今日、
大家さんが「これお裾分け」と言って、
パイナップルを持ってきてくれた。
こんな風に、
もう長いつきあいの大家さんには良くして貰っている。
ありがたいし、
嬉しい。
●
と、
ふとまた、
あの、
「佐野さんは気に入りませんし信じてませんわ。
でもベタベタくっつきたいですわ。
三宮から酔っ払ってメールと電話して出てこいといいますわ」
の、
もと「かわいい後輩」を思い出す。
彼は、
僕の家に来ていた時の何かの時に、
(その時大家さんが何か持ってきてくれたのだったかな)
僕によくしてくれる大家さんのことを、
「ひとがいい」
と言ったのだ。
忘れもしない。
当時は「かわいい後輩」と思っていたから、
とりあえず見過ごしてあげていただけだ。
だって、
それではまるで、
僕が
「本来なら人には到底認められないような人」で、
「大家さんをうまくたぶらかしていいようにしている」で、
しかも僕にだけならまだいいが、
大家さんが
「まんまとそれにのせられて佐野にいいようにされている」
つまりは「間の抜けた人である」
とそう言いたいということになるではないか。
「ひとがいい」というのはそういうニュアンスを含んだ言葉だ。
本当に何から何まで「失礼」で、
「人」というものをナメたヤツだったなー。
(過去形)
大家さんは、
とても
「いいかた」
なのだ。
本当に。
僕はもうつきあいが長いから、
僕とのことだけでなく色んなことを見てきているから、
知っている。
それに、僕と大家さんのつきあいも、
まだご主人が生きておられた時も含めて、
かれこれ30年近くになる。
年齢と経験が子供ほど下な僕の方からそう言うのも何だが
お互いに、時に、したりされたりで、
自然に関係を築いてきた。
もちろん、
僕の方は、
昔会社をやめフリーになった時も信じて気にせずにいてくれたり、
(それどころか応援してくれた)
震災の時に部屋に家族を呼んだ時もかなりお世話になったり、
感謝することが大だ。
そしてそういうのがあるから、
大家さんの力になれることがあったらしたりしながら、
日常的に会うと笑ったり共感したりして人間関係を築いてきた。
(さらに全部書き出すと長くなるのでまた別の機会に)
実は、
今日のパインだって、
先日僕がマンションのことで力仕事をお手伝いした、
お礼だと言ってくれたものだ。
(もちろん何もなく差し入れの時もあるが)
それを、
「ひとがいい」
なんて、
アーモンドグリコみたいに、
一度に二人ともを
彼にバカにされる筋合いは無い!
そしてもしかしたら他で言いそうな、
「二人で築いて共感した関係らしいですよふっ(冷笑)」
と言われる筋合いもない。
(と言うかどうか知らないがきっという言うにちがいない頼む言ってくれ!)
さらに言いそうな、
「そういうつもりじゃなかったんですけどね」も
「そのくらい別にいいじゃぁないですか」も
言われる筋合いも血合いも肉合い組合も無い!!
(意味不明!)
それに自分こそ、
佐野さんという「ひとのいい」先輩に、
大目に許してもらって甘えていたんじゃないか!
●
それにしても、
どうしてそうやって彼は、
「いいひと」という言葉を選ばずに、
「ひとがいい」という言葉を選ぶのか?
考えてみる。
まずは、
「佐野さんは気に入りませんわ信じてませんわ」
というところから、
「佐野さんには何か言ってやりたい」
というのもあるんだろうけれど、
だいたい彼は、
「毒舌」ぶったりしているところがある。
アレかな?
僕らが若い80年代くらいに、
「毒舌」の芸人が結構出てきて、
また「暗い」とか「まじめ」とか「一生懸命」が、
「ダサい」みたいにされた風潮があったけれど、
今でもそういう「毒舌」なことをを言ったりする、
丁度あの時代を過ごして今は年配な人の頭の中は、
あの時代のまんまで、
今だにそれが、
「カッコいい」「賢そう」「するどい」「人より抜けてる」と思っているのかもしれないな。
でも、
芸人の「毒舌」は、
もしかしたら仕事の上のことで、
裏ではドーンと「懐の大きなこと」をしてるかもしれない。
でも、そこまではきっと解っていない。
しかも「毒舌」の結果、
「嫌われる可能性もある」という覚悟があればいいのだけれど、
たぶんそんな覚悟は無い。
嫌われたら大抵、ヘコむ。
普段はみんなが「大目に許してくれている」だけ、
ということに気づいていない。
だから、嫌われるとヘコみ、
場合によっては恨んだり逆切れする。
どうせ「毒舌」するなら、
「あー、嫌いになっても結構、ぜんぜんかまわない。味方などいらん」
くらいのバシッとした大きな覚悟をもってほしいな。
それができないなら、
まあ、
ええ歳こいで、
いつまでも80年代してないで、
「普通」にしていた方がいい。
でないと、
単なる「性格の悪いおっさん(おばさん)」になるだけで、
そのうちに嫌われる。
結局は、
もともと根が、
「暗い・重い」なんだけど、
当時の「暗い・重いのはダメ」みたいな風潮から、
「毒舌」の方に走っただけなのかな?
まぁ、そうかもしれないな。
80年代も「昭和」もとっくに終わったし、
少しずつ変わり目をしていた「平成」も終わって、
今や「令和」だしもうすぐ2020年代だ。
「毒舌」とか言ってグイグイ人を下げて自分を上げて喜ぶみたいな、
お前は ゴリ押し園児 か!
なんてダサい子供っぽいことはもう辞めた方がいい。
「優しい」いい言葉をちゃんと選んで相手に伝えた方がいい。
そうじゃないと、
普通の人からも次第にそうだけど、
特に若い人に相手にしてもらえない。
いや、
決して若い人に好かれようと媚びを売る必要はないが、
視界から外されるともうコミュニケーションの可能性すら無くなる。
若い人はかつて自分たちがそうであったように、
一番新しい何かを(もしくは年配者が忘れてしまったものを)、
持っていて教えてくれるかもしれない人たちだ。
そういえば、
そのもと「かわいい後輩」の彼は、
いつだったか、
僕が「うちの父と姉は同じ家にいながら口さえきかない」
と言った時に、
「僕も娘とそうなるかもしれませんわ」
と人の話を自分の話に替えて言っていた。
(何でも人の話を自分の話にすり替えるな!)
でもそれならきっと彼と娘さんは、
次第にコミュニケーションがとれなくなっているっぽいし、
そして、それは、
そのあたりの「ゴリ押し園児」が原因なのかもしれない。
彼は気づいてないかもしれないけれど。
例えば、
当時よく見て今も同世代によくある、
〝すぐに人の言ったことやしたことを(冷笑)する〟
みたいなアホなことも含めて、
いいかげん、
「80年代アタマ」は出来るだけもう流してしまった方がいい。
そして、
「人の家のことほっといてもらいたいですわ」とか
「子供いないくせに言わんとってほしいですわ」とか
言っているヒマがあったら、
(本当にそう言っているのか?)
アタマ変えて、
娘さんとコミュニケーションとれるようになった方が先々いいだろうな。
佐野さんに「大家さんはひとがいい」とかヨケイなこと言ってないで。
が、
しかし、
だ、
「80年代アタマ」は綺麗さっぱり流すと習ってやってみても、
彼が娘さんとコミュニケーションとれるようになるかどうかは、
僕は知らない。
(ガクッ)
だって、
マネッコしてテクニックとしてそうしたところで、
彼の心の色が、
♪ 沈むサンセット
から
♪ 登るサンライズ
に変わらない限り、
どうだか僕には解らないなぁ。
●
と自分こそヨケイな人のこと思っていないで、
いやいや、
とにかく、
パインだったのだ!
パインは今日、
容器から半分だけお皿に入れて、
ベランダでコーヒーを飲みながら食べた。
おいしかった。
あと半分は明日の朝だ。
ほんとにありがとう大家さん!
●
追記(16日)/
今日の朝、
パインの残りを食べた。
おいしかった。
さ、
いろいろタイヘンなこともあるけれど、
少しずつすすんで行こう。
そんなこんなです。
That's all for now.
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