わなくなった友人がそうだったが、
謝らずに「気持ちを新たにやっていきたい」とか宣言する人と、
同じパターンだ。
「口で感謝しているとか言わずに態度で見せてほしいな」
「本当に感謝しているならばこのあたりはどう思っているか?」
と思ったので、
僕はこう聞いてみた。
「僕がそこのマンションの負債者になってるのはどう思ってるの?」
と。
すると姉は、
やはり「そんなことは言われたくない!」
と言う感じにカッとなって間髪いれない速さで、
「ああ、やっぱりハジメにはそこなんや!」
とイヤなところに触れられて怒ったように言った。
つづけて僕はこうも言ってみた。
「お姉ちゃんほんとに自立しーよ」
やはり姉は、
「やっぱり、そこなんや、へっ!」
と怒って言った。
どうよ、それ。
そこは僕にとってはとても大事なところよ。
家族として、姉として、
そこは姉には一切どうでもいいらしい。
それはたぶん触れてほしくないことで、
言ってほしくないことで「無いこと」にしたい部分で、
ハジメは、というか、
姉の周りの人は辛抱して触らずにいないといけなくて、
何も言わずに私がしている「誰かにに依存して暮らす」のを、
黙って認めて最後はお前がやらんかい。
「感謝している」ってとてもやさしい言葉を言ってあげてるねんから、
ってなことにしかか思えない。
そして、言われると、
「私がいるのがイヤなんや!! 嫌いなんや!」と言う。
何が感謝だ。
ちょっと普通のアタマではありえない。
本当に感謝しているのだったら、
他の人と同じように自分ででできることはしてくれないだろうか。
そういう「行動」でしてもらえないだろうか?
でも、
本心は、
僕に面倒みてもらいたいのだろう?
今までの母の代わりをしてもらえればご機嫌なんだろう?
それはどう考えても、
おかしいぞ。
僕は母のためにマンションの負債者になっていて、
その先々のことにはいつか、
母にくっついてきた姉が自立するのかどうかもかかっていて、
でも「そういうことを思われることがイヤ!」と思うだけで、
実質的に弟を気持ち的にも金銭的にもラクさせて助けてあげよう、
とは思わないわけで。
それで口だけで表面的に「感謝している」と言って、
自分は正しいと思い込みたいだけで。
つまり、
結局助けてはくれない。
あの姉は。どのみち。
今までも、
これからも。
ごちゃごちゃだ。
そして、
「そっちが助けてくれないから私も助けない」
とずるっこくすり替えて言い張って、
自分を正しくしておきたい。
それは姉の自分の中だけの話であってもそれでいいみたい。
だな。
なんか、
日本の政治家みたいだな。
日本の「暗い部分」の伝統なのかもしれない。
この島に渡ってきた祖先の半分がそんなだったのかもしれない。
持ってきたな?
●
あと、
その電話の日。
やたらと「フラット」という言葉を使っていた。
「私はハジメのことをフラットに思っているだけで、
別にどうこう思ってない」
みたいなことを言った。
そして「ハジメのことをフラットに思っている」というのを、
何度も何度も言った。
なんでだろ。
「フラット」という言葉をどこで見て気になって、
そうやって何度も使おうと思ったのだろうか。
(そういう子供みたいなところがある)
もしかして僕のブログだろうか?
「フラット」という言葉はたまに使ったりもしてるし、
ブログにも書いたかもしれない。
でもそんなに書いたか?またはどこかで言ったかな。
それを見たか聞いたかして、
「フラット」って言ういい方が少しイヤで、
「今ハジメに何かでフラットと言う言葉を沢山使ってやりたい」と、
思って、それで何度フラットフラットフラットと使った、
ということかのかもしれない。
「自由」とか言う言葉も嫌うから、
「フラット」も嫌うかもしれないな。
そういう平かなのは嫌いなんだ。
「上」「勝つ」が好きなんだ。
いや、
もちろんそうではなくて、僕ではなくて、
テレビの中で誰かが使っていて、
「ああ言えばいいやんな」と思って、
使ったのかもしれない。
ても、
それにしても、
あまりにフラットフラットフラットと言って、
フラットが沢山重なって、
ちっとも「フラット」ではなかった。
「フラット」はあっさり1.2回くらい使うもんじゃないか?
だから、やはり、
きっと、「フラット」という言葉を、
「ハジメにイヤな感じに使ってやりたい」と思ったか、
「ああいえばいいやんな」と思ったか、
どっちかなんだろう。
とにかく、
意味合い的には、
「私はお前が思っているほどお前を必死に考えて無いと言ってやる」
という反撃的なことなのかもしれない。
でもほんとにある意味そうではあるなぁ。
家族のことなど何も考えてくれていないのはその通りだ。
が、
同じフラットなら、
「何を私を気にしてるの、
そんなん二人になったら私はササッとどこかに行くよ。
大人やから当然やん。そのくらい普通にするよ
心配なんてしなくていいよ」
とかフラットにシュッと言って、
フラットな行動をくれないかな。
弟に「母のあとを継いで私のことやってくれない」と恨んで、
妙な形にデコボコしたりせずに。
やっばりフラットじゃない。
きっと言いたかったかっただけだ。
●
あと、
あの日は他にも、
「ハジメには感謝してるけど私も人間やからハラもたつ」とか、
「会社に色んな人がいて相手してきて、
ハジメなんかよりもって個性的な人とやってきてるねんもん!」とか、
何も言ってないのに「お茶だって感謝をこめて入れてるねんもん」とか、
「お正月だってちゃんと普通にしてたもん」とか、
「お母さんが生きてる間だけやねんな、うすうす感じてたけれど」とか、
そんなことも言っていた。
ワケがわからない。
他にも何かあったかもしれないけれども、
それ以上細かいところは今はもう思いださなくてもいいだろう。
キリがない。
●
そして電話の最後の方は、
姉はイヤミったらしい言い方で、
「いままでどうもありがとうございました!」
といきなり強く丁寧な言い方になった。
語尾は下にイヤミったらしく下がる。
最後の「た」に強いアクセント。
これも昔からよくある。
相手に対して気持ちを遮断したのをアピールするために、
慇懃無礼(いんぎんぶれい=失礼なほどに丁寧にする)になる。
で、
これまた父がよくやってた。
言い合いも終わりに近くなると、
こうやってわざと丁寧語で終える。
たぶん、
ものすごく田舎出身の父の血かもしれない。
村人の村八分ってこんなだったのかもしれない。
「あなたとは距離をとりました。ただの他人です」
というアピールをして相手にダメージをあたえたい。
自分(たち)の周りから、そして心の中からまでも締め出したぞ、
という表明を相手にもぶつけておきたい、
そういう感じに思える。
根っこにあるものが最終的には、
とても冷たい。
僕はそういうのはホントにイヤだ。
というか合わない。
全部ひっくるめて、かんべんしてほしい。
距離をとっておいてこうやって俯瞰で見るのはいいが、
実際に現実のおこないとして関わるのは疲れて困るし、
寂しい気持ちになる。
けれどもううんざりしてたので、
電話の最後は、
そんな姉に合わせて僕も、
「ありがとうございましたぁ」と、
しかしでも、
もっと都会っぽく元気に明るく語尾をあげて言っておいた。
以上が、
2月5日の電話であった、
これはちゃんと記録しておくべきだと思った、
話だった。
誰が読んでも読まなくても。
(数日読み直して、うまく言えてないところは直していく)
それにしても、
上にも書いたけれど、
これらの姉の言動と思考は、
日本人の伝統的な「ぐにっ」とした部分、
ゆえに特に政治家の世界に相通じような根本的な話のような、
そんなことでもあるような、
そんな感じだな。
まったくな。
はい。
そんなこんなです。
That's all for now.
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